3 オトモダチ
『オトモダチ』
「納得がいかないわ」
ミハイルとアメリアは二人、同じように籐籠を携え立っていた。籠の中には綺麗にラッピングされたお菓子が入っている。勿論中身はどちらも同じだ。それにも関わらず、ミハイルの前にだけズラリと子供達が並んでいるのは、どう考えても納得のいかない事象であった。
「さぁ、みんな。今から僕がお菓子を配るから良い子で並んで待っていてね」
上機嫌のミハイルは、己の武器を最大限に利用して天使の笑みを振りまいている。恐らく子供達は、この顔に釣られてしまったのだろう。
修道院に併設された孤児院―――神の教えに最も近いこの場所で、修道士達に育てられている彼らにとって、天使は何よりも身近なモチーフであった。ミハイルの外見にコロリと騙されてしまっても致し方ない。
「リリィの本当の美しさを理解するには、この子達にはまだ少し早かったみたいだね。ねぇ、リリィ。君は僕にお菓子を渡してくれる?そしたら僕がそれを子供達に配るから」
「そんなの非効率的だわ」
「いいじゃない。リリィは配る相手がいなくて退屈してるんだから」
アメリアはキュッと口元を引き締める。そのまま籐籠を侍女へ突き出すと、代わりにミハイルの籠を奪い取った。弟の言う通りにするのも癪だが、する事もなく突っ立っているのは、それ以上に嫌だった。大人しくお菓子の包みを手渡すアメリアに、ミハイルがふわりと微笑む。
「僕とリリィの共同作業だね」
「早く配りなさいよ。後がつかえてるわよ」
ヒソヒソと言い合いながら、アメリアは子供達へ向けて対外的に作り上げた完璧な笑顔を向けた。途端にパッと俯く彼らは皆、くたびれた庶民的な衣服を身に纏っていた。中には、明らかにサイズが合っていない物もある。清潔ではあったが、裕福さからは程遠い出で立ちだ。彼らの生活が、非常に慎ましいものであることは一目で知れた。
本来ならば、アメリアとは一生交わる事のない身分の子供達。そんな彼らの元にやってきてお菓子を配っているのは、奉仕活動の為だった。ハインミュラー家は、貴族の義務として社会貢献活動にも力を入れている。地域や企業が開催するチャリティ、教会、修道院への寄進―――この孤児院もまた、ハインミュラーが寄付をしている先の一つであった。アメリアとミハイルはこの日、兄の名代として孤児院の慰問に訪れていた訳である。
「はい、どうぞ。…ねぇ君、さっきからチラチラとリリィを見てたよね。ちょっとお兄さんに名前を教えてくれるかな。君の名前はなんていうの?」
「およしなさいな。名前を教えたら最後、末代まで祟られますわよ」
虫も殺さぬような顔をして、平気でアリの巣穴になみなみと砂糖水を注ぎ込むのがミハイルという男だ。天使の見てくれで悪魔の所業を成し遂げる。そんな男に軽率に名前を教えたら、なにをされるか分ったものではない。
「邪魔しないでよリリィ。僕は不安の芽は土から出る前に掘り返しておかないと気が済まないタチなんだ」
「はい、お菓子。次の子が待ってるわよ」
ミハイルにお菓子を握らせながら、アメリアは青々と澄み渡る空を見上げた。風もなく穏やかで、気持ちが良いくらいの快晴だ。俗世から一歩離れた神の庭には、市井を賑わすトップニュースも届かない。
『粉屋の娘と王子の熱愛』
新聞の一面を飾った特大スクープに、国中は今、大きな騒ぎとなっていた。驚くべきは、粉屋の娘と例えられた女である。その女は、いつかの夜会でクラウスと共にいた女であった。何がどう転んで庶民の女が一国の王子と愛を育むに至ったのかは知らないが、よくやったものである。
そうしてサクセスストーリーを駆け上がるローズを庶民達は羨望と共に熱く見守り、その一方で貴族達は冷ややかな目で傍観していた。二人の間にある歴然とした身分差は、決して埋める事はできない。熱愛が国中に知れ渡っても尚、婚約さえ許されていないのはそのせいだ。
(ご愁傷さまな事だわ)
とは言え、アメリアにはどうでもいい事ではあったが。
クラウスの一件は、既に片がついている。その付属物としてしか認識していない女が、その先で誰と結ばれようがアメリアの知った事ではなかった。しかし世間は、そうはとらなかった。
どこから話が伝わったのか、夜会での一幕は尾ひれ背びれをともなって人々の間に広まり、今ではアメリアはローズの宿敵として知れ渡っていた。良い迷惑だ。勝手に人を、他人の恋物語の悪役に仕立て上げないでもらいたい。引き立て役など冗談ではなかった。アメリアを舞台に乗せたいのなら、主役の座を用意すべきだろう。
「アメリア様」
そうしてミハイルと二人、粗方のお菓子を配り終えた時の事だった。呼ばれるままに顔を上げると、三人の令嬢が連れ立ってアメリアの元へとやってきた。
「やっぱりアメリア様ですわ」
「わたくしたち、たまたま通りかかったのですけれど、表にハインミュラー家の馬車が停まっていましたものですから。もしかしたら、と」
「ごきげんよう、アメリア様。ミハイル様」
かわるがわるに挨拶を述べる令嬢達に、アメリアは淡く微笑む。どれも見知らぬ顔ばかりであったが、その口ぶりは親しげだった。
「ごきげんよう、皆様。わざわざご挨拶に寄って頂けるなんて嬉しいわ」
当たり障りのないセリフで場を濁す。相手を思い出せずとも、適当に話を合わせてあしらう術は心得ていた。
「あの、アメリア様。少しよろしいかしら」
「ええ、勿論ですわ。せっかく来てくださったのですもの。少しお話しましょう」
アメリアがもう一つの籠を侍女へ渡すと、彼女は心得たように子供達を奥へと連れて行った。ミハイルはアメリアの隣に残ったままだったが、令嬢たちにとっても今更の事である。彼女達がそれを気にする事はなかった。
「アメリア様。実はわたくしたち、アメリア様のお耳にいれたい事がございますの」
「あの身の程を弁えない、はしたない女の事ですわ」
「ご存知ですの?あの女ったら…」
恐らく彼女達もまた、アメリアとローズの対立をおもしろがっている者の一人なのだろう。頼んでもいないのに、ローズの近況を陰口と共に吹き込んでくる三人へ、アメリアは内心うんざりと息を吐いた。この手の陰口、告げ口は彼女達に限った事ではなかったが、いい加減聞き飽きていた。
「ですからわたしくし、あの女の……を………してさしあげましたの」
「いい気味ですわ。実はわたくしも先日……」
「アメリア様のお友達として当然の事をしたまでですわ。庶民のくせに伯爵家であるアメリア様のお心を煩わせるなんて、許せませんもの。わたくしもお父様にお願いして、あの女の……を…」
どれも下らない嫌がらせばかりであった。令嬢たちが自慢げにローズへの報復活動を披露するのを、アメリアは冷めた目で見つめていた。その唇には微笑が浮かんだまま、おしゃべりに夢中の彼女達は、アメリアの白けた視線に気づくことはいない。
(どいつもこいつも…忠犬気取りで手柄を報告に来られても困るのよ)
幼稚な嫉妬と、程度の低い嫌がらせ。令嬢たちの頭の悪いお遊びに付き合う気はない。
(それにしても……オトモダチ、ねぇ)
アメリアの、自称オトモダチ。
勿論アメリアにその認識はなかったが、この手の類は昔から掃いて捨てるほどにいた。今更気にするような事でもないのかもしれない―――が、何かがひっかかる。
その小さな違和感は、見過ごしてはいけないような気がした。ただの勘だ。しかしこういう時の直感を、アメリアが外した事はなかった。見れば、傍らのミハイルも黙りこくったまま何か考えている様子だった。
「ねぇ、ミハイル」
口を開こうとした、その時のことだった。修道院へ続く石畳をはずれ、こちらへ歩いてくる一人の令嬢の姿に、アメリアは再び口を閉ざした。
「ごきげんよう、アメリア」
三人の令嬢に劣らず、やけに親しげな―――悪く言えば、馴れ馴れしい令嬢だった。それまでは女性陣のやりとりに一切口を挟む事無く、置物に徹していたミハイルがスッと二人の間に割って入った。
「ごきげんよう、レディ」
アメリアを背に、にこやかに微笑むミハイル。そんな彼の元へ令嬢が手を差し出した。
「ごきげんよう、ミハイル様。過保護な所は相変わらずですのね」
ミハイルは令嬢の手をとると、甲にキスを落とす真似をする。ごく当たり前に行われる挨拶だが、実際に唇が触れる事はない。
「アメリアを心配する気持ちは痛いほどよくわかりますけれど、親友のわたくしにくらい警戒を解いてくださってもよろしいのではなくて?」
「『親友』だからこそ、僕のリリィをとられてしまうのではないかと不安なのですよ」
上っ面を合わせるミハイルであったが、彼の視線は相手を見定めるようにまっすぐに目の前の令嬢へ向けられていた。そしてそれは、アメリアも同じである。二人の眼差しを受け止めながら、たおやかに微笑む謎の令嬢。
「…………」
とくと相手を見つめた後、ミハイルが何事かを問うようにアメリアを振り返る。しかしアメリアにしても、それに答える術はない。
―――やはり、何かがおかしかった。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
話したい事を一通り話し終え、満足したのだろう。慰問先に訪れた令嬢たちは、すんなりと帰っていった。その際、是非お茶にと誘われはしたが断った。得体の知れない相手と、これ以上交流を続ける気にはなれなかったからだ。
「ねぇ、リリィ。リリィはいつの間に、僕の知らない所であんなオトモダチを作ったの?」
孤児院の玄関先では、修道女らと共に子供達がお菓子の包みを広げている。ゆったりとした足取りで彼らの元へ向かいながら、アメリアは目を据わらせた。
「冗談はやめて。家柄だけが取り柄の、毒にも薬にもならないような腰巾着をオトモダチにするほど人材には困ってないわ」
自称友達に、自称親友。名前も思い浮かばぬ程の、普段アメリアの意識にも上らぬ令嬢たち。
「僕の脳内リストにも、あんな令嬢たちの名前はないんだよね。それにしては、やけにリリィに馴れ馴れしいし…。腑に落ちないな」
ミハイルすらノーマークであったという、アメリアの親友を自称する女。しかし思い返してみても、彼女に親友だと思い込まれるような付き合いはしていないはずだった。
『そう言えば、わたくしたちが出会ったきっかけですけれど…』
『ふふ。懐かしいですわね。あれは確か――…』
会話の中でそれとなく尋ねてみると、彼女はツラツラと詩歌を諳んじるかのように思い出話を読み上げる。言われれば、薄ぼんやりとそんな記憶は蘇った。けれどそこになんの実感も伴わないのは、アメリアの実体験として根付いていないからだ。何故だか、そんな風に思えてならなかった。
現実が、ある一定のラインで乖離している。
それは、いかなアメリアでも気づかざるを得なかった。
「なぁんか…嫌な感じ」
「……えぇ、そうね」
アメリアの知らない所で、何かが始まり、動き出している。
ゾワリと、肌が粟立つ。アメリアは気味の悪さに身震いした。
「僕の狗に少し調べさせようか」
表情を曇らせるアメリアに、ミハイルが殊更に柔らかな声で宥める。さりげなく繋がれた手が、冷えたアメリアの手を包み込んだ。
「大丈夫、僕に任せて。リリィは何も心配しなくてもいいよ」
心配はいらない。言い切るミハイルに、迷いはない。アメリアは知らず内に詰めていた息を吐き出した。片割れのこういう所は、とても頼もしく思う。しかしアメリアの心配の種は、なにも得体の知れない友人だけにある訳ではなかった。もっと身近なところにも、面倒な存在がいるのである。
(こうも周囲が騒がしくなってくると、お兄様が黙っていないわね)
巷で囁かれている噂を、兄が知らぬはずはなかった。その上で未だ何も言ってこないのは、単に静観しているだけに過ぎない。この騒ぎが兄の許容の範囲を超えた瞬間、お小言が始まるに決まっていた。つい先日、夜会禁止令が解かれたばかりだというのに、またも自粛を言い渡されては堪らなかった。
(本当に…納得いかないことばかりだわ)
どうやらアメリアの周りは、不可思議と理不尽に満ち溢れているようだった。
(『オトモダチ』 / 終)
少しでも楽しんで頂けましたなら、☆等で応援頂けると創作の励みになります。
次回更新は来週末あたりを予定。
どうぞよろしくお願いします!
※twitterにてサンプル掲載