04.騎獣探し
結局、少年は薬の代金を持っていなかった。少年が差し出した小袋の中身も川原で拾ったと思しき平らな小石。溜息をついたアスファはとりあえず自費で薬代を立て替えて、少年を連れてお城へと向かったのだった。
途中、何度も少年は逃げ出そうと試みたが、全てアスファとバドルに見つかって未遂に終わっていた。
「なぁ、見逃してくれよー」
「駄目だ。アスファはお前の分の薬代も払っているんだからな。最低でもそれを回収して、後は、依頼の報奨金を額面通り払ってもらう」
「今度払うからさー」
「お前のようなヤツの『今度』はいつまで待っても来ないのが定石だ。そんな手に乗るか」
少年とバドルのやりとりを聞くともなしに聞きながら、アスファは少年に尋ねた。
「何故、王宮が貴方を捜している? 貴方、まさか……」
「あーっとぉ、皆まで言うなよ、お嬢さん。俺はジアー。よろしくな」
けろりとして悪びれないジアーに、アスファは溜息をついた。
「ならば、なおさら王宮に戻るべきだろう。末の王子が供も連れずに街をふらついているんじゃない」
「あっ、馬鹿、それは言うなって……」
「王子だぁ!?」
バドルは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。マイヤが、しーっ、と唇の前に指を立てる。
「……悪い。こいつの正体が王子って何の冗談だよ」
「冗談ではない。その証拠に、もうすぐ王室の親衛隊が駆けつけてくる」
「へ?」
アスファの言う通りだった。王宮から物々しく駆けつけてきたのは王族の親衛隊の人間たちだった。
「おおっ、ジアー王子、ようやく捕まえましたぞ! お手柄でしたな、魔導師殿」
「実は、斯く斯く然々で……」
アスファが佩玉を見せて事情を説明すると、親衛隊の隊長は、よよ、と泣き崩れた。
「ジアー王子、お金を持たずに薬を買い、あまつさえ依頼の報奨金も反故にするなど、王家の者としてあってはならない失態ですぞ!」
「だから、悪かったって……それで、このお嬢さんたちにお金払ってくれる? 実は薬代も立て替えてもらってさー」
ジアーの言葉に、親衛隊の隊長は飛び上がって驚いた。
「なんと! 重ね重ね申し訳ない。ただ、今日はもう遅いので、明日、王宮までご足労願いたいのだが……」
「あぁ、それで構わない。……では、明日、王宮まで魔導師アスファが伺おう」
「またなー、アスファ」
彼らと別れてアスファたちが宿に戻ると、とっくに目覚めていたハーディが今か、今かと帰りを待ち侘びていた。
「お嬢さんがた、バドルちゃん! 無事で何よりー」
「誰がバドルちゃんだ、誰が」
バドルがドスの利いた声でハーディを足蹴にしているのを余所に、アスファはふらふらと寝台に向かうとそのままコロンと横になり、すぐに眠ってしまった。その様子を見たハーディは声を潜めた。
「アスファお嬢さんはどうしたんだ? 風呂にも入らず寝るなんて珍しいな……」
「色々あって疲れているんですわ。今日は珍しく風魔法使いまくりでしたし。……闇魔法も暴走寸前でしたし」
闇魔法の暴走と聞いて、ハーディは顔色を変えた。
「それで……アスファお嬢さんに何か変化は?」
「別に? いつも通りでしたわよ。あぁ、変化といえば、暴走する前に止めてみせたのは初めてかもしれませんわ」
「暴走前に、止めた? 魔法を?」
「えぇ……それがどうかしましたの?」
不思議そうに首を傾げるマイヤに、ハーディはひらひらと手を振って笑って誤魔化すと、ぼんやりしているふりを装って考え込んだ。
(考えられる可能性は一つ……アスファが己の膨大な魔力を制御できるようになりつつあるということか……)
大きすぎる魔力を持て余して暴発させていた今までとは明らかに違う。先天属性である『風』に関しての魔力制御は完璧だ。しかし、その他の属性は今まで上手く制御できずにいた。屋敷を出て、明らかに変化が表れてきている。
(その他の属性も使いこなせるようになるのは時間の問題か……調整が必要だな……)
そこまで考えた時だった。
「ハーディったら聞いていますの?」
「……へ?」
「へ? じゃありませんわ。明日、もう一度王宮に向かうことになりましたの。ジアー王子から、立て替えたお薬の代金と依頼の報奨金を頂戴しませんと」
ハーディは慌てて明日以降の予定を考えた。王宮に向かって、それから近くの町を経由して古都マーディンへ向かうとすると、足が必要だった。
「ちなみにマイヤお嬢さん、報奨金っていくらくらい?」
金額を聞いたハーディはポンと手を打った。
「その報奨金で獣車買おうぜ。これからの旅には絶対必要になるし。明日、アスファお嬢さんに相談しようっと」
「いいですわね。それなら移動が随分と楽になりますわ」
翌日、ハーディの提案を受けたアスファは二つ返事で了承した。馬車ならぬ獣車というものを生憎と見たことはないが、人生経験豊富だと自認する者の意見は聞いておいたほうがいいだろう。
王宮に着いたアスファたちがヌール二十世から聞かされたのは、ジアー王子が再び出奔したという報告だった。
「何故、そう何度も王宮を出奔するのか、もし差し支えなければ理由を伺ってもよろしいですか?」
「うむ……しかし、人に話すのは憚られる内容でな。本人が話す分にはよいが……どうしたものか……」
「……では、とりあえず王子を見つけたら保護する、ということでよろしいでしょうか」
アスファの言葉に、ヌール二十世は目尻を下げた。
「そうしてくれるか? そなたたちには何から何まで世話になるな。おぉ、そうだ。昨日の報奨金の件は、王子捜しの分も上乗せしておるから、そのつもりでな」
「あ……ご厚意に感謝いたします」
頭を下げたアスファたちの前に運ばれてきた報奨金は確かに、それなりに高額だった。
*
王宮を辞して、アスファたちが向かったのは街の厩舎だった。通常ならば馬がいるはずのそこにいたのは、これまでに見たことがないような獣ばかりだった。
「ここで騎獣を見つけるんだ。四輪車は注文に応じて仕立ててくれる。……よぉ、親父さん、いい騎獣いる?」
ハーディがそう説明してくれた。親父さんと呼びかけられた飼育員は首を横に振った。
「最近の騎獣は小粒揃いでね。どんな騎獣でも二頭立てになるよ。……金、あんのかい?」
「予算はこんだけ」
いくつかの指を立ててみせたハーディに飼育員は首を横に振った。
「あんたらの希望は幌付きの四輪車だろう? その額じゃ、せいぜい一頭買える程度だね」
「マジか……そんなに相場、上がってんだ」
これにはハーディも驚いている様子だった。
「どうする? アスファお嬢さん。確かに二頭立ては無理みたいだな。今いる騎獣はカンソ、ヒレン、キリン、シュンゲイ。立派な奴らだが、どれも一頭で四輪車を曳くには華奢すぎる」
ハーディの言葉にアスファは頷くと、疑問を口にした。
「そう。騎獣というのは、自分で捕まえることはできないものなの?」
これに驚いたのは飼育員だ。
「できんことはないだろうが……お嬢ちゃんには無理だろう。大の大人が数人がかりでようやく一頭捕まえるのがせいぜいなんだ」
「そう。では、この辺で騎獣を捕まえられそうな場所はある?」
重ねての質問に、飼育員はやれやれと溜息をついた。
「……俺の話を聞いていたのかい? そりゃ、ないこともないがね、素人が手を出せば食い殺されるのがオチだよ。悪いことは言わないから、ここにいるので我慢しときな。……それでも、どうしてもっていうんなら、東の山を目指すんだな」
ハーディ、マイヤ、バドルを順に見渡したアスファは、最後にハーディに目を留めた。
「アスファお嬢さん、本気か?」
「あぁ。異論がなければ今からでも捕まえに行きたい。どう思う?」
「……悪くないんじゃないのか?」
そう言ったのは、意外にもバドルだった。視線が集まるとバドルは慌てて弁解した。
「いや、アスファがここの騎獣で納得しないって言うんなら、一緒に捕まえに行ってもいいかと思っただけで……」
「そうだよな、それも悪くねぇよな」
三人の視線が今度はマイヤに集まる。
「もう……行けばいいんでしょう? 行けば。言っておきますけど、わたくし、危険なことは一切しませんわよ」
「わかっている。ありがとう、マイヤ姉様」
無表情の中に、どこか喜色を浮かべてアスファが礼を言った。マイヤはその顔を見て、むぅっと頬を膨らませた。
「全く……言い出したら聞かないのは一体誰に似たのかしら?」
「言っておくが、三人ともそこはよく似ていると俺は思うぞ」
ハーディの鋭いツッコミに、マイヤはがっかりと肩を落とす。そうかもしれない。
こうして四人の騎獣探しが決定したのだった。
*
東の山までは結構な距離があった。貸し獣車を借りて東の山に向かうこと丸一日。ついに山に到着した。
大きな山はほぼ岩山に近く、所々に草木に覆われていない岩肌が露出していた。
「どんな騎獣がいるんだろう。楽しみ」
やはりどこかワクワクした様子のアスファを余所に、旅慣れているハーディとバドルを除くマイヤはすでにぐったりとしていた。
「もう……山に登る前から疲れ果てましたわ……」
「んじゃ、マイヤお嬢さん、ここに残る?」
どこか意地悪にそう言ったハーディに、マイヤはくわっと噛みついた。
「冗談じゃありませんわ。わたくしはアスファのお目付け役ですのよ。アスファの行動を、姉様に代わって監督する責任が……」
「はいはい。んじゃ、俺かバドルちゃんだねぇ、居残りは。んー……女の子一人で残すの忍びねぇからさ、三人で行ってきたら?」
あっさりとそう告げたハーディに、アスファは目を瞬いたがすぐに是と頷いた。ハーディのことは信じている。任せて問題はないだろう。
「では、行ってくる。この場は頼む」
「お任せあれー」
いかにも軽い調子で承諾したハーディを残し、アスファたち三人は山へ分け入った。風に山の様子を尋ねる。
「意外にいる……けど、頂上にいる気配が一番大物だと思う」
「だったら、話は早いな。頂上を目指そう」
「はぁー……どうしてこんなことになったのかしら……」
嘆くマイヤを置いて、二人はどんどん山に分け入っていく。マイヤは慌ててその後を追いかけた。
「ちょっと、置いて行かないでくださいませ。わたくしは戦えないんですわよ?」
「あの岩場を登れば近道になりそうだな」
「あぁ。風魔法で行こう」
「……人の話を聞いていますの?」
アスファは返事の代わりにマイヤの手を取って、バドルとも手を繋ぐと風魔法でふわりと舞い上がった。そのまま岩場の上に危なげなく着地する。
「思った通りだ。ここからは一気に頂上まで登って行ける」
「マイヤ姉様、離れるのが不安ならば手を繋いで行こう。それなら問題ない」
「……わたくしが不安なのではありませんわ。アスファが離れていくほうが不安ですもの」
「それでいいから。ほら」
差し出したアスファの手がおずおずと掴まれる。魔法を使う時以外で手を繋ぐのは考えてみればもっと幼い時以来のような気がする。アスファの心はどこかくすぐったかった。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
「不吉なことを言わないでくださいませ、バドル」
マイヤが文句を言った直後のことだった。大きな唸り声がすぐ傍で響いた。頂上に見えていた小山のような影がのそりと動く。そこにいたのは、一匹の巨大な竜だった。
「嘘だろ……」
そう呟いたのはバドルだ。
「四輪車に繋ぐには、さすがに大きすぎるかと思うけど……」
そんな暢気な言葉を口にしたのは、もちろんアスファで。
「ちょっ……嘘でしょう……? ねぇ、アスファ、今すぐ逃げましょう! わたくしが水魔法で霧を作り出しますわ。その隙に……」
「いや、もう手遅れ。目が合った」
淡々と告げたアスファに、バドルとマイヤは互いの口を押さえ合って悲鳴を辛うじて飲み込んだ。それなのに、アスファは一人で竜に近づこうとしている。
「ちょ、ちょっと、アスファ」
「目が合ったのだから隠れても無駄だろう。せっかくここまで来たし、行ってくる」
「行ってくるって、お前……」
絶句する二人を余所に、アスファは一歩ずつ竜に近づいていく。竜が低く唸りながらゆっくりと頭をもたげた。明らかにアスファを威嚇している。両者の視線は絡み合ったまま外れない。
竜は鈍色に輝く鱗を持ち、蝙蝠の羽のような形状の大きな一対の翼をその背に有していた。
「綺麗……」
アスファは思わず呟いていた。古今東西、竜と言えば悪神に例えられることが多いが、元は神の末席に名を連ねるものである。そんな至高の存在に四輪車を引かせていいものかとアスファが悩んだ時だった。竜はアスファに対して攻撃態勢に入った。アスファもそれに備える。
「魔・水・静、『障壁』」
詠唱と同時に炎の息が吹きつけられる。だが、暴走寸前の水魔法で作られた障壁に阻まれて、炎はアスファまで届かない。水が急激に熱せられたことで周囲に霧が発生した。一寸先さえも見えなくなってしまう。それでもアスファは歩みを止めなかった。
「魔・風・動、『嵐』」
烈風を起こし、霧を押し流してしまう。気づけば竜はアスファの目前にいた。互いの視線が交錯する。その炯々と輝く金色の双眸に見入られたようにアスファは目が離せない。魔力による交感が行われていた。
(私の名はアスファ……貴方の名は……?)
『……名……サマーァ……』
答えが返ってきたことが嬉しくて仕方がない。アスファは浮き立つ心を抑えて語りかけた。
(いい名前。ここにはサマーァ一人……?)
『……是……』
この山に騎獣はたくさんいるのに、この竜は一人だという。共感してしまったアスファは思わず自らの本音を吐露していた。
(一人は、寂しくない? 私は、寂しい……傍に人がいても、寂しい……)
『……是……』
寂しいのだと訴えかける心が同調する。人間の中で孤独なアスファと、獣の中で孤独なサマーァ。
(私たちは、似た者同士らしい。私と一緒に来ない? 一緒に、旅をしよう……)
『……否……人間、裏切ル……痛イコト、スル……』
深い悲しみ、そして強い憎しみ。サマーァの負の感情が痛いほど伝わってきて、アスファにもそれが伝染する。
(わかるよ。確かに、人間にはそういう一面もある……だけど、優しさを持つのもまた、人間で……)
『……アスファ……心……痛イ……人間……優シクナイ……』
(違う……優しい人間もいる……ナール姉様……マイヤ姉様……ハーディ……バドル……)
心の中に、自分が優しいと思う人たちを思い浮かべる。同時に胸を満たす温かな気持ちも。わかってほしい。この温かな想いを。知ってほしい。それが寂しさを少しずつ埋めてくれることを。
(サマーァの寂しさ……私が、いや、私たちが埋めてあげられたらいいと思う……)
『……アスファ……優シサ……クレル……?』
(うん……だから……一緒に行こう……)
アスファは両手を思い切り伸ばした。サマーァがゆっくりと頭を近づけてくる。少しずつ、少しずつ、心の距離を縮めるように。アスファの手とサマーァの頭が触れ合うと、そこから温かな光が生まれた。光はアスファとサマーァの二人を包み込む。あまりの眩しさに、アスファは思わず目を閉じて、指先の温もりにしがみついた。
***
(……寂シイ、寂シイ……一人ニシナイデ……置イテ行カナイデ……)
アスファの中に流れ込んできた強烈な想いと、一瞬垣間見えた闇色の髪をした少年の姿。少年の瞳は、金色。
(今のは……誰……?)
一方、サマーァのほうでは、二人の姉の陰に隠れる幼い黒髪の少女が見えていた。少女の瞳は、金色。化物。魔王。謗られる少女。幼い心が血の涙を流す。人とは異なる少女。それをずっと守ってきた二人の姉。三人の姉妹の絆。
(寂しい……寂しい……誰か……)
どこまでも寂しいと訴える幼い心に、思わず手を差し伸べたくなった。
(……コレハ記憶……アスファ……寂シイ……今モ……)
光の奔流が収まっていく。気づけばアスファは地面に倒れており、その身体をサマーァが心配そうに鼻面で撫でていた。傍にはマイヤとバドルの姿もある。
「あれ……マイヤ姉様、バドル……サマーァも……」
身体を起こそうとして、目眩がしたアスファは手をついて上体を支えた。マイヤが妹の身体を助け起こす。
「精神感応は闇魔法の分野ですのよ? さっきから水魔法に風魔法、闇魔法まで立て続けに使って……」
苦手なくせに、と詰るマイヤの手からは温かな力が流れ込んでくる。闇魔法を使いすぎて負に傾いた魔力を光魔法で中和しているのだろう。バドルが泣きそうな顔で笑った。
「心配したんだからな」
「ところで、サマーァって誰ですの?」
マイヤの質問に、アスファは首を傾げた。おかしなことを聞く姉だ。
「この子の名前」
こともなげに巨大な竜を示したアスファに、マイヤはその巨体を見上げて、そのまま卒倒したのだった。
新キャラ登場。
なにせ人外まで入れて10人(?)パーティの予定なのでまだまだ増えます(白目)。
2021/03/08
レイアウトを変更しました。
2021/03/13
加筆・修正しました。