03.最初の依頼
バドルとの出会いを祝して、その店で飲み続けたハーディとバドルだったが、バドルの酒の強さは尋常ではなかった。あっという間にハーディが酔い潰されてしまう。
「ハーディ、水先案内人が酔い潰れている場合ですの? 旅はまだ始まったばかりですのよ?」
柳眉を吊り上げるマイヤに、アスファは溜息をついた。
「仕方がない。今日もこの街で宿を取る。ハーディを寝かせて、掲示板の簡単な『依頼』をいくつかこなしておこう。時間を無駄にせず、報奨金も稼げて一石二鳥」
アスファの提案に、マイヤは仰天する。
「ちょっと、アスファ。そんな情報、一体どこで……」
「先程、ここの店主から旅の心得を聞いた。冒険者にとって依頼をこなす力量は必須。いい訓練になる」
あっさりと告げたアスファの言葉に、バドルも頷いた。
「その通り。そうと決まれば早速行動に移そう。幸い安くていい宿を知っている。そこへ案内しよう」
「助かる。ハーディは風魔法で宿まで運んだほうがよさそう。……魔・風・動、『浮遊』」
パチン、とアスファが指を鳴らすと、ハーディの身体の周囲を風が取り巻き、ふわりと宙に浮かせた。その光景にバドルが目を丸くする。
「魔導師って本当だったんだな。しかも詠唱はたったのあれだけか? 信じられん……」
「アスファは風魔法だけはピカ一なんですのよ……。他は大概暴走しますもの。危なくて使わせられませんわ」
残念そうに溜息をつくマイヤの言葉にバドルは納得する。一能突出型ということなのだろう。
ハーディを宿屋の寝台に寝かせると、アスファ、マイヤ、バドルの三人は掲示板を見に行った。しかし。
「簡単な依頼には碌なものがないな。迷子の愛玩動物捜しに、街の美化協力、それから……」
「人捜しの依頼も一件ある。金色の髪に榛色の瞳の少年。年齢は十六歳。見かけたら王宮まで連絡を。捜し人は余程の重要人物らしい」
バドルとアスファが掲示板の依頼を読み上げる。確かに碌なものがない。だが、マイヤが突然声を上げた。
「あら、これなんてどうですの? 報奨金の額もよろしいのではなくて?」
指し示された依頼を読む。南東の洞窟にある『シハーブ』と呼ばれる薬草の採取。暗闇の中で流星のごとく煌めくところから名付けられたらしい。その薬効といえばありとあらゆる状態異常に効くという、いわゆる万能薬の材料になるのだが、バドルは顔をしかめた。
「南東の洞窟か……強い魔物が出るという噂のある場所だ。これでは依頼に対価が釣り合わん」
しかし、アスファが不要な事実に気がついてしまった。
「……貼り出されてからまだ新しい。文字も書きなぐったような感じだし、もしかすると急ぎなのかも知れない」
三人は顔を見合わせた。厄介事は御免だ。だが、それ以上に困っている人は見過ごせない。
「ちょっと前をごめんよ」
その時、一人の老婆が進み出てきて掲示板に依頼の紙を貼った。それは先程目にした依頼の改訂版だった。報酬金額が大幅に跳ね上がっている。急ぎの依頼であることは間違いない。気づけばアスファは老婆に声をかけていたのだった。
「あの、お婆さん。何かお困りか?」
老婆は自分を薬師だと名乗った。さる人からの依頼で万能薬を調合しようとしたのだが、生憎シハーブが切れていることに気がついた。断ろうとしたが、依頼者は急ぎの仕事だと言って引かない。老婆の見立てでは、依頼者自身が薬を必要としている様子だったという。
「つまり、急いでいるのか」
「そうなんだよ。あんたたち、もし仕事を探しているんなら、この依頼、引き受けてはくれんかね?」
事情を知ってしまえば、否とは言えなかった。こうして三人は南東の洞窟を目指す羽目になる。
洞窟までの道のりを歩きながら、バドルは疑問を口にした。
「なぁ、聞いていいか?」
「何?」
「なんでこんな面倒臭い依頼を受けようと思ったんだ? 誰が困っていたとしても、お前たちには関係ないことだろう?」
その疑問はバドルにとって当然のことだった。厄介な依頼には関わらない。それが長生きのコツだとバドルは信じていたからだ。
アスファは面倒がらずにバドルに説明を始めた。
「バドルは我々魔導師と一般的な魔法使いとの違いがわかる?」
首を傾げるバドルは両者の違いを探し始めた。
「? 魔力を操るって点では同じだろ? 魔法使いよりも魔導師のほうが遥かに地位は高いみたいだが……」
「問題はそこ。魔導師の地位は何故高いのか。その理由は、魔導師というのが高位の魔法使いに与えられる称号だから。では、何故そんな称号が生まれたのか。……高位の魔法使いが人々の役に立ったからだよ」
「!」
バドルは目を瞠った。答えが突然目の前に落ちてきた気分だ。
「そうか。下手をすると魔王を生み出しかねない魔導師に何故高い地位が与えられ、保護されているのかと常々疑問に思っていたが……『人間の役に立つ』限りは見逃してやるという王家の意思表示か!」
アスファは頷く。その顔に人間らしい表情は見えない。
「その通り。我々は自らが『人間の役に立つ』と示さなければ存在を許されない。それこそが魔導師を名乗ることを許された我らの存在意義だと言えよう」
バドルはチッと舌打ちすると、アスファから視線を逸らした。
「胸糞悪い話をさせてしまったな。……すまない」
その言葉に、今度はアスファとマイヤが目を瞠る番だった。
「バドルは、我々を怖いとか気持ち悪いとか思わないの? 確かに、今でこそ魔導師は人々を助け、尊敬を受ける立場にあるが、同時に魔王を生み出す可能性を秘めている。私の瞳がいい例だろう」
「そういえば、マイヤの瞳の色は銀色だな。アスファのは先祖返りというヤツか?」
「あぁ。何代かに一人は生まれている。これまでに三人ほど魔王になったようだけど……私はどうだろう」
アスファがそう言うと、マイヤがプンスカと怒った。
「だから、そういうことを軽々しく言うものではありませんわ。わたくしたちの妹を魔王にして堪るものですか!」
姉たちが怒るのは、いつも、自分の運命を諦めたようなアスファの態度であり、アスファ自身の存在ではない。その事実がアスファには嬉しかった。
件の洞窟はもうすぐ傍まで近づいていた。
*
洞窟の内部は暗くて、少しジメジメしていた。マイヤの紡ぎ出した光魔法が行く手を明々と照らし出す。
「便利なものだな。こういう魔法は、アスファは使えないのか?」
「いや、一通り使えるけど……」
口ごもるアスファを余所に、事実を暴露したのはマイヤだった。
「アスファの場合は使えるか否かではなく、制御できるか否かが問題ですの。暴発して影響が拡大するか、充分に発動できないかのどちらかしかないんですもの。仮にアスファがここで光魔法を使ったとしても、目も眩むほどの明かりを生み出すか、ほんの指先ほどの明かりしか作れないのですわ」
「マイヤ姉様のお喋り……」
げんなりした表情でアスファが呟けば、マイヤはこつんとアスファの頭を小突く。バドルは思わず笑ってしまった。
「仲の良い姉妹だな」
「そうでもない」
「そうでもありませんわ」
アスファとマイヤの言葉は異口同音で、やはり似た者姉妹だと三人は思った。
しばらく歩くと分岐点に来た。
「どっちだ?」
バドルの問いに、アスファが一方の道を指差した。
「おそらく、こっち」
「何故わかる?」
「洞窟内を巡る風が教えてくれる。目指す物はこっちにある、と」
「……便利だな」
その後も幾度となく分岐点に立たされたが、その度にアスファが道を決めた。時折、数匹の魔物が襲ってきたが、バドルが全て退けた。彼女は恐ろしく強かった。
「さすがに強い。心強いよ」
「私にばかり戦わせずに、お前たちも少しは戦え!」
戦闘の傷をマイヤの水魔法が癒していく。バドルの言葉に、アスファは事もなげに答えた。
「そうは言うが、マイヤ姉様はそもそも戦い向きではないし、私が魔法を使うと洞窟が崩落する可能性だってある。どちらにしてもあまり戦いには向いていない。魔力を温存する意味でもバドルに頼るのが一番確実だと思う」
「うわー、使えないヤツ……」
「そう言ってくれるな。援護くらいはする」
そんな言い合いをしながらも、三人は奥へ、奥へと進んでいく。すると、急に開けた場所に出た。
「何だ、ここは?」
「足元がキラキラと光っている。おそらくこれがシハーブだろう。……だが、何者かに荒らされている」
「アスファ、バドル、あれを見てくださいませ! 奥で何か動きましたわ」
マイヤが指し示した方向に目を向ける。そこには確かに闇に蠢く何者かがいた。
「嘘だろ……」
「そう願いたい」
そこにいたのは体長が二丈程はありそうな巨大な蛞蝓の化物だった。ヌメヌメとした巨体を蠕動させながら、ムシャムシャと地面に生えているシハーブを食べているではないか。
「キラキラしているのが、あのお化け蛞蝓の粘液とかいうオチではありませんわよね……」
「いや、それとはまた別だと思う。あの蛞蝓の化け物の巨体の奥を見て。手つかずのシハーブがある」
「で、どうやって倒すんだ?」
「……塩?」
大真面目な顔をしてアスファが出した答えがそれだった。マイヤもバドルも思わず呆気に取られてしまう。
「塩なんて一体どこにあると言うんだ!?」
「いくら水魔法とはいえ、海水なんて出せませんわよ」
「……確かに。ただの水では逆に膨張してしまう可能性すらあるし」
考え込んでしまったアスファにバドルが提案する。
「アスファの風魔法で細切れにするとか……」
「さっき言った理由で却下。できるだけ周囲に害を及ぼさない方法が望ましい。直接触れられるというならばその限りではないけれど……残念ながらアレに触る勇気はない。……そうか、水……マイヤ姉様、姉様の水魔法であの化け物の巨体を包み込むほどの大きさの水球を作ることは可能?」
急に顔を上げたアスファに驚いたマイヤは慌てて頷いた。
「え、えぇ。それなら可能ですわ。でも、真水では……」
「水が駄目なら氷にすればいい。闇魔法でアレを包み込んだ水球ごと凍らせる」
アスファの提案に、マイヤは仰天した。
「えぇ!? でも、その話の流れだと、闇魔法を使うのは……」
「私しかいない。大丈夫。全員凍りつく前に止めるから」
「何だ、その危険な作戦!?」
バドルの非難も何のその、悲しいかな、それが一番の解決法だと二人も認めざるを得なかった。
「……じゃあ、いきますわよ?」
「あぁ」
マイヤの水魔法が巨大蛞蝓の身体を包み込む。すかさずアスファが闇魔法を発動した。
「魔・闇・静、『氷結』!」
凍てつくような冷気が辺りを支配した。巨大蛞蝓は凍りついている。それはもう見事に。しかし、三人の吐く息も白く、今にも凍えてしまいそうな寒さだった。
「今のうちに……」
アスファは自分も凍えてしまいそうになりながらも、巨大蛞蝓の氷漬けに近寄るとツルリとした氷の表面に手を触れた。
「魔・風・斬、『風刃乱舞』!」
巨大蛞蝓の氷漬けが、見る間に複数の風の刃で細切れにされていく。ついにはサイコロ状になってしまった。
「アスファの馬鹿! こっちまで氷漬けになってしまいますわ。ご覧なさいな、シハーブまで凍りついていますのよ」
「だったら、炎魔法を使って温めればいい。私がやると、ここの空洞ごと炎熱地獄になる」
慌ててマイヤは自分が炎魔法を使い、凍りついたシハーブを解凍したのだった。
*
無事にシハーブの採取を済ませ、洞窟の外へ戻った時には、もうだいぶ日が傾いていた。
「仕方がない。風魔法を使おう。マイヤ姉様、バドル、手を」
得たりとばかりにアスファと手を繋ぐマイヤを見て、バドルも恐る恐るアスファと手を繋いだ。
「魔・風・動、『飛翔』」
ふわりと三人の身体を風が包み込んだかと思うと、そのまま宙に浮き上がったではないか。
「少し急ぐ」
身体が風そのものになったかのように、空気の抵抗なく空を飛翔する感覚は実に不思議なものだった。
「凄いな……本当に空を飛んでいる……」
「言ったでしょう? 妹は風魔法だけはピカ一なのですわ。わたくしたちの風魔法では、こうはいきませんもの」
「どういうことだ?」
バドルが首を傾げる。集中しているアスファに代わって、マイヤが説明を始めた。
「魔導師や魔法使いには大概『先天属性』というものが備わっているのですわ。例えば、姉様は『炎』、わたくしは『水』、アスファは『風』といった具合ですわね。この先天属性によっては、対立する属性を全く修得できない者もおりますし、少しは修得できる者もおりますの。『炎』と『水』、『風』と『地』、『光』と『闇』がそれぞれ対立属性に当たりますわ。後は属性の相性にもよりますわね。わたくしたち姉妹は幸いにも全ての属性を少しずつ使いこなすことができますけど、『光』と『闇』の先天属性に至っては互いに対立属性の修得は困難なようですわ」
長い言葉の羅列はバドルの耳から入って頭の中を通り過ぎていった。要するに。
「魔導師も得意不得意あって、色々複雑なんだな」
「……まぁ、そういうことですわ。それよりも、なんとか日暮れ前にシハーブを届けられそうですわね」
「あぁ。今から降りる。少し気持ち悪いけど我慢して」
街の外に急降下し始めたアスファに引き摺られて、マイヤとバドルも真っ逆さまに落ちる感覚を味わっていた。そう、文字通り落ちていくのである。二人の恐怖が弾けそうな刹那、ようやく身体がふわりと浮いてゆっくりと地面に下ろされた。
「し、死ぬかと思った……」
「あと少しでお花畑が見えるところでしたわ。……アスファ、ご苦労様でしたわね」
「む……問題ない」
よろめいて地面に片膝をついたアスファをマイヤが助け起こす。怪訝そうなバドルにマイヤが説明した。
「風魔法を使って自分や他人や物を浮かせるのは、実はとても魔力と精神力を削るんですの。今回は一度に三人でしたから、特にそうでしょうね。後でゆっくりと休ませてあげなくてはなりませんわ」
「そうだったのか……」
マイヤに支えられるようにして歩くアスファを、バドルは不思議な気分で眺めた。魔法とはもっと便利で簡単なものだと思っていた。だが、言わないだけで、実はかなりの負担を強いているのかもしれない。魔力を温存しておきたいとアスファが言ったのは、ただ、戦うのが嫌なわけではなく、そういった万一のことにまで配慮していたからで。そこまで考えてバドルは首を横に振った。こんな幼い子供がそこまで配慮できたはずがないと言い聞かせて。
「……ただの偶然だ」
「何か言った? バドル」
「いや……何でもない」
少し先を行く姉妹の後を、バドルは急いで追いかけたのだった。
*
薬師の家はすぐに見つかった。例によって、風がアスファに教えてくれたのだ。
「おい、薬師。依頼の品を持ってきたんだが……」
バドルが乱暴に扉を叩くと、すぐに中へと招き入れられた。
「おやまぁ、あんたたち、行ってくれたんだねぇ。それも、こんなにたくさん。助かるよ」
「これで、貴女も仕事ができる」
「えぇ、えぇ、早速取りかかろうかね」
老婆は慣れた手つきで薬草を調合すると、あっという間に万能薬を作り上げてしまった。
「あんたたちも一つ持っておくと重宝するよ。持っておいき。お代はいいから」
「いいの? ありがとう」
「いいんだよ。あんたたちのお陰で出来たようなものだからねぇ」
ちょうどそこへ一人の客が現れた。灰色の外套で全身をすっぽりと覆っている小柄な人物だった。
「薬は出来たか?」
「ちょうど今、出来上がったところだよ。この人たちが洞窟でシハーブを取って来てくれたお陰さ。彼女たちに約束の報奨金を支払うんだね」
その人物はちらりとアスファたちに視線を走らせると、フンと鼻を鳴らした。
「女子供が行けるような場所なら、そう難度も高くなかったんだろう。悪いが、支払えるのはこれだけだね」
放り投げられたのは小さな小袋。受け取ると、チャリ、と中で硬い感触がした。
「待て。約束が違う。依頼は完璧にこなした。報奨金は額面通り払ってもらう」
声を低くしたアスファの言葉に、バドルが臨戦態勢に入る。それを見た灰色の外套の人物は卓子の上に置かれていた薬の瓶を掴むと踵を返して逃げ出した。だが、うかうかとそれを見逃がすアスファではなかった。
「魔・風・静、『障壁』」
外套の人物の目の前に不可視の障壁が築かれる。後ろに弾かれたその人物の首根っこをバドルが押さえた。被っていた外套の頭巾部分がハラリとめくれる。バドルと少年の目が合った。
「あ……」
「あ、お前、酒場で荒くれ者に絡まれていた子供じゃないか」
「子供言うな!」
咄嗟に言い返した少年を、アスファは無言で風魔法を行使して拘束した。
「アスファ?」
「捜し人、発見。マイヤ姉様、王宮に通報して。金髪、榛色の瞳、十六歳の少年の身柄を確保した、と」
「げっ……バレた」
青褪めた少年を余所に、薬師は少年に手を突き出したのだった。
「薬の代金はきっちり支払ってもらうよ」
旅立つかと思いきやクエストを優先する主人公たち。
一体いつになったら旅立つのやら。。。
マイヤの呪文詠唱シーンありませんがアスファに比べると結構長めの設定です。
2021/03/08
レイアウトを変更しました。
2021/03/13
加筆・修正しました。