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02.冒険の夜明け

 一陣の風が吹いた。風は勢いを増し、周囲にあるものたちを巻き込んで、全てを浚っていった。


 『タマーム・シャムス紀元年、始まりの詩』


***


 時は第四カマル紀の末期。カーラ国の首都アルアーンの郊外に佇む瀟洒しょうしゃな屋敷には、巷の噂で評判の美人三姉妹が暮らしていた。彼女たちは、古より連綿と続く魔導師の家系の頂点に立つ宗主一族だった。すなわち、宗主である長女ナール、次女マイヤ、三女アスファである。

 このうち、ナールとマイヤが美しい烏羽玉うばたまの黒髪に神秘的な銀色の瞳をしているのに対して、アスファは美しい黒髪こそ同じであるものの不吉を孕む濃い金色の瞳をしていたため、人々からは恐れ忌まれていた。


「アスファ、アスファ! どこにいますの?」


 その日、屋敷の中では十七歳のマイヤが姿の見えない妹を捜していた。


「こっち」


 ふと、マイヤの耳に風に乗って声が届いた。それは屋敷の外から吹き込んできた風だった。マイヤは開け放たれたままの二階の窓辺に近寄って、キョロキョロと眼下を見下ろした。だが、人影などどこにもありはしない。


「マイヤ姉様、上」


 声は上から降ってきた。言われるがままにマイヤが視線を上にずらすと、屋根より高く大きく茂った大樹の上に、見慣れた小さな人影があるではないか。


「アスファったら、またそんなところに登ったりして……姉様に怒られますわよ?」


 困ったように眉をひそめるマイヤに、十二歳のアスファは表情の少ない顔を姉に向けた。


「ナール姉様は、私が言いつけ以外の何をしても怒るから、今さら怖くない。……それよりも、何か用事?」


「その姉様がお呼びですわ」


「……そう。今行く」


 そう言うなり、アスファは無造作に樹から飛び降りた、かに見えた。だが、実際にはアスファの身体はふわりと浮き上がり、マイヤの待つ窓へと飛んだのだった。


「相変わらず見事な風魔法ですわね。でも、アスファ」


「?」


「淑女が窓から出入りするなんて、はしたないですわよ。姉様がご覧になったら、何と仰ることやら」


 マイヤの言葉に、アスファは僅かに顔をしかめた。


「マイヤ姉様が黙っていれば、ナール姉様にはわからない」


「あら、わたくしが黙っているとでも思いますの?」


「思わない。だから、私が怒られるのはマイヤ姉様のせい」


 しれっ、と姉に責任を押しつけて、アスファは一階にいるはずのナールの元へと向かった。何故かマイヤも後ろをついてくる。


「どうしてついてくる?」


「だって、わたくしも一緒に呼ばれたんですもの。行き先は同じですわ」


 アスファは小さな溜息をついた。昔からマイヤには聞かれないと大事なことを言わない悪癖がある。


「マイヤ姉様、何度も言うようだけど、大事な話は先に……」

「姉様、アスファを連れて参りましたわ」


 苦言を呈するアスファを余所に、マイヤはナールの待つ部屋の扉を大きく開け放った。

 部屋の奥には重厚な造りをした机と椅子があり、壁際を埋め尽くす本棚にはぎっしりと本が詰まっている。一族宗主の執務室であった。

 ナールはしかつめらしい顔で書類に目を通していた。どうやら執務中だったらしい。弱冠二十三歳ながら、魔導師一族の宗主を務める女丈夫である。彼女は読んでいた書類を机の上に置くと妹たちに向き直った。


「ご苦労でした、マイヤ。それで……アスファはどこにいたのですか?」


「それがですね、聞いてください、姉様。アスファったら、また樹の上にいたんですのよ。おまけに窓から出入りするし。姉様からも叱ってやってくださいな」


 仔細漏らさずあっさりと告げ口したマイヤに、ナールが秀麗な顔をしかめ、アスファは無言で視線を逸らした。


「またですか。アスファ、何度も言ったはずですよ。私の言いつけ以外の勝手な行動はしないように、と」


「……はい」


「貴女はただでさえ衆目を集めやすいというのに……我が魔導師一族の一員である自覚がないのですか?」


 頭ごなしに叱責され、やれやれと頭痛を堪えるような態度を取られると、アスファとて黙ってはいられない。


「お言葉ですが、ナール姉様。私は何も悪事を働いたわけではありません。いつものことながら叱られる意味がわかりません。何故、私は好きに行動してはいけないのですか?」


「口答えは許しませんよ、アスファ。これらは全て貴女のためなのですから」


 貴女のため。その言葉を、この姉の口から何度聞いたことだろう。アスファは僅かに苛立ちを覚えた。


「いつだって、そう。貴女のためだという理由で、ナール姉様は私の行動を縛る。何故、私を切り捨てない? そうすれば、我が一族の恥は消えてなくなるというのに」


 だが、この発言はナールの逆鱗に触れたようだった。


「今度、同じ台詞を口にしてご覧なさい。本気で怒りますよ」


 口調がいつも通り静かなのが空恐ろしい。アスファはナールの本気を感じ取った。


「わかりました……もう言いません」


 俯いて素直にそう呟いたアスファに、ナールは怒りを納めたようだった。


「よろしい。さて、貴女たちを呼び出したのにはもちろん理由があるのですよ。アスファ、貴女にはしばらく修行の旅に出てもらいます」


「……は?」


 ナールの言葉のあまりの突飛さに、アスファは思わず変な顔をした。修行の旅? 一体、何のために? 妹の疑問を読み取ったのだろう。ナールは姿勢を正すと鋭い質問を放った。


「アスファ、我々魔導師一族の使命とは?」


「それは……人々の役に立ち、彼らを教え、守り、導くことです」


 アスファの背筋も自然と伸びる。ナールは質問を続けた。


「人々を、どこへ導くのですか?」


「魔王と魔物たちのいない仮初めの平和、『ダウラ・ハダ』へ」


 『ダウラ・ハダ』──それは魔王の支配するカマル紀に、魔導師の手によって魔王が倒されることで生まれる、唯一平和と呼べる時期のことだった。


「そう、カマル紀において、人々は常に『ダウラ・ハダ』を切望しています。その要求は日増しに募るばかりです」


「……ナール姉様は、私に魔王退治をご所望なのですか?」


 アスファの金色の瞳がナールを冷たく見据える。だが、ナールは妹の睨みなど、ものともしなかった。


「いいえ。そもそも貴女が魔王を倒すまでもなく、じきに第四カマル紀が終わり、第五シャムス紀が始まることでしょう」


「では、一体何をお望みなのですか?」


 だんだんと焦れてきたアスファだったが、ここにきて、ナールはようやく仄かな笑みを見せた。


「貴女の修行の旅が、実り多きものであることを望みますよ」


「……?」


 相変わらず、アスファにはナールの意図するところがわからなかった。


「姉様、アスファを一人で外へ出すおつもりですの?」


 心配そうなマイヤの声に、ナールは静かに首を横に振った。


「いいえ。もちろん水先案内人がいますとも。ハーディを付けましょう。もう彼に話は通してあります」


 ハーディとは、彼女たち一族に長く仕えている使用人の名前だった。灰色の長い髪に灰色の瞳をした、いかにも軽い調子の青年である。水先案内人が彼で大丈夫なのか、とアスファが疑問に思った時、ナールがさらりととんでもないことを言った。


「それに、アスファ一人ではなんとも心許ないものですから。マイヤ、貴女も一緒に行きなさい」


「……はい?」


 マイヤの目が思わず点になる。


「貴女がアスファのお目付け役です。旅の間、しっかりとアスファの行動を監督するように」


 静かな屋敷にマイヤの悲鳴が木霊した。



 もちろん、一族の宗主の決定に逆らえるはずもなく、マイヤとアスファは旅の支度を余儀なくされた。あれよあれよという間に旅立ちの日を迎えてしまう。


「準備できたか? お嬢さんがた。ふーん……ちょっくら荷物を拝見」


 そう言って、アスファたちの荷物をガサゴソと調べ始めたのはハーディだった。長い灰色の髪を首の後ろで一つに束ね、茶色の外套を着込んでいる。黙って立っていれば端正な顔立ちをした青年なのだが、軽い言動で全てを台無しにしかねない男だった。


「マイヤお嬢さん、荷物多すぎんだろ、これ。何これ、化粧品に服に帽子に靴だ? 観光旅行にでも出掛けるつもりかよ」


「馬鹿! 乙女の荷物を勝手に見るものではありませんわ!」


 真っ赤になって憤慨しているマイヤを余所に、ハーディは淡々と荷物の確認を続けた。


「アスファお嬢さんは問題ねぇな。ちぃっとばっかし少ない気もするが……まぁ、旅先で調達できるだろ」


「……ちょっと意外。旅慣れているの?」


「意外って、そりゃちょいと傷つくぜ。俺はこれでも人生経験豊富なの」


 ぼふっ、とアスファに黒の外套を被せると、ハーディはカラリと笑った。


「まぁ、旅は道連れ、世は情け、ってね。つーわけで、これからよろしくなー」


「あぁ、よろしく頼む」


「ちょっとアスファ、何を馴染んでいるんですの? うぅ……今でも悪夢のようですわ……」


 この期に及んでも不満がありそうなマイヤに、アスファはあっさりと事実を突きつけた。


「言っても仕方がない。ナール姉様の結論がひっくり返るわけでもあるまいし。さぁ、行こう。……ハーディ、まずはどこへ行く?」


 尋ねるアスファに、ハーディは、うーん、と地図と睨めっこしながら呟いた。


「どっからでもいいんだが……まずはアルアーンの王宮で王様に挨拶して、それから用心棒を探そうぜ。男一人女二人だといかにも心許ないだろ?」


 言われてみればそうだった。魔物を相手取るというのに、炎魔法を得意とするナールでもあるまいし、風魔法を得意とするアスファと、水魔法を得意とするマイヤでは、あまり戦い向きとは言えない。ハーディの能力に至っては未知数でしかなかった。


「それは確かに……金で雇うの?」


「その辺はアスファお嬢さん次第かな。だって、これ、アスファお嬢さんの旅だし」


 そうだった、とアスファは思った。あくまでハーディは水先案内人であって、マイヤはお目付け役。旅先における全ての責任はアスファにあるのだった。


「忘れるところだった。恩に着る」


「いいってことよ。んじゃ、行こうぜ」


 外に踏み出したアスファとマイヤは、自分たちが生まれ育った屋敷を振り返った。また帰ってくるかもしれない。あるいは帰ってこられないかもしれない。いずれにしても、今のうちに目に焼きつけておこうとアスファは思った。二階の窓辺にナールの姿を見つける。アスファが大きく手を振ると、小さく振り返してくれた。


 アスファたち三人は一路アルアーンの王宮を目指す。郊外にある屋敷から王宮までは、かなり遠いが辛うじて徒歩圏内である。

 カーラ国の気候は温暖だが、陽射しが強く空気が乾燥しがちで、風は砂埃を多く含んでいる。多少暑くとも全身を覆う外套は必須の品だった。

 黙々と歩くアスファの隣で、マイヤは大きな溜息をついていた。


「どうして姉様は突然、アスファを旅に出す、などと仰ったのかしら? これまでは屋敷の外にすら、あまり出さないようにしていらしたのに……」


 そう言って、マイヤはアスファを見たが、アスファは首を横に振った。


「ナール姉様の本心など、私にはわからない。ただ、いつも『それが貴女のため』だと言われていた」


「そうですわよね。わたくしは単に瞳の色のせいだと思っていましたけど……」


「ナールお嬢さんは大事なことを言わなさすぎるもんなぁ……」


 思わずぼやいたハーディに、マイヤが興味を示した。


「あら、ハーディ。貴方、何か知っているんですの?」


 しまった、とハーディは思ったが後の祭りである。渋々彼は口を割った。


「……金色の瞳を持つ者は魔王の器にして、魔王を倒せる唯一の希望、って話は当然知ってるよな? 実は、あれには魔導師一族の過去が絡んでるんだ」


 カーラ国では、子供たちに聞かせる物語の一つに、必ず『ダウラ・ハダ』の伝承がある。金色の瞳は魔王の器である証。だが、その金色の瞳を持つ魔導師こそが、魔王を倒せる唯一の希望でもある、と幼い頃から繰り返し言い聞かされるのだ。

 ハーディの話は続く。


「昔々、金色の瞳の子供が二人いる時代があった。その子供たちは長じて後、一人は魔王に、もう一人は名高い魔導師になった。魔導師は身内から魔王を輩出したことをひどく恥じ、自ら魔王討伐の旅に出たんだ」


「それで……どうなった?」


 アスファの問いに、ハーディは苦く笑った。


「相討ち、さ」


 同じ血を分けた魔王と魔導師は三日三晩戦い続け、その結果、双方相討ちとなった。器を失い、力を大幅に削がれた魔王は、再び時の流れの中で彷徨うこととなった。これが最初の『ダウラ・ハダ』である。


「一度、平和の味をしめたら、元の混沌には戻れない。人々は魔導師一族に要求した。金色の瞳を持つ者は見つけ次第殺せ、と。そうすりゃ魔王が生まれることもない、とでも思ったんだろうな」


「!」


 マイヤの顔が強張った。


「だが、金色の瞳を持つ者がいなくなっても、魔王が消えるわけじゃない。さらに言えば、魔導師一族にとって、金色の瞳を持つ者は精霊の先祖返り。大切な存在を殺すよう迫られて、思い余った彼らはある手段に打って出た。それが『ダウラ・ハダ』の伝承なのさ」


「!」


「……どういうことですの?」


 何かを察したようなアスファとは裏腹に、マイヤにはハーディの言っている意味がわからなかった。


「つまりだな、虚実ない交ぜの噂を流して、それが真実だ、と人々に信じ込ませたのさ。魔王を倒せるのは同じ魔王の器のみ、ってね。そうすれば、人々は金色の瞳を持つ者に対して、簡単には手を出せなくなる」


「なるほど……よく考えてあるんですわね。でも、それがどうしてナール姉様の言動に繋がるんですの?」


 マイヤの疑問にはアスファが答えた。その表情は苦々しいものになっている。


「幼いうちは屋敷に閉じ込めておけば守れる。でも、人々はすでに知っている。私が魔王の器だということを。だから今度は逆に、旅に出すことにした。木を隠すなら森、人を隠すなら人々の中に紛れ込ませればいいから」


「あっ……!」


 ようやくマイヤにもナールの真意が見えてきたようだった。


「アスファお嬢さん、正解。ナールお嬢さんはいつだって、いかにして妹たちを守るか、ってことを考えて生きてきたんだ。だから、少々理不尽に思えても堪忍してやってくれ。な?」


 ハーディの言葉に、アスファは無言で首肯した。納得がいかないのはマイヤだった。


「あーもう! どうして姉様はいつもいつも、わたくしを子供扱いなさるのかしら。一言くらい相談してくださっても……」


「できるわけないさ。ナールお嬢さんが守りたいのは、アスファお嬢さんだけじゃなく、マイヤお嬢さんもしっかりその中に入ってんだから」


「うー……今すぐ引き返して文句の一つでも言ってやりたい気分ですわ」


「はいはい、そこは我慢するー」


 そんなやりとりをしている間にも、日は傾き始めており、日が沈んだ頃になって、ようやく三人は王都の宿に到着したのだった。



 一夜明けて、朝。


「ここは相変わらず華やかすぎる。目が回りそう」


 色とりどりの花々が咲き乱れる首都アルアーン。所狭しと石造りの建物が立ち並び、行き交う人々の表情は活気に満ちている。静かな暮らしに慣れたアスファの目には少々眩しすぎた。


「久しぶりに買い物でもしたい気分ですわ」


 げんなりしているアスファとは対照的に、ウキウキしているのはマイヤだった。


「本来の目的、忘れないでくれよー。まずは王様に挨拶しなくっちゃな」


 ハーディが釘を刺す。ふと、アスファは自分の格好に目を向けた。宿に泊まって湯浴みはさせてもらったが、服は砂埃を被った旅装のままである。


「ハーディ、私たちの服装はこのままで問題ない?」


「あぁ。俺たちは旅人一行なんだから、旅装のままで全然問題ナシ。アスファお嬢さんは口調に気をつけてな」


「わかっている」


 早速、王宮の門をくぐろうとしたところ、門兵に止められてしまった。


「現在、王は大事な客人と面会中だ。ここでしばらく待つか、出直してくるがよい」


「だってさ。どーする?」


「……待とう」


 しばらく門の傍で所在なげに待っていると、やがて王宮の門が開かれた。中から姿を現したのは、やや長めの銀色の髪に翡翠色の瞳をした騎士風の男性だった。背が高く、一見するとハーディと同じくらいの歳に見える。アスファが一礼して道を譲ると、男性は目を瞬いたようだった。


「君たちは……?」


「私は魔導師アスファと申す者。後ろに控えているのは水先案内人ハーディ、姉の魔導師マイヤ。王宮へは旅立ちの挨拶に参ったところで……」

「そうか。待たせて悪いことをした。今、王はお手隙だ。会いに行かれるがよかろう」


 皆まで言わせず、男性は一言詫びると足早に立ち去った。よほど急いでいたのだろう。アスファたちは思わず顔を見合わせたが、ともかく王様への謁見を済ませようと、王宮に足を踏み入れたのだった。


 謁見の間にて、玉座に腰を下ろした国王ヌール二十世は初老に差しかかろうかというくらいの年齢で、堂々たる威容で彼らを迎えた。


「魔導師のアスファと申します。この度、旅に出ることになりましたので、そのご挨拶に伺いました」


 一礼してアスファがそう告げると、ヌール二十世は笑みを見せたようだった。


「おぉ、そなたが名高い魔導師ナール殿の妹か。ナール殿より先触れが参っておったところだ。なんでも末の妹の修行の旅だとか……そなたがそうか?」


「はい。私がナールの末の妹でございます。後ろに控えておりますのが、下の姉でマイヤと申します。以後、お見知り置きください」


 アスファのそつのない受け答えが気に入ったのか、ヌール二十世は声を上げて笑った。


「その年齢にしては、随分としっかりしておる。我が末の息子にも見習わせたいものだ。……あいわかった。国内の遺跡や都市への出入りは自由にできるように取り計らおう」


「ご高配に感謝いたします」


 頭を垂れ、許可証代わりに王家の紋が刻まれた佩玉を受け取り、アスファたちは無事に謁見を終えたのだった。



 街に戻ったアスファたちは、ハーディの勧めで酒場へと向かった。用心棒を探すためだ。だが、街で一番大きな酒場に顔を出したところ、子供の言うこと、と全く相手にしてもらえなかった。気を取り直して他の酒場を回ったが、どこも反応は似たようなものだった。


「疲れましたわー。今日だけで何軒の酒場を回ったのかしら。服がお酒臭いったら」


「困ったな。まさか話すら聞いてもらえないとは……」


 言葉とは裏腹にさほど困った風でもなく、アスファは街を見渡した。行き交う人々は多いのに、誰もが他人に関心を向けない。冷たい街だ、と思わないでもないが、都会とはこういうものなのだろう。

 ふと、アスファに届いた風が酒の香りを運んできた。


「ハーディ、そこの路地裏に酒場はあるのか?」


「へ? そんなんあったかな……俺の記憶にはないけど、一応覗いてみるか?」


「あぁ」


 路地裏の奥に、その小さな酒場はあった。中年の男性店主が一人で切り盛りしている。客はアスファたちを除いて三人。一番奥の卓子について一人で酒を飲んでいる剣士風の女性一人、反対側の卓子には何やら揉めている様子の荒くれ者と少年が一人ずつ。


「はい、いらっしゃい。……って、またお子様かよ。まぁ、いい。客は客だ。ご注文は?」


「酒精を含まない飲み物を二つ。それから……」


「そこのお姉さんが飲んでいるのと同じ物を一つ」


 アスファの視線を受けたハーディがすかさず注文を口にする。卓子についた三人に、荒くれ者は標的を変えたようだった。


「ようよう、お嬢ちゃん。ここは酒場だ。意味わかってんのか? ここは酒を飲む場所なんだよ。お前らみたいなお子様には十年早いぜ」


「荒くれ者に用はない。さっさと失せろ」


 絡まれたアスファは頭巾を脱ぐと、その金色の瞳で男を睨みつけた。男の赤ら顔から血の気が引いていく。


「げっ! てめぇのその目……本物かよ。よりにもよって魔王陛下に絡んじまうとは……ゆ、許してくれ……」


「二度目だ。お前に興味はない。失せろ」


 凄味を効かせたアスファの言葉に、荒くれ者は勘定を済ませるのも忘れて、慌てて尻尾を巻いて逃げだしたのだった。


 飲み物を運んできた店主に、アスファは卓子の上に多めの勘定を置いた。


「迷惑をかけた。取っておいてくれ」


「いやいや、あいつにはあっしも迷惑していたんでさぁ。追い払ってくれた上に酒代まで払ってくれるたぁ、太っ腹だね。しかも、あと五年もしたらどえらい美人になりそうなお嬢ちゃんだことで」


 店主のその親しげな口ぶりが、アスファには気になった。


「私が怖くはないの?」


「あぁ、金色の瞳は魔王の証っていう噂かい? 魔王陛下だろうが何だろうが客は客だ。問題を起こさず、金さえ払ってもらえれば文句はねぇよ」


 そういうことならば、このままここに居ても構わないのだ。だが、そうそう不気味な金色の瞳など見たいものではないだろう。そう思ったアスファは再び頭巾を深く被った。


 出された飲み物は山羊の乳に生姜と蜂蜜を加えたものだった。身体が中からじんわりと温まってくる。


「……美味しい」


「お、嬉しいこと言ってくれるね、お嬢ちゃん。……それで、ここには何の用で来たんだい? まさか本当に飲みにきたわけじゃねぇんだろ?」


 店主の言葉に、アスファは頷いた。


「腕の立つ用心棒を探している。店主は誰か心当たりはない?」


 アスファの質問に、店主は呆気に取られた様子だった。次いで盛大に笑い出す。


「なるほどね。それで、こんな辺鄙な場所にある店まで来たってわけだ。どこも相手にしてくれなかったんだろ?」


「その通り。話さえ聞いてもらえなかった。注文の飲み物をまともに出してもらったのも、ここが初めて」


 店主は笑いながら、一人で酒を飲んでいる剣士風の女性を指差した。


「じゃあ、そんなお嬢ちゃんに朗報だ。そこで一人で酒飲んでいるお姉ちゃん。剣闘士バドルっつったら、この辺じゃちょいとした有名人さ」


「ほう……」


「ただし、滅多なことじゃあ他人と組まない。あのお姉ちゃんを落とせるかどうかは、お嬢ちゃんの腕次第だ」


 声を潜めて耳打ちしてきた店主に礼を言って、アスファは女性に近づくと頭巾を取った。


「失礼。私は魔導師のアスファという者で、修行の旅に際して同行者を探している。有名な剣闘士であるという貴女が一緒に来てくれたら助かるのだが……」


 女性がアスファを振り返った。首の後ろで無造作に切り取られた太陽の光を縒って集めたような柔らかな金色の髪、海の底のような紺碧の瞳。無骨な剣と鎧に相応しくないような美女だった。


「へぇ……本当に金色の瞳をした人間がいたのか。しかも、魔導師だって? こんな子供が? ……笑わせる」


「不満?」


「お前の旅に私が付き合う利点はあるのか? ただで子供のお守なんざ御免だ」


 あっさりと興味を失ったかのように顔を元に戻した女性に、アスファはボソリと呟いた。


「剣闘士は何よりも名誉を重んじると聞くが……か弱い子供の護衛を断るのは、不名誉に当たらないの?」


「あ? 何を言って……大体、お前のどこがか弱い子供だ。魔王陛下のくせに」


「生憎と、見た目通りの一般的な子供でしかないから。魔力が尽きれば使い物にならない。だからこそ、私には貴女が必要なんだ。一緒に来てくれ。酒代の面倒も見てやる」


 それはまさかの口説き文句だった。女性は目を丸くしたし、ハーディとマイヤは危うく飲み物を盛大に噴き出すところだった。アスファが大真面目な顔をしているから余計に性質が悪い。しーん、と静まり返った店内に、やがて堪らないとでもいうような笑い声が満ちた。


「あははっ、懇願されたことも命令されたこともいくらでもあるけど、口説かれたのはさすがに初めてだ。それも、こんなお嬢ちゃんにねぇ……面白い、気に入ったよ。私は剣闘士バドルだ。よろしくな」


「こちらこそ」


 握手を交わして、バドルにマイヤとハーディを紹介する。ハーディが特に嬉しそうなのが印象的だった。聞けば、バドルはまだ十九歳らしい。十五で剣闘士になって以来、瞬く間に頂上争いに躍り出た期待の俊英だという。


 剣闘士バドルが仲間に加わった。

主人公はぶっきらぼうな物言いですが、決して乱暴な子ではありません。

バドルと口調の区別がつきにくいのは申し訳ないです。地の文で誰が喋っているか補足できるように頑張ります。

2021/03/08

レイアウトを変更しました。

2021/03/13

加筆・修正しました。

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