16.聖杯の守護者
闘技場内の救護室で、マイヤとファリスによるカウィとバドルの治療は続けられた。一時は呪詛に苦しんでいたアスファも、今は無理を押して治療の様子を見守っていた。
「大丈夫か」
「ん……」
明らかに無理をしているはずなのに大丈夫だと言い張って聞かないアスファに、ザラームは深いため息をついた。本当は消耗した魔力を回復させるために眠くて仕方がないはずなのに。
「意地を張るな」
「張っていない……ザラーム、頼みがある」
なにか、と視線で促せば、アスファはつらそうな吐息とともにザラームの耳元で囁いた。どうか二人を助けてほしい、と。ザラームは目を瞠った。まったく、自分がつらいときでさえもアスファときたら他人優先なのだから。
「わかった……体調が万全ならば、間違いなくお前は倒れるまで回復魔法を行使していただろう。その代わりくらいはしてやる」
ザラームの言葉に、アスファがホッとした様子で息を吐いた。
「ありがとう。貴方がいてくれてよかった」
笑みを浮かべて告げられた言葉にザラームの心が揺れた。離し難いとばかりにアスファの小さな身体をぎゅっと抱き締めたが、不機嫌そうな顔をして近づいてきたハーディにアスファを奪われてしまった。
ザラームがジロリとハーディを睨むと、ハーディはアスファを抱えあげたまま文句を言った。
「お前にアスファお嬢さんはもったいない」
「フン……」
ザラームに抱きあげられていたことで呪詛の制御が安定していたアスファは内心で慌てたが、ハーディの腕の中では何故かザラームに抱きあげられているのと同じくらい呪詛の制御が安定していることに気づき目を瞠った。同時にアスファの中にはハーディに関する、ある確信も芽生えていた。
「ハーディ、あの……」
「ん? どうした、アスファお嬢さん。身体、つらいのか?」
「いや……大丈夫」
口ごもったアスファをハーディは心配そうに見つめていたが、やがてアスファの頭をそっと撫でると耳元で囁いた。
「俺の腕の中は嫌?」
「そんなわけない」
思わず即答したアスファに、ハーディは笑った。どこか嬉しそうに。
「そんな心配そうな顔しなさんな。カウィもバドルちゃんも大丈夫さ。あとはアスファお嬢さんが無理しないこと」
「うん……」
そう言われても、誰かが傷つき倒れ今も意識が戻らないのはこんなにも不安で。アスファはハーディにぎゅっと抱きついた。目を丸くするハーディに吐息のような声で告げる。
「それでも、心配。もう、誰かが傷つく姿なんて見たくない。私は、どうしたらいい? どうすれば、皆を護れる? 弱いのは、もう嫌……!」
いつになく弱気になっている様子のアスファに、ハーディは幼子をあやすように、よしよしと抱えた小さな身体を軽く揺らした。
「大丈夫、大丈夫。アスファお嬢さんは自分に出来ることをしっかりやっているんだから。ただ、俺としてはね、その呪詛のこともそうだけどさ、もうちょっとお嬢さん自身を大切にしてほしいわけよ」
「……カウィにも海底神殿で同じことを言われた」
だろ? とハーディがアスファの顔を覗き込む。
「たぶんアスファお嬢さんには、どうすれば自分を大切にできるのか、ってことがまだよくわからねぇだろうとは思うが、それだけみんなもお嬢さんのこと、心配してんの。そのことだけはわかってくれよ」
「うん……」
殊勝げな、だが、それでいて複雑そうな面持ちで頷くアスファに、ハーディは笑みを見せると、もう一度アスファの頭を軽く撫でたのだった。
「ハーディ」
「ん?」
首を傾げるハーディに、アスファはようやく微かな笑みを見せた。
「ありがとう」
「いいってことよ」
そして懸命な救命措置の結果、幸いにもカウィとバドルは一命を取り留めた。マイヤの水魔法で早期の回復を図ったことも功を奏したようだが、一番の要因は、魔力の尽きたマイヤとファリスを休ませ、魔王であるザラームがその強大な魔力を行使してカウィとバドルの回復に当たったことが大きかった。
「お疲れ様、ザラーム。お陰で助かった」
「礼には及ばん。お前の代わりをしただけだ」
素直ではないザラームの言葉に、アスファは小さく苦笑した。
「疲れただろう? 少し休むといい」
「……そうさせてもらおう」
ザラームを休憩させ、アスファの顔にはようやく安堵の表情が浮かんだ。ジアーも、レイラも、アスファとハーディが強制的に休ませた。今、この部屋で意識がある人間は、アスファ、ファリス、ハーディだけである。
カウィとバドルの治療が進んでいる間に体内の呪詛を抑え込んでいたアスファはさっそく、止めるハーディを無視して、自身の傷を放置して回復役に回ったファリスの治療をしていた。呪詛を抑え込んでいる魔力を不安定にさせないよう、少しずつ魔力を作用させる。
「すまない、アスファくん。君も苦しいだろうに……」
うわごとのようなファリスの言葉に、アスファは、ぺろっ、と舌を出した。
「……やはり呪詛の件はバレていたのだな。だけど大丈夫、問題はない。魔力を大きく揺らさぬよう、少しずつ作用させている。回復は大幅に遅れるが、これなら私にも無理なく続けられる。だから安心して休むといい」
「そうか……ありがとう」
しきりに申し訳なさそうにしているファリスを半ば無理やり休ませて、アスファは治療を続けた。ファリスには問題ないと言ったものの、実はまったく問題がないわけではないのだった。
いつの頃からか、魔力を使うたびに、少しずつ、自分の中のなにかが削り取られるように失われていくのをアスファは感じていた。
「なぁ、ハーディ……」
「なんだよ……さっさと休んでくれよ、アスファお嬢さん。俺、もう、さっきから気が気じゃなくて……」
そんなハーディの台詞を遮って、アスファは言葉を紡いだ。
「いつからか、魔法を使うたびに、魔力の扱い方に慣れるたびに、私の中から確かになにかが失われているのがわかるんだ……私は、いったいなにを失くしているのだろうか?」
「!」
ハーディの顔色が変わった。だが、眠るファリスに視線を向けていたアスファは気づかなかった。淡々と、ただ坦々と、己の考えを口にする。
「最初は、これが命なのかと思ったけど、どうにも違うみたいに思える。では、命を失っているのでなければ、私はいったいなにを失っているのだろうかと考えた。そして、もしや『人間』としての自分の存在を失っているのではないかと思うようになった。教えてほしい。私は、このまま進めばいったい『何者』になるのか……『人間』でなくなるのか?」
沈黙が降りる。やがて、深いため息が聞こえた。だから、アスファは黙って答えを待つ。観念した様子のハーディが重い口を開いた。
「……アスファお嬢さんの生まれ持った魔力は強大だ。まさに魔王の器と呼ぶに相応しいだろう。だが、強すぎる魔力というのは諸刃の剣で、それが人間としてのお嬢さんを蝕みつつあるんだ。さらに言えば、蠱毒という強力な呪詛の存在が、心身への魔力の侵食を速めている。魔力によって変質した人間は、やがて『魔』そのものと化し、つまりは……」
アスファは自嘲気味に小さく笑って、その後を引き取った。
「人間生まれの新たな魔王が誕生するわけか。では、私自身の自我はどうなる? 消えてなくなるのか?」
その問いに、ハーディは首を横に振った。
「わからない……人間から魔王になった存在には、未だかつて会ったことがないから……」
ハーディの声はどこか悲しげだった。まるでアスファという存在が消えてしまうことを、惜しむように、悼むように。だが、アスファにとってはそれだけで充分だった。
「……そうか。正直に答えてくれて、ありがとう。この腕輪も、本当は私を消さないために作ってくれたのだろう? ハーディの願いを無駄にしてしまったことだけが悔やまれるけど……私という人間を愛してくれて、惜しんでくれて、存在させてくれて、ありがとう」
アスファの言葉に、向けられたてらいのない笑みに、ハーディの声が泣きそうに滲んだ。
「アスファお嬢さん、気づいていたのかよ……?」
「あぁ、なんとなく、な。確信を持ったのは、ついさっきなんだけど。たとえハーディが何者であっても……私はやはり、貴方を信頼し、傍にいてほしいと思っただろう」
だから、いなくなるなよ? そう言われて、ハーディは自分の頬を温かいものが濡らしていることに気がついた。慌てて腕で涙を乱暴に拭い、顔を背ける。
「わっ、見るなよ! アスファお嬢さん、見るんじゃねぇぞ!」
「好きなだけ泣けばいい。私は、今は到底泣けそうにないから……」
表情を消してそう呟いたアスファは、自分の身体がふわりと背後から温もりに包み込まれたことに気がついた。ハーディに抱き締められているのだと知る。
「そんなこと言うなよ……アスファお嬢さんだって泣いていいんだ。一人で泣くのは寂しいだろ? 孤独はつらい。そんなときは、俺が傍にいてやるから」
孤独はつらい。傍にいてやる。その言葉の本当の意味を悟ったアスファは唇を震わせた。
「……傍に、いてくれるのか……? 私が……私でなくなっても……?」
「あぁ、傍にいる。ずっと、ずっと傍にいる。独りにはさせない。絶対に」
不安げに揺れる声に、アスファは自分が泣きそうなっていることを知った。
「……絶対……?」
「あぁ、約束する」
一瞬、静寂が落ちた。その静けさの中で、二人の鼓動だけが確かに響いていた。
なんなら契約してやってもいいぞ。そう言われて、アスファは思わず吹き出すと泣き笑いの表情を浮かべた。
「そして、またマイヤ姉様たちに殴られるのだろう? ……懲りないヤツ」
涙がポロリと頬を伝う。一度溢れた涙は、後から、後から、流れて落ちる。静かに涙をこぼすアスファの耳元で、ハーディは何事か囁いた。うん、と小さく頷いて、アスファはまた泣いた。ハーディの大きな手が、よしよしとアスファの頭を撫でる。それがまた、切なかった。
*
結局、数日かけて治療を続けた結果、バドルは完全に回復した。カウィのほうはまだまだ時間がかかるという。斬り傷よりも、酷い火傷による後遺症のほうが深刻だった。このとき、役に立ったのが首都アルアーンで薬師の老婆に貰った万能薬だった。
「戻ったら、あの老婆に礼を言わなくてはな。お陰でカウィが助かった」
そう言って、無事回復したバドルが笑う。無理を押して治療に奔走したアスファも、今はザラームの腕の中で静かに眠っていた。
カウィがようやく回復したのは新年明けてすぐのこと。一行はモカッダス山で年を越したのだった。
「さて、いいか? カウィが完全回復したところで、モカッダス山の内部に入ることにする。病みあがりで悪いが、面子はバドルちゃん、カウィ、ファリス。アスファお嬢さん、魔王、ジアーは補佐役な。マイヤお嬢さん、レイラちゃん、サマーァ、俺はお留守番、と」
ハーディの最終確認に、アスファたちは頷いた。
「アスファお嬢さんたち三人の姿を隠す光魔法は誰が使う?」
「私がやる。戦いはザラームがやってくれるそうだから、せめてそれくらいはさせてほしい」
アスファの言葉に、ザラームがその秀麗な顔をしかめた。ここ最近、ザラームはアスファが魔法を使うことを極端に嫌がるようになっていた。何故かはわからないが。
「そういう顔をするな。私になにかあっても、ザラームが助けてくれるのだろう?」
「うむ、まぁ……」
「だったら、問題ないな。頼りにしている」
こうして、口八丁でザラームの反対を無理やり押し切ったアスファに、皆は呆れ半分で感心した。そして、思うのだった。あの魔王が、完全に尻に敷かれている、と。
天空闘技場の管理責任者に、バドル、カウィ、ファリスの三人が、モカッダス山内部に立ち入りたいと申請したところ、あまり間を置かず封鎖された扉の元へと案内された。
重い音を立てて扉が開く。その隙間から、光魔法で姿を隠したアスファたちが先に忍び込んだ。怪しまれないよう、すぐにバドルたちも扉の中に入る。潜入は、まずは成功だった。
奥へ、奥へと暗い隧道を進んでいく。ファリスの光魔法が唯一の光源だ。途中から道が二つに分かれていた。アスファが風で確認する。
「どちらも奥へと続いている。だけど、一方の道はほぼ垂直。もう一方の道はなだらか。どっちを選ぶ?」
「どっちを選ぶといっても……垂直の道など通れないだろう」
バドルの言葉に、カウィが待ったをかけた。
「いや、風魔法を使えばその限りではない。おそらく二つの道は深部への到達時間が大幅に違うんだ」
「どちらを取るか、だな。アスファくんはどうしたい?」
ファリスから逆に尋ねられて、アスファはあっさりと答えた。
「私なら垂直の道を選ぶ。一応の食糧やら水やらは持ってきているが、そう量があるわけではない。モカッダス山は巨大だから、最深部を目指すには、時間との勝負は避けられないと思う」
アスファの言葉に、ジアーが目を剥いた。
「俺はやだね! 落ちるとわかっていて、垂直の道を選びたくなんかない」
「大丈夫。ゆっくりと降りていくだけだから」
バドルたちは顔を見合わせて頷いた。
「じゃあ、それで行こう。風魔法は任せていいのか?」
「俺がやる。問題はない」
答えたのはザラームだった。さすが魔王。六人を風魔法で別々に浮かせるのもお手の物らしい。
「では……行くぞ」
カウィが先陣を切った。後はほとんど一塊になって垂直の道へと足を踏み入れた。その途端、全員の身体がふわりと浮いて下降速度が緩やかなものになる。本当に、このまま一直線で最深部まで到達できそうだ。
「なんか……不思議な感じだな……」
そう言ったのはカウィで。
「落ち着かねー……」
ジアーが不満を漏らす。
「私はアスファと一緒に空を飛んだことがあるから、この感覚は二度目だ」
そう言ってバドルが笑った。
「ふむ、貴重な体験だな」
ファリスは落ち着いたものである。不意に、アスファの身体がザラームの大きな手で引き寄せられた。
「俺から離れるな」
「……うん」
岩壁の間を抜ける風が、肌を冷たく撫でた。浮かぶ身体がゆっくりと降りていくたび、耳の奥で風の唸りが低く響く。
そして、六人は緩やかに地の底へと降りて行った。
「見えた。最深部だ」
ファリスが声をあげた。目を凝らして見れば、ぼんやりと地面が淡く光っているようだ。
「光っている……」
「おそらく光刺激を蓄えて燐光を発するような物質を、岩石が含んでいるのだろうな。私も初めて見る現象だ」
ふぅん、とアスファが納得した時、フワリ、と六人は地の底に降り立った。ファリスの光魔法があたりを照らし出す。どうやら奥に道が続いているようだ。
その道をさらに奥へと進むと、やがて、空気が水気を多く含むようになった。
「水の気配……」
やがて、湿り気を帯びた空気が頬を打つ。アスファたちの目の前に地底湖が現れた。眼下には、緑とも青ともつかぬ光をたたえた美しい水面が広がっていた。
「聖杯はどこにあるんだ?」
バドルがあたりを見回すが、それらしきものは見当たらない。しかし、ここが行き止まりであることは明白である。
「待て。湖面の様子が変だ」
カウィが指し示した先では、湖面が大きく盛りあがり、やがて水の中から大きな水竜が姿を現したではないか。
驚く六人に水竜は厳かに語りかけてきた。
『聖域に足を踏み入れし者たちよ……お主らのせいで古の魔が騒いでおる……お主らは何者だ……』
水竜の声が湖面を震わせ、洞窟全体に低く反響した。水飛沫が光を受け、無数の粒となって宙を舞う。
アスファは前に進み出ると、一礼して名乗った。
「聖域を騒がせてしまったことはお詫びする。私は魔導師のアスファ。『聖杯』を求めて、ここへ来た」
水竜はアスファに視線を向けた。
『古より、聖杯を求める輩は多い……お主は何故、聖杯を求める……?』
アスファは己の手首を縛める鎖を水竜に示した。
「これを見てほしい。私はかつて『御魂繋ぎ』の術により、ここにいる三人の命をつなげてしまった。だからどうしても『御魂分け』の儀式を行いたい。そのためには聖杯が必要だと知った」
どうやら水竜は笑ったようだった。
『人間の身で『御魂繋ぎ』に手を出す者がいたとは……よかろう。ならば、その心、我が前に示せ……』
「心……?」
『すべてをさらけ出して我に見せよ……よもやできぬとは言うまいな……?』
つまりは、精神感応ですべてを示せということだ。アスファは深呼吸をすると、水竜の伸ばしてきた意識を受け入れた。頭の中を探られる感触には覚えがある。妖精たちとのやりとりは常にこんな感じだった。隠すものなどなにもない。アスファはすべてを受け入れていた。
『なんと……!』
ややあって、水竜は嘆息したようだった。
『お主、『サラーブ・セイフ』を持っておるのか……それに宝玉の房飾りまで……よもや二つが再びひとつになるときが来ようとは……わかった。海底王と妖精の女王に信頼されたお主にならば……我も聖杯を託そう』
その言葉と同時に、アスファの目の前に光が生じた。光は徐々に杯の形を成していく。それは美しい金色の杯だった。
水竜の厳かな声が響いた。
『……我が名はケトム・ティンニーン。古の魔を封じる者なり……』
ご読了ありがとうございます。
霊峰の静寂の中で、アスファは自らの行く末を受け入れ、ハーディはその傍で小さな温もりを見つけました。
それは贖罪でも、救いでもなく──ただ、ひとつの「寄り添い」という名の祈り。
削れていく人のかたちと、失われていく魔の孤独。
二つの存在が交わるその瞬間、物語は静かに次の扉を叩こうとしています。
風は、まだ旅の途中です。
2021/03/08
レイアウトを変更しました。
2021/03/13
加筆・修正しました。
2025/11/11
加筆・修正しました。




