13.妖精の里
憩いの町ワーハから、草原の町マルジュへと移動した一行は、そこで修行の最後の追い込みをかけた。
「どうした、息があがっているぞ!」
「まだまだ!」
草の匂いを含んだ風が吹き抜け、剣と剣が打ち合う音が響く。バドルの剣がカウィの木剣を軽く弾いた。
バドルとカウィの剣稽古の横では、レイラとアスファが舞踊の修行を続けていた。手には木剣を持っている。
「あたしの動きを目で見るんじゃない。感覚を研ぎ澄ませて全身で感じるのよ。ほら、もう一回!」
「あぁ!」
四人の修行の様子を見るともなしに見ていたマイヤは思わずため息をついた。
「カウィは素人目にも強くなりましたわね。それに比べてアスファは……遊んでいるようにしか見えませんわ。あれが戦いの役に立つのかしら?」
マイヤの嘆きに、返事をしたのはファリスだ。
「目で相手の動きを見る動体視力には限界がある。気配を感じて反応するように身体に覚え込ませるのは、私は悪くない方法だと思う。レイラくんはいい先生だな」
「そうなんですの?」
ファリスが頷く。マイヤはその事実に安堵した。
「それよりも、気になることが一つ」
「なんですの?」
首を傾げるマイヤにファリスは声を潜めて告げた。
「ハーディくんのことだ。彼以外の誰も未来都市の噂話など聞いていない。それなのに、彼はいつの間にか情報を掴んで我々に提供する。彼は何者だ?」
マイヤは困ったような表情を浮かべた。
「それが実は、なにも知りませんの。わかっていることといえば、わたくしたち魔導師一族に長く仕える使用人で、現在は一族の宗主である姉様から付けられた水先案内人。姉様ならばなにかご存じかもしれませんが、わたくしには姉様の考えはわかりませんの。ただ、アスファは彼を信頼しているようですわ。心から」
しかし、ファリスは納得しなかった。
「ただの使用人に魔法具を作ったり、魔法的な意味での契約を交わしたりすることができるとは思えない。彼は魔導師なのか?」
マイヤはどうでもよさそうに小首を傾げた。
「さぁ……魔法を使っているところなんて見たことありませんもの。姉様がわたくしたちに彼を付けたことには、何か意味があるのでしょうね……アスファがあれほど信頼しているくらいですもの」
「おや、なんの話?」
そこにひょっこりと顔を出したのは当のハーディである。マイヤは思わず飛びあがった。
「なんですの? 驚かさないでくださいませ!」
「ははっ、悪い、悪い。いい依頼があったぞ。モカッダス山の麓の町ジャバルまで商人たちを護衛するっていうの。どうも次に向かうフルシュの森は昔っからいろいろ出るって噂があるらしい」
マイヤは思わず目を眇めた。
「いろいろってなんですのよ。もう少し具体例とかはありませんの?」
ハーディがニヤリと笑う。マイヤは嫌な予感がした。
「んー、それはなぁ、幽霊が出るとか、妖精が道に迷わせるとか、魔物が出るとか、山賊が出るとか……」
「いやー! 後半二つはいいとしても、前半はなんなんですの!? 幽霊の存在はともかく、どうして妖精がそんなことをするんですのよ!」
予想通りの反応を示したマイヤに、ハーディはカラカラと笑った。
「魔物と山賊は構わないって、マイヤお嬢さんも逞しくなったなぁ。俺としては、幽霊とやらも妖精の仕業だと思うけどね」
「あら、どうしてですの?」
マイヤの質問に、ハーディは笑って答えた。
「妖精ってお伽噺の中では可愛らしい姿をしていることが多いけど、実際には取替え子や赤帽とか残酷なことをするヤツもいるんだ。ただね、稀に人間の力を頼ってくることもある。そういうときは助けてやるとお礼をしてもらえることもあるそうだ」
「へぇー、よく知っていますわね」
ハーディは胸を張った。
「アスファお嬢さんと同じで、俺、歴史とか伝承には少しばかり詳しいからなー」
「そういえば、アスファも幼い頃から歴史や神話に興味を持っていましたわね。一時期からまったく言わなくなりましたけど」
「あぁ、それはアスファお嬢さんが……ってヤベェ、もしかしなくても俺、藪蛇……?」
マイヤがにっこりと、それはそれは綺麗に笑った。
「アスファがどうしたというのかしら。詳しく聞かせてもらえますわよね?」
「あぁ、俺ってバカ……仕方がない。アスファお嬢さんは地魔法を使うことを覚えたんだよ。一番苦手な属性だから、慎重に魔力を絞ってさ。それで、少しずつ大地から情報を選んで手に入れるようになった」
ハーディの言葉に、マイヤは目を剥いた。
「なんてことですの!? 普通の人間がそんなことをしたら、情報過多による過負荷で脳がやられて、廃人になってしまいますのよ?」
仰天するマイヤに、ハーディは落ち着けと促した。
「だから、引き出す情報を制限したんだろう。欲しい情報を毎回少しずつ手に入れたら、その知識は膨大な量になる。アスファお嬢さんが他人よりいろいろと物知りなのはそのせい」
マイヤは頭痛をこらえるような仕草で、修行中のアスファに声をかけた。
「本当なんですの? アスファ」
「ん? なんの話?」
だが、アスファはレイラとの舞踊の修行に夢中で、こちらの話をまったく聞いていなかった。
「貴女が日常的に地魔法を繰り返し使っていた、とハーディが言っているのですけど、それは本当なんですの?」
「……バレたか」
ぺろっ、と舌を出したアスファに、マイヤが懇々とお説教を始めた。それはハーディが思わず同情してしまうほどで、ようやく解放された頃にはアスファはぐったりとしていたのだった。
*
商人たちを護衛して、草原の町マルジュを後にしたアスファたちはフルシュの森へと向かっていた。ジャバルの町へはこの森を抜けなければ辿り着けない。
「へぇー、フルシュの森には妖精が出るのか?」
「まぁ、必ず出るとは限らねぇけど、少なくとも噂自体は昔からあるらしいぞ」
目を輝かせるアスファにハーディがそう説明していると、商人たちのまとめ役がその肉付きのいい身体を揺らして笑った。
「お嬢さんは、魔物や山賊たちよりも妖精のほうに興味がありそうですな。まぁ、我々としては、ジャバルの町まで無事に送り届けてもらえれば、なんでもいいんですがね」
「それは確かに請け負った。安心してくれ。私の仲間たちは強い」
仲間への揺るぎない信頼と自信を覗かせるアスファに、商人は呵々大笑した。
「勇ましいお嬢さんですな。まさか、護衛を引き受けてくれた一団の長が、貴女のように可愛らしい方だとは思いもしませんでしたが、それでは、道中お手並み拝見といきましょう」
戦闘は基本的にバドルとカウィとファリスが請け負い、アスファは獣車の中からの援護役に徹していた。天空闘技場で戦うことになる三人には少しでも経験値を上げてほしかったからだ。
フルシュの森に入って、道中も半ばを過ぎた頃だった。
「霧が出てきたな……」
森の中が深い霧に包まれていく。アスファは風で押し流そうと試みるが、ハーディに止められた。
「止めておいたほうがいい。おそらく普通の霧じゃない。魔物の仕業か、あるいは……」
「……妖精かもな」
珍しく口を挟んだのはザラームだった。アスファがすぐに食いついた。
「わかるのか?」
「周囲に集中してみろ。小さな気配がいくつもある。どうやら、俺たちに用があるらしい」
そう言って、ザラームが獣車から降りた。鎖でつながっているアスファとジアーも一緒に降りる。
「出て来い。俺たちは逃げも隠れもせん。頼みがあるのなら口と態度で示せ」
ザラームの低い声が朗々と森に木霊する。周囲の風の様子が変わった。
「来る……!」
霧の中から影が近づいてくる。姿を現したのは、一人の少女だった。妖精の特徴である小柄な背丈と尖った耳をしている。少女は静かに口を開いた。助けてください。アスファにはそう聞こえた。
「なにかあったのか?」
尋ねると、もう一度少女の口元が動いた。助けてください。私たちの女王様を助けてください。
「ついて来いと言っている。どうする?」
ザラームの問いに、アスファは覚悟を決めた。
「マイヤ姉様、ハーディ。私たちは彼女について行ってみる。皆はこの隊商を無事にジャバルまで送り届けてくれ」
「えぇ!? ちょっと、アスファ!」
「ジャバルの町で合流しよう!」
そう言うと、アスファは駆け出した。当然、ザラームとジアーもその後に続く。三人の姿は霧に紛れてすぐに見えなくなってしまった。
「町で合流って、戻ってくる勝算があって言っているのか? あいつ……」
カウィの言葉に、全員が心の中で同じことを思った。絶対にそこまで考えていない、と。
「ザラームと二人きりになってはダメだとあれほど言いましたのに……」
「一応、ジアーのヤツもいるんだが……」
バドルのツッコミに、マイヤは涙目になって反論した。
「いてもなんの役にも立ちませんわ!」
「まぁ、確かに……」
酷い言われ様だが、そもそも魔王相手に人間のいち王子がどうこうできるわけもなく、結局はアスファ次第なのだった。
「とりあえず、言われた通り、ジャバルの町まで護衛を続けるか。ちょうど霧も晴れてきたことだし」
ハーディの言葉に、全員が驚いた。あれほど濃く深く立ち込めていた霧が急速に消えていく。マイヤは心配そうにアスファたちの消えた方角を見た。
「アスファ……どうか無事で……」
一方、霧の中に駆け込んだアスファは、どこをどのようにして走ったのかわからないが、少女の案内で小さな村に辿り着いていた。
霧が晴れると、そこは昼なのに薄明のような光が満ちている。木々の葉は銀のように輝き、空気の粒が光って見えた。そこで暮らしているのはすべて妖精のようだった。
「すげー、妖精の村って初めて見るよ、俺」
「私も……あれ? あの子は?」
アスファは一瞬少女を見失ったが、ザラームが示した指の先を見ると、その先に少女が待っていた。
「でも、女王様を助けてってどういうことなんだろう」
「は? あいつ、そんなことを言っていたのか?」
「普通の人間には聞こえん。あの場で少女の姿を見ても声を聞いた人間は少ないはずだ」
ひとまず少女を追いかけることに専念したアスファたちは、村の中で一番しっかりした造りの建物に案内された。建物の入口をくぐると、中には小柄だが成人女性の姿をした妖精が寝台に横たわっていた。
「彼女が女王?」
アスファの問いに、少女が頷く。女王が薄らと目を開けた。近くに、と言っている気がして、アスファはおそるおそる近づいた。
妖精の女王がアスファを見た。互いの魔力が共鳴し、精神感応現象が起こる。
「……わかった。引き受けよう」
「なんて言ったんだ?」
ジアーの問いに、アスファは淡々と答えた。
「女王は強力な呪詛に身体を蝕まれている。呪詛を解くには呪詛を行っている外法師を倒す必要がある。その外法師は、村の奥の道をさらに北上した氷の洞窟にいるというところまでは突き止めたらしい」
「で、引き受けたのか」
嫌そうなジアーの言葉を、アスファはあっさりと切って捨てた。
「困っている者に人種の別などない。私は魔導師で、人助けこそが魔導師の本分」
アスファの言葉に、女王と少女の顔に笑みが戻る。ザラームはやれやれと肩を竦めたのだった。
*
氷の洞窟はすぐに見つかった。光魔法であたりを照らしながら、アスファたち三人は奥へと進む。
途中、何度も氷の魔物たちが襲ってきたが、アスファとザラームの敵ではなかった。ザラームは表立って戦うことこそしなかったが、アスファとジアーを守るためには仕方なく動いてくれた。
アスファは『サラーブ・セイフ』を右手にヒラリ、ヒラリと魔物の攻撃を舞うように躱しては手痛い反撃を加える。
「ずいぶんと剣を扱う姿が様になってきたものだ」
「そうか? 自分ではわからないものだな」
「魔力の制御も精度があがっているようだ」
褒められれば嬉しいもので、アスファはザラームを見上げて微笑みを浮かべた。ザラームが一瞬見惚れたのにも気づかずに。
奥へ、奥へと進んでいくと、冷気が一際強くなってきた。
「さみー! 寒すぎる!」
騒ぐジアーに、アスファは仕方なくザラームに頼んだ。
「ザラーム、ジアーの周囲を炎魔法で暖かくしてやってほしい」
「……俺は便利屋か」
ザラームは不平不満を漏らしつつも、言った通りにしてくれた。ついでに三人分。
「ありがとう」
「フン……」
アスファが礼を言うと、ザラームはそっぽを向いた。どうやら照れているらしいと判断したアスファは、洞窟の奥に目を凝らした。そこには見覚えのある小さな人影があった。
「あれは……まさか妖精の女王?」
「いや、同じ顔だが、どうやら違う人物のようだな……双子か」
そう、そこにいたのは妖精の女王と同じ顔をした妖精だった。彼女の秀麗な顔は苦悶の表情に歪んでおり、吹き荒れる冷気が吹雪を生み出していた。
苦しい。つらい。憎い。どうして私が。どうしてあの子だけ。伝わってくるのは、そんな負の感情。
「……貴方が妖精の女王に呪詛をかけている者か?」
アスファの問いに、妖精が彼らのほうを見た。整った顔が鬼のような形相を浮かべる。伝わってくるのは、何故ここに人間が、という戸惑い。嫌悪。そして、絶望。
あの子がここにお前たちを寄越したのね? 妖精はそう言ったようだった。
「その通り。だけど、どうやら私たちが知らない事情があるらしい。なにが起きているのか教えてくれないか?」
自分は魔導師で困っている人たちを助けるのが務めだと言うアスファに、妖精は魂切るように叫んだ。あの子が全部悪いのよ、と。
悲痛な叫びに耳を傾ければ、妖精たちの隠れた事情が見えてきた。
「……つまり、貴女たちは双子の姉妹で、貴女がガイム、女王がマタル。生まれたときから二人ずっと一緒だったのに、女王に指名されたのはマタルで、貴女は村を出奔したわけね。それで、女王に呪詛をかけたの?」
アスファの言葉に、ガイムは、そうよ、と叫んだ。寂しくて、苦しくて、つらくて、気づけばあの子を恨んでいた。すると、あるとき、私に呪詛の仕方を教えてくれた男がいたの。私、どうかしていたの。気づけば言われた通りに毒虫を集めて、壺に入れて殺し合いをさせていた。そして、出来上がった毒を飲んだの。
ここまで聞いたアスファは仰天した。
「なんだって……!? それは外法の一つ、『蠱毒』の術ではないか! そうか、蠱毒の術が貴女自身の身体を蝕むと同時に、双子である女王の身体も蝕まれる。憎いが殺したいとまで思っていたわけではない呪詛は、二人の身体を生きている限り苦しめ続ける……!」
苦しいの。誰か助けてほしい。あの子に謝りたいの。でも、嫌。私は寂しかったんだもの。あの子にだって同じ苦しみを与えるべきなんだわ。
「それは違う!」
気づけばアスファは叫んでいた。
「寂しい思いをしたのが貴女だけだとでも思っているのか? 女王だって苦しかったはず。寂しくてつらかったはず。魔導師である私をここに寄越したのは、きっと貴女を助けてほしかったから。貴女が姉妹を信じなくてどうする!」
アスファはガイムの傍に近づくため一歩踏み出した。向かってくる冷気が格段に冷たさを増す。ガイムは叫んだ。違う。そんなはずはない。あの子は私を嘲笑っていたのに違いないんだわ。
「そんなことはない。私は女王の精神に触れた。彼女の心に歪みはなかった。貴女はどうか? 歪みなく物事を見ることができているのか?」
私、私は……ガイムが口ごもる。アスファは一気に距離を詰めた。跪いて目線を合わせ、ガイムの手を取る。ガイムは一度だけビクリと震えたが、手を振り払いはしなかった。
「疑うのならば、私の精神に触れてほしい。貴女自身で確認してくれ」
ガイムの唇が震えた。精神感応現象が起こる。今や、ガイムははっきりと青褪めていた。私はいったいなんてことを。取り返しのつかないことをしてしまった。あの子に謝らなくては。いや、この身体ではそれすらも叶わない。
「呪詛が取り除かれれば、女王と和解するのか?」
大きく頷いたガイムに、アスファは微笑みを浮かべた。
「では、私がなんとかしよう」
それを止めたのはザラームだった。
「待て、アスファ。いかな魔導師とはいえ人間に蠱毒の外法を解く術はない。お前、いったいなにを考えている?」
アスファはザラームを振り返ると、寂しげな笑みを浮かべた。
「ガイムに蠱毒の術を教えた男も、それを知ったうえでガイムを唆したのだろうな……できることはひとつだけある。秘術とはいえ、これも外法のひとつなのだけど、仕方がない……魔・秘・転──『移し身』」
ザラームは思わず目を瞠った。その術は。全身がうち震えた。
「このバカ……!」
ザラームが手を伸ばす。しかし、その手が届くより早く、淡い光がガイムとアスファの身体を包み込んだ。
眩い光は一瞬で洞窟全体を照らし、やがて静かに収束していく──。
光はやがてアスファ一人に収束すると静かに消えていった。
ガイムの身体から呪詛が消えると同時に、アスファは激しく咳き込んだ。ゴボッ、と胸が嫌な音を立てて血が吐き出される。ガイムが悲鳴をあげた。そのまま床に力なく崩れ落ちたアスファの身体を、駆け寄ったザラームが抱き起こした。
「バカが……!」
ザラームの声が震えた。
「蠱毒の術をその身に移す人間がどこにいる! お前は、本物の、大バカだ……!」
それは今まで耳にしたことがないほど、悲痛な声だった。
霞む視界の中で、ザラームの声だけが確かに届いた。
(ザラーム……泣いてるの……?)
そう思った瞬間、アスファの意識は、静かに闇に沈んでいった。
ご読了ありがとうございます。
霧の森に隠された真実は、静かにアスファの心を蝕みながらも、彼女の優しさをより深く映し出しました。
痛みの中に芽生える光、それはきっと、守りたいという想いのかたち。
風は、まだ旅の途中です。
2021/03/08
レイアウトを変更しました。
2021/03/13
加筆・修正しました。
2025/11/11
加筆・修正しました。




