第8話 少女と夏休み 2
「市立図書館?」
「そう」
夏休みの初日、俺たちがやってきたのは市立図書館だった。ここは蔵書数が県下一で調べ物にはうってつけの場所だ。もちろん自習室も完備されている。四階はいわゆる学生のための部屋として解放されており、平日の夕方や休日には多くの学生がクーラーの効いた涼しい部屋を求めてここに集まってくる。
自動ドアをくぐるとひんやりとした空気が首筋を撫でる。ここまで来るのに夏の日差しを存分に浴びた俺にとってここは天国にも等しい場所だ。白石の方を見ると彼女も暑いのは苦手なのか、入った途端にほっと安心した顔をしている。ちなみに今日の彼女は私服だ。白の半袖のワンピースにつばの広い帽子をかぶっていて、どこぞの清楚なお嬢様といった雰囲気だ。
「たくさんが本があるのね」
「かなりマニアックな本もあるらしいぞ」
「それは有益な情報ね。早速法律関係の本を探しに行きましょう」
「その本で何をするつもりなんだ、おい」
「将来のためよ。あなたのためでもあるわ」
「さあいますぐ勉強しに行こうか!」
彼女が本を物色し始めたので全力で引き剥がして自習室に向かう。彼女に知識を積んでしまったら俺の人生が詰んでしまう。早めに対処しないと……。
「……満席ね」
「そうだな」
俺たちが自習室の扉をくぐると既に席は埋まっていた。俺たちと同じことを考えている学生が予想以上に多かったようだ。俺たちの学校の生徒や他校の生徒で一杯だった。どうしたもんかと考えていると、タイミングよく窓際の4人掛けテーブルに座っていた二人が荷物をまとめて立とうとしている姿が見えた。そのまま彼らはこちらに向かって出口の方を行ったのでこれ幸いと思いすぐさまその席を確保しに行った。
しかしここで問題が発生した。つい先ほどまで居た二人組は横並びに座っていたようだ。いつもは学校の図書館で対面、というよりは対角線上に座っていた俺たちも今日ばかりはどうしようもない。しかもこのテーブルはやけに横の間隔が狭く、白石と隣同士で座ると必然的に腕が接触するレベルで近づく。いくら席が空いてないとは言えこれじゃ白石は嫌がると思った俺は彼女にもう少し待ってみようと提案するつもりだった。
だが提案するよりも早く白石は二席のうちの左側の椅子を引いて座り始めてしまった。彼女は隣同士で座ることも、腕が接触しそうになることも意に介してない様子だった。彼女が気にしてないならいいかと思い、俺も右側の席に腰掛ける。座ったと同時に左側からドサドサと音がした。何事かと視線を向けるとそこには大量の教材が乱雑に積み重なっていた。多分俺に教えるために用意したんだろう。ただ量が異常に多い。
「中間の時より量が格段に多いし何より今回は夏休みの課題を終わらすための勉強会だろ?それいらないから」
「あなたが将来一人で頑張っていけるためにこちらで直々に用意させていただきました。心配しないでください、私が勝手にしたことですから」
「そこは一切心配してない」
そろそろ精神的に殺されそうだ。これ、虐められてるって教師に告発したら勝てるのでは?
「半分冗談で半分本気よ。そろそろ私に頼らずに勉強習慣を身につけてほしいものだわ」
「頑張るぞー」
「死んだ目で言われても説得力が皆無なんですけど」
白石がジトーッとした目でこちらを見てきたが、こればっかりは仕方がない。普段全く勉強しないで遊んでいる俺が今更心を入れ替えて勉強なんてできっこない。
「そんなことより、課題だよ課題。どうすんだよこの量」
「どうするもこうするも貴方が頑張る以外方法はないんですけど」
「そんな正論は聞きたくない。これを終わらすことを第一に考えるのだ。手段を選んでる暇ではない」
「これ以上ないくらいにクズの発言だわ」
白石が驚愕している。まあいつものことなのでスルーする。
「私が手助けしてあげるから、少しは自分で頑張って見なさいよ」
「うーん、まあうだうだ言ってても終わらないし、少しはやってみるか」
流石にこのままだと白石にも迷惑がかかりそうなのでそろそろ取り掛かる。
最初に俺が手に取ったのは読書感想文だ。早速俺はポケットから愛用のスマートフォンを取り出して検索をし始め―
「待ちなさい」
―し始めようとする前に横から白石の制止の声が飛んできた。なんだよ全くもーと思いながらそちらの方に顔を向ける。
「貴方今何をしようとしたのかしら?」
「何って、読書感想文を書こうと」
「じゃあそのスマホは何に使うのかしら?」
「ネットからパクるため」
「言葉を繕う気すらないのね……」
白石が呆れている。だが超効率主義者の俺としてはこの方法が最適解だと信じているので仕方がない。決してめんどくさいとかそーいうのではない。いやー効率厨だからなー、曲がった事が嫌いだわー。
「とにかくその方法は却下よ。今回はこちらで本を用意したからこれについての感想を書きなさい」
そう言って白石の鞄から出てきたのは一冊の文庫本だった。表紙には「走れメロス」と書かれていた。
「お、これは知ってるぞ。マラソン大会だろ」
「全然違うわ。愛と友情の物語よ」
「それも少し語弊があるだろ……」
友人を生贄に妹の結婚式に出席!とか正気の沙汰じゃない。どこに愛と友情があるんだよ。友人のためなら命を投げ出せる善人と妹のためなら友人すら犠牲にするやつとではどちらが主人公か分からない。
さすがに偏見が過ぎたが、すべてにおいてきれいな物語とも言えない。そもそも事の発端はメロスが考えなしに突っ走ったせいだ。挙句の果てに全く無関係な友人を巻き込んでいる。いまどきこんな清々しいほどのエゴイストもいないだろう。
「まあ確かにこの本なら良くも悪くもいろんなことが書けそうだな。時間をかけて読む必要もないし」
「では早速やって頂戴」
「わかった」
いわれた通りに作業を開始する。まずは本の裏面に書いてあるあらすじを丸パクリする。読書感想文というのは通常400字詰め何枚分や何千字などの最低限の字数指定が設けられている。とにかく字数を稼ぐことが重要だ。内容なんて二の次二の次。すらすらーと最初の行を埋めていると、隣でそれを見ていた白石が引き気味になっていた。
「結局パクることはやめないのね……」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
そのままペンを動かす手を緩めない。400字詰め三枚分だからこのペースでいけば1時間後くらいには終わるだろう。おれはあらすじだけで3分の一を埋めたことに満足して、次なる関門に取り掛かった。
「行き詰った……」
原稿用紙二枚目に入ってからここまで30分。ようやく二枚目を完成させて、いよいよ三枚目に突入しようとするところで書く内容が思い浮かばなくなった。そもそも今まで俺は読書感想文というのをまじめに取り組んだことがない。ほぼ龍太のやつをパクったものを提出してはバレて怒られていた。ちなみに書き直しはしてない。それもあってか、文章を書くということについての基本的な知識が抜けていた。
うーんうーんと唸っていると視界の左側が少し陰った。その方向に顔を上げると白石が顔を寄せて俺の感想文をのぞき込んでいる。
「印象的に思った部分に焦点を当てて自分の意見を書くといいわよ。それに対する自分の立場も明確にしながらね」
「なるほど、そうやって書けばいいのか」
アドバイス通りに筆を進める。こういうことについてのコツは白石のほうが精通している。どんどん書いていくと意外に楽しくなってきた。メロスの言動に対して賛成、反対意見を文字にすると一種の討論みたいな気がしてきた。
「すごい、お前のおかげですらすら書けるぞ!助かった―」
感謝の言葉を述べようと顔を上げると白石は先ほどのぞき込んでいた体勢をキープしていたようで、彼女の顔が目と鼻の先にあった。はたから見るとほぼゼロ距離で見つめあっているように見えるだろう。突然の出来事に数秒間固まっていると、次第に白石の顔が赤みを帯びてきた。あ、と声を出す間もなく彼女は飛び上がるように立ち上がって俺から距離を取る。
今更ながら、やっちまったなあと後悔した。今まであまり考えようにしてきたが、たぶんは白石は俺のことをよく思っていない。今回の勉強会だって彼女の善意によって開かれている。ただでさえ人との交流を好まない彼女は他人に近づかれること自体苦痛だろう。もっと彼女の気持ちを汲み取るべきだ。
「すまない」
「い、いえ。別に構わないわ……」
顔を伏せていて表情はわからないが、多分怒っているんだろう。ちょっぴり気まずい雰囲気になった俺たちはすこしでも気を紛らわせようと自分たちの作業に集中することにした。
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