第19話 少年と過去 4
「何してんだよ!」
校内の中を全力で走り回っていると、遠くの方からそんな声が聞こえてきた。声音からわかるぐらいに怒りがこもっている。俺は急いで声のした方へ向かう。
そこは俺と圭が普段過ごしている教室だった。この時間ともなるといつもはみんなが下校してて、朝や昼とは似ても似つかないほどの静寂に包まれている。だからこんな時間に、こんな場所で怒号が飛んでいるのは奇妙な光景だ。
教室後方のドアからちらっと中を覗き見る。そこにいたのは三人の意外な人物だった。
圭。
田島先生。
――そして片桐さんだった。
圭は真っ赤な顔で田島先生を睨みつけ、田島先生は普段のさわやかな笑顔からは想像もつかないほど醜悪な笑みをはりつけていた。その横には、衣服が少し乱れている片桐さんが床に座っていた。彼女はぎゅっと目をつむって恐怖に怯えた表情をしている。
正直全く意味が分からなかった。
圭と田島先生はどうしてここに?
なんで圭は怒っている?
……片桐さんは、どうして怯えている?
頭の中が疑問で埋め尽くされていく。彼らは一体ここで何をしているんだろうか。ただ事ではないことは俺にも理解できる。だが、あまりの圭の迫力が容易に足を踏み入れてはいけないことを示唆していた。
「……どうして、こんなことをしたんですか。田島先生」
「何の話だい?神谷君」
「片桐の怯えた目を見ても自分のしたことが分からない、というのですか?」
「ああ、彼女のことか」
田島先生は片桐さんのほうをちらっと見て、つまらなそうにそうつぶやいた。
「彼女のほうから相談を持ち掛けられたんだ。彼女は人よりも少し臆病でね、なかなかクラスになじむことができなかったのはしってるだろ?そこで勇気を出して俺のところに来たんだ」
「……それでなんでさらに怯えているんですか?」
今も片桐さんは田島先生から逃げるように隅で体を震わしている。それを見た田島先生は大きなため息をついた。
「だから俺は彼女を助けようとしてあげたんだよ。クラスになじめるよううまく仲を取り持ってあげるために『教育的指導』をしてあげようとね。なのに彼女はそれを拒否して大声を出したんだ。これじゃあ助けることすらできない」
「……具体的には何をしたんですか?」
圭はいまにもとびかかりそうな体勢で先生を睨みつけていた。
「それを知る必要は君にはないだろ?俺と片桐が知っていればいいだけの話だ」
片桐さんがびくっと体を縮こまらせたのが視界の端に入った。彼女の服の乱れ具合と恐怖に満ちた表情を見れば大体の予想はつくが、いまだに俺は混乱していた。話が急すぎて理解が追い付いていなかった。
「君が来たんじゃ話ができないな。片桐、この話はまた今度でいいか?」
そういうと片桐さんはまたびくっと震えると、弱弱しくうなずいた。それを見た田島先生は満足して教室を出て行った。
後に残ったのは圭と片桐さん、そして教室の外からただ見ることしかできない俺だけだった。
☆
――一時間前。
「「お疲れ様でしたー」」
「お前ら気を付けて帰れよー」
田島先生の声を受けて一斉に解散しだす陸上部仲間。俺も彼らと連れ立って一緒に部室まで向かう。
「あー疲れたー。毎日毎日部活ばっかで変化ないよなー」
「確かに。なんかこう、華がないよなー。俺たち」
お気に入りのシューズを片付けていると、そんな会話が耳に入った。部活が終わった後、俺たちは毎日他愛もない話に花を咲かしている。内容自体に華は一切ないが。
「圭は好きなやつとかいないの?」
「いねーよ」
正直こういう話に俺は興味がなかった。別に達観してるわけでもないが今は部活のことで精いっぱいだ。そんなことを考える余裕がない。
「何だよつまんねーな。お前はなんかないの?」
「クラスに可愛い奴なんていたかなぁ。あ、委員長は結構いいかも」
「お前なんか相手にされねーよ」
大きな笑い声が部室中に響く。男しかいないこの部活では必然的にこういう話が話題に上がる。だがやっぱり俺はあまり話に入れない。
「そういえば片桐さんも結構可愛い、ていうか美人だな」
「あー確かに。でもあの人友達いないのか知らないけどいつも一人じゃねぇ?」
「そういえばだれかと喋ってるの見たことねえかも」
片桐さんは俺と同じクラスだった。俺もあまりしゃべったことがないからわからないが、おとなしい子だったと思う。いつも席を外してるか、本を読んでるだけ。積極的に誰かと一緒にいることもなかった。
「なんかいじめられてるって噂もあるみたいだぜ」
「まじで?まあ確かに暗そうだし仕方ないかもな」
「それ、まじか?」
その話に思わず俺は口を出していた。
「何だよ、圭も興味あんじゃん」
「ち、ちげーよ。そうじゃなくて、片桐さんっていじめられてるのか?」
「知らねーよ。ただあんまいいうわさは聞かないってぐらいだけどな」
俺は昔から誰かがいじめられているのを黙って見過ごせない性格だった。小学生の頃は事あるごとに上級生につっかかっていた。そのたびに龍太にはお世話になった気がする。だからこういったいじめの臭いがする話にも敏感になっていた。
「まあ噂は噂だから気にすんな。この後ファミレス行くけど圭はどうする?」
「俺はパスするわ」
「おっけ、また明日なー」
そういってあいつらは部室から出て行った。俺は龍太と帰る約束をしていたためかれらには申し訳ないが断った。
「あ、プリント……」
今日中にやろうと思っていた宿題をどうやら教室に忘れてきてしまった。
「めんどくさいけど取りに行くしかないんだよなー」
その課題の担当は田島先生だったから、提出しないと怒られるかもしれない。それは絶対に嫌だ。
俺は子供のころにたまたま見た陸上の大会で田島先生が走っているのを見て感動した。ただ走ってるだけなのにどうしてここまで引き付けれるのだろう。しなやかな体からばねみたいな跳躍を生かしてぐんぐんとスピードを上げて走るさまは同じ人間とは思えないほどのアスリートぶりだった。
その時から俺は田島先生みたいな陸上選手になりたいと思った。龍太には内緒にしていたが毎朝ランニングしていたのもこのころからだった。
そして俺は中学に入って陸上部に入部した。入って驚いた。あれほど憧れていた田島先生が顧問だなんて。あまりの興奮ぶりに先生からもひかれてしまったのはさすがに反省したが。
そういうわけで俺は先生からの信頼を落としたくない。何を学校の課題程度で、と思われるかもしれないが俺にとっては田島先生の走りが今の俺を形作っているといっても過言ではない。だから俺は先生にあこがれていて尊敬もしている。
「龍太との約束もあるし早くいくか」
そう呟いて俺は部室を後にした。
☆
「嫌!放してください!」
教室に向かっていると前のほうからそんな叫び声が聞こえた。俺は考えるよりも先に足を動かしていた。どうやら声がしたのは俺の教室のほうからだった。ただ事ではないと感じた俺はドアの前に立って勢いよく扉を開けた。
そこにいたのは。
衣服を脱がせようと手をかける田島先生と、悲鳴を上げて逃げようしている片桐だった。
信じられない。
信じたくない。
短距離走を全力で走った時みたいに心臓が暴れだす。
嫌だ。嫌だ。見たくない。
――悪夢の、始まりだった。




