第16話 少年と過去
始業式。
それは夏休みという楽園のような非日常の終わりを告げると同時にいつも通りの日常の訪れを告げる日だ。今日というこの日を疎ましく思えど、心待ちにしている人間は少ないだろう。
例に漏れず俺も眠い目をこすりながら教室に足を踏み入れる。教室の中は夏休みの話題で持ちきりだった。海水浴に行ったーだの夏祭り行ったーだの楽しそうな話題がそこかしこで行われていた。
「おっす」
「おう」
自分の席に向かうとすでに龍太が席についていた。挨拶を終えると席に着くなり、龍太は俺の顔を見てにやにやしだした。
「……なんだよ」
「白石さんとはその後どうしたのかなーって」
「別になんもねえよ。そっちはどうだった?」
「俺?俺はねー」
そのまま龍太が部活や夏休みの過ごし方について延々と話すのに相槌を打ちながら授業が始まるのを待っていた。
人が増えて教室も騒がしくなってきたところ、不意に教室後方のドアが無造作に開けられた。そこに目を向けると、長い黒髪をなびかせた少女が入ってきた。誰もが目を奪われる美貌。彼女の周囲ではまるで時が止まったかのような錯覚すら覚える。水を打ったような静寂の後、彼女を中心に人が集まる。
最近知ったことだが、初日の転校生デビューを見事に失敗したにもかかわらず白石は人気者になっていたようだ。彼女のほうも前ほどきつい言葉をかけることが少なくなったようで、無事クラスのやつらと友好的な関係を築けることができたようだ。
片や俺はいまだ龍太以外に友達がいない。いや、友達どころか知り合いすらいないかもしれん。だれだよ高校に入ったら友達百人できるとか言ったやつ。いや、友達は量より質だ。百人の知り合いよりも一人の親友を作ることが大事だ。その点俺は龍太と小学生からの付き合いだ。そこらのやつよりも深い絆で結ばれている。
……なんだか違う関係に発展しそうなのを敏感に察知した俺は急いで頭を振る。一部が喜びそうな展開には断じてならない。
「白石さん、そのヘアピン似合ってるね」
「ほんとほんと、青色っていうのもまたマッチしてるー」
そんな声のする方を見れば白石を取り囲んで女子たちが姦しくおしゃべりに興じている。まあ真横の席だからいやでも会話が聞こえてしまう。どうやら話題は白石が着けているヘアピンのようだ。だがあれは俺が夏祭りの時にあげたものだ。本来あれはその場限りのお遊びなはずなんだけど、どうしたわけか彼女は身に着けてきている。というかあれを見るとあの日のことを思い出して恥ずかしいんだけど……。
そんなことを思っていると不意に彼女が俺のいる方に体を向けた。彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらを見ている。俺はとっさに目をそらす。なるほど、学校でも上下関係を意識させることで逆らえなくするためか。うーん、相変わらず鬼畜ですね!そこにしびれもあこがれもしません。ただただドン引きするだけです。
「前はヘアピンなんてしてなかったよね、何かあったの?」
「誰かにもらったとかー?」
白石はその場しのぎの適当な返答をしながら会話を進めていた。まあ俺があげたなんて知られたら大問題になりかねない。ただでさえ評判が悪い俺なのだ。対価として体を要求されたとかありもしない噂を立てられては俺だけでなく白石にまで影響が出てしまう。妄想たくましい脳内の中の俺はヘアピン一つで白石を服従できるらしい。どんなご都合主義だよ。
そんな彼女たちの騒がしい会話が続くのも朝のチャイムが鳴るまでだった。教師が教卓に立つとクラスメイトがそれぞれ自分の席に着く。今日から新学期の始まりだ。気合を入れていこう。
☆
「……疲れた」
HRが終わると同時に俺はそんな声を漏らしていた。久しぶりの学校はやっぱり気疲れする。勉強嫌いな俺にとってはなおさらだ。
「あら、情けないわね」
俺が机に突っ伏している様子を見て白石が声をかけてきた。顔を上げるとそこにはいつもの不敵な態度で見下ろしている白石がいた。
「夏休みはだらけていたからな。それよりずいぶんクラスのやつらとよろしくやってるんだな」
「あら、男の嫉妬は見苦しいわよ?」
「ち、ちげえよ!?」
別に羨ましいとか思ってないですよ?ほんとほんと。俺も友達ほしいなーとかそんなこと一ミリも考えていませんよ?ほんとほんと。
「……ていうかそれ、まだ着けてたんだな」
「それ?それってなんのことかしら。ちゃんと名前で言ってもらわないとわからないわよ?」
「くっ……」
にやにやしながらからかってくる白石。こいつ絶対わかってて言ってるだろ。相変わらずたちが悪い。
「それはそうと何の用だ?わざわざ話しかけてきて」
「……そのことなんだけど」
いつになく真剣な表情をする白石。その瞳には強い意志が宿っている。
「ちょっと放課後付き合ってもらえるかしら」
白石から直々にデートの誘いが来た。甘い雰囲気でも何でもないのが残念だが。
☆
「単刀直入に聞くわ。貴方、なにしたの?」
「はい?」
白石に連れられて、俺は放課後とあるおしゃれなカフェに来ていた。店内を見るとカップルや女性客で満席だった。なんか場違いですね……。
「なに、っていうのは?」
「クラスの子たちが話しているのを耳にしたんだけど、貴方、昔暴力事件を起こしたそうね」
「……」
頭が急激に冷えていく。まさか白石の口からその話が出るとは思ってもいなかった。
彼女は責める、というよりはむしろ恐る恐るといった感じで問いかけてきた。
「なにが、あったの?」
「……お前には一切関係ない話だ」
「なっ……」
白石は唇を震わせている。だが、実際に彼女はあの事件には一切関係ないのだ。正義感丸出しで野次馬根性を出されてもこちらとしてはただ迷惑なだけだ。
それと、俺は怖かった。この高校で唯一できた、俺のことを『友達』と言ってくれた彼女に幻滅されるのが。
正直に言うと、俺はうれしかった。あの事件以来周りに人がいなくなった俺はもう友達なんかいらないとさえ思っていたのに。
誰も信じてくれない。
誰も理解してくれない。
誰も、俺を見てくれない。
……幻滅されるくらいなら、こっちから離れればいい。そうすれば、傷を負わないで済む。
「お前の用事がそれなら話すことはない。じゃあな」
「ちょっ……」
白石の制止には応じず、俺はドリンクの代金だけおいて店を出た。外に出ると、どんよりとした雲が空一面を覆っていた。今にも雨が降り出しそうな空模様だった。
「……くそ」
俺は吐き捨てるようにそうつぶやくと、どんよりとした空を睨んだ。まるで今の俺の心を表しているかのようで、ひどく不愉快だった。
☆
白石の前から逃げるように別れた日から数日後。俺と白石はまともに口をきいていない。それもそのはず、俺が一方的に彼女を避けてるからだ。俺は休み時間や昼休みは極力教室に残らず、トイレや空き教室で時間をつぶした。放課後になれば彼女から話しかけられる前に急いでかばんを取って学校を出た。申し訳ない気持ちはあるが、正直あの時のことを知られたくはない。
だが、それも一週間が限界だった。その日も俺は手早く荷物を片付けて帰宅をしようと下駄箱まで駆け足で向かったが、ちょうど俺の靴が入ってる下駄箱の前で白石が仁王立ちをしていた。
「……どいてくれないか、俺は忙しいんだ」
「あなたから納得のいく説明を聞くまでは帰らないわ」
「納得いくも何もお前は事件のことを何も知らねえじゃねえか」
「曲がりなりにも数か月間一緒に行動をしてきたのよ?貴方の人間性は理解しているつもりよ。貴方は理由もなしに暴力事件を起こすような人には見えない。何か事情があったんじゃないの?」
「……知ったような口を聞くなよ」
話しているうちにだんだんとイライラしてきた。それが言葉にも表れていたようだ。俺は知らず知らずのうちにきつい言葉をかけていた。その度に白石はつらそうな顔をしていたが、それでも追及をやめることはなかった。だが俺は真相を話す気は一切なかった。
「もう、思い出しくもない」
そう言うと俺は強引に靴を取って校門へ向かう。彼女はそれ以上追求しなかった。俺は一度も振り替えることなく足早にその場を去った。
いきなりシリアスになります




