第15話 少女と夏祭り 3
聞き間違い、だろうか。目の前にたたずむ少女からは真意が読み取れない。俺が、彼女にヘアピンをつけてあげる?全然意味が分からない。試しにもう一回聞いてみよう。幻聴だった可能性もある。
「すまん、もう一度確認を取らせてくれ。俺が、お前に、ヘアピンをつける、てことで頼み事はあってるのか?」
「……」
白石は無言でこくりとうなずく。どうやら聞き間違いではなかったようだ。うーん、聞き間違いであってほしかった……。
俺は手に持っているヘアピンに目を落とす。白石によく似合いそうな青色のヘアピン。俺は今しがた彼女の髪にこれを着けるように頼まれた。白石を見る。彼女はもじもじとしながらこちらを見ている。わからない。本当にわけがわからない。彼女は僕に何をさせたいのだろう。
……あ、分かった。
「この衆人環視の中、俺に屈辱を味わわせたいのか!?」
やはり悪魔だった。この女、この大勢の人の前で俺に恥をかかせて精神的に優位に立とうとしている。今後の俺と白石との上下関係を今ここではっきりさせるためにも彼女はこんな頼みごとを要求してきたに違いない!
だが、俺の言葉を聞いた彼女は一瞬だけ悲しい表情した後、すぐに不敵な態度になった。
「察しがいいわね。おとなしく辱めを受けなさい」
「くっ……」
俺から勝負を持ち出した手前ここでノーとは言えない。ここは腹をくくらねばならないだろう。
「……じっとしてろ」
そう言うと俺はゆっくりと白石のほうに向かって足を進めた。白石の目の前に立つと、彼女はぎゅっと瞼を閉じた。その表情からは不安と少しばかりの期待が感じ取れる。鼻腔をくすぐる甘い香り。さらさらとした髪。端正に整った顔。目と鼻の距離で感じる白石の存在。そのどれもが作りものめいていて、どこか現実感を置き去りにしている。
俺は意を決して白石の髪にヘアピンを着ける。だが普段ヘアピンなんぞ着けてない俺は少しばかり手間取る。どうにかこうにか着け終えると、俺の予想通り、彼女の黒い髪と青色のヘアピンが見事なまでにマッチしている。涼しげで、どこか儚さすら纏っている。
彼女は瞼を上げて、俺のほうを見てからそっと、青々としたアクサセリーを撫でる。その姿があまりにも妖艶で大人びていて、俺は彼女を直視できずに視線を外す。
「……ありがとう」
小さく、だけどはっきりとしたその声音は俺の頭の中に直接送り込まれたかの様に響いた。顔はとてもじゃないが見られない。だが、どこか優しさを感じる声だった。
「そ、そろそろ花火が始まる時間だな!早くいかないといい席で見られないぞ」
彼女の目論見通り、俺は恥をかかされたのだ。だが、不思議と嫌な気分はしなかった。
☆
「人が多すぎるわ。まったく進まないじゃない」
「仕方ねえだろ。時間ギリギリなんだから」
花火を見るために川沿い目指してしばらく移動していると、既にいい席を取ろうと躍起になっていた人達の波に飲み込まれてしまった。遅々とした足取りで進む人混みにだんだんと嫌気がさしてくる。
「あ、ちょうど前が空いたぞ」
「急ぎましょう」
俺たちはタイミングよく空いた場所を確保するために急いで向かう。ベストポジションとは言えないが、それでも花火を見るためには十分な位置だろう。俺たちは横並びに立って花火が打ち上げられるのを待つ。
「……久しぶりね。花火を見るのも」
「え?お前祭りに来たことないんじゃなかったか?」
そう言うと白石は少し慌てた様子で
「む、昔に一度だけ花火を見るために来たことがあるのよ」
と言った。花火を見に来てるならお祭りもセットだと思うんだけどなぁ……。少し気になったものの特段聞くことでもなかったのでスルーする。
「あ、あなたこそお祭りに来たことはあるのかしら?」
「あー、中学の頃は龍太と毎年行ってた。あ、でも、一回だけ別のやつと見に行ったこともあるな」
「へ、へえ」
なぜかどもりながら俺の言葉に相槌を打つ白石。けど、今の自分の言葉で次々と記憶が呼び起こされた。
中学二年生の時、俺は龍太とお祭りを楽しんでいる最中、珍しく龍太とはぐれてしまった。理由は確か……俺が射的に夢中でいつの間にか龍太がどっかに行ってしまった、とかだったはずだ。中学二年生らしからぬ理由に今となっては苦笑するしかない。その間、俺と龍太は小一時間もの間再会することができなかった。当時はどちらも携帯などの連絡手段を持ち合わせていなかったからだ。
龍太とはぐれた後、俺はしばらくは龍太を探して走り回っていたが、まったく見つらなかったことと、そろそろ花火の打ち上げられる時間が近づいてしまったことで、捜索を諦めて花火を見に行った。花火の場所に向かう途中、俺は偶然にも一人のクラスメイトと出会った。名前は確か片桐、だったはず。そいつも多分俺と同じように迷子だったんだと思う。柄にもなく俺はそいつを誘って一緒に花火を見に行った。普段から龍太としかつるまない俺にしては大胆な行動だったと今でも思う。
あの時、あいつとみた花火を今でも夢に見ることがある。たった10分、いや5分ほどの出来事が鮮明に記憶に焼き付いている。ただ、それと同じくらいあの時の忌々しい出来事もセットでついてくる。思い出したくもない。だが、あの一件はすべて俺の責任だ。あいつを追い詰めたのは俺の責任。俺は、俺の軽率な行動が今でも許せない。
バン、と音が鳴った。
はっとして上を向くと、色とりどりの花火が一斉に打ち上げられていた。どうやらいつの間にか花火が始まっていたみたいだ。暗い夜空に名前の通り、花が咲いているみたいだ。赤、青、緑、それらが真っ暗だった空を埋め尽くす。
ふと隣を見ると、白石も花火に魅入っているようだった。横顔しか見えないが、何かを懐かしむかのように、愛おしそうに眺めていた。彼女はこの花火をどんな気持ちで眺めているのだろう。同じものでも見えている景色は互いに違うはずだ。
「ありがとう」
出し抜けに言われた言葉に俺は戸惑う。白石のほうを見ると、彼女は俺をまっすぐに見つめてくる。
「連れてきてくれて、ありがとう」
「……まあ、俺も来たかったしな。一石二鳥ってやつだ」
いつになくしおらしい態度をされて、困惑する。そんな風に言われたら軽口を叩くしかなくなる。そんな俺に彼女は苦笑してまた空に視線を戻す。
……まあ、喜んでくれたなら幸いだ。
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