第10話 少女と少年
夏休みから一週間たったある日。今日も今日とて俺と白石は市内の図書館で勉強に勤しんでいた。時間のかかるものやめんどくさいものの大半は白石の助力によって手早く片付けられ、残る勉強は細かいものばかりになった。たった一週間で夏休みの課題が終わる目処が立っていることに軽く感動する。龍太……。また俺は一つ成長したよ……。俺の脳内で微笑んでいる龍太に敬礼していると、横で勉強していた白石は一区切りついたのか伸びをしていた。
「だいぶ進んだみたいだし、たまにはこれくらいで終わるのもありね」
「まじで!?やっと解放される!」
「……別に監禁していたわけじゃないのだけど。期間を延ばしましょうか?」
「ごめんなさいマジで勘弁してください」
危うく楽しい夏休み?が続きそうだったので全力で阻止する。勉強も大事だと思うんですけど、やっぱり時には遊ぶことが大事だと思うんです、ええ。要はメリハリですね。個人的には勉強と遊び、2対8ぐらいがちょうどいいと思ってます、ええ。
勉強に対する俺の見解を説こうと息巻いていたが、どうやらそれを披露する機会はなさそうだ。白石は自分が解いていた数学の問題集を閉じてかばんにしまって席を立った。それ、三年生で学ぶ内容のはずなんだけど……。それを傍目に見ながら俺も乱雑に勉強道具をしまい、急いで後を追った。
☆
「これ、どうなってんだよ」
「……し、しりません」
エントランスまで行く途中、一階の読書スペースとしてパーティションで区切られている一室から何やら声がした。俺と白石は顔を見合わせてちらっとのぞき込むと、そこには語気を強めて喋っている男と顔を俯かせている少年がいた。
「ここに俺の荷物が置いてあったのに、今来たら全部なくなってて、代わりにお前が座ってたんだけど。これ、どういうこと?」
「僕がここに来たときは何もなかったけど……」
どうやら男のほうが少し席を外している間に荷物がきれいさっぱりなくなっていたようだ。まあ確かに俺も荷物だけその場において席だけ確保して本とか物色したりすることがあるから男の行動は理解できる。
だがこういう公共施設ではこういった持ち物のトラブルを起こさないために原則利用客自身が管理するのが普通だ。「お客様の手荷物はお客様自身で管理してください。当館は一切責任を負いません」なる張り紙は結構な頻度で見かける。つまり、本来であれば席を外して自分の荷物から目を外した男のほうにこそ責任があるはずだ。
だがことは単純ではないらしい。男が席に戻った時にはそこにあるはずの荷物がなく、そこにいないはずの少年が座っていた。確かにその状況であれば少年に疑いの目が向くのもやむを得ないだろう。
「嘘つけ。お前がここに座ってたんだからお前しか盗むやつはいねえだろ!」
男が怒気を孕んだ口調で少年に詰め寄るせいで、何事かと思った一般客がわらわらと集まってきた。周りが大人ばかりで居場所がないように感じたのか少年はその小さな体をより一層縮こまらせた。さすがに見かねた俺は男に声をかけようとしたが、それより先に白石が声をかけていた。
「ここは公共の場です。騒ぐのは今すぐやめなさい」
凛とした強気な声が部屋中に響いた。いきなり第三者から声をかけられたことにびっくりしたのか、男は目を白黒させて白石を見ている。かくいう俺も彼女の行動に困惑している。曲がりなりにも数か月間ともに行動してきたら分かるが、彼女は決して自分から目立つような行動はしない性格だ。ただでさえ目立つことを嫌っている彼女がこうも大胆な行動に出たのは少し意外だった。
「あ、あんたには関係ないだろ」
「大いに関係があります。私だけでなくほかの一般客にも迷惑が掛かっています」
「ぐっ……」
白石の至極まっとうな言い分に男は口を噤んだ。確かに周りを見れば迷惑そうにこちらを見ている客がちらほらいる。中には人だかりができたことで本を取りにくそうにしている人もいるぐらいだ。しっかりと他の客の迷惑になっている。
「あなたも分別のある大人ならもう少し周りを見てください」
その言葉に男ははっとなって周りを見渡して、今自分がどんな状況にいるのかを理解したようだ。さすがに居心地が悪くなった男は数秒間口をもごもごさせた後、諦めたようにため息をついた。
「……そうだな。騒いですまなかった」
それだけ言うと男は肩を落としてとぼとぼと受付のほうへを向かっていった。
「あ、ちょっとまってくれ」
「……なんだい?」
ここでようやく俺は男に声をかけた。男は力なく振り返ってこちらを見た。
「この図書館は長時間の席取り防止のために、一定時間荷物を放置すると見回りの人が回収するようになってるんだ。受付のほうに行けばすぐに返してもらえると思うぜ」
「……そうなのか。ありがとう、教えてくれて。それと、さっきは怒鳴ってすまなかったな、少年」
「ううん、気にしないで」
男は俺と少年に感謝と謝罪の言葉を述べながら、一礼して受付のほうへ行った。それで騒ぎは済んだようで、見物客も用事を思い出したかのようにそれぞれの持ち場へ帰っていった。残ったのは俺と白石、そして件の少年だけだった。
「助けてくれてありがとう、お姉ちゃんとお兄ちゃん」
少年は俺たちのいる方を向いてお礼を言った。ふむ、ちゃんと素直にお礼が言える子だな。どっかの誰かさんとは大違いだぁ。
「気にしないで。私は私がすべきことをしただけだから。それじゃあね」
白石はそう言うと部屋から出て入口のほうに向かっていった。俺も少年に「素直でいい子だな」と頭を撫でてその場を去る。去り際に「またねー」と声が聞こえ、俺たちは少年に手を振って図書館を後にした。
☆
「意外だったな。お前がああいうことするなんて」
図書館の帰り道、俺は何の気なしに白石に問いかけるようにつぶやいた。さっきのあの一件、どう考えても普段の白石らしくもなかった。それが俺の中では腑に落ちなくて、いろいろ考えているうちに自然と口から漏れていたらしい。
「あなたがさっさと諫めないから、代わりに私が仲裁に行ったのよ」
「俺が声をかけるより先にお前が声をかけたからだよ」
「あら、口だけは達者ね」
「ひどい言われよう、泣いちゃう」
俺にもさっきのような少年に対する態度で接してほしい。
「でもなんでだ?おまえ、普段あんなことするやつじゃないだろ。俺は知ってるぜ?お前がひどいやつだって」
「……神谷君?」
超いい笑顔だが目だけ笑ってない。それやめて、まじで怖いから。
「別に。さっきも言ったでしょ。私のすべきことをしたまでだって。それに……」
「?」
不自然に言葉を切った白石はそのまま言おうか言わまいか迷った末に、いつものように遠くの夕景を見つめながら言った。
「誰にも助けを求められないような子を放っておけるわけないじゃない」
その言葉に俺は少しどきりとした。だがそれは白石の優しさにときめいたとかそういうものではなかった。その言いぐさで不意に昔のことを思い出したからだ。確かあの時も俺は……。
記憶を呼び起こそうと頑張ってみたがどうやら俺の頭はそこまで万能ではなかった。潔く思い出すのをあきらめて今日は思う存分遊びましょうそうしましょうと思いながら白石の歩調に合わせて歩く。
「今日はどこ行くんだ?」
「なに言ってるの。明日までに小テスト70点以上取らないと課題増やしますからね」
「なにそれ聞いてないんだけど」
「さっきあなたのカバンに忍び込ませておいたテストのことよ」
「いつの間に!?というか急すぎませんかねえ……」
絶望に打ちひしがれて膝をついている俺を愉快そうに眺める白石は満足したのか、そのまま歩く速度を緩めずに一本道を進んでいった。まあやれと言われたらやるしかないので、頭の中で思い描いていた楽しい楽しい夏休みを頭の外から追い出して、俺は置いて行かれないように急いで白石の後を追った。
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