ポスター
ブロック塀に貼られたポスターを眺めていると、
「用でもあるんかね?」
と、声がした。
郁磨が振り返ると、農作業を終えた老人が、日焼けした顔で歩み寄ってきた。
「あ、いえ。別に」
「そんなとこに突っ立って」
と、老人が胡散臭そうに郁磨を舐め回しながら言った。
「ポスターを見てたんです」
「ポスター?」
塀に貼られてあったのは、市議会議員の赤茶けた一枚のポスターだった。
「ああ、それか」
「お爺さんのお宅ですか?」
「ああ、わしの家だ」
塀にポスターが貼られたいたのは、老人の家だった。
「この議員を、支持なさってるんですか?」
「親の代からな」
「二世なんですか?」
「議員の大半は、二世か三世だ。地盤、看板、カバンがないと政治家にはなれんのじゃ」
地盤は組織、看板は知名度、カバンは資金。この三バンが揃っていなければ選挙には勝てないと言われている。
「そうなんですか」
「興味があるのか?」
「来月、任期満了による市議選が行われるので」
「若いのに、よく勉強しておるようだな」
老人にそう言われて、郁磨が苦笑した。
門前で二人で話し込んでいると、玄関扉が開いて
「お祖父さん、そんなところで何をしてるんですか?」
と、老婆が顔を出して玄関先から話しかけてきた。
「こんにちは」
と、郁磨が挨拶をすると
「郁磨先生じゃないですか」
と、老婆が言った。
「知っておるのか?」
「太田先生とこの、自由な学びしゃ(舎)」
「しゃがなく、やだ」
老人が、間違いを叱るように指摘した。
「そこの先生ですよ」
老婆が、指摘を跳ね返すように言った。
「孫が世話になっておるな」
「え?」
と、郁磨は表札を見た。
『川田』と、ブロック塀には不似合いな大理石の表札に書かれてあった。
老婆が玄関から出てきて、
「お茶でも」
と言われたが、郁磨はそれを断った。
「いえ。用があるので」
「上がれ。上がって茶でも飲んでけ」
と命令口調に言って、、サッサと門前に入っていった。
「あ、いえ。すみません」
老人の背に向って謝罪すると、玄関先で振り返って
「そんなものは後回しじゃ」
と、容赦なく言って
「祖母さん。太田先生に電話しておけ。家に招待したから、用は他の人にってな」
と、老人は玄関の中に入っていった。
「あ、いや、それは」
郁磨が、戸惑っていると
「お祖父さんもああ言ってるんですから」
と老婆は言って、郁磨の腕をがしっと鷲掴みした。
逃してなるものかと言いたいのか、老婆の指が腕の肉に食い込んでいた。
固定電話のフックに送受話器を置いて、電話を切った。
「誰からですか?」
「川田のお婆さんからです。郁磨先生を招待したから、用事は他の人に頼んでくれないだろうかって」
美佐が、勘治の問い掛けに答えた。
「川田の?」
「ええ。お爺さんと話があるそうですよ」
「お爺さんと?……話?」
「ええ、そう言ってましたけど」
「何の話かは」
「別に何も。言ってませんでしたよ」
「どういうことなんでしょうね?」
「さあ?」
暫しの間、勘治と美佐は訳もわからずに黙然と顔を見合わせていた。
「伊吹と矢吹に行かせますね?」
「うん。そうしてください」
美佐は、広いダイニングキッチンから飛び出していった。