free learning school
大学を辞職して失業者となった勘治ではあったが、
「我が大学にぜひとも」
と、再就職の依頼の電話が毎日のようにかかってきていた。
だが、勘治はその誘いには及び腰であった。再び、内部抗争に巻き込まれるのではないかと恐れていたからだ。そうなった場合の被害者は勘治ではなく学生達であるからだ。かと言って、それとは違う就職先を探す気にはならなかった。できれば、今までの経験を活かして教育者としてやっていきたい気持ちがあったからだ。
そのためにできる事は何があるのだろうかと考えていると、学校に行こうとしない中学生の子を持つ母親が勘治を訪ねてきた。その理由を聞いても何も言おうとしない。どうすればいいのかわからずに相談に来たのだという。その後も続け様に同様の悩みを持つ親が勘治を訪ねて来るようになった。そんな親の間から、
「子供のための受け皿になって欲しい」
との声があがってきた。
勘治はその声を受け悩んだ末に、これならば経験を活かせることができるかもしれないと思い、フリースクールを開設することを決意する。だが、家内の美佐は、それには難色を示した。家を守る役割を担った家内の美佐にとって、収入源が断たれることに賛同するわけにはいかなかったのだ。美佐の意見は当然といえば当然のことである。それを責めるわけにはいかないと、勘治は思った。だからといって、諦める気にもならなかった。反対する美佐を説得したのが、当時中学生だった伊吹と矢吹の双子の姉妹だった。
「私達のクラスにもいるよ、学校に行きたがらない子が。そんな子のためのスクールは作るべきだと思うな。お父さんならそうしてもいいんじゃない。だって、大学の先生だったんだから」
大名屋敷の太田家は、多くの子供達を受け入れるだけの広さは、充分過ぎるぐらいに満たされていた。
一年ほど準備や手続きに時間を割いて、漸く開設の運びとなった。
勘治は自らの手で大きな板に、『自由な学び舎・free learning school』と書いて、門柱にその看板を掲げた。
だが、その看板に引き寄せられてやってきて、門戸を叩く者は一人もいなかった。一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎた日の夕方、近所に住む高校生が学校の帰りに、門から足を踏み入れて
「こんにちは」
と、正面玄関の扉の前に立って声をかけた。
世の中とは不思議なもので、誰かがその切っ掛けを作ると、次から次と人が集まってくる。人は誰しもその時を待っているのであろう。誰かが声をかけたら続こうと。
一人、二人、三人とその数は日増しに増え、太田家は、毎日のように子供達の賑やかな声で騒然としていた。
伊吹と矢吹が、高校生になって初めての夏休みのことだった。
「お父さん、電話ですよ」
「誰から?」
「それが、和恵さんから」
「扇谷の?」
「ええ」
「扇谷に何かあったのか}
音信不通になってしまった友であっても、勘治にとっての喜一は学び舎の友であることに変わりはなかった。
美佐が、首を横に振った。
「末っ子の郁磨君のことで、相談したい事があるみたいですよ」
と言って、美佐が固定電話の子機を差し出した。
「末っ子か……」
勘治は、風の便りで長男の喜和と次男の敏志は東大の法学部に入学したと耳にしていた。
そんな優秀な二人の息子達に比べて余り出来の良くない三男の郁磨は、喜一にとっては悩みの種だった。
教育熱心な喜一と、その熱心さに答えられない郁磨と、二人の間に何があったと言うのだろうか?そんなことを思いながら、勘治は子機を手に取って、耳にあてた。
数日後、和恵が高校生の郁磨を連れて訪ねてきた。
郁磨を見た瞬間、その変わり様に勘治は愕然とした。
勘治が郁磨と初めて会ったのは、郁磨がまだ三才の頃だった。喜一が、三人の息子達を連れて訪ねてきたのだ。
「お父さんの横に座って、じっとしていなさい」
と、喜一が言うと
「はい」
と、郁磨は元気に返事はするのだが、30秒と持たずに、あっちウロウロ、こっちウロウロと動き廻る、好奇心旺盛な落ち着きのない子だった。
「あの子には苦労させられるよ」
と、喜一が溜息まじりに言った。
だが、目の前にいる郁磨は、当時の面影など微塵もなく、ビクビクと何かに怯えたような眼をしていた。