息子の思い
庭の躑躅が満開に咲いていた。
「扇谷と?」
「はい」
勘治と喜一は、学び舎の友だった。だが、教授の席を巡って派閥争いに巻き込まれ翻弄されて、二人は袂を分かつ破目に陥ってしまった。そして派閥争いの末に、喜一が教授となり、勘治は追われるように大学を去った。それからの二人は別の道を歩き音信不通になってしまった。
「彼は君だと」
「気付いていました」
「はい」
「なのに、声もかけずに」
「はい」
と言って、郁磨は侘しそうに項垂れた。
「怒鳴られるのが嫌でかね?」
「いえ」
郁磨は怒鳴られても平気だと思った。怒鳴られるようなことをしたのだがら。だが、
「じゃ、どうして、声もかけずに」
「恥ずかしかったんです」
「恥ずかしかった?」
「あの当時と何も変わっていない自分が。自慢もできないような自分が」
「そんな事はないぞ。今の君は」
「わかってます。校長先生のお蔭で俺は」
「わかってるのなら、堂々としていたまえ」
「……」
「君が元気にやっている。それがわかっただけで嬉しいんだよ」
「そうでしょうか?」
「親とはそういうもんだよ」
口には出さずに、郁磨は、喜一に限ってそんな父親ではないと言わんばかりに首を横に振り続けた。
突如、庭の方から口汚く罵り合う声が聞こえてきた。
郁磨が、ハッとして立ち合って、障子を勢いよく全開した。
庭の掃除をしていた少年達の一人の斉藤と大野が、互いの胸倉を掴んで睨み合っていた。
「何やってんだ!お前ら!」
郁磨が、裸足で飛び出してきて、大野の顔を拳で殴った。
「!?」
愕然とする、勘治。
由紀と他の少年達も驚愕して立ち竦んだ。
「喧嘩両成敗だ!」
と叫ぶなり、郁磨が斉藤の胸倉を掴んで拳を振り上げた。
瞬間、
「郁磨先生!おやめなさい!」
勘治が、部屋から廊下に飛び出してきて叫んだ。
振り上げた拳が、怒りでブルブルと震えていた。
「君が感情的になってどうするのですかッ。それはただの八つ当たりに過ぎませんよッ」
勘治がいつになく声を荒げて言って、裸足で庭に飛び出してきた。
「下ろすのです、郁磨先生」
と、勘治が挙げられたままの郁磨の腕を掴んで下ろした。
「由紀さん。あなたはお家にお帰りなさい」
由紀が、コックンと頷いた。
「郁磨先生。お家まで送ってあげなさい」
じっと立ち竦んでいる、郁磨。
「郁磨先生」
「すみません、校長先生」
「いいから、早くおいきなさい」
「はい」
と、郁磨はトボトボと玄関の方へと歩いていった。
「靴を履いて行くんですよッ」
勘治が呼びかけたが、郁磨は何の反応も見せなかった。
その場に茫然と突っ立っている由紀に、
「早くおいきなさい」
と、勘治が促した。
由紀は、小さく頷いて郁磨を追い掛けた。
「先生。靴を忘れるなって、校長先生が」
「……校長先生が?」
「うん。先生、裸足だから」
「え?」
由紀に言われて、郁磨が、裸足の足元を見た。
「そうだったな……」
「先生、何かあったの?今日の先生、何か変だよ」
「何もないさ」
「本当に?」
「ああ、本当だ」
と言って、郁磨は無理に笑顔を繕った。