事前
数日後、川田が事務所に変貌したガレージの様子を見にやってきた。
出入口付近に置かれた折り畳み式の長机。机上には一台の事務処理用のパソコンと電話機が一台。
「電話は受付事務用の一回線の他に、後、三回線は欲しいな」
「三回線ですか」
と、勘治が言った。
名簿や電話帳を見ながら電話をしたり、電話したときの感触から支持をしてくれそうどうかのチェックをするために。
「電話の手配をすぐに頼むよ」
と勘治に言われた伊吹と矢吹が、事務所から飛び出していった。
「電話用の机と椅子を、空いたスペースに置くように」
川田が、少年達に長机と椅子を設置するように指示を与えた。
「それから、出入口近くにある長机に、受付と接客との打ち合わせ用の椅子を向い合せに置く」
大野と斉藤が、壁に立てかけられた折り畳み椅子を二脚持って戻ってきて、指示通りに長机を挟んで椅子を置いた。
奥角には、折り畳み式の長机の上に、電気ポットと盆に載せられた湯呑と急須。その傍らには、一人暮らし用の小さめの冷蔵庫。
「お茶だけでなく、コーヒーも置いた方が」
郁磨が、気遣うように言うと
「許されてるのは、急須から注いだお茶と水だけ。ペットボトルのお茶も禁止されてるから。そこは気をつけないとな」
と、川田が念を押すように言った。
別の折り畳み式の長机の上には、家庭用のファックスと家庭用のコピー機。
「椅子は何脚ほど、用意したの?」
と、川田が壁に立てかけられた折り畳み椅子を見て言った。
「二十人分ほどです」
「それぐらいでいいでしょう。支援者が訪問してきたら、スペースを確保して椅子を並べるように。支援者は大事ですからね」
「支援者にはお茶だけ」
「ちょっとした菓子ぐらいはいいけど、ケーキだとか高価な物はNGですからね」
川田は、事務所に変貌したガレージを見廻してチャックした。
「壁には地域の地図を貼りましょう。選挙運動の車を走らせる時に役立つから。それから、連絡先一覧表も必要だから、すぐに用意して」
「はい。すぐに。他には?」
と、勘治が訊いた。
「これでオーケー。後は、電話係やウグイス嬢をボランティアでやってくれそうな人を探す」
「ボランティアですか」
「わしの伝で、何とかしよう」
「それはありがたいです」
と、勘治がホーッと安堵の溜息をついた。
「郁磨先生は、これから写真館に行って写真撮影をして、その足で印刷所に行くように。先方には連絡してあるから」
「は、はい」
「背広は?」
「いえ」
「僕ので良ければ」
「なるべく、明るい感じの色にするように」
「はい」
「すぐに着替えて、すぐに行く」
「は、はい」
勘治と郁磨が、慌てたように飛び出していった。
「大野君と斉藤君は、選挙権有りだね?」
「はい」
「住所を書いておいたから。郁磨先生に付き添って」
「はい」
メモ紙を川田から受け取って、大野と斉藤は二人を追って飛び出していった。
背広上下にネクタイ姿の郁磨が、大野と斉藤を連れ添って歩いてきた。
「先生。本当にここなの?」
「メモ紙に書かれた住所は、ここだよね?」
郁磨が、斉藤に聞いた。
「確かに、この商店街だよ」
と、斉藤が住所の書かれたメモ紙を見ながら言った。
「本当にここなのか?」
と、斉藤の手にあるメモ紙を覗き込んで
「確かにここだな」
大野が、言った。
歩く人の姿も疎らな、シャッターの下りた店が目立つ閑散とした商店街。
「平日なのに、シャッターの下りた店が多いな」
「ああ、そうだな。多いな」
大野と斉藤は、不安げに辺りをキョロキョロと見廻した。
「近頃、シャッターを閉める店が多くなってきたって、小耳に挟んだことがあるが」
「これが、現実なんだ」
「先生もお前達も、商店街を利用するなんてことはないからな」
と、郁磨が言って
「うん」
大野と斉藤が、コックンと首を縦に振って頷いた。
「あれじゃないの?」
と、大野が前方を指差して
「ああ、あれだよ。先生、あったよ」
と、斉藤が安堵したように叫んだ。
郁磨と大野と斉藤の三人は駆け出して、写真館の中に飛び込んだ。