選挙事務所
伊吹と矢吹が案内したのは、ガレージだった。
「ガレージ?……しかし」
と、郁磨が安易に拒否を仄めかした。
「郁磨先生の勉強不足」
「パソコンで調べた結果」
と、、伊吹と矢吹が叱咤した。
「幾らなんでも、ガレージは」
と言って、断固拒否の姿勢を示すように数回首を横に振った。
「どうしてガレージは嫌なの?」
と、伊吹が郁磨を理解できずに言った。
「この広さなら十分、選挙事務所として使用可能だ」
「え?」
と、郁磨は言葉に反応して川田を窺った。
「でも、ガレージは。校長先生が必要でしょうし」
「あいつもガレージから始めたんだ」
「元市議会議員の……?」
「ああ」
「……」
郁磨は、それでも納得がいかなかった。
「郁磨先生、そう頑固に意地を張らなくても」
「わかってます。わかってますが」
そう、勘治にはわかっていた。これは挑戦と言うよりは、父親の喜一に対するものであることは。喜一がこれを見れば嘲り笑うであろう、”いつまでたってもお前は、その程度なのだな”と、だからこそ、これは絶対に阻止しなければならない。そんな思いから郁磨は受け入れることはできなかったのだ。
「素直に従うべきですよ。川田さんは、経験者なのですから」
「はい……」
「それとも従えない理由でもあるのですか?従えない他の要素があるのですか?」
「いえ……」
「ないのでしたら」
「ガレージにします」
郁磨は、勘治の眼を避けるように俯いた状態で小さく応じた。
「事務所に必要な物も」
「調べておいたわ」
と、伊吹と矢吹がメモ紙を差し出した。
受け取った川田を挟んで、郁磨と勘治が両側に立ち、メモ紙を覗き込んだ。
「これだけ用意して」
「こんなにですか?」
と、勘治が言った。
「最低限、必要な物はこれだけ」
「は~」
郁磨が、返事の代わりに溜息をついた。
「伊吹と矢吹は、これを購入して」
勘治が二人に言うと、川田がおっ被せるように言った。
「レンタルで済ませられる物は、レンタルにした方がいいよ。一週間の選挙戦のためには」
「それは、ダメってことですか?」
郁磨が、ドキッとしたように言った。
「はははは。自信がないのかね?」
「あ、いえ、そうではなく……」
「自信を持って、この老人に従えばいいんだ」
「はい」
郁磨は、幾分自信なさげに返事した。
【選挙公営制度】
公職選挙法ではお金のかからない選挙を実現するとともに、立候補の機会均等や候補者間の選挙運動の機会均等を図る手段として選挙公営制度が設けられている。
「選挙のために使ったお金の領収書は全て管理保管しておくように」
「はい」
と、伊吹と矢吹が川田に返事した。
「片付け開始だ!」
と、郁磨がやけくそぎみに少年達に言うと
「車はどうするの?」
と、大野が訊いてきた。
「ガレージの横に駐車しておきましょう」
勘治が答えると、斉藤が返すように言った。
「だったら、カバーしておかないと」
「そうですね。伊吹、矢吹、それも追加しておいてください」
「車のカバー」
と、伊吹がメモ紙にペンで書き添えた。
「レッツゴー!」
郁磨が叫んで、率先してガレージに飛び込み、片付けを始めた。
大野派と斉藤派が、先を争うにようにしてガレージに飛び込んだ。
夜になってもそれは続き、郁磨と少年達は、お握りをパクつきながら薄暗い電燈の中で、ガレージの片付けに勤しんでいた。