本を狙うもの
その日の放課後、シンとシンジは食堂で難しい顔をして向かい合っていた。まだ日の高いこの時間、もちろん夕食の時間ではない。食堂の場所は、食事の時以外でも自由に使ってよいことになっていた。食堂はそこまで人も多くなく、各自が勉強したりカードゲームをしたりと、自由にその空間を使っている。柔らかな雰囲気の食堂の真上には、ガラス張りの天井が広がり、室内に優しく日の光を注いでいた。そんな平和な空気の中、二人は互いに机に突っ伏して、うなっていた。
「むー……」
「うー……」
うなるばかりで、二人の動きは止まったままだ。いつも一緒のガイとヨウサの姿は見えない。シンジは難しい顔で首をひねり、シンは本を枕に机に突っ伏してしまった。
「……何してんの……?」
うなる二人の前に現れたのは、サラサラ銀髪にバンダナを巻いた美少年、二人のクラスの級長、フタバだ。片手に本とノートを持っているところをみると、どうやら勉強をしに食堂に来たらしい。
「級長~、困ってるんだよ~」
彼の姿を見るなり、シンジが顔を上げて助けを求めた。
「シンジくんが困るなんて珍しいね。ま、それをいったら、この時間から二人がここにいるのは珍しいんだけど」
確かに、食事の時間しか食堂にいないこの二人が、この時間に食堂にいるのは珍しかった。フタバはクスリと笑って、シンの隣にこしかけた。
「で、何、困っているのは宿題?」
「ちがうだべ!! この本なんだべ!」
フタバの問いにシンは勢いよく起き上がり、今まで自分が枕にしていた本を両手に持って見せた。黒っぽい表紙に大きな黒色の石がはめ込まれ、その石の中心が金色に輝いている、全体的に非常に古びた本。――そう、ペルソナが狙っていた「闇の石」をはめ込んだ本だ。
「なんだか珍しい本だね。なあに、この本?」
「闇の石の本だよ。ほら、表紙についてる宝石、これが闇の石」
フタバの問いにシンジがさらりと答えると、フタバは目を丸くして固まった。何を言われたのか分からない、といった表情だ。
「む? どうしただ、フタバ? おめーの話していた闇の石、それの本だべよ?」
「え、ええ? ええーーーー!?」
シンの言葉にようやく意味が分かったらしいフタバは、珍しく大声を上げて驚いた。その声に周りの生徒が不思議そうに視線を送る。それに気付いた双子があわててフタバを制すると、フタバも口を押さえ縮こまった。そして声のトーンを落とし、ひそひそ声で二人に問う。
「ご、ごめんごめん……。え、でもこれ、ホントなの!? 本物!?」
「そうだべよ! すごいだべさ」
シンから本を受け取ったフタバはおそるおそる本を見る。両手に持ち、表紙や裏表紙をまじまじと見、表紙の中心の石をじっと見つめ、感嘆のため息をつく。
「すごい……! これが本物の石なんだ……!! 僕初めてみたよ! え、一体どこでこれを手に入れたの!?」
興奮を抑えきれないフタバが、珍しく意気揚々とはしゃいでいる。いつもの落ち着いた雰囲気はどこへやら、だ。
「ま、話すと長いんだけどね……」
フタバの様子に、見かねてシンジが説明を始めた。今回の事件の発端となった学校の時計のこと、それを狙っていた謎の男、ペルソナのこと、そしてこの本が図書室にあり、これを守るために戦ったこと……。
予想外な話の展開にフタバは目を丸くしっぱなしだった。
「そんなすごい話になってたなんて……! そして二人ともすごいね…! そんな力があったなんて!」
「いや~、それほどでもねーだべさ~」
フタバが感心してほめるので、シンは得意になって頭をかいて照れた。
「ま、オラが本気出せば、あんな男、ちょちょいのちょいだったべがな!」
「またシンてば調子に乗って~! 校長先生がいたから助かったようなものじゃない。もっと僕らも準備して立ち向かわなきゃ! あの男、強いよ」
調子に乗るシンに、弟の厳しい声が飛ぶ。弟の真面目な表情に、シンも真面目になって返す。
「確かにそうだべな。手ごわい敵に変わりはねーから、準備はしねぇといけねえべな」
「で、この本が何なのかまでは分かったけど、二人は一体何を悩んでたの?」
フタバが会話に割り込むと、双子は顔を見合わせて、再び一瞬の沈黙。
「だぁああああ! 忘れてただ~!」
「そうなんだよ、助けてよ、級長~!」
振り出しに戻る、である。フタバは肩を落としたが、すぐ気を取りなおして再び問う。
「だから話が見えないよ。一体何に困ってるの?」
「この本なんだべ」
「本?」
「そ、この本が一体何なのか……。何が書かれているのかが分からないんだ」
シンジがフタバから本を取り上げて、本を開いた。中には見たこともない文字がずらりと並んでいる。そう、今の世界には伝えられていない超古代時代に作られたとされる文字だ。それを見ながらシンジが大きくため息をついて肩を落とす。
「見てよこれ、これ、超古代文明時代の文字なんだって。だから中身がさっぱり分からなくて……。校長先生も全部は解読できないって言ってたんだ」
「へぇ……。ホントだ。全く読めない……。何となく古代文字には似てるけど、全く違う文字なんだね」
フタバがのぞき込んでつぶやく。その隣で今度はシンが言葉を続けた。
「じっちゃんが言うには、この本が手がかりなんだべさ。あのペルソナは闇の石を狙ってるだべ? 最初が学校の時計で、次がこの本……。時計の次に選んだのがこの本だったってことは、何かワケがあるはずなんだべ……」
「そ、ガイもこの本に闇の石が組み込まれているのは、ワケがあるんだろうって言っててさ。だからこの本を調べようと思ったんだけど、さっぱり分からなくて……。校長先生もすぐには分からないから時間をくれって……。しかもしばらく学校空けてまだ戻ってないって言うし」
シンジが再びそう説明すると、双子はまた大きくため息をつく。フタバもその様子を見て黙り込んでしまった。
その時だ。
「珍しい本を持ってるな」
突然声をかけられた。三人が声の方向を見ると、見慣れない男が立っていた。灰色のフードをかぶり、その下は服と同様に灰色のサラサラな髪。真っ赤な赤い瞳。しっかりした体格で灰色の服装を身にまとい、腹辺りのポケットに両手を入れて、三人を見下ろすようにその男は立っていた。
三人は顔を見合わせ、一瞬視線で会話をする。シンもシンジもフタバでさえ、小さく首を振った。寮に住んでいる三人は、寮生の大体の顔ぶれを知っているが、目の前の男は三人とも初めて見る人物だったのだ。
「その本、なかなかレアな物だろ? 初めてオレも見るよ」
男はきょとんとする三人の机にしゃがみこみ、三人と目線を合わせて、にかっと笑った。
「お兄さんダレ?」
不審に思ったシンジが問いかけると、青年はシンジを見て笑って答えた。
「ああ、初めてだもんな。オレはデュオっていうんだ。最近この学校に転校してきたばかりでね。これからオレもこの寮に住むんだ。よろしくな」
人懐っこい笑顔を見せてお兄さんは親しげに話しかけてくる。挨拶もそこそこに、デュオはシンジの本に手を伸ばしながら本をのぞき込む。
「しかしこの本は珍しいね。オレも魔導書はいろいろ読むけど、こいつはすごい。ちょっと見せてくれないか?」
青年の言葉にシンジが本を手渡そうとすると、シンジの逆方向からシンが男につっこんできた。
「おめー、この本読めるだべか!? ちょうどオラ達、この本が読めなくて困っていたんだべ!」
「お、おめーって…」
一瞬、デュオは表情を引きつらせる。それを見てシンジがしまった、という顔をした。そう、シンの言葉遣いはなまりがひどいだけでなく、敬語も使えないのだ。だから目上の人に対して平気で、しかも悪気もなく失礼な言葉遣いをしてしまう。シンジはデュオが気を悪くしたことにすぐ気がついたのだが、残念ながらシンにそんな感性はない。
少々顔を引きつらせながら、青年はシンを見たが、ここは大人な対応だ。一つ咳払いをして、シンのほうを向くと不自然な笑みを浮かべて言葉をつむぐ。
「いいか、この本を読むなんて、そりゃまたずいぶん難しいことしようとしてたもんだぜ。これ、超古代文字じゃないか? 今の君たちにはちょっと読めないだろ」
と、デュオが苦笑して見せる。そしてまたシンジに手を伸ばし、
「ま、ちょっと貸してみな。オレが見てやるよ」
と、本を受け取ろうとすると……
「ホントだべか!? おめーこの文字……この超古代文字が読めるだべか!? すげーだべさ!!」
再びシンが声を上げる。予想外の反応に、デュオはたじろぐと同時に、再びおめー呼ばわりされたことに対して、先ほど以上に顔を引きつらせた。
「く……っ。……いや、まぁ、あのな、おめーって…………いやいやいや。そりゃ多少は読めるだろ、ふつーはよ……」
「フツー!? フツーに読めるだべか!? すげーだべ!! おめーもオラ達の仲間にならないだべか!? オラ達今、超古代文明調査隊を結成中なんだべ!!」
青年の怒りを知るはずもないシンは、興奮気味につめより、その腕を取る。もはやここまで暴走されては、シンジもフタバも止めようがない。
「な、なんだよ、その調査隊ってのは……。てかさっきからおめーおめーって……てめーなぁ!! それが目上に対する言葉遣いかよ!?」
さすがに怒ったらしい。やってしまった、と気まずそうな顔をして、シンジが額に手をやる。青年の怒りを察知したシンジとフタバは絶句するが、シンにはそれは分からない。あっけにとられ、ぽかんとするシンの目の前で、デュオは立ち上がり指差して声を荒げた。
「大体なぁ、人が親切に本を見てやろうって言ってんのによ、おめー呼ばわりはないだろ!?」
「な、何を怒ってるだべ!? オラ、オメーの力を認めてやってんだべよ!?」
シンは予想外だという顔をして必死に訴えるのだが、その言葉すら使い方がおかしいがために逆効果である。……もちろん、この発言にも悪気はない。
「てっめ……! ガキのくせして認めてやるたぁ、ずいぶんな上から目線だな、オイ」
完全に怒らせてしまったようだ。こめかみの辺りをピクピクさせて、青年がシンをにらむ。これはやばいと、弟が間に入った。
「ごごごご、ごめんなさい! シンってば、ちょっと言葉使いおかしくて……! 悪気はないんです!!」
見かねてシンジが助け舟を出すと、意味が分からないシンはのん気に眉をひそめ、シンジに問う。
「何がいけないんだべか? オラ、こいつの能力を認めてやってるんだべよ?」
「だからその言い方がすでに間違ってるんだってば!!」
シンジまでイライラ気味に必死に制すると、デュオまで声を大にして叫んだ。
「とにかくうるせぇ!! オレだっててめーらみたいなガキに興味も用事もねぇっての!! その本さえ手に入ればいいんだよ!!」
その発言に三人が止まった。
「……本さえ手にって……」
「おめー、この本狙ってるだか!?」
双子が即座に警戒して男を見ると、その様子を見てデュオがはっと息をのむ。
男はあわてて笑顔を浮かべた。
「え、や……。そ、そんなワケないだろっ。そんな古びた本なんて、なぁ……」
「でも今、確かに言ったよ!『本さえ手に入ればいい』って……」
シンジがあげ足を取るように言うと、警戒から立ちあがった。デュオから後じさり、本を抱きかかえるように持つ。
「それに」
と、口を挟んだのはフタバだ。
「この本の文字……超古代文字をフツーに読めるって、さっき言ってましたよね……? この文字は、校長先生ですら読めない代物なのに」
「う!」
さすがにデュオがしまった、という表情をして固まった。フタバの言葉にシンがはっとする。
「そうだべ! この文字を読めて使いこなせる人物なんてそうはいねぇだべよ! もし、いるとしたら……!」
……そう、ペルソナだ。
「逃げろーーーーーっ!!!!」
シンの掛け声と共に、いっせいに三人は回れ後ろして食堂の出口に向かって駆け出した。一瞬出遅れたデュオがあわててその後を追う。
「あ、くそ!! てめーら待ちやがれ!!」
もちろんそんなことを言われて待つ人はいないのだが、叫んでしまうのはもはや性というものだ。食堂の出口を、シン、少し遅れてフタバ、最後にシンジがくぐると、シンジは思い出したように振り向いた。そしてそのまま両手を食堂の出口にかざす。
「おっとっと……『水柱』!!」
途端両手から勢いよく水が噴き出す。
『氷刃!!』
その直後、また別呪文を同じく前方に向けて放つ。すると彼の両手から現れた大量の水は、現れると同時に氷結を始め、食堂の出入り口はその氷で見事に蓋をされてしまった。
「へへっ。足止め足止め!」
シンジはにやりと笑うと、すぐにシンとフタバの後を追って走り去った。
食堂にいた生徒の多くが、意味もわからず閉じ込められ途方にくれている中、一人デュオだけが、悔しさに身体を震わせていたことは言うまでもない。




