魔術学校の入学式
春の日差しがやわらかい、とても暖かな日のことだ。
この日もセイランの町はにぎやかだった。きれいに整備されて広々とした道路には灰色のレンガが敷かれている。建物はどれも白っぽいが、店や家ごとにあざやかなパステルカラーで、窓や扉が彩られている。町のあちこちに立つ街灯は、透明な球体が日光を反射し、まるで美しいオブジェのようだ。
そんなきれいな町並みを、たくさんの人がにぎわせていた。
セイランの町は、この世界で有数の国際都市だった。たくさんの種族が住み、数え切れない店があり、当然とても栄えた町だ。そして何より、どの町よりも魔法の技術に長けていた。今ではもう、ほとんどが滅んでしまった古代技術の「機械」に頼ることなく、町の街灯も交通手段も通信方法も、全て「魔力」で行うことが出来るのだ。
かといって、その町の人みんなが魔法を使えるわけではない。中には魔力の少ない「マテリアル種」も、魔力の高い「精霊種」と一緒に生活している。通常、マテリアル種の人たちは、魔力がほぼないために、生活の環境はあまりよい状態には出来ない。明かりひとつ付けるにも、精霊種なら「光」の魔法ひとつですむものを、タイマツに頼らねばならないし、精霊種なら飛行術やワープで移動できるものも、彼らは汽車などの乗り物に頼らねばならない。
だが種族関係なしに、よい環境で住めるよう、町全体に魔力を供給しているのが、このセイラン都市なのだ。
この都市には、もうひとつ大きな特徴がある。それは世界でも有数な「魔術学校」があることだ。通常、小さな魔術学校は各町にもある。だがこのセイランの学校は、国際化を進めており、どんな種族の者でも、低い料金で魔法の技術を学ぶことが出来る。もちろん、学ぶ内容もすばらしいもので、毎年多くの子どもたちが入学にくるのだ。
この日は、この魔術学校の入学式だった。いつもにぎやかなセイランの町だが、特に今日は盛り上がっていた。それもそのはず、このセイラン魔術学校の入学式といったら、町の一大イベントになるくらい、大きなできごとなのだ。町中が、入学に来た人を歓迎し、商店街ではセールやら、飲食店では大盛りサービスやら、雑貨屋では学割で魔法通話機を販売やら……とにかく、どこでも盛り上がるものなのだ。
通り行く人々は様々だが、やはり今日は子どもが多い。子どもをつれて歩く人も、小さな体で重い荷物を持ち一人で歩いている子も、みんな、新しい生活に目を輝かせていた。
そんなにぎやかな商店街を、駆け抜ける二人の子どもがいた。みんな楽しそうに店をのぞいたり、話しあったりして歩いているのに、二人はそれらには目もくれず、砂ぼこりを立てながら走っていく。二人の目指す先には大きくそびえる門がみえた。どうやらあれが、魔術学校の入り口のようだ。
「ね、ねぇ、もう……ボク……走れないんだけど……っ」
走る二人のうち、緑のバンダナを巻いた男の子が、息も切れ切れに叫んだ。体は細身で色白く、いかにも病弱そうだ。涼しげな半そでシャツを風に泳がせてはいるものの、額には汗がびっしり浮かんでいる。細い目はいつもそうなのか、起きているのか寝ているのか分からない、眠たそうな目をしていた。
その見た目か、それともその間が抜けた声のせいなのだろうか。セリフのわりには、あまり疲れたようには見えない。それが災いしてか、もう一人の男の子は能天気に答えた。
「大丈夫だべっ! あともう少しだから、行けるだべよ!!」
なまり全開の元気な声で、相手の顔を見もせずにその子は答えた。そう答えた男の子は、体つきは健康そのもの。半そでにハーフパンツの服を着て、日焼けした腕に足。髪は赤くボサボサで、いかにもワンパクそうな少年だ。ひとつ不思議なのは、その上半身の服装だ。半そで服の上に、真っ白な布をバッテン型に交差させた格好。その結び目にあたる部分は、丸い宝石のような石で止められていて、その石はちょうど心臓の辺りをふわふわ浮いていた。
彼は汗ひとつかかず、さっそうと走っている。明るい表情の口元には八重歯がのぞく。大きな目を輝かせ、いかにも何かを期待している様子だ。
「そ、そりゃ、シンはいいかもしれないけど……っ。ボ、ボクは限界……」
いかにも倒れそう、という表情で細身の少年がまた弱音を上げる。でも、やはりそのまぬけな声では分からないのだろう。シンと呼ばれた少年は、彼の様子をうかがいもせずに言葉を続ける。
「何言ってるだ! もうすぐ飛行船が到着するだよ!! 初めてこの町にくる奴なんだから、早く着いて案内してやらねぇと、迷子になっちまうだべ!!」
普段なら飛行船は空港に降りるのだが、この時期はそうではない。学校の入学式にあわせて、学校で準備した学校専用の飛行船が飛んでいるのだ。その飛行船は学校の校庭に降り立つ。その到着時刻が迫っているのだ。
「オラ、会うのは久しぶりだべよ~! もう一年も会ってなかったから、楽しみだべ!」
どうやらその飛行船の迎えに行く人物のことらしい。久しぶりの再開にはしゃいでいるようだ。しかし細身の少年は、またも叫ぶ。
「も、もう……ボク……無理~……」
さすがのシンも、今度は少年の方を向いた。しかし、彼に情けをかけるつもりはないらしい。
「何言ってるだ、ガイ! 迎え行くだけでも時間はギリギリだべ! 万が一……遅刻したら、ヨウサが怖いだべよ!!」
どうやら、その「ヨウサ」という名前は効果的だったらしい。今にも倒れそうになっていたガイが、途端うつむいていた顔を上げ、気合の入った表情で答えた。
「それはやばい! ヨウサちゃんを怒らせたら、怖すぎる!! 生きて帰れないかも知れないなぁ……!」
「だべ!? さ、だから急ぐだよ!」
ようやく気合の入ったガイの様子を見て、シンもこぶしを突き上げ、声を大にして叫んだ。
「急ぐだべ! 待ってるだぞ~、弟よっ!」
叫ぶと同時にスピードを上げ、前かがみになってシンは突進しだした。
そのままの勢いで学校に到着していれば問題はなかっただろう。だが彼はそのまま、果物屋の大売出しの棚につっこんでいった。その直後、ガラガラと棚の壊れる音と、お客さんの悲鳴が響き、その数秒後、店の主人と思われる男性の怒鳴り声が響いていた……。
入学式を先輩として見るのは初めてだった。次々と学校に流れてくる生徒の集団を、四階から眺め、去年は私もあんなふうに緊張していたわね、とちょっとお姉さん気分で少女は笑った。
時間は朝の八時くらい。ちょうどあと一時間もすれば入学式が始まるだろう。きっと後輩だけではなくて、同じクラスにも、また新しく入る人がいるんだろうなと、少女はワクワクしていた。
ピンク色でふわふわの髪が特徴のこの少女、名前をヨウサといった。彼女にとって、去年の先輩はガイだった。もっともクラスは一緒だ。ガイも「先輩だから、分からないときには何でも聞いて~!」と偉そうに言っていたわりには、学校のことをほとんど理解していなかった。そのため、ガイは先生にはいつも注意されてばかりだったのだ。
そんな様子だったから、自分よりずっと幼い頃から魔術学校にいるにも関わらず、彼に先輩らしい様子はまったくなかった。そのためヨウサは、彼を先輩とは感じなかったのだ。
今度は自分が先輩生徒になるのだから、ガイくんみたいに情けない先輩にはならないぞ! と、彼女はひそかに決意していたのだった。
そんな決意を再確認していると、校庭が騒がしくなった。学校の飛行船が到着したのだ。魔術学校の校庭はとても広く、真ん中が小山のように盛り上がっている。さわやかな緑が風に吹かれ、その草の上にふんわりと飛行船が降り立った。
魔術学校が持つ飛行船は、楕円形で、飛び立つときだけ翼が現れる。薄い赤紫色した半透明の機体になっており、中の様子がうっすらと見える。前部分には操縦席があり、若い魔導パイロットが見える。残り三分の二が、生徒たちが座る座席部分になっており、ほとんど満席だった。
無事着陸すると、本体のちょうど真ん中あたりが口を開き、案内する先生に従って、次々人が降りてきた。みんな大きな荷物をもち、重そうに運んでいる。きっと中にはこれから先、この学校で生活できるように、生活用品や魔導書を詰めてきたのだろう。
そんな飛行船の生徒を見て、ヨウサはふと思い出した。そういえばシンくんが今年から弟もこの学校にやってくると言っていた。本当は一緒に去年来るはずだったのだが、魔法の勉強以外の修行が長引いて、来年に先延ばしたのだと言っていた。
ヨウサは去年のことを思い出した。ヨウサはもともとこのセイランの町の中心街に住んでいるが、シンははるか遠い土地からこの中央大陸の首都、セイランにやってきた。最初あまりのなまりにびっくりしたものだ。言葉も違い、種族の特徴も違い、考え方も違う。同期の入学生でクラスも一緒になったのだが、最初のうちはシンが嫌いで仕方なかった。しかし嫌でも話したり、ともに行動したりするうちに、少しずつ、シンがどんな人なのか分かるようになると、彼女の考え方も変わった。今でもシンのあまりの行動の読めなさに、びっくりしたり、あきれたりすることはあるけれど、今では大事な友達だ。
そんなシンの弟だ。どれだけ似ているんだろう、とヨウサは気になった。見た目だけでなく、性格もきっと似ているのだろう。実はシンとは、「入学式後に弟を紹介する」と約束していたけれど、待ちきれなった。ヨウサは好奇心のおもむくまま、飛行船の降り立った校庭へ向かった。回れ左をすると、魔力で浮いている板状の階段を駆け下りていった。
校庭は人だらけだった。たくさんのいろんな種族の子どもたちが荷物を抱えて右往左往していた。トイレを探す者、先生の指示通り入学式会場へ向かう者、人を待っている者、寮のルームメイトと話している者などなど……。
ヨウサはその人ごみから、見慣れた赤頭を探した。シンはとても目立つ赤髪だ。髪型は違うかもしれないが、きっと髪の色は同じだろう。きょろきょろと人を見ていると……
――いた。
人ごみの固まりの向こうに、真っ赤な髪をした少年がちらと見えた。ヨウサが走り出そうとした瞬間、飛行船の出口からぴょんと一人の少年が勢いよく飛び出した。
はっとして避ける間もなかった。運悪く、少年の着地点にはヨウサがいたのだ。
ぼふっという勢いよくカバンがぶつかる音がして、彼女は少年の荷物に激突した。よろめく間もなく、今度は少年がよろめいて、彼女の上に落ちてきた。再びぼふっという鈍い音が響いた。
「いたぁ~っ……」
転んだヨウサと少年は同時に悲鳴を上げた。はっとお互いの声に気づいて、二人は顔を見合わせた。
「危ないじゃないの!」
「ごめんなさい!」
の声が再び同時に出た。
「あっ…」
また声が重なる。
ヨウサは、しまった、謝ってくれたのに、でかい声だしちゃった、と気まずそうな顔をした。ぶつかった少年は、怒った彼女を見て、気まずく思ったのだろう。同じように気まずい表情でヨウサを見つめていた。