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スルトの子  作者: 活字狂い
4/22

スルトの子 第三幕 灰色街のゆがんだ日常 後編







 それが何に似ているか。

 





 


 そう聞かれれば、見た人間の多くはこう答えるだろう。

 





  “饅頭”に似ていると。







  




 確かに、丸く少し平べったいそれは、饅頭に見えなくも無い。








 ただし色は黒く、その大きさは、バスと同じぐらいあったが
































  「う・・・・・・あ」









 それを見た途端、聖亜は自分の体を、悪寒と吐き気が走るのを感じた。







 がくがくと足が震える。立っていられなくなり、床に蹲った。間違いない、この感覚は彼が昨日感じたものと同じだ。











      そう、あの黒い世界で、人形に襲われた時に感じた、恐怖に








  蹲り、必死に吐き気をこらえる少年の先で、巨大な黒い饅頭はぐにぐにとその形を変え始めた。







 まず、饅頭に似た形が縦に伸びていく。バスの倍ほどの大きさまで伸びると、その左右に、ぶつぶつと無数の突起物が生まれ始めた。女子供や、気の弱い人が見れば卒倒するだろうが、幸か不幸か、聖亜は気絶することなく、その変化を見続けていた。






 生まれた突起物は、横に長く伸びていく。やがて、その先端からさらに細い突起物が四本出てきた。





「……っ!!」





 次の変化を見たとき、聖亜は声にならない悲鳴を上げた。伸びた体の真ん中に、縦にびしりと亀裂が入り、それはぐぱりと左右に広がった。








 その中に入っていたのは、幾重にも重なった、紫色にぬめぬめと光る、大きさが赤子ほどもある牙だった。







 饅頭、否、黒い化け物は自分の体に生えた口で吼えた。元々発声器官が無いのだろう、それは単に空気を振るわせただけだったが、化け物が吼えた瞬間、左右に生えた無数の突起物、すなわち化け物の黒い腕が、何かを探すように辺りに広がった。





 暫く闇雲に辺りを探っていた黒い手だったが、その一つが微かにバスに触れた時、散らばっていた他の手が、競い合うようにこちらに向かってきた。



「・・・・・・ひっ」



 震える体で何とか立ち上がると、聖亜は隣にいる運転手を持ち上げようとした。だが、その体はまるで座席に吸い付いたように離れない。それでも何とか助けようと懸命に引っ張ると、バスの前面に、黒い手がべたべたと張り付いてきた。



「・・・・・・くっ」






 一瞬運転手を見る。だが次の瞬間、聖亜は銃弾にも耐える強化窓を突き破って入ってきた無数の黒い手の、その僅かに出来た隙間に、体を強引にねじ込んだ。






 幸いな事に、彼の小柄な体は黒い手に、そして割れた窓ガラスに触れることなく、外に向かって転がり落ちた。






 ドスンッ






「うぁっ!?」






 地面の上をごろごろと転がる。転がり落ちた時に打ちつけた右肩が痛むが、どうやら折れてはいないようだ。せいぜい明日紫色の痣が出来るぐらいだろう。もっとも、明日まで生きていられたらの話だが。



 じんじんと痛む肩を押さえ、ふらふらと立ち上がる。巨大な黒い化け物は、胴体に出来た口でバスを噛み砕く作業で忙しいらしい。あれでは、運転手は生きてはいないだろう。





 それを横目で見ると、聖亜はゆっくりと歩き出した。この黒い世界に“端”があるかは分からないが、一先ずここから移動しなければ話にならない。








 だが、







 「あら、どこに行くのかしら、お嬢ちゃん」








 その動きを遮るように、前方から楽しげに笑う、女の声が聞こえてきた。


















「あなたがポーンとビショップの言っていた家畜? けどビショップの作り上げた穴だらけの“結界空間”とは違う、私の完全な“封縛空間”の中で動けるなんて・・・・・・特別変異か何かかしらね」







 声の持ち主は、首を軽くかしげながら少年に近づいてきた。その表情は分からない。いや、表情だけではない。彼女の顔すら、聖亜には分からなかった。







 なぜなら、彼女は人ではなかったから。顔ににっこりと笑っている笑顔を張り付かせた仮面を付け、両手の部分には、手の代わりに左右一本ずつ鋭い突撃槍ランスを装着し、腰から下には馬のように四本の足を持っている。





 まるで、ケンタウロスのような格好をした彼女の体には、所々に節目が出来ている。そう、昨日の人形たちと同じように。










「ふぅん、まあ良いわ。逃げも隠れも、抵抗すらできない羊を狩るのには飽き飽きしていたところよ。狐を狩るように・・・・・・いえ、そこまでは期待しないわ。せいぜい野兎を狩るぐらいには楽しませて頂戴」


 笑う人形の後ろから、先程の化け物が三体のそのそと歩いてくる。それにバスを食べ終えた一体が加わり、計四体の巨大な怪物が、聖亜を物欲しそうに眺め、その黒い手を揺らしていた。


「あら、あなた達は手を出しては駄目よ。“お楽しみ”がすぐに終わってしまうじゃない。さてと、ではせいぜい無様にお逃げなさいな。野兎ちゃん」









 化け物から聖亜に視線を移した人形の表情は、どこまでも明るい笑みを浮かべていた。









「うわっ!!」






 不意に、強烈な殺気が襲い掛かってくる。それを受ける瞬間、聖亜は咄嗟に横に跳んだ。半瞬、いや、四半瞬後、今まで彼がいた場所を、何かが物凄い勢いで通り過ぎた。





「へえ、中々やるじゃないお嬢ちゃん。さっきの突撃を避けるなんて」

「・・・・・・お、お褒めの言葉、どうも」




 相手の軽口に答えながら、聖亜は必死に逃げ道を探した。少しでも早く避ければ軌道を変えられ、少しでも遅く動けばその時点で刺し貫かれて死ぬ。そのためぎりぎりの所で動いたのだが、突撃自体は避けても、その風圧はまるで鋼のように、少年の体を打ちつけた。




「けれど、ふふ。肉体に受ける風圧自体は避けられないでしょう? その痛む体で、果たして後どれぐらい避けられるかしら」




 右から、左から、前から、後ろから、強烈な風圧を伴って、笑う人形の突進が繰り返される。その一撃一撃を聖亜は何とか避け続けていたが、四回目の突進を避けたところでがくりと膝をついた。小柄な体には、もうほとんど体力は残っていない。



「あはははは、こんなに楽しい狩りは本当に久しぶり。けど残念ね。どうやらこれでお終いみたい」




 突撃の姿勢を解いた人形が笑いながら近づいてくる。少年の前に立ち、左の槍で彼の服を刺すと、そのまま持ち上げた。諦めたのか、聖亜は俯いたまま人形の好きにされている。







「ねえ、何か最後に言いたいことはあるかしら。何でも良いのよ? どうせ、あなたはここで死ぬんですもの」




「・・・・・・死ぬ?」


「・・・・・・?」


「死ぬ、だって? 俺が・・・・・・じゃあ一つだけ」







 “死”という言葉に、少年の気配が変わった。今までのただ狩られるそれから、細く鋭い、突き刺すようなそれに。




 人形が笑顔を張りつかせたまま困惑する、その頭上で、聖亜は俯いていた顔を上げると相手を正面から見下ろした。










 その、細い瞳で。








「何であんたは、そう悲しそうに笑ってるんだ?」






「ッ!? あなた、私を侮辱する気!!」







 激昂した人形が、少年に向け右の槍を振り上げた、その瞬間、








 黒い世界を引き裂いて現れた白刃が、その槍を切断した。


























「ぐ・・・・・そ、そういえば、あなたがいたのよね、すっかり忘れていたわ。百殺の絶対零度」










 激痛と屈辱の中、人形は聖亜を放り投げると、槍を切断してゆっくりと立ち上がった白髪の少年を苦しげに呻き、だがその仮面に笑顔を張りつかせて睨みつけた。







 その視線に、彼は冷たく笑みを返していたが、ふと、傍らでぜぇぜぇと苦しそうに息を吐く少年に目を向けた。



「こいつ、また襲われたのか」

「ふん、まあどうせ我らの事など覚えていまい。さっさと終わらせて、また記憶を封じればいいだけだ」




 少年の足元で、いつの間にか現れた黒猫が興味なさそうに呟いた。だが、




「い、いや・・・・・・ちゃ、ちゃんと、覚えてるっすよ。助けてくれて、ありがとうございます」




 息を整え立ち上がると、聖亜は黒猫に向け、にっこりと微笑んだ。





「・・・・・・馬鹿な、我の“忘却の術”が効かなかっただと?」

「別に効果が無かったら無かったでいいだろう」

「し、しかしなヒスイ、我にも術に対する誇りというものがあってだな」







「・・・・・・いい加減にしてもらえるかしら」






 切断された槍を隅に蹴ると、人形は笑えを浮かべたまま怒りの声を発した。その声が届いたのか、右手に持った太刀を構えなおすと、少年は改めて人形を見た。







「片方の槍を失い、バランスが取れないお前に勝機は無い。諦めたらどうだ」






 少年の言葉に答えず、人形は残った槍を彼に向ける。と、その背後から黒い化け物が四体、前に進み出た。





「“集合種”の陰に隠れて自分は逃げ出すか。無様だな」

「あら、挑発のつもり? 乗ってあげてもいいけど、あなたの言う通り、バランスを欠いた状態で一対一でやり合うのは御免こうむるわ・・・・・・くっ」





 後ろに下がる人形に少年は追いすがろうとしたが、その行く手を阻むかのように化け物が三体、無数の黒い手を伸ばし始める。残りの一体は、どうやら痛みと疲労で満足に動けない自分を標的に選んだようだ。ゆっくりと、だが確実にこちらに迫ってくる。





 それを見て小さく舌打ちをすると、少年は聖亜の横にまで、一度下がった。







「たかが四体の集合種、大した敵じゃないけど」

「ふむ、だがなヒスイよ。この小僧はどうするつもりだ」




 黒猫の問いに、少年は暫く考えるように前を向いていたが、やがてため息を吐き、こちらを振り返った。



「な、なんっす・・・・・・むっ」



 突然、右頬に柔らかい感触がした。少年の手によって・・・・・・では無い。彼の両手は、それぞれ太刀と、そしていつの間にか握られた小太刀で塞がれている。だから、聖亜の頬にあたるこの柔らかな感触は、少年の手ではなく、



「あ・・・・・・う」



 少年の、小さく、そして柔らかい唇だった。






 その唇が触れていたのは、一秒にも満たないわずかな時間だった。青い瞳がすぐ近くにある。そう脳が認識した時、聖亜は少年の身体をどんっと突き飛ばしていた。




「な、い、いきなり何すんだ、このへ・・・・・・あれ?」




 顔を真っ赤に染め、怒鳴ろうと一歩踏み出し、聖亜はふと立ち止まった。今まで体中に纏わりついていた痛みと疲労が、綺麗さっぱりなくなっている。




「・・・・・・ヒスイよ、いいのか?」

「医療行為だ。それに足手まといになられるよりはましだ・・・・・・おい、これを貸してやるから、自分の身ぐらい、自分で護って見せろ」



 足元に、少年が投げた小太刀が突き刺さる。屈んでそれを引き抜いた時、白髪の少年はすでに化け物に向かって駆け出していた。同時に彼の反対方向から、無数の黒い手がこちらに向かって襲い掛かってくる。









「うわっ!?」






 這うように向かってくる手に、聖亜は慌てて小太刀を振り上げた。思ったより軽い。狙いを付け、足元にまで迫った黒い手に、小太刀の先端を思い切り突き刺す。




「うわ、とっと」




 少年がバランスを崩したのは、感じるはずの抵抗が、水を突いたように薄かったからだ。バスを突き破る手は、しかし簡単に引き裂かれ、千切られた部分がじたばたと暴れだす。しかしすぐにしゅうしゅうと嫌な音を出して消滅した。






「なんなんだ、この威力」

「小僧、呆けるな、次が来るぞ!!」





 すぐ近くから聞こえる黒猫の声にはっと我に返ると、今度は空中から襲い掛かる何本もの手に、慌てて小太刀を振り回した。すると、襲い掛かってきた黒い手が四本ほど、まとめて引き裂かれ地に落ちる。





「ふん、どうやら振り回す程度は出来るようだな」

「お、お褒めの言葉、どうもっす」





 しかし、黒い手はどれほど斬っても絶える気配は無い。どうやら後ろにいる本体が次々に生み出しているようだ。その猛攻に襲ってくる手を切り払いながらも、聖亜は壁際に徐々に追い詰められていった。






「ふん、だがもう追い詰められたか、情けない」

「う・・・・・・」

「しかし初めてにしては中々だ。まあ、少しばかり手助けをしてやろう。そこで見ているが良い、半人前の青二才」




 くくっと低く笑うと、黒猫は少年の前に進み出る。当然少年に襲い掛かる手は、その標的を変え黒猫に殺到していく。





「ちょ、危ないっすよ!!」


 慌てて駆け出そうとした聖亜は、手がいきなりあらぬ方向に伸びるのを見て、ふと立ち止まった。


「何を立ち止まっている、今のうちに本体を叩かぬか」




「へ? ああ、はい」



 取っ組み合い、絡み合う手の間を慎重に潜り抜けると、奥に佇む本体に、聖亜はえいっと小太刀を突き刺した。




 サクリ、と腕同様軽い手ごたえを感じたと思った瞬間、怪物は哀しげに喉を震わせ声にならない絶叫を上げると、ふっと掻き消えた。





「・・・・・・え? これで終わりっすか?」

「ふん、図に乗るな小僧。貴様の力ではない。小太刀“護鬼”の切れ味が鋭いだけよ」





 得意げに胸を張った黒猫が、右肩に飛び乗ってくる。伸し掛かる重みに僅かに眉をしかめると、聖亜はきょろきょろと周囲を見渡した。




「そういえば、あの変態はどこっすか?」

「・・・・・・変態とは随分な言い草だな。まあいい、あそこだ」





 黒猫が右を向く。黒猫の動きにつられ、同じく右を向いた少年の瞳は、それを見た。




 幾つもの黒い手が地を張って向かってくる。それを後ろに下がる事で避け、次の瞬間、ヒスイはぱっと横に飛んだ。前から迫ってくる手と、後ろから襲い掛かろうとした手がぶつかり、こんがらがる。





 それに目もくれず、少年は跳躍すると、無防備な一体を頭から切り裂き、続けざまに近くにいたもう一体を横に切断した。










 

 鬼だ









 自分の何倍もの大きさを持つ化け物を、いともたやすく殺す少年を見て、聖亜はふと、思った。










 星一つない闇夜に飛ぶ、どこまでも美しい鬼

















「ふむ、終わったようだな」

「へ? あ、ああ、そうっすね」


 どうやら、自分が手古摺っている間にすでに一体倒していたらしい。彼は黒く染まった太刀を一振りし、こちらに戻ってきた。




「ご苦労だったな、ヒスイ」

「別に苦労なんてしていない。それより・・・・・・誰が変態だ」

「え、あ、その」





 どうやら先程の会話が聞こえていたらしい。慌てふためく少年から小太刀を奪い取った時、





「あら、随分と早かったのね」





 暗がりから、人形がゆっくりと歩いてきた。




「ふん、これでお前を護る者は誰もいなくなったな」

「護る者、ですって? ふふ、あの子達は私が集中力を回復するまでの、単なる時間稼ぎよ」

「もう一度言って欲しいのか? 片腕を失ったお前に、もはや勝機は無い」




 少年の言葉に、人形はその表情にたがわずころころと笑い声を上げた。




「ええ、確かに片腕では分が悪いわ。けどね、まだ私は本気で走っていないのよ。ああ、それと、お嬢ちゃん」

「へ・・・・・・もしかして、俺っすか?」

「そう、さっきの質問に答えてあげる。私はね・・・・・・この姿にされてから、笑いたいと思ったことは一度も無いの。さてと、無駄話はお終い」





 人形が、ゆっくりと腰を下ろし、槍を構えると、





「さあ、この私・・・・・・“ナイト”の本気の突撃、受けて御覧なさい!!」






 その身体が、いきなり八つに“分裂”した。






「ッ!!」






 空気が爆発した。そう思うほど強烈な爆風と共に、前後左右から、ほぼ同時に八体の人形が少年に向かって襲い掛かった。





「くっ!!」




 向かってくる人形にヒスイは太刀を叩きつける。その一撃で人形は霞となって掻き消えるが、後ろから別の人形がぶち当たった。



「うあっ」




 前につんのめった少年に、左右からさらに人形がぶち当たる。どうやら分身自体に攻撃力は無いらしい。だが度重なる衝撃で、少年の体はふらふらとふらついてきた。





「ちょ、な、なんかまずくないっすか?」





 風で飛ばされそうになる猫を抱え、閉じそうになる瞼を必死に開ける。





「ふん・・・・・・小僧、貴様ヒスイを何だと思っている。あれぐらい、手古摺ってるうちにも入らん」

「へ?」





 とうとう片膝を着いた少年を見てか、彼の前方に、ナイトはすたりと降り立った。




「ふふ、どうやらもう動けないようね」

「・・・・・・」





「喋る気力も無し、か。あはは、中々楽しかったわ絶対零度。けど残念ね。これでお終いよ!!」



 相手を仕留められると確信したのか、ナイトと名乗った人形は分身を作らず、前足で地面をカッカッと掻くと、後ろ足に力を込め、膝をついている少年に向かって、一直線に突進した。







「・・・・・・ああ、お前がな!!」




 突き出された槍の穂先を小太刀で受け流すと、脇を走り抜けようとした人形の、その右前足を、少年は太刀でざっくりと切り裂いた。








「あああああああっ!!」


「これでご自慢の突進は出来なくなったな。足をやられた馬なんて、ロバにも劣る」

「ロバ・・・・・・ですってぇ!!」







 足を切られ、滑るように地面に倒れた人形が、笑い顔のままぎりぎりと少年を睨み付ける。その視線を受けた相手は、だがそれをさらりと受け流し、すずしげな顔で見返した。




「・・・・・・ふ、ふふ、まさか“緑界”の龍騎兵だったこの私が、こんな所で果てる事になるなんて、ね」





 諦めたのか軽やかに笑う人形を、少年はじっと見つめたが、やがて太刀を振り上げ、




「これで、一体目」






 人形の首めがけ、振り下ろした。












 キンッ










「っ!!」






 だが少年が振り下ろした太刀は、どこからか飛んできた黒い短剣に弾かれ、くるくると空を舞って遠くの地面に転がり落ちた。







「あははは、やるやる、さすがは絶対零度」

「何者だ、お前」




 痺れの残る手を振ると、小太刀を両手に持ち直し、くるくると踊るように舞う短剣を受け止めたその男を、少年はきつく睨み付けた。

























 黒い空の上には、何時の間にか灰色の月が生まれていた。










「やれやれ、手持ちの駒で一番強い物を出したのに、この程度とは、ねぇ」

「もう一度聞く。何者だ」





 怒りを隠さないで睨む少年に、男はにやりと笑うと、折れかかったガス灯からひらりと降り立ち、優雅に一礼した。







「さてさて、それでは自己紹介を。生まれは“青界”育つは“黒界”手につけた職は一級道化師、“仮装道化師”ドートスと申します。どうぞ、一夜限りの喜劇をご堪能くださいませ」






 その姿は、サーカスで見かけるピエロに瓜二つだ。赤と黒の縞模様の帽子を被り、端正な顔には白粉を塗りたくっている。襟首には初夏だというのに白いマフラーを巻き、緑色の服から出ている足は、その細い体に比べて異様に大きい。





「ドートス・・・・・・知っているか、キュウ」

「いや、知らぬ。我の記憶陣に埋め込んでいるのは、中級、上級、そして爵持ちのエイジャのみだ」

「なら、大した事はないか」





 口ではそう言いながらも、油断無く睨みつけてくる少年に、ドートスは大げさに首を振った。



「ああああ、そう警戒なさらずに。折角の劇がだぁいなしになってしまう。大丈夫、今日はただその“役立たず”を回収しに来ただけだからねぇ」



 役立たず、その言葉にナイトは反論しようと顔を上げたが、少年を仕留められなかったのは事実だ。何も言わず、笑顔の仮面でただぐっと俯く。それをにやにやと笑いながら見ると、道化師はぱちりと指を鳴らした。すると傷ついた人形の体が光り、彼が開いた手の中に吸い込まれていく。彼がにこやかに笑いながらこちらに見せたのは、所々破損している、チェスの駒だった。





「それが人形の正体か」

「そうさ、魂をチェスの駒に封じ込め、使役させる“トライアングル・チェスター”。こいつらは凶悪な罪人だって聞いていたんだけどねえ」




 ドートスはナイトの駒を茶化すように指で弾くと、緑色の服についているポケットの中から三角形の板を取り出した。破損しているポーンの隣に、ナイトの駒をぐりぐりと乱暴に差し込んだ。







「さて、用事も済んだ事だし、僕としてはこのまま帰りたいんだ・け・ど」

「逃がすと思っているのか?」

「だよねえ、ならどうする? ほらほらほらほらほらほらぁっ!!」

「その前に一つ聞く。お前が全ての元凶か」

「そうでぇす!! なら、やる事は一つだよね、ね、ね、ね?」

「なら、ここでお前を討てば、全て終わる!!」






 にこやかに笑う道化師を睨みつけ、、少年は小太刀を構え走り出した。だが、その刃が届く距離に近づいても相手は動かない。そして、刃が敵の胸を刺し貫く次の瞬間、





 彼は、ぱちんと、指を鳴らした。






 彼が指を鳴らした瞬間、小太刀はドートスの胸に当たり、だが貫くことができず、弾かれてぽとりと落ちた。







「うっ!?」




「言ったはずだよ、僕は仮装道化師だと。自分の肉体を好きなように変化させられる。鋼鉄に変化させれば刃なんて、通るはずがないよぉ? お・ば・か、さん」





 足元に転がる小太刀を拾い上げ、暫く指で弄んでいたが、やがて、つまらなそうに放り投げた。





「このままお暇する予定だったけど、どうやら君は御しやすい相手のようだ。結構。なら、今この場でぶち殺して差し上げよう」

「く、なめるな!!」




 無造作に投げられた黒い短剣を避けると、少年は小太刀に向けて駆け出した。だが、不意に何かに躓いたかのように前につんのめり、そのままごろごろと転がる。





 少年が見上げると、先程避けた短剣がふわふわと浮かんでいるのが見えた。再び襲い掛かってきたそれを右足で蹴り飛ばすと、短剣は、くるくると回りながら、“縦”に割れた。


「なっ」



幻想短剣イリュージョン・ナイフ。本当はもっと数を増やせるんだけど、無様に寝転ぶ君には二本で十分さ。それじゃ、さようなら、絶対零度」



 短剣が二本、その刃を白髪の少年に向ける。立ち上がろうとしたとき、少年の右足がずきりと痛んだ。見ると足首がかすかに裂け、血が滲んでいる。どうやら、先程躓いた時に浅く切られたらしい。




 傷自体は深くないが、一瞬、体勢が崩れた。







「あははははは、それじゃ、さようなら。愚かで馬鹿な玩具使い!!」



 道化師が鳴らした指に答え、襲い掛かる短剣が少年に突き刺さる、その瞬間、




「ちょっと待ってもらおうか」
















 冷たい声と共に振るわれた太刀が、短剣を叩き落した。











「・・・・・・おや? 誰だい君は」





「別に誰だっていいだろ。大体、こいつのすぐ後ろにいたっていうのに、手前、ずっと無視してたじゃねえか」

「あたり前じゃないか。玩具使いでも何でもない、単なる家畜一匹に、どうして目を向けなきゃならないんだい? 氏民であるこの僕が」





 聖亜が道化師と睨みあっているその脇を、黒猫が少年に駆け寄った。それを気配で感じると、彼は僅かに息を吐き、改めて道化師を睨みつけた。




「へぇ? なら何で手前は、その家畜一匹を殺せないのかねぇ。簡単だろ、手前の言うとおり、俺にはなんの力も無いんだから」



「ふん、言われなくたって、今す、ぐ?」





 不意に、ドートスは、自分の体が強張るのを感じた。





 別に何かされたわけではない。なら、何故動けない? 何とか目を動かし、目の前にいる家畜を見た。




 目と目が、ふと合った。








 そうだ、こいつの、この家畜の目だ。ただの家畜の単なる細い瞳が、自分を恐れもせず、侮蔑を込めて見つめてくる。体の底から湧きあがる、この感情、これは





「ふ、ふふ、ふは、ふはは、ふははははははは、僕が、この僕が恐怖を感じているだって? 単なる家畜に? ただ喰われるしか能が無い豚に? ふざ、ふざけんじゃねえよ!! お、俺が、この俺が家畜なんか怖がるはずねえだろうがっ!!」







 虚勢を張ってみるが、背中を滑り落ちる冷たい汗は嘘をつかない。




「ふ、ふふ、良いだろう、今日の所は見逃してやる。けど次にあったら容赦はしねえ。手前も、手前が後ろで護っている糞馬鹿玩具使いも、この俺様が、まとめて生きたまま貪り喰ってやる。覚えてやがれ!!」





 捨て台詞を一つ吐くと、道化師はガス灯からガス灯へと跳躍しながら、徐々に遠ざかっていった。













「あの・・・・・・大丈夫っすか?」



 道化師の姿が完全に見えなくなると、周囲が徐々に見慣れた景色に戻っていった。完全に戻ったのを確認してから、聖亜は後ろで俯く少年に太刀を差し出す。白髪の少年はぼんやりと聖亜を見上げたが、やがて息を吐き、彼が差し出す太刀を受け取った。





「キュウ」

「ふむ、何だ?」

「・・・・・・また、頼む」

「うむ、やっても良いがヒスイよ、こやつにはなぜか我の術が効かなかった。おそらく今度も効かぬだろう。ならば」

「・・・・・巻き込めというのか、一般人を」


「仕方ないであろう。記憶を封じる事が出来ぬ以上、我らの監視下に置いたほうがこやつの為だ。大体ヒスイ、そなた今日一日歩いて、奴らの巣窟どころか、それ以前に拠点と決めた教会すら見つけられなかったではないか」


「う」


 黒猫に睨まれ、少年は暫く考え込んでいたが、やがておずおずと立ち上がった。





「あ、あの」

「はい、何っすか?」

「さっきは、その、助かった」

「へ? ああいいっすよ別に。お互い様っす」




 パタパタと手を振る聖亜を前に、未だに迷っていた少年だったが、黒猫の視線に、諦めたように口を開いた。



「それで・・・・・・その、聞きたい、というより、復興街の中で、行きたい場所があるんだ、が」

「へ? あの、今からっすか?」




 嫌そうに顔をしかめた聖亜を、少年はむっとして睨んだ。




「いや、いやならいい。忘れてくれ」

「あ、違うっす、別に嫌じゃないっすけど、この時間帯結構危なくなる場所があるんすよ」

「小僧、お主先程の戦闘を見たであろう。人外と戦う我らが、単なる人間に後れを取ると本気で思っているのか?」




 ぶつくさと呟く少年に呆れてか、黒猫が白髪の少年の肩に飛び乗って、こちらを睨みつけてきた。その紫電の瞳に睨みつけられ、聖亜はやれやれと被りを振る。




「はあ、そうは思わないっすけど、けど出てくるのって人間だけじゃなく、化物も・・・・・・まあ、大丈夫とは思うっすけどね、それで、どこに行きたいっすか?」

「ああその、聖エルモ教会に行きたいんだが・・・・・・どうかしたのか?」




 不意に顔をこわばらせる聖亜を、少年は首を傾げて眺めた。白髪が、彼の動きに合わせてさらりと雪のように流れる。




「・・・・・・へ? ああ、いや、その、何でもないでっすよ、本当に、ええもう、まったく」

「?」


「と、とにかく、そこだったら大丈夫です、この時間帯、一番治安が良い場所にありますですから」





 変な敬語を使う聖亜を、少年は蒼い瞳で訝しげに見つめていたが、彼があたふたと歩き出したのを見て、ゆっくりとその後に続いた。




















 少年は、ヒスイと名乗った。







「えっと、ヒスイ・・・・・・何さんすか?」

「ヒスイ・T・D、だ」

「じゃあ、T・Dさ「ヒスイでいい」じゃ、じゃあ、ヒスイ、俺は、星聖亜っていいます」

「星、聖亜・・・・・・分かった。ところで、星」

「ああ、聖亜でいいすよ、何っすか、ヒスイ」

「聖亜、教会は、本当に“こっち”でいいんだろうな」







 先程の場所から三十分ほど歩き、今二人がいるのは、復興街の南、海に面している娼館や風俗店が立ち並ぶ、風俗区と呼ばれる場所だった。

 この辺りは比較的災厄の被害が少なかったらしい。ガス灯の明かりが周囲をぼんやりと照らす中、派手な化粧と薄い服を着た娼婦達が道行く男を黄色い声で誘っており、道の両端にある建物からは、時折甲高い嬌声が響く。



「え? ああ、こっちっすよ。ここら辺は災厄の被害が少なくて、けっこう教会とか残ってるっすけど、その中で聖エルモ教会っていうのは一軒だけっす」

「そう、なのか? それに治安が一番良いといったけど、その、やっぱり相当悪いと思うんだけど」




 居心地が悪いのか、時折もじもじとしながらヒスイは辺りを見渡した。パイプから紫色の煙を吸っている半裸の女が、二階の窓からこちらを見て笑いかける。慌てて目を逸らすと、路地裏に横たわっている幾人もの男の姿が見えた。




「けど、これでも治安は良いんすよ、ほら」





 人ごみの中、聖亜は一つの店を指差した。店の前では数人の男が娼婦達とげらげらと談笑している。ライフルを担ぐ腕には、自警団の文字があった。




「・・・・・・あれは?」

「自警団の奴らっすよ。つっても、今はここらを根城にする、単なるチンピラ集団っすけどね」




 最後の言葉は相手に聞こえるように言ったのか、女と話していた男の一人が、じろりとこちらを睨んできた。ウエイトレスの格好をしている聖亜を、商売女と勘違いしたらしい。にやにやと下品そうに笑いながら近づいてくる。だが聖亜の顔が判別できるところまで来た途端、男はぎょっとした様に後ずさり、そのまま一目散に駆けだした。どうやらその男がリーダーだったらしい。他の男も慌てて後に続く。






「何だ、あれ」

「さあ? けどひどいっすよね、人の顔を見て逃げるな「聖ちゃんっ!!」わぷっ」




 へらへらと笑っていた聖亜の顔が、いきなり抱きしめられた。



「やっぱり聖ちゃんだぁ、聖ちゃん、聖ちゃん」

「・・・・・・」

「う、ぷはっ、ちょ、かえで姉さん、苦しいっすよ」

「いいじゃんいいじゃん、こちとら薄汚れた男の相手ばっかで疲れてるんだからさ、うぅん、癒されるぅ」





 その娼婦は暫く聖亜の頭に頬を擦り付けていたが、ふと、不機嫌そうに佇むヒスイを見た。




「あらやだ、お友達?」

「あ、いや、友達じゃなくて・・・・・・こいつ、爺さんの知り合いらしいっす」

「そう、神父さんの」





 娼婦は暫くヒスイを眺めていたが、やがて、着いといでと、聖亜を抱えて歩き出した。












「これは」





 ヒスイは、目の前の光景を見て、呆然と呟いた。



 彼の目に映ったのは、崩れ落ちた建物の残骸だった。僅かに残っている建物の一部に、微かに十字架が彫られているが、それ以外はほとんど焼け焦げている。




「これは災厄・・・・・・でか?」

「ん? 違うよ、数年前の火事のせいさ。建物が皆焼けちまってねえ」





 残骸の上には、幾つもの黒い足跡がある。どうやら火事の後略奪に遭ったらしい。娼婦は悲しく笑うと、ふと、聖亜を気遣わしげに見た。



「その火事で、住んでいた神父さんもシスターも焼け死んじまって、残っているのは崩れた廃墟だけってわけさ・・・・・・ああ、もうこんな時間。ごめんね、そろそろ戻るよ」



 古い腕時計を覗き、女はひらひらと手を振って去っていった。だがヒスイの視線は、傍らで無言のまま佇む一人の少年に、ずっと注がれていた。















「それで、ここからどうするっすか?」

「さての、教会に泊まる事ばかり考えていたからな。その場所がないとなると、他に行く当てが無い」

「キュウ、何なら私は野宿でもいいが」



 あの後我に返った聖亜に連れられ、ヒスイとキュウと名乗った黒猫は、復興街を出て旧市街を歩いていた。復興街と違い、道は綺麗に整備されており、ガス灯のほか、所々に電柱や自動販売機が見える。






 結局、聖亜はバイト先に戻らずまっすぐ家に帰ることにした。一度家に帰ってからバイトに行くため、財布や携帯以外は全部家においてある。一応配達を完了したことを白夜に告げ(報告が遅いと、散々におちょくられた)、その時喫茶店には戻らず、直帰することも告げている。




「野宿って、ここら辺海に近いから、初夏でも結構寒いっすよ? 近くの民宿にでも泊まったらどうっすか?」

「そうしたいのは山々だけど・・・・・・その、お金が無い」






 恥ずかしそうにぽつりと呟き、ヒスイは胸ポケットから財布を取り出し、広げて見せた。聖亜が覗き込むと、中には綺麗に折りたたまれた百ドル札が二枚見えるだけだ。





「む、実はな、昼間こやつが食べ過ぎての」

「だ、黙れ馬鹿猫、それ以上言うと、その髭引っこ抜くぞ!!」

 

 頬を僅かに染め、逃げる黒猫を追いかけるヒスイを聖亜は暫く笑ってみていたが、彼が黒猫を捕まえたところで、パンパンッと手を叩いた。




「あはは、分かったっす。じゃあ、俺の家にでも来るっすか? 助けてもらったお礼もしたいっすから。ちょっと古いっすけど、まあ広いから、一人と一匹ぐらい楽に泊まれるっす」



「え、いや・・・・・・そんな事をしてもらう理由は「ふむ、ならばお言葉に甘えようかの」お、おいキュウ」






 腕の中でにやりと笑う黒猫に、ヒスイは呆れたように声をかけたが、



「黙れ未熟者、我はもう復興街の隙間の吹く安宿で眠るのは真っ平なのだ。大体散々吹っかけられて、そなた、宛がわれたのは薄い毛布があるだけのボロ部屋だったではないか」

「う・・・・・・わ、分かった。その、よろしく頼む」

「あはは、まあ、あの街じゃしょうがないっすよ。それじゃ、速く帰りましょうっす」








 すまなさそうに頭を下げるヒスイに手を振って、聖亜は何時間ぶりかの我が家に向けて歩き出した。



                                   






















































続く


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