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スルトの子  作者: 活字狂い
3/22

スルトの子 第二幕 灰色街のゆがんだ日常 前編

 







 夢を、見た






 誰かが、優しい子守唄を歌っている夢





 ねんねんころり ねんころり




 

 眠りなさいな 愛し子よ




  

 ねんねんころり ねんころり





 

 星たちが眠る 時間まで




 

 ねんねんころり ねんころり





 眠りなさいな 幼な子よ




 

 ねんねんころり ねんころり





 朝顔がおきる 時間まで





 





 歌っているのは若い娘だ。彼女は画用紙に一生懸命絵を描いている幼子を、優しい笑みを浮かべ見守っている。








 だが、その手が幼子の右手に触れた瞬間、








 娘の体は、赤く燃え上がった。




















































































 薄暗い部屋の中で目を覚ました時、聖亜は自分が泣いていることに気づいた。



“彼女”の夢を見るのは、本当に久しぶりだった。穏やかで優しく、切なくて寂しく、そして震えるほどに恐ろしい、そんな夢。






 ぼんやりとした意識の中周囲を見渡すと、ふと棚のところで目が止まった。小型の目覚し時計や、準に借りた本が散乱する中に、何枚かの画用紙が散らばっている。ここからでは、そこに何が描いてあるかは見えない。







 

 




  だが再び眠くなるまで、聖亜はその見えない画用紙を、じっと眺め続けた。









 




 太刀浪市西部にある灰色街の一角、通称蜘蛛の巣と呼ばれる入り組んだ雑踏区の片隅で、女はいつもと同じように雑貨屋を営んでいた。



 といっても、大した物は売っていない。布の切れ端や欠けた茶碗、良くてゴミ捨て場から拾ってきた、壊れた蒸気機械の部品がある程度だ。


 そんなものだから、客はめったに来ない。大体右を見ても左を見ても、同じような雑貨屋が軒を連ねているのだ。客がやってきても数十軒、いや、百軒以上ある店の中からこの店に客が来るなど、女は思ってもいない。

 




 それに第一、この雑貨屋は、カモフラージュでしかないのだ。




 だから、店を開けてまだ十分も経たないうちに、女は既に欠伸を繰り返していた。






「・・・・・・おや?」










 その少年を見たのは、今日何度目かの欠伸をした後だった。ジャケットとジーンズという、この街では高級な服を着込んでいる白髪の少年だった。ずいぶん整った顔立ちをしており、少女に見えなくもない。そのため、すれ違った男の何人かが、ときおり彼のほうを振り返っている。




 だが、あの程度の容姿なら、灰色街南部にある風俗区では中の上ということだ。それほど珍しいものではない。女が注目したのは、少年が歩いているのを見たのが、十分という短い間に、これで五回目だということだ。





「はぁん・・・・・・“川向う”からのお客かい」






 川向う、つまり灰色街の外から来た少年を見て、女は顔に出ないように、口の中で小さく舌なめずりをして値踏みした。周りの店のやつらも、同じようなことを考えているのだろう、少年にしきりに声をかけ、商品を薦めている。だが、少年は売り物をちらりと見ただけでそっけなく断ると、後は何かを探すように、きょろきょろと辺りを見渡しながら歩いている。





「道にでも迷ったかい? とすると・・・・・・くくっ、ついてるね。“一見”さんかい。それも、どうやら外国からのお客のようだ」


 足元に置いてある鍋を、コンコンと軽く三度叩く。しばらくして、奥で同じように三度、何かを叩く音が聞こえてきた。





 それを聞いてから、女は慣れた様子で作り笑いを浮かべた。





「坊ちゃん、そこを行く坊ちゃん、そう、あんただよあんた」





 自分を呼んでいることに気づかなかったのか、そのまま店を通り過ぎようとしている少年の裾を、女は慌てて掴んだ。





「・・・・・・私に何か?」






 青い瞳を不機嫌そうに細め、少年は女を見た。





「そうだよ。あんた、さっきから何をうろちょろしてるんだい? どこか行きたいところがあるなら、おばちゃんに言ってごらん。教えてあげるからさ」





 優しげな声を出し、女は内心でほくそえんだ。なるほど、やはり大当たりのようだ。男の癖に私、などというのは、金持ちの家に生まれた子供だけだ。



「・・・・・・」



「さ、どこに行きたいんだい? それとも何か欲しい物でもあるのかい? 大抵の物は見つけてあげられるし、若い女の子が欲しいなら、風俗区まで案内してあげるよ。ああ、お金が無くても心配は要らないさ。北の工場区に行けばいくらでも仕事は見つかるからねえ」



 命と引き換えにね、と内心で吐き捨て、さりげなく鍋を二回叩く。





「さ、言ってごらんよ」

「・・・・・・鎮めの森に行きたい」





 少年の言葉に、女は一瞬、そう、ほんの一瞬だけ、眉を顰めた。だが、すぐに作り笑いを浮かべる。





「おや、あそこに行きたいということは観光かい? 確かにあそこはいい所だよ。こんな所と違って、空気も澄んでるしさ。ああ、もちろん知ってるよ。あたしゃここに十年は住んでるからねえ。けど、こっちも商売だ。さ、教える代わりに何か買っとくれ」

「い、いや、買っとくれって、言われても」




 並べられている商品を、少年は気まずそうに見つめた。何か礼をしたいという気持ちはあるのだろう。そんな彼に、女は笑って手を振った。




「ああ、大丈夫だって。ここにあるのは、あたしらが使う生活品さ。さ、坊ちゃんにはこっちの方がお似合いだよ」




 笑いながら、足元にある箱を引っ張り出す。中には瓶に詰めた粉末やら、緑色の宝石をはめ込んだ小さな指輪などが入っている。が、そのほとんどは偽物だ。媚薬と描かれた小瓶の中の粉末は、単なる動物の骨を砕いたものだし、指輪についている緑色の石は宝石などではなく、そこいらに転がっていた石を塗ったものだ。




 箱の中身を見て、少年はまた気まずそうな表情をしたが、やがて、がさごそと物色し始めた。




「・・・・・・これをもらおうか」




 数秒後、彼が箱の中から取り出したものを見て、女は少年に気づかれないように軽く舌打ちした。それは所々黒ずんでいるが、桜の花の飾りがついた桃色の髪留めだった。女が舌打ちしたのは、これは自分たちが作った偽物ではなく、焼け跡から拾ってきた本物だったからだ。





(まあいいさ、どうせすぐに戻ってくる)




「ああ、いい物に目を付けたねえ。それはこの店一番の目玉商品さ。さる貴婦人が使っていたものでねえ。そうさね、二万・・・・・・といいたい所だけど、大まけにまけて一万。ドルだったら、円に換える手間もかかるから、百二十ってところだね」



 髪留めを袋に入れる女を一瞥すると、少年は小さくため息を吐いてから、胸ポケットに手をやった。しばらくごそごそとしていたのは、迷っていたからだろうか。だが、やがて、中からゆっくりと黒い財布を取り出した。




「・・・・・・」




 財布から、百ドル札が一枚、十ドル札が二枚出てくる。久々に見る大金に、周りの見物人が、どよどよとざわめいた。







 その連中を少年に気づかれないように睨んでから、女はにこやかに金を受け取ると、継ぎ接ぎだらけのズボンのポケットに、素早くねじ込んだ。


「ありがとうね、さ、これが商品だ。後、これはおまけ。胸にでも挿してごらん、女の子にきゃあきゃあ言われるよ・・・・・・ああ、約束だったね。鎮めの森は、あの角を曲がったところさ」


「・・・・・・」



 胸に白い花を刺した少年は、小さくお辞儀をしてから、女が指差した曲がり角に向かって歩いて行った。





「・・・・・・くくっ、馬鹿だねえ」




 少年の姿が完全に見えなくなってから、女は“いつもの”笑みを浮かべた。


 無論、先ほど教えた道は嘘だ。大体この蜘蛛の巣は、鎮めの森を囲むように広がっている。だからわき道に逸れれば、すぐに森が見えるが、女が教えた道の先は、単なる行き止まりだ。





「さあお前たち、仕事だよ、出ておいで。久々の上玉だ、逃がしたら承知しないからね!!」


 鍋をガンッと勢いよく叩く。と、店の奥から体格の良い、だが薄汚れた男が四人出てきた。



「おう、そいつ、そんなに上玉か?」


「ああそうさ。くくっ、かなりの別嬪さんだ。男色野郎に売れば、半年は遊んで暮らせるほどのね」


「へ、へへ、なあ、おいら、ちょいと味見してもいいかな?」


「いいけど、“壊す”んじゃないよ。安く買い叩かれるからね。さあ行きな! 目印は白髪と、胸に挿した雑草だ。あんな細いガキ、あんたらなら簡単だろ」


「あたぼうよ、おい、行くぞ手前ら」



 リーダー格の男を先頭に、四人はぞろぞろと歩いていく。それを見送ると、女は鼻歌を歌いながら、すぐにでも聞こえるだろう、少年の悲鳴を心待ちにしていた。



 だが、




「が、があああああ!!」

「ひ、やめ、やめええええええ!!」

「ぐふぇっ!!」

「わ、悪かった、わるっ、ぎゃあああああああ!!」

「な、なんだい、いったい!!」





 聞こえてきたのは、聞きなれた男たちの悲鳴と絶叫だった。


 慌てて行き止まりに向かう。そして、角を曲がった女が見たものは、






 辺り一面の、血の海だった。






「ちょ、どうしたんだい!! あんた達」



 女は慌てて近寄ると、ぜえぜえと呼吸するたび、血をごぽごぽと吐き出す男を抱き起した。




「が、ごぼっ、何が簡単、だ。や、奴は、化け、物」



 肋骨の一部が、体を突き破って出ている。肺を傷つけたのか、喋るたびにごぼごぼと口から血を吐いていた。

 男の隣では、顎を“失った”男が呻いている。他の二人も、それぞれ足と手を砕かれ、同じように呻いていた。


「くっ、あのガキは、あのガキはどこに消えたんだい!!」

「う・・・・・・鎮めの、ぐあっ」






 気絶した男を放り出すと、女は銃を取りに、店に向かって駆け出した。




「許さない、許さないよあのガキ!! 腕と足を切り落として、見世物小屋に売ってや・・・・・・な、何やってんだい、あんた達!!」





 だが、女の店は、十人ほどの男に物色されていた。皆ぼさぼさの髪と、灰色に濁った眼をしている。




「ちょ、やめな“鼠”共、そこはあたしの店だよ、やめろ!!」



 慌てて“鼠”を掻き分け、店に置いてある銃に向かう。だが、銃にもう少しで手が届きそうになった時、女の腕は横からガシッと掴まれた。




「「「「「「・・・・・・」」」」」」




「ひっ!?」



 何の感情も映していない、灰色の眼が、じっとこちらを眺めていた。




「女」

「金」

「女」

「金」

「ひっ、来るんじゃない、来るんじゃないよ化物けもの共!! ひっ、ああああああああああ!!」










 三日後、蜘蛛の巣の近くの排水溝、腐食した無数の死体が浮かんでいるところに、髪も目も、歯も手も足も何もかもが無い、男の死体が四体、浮かんでいた。








 女の行方は、未だに知れない。





 

 だがそれすら、灰色の街にとっては、いつもの光景にすぎなかった。




 

 明日も明後日も、どこまでも続く、ゆがんだいつもの日常に

 









































  高知県南西にある都市、太刀浪市たちなみし。周囲を山と海に囲まれ、かつて蒸気機械の一大生産地として栄えた都市は、今では別の理由から、日本、いや、世界中に有名になっていた。






  すなわち、災厄の起こった都市として。










  災厄、その名を聖夜の煉獄という。








 十五年前のクリスマス・イブ、その夕方、改装したばかりの総合病院を中心に、繁華街として賑わっていた都市西部を突如謎の大爆発が襲った。

 後の調査で、爆発は病院の地下で稼動していた大型蒸気機械の暴走・及び爆発、それに伴う、別の蒸気機械が次々に誘爆したためと発表されたが、人々は原因よりも、被害のあまりの大きさに戦慄した。すなわち、








 形が残っている死者、およそ五千


 形が残って“いない”死者、およそ二万

 








 当時の総人口の、実に二割近くを失った人的被害と、都市西部壊滅という経済的打撃を受けた都市は、十五年後、三つの街に分かれた。



 被害が無かった都市東部は、市外へ抜ける高速道路が走り、市役所や警察署・学校など、都市機能のほとんどを受け持つ新市街に、五万十川ごまんとがわが間にあった為、爆発による被害は無かったが、強烈な爆風による建物倒壊など、多少の被害を受けた都市中央部は、太刀浪駅を中心に、南には空港、西には太刀浪神社を中心とした観光通り、東にはジャストを中心としたデパート通りが広がっている旧市街に。



 そして、二つの街とは大川を挟んで隣り合う、災厄による壊滅的な被害を受け、現在も復興が続けられている復興街に。


 だが、復興はほとんど進まず、浮浪者や犯罪者がはびこるようになったこの街を、他の二つの街、特に新市街に住む人々は、侮蔑をこめこう呼んでいた。








 排煙と汚水にまみれた街、灰色街と。








「ここが鎮めの森、か」






 道端に蒸気を通す太い管やら、修理もされずに転がっている機械やらが散乱する中、頬にべっとりと付いた返り血を拭うと、ヒスイは目の前で口をあけている巨大な森を眺めた。





「うむ、聖夜の煉獄の中心地、かつては大きな病院のあった場所だ。それよりもヒスイ、あまりぼんやりとするな。先刻のような事になっても、我は知らんぞ」




 傍らにいる黒猫が指摘しているのは、男達に襲われた一件だった。無論“エイジャ”を狩る自分に、単なる人間がかなうはずが無い。男達は自らの軽率な行動の代償を、自らの体で償った。



「しかし、ふんっ、街中で騒ぎが起こっても誰も見向きもせんとは、かつて世界有数の機関都市の、これがなれのはてか」



 愚痴をこぼす黒猫の脇を、薄汚れた子供が数人駆け出して行く。その中の一人が跳ねた泥水をもろにかぶり、キュウは毛を逆立てて、大きく震えた。



「ふふっ、そうだな。そろそろ入るぞ」



 寒そうにくしゃみを繰り返す相棒を見て微笑すると、黒猫を抱き上げ、ヒスイは暗い森に向け、足を一歩踏み出した。




















 結局眠れなかった。






 目の下に真っ黒なクマをつけ、いつもは束ねている長髪をばらばらにした、まるで幽鬼のような格好で、濃い霧に包まれた通学路を、聖亜はとぼとぼと歩いていた。



 朝になると、地下から排出される水蒸気と海から来る霧に包まれ、旧市街は白く霞む。体に害は無いが、視界はすこぶる悪い。




 まとわり付く霧を払うように、聖亜はぼんやりと首を振った。




 彼は、感情が高ぶったり、変に気落ちしたりすると、一睡もできなくなるという悪い癖があった。



 原因は分かっている。昨日の騒動のせいだ。はっきりとは覚えていないが、黒い世界で人間を襲う二体の人形、その人形を軽くあしらった白い少年、黒い獣に、黒い猫。





 最初は悪い夢だと思った。だが、洗面所で顔を洗って、目の前の鏡を見た瞬間、現実にあった出来事だと確信した。







 そう、首に付いている、紫色の痣を見て。







 その部分を、聖亜は歩きながらしばらく擦っていた。そしてそのまま、角を曲がった時、



「うわっ」



 霧の中、道の端にいる黒い物体が視界に飛び込んできた。あれは、昨日の



「カァ」

「・・・・・・へ?」


 その鳴き声に、凍り付いていた少年の体は、一瞬で氷解した。


「な、なんだ、カン助じゃないっすか」



 そこにいたのは、一羽の烏だった。右目が潰れており、体にも所々古い傷跡があるため、聖亜はこの烏を武田信玄に仕えた山本勘助にちなみ、カン助と呼んでいた。




「けど、珍しいっすね、カン助がこっちに来るなんて」



 他の都市と同様、太刀浪市にも無論烏はいる。だが、彼らの縄張りは山の中だ。どうやら、山腹にある荒れ寺を住処にしているらしい。聖亜の通う学校は、その山の近くにあるため、よくこの烏から食べ物を奪われていた。


 カン助と呼ばれた烏は、首を傾げる少年を一瞥すると、やがて歩き出した。が、数歩歩くと、立ち止まってこちらを振り向く。飛ぶ気配も無い。ついて来いということだろうか。



「えっと、何すか?」


 いつもより早く家を出たためか、まだ時間に余裕はある。烏の後をとことことついて行くと、烏は隅にあるゴミ捨て場で立ち止まった。


「いったい何が・・・・・・あ」



 ゴミ捨て場の隅にいたのは、右の羽に矢が刺さった一羽の烏だった。


「ひどい・・・・・・誰がこんな事を」


 慌てて駆け寄ると、その烏は途端に騒ぎ立てた。カン助と違い、あまり人間になれていないのだろう。だが、カン助が甲高い声で鳴くと、びくりと停止した。


「大丈夫、矢を抜くだけだから」


 矢が変なところを傷つけないように腕で烏を押さえると、ゆっくりと矢を引き抜く。痛みで暴れる烏の羽が顔にビシビシと当たるが無視し、最後は一気に引き抜いた。





「これでよし、ちょっと待ってろ、今包帯を巻くから」





 もしもの時に備え、バッグの中には包帯や絆創膏が入っている。念のため、薬は使わない。きつくない程度に巻いてやると、それを見届けたカン助が、カァっと一声鳴き、空に飛び上がった。それに続き、もう一羽もよろよろとした様子で、慌てて飛び上がる。


「じゃあ、気をつけて帰るっすよ」


 飛び去っていく二羽の烏を、いつものふにゃりとした表情で見送ると、不意に睡魔が襲ってきた。





「あぁもう、なんかすっげえ眠いっすね」




 眠気を追い払うように首を振り、かくんと頭を垂れ、少年は再び学校に向けて歩き出した。















 


その場所は、外と比べ静寂に満ちていた。






 一人と一匹が歩く小道の両端には、白い小石が所狭しと敷き詰められている。







 まるで、墓石のように











「空気が重いな」


「・・・・・それだけではない。生き物の気配が全く感じられん。まるで」







 まるで、この世が終わったあとの景色のようだ。

 声に出さずに、口の中だけで呟くと、黒猫は周囲を見渡した。








「爆発の原因は分かっているのか?」

「表向きには、病院の地下に設置されていた、大型の蒸気機関が爆発したことを発端とする連鎖的爆発という事だが」





 口を閉ざし、自分の言葉を否定するためか、黒猫は、ふるふると頭を振った。




「そんなはずは無い。都市の三分の一を吹き飛ばす爆発など、いったいどれほどのエンジンが爆発したというのだ。それに他の機械の誘爆にしても、時間に差は出るはずだ。だが」




「ほぼ同時に、爆発は起こった・・・・・・そこにいる人々が、逃げる間もないほど、唐突に」





「うむ、だからこそ、ここに住む者は、災厄に煉獄という名を付けたのだ。その名前の、真の意味も知らずにな」






 いつもより、彼らの口数は多い。無理も無い。そうしなければ彼らでさえ、とても耐えられないのだ。





 総合病院の跡地、災厄の中心地に作られた、この森の雰囲気に。







「じゃあ、やはりあの爆発は、奴らの・・・・・・と、着いたようだな」



 不意に、彼らはぽっかりと開いた空間に出た。







「・・・・・・気付いているか、ヒスイ」



 ふと、黒猫が低く唸った。



「ああ、まったく、何が“澄んでいる”だ、濁りきってるじゃないか」




 頷いて、首を右に逸らす。半瞬後、今まで首があった場所を、何か冷たい物が通り過ぎた。



「ふん、スフィルにもなれぬ死霊の集まりか、どうする? ヒスイ」



「・・・・・・見過ごすわけには行かないだろう」



 胸ポケットからペンダントを取り出したヒスイを見て、黒猫は、呆れて首を振った。






「やれやれ、死霊を相手にするなど面倒なだけだ。これからの事を考えれば、体力の消耗は控えたほうが良いのではないか?」


「分かっている。けど、このまま放置していれば、こいつらはもっと数を増やして、終いには街に溢れ出す・・・・・・それに」






 辺りに漂う死霊の群れを見渡し、ヒスイは青い瞳を哀しげにふせ、沈痛な表情を浮かべた。彼らは皆、苦悶と絶望の表情をし、飢えている。







「それに、早く開放してやりたい」



「・・・・・・ふふ、相変わらず“こういった存在”には優しいの、我が愛しい未熟者よ。先程の男達など、弁明する機会も与えなかったくせに」

「黙れ、私はああいう、自分を律する事のできない奴が一番嫌いなんだ。とにかく、さっさとやるぞ」







 黒猫の軽口に不機嫌そうに言い返すと、ヒスイはペンダントから現れた“それ”を、一気に引き抜いた。
















 柳準やなぎじゅんは、その端正な顔を嫌悪感たっぷりに歪ませ、目の前でだらだらと喋る男を睨み付けた。





「何度も言っているだろう、断る」


「だぁかぁらぁ、こっちも何度も言ってるじゃないか。僕の父は大会社の社長で、しかももうすぐ市議会議員になる。その息子であるこの僕と付き合えば、いろいろと贅沢をさせてあげるよ」







 にやにやと下品に笑う男の目は、先程から、自分の胸に注がれていた。



 吐き気がする。





 中学の時は、一人を除き、病持ちの自分に話しかけてくる男はいなかったくせに、中学の終わりごろに病が完治し、急に育ち始めたこの胸のせいで、彼女はこのごろ三日に一度は必ず告白された。しかも、その全員が、不機嫌そうな自分の顔ではなく、大きく育ったこの胸をにやにやと下品な顔で見るのだ。






 見られている方の気持ちなど、考えもせずに。




「悪いが、私は贅沢なんて興味ないし、お前にはもっと興味が無い」




 そう、自分に触れていい男は一人だけだ。彼のために、自分は女である事を受け入れたのだから。


 きびすを返し、学校に向かおうとした彼女の肩を、男は慌てて掴んだ。




「ちょ、ちょっと待てよ、話はまだ終わってねえぞ!!」

「・・・・・・離せ」



「ふん、知ってるぜ、お前の男って、あのへたれだろ、あんなちびのどこがいいんだか。大体、あいつ今は下町に住んでるけど、本当は灰色街の出身だってうわ」





「離せと言っている!!」




 めきょっと音がして、振り向きざまに蹴り上げた右足が、男の股間に食い込んだ。



「・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・がっ」





「私の“唯一”を侮辱するなら容赦はしない、まあ、あいつが聞いたら、その時点でお前の命なんざ無くなってるだろうがな」




 口から泡を出し、がくがくと崩れ落ちる男を無視し、準は再び歩き出したが、男の体が完全に見えないところにくると、強く舌打ちをした。







「・・・・・・潰れなかったか」



 










「ん?」




 準が彼に気付いたのは、もう少しで学校に着く時だった。自分の前方を、誰かがふらふらと歩いている。小柄で、伸ばした髪があたりに散らばってる少年の姿を見て、先ほど下卑た男に告白された時とは打って変わって、準は嬉しそうに笑った。




「せぇい、こんな所でなにやってんだよ」

「うわっ、じゅ、準、重いっすよ」





 少女に思いっきり伸し掛かられ、聖亜はばたばたと手足を動かした。その拍子に、小さな頭が準の胸の間にすっぽりと挟まる。




「お、おい、こんな所で・・・・・・ふふ、なあ、このまま一緒に学校に行くか? って、何だよ聖、お前、目の下真っ黒じゃないか」


「や、その、大丈夫っすよ? その、あんまり、眠れなかっただけっすから・・・・・・ふぁっ」

「眠れなかったって、お前な・・・・・・ほら、さっさと学校に行って寝ろ。ふふ、それとも」



 胸の中で欠伸をされるくすぐったさに笑いながら、準はますます少年を抱きしめ、彼の髪の毛に唇を落とした。




「それとも、学校なんかサボって、近くの公園で私と一緒に寝るか?」

「え? い、いやその、が、学校に行って寝るっす」

「なんだよぅ、あの女の方が良いのかよぅ」





 可愛らしく口を尖らせると、準は少年を抱きかかえたまま、学校への道を歩き出した。




 




 二人が通う学校である市立根津高等学校は、旧市街の北に広がる山脈の麓にある。元々は明治初期に建てられた師範学校を改築したもので、それから百年以上、生徒達を受け入れ、そして卒業させていった。




 だが、戦後幾度か改築をした建物も、老朽化が進み、十年ほど前にそれまでの校舎の隣に新しく校舎が建てられた。以来生徒達は第二校舎と名づけられた新校舎で学んでいるが、第一校舎と呼ばれるようになった旧校舎は取り壊されずに残っており、屋上にある、師範学校時代にイギリスから送られた記念の鐘「平和の鐘」も、鐘楼の中にしっかりと安置されている。





「まったく、眠れなくなったらすぐ来いって行っただろうが」

「あう、す、すいませんっす。氷見子ひみこ先生」



 第二校舎の一階、その右端にある保健室の主、兼聖亜の担任である植村氷見子うえむらひみこは、ベッドに横たわる生徒を見て、呆れたようにシュガーチョコを噛み砕いた。


「ま、一時限目はあたしの授業だから、ここでゆっくり寝てな。けど、二時限目からはしっかり出席するんだぞ。とくに、三時限目は口うるさい教頭の授業だ。お前が遅れたらあたしが説教されるんだ。だから、絶対に出ろよ。いいな」



 癖のある黒い長髪をがしがしとこすっていた氷見子は、不意ににやりと笑って立ち上がると少年ににじり寄った。



「・・・・・・それとも、この前の話、受けてみる気になったか?」

「えっと、この前の話っていうと」



 自分に伸し掛かってくる、獲物を狙う美しい雌豹を見上げ、聖亜は顔を真っ赤にして目をそらした。



「だからさ、あたしの婿になるって話。学校なんか中退で大丈夫だって。姉貴も妹も、そんなの気にしない奴らだから、さ」


 白い頬をなぜられ、準よりさらに大きな胸を押し付けられる。その胸を押し返そうと、しばらくもがいていた聖亜のその瞳が、ふと細まった。



「・・・・・・すまない、氷見子。もう少しだけ考えさせてくれ」






 先程までの弱々しいそれとは違う、鋭く凍てついた視線が、自分に容赦なく突き刺さってくる。本当に親しい人間か、容赦しない敵にしか見せない少年の、それが本質だった。



「うあ、わ、分かった、じゃ、じゃあ、あたしは行くから、ちゃ、ちゃんと眠れよ」




 体の底から湧き上がる恐怖と、特別と思われている事への悦びから、保健室を出た彼女の体は、がくがくと震えだした。








 







  子供は、今日も泣いていた。





 自分が何でここにいるのか、子供には分からない。覚えているのは、強烈な熱さと痛み、それが過ぎ去った後に訪れた、どこまでも続く寒さと寂しさだった。





《熱いよう、怖いよう、お母さん》




 暗い地の底で、子供は他の“人”達と一緒に、ぐるぐると渦を巻くように動いていた。だが、ある日上から、僅かなな光が差し込んだのだ。






 その光の向こうに、母親はいる。そう思った子供は、周りの“人”と一緒に、光の中に飛び込んだ。






 だが、光の中に出た子供を待っていたのは、母親の温もりなどではなく、先程まで感じる事の無かった、圧倒的な飢餓だった。








 飢えと孤独に苦しむ霊は、死霊になりやすい。その例に漏れず、子供の霊も何時しか死霊へと変化していった。



 その日も、半ば死霊と化した子供は、耐え難い飢えを満たすために、獲物が来るのをひたすら待っていた。




 そんな時だ。







 リンッ







 誰かに呼ばれたのは。










 熱が自分を包み込む。だが、それはかつて子供が体験した地獄の業火ではなく、むしろ、母親の抱擁に似た、柔らかな温かさだった。







《お母さん?》





 リンッ、リンッ





 困惑しながらも、自分を呼ぶ声に、ゆっくりと近づいていく。その先に、ぼんやりと誰かの姿が見えた。





《ああ、お母さん!!》





 子供は、目の前にいる母親に、胸を嬉しさでいっぱいに満たし、抱きついた。














「・・・・・・・・・・・・ぐっ」






 漂う死霊の群れ、その最後の一体をペンダントの中に吸い込むと、ヒスイはがくりと膝をついた。だらだらと脂汗が流れる。吐き気がする。強く噛み過ぎたのか、唇の端から赤い液体が一筋、流れた。




 ぶるぶると震える手から、先程まで鳴らしていた金剛鈴が、ぽとりと落ちた。







「無事か、ヒスイ」

「ああ・・・・・・けど、三百の死霊は、さすがにきつい、な」


「まったく、刀で祓えばいいものを。ヒスイよ、そなたなぜいつも自分の肉体を痛めつけるのだ」

「うるさい・・・・・・刀では、駄目だ。刀では、彼らがまた、苦しむ」





 ヒスイが行ったのは、いわゆる浄化と呼ばれるものだった。死霊を鈴の音色で引き寄せ、己に取り込む事でその苦しみと絶望を肩代わりし、昇天させる。もちろん、自分の体ではなく道具を使うが、それでも三百という数は、その反動だけでも並大抵のものではなかった。



 何とか息を整え、がくがくと震える足で立ち上がると、ヒスイは前方にある巨大な樹に目をやった。先端が二又になっている大きな杉の木だ。この辺りが吹き飛んで一年後、最初で最後の鎮魂祭を執り行った時、屋久島から樹齢八百年の杉の木を取り寄せ、鎮魂樹として植えたものらしい。元々二又木は神木としてあがめられている。それが“穴”を塞いでいる限り、死霊など生まれないはずだが。





「ふん、穴を無理やり塞いだ代償か? 見ろ、根の一部が腐れている」

「・・・・・・キュウ、修復はできるか?」

「うむ、少し待て」




 根を見つめる紫電の瞳が、金色に輝く。やがてその光が治まると、黒猫はほっと息を吐いた。



「これで良し。半ば死んでいた細胞を活性化させた。もう死霊は吹き出ないし、後二,三日で切り口も塞がるだろう」



「そうか・・・・・・ありがとう」




 疲れたのか、目をぱちぱちと動かす黒猫を、ヒスイはゆっくりと抱き上げた。



「まったく、我らの使命は、奴らの討伐だというのに。ヒスイよ、以前指摘したと思うが、そなたは使命と情に挟まれれば、どうも情に流されやすい。未熟者の証拠だ」




 その胸に抱かれ、黒猫はしばし愚痴をこぼしていたが、やがて、ゆっくりと目を閉じた。





「自分が未熟なのは、自分が一番良く知っている。それでも」







 眠りについた黒猫をそっと降ろし、ヒスイはゆっくりと杉の木に歩み寄った。見下ろすと、丈の長い草に隠れている、小さな鉄板が目に映った。







「・・・・・・」



 胸に挿してある白い花を引き抜くと、その上にそっと置く。そのまま、ヒスイは鉄板に刻まれた文字を、指でゆっくりとなぞった。







「それでも、私は戦う以外の道を知らない。他の生き方なんて出来ない。だから」






 立ち上がり、ゆっくりと頭を下げた。






「だから、安心して眠ってください。災厄は、二度と起こさせませんから・・・・・・絶対に」





 顔を上げた時、ヒスイの青い瞳は、両方とも微かに滲んでいた。





 ヒスイ達が立ち去った後、杉の木の葉が、ざわざわと揺れた。









 一筋の風も、吹かなかったのに。















 聖亜が目を覚ましたのは、二時限目が終わった直後だった。授業の終わりを告げる鐘の音がぼんやりした頭に響く。どうやら、二時間ほど熟睡できたらしい。氷見子先生の姿は見当たらないが、枕元にジャムパンが置いてあった。それを見て急にお腹が鳴る。そういえば、朝からほとんど何も食べていない。





 ジャムパンをかじりながら教室に向かうと、窓から外の景色が見えた。山の近くという事で、あまり広くないグラウンドから、クラスメイトが次々に校舎の中に入っていく。その中に準達の姿を見かけ、そういえば、今日は持久走の試験があったな、などとぼんやりと思いながら、角を曲がった時、



「うわっ」

「おや?」



ドンッと、誰かとぶつかった。



「あ・・・・・・す、すいません、校長先生」


「ああ、いえいえ、いいんですよ。君は・・・・・・確か、星君でしたね」







 ぶつかった相手は、腹の突き出た五十歳ほどの男だった。狸山六郎たぬやまろくろう、ここ根津高等学校の校長を務めている。朗らかで優しく、多少の校則違反は見逃すため、生徒からの評判はまずまずだ。




「植村先生から話は聞いています。いいですか、体調管理はしっかり行ってくださいね。健康第一、ですよ」








 笑いながら去っていく校長を見て、聖亜はほっと息を吐いた。





 確かに、“甘い”校長ではあるが、自分はどうもあの先生が苦手だった。まるで、内心を隠し、笑顔の仮面を無理やり張り付かせているような、そんな感じがするのである。





 ぼけっとしている聖亜の耳に、授業五分前を知らせる鐘が響いた。慌てて残りのパンを口に押し込むと、少年は教室に向かって駆け出していった。










「先週も説明したとおり、イギリスで第一次産業革命が起こると、ワットの手により蒸気機関の雛形、すなわちプロトタイプが作られ」






 厳しい声が、しんと静まる教室に響く。この授業で、というより、この教師の前で私語をする生徒はいない。もし私語をしたら、その生徒の昼休みと放課後は無くなってしまうだろう。






「蒸気は、長い間代替品が見つからなかった事もあり、二百年以上の間主要なエネルギーとして活躍してきた。現在は米国で開発された電気が主流となっており、次世代のエネルギーとして、ガス、及び原子力が注目されているが」






 声の持ち主は、四十台後半の厳しい顔をした男だった。鍋島進なべじますすむ、彼は教頭を勤める傍ら、こうやって世界史も教えている。









「だが、世界の約半分の国々、特に中東のペルシア連邦やアフリカは、未だに蒸気と、そしてそれを動力として動く蒸気機関に頼っているのが現状だ。それはなぜか・・・・・・星、答えなさい」






「え? あ、はい。えっと、気化石の発明があったからです」





「その通り。正解なのだから、もっと堂々と答えるように」





 びしりと釘を刺され、聖亜はすごすごと席に座りなおした。どうもこの教頭は、校長とは別の意味で苦手だった。





「日本人発明家、黒塚鉄斎により発明された気化石が、世界に与えた影響は大きい。なぜなら、この石一つで石炭の数十倍のエネルギーを生み出す事が可能で、さらに排出されるのは、人間の体になんら害を及ぼさない水蒸気だ。だが、これが発明された当初は、そのあまりのエネルギーに絶えられる蒸気機械は存在せず、そのため耐久性を中心に、蒸気機械は次々に強化されていった。その例が、今でも空を飛んでいる装甲飛空船の開発だが、第一次蒸気大戦中は、この飛空船に武装を積み込み・・・・・・」




 それでも、聖亜はこの先生が嫌いではなかった。確かに厳しいが、それは生徒を思ってのことであり、彼らを好きにさせている校長とはまるで違う。





 話し続ける教頭の顔を眺めていると、やがて授業終了を告げる鐘の音が聞こえてきた。






「よう聖、今日遅かったじゃねえか」

「そうそう、なにやらかしたんだよ」




 四時限目が終わり、学生食堂に来た聖亜に、二人の男子生徒が話しかけてきた。

「何でもないっすよ、秋野、福井」

「ったく、何でもないなら持久走サボるなよな」

「そう言うなって秋野、どうせ、保健室で植村先生といちゃついてたんだろう」





 金髪の男子、秋野茂あきのしげるが、スプーンを咥えたまま愚痴をこぼすと、その隣で、二杯目のカツ丼を頬張っていた福井敏郎ふくいとしろうが、にやにやと笑いながら茶々を入れた。



「別にそんなんじゃないっすよ。って、そういえば福井、何か昨日と髪型変わってないっすか?」

「おいおい、気付くのが遅いぜ、聖ちゃんよ」





 笑いながら、福井は自分同様、長く伸びた髪をさらりと撫ぜる。確か昨日まではアフロだったはずだ。





「なあ、聞いてくれよ、聖。敏郎の奴、また彼女変えたんだぜ」

「ああ、それで」

「おいおいしげちゃんよ、誰も彼女を変えてなんかないっての。ただ、もう一人増えたってだけ」

「・・・・・・これで何人めっすか、福井」





 へらへらした友人を呆れたように眺め、聖亜は二人の向かい側に座った。この大男はなぜかもてる。女好きで軟派な性格だが、彫りの深い顔つきと、体格がいいくせにお菓子作りが趣味のためなのだろうか、女子と話しているのを良く見かける。




「そんなの三人から数えてねえよ。何だ二人とも、女が欲しいのか? ならさ、今度合コンしてみねぇか? お膳立てぐらいしてやるぜ」

「お、それいいな。なあ聖、お前も」



 笑いながら自分のを見た秋野の顔が、びしりと固まった。



「ん? どうしたっすか? 秋「聖をくだらない事に巻き込むんじゃない。このデコボココンビ」あ、準」



 褐色の肌を持つ女子生徒が、何時の間にか自分の後ろに立っていた。縮こまる二人を一瞥すると、準はいつもの席、つまり聖亜の隣に腰を下ろした。



「ほら、お前の分」

「あ、ありがとっす、準」


 渡されたチャーハンに、早速蓮華を伸ばす。はふはふとおいしそうに食べる少年を幸せそうに眺め、準もラーメンに取り掛かった。


「ちぇ、なんだよ柳、デコボココンビって」


「実際にデコボココンビだろ。まったく、福井、合コンなんて言葉、栗原が聞いたらめちゃくちゃ言われるぞ」

 げっと大げさに飛びのき、百八十に近い長身の福井は、おそるおそる辺りを見渡した。だが、そこに彼らのクラス、一年E組の鬼のクラス委員の姿はない。


「おいおい、あんまり福井を脅かすな。栗原の奴、今日はソフトボールの県大会で公欠だろ」




 親友の慌てる姿を見て、聖亜よりは幾分背が高いが、それでも百七十に届かない秋野は、二人に向き直った。


「まあ、合コンの話は置いといて、それより、そろそろ七夕が近いだろ? 恒例のパーティー、今年もやろうぜ」


「恒例って、まだ去年一回しかやってないじゃないすか。まあ、いいっすけどね。準もどうっすか?」


「ん? ああ大丈夫だ。けど福井、お前当日は“ナヌカボシ”で忙しいんじゃなかったのか?」


「へ、ありゃ元々寺の仕事だ。それを親父の奴、神社でもやるなんて言い出しやがって」


 ふてくされながら、三杯目のカツ丼に手を伸ばす神主の息子を見て、準は呆れたように頭を振った。












「それでヒスイよ、これからどうする?」





 お昼時、鎮めの森を離れたヒスイ達は、再び蜘蛛の巣を歩いていた。街は相変わらず灰色の煙と汚水に包まれ、じめじめと蒸し暑い。




「そうだな、まず拠点に決めた場所に行こう。そこで休んだ後、この街を中心にエイジャを探す」

「ふむ、ならば問うが、なぜこの街なのだ?」




 黒猫の問いかけは、疑問を投げかけるというより、生徒の答えを確認する教師のような口ぶりだった。



 

「先日の“狩り”を見ると、奴らはこの都市で人を襲う事に慣れていた。つまりすでに何人かの犠牲者は出ている。けど新市街、それに旧市街に住む人々は、皆警戒している様子は全くなかった。なら」



 路上に並べられた、縄だか紐だか分からない細長い物をまたぐと、それを並べていた男がじろりと睨んできた。



「人間が消えてもおかしくない、この歪んだ街で狩られているということか、ふむ、五十点」

「随分と厳しい評価だな」


 ヒスイが苦笑すると、キュウはまだまだだな、と呟きながら首を振った。




「この街を狩場に選んだのなら、なぜわざわざ川の向こう側、旧市街に出現した? 奴らの目的は不明だが、なぜ気付かれる危険をわざわざ選ぶ?」



「それは必要な数をそろえるためか、旧市街でなければならない理由があったのか」




「狩りを終えたのなら、奴らは速やかに次の行動に移る。つまりそこでなければならない理由があったのだ。つまり、再び旧市街で狩りが行われる可能性が高い」





 話を続けている黒猫のお腹が、クウと鳴った。




「どういう理由にしろ、人間を襲ったエイジャを討つことに変わりはない。それより“教会”に行く前に何か食べよう。朝から歩き通しだからな、さすがにお腹が空いた」





 小さく笑い、きょろきょろと周りを見ると、さほど遠くない所に、一軒の“めしや”が見えた。














 旧市街で人気のスポットはどこか。そう聞かれたら、皆三つの場所を答えるだろう。デパート通り、神社前の土産物売り場、そして、喫茶店が軒を連ねる空港前、通称空船通り(そらふねどおり)を。


 夕日が射す中、空船通りの一角にある二階建ての喫茶店「キャッツ」で、ウエイトレスはうんざりした顔で給仕をしていた。



「聖ちゃ~ん、お水頂戴」

「あ、ずるいぞお前、ちゃんと注文しろよ。“聖華”ちゃ~ん、俺はオレンジジュースね」



 カウンターが1つ、他にテーブルが五席あるだけの小さな店内は、今日も客(大部分は男)で混み合っていた。メニューが豊富で、しかもお手ごろ価格という事もあるが、それ以上に彼らが楽しみにしているのは、この店の看板娘を見ることにあった。いや、正確には、“娘”ではないが。





「・・・・・・はぁ」



 その看板娘(?)で、黒い猫耳と同じ色の尻尾をつけた小柄なウエイトレスは、客を一通りさばき終え、物陰でげっそりと息を吐いた。






「あらら、な~に勝手に休んでるのさ、看板娘のせ・い・かちゃん」


「・・・・・・まつりさんまで、ちゃん付けで呼ばないでくださいっす、気持ち悪い」



 聖華と呼ばれた少女、つまりウエイトレスの格好をさせられた聖亜が愚痴をこぼすと、茶色い耳と尻尾を付けた活発そうな大学生は、へっとはき捨てるように笑った。


「あらら、いいのかな口答えして。この前スケベな客に迫られてたの、誰が助けてやったんだっけ」

「祭さんっすよ、すいませんね、口答えして」

「「あはは、謝らなくていいよ聖ちゃん。祭ちゃん、ただ不貞腐れてるだけだから」」





 そこに、お揃いのピンクの耳と尻尾を付けた小柄なウエイトレスが二人、両手に汚れた食器を持ってやってきた。背格好だけでなく、その顔や仕草、表情を変える瞬間までまったく同じである。





「あ、すばる姉、北斗ほくと姉、お疲れさまっす」

「「うん、お疲れ様、聖ちゃん」」






「お疲れさんと、けどよ姉さま方、不貞腐れてるはねえだろ、不貞腐れてるはよ」




「「だって、女の子の祭ちゃんより、男の子の聖ちゃんのほうが人気あるんだもの。不貞腐れるのは当然よ。ね~」」



 双子に同じ声で笑われ、祭は小さく舌打ちしたが、すぐににやりと笑った。


「ああ、でも一番はやっぱりお姉さま方だよな。なんたって、この中じゃ一番の古株なん、だ・・・・・・から」





 その瞬間、周りの空気が、びしりと変わった。





「あ? だれが十歳以上も年上のおばさんですって?」





「そうそう、誰が若作りしなきゃ彼氏も出来ない婆さんなのかしら」

「え? いや、誰もそんなこと言って・・・・・・」

「言い訳禁止。聖ちゃん、ちょっとマスターを手伝ってきてくれる?」

「そうそう、あたし達は身の程知らずな小娘ちゃんに、ちょぉっとお話があるから」


「は、はひ、い、行って来まふ」



「「いい子ね、聖ちゃん。さ、こっちにいらっしゃい、祭ちゃん・・・・・・いろいろと教育しなおしてあげるから」」






 どこまでも低い双子の声に、がたがた震えながら回れ右をすると、聖亜は急いで逃げ出した。


 







 数秒後、店内に少女の悲鳴が響き渡った。








「はは、相変わらず女性陣に振り回されているな。いかんぞ、聖」

「・・・・・・いかんぞと言われても、勝ち目ないっすよ、マスター」



 調理場とは別にある、カウンターの隅にある小さなキッチンに逃げてきた聖亜を迎えたのは、「キャッツ」のマスターを務める荒川白夜あらかわびゃくやだった。百八十を超す身長、三十台前半の彫りの深い顔立ち、黒髪を後ろに撫で付けた、訪れるマダムに大人気のクールな二枚目である。




「まったく、男子がそんな事でどうする。教えその三十三、男たるもの、女の一人や二人、立派に尻の下に敷いてみせろ」





 まあ多少、いや、随分と性格に問題はあるが。








 笑いながら、白夜はクッキングヒーターの上にあるフライパンを右手で器用に動かし―炎が苦手な聖亜のために、奥の調理場と違い、飲み物のつまみを作るここには、ガス台は置かれていない―空いた左手で、横にある汚れた食器を指差す。洗えという事だろう。


「けど、マスターだって一葉いちはさんに、頭が上がらないじゃないっすか」

「おいおい、あれは頭が上がらないんじゃない。俺が妥協してやってるだけさ」

「あら、そうだったのですか」




 笑いながら作業を続ける二人の男の背後から、冷たい声が響いた。二人とも、びくりと体を震わせて振り返ると、何時の間にか後ろに立っている、声の持ち主を見た。




「だんな様がそんな風に思っていたなんて、知りませんでしたわ。ふふ、今度から妥協なんてされないよう、本気を出さないと」




 調理場から現れたのは、艶のある黒髪をした妙齢な女性だった。顔は穏やかだが、その目は全く笑っていない。





「い、いや、一葉、お手柔らかに頼む」





 はいはい、とにこやかに笑う料理長に、ひたすら頭を下げるこの店のマスターを見て、聖亜は心の中でそっとつぶやいた。





(・・・・・・師匠、だめすぎっす)




「そ、そうだ一葉、何か用なんだろう?」

「あら、すっかり忘れてたわ」








 軽く両手を叩き、一度調理場に戻った一葉は、だがその両手に大きなバスケットを携え、すぐに戻ってきた。


「ねえ聖ちゃん、悪いのだけれど、橋向こうのお医者様にいつもの頼めるかしら」 

「あの、今からっすか?」



 時間は、すでに十九時を過ぎている。不安げに見上げてくる少年に、彼女はすまなさそうに頷いた。





「ごめんなさい、どうしても届けて欲しいって連絡があったの。お得意様だし、断れなかったのよ」

「まあ、お二人以外で、あの“街”に詳しいのは自分っすから、俺が行かなきゃ行けないのは分かるんすけど・・・・・・分かりましたよ、行ってきます」


 ごめんね、と言う市葉からバスケットを受け取ると、耳と尻尾を取り外し、聖亜は裏口からそっと出て行った。

























 がたごとと、調子の悪い機関エンジンの音が車内に響く。



 整備がおざなりだな。そう思いながら、聖亜は灰色に包まれた街を眺めつつ、つい三十分ほど前の出来事をぼんやりと思い出していた。








「いや、すまんな、聖」

「いいっすよ、先生には、俺もお世話になったっすから」



 聖亜が夜食と医薬品を届けた相手は、灰色街にある蜘蛛の巣の一角で、もぐりの医者をしている初老の男だった。といっても患者はほとんど来ない。この街で怪我をするということは、十中八九死を意味したからだ。





 今日の配達は、どうやら蜘蛛の巣の有力者の娘が病気になり、その薬が足りなかったらしい。






「しかし聖、相変わらず女装が似合うな」

「・・・・・・相手しろ、なんていったら殺しますからね」




 先程薬を取りに来た男達にじろじろと見られ、機嫌の悪い聖亜はずけずけと文句を言いながら、ふと、周りを見た。





「ははっ、まあ、女王蜂じゃあるめえし、俺にそんな趣味はねえさ」

「そうっすか? それにしても、なんか今日、お客さんが多いっすね」





 所々ひび割れ、ほこりかぶった建物の中には四十人ほどの患者がいた。むろん清潔なベッドなど無い。皆床や階段の隅に寝かされている。よほど重症なのか、ぴくりとも動かない。



「や、こいつらは患者じゃねえんだ。ちょっと見てみろ」





 促され、聖亜は近くで寝ている一人の男に歩み寄った。彼は苦悶の表情を浮かべ眠っている。いや、これは眠っているのではなくて



「先生・・・・・・この人は?」

「三日前、排水溝近くで自警団の連中に発見された。体の所々に古傷あり。身に着けている物は襤褸布と、ここ灰色街じゃあ一般的な格好だが・・・・・・どうだ、おかしな所は分かるか?」

「おかしいって、どこも・・・・・・って、ちょっと待ってください。排水溝の近くって言いましたよね」

「ああ」

「じゃあ、手足があるのはおかしいっすよ。あそこは“鼠”の巣に近いっすから」



 聖亜のいう鼠とは、言葉通りの生き物ではない。災厄の数年後、街に巣食うようになった数多くの化物けものの一種だ。ぼさぼさの髪と灰色ににごった目を持ち、強い飢餓に突き動かされるように、いつも食料を求めて動いている。そして彼らの主な食料は、自分達人間だった。




「ああ、奴らは生きた人間も、死んだ人間も見境なしに喰らう。だが、この男を含め他の四十人以上の老若男女、その全てが喰われていない。つまりこいつらは、生きても死んでもいないことになる。そして、もう一つ、共通しているのは」


 男の胸にかかっているボロを剥ぎ取ると、ちょうど心臓がある場所に、五つの紫色の痣があった。

「先生・・・・・・これって」


「ううむ、見当がつかん。物凄い力で指を押し当てたらこういう風になるが、化物の中でこれが出来るのは狒々(ひひ)だけだ。むろん、かなり手加減してだが・・・・・・それに奴らは心臓を喰らう。だが、こいつは痣がある以外は、見ての通り無傷だ・・・・・・と、バスが来たな。ごくろうさん」






 紫色の痣を呆然と見つめる聖亜の耳に、遠くからガタゴトと、調子の悪い機関音が聞こえてきた。









(あれは、たぶん昨日の奴らの仕業っすかね)













 先程見た紫色の痣を見て、聖亜は無意識のうちに首を掻いた。薄くなっているが、そこには彼らと同じ痣がある。だが、確実にそうだといえるわけではない。








 浮かんでくる嫌な考えを振り払うように頭を振ると、聖亜はバスの中を見た。







 復興街を走る装甲バスの中には、自分と運転手以外誰もいない。夜になると、この街の治安は急激に悪化する。数年前、治安維持と復興のため結成された自警団の勤務時間が終わるためだ。ある程度安全な昼と比べ、夜の街は、文字通り快楽と暴力の街となる。





 そんな街に来たがる外部の人間は、旧市街、ましてや彼らを人間と思っていない新市街の中には、もうほ

とんどいない。






(災厄が起こる前は、こんなにひどい差別は無かったって、親父は言ってたけど)





 そんな昔の事は知らない。少年が覚えているのは、差別する新市街の人間とされる復興街の人間、その間で右往左往する自分達旧市街に住む人間だけだ。






「そろそろ橋に差し掛かりますぜ。お客さん」

「ふえ? ああ、はいっす」





 自分を呼ぶ運転手の声に我に返る。どうやら、考えながら少しうとうととしてしまったようだ。




「しかし、こっちにくるお客さんなんて最近はほとんどいませんな。一昔前、まだ自警団がしっかりしていたころには、蜘蛛の巣で売られている薬を買おうと、結構なお客さんを乗せたもんですが」



「そうなんすか」



「今日も、朝一番で若いお客を乗せたきりで、やっぱりこの街は時代に取り残されるんですかねえ」



「はあ・・・・・・どうでもいいけど、ちゃんと前見て運転してほしいっす」


「ああ、大丈夫ですよ。この道は五年以上、毎日運転してるんだ。それに、こんな街の奴ら、一匹や二匹ひき殺したぐらいじゃ、罪に問われることもな」





 ふと、運転手の声が途切れた。それだけではない。いつのまにか装甲バスも止まっている。






「あの、運転手さん?」





 何か嫌な予感に首をかしげながら、聖亜は運転手に声をかけた。返事は無い。しんと静まるバスの中に、自分の声がむなしく響く。





「あの、本当に大丈夫っすか? 運転手さ」









 近寄って、彼の肩に手を置いた聖亜は、何気なくバスの前を見て、













 そして、固まった。


                                   


























続く                                   

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