スルトの子2 炎と雷と閃光と 第五幕 炎と雷と閃光と
ハリティの体が無慈悲な一撃によって十字に断たれ、さらに幾つもの肉片に切り刻まれていくのを、聖亜はただ呆然と眺めていた。
見間違いだろうか、切り刻まれていく肉片のうち僅かに形を残している指が鈴の方に向いたが、それもすぐに粉々にされていく。
「・・・・・・」
やがて、切り刻まれた肉片は黒い液体へと変わり、意趣返しのためか、チェーンソーを担いだスヴェンに降りかかった。
「まったく何と汚らわしい。だがまあ、これで悪はまた一つ消え去った」
「お前」
黒い液体まみれになった灰色の髪を撫でつけ、チェーンソーに僅かにこびり付いた肉片を振り払いながら向かってくるスヴェンの姿を見て、聖亜は知らず知らずのうちにぎりぎりと唇を噛み締めた。
「スヴェン、どうしてこんなことを」
「どうしてだと? ふんっ、くだらん」
悲しげな表情で尋ねるヒスイを睨むと、スヴェンは彼女にチェーンソーの先端を向けた。
「エイジャは邪悪、ならばその配下も悪だ。悪であるならば断罪するのは当然の事だろう」
「悪か・・・・・・でもあれはエイジャではなく寄生種に侵された人間だ。それに、最後に子供を抱きしめるだけの時間を与えてやるぐら「我正す、故に我有り」う・・・・・・」
スヴェンのあまりの言い草に、ヒスイが抗議の声を出した時、彼が少女に向けたチェーンソーがきちきちと唸りを上げて回転し始めた。
「例え人間であろうと何であろうと、一度エイジャの配下になったらそいつは悪だ。情けはかけん。悪は徹底的に断罪する・・・・・・それだけだ!!」
そう叫ぶと、スヴェンはヒスイに向かってチェーンソーを振り上げ、一気に振り下ろした。
ガギギッ
「ふん、また貴様か」
「・・・・・・聖亜」
その一撃を受け止めたのは、横から突き出された一本の木刀だった。
「・・・・・・」
木刀を持った少年の名をヒスイは呆然と口にしたが、それに対しての返答はなく、聖亜は沈黙したままスヴェンを睨みつけていた。
「ふん、どうした。言いたいことがあるならはっきりと言え“弱者”」
「・・・・・・別にいう事なんてないさ。あんたが殺したあの女は、あんたより弱かったから死んだ。ただそれだけだ。でもな」
嘲笑まじりのスヴェンの挑発に、木刀を振ってチェーンソーを弾き返すと、聖亜は軽く息を整え、
「でもな・・・・・・それ以前に顔色も変えずにで女を八つ裂きにする奴って、なんか見てるとムカつくんだよ、本当にさぁ!!」
スヴェンの顔めがけ、拳を思いっきり突き出した。
「女だと? 下らんな。自分に関係のない、しかも寄生種に侵された女を殺しただけでそうも怒るか。俺にはまったくもって理解できない感情だが・・・・・・まあいいだろう、敵対するというならば絶対零度共々滅するだけだ!!」
突き出された拳を軽く避けると、スヴェンは聖亜の首めがけてチェーンソーを振るう。それを木刀で受け流すと、横から唸りを上げて迫ってきたもう片方のチェーンソーをしゃがんで避け、聖亜は逆にスヴェンの腹部に木刀を叩き込んだ。
「ふん、弱者のくせに・・・・・・生意気な!!」
後ろに飛びのいて最小限のダメージで済ませると、スヴェンは二振りのチェーンソーを水平に構えた。
「ん? 何だ」
「あれは・・・・・・やめろスヴェン、それを、“絶技”を人に使ったらどういうことになるかわかっているのか!!」
「ふん、どんなに良くても極刑だろうな。だが絶対零度、貴様を殺せるなら俺の命がどうなろうと・・・・・・俺の正義がどうなろうと構わん。死ね、閃光絶技、千「何やってるんだい、スヴェン」くぶっ!?」
だが、絶技を振るう寸前、スヴェンは誰かに頭を殴られ前のめりに地面に倒れた。
「まったく、あたしが来る前に始めるんじゃないよ。や、ヒスイ。半日ぶりだね」
そう言うと、相方の頭を思いっきり蹴りながら着地したエリーゼは、自分の右腕にしゅるしゅると紐のようなものを巻きつけた。
「エリーゼ、これはいったいどういう事だ!?」
「おやおや、どうしたもこうしたもないだろう? ここにエイジャがいる以上、あたしらはそれを倒さなきゃならない。それがたとえ管轄外の場所だったとしてもね」
「そうじゃない、そういう事を聞きたいんじゃなくて・・・・・・大体、上層部にエイジャを倒す許可は取ったのか?」
「ん? ああ・・・・・・まあ上の許可は取ったよ。ま、マモンなんて下級の爵持ち、その気になりゃいつでも殺せるけどね。それはそうと、いい加減に起きなスヴェン」
ヒスイの問いに答えると同時に、彼女は踏みつけているスヴェンの背中に再び蹴りを入れた。ドスッと重い音がして、彼の体がびくりと大きく震える。
「ぐ・・・・・・エリーゼ、貴様一度ならず二度までもっ!!」
「さっさと起きないあんたが悪いんだよ。それにヒスイを殺すより先にエイジャの討伐が先だろ? さてと」
スヴェンが立ち上がるのを見ると、エリーゼは呆然と佇むマモンの方に向き直った。
「待たせたね下級爵持ち、ああ名前は名乗らなくていいよ。もう知ってるし。それ以前にすぐ死ぬ奴の名前なんて興味ないからね」
「すぐ死ぬですと? 申し訳ありませんがたった二匹家畜が増えただけで、私が作り上げたこのハイドラが倒されるとは思いませんが?」
マモンの声に合わせ、崩れた床から完全に這い上がった巨大な三つ首の怪物がスヴェンとエリーゼを睨みつける。先ほどヒスイたちがその身体に付けた傷は、もう完全にふさがっていた。
「ふぅん、大きな犬っころだねぇ。で、どうするスヴェン」
「くだらん・・・・・・こんな“子犬”、俺一人で十分だ」
嘲笑して前に進み出ると、スヴェンはかちりとチェーンソーのスイッチを入れた。一度停止した刃が再び回転する。
「さあ来い獣、十秒とかからず挽肉に変えてやる」
「ガァアアアア!!」
スヴェンの挑発をかき消すような大声で吠えると、ハイドラはその巨大な腕を振り上げ、スヴェンに向かって振り下ろした。
「・・・・・・ふん」
その爪をスヴェンはチェーンソーで受け止めた。その衝撃で彼の立っている床にビキビキと皹が走る。そのまま押しつぶそうと力を込めたハイドラは、だが次の瞬間絶叫と共に手を離した。一度大きく後退すると、自分の爪をしげしげと見つめる。振り下ろした足の爪が肉ごとなくなっていた。
「それで終わりか? 獣」
チェーンソーにこびり付いている赤黒い肉片を払いながら、スヴェンはハドラに向かって進み出た。まるで散歩でもしているかのように無防備な彼に近付かれ、その何倍も大きな怪物がじりじりと後退していく。だが、やがて逃げても無駄だと悟ったのだろう。三つ首を上に向けると、ハイドラは勢い良く息を吸い込んだ。と、その口の中にチロチロと赤い何かが見える。そして、再び怪物がスヴェンに顔を向けた時、
轟ッ
少年に向かって、怪物の口から灼熱の炎が襲い掛かった。
「ぬ・・・・・・」
迫り来る灼熱の炎を眺め、スヴェンは初めて眉を顰め、二振りのチェーンソーを身体の前で交差させた。
それよりわずかに遅れて、全てを焼き焦がす灼熱の吐息が彼の身体をすっぽりと覆いつくした。
「スヴェン!!」
「おや? 死んだかい?」
それを見て叫び声を上げたヒスイとは対照的に、エリーゼはつまらなそうに欠伸をした。そして彼女達と違い、腹を抱えながら哄笑した者がいる。自らの傑作を犬と嘲笑されたマモンであった。
「かかかかかっ!! 何という、何という他愛の無さ!! 自分が獣と罵った相手に、ほんの数分で殺されるとは!! いやあ、さすがは玩具使い、笑わせてくれま「やはりこの程度、か」なっ!?」
その時、微かに、だが確かに聞こえてきた“あるはずの無い”声に、マモンは笑みを浮かべたまま絶句すると、いまだに炎に包まれている場所を凝視した。
ハイドラの口から吐き出された炎は鋼鉄すら溶解する。厚さ十センチを超す高鉄を溶かすのに、数秒とかからないのだ。
しかしその炎の塊が、絶句しているマモンの見ている前で、唐突に弾けた。
「なっ!?」
「ふん、少しは楽しませてくれると思ったが、やはり下等な爵持ちが作り上げた低能の犬だな。この程度の攻撃すらできんとは」
そう呟くと、スヴェンは左肩に僅かに残っている火の粉を払った。彼の全身は薄く光る何かに覆われている。どうやらそれがハイドラの吐き出した炎を防いだようだが、その事実にマモンが気づくことはなかった。
「ま、まぐれだ。まぐれに決まっている!! 鉄すら溶かす炎が、た、高々一匹の玩具使いに防げるはずがない!! 行きなさいハドラ、今度はあの小癪な家畜を、その巨大な顎で飲み込んでやりなさい!!」
「ガァアア!!」
マモンの声が響くのとほぼ同時に、怒り狂ったハドラがスヴェンに飛びかかり、その三つ首のうち真ん中にある竜の口で彼を咥え、一息で飲み込もうとする。だが首の途中まで飲み込んだ時、
「グギャ!? グルギャギャギャ!!」
怪物は、すさまじい苦痛に耐えきれないというように辺りをのた打ち回った。聖亜達が呆気にとられてみいると、首の中ほどがばっくりと左右に開いた。
「ふん、内側からなら攻撃されないとでも思ったか?」
「馬鹿な・・・・・・馬鹿な馬鹿な馬鹿な!! なぜこのような事が!! 貴様は一体何者だァ!!」
「俺が何者か、だと?」
赤黒い血で全身を濡らしているスヴェンは、慌てふためくマモンを見て薄く笑った。
「我正す、故に我有り。第一級魔器使にして最高査問官が1人“閃光”のスヴェン。正義の名の下に貴様を裁くものだ」
そう答え、マモンに向かって歩むスヴェンの手の中で、二振りのチェーンソーの中央にうっすらと何かの文様が浮かび上がる。一つは鋭い稲妻の形に、そしてもう一方は巨大な竜の顎のような形に。
「貴様、そ……それは」
「我が魔器は“雷神”インドラ、そして“暴竜”ウリドラを封じ込めたマイスター・ヘファトが製造した傑作魔器。これに会えば悪魔ですら笑うしかなくなる・・・・・・さあ、貴様は一体何秒持つかな?」
「ぐ、調子に乗るな、家畜がぁ!!」
首の中ほどををばっくりと開けたハイドラが倒れるのとほぼ同時に、空に舞い上がったマモンがスヴェンに向かって急降下し、その鋭い鉤爪を振り下ろす。その鋭い爪の一撃を軽く避けたスヴェンに向かって、マモンは今度は二頭の鷲の口から炎を吐き出した。
二筋の炎は空中を取渦を巻きながら飛んでいき、途中でぶつかり合って巨大な火球になると、下にいるスヴェンに向かって落下していく。だが、彼はそれを避ける事も、そして防ぐこともしなかった。
「ふは、ふははははっ!! 貴族の炎を直に喰らったのだっ!! これではいくら貴様でもただではすむま「ただではすまんか、ではどうなるというんだ?」がっ!!」
再び上昇しようとしたマモンの翼をチェーンソーが掠める。片方の翼を傷つけられ上昇能力を急激に失ったマモンが大地に激突する。起き上がろうと顔を上げたマモンの目の前に、チェーンソーがカチリと突きつけられた。
「さて、もう終わりか?」
「ひっ!!」
翼を傷つけられて飛ぶことができず、ずざざざっと後ずさりしたマモンに合わせ、スヴェンはゆっくりと前進する。その灰色の瞳に映っているのは明らかな侮蔑の表情だ。それをマモンはハッキリと悟ったが、この状況ではどうすることもできない。逃げるにしても隙がない。何かないかと四つの目が上下左右を忙しく動き回った時、視界の片隅に、ふと誰かの姿が映った。
「ふ、ふは、ふはひひひひひっ!!」
けたけたと引きつくような笑い声を上げながら、マモンは屋上の床の上をまるで蛇のように移動し、屋上の端から下へと飛び降りた。その予想外の動きに対応しきれなかったのか、スヴェンの振り下ろしたチェーンソーはマモンの身体からわずかに逸れ、近くの床を抉る。
「あいつ、一体何を見つけたんだ?」
「さてねえ、ま、何を見つけたにせよさっきの戦闘という名の“虐め”を見ただろう? 高々下級の爵持ちが、インドラとウリドラを封じた魔器を扱うスヴェンに勝つこと何ざ不可能なんだよ。さてと・・・・・・スヴェン!! あたしらも下に降りるよ、でもってあの嘴野郎にさっさと止めを刺してやんな!!」
「それぐらい言われずともやる・・・・・・下級の爵持ちを討滅したら、次は貴様の番だ。絶対零度」
「・・・・・・」
スヴェンが屋上から地面に飛び降りる時言い放った言葉に軽く俯いてから、キュウを右肩に乗せたヒスイが屋上から飛び降りるのを、聖亜は呆然と眺めていた。
「えっと・・・・・・俺も飛び降りた方がいいのか?」
「男のくせに、女のような声を出すんじゃないよ、情けないねぇ」
「え? いやちょっと待って、まだ心の準備が・・・・・・加世、すまないけどナイトたちと一緒に春奈さんを守っていてく「はいはい、そんなに話していると、舌を噛むよ」って、うわっ!?」
その時、不意に聖亜の小柄な体が抱きかかえられた。事態についていけず、物陰からこちらを眺める加世たちに救出した春奈の事を頼むと、エリーゼの片腕で抱えられながら、聖亜は地上へと落ちていった。
「おやおや、あんまり遅いんで様子を見に来たら面白いことになっていますね」
聖亜達がいる廃デパートから遠く離れたビルの屋上に立ち、戦闘の様子を眺めていたその人物は呆れるように薄く笑った。
その姿は黒いマントに覆われていて、男か女かも定かではない。ただ口調と声の柔らかさから言って恐らくは女性であろう。
「正直あんな下劣な“客”はいらないんですが・・・・・・まあ“招待状”を送っている以上無視はできませんか」
その時、ふと夜風が彼女にあたり、顔を覆っていた布がめくれ上がった。その中から出てきたのは、人には決して真似できないほどの美しい顔だ。当然だろう、彼女は人ではないのだから。
「さてさて、お時間もお時間ですし、そろそろ迎えに行きましょうか・・・・・・愛しい王子様に挨拶もしたいですからね」
そう呟いて薄く微笑んだ女の姿は、ビルの屋上からふっと消え去った。
「もう逃げられんぞ、下郎」
エリーゼが聖亜を抱えて飛び降りた時、決着はもうほとんどついていた。
スヴェンが突きつけるチェーンソーによってマモンは逃げ場のない壁際に追い詰められており、少し離れた場所ではヒスイが油断なく太刀を構えている。
「逃げ場が・・・・・・無いと?」
だが追い詰められているにも関わらず、マモンの二つの嘴には笑みが浮かんでいた。
「く、くくくくっ、そうかもしれません。確かにこのままでは私は勝つどころか逃げることすら出来ずにあなたに殺されるでしょう・・・・・・ですがねぇ」
不意に、マモンは左腕を何もない暗闇に伸ばした。そのすぐ先にあるのは壁のはずなのに、腕は暗闇に向かってずるずると伸びていく。やがて腕は伸びるのをやめると、するするとマモンの元に戻って来た。
その手に、一人の気絶している少女を抱えて
「・・・・・・」
「ふはっ、ふは~はっはっはっ!! さあ、この娘の命が惜しければ私に手を出すのはやめなさい!! それとも関係のない一般人が死んでもよろしいのですか!?」
少女の首を鍵爪で押さえているマモンは、彼女をスヴェンに向けながらゆっくりと後退していく。その時、スヴェンの横に聖亜を抱えたエリーゼが降り立った。
「おやスヴェン、あんたちょいと腕が落ちたかい? まさかまだマモンを殺していないなんて」
「痛ぅ・・・・・・まったく、いきなり飛び降り」
四階から落ちた衝撃で、彼女の腕から地面に転げ落ちた聖亜はエリーゼに抗議しようと立ち上がったが、その時マモンの方を、いや、実際には彼が抱えている少女を見てふと口を閉ざし、そして
「おい、どういうことだ、何で、何でここに準がいる!!」
そして次の瞬間、叫び声を上げた。
「おやぁ? この方はあなたのお知り合いでしたかそうですか」
こちらに向かって走ろうとして、それをエリーゼに抑えられている聖亜を見てくくくっと笑うと、マモンは空いている方の手を、空中でさっと回転させた。
次に彼が手を開いたとき、その手の中にあったのは一つの黒い物体だ。大きさはゴルフボールより一回り小さいほどだが、それは見ている人間が吐き気を覚えるほど不気味に蠢いていた。
「手前……今すぐ準を離さねえと、生きたまま地獄を見ることになるぞ!!」
「おや、怖い怖い。あまりに怖すぎて手が震えます……おっと」
その時、わざとらしく(実際にわざとだが)震えたマモンの指から、その黒い物体が準の胸元へと落ちていき
「準ー!!」
絶叫を上げる少年の目の前で、それは少女の胸にするりと飲み込まれていった。
「う・・・・・・あ」
「ひひゃ、ひゃ~はっはっは!! いいですよその絶望しきった顔、すべての望みを失った家畜の表情を見るのは美酒に酔うのと同じぐらい心地よい!! さあさあ、そろそろお暇させていただきましょうか。ああ、ご安心ください。この雌の家畜は私が責任を持って優秀な使徒にしてさしあげますか「せ」ら?」
寄生種の幼体を植え付けた自分の“戦利品”を抱えたまま飛び上がろうとしたマモンは、ふと微かに聞こえてきた少年の呟きに彼の方を見た。周囲を見渡すと、白髪の少女も、少年に弾き飛ばされた薄紫色の髪をした女も、黒猫も、そして自分を散々痛めつけていた白髪の髪と目を持つ男ですらその少年の方を見ていた。
「……聞こえなかったのか? 今すぐその汚い手を、準から離せと言ったんだ」
「は、ははっ、あなた馬鹿ですか? 今ここでこの家畜を離したら、私死ぬじゃないですか。それに」
「……」
「それに離したところで一旦使徒の卵を植え付けた家畜が元に戻ることなどありません。第一、使徒の卵を植え付けられた時点でこれはもう我らの同胞、その同法を返せと言われましても「それだけか?」は?」
「地獄に行く前に、言いたいことはそれだけかって聞いたんだ」
ぷつり、と何かが切れたような音と共に、少年の体から異なる2つの感情が渦となって噴き出した。
一つは、凍てついた炎のような怒り
一つは、灼熱の氷河のような憎悪
その二つの感情は少年の身体を覆っていき、そして
そして数日前、黒猫が張った仮初めの封印を、一瞬にして掻き消した。
「・・・・・・え?」
目の前の少年に起こった変化に、しばらく呆然としていたマモンは、ようやくそれだけを呟いた。
それほどに彼の変化は異常だった。体中に溜まった熱が抑えきれず、巨大な蒸気となって彼の身体からもうもうと立ち昇っている。さらにその右腕は赤く光る硬質な物に変化している。そして、赤界出身のマモンは無論、その形に心当たりがあった。
「ま、まさかそれはし、真紅の御・・・・・・ひぃい!!」
その名称を、しかし彼は最後までいうことができなかった。軽く顔を伏せた聖亜が、そのままマモンの方に一歩踏み出したからだ。
彼が踏みしめた大地が赤く発光し、どろりと溶けて彼の足跡を残す。右腕から発せられる高熱で空気中の酸素が燃え、炎が渦となって彼を取り囲んだ。
「聖亜、激痛が走っているはずなのに」
「恐らく激しい怒りで自我を失っているのであろうよ。しかもあの小娘の目覚めた様子もない。どうやら狂うほどの憎悪で激痛すら麻痺しているようだ」
聖亜を眺めているヒスイがそう呟くと、その横でキュウが深々と息を吐いた。
「怒りと・・・・・・憎悪」
「うむ。どちらも時として必要にはなる感情であるが、怒りはともかく憎悪は人を狂わせやすい・・・・・・それほど大切であるのだろうな。聖亜にとって、準という娘は」
「・・・・・・」
キュウの呟きに沈黙したヒスイの目の前で、ゆっくりと進んでいた聖亜がついにマモンの下までたどり着いた。
「これが最後だ。準を離せ」
「ふ、ふふ、あなたが何者で、どうして御手を持っているかは存じませんが、それはできませんね。この家畜を離したら、あなたは私を殺すおつもりでしょう? ならばやはりこの家畜を盾にしてあなたから逃げさせていただきます。ああ、別に攻撃しても構いませんよ? そうなれば私諸共この家畜が死ぬだけの事ですから」
「・・・・・・」
無言で俯く聖亜からじりじりと後退すると、マモンはばさりと空に舞い上がった。
「さて、そろそろお暇させていただきましょう。ではこ「なら死ね」へ?」
その時、聖亜はゆっくりと顔を上げて目の前エイジャを見た。真ん中が灼熱に染まっている瞳で。
そして彼は自らの右腕をゆっくりと振り上げ、
「お前が準を手放さない以上、準の唯一である俺が彼女を殺し、その後で俺も死ぬ。だが安心しろ、マモン。俺が死ぬ前に、お前はちゃんと殺してやるから・・・・・・・だが、楽に死ねると思うな」
マモンに向かって、ゆっくりと突き出した。
最初に襲ってきたのは、強烈な熱風であった。それが自分に激突する寸前、マモンは腕の中の準を前方に押し出して直撃を避けようとしたが、準の体に触れる瞬間、その熱風はまるで意思があるかのごとく2つに割れ、一旦後ろに回り込んだかと思うと、マモンの右側の顔を覆い隠した。
「うが・・・・・・ぐぅ!!」
強烈な熱風に息が詰まる。幾ら炎に慣れているとはいってもこの熱気は自分が扱う炎とはどこか、いや全く違うものだ。どこか粘つく感じがするし、付着して離れようとしない。
そしてその熱風を伝って、高温すぎて青く見える炎が熱風に覆われている右顔を焼き尽した。
「うぎゃっ!? ぎゃぁああああああっ!!」
炎に炙られる激痛にマモンは絶叫を上げた。しかも粘つく熱風が燃料の代わりになっているのか、炎はいつまでたっても燃え尽きる気配がない。赤界出身で、炎に強いことが逆に災いし、激痛は永遠に続くかと思われた。
「ぐぅっ!! くそ、こうなったらっ!!」
抱えていた準を投げ飛ばすと、マモンは懐から取り出した短刀を、まだ燃えている顔の付け根に思い切り突き刺した。
「準っ!!」
投げ飛ばされた準の身体が地面に叩きつけられる寸前、身体を滑るようにして聖亜は彼女を抱きとめた。途端に彼の纏っている炎が準を包み込むが、彼女は火傷一つ負っていない。当然だろう、これは炎であって炎ではない、いうなれば少年の感情が具現化したものだ。たとえそれが憎悪や怒りの感情であったとしても、少年にとって唯一であるこの少女を傷つけることなどありえなかった。
「ぐ、ぐぐ・・・・・・がぁあああああああっ!!」
聖亜が準を抱きとめている間に、マモンはいまだ燃えている自分の右首の付け根に左手の鋭い爪を突き刺し、苦悶の声を挙げながら一気に引き裂いた。ぼとり、と鳥の形状をした首が、胴体から切り離されて地面に落ちる。
切り落とした顔は地面に落ちてもまだ燃えていたが、段々と炎の勢いは収まり、やがて消え去った。
「ぐがっ・・・・・・はぁっ、はぁっ、ぐっ・・・・・・まさかこんな事になるとは」
「自分で自分の首を切り落とすとはな、なかなかの見世物だったぞ、下郎」
「ぐぅっ」
準を抱きしめる聖亜には目もくれず、残忍極まりない笑みを浮かべ、スヴェンは片方の首を失ったマモンに近付いた。
「それでは次は左の首でも貰おうか。それが終わったら最後に胴体を手足共々粉々にして、最後に魂を粉砕する。そうすれば貴様はもう生まれ変わることもできないだろう。この俺の手にかかって死ねることを、喜びながら逝くがいい」
「・・・・・・ぐっ」
顔の一つを失った痛みと絶望で、もう一方の顔を蒼白にしているマモンに向かってチェーンソーの刃が振り上げられる。そして、それが振り下ろされようとした時、
「いや、それはちょっと待ってください」
そう言いながら、マモンの前に降り立った人物が翻したマントに、全てを粉砕するチェーンソーの先端が吸い込まれた。
「貴様、何者だ」
どれほど強く振るっても、マントに刃が吸い込まれていくのを見てこれ以上やっても無駄な事を悟ったスヴェンが怒りと憎悪を込めて睨みつけると、マントを整えた人物は彼のことなど気にも留めず、準を抱えている聖亜に笑いながら一礼した。
「初めまして、王子様。私はこの床に這い蹲っている哀れな鳥を迎えに来た者です。まあ気軽に“案内人”とでも呼んでください」
「案内人? お前・・・・・・どこかであったか?」
「いいえ? 実際に会うのはこれが初めてですが?」
笑みを浮かべた案内人の言葉にそうかと呟くと、聖亜は意識のない少女を優しく地面に横たえ、ゆっくりと立ち上がった。
「まあいい、あんたが何の目的で来たにせよ、さっさとそこをどいてもらおう。話があるなら後にしてくれ。残念ながら、あんたに構っている暇はないんだ」
「ふふ、お怒りはごもっとも。ですがこの商人は我が主の大事なお客様、傷つけさせるわけにはいきません」
「そうか」
笑みを崩さない案内人を見て、わずかに顔を強張らせると、聖亜は無造作に右手を向けた。その先から拳大の炎が生まれ、相手に向かっていくが、それは先ほどのスヴェン同様、マントに吸い込まれて消えていった。
「無駄ですよ、この服は虚構空間へと繋がっています。幾ら深淵の御手といっても、虚構空間を抜くことは不可能です。まあ黒界に住む、さる御令嬢の技なのですが、ちょっと拝借してみま・・・・・・おや?」
炎が吸い込まれたの見たはずなのに、それでもまた炎を生み出そうとしている聖亜に案内人が笑いかけた時である。建物の隙間を通ってきた突風に、被っていたフードがめくれ上がった。
「やれやれ、無粋な風ですねぇ」
マントの中から現れたのは中性的な容姿を持つ女だった。美女とも言っていいだろうが、聖亜は軽く目を見張っただけだった。
「女・・・・・・か」
「はい。それと顔が知られてしまったのなら、もう名前を隠す必要もございませんね。初めまして王子様、私、晩餐会の案内人を務めます黒ウサギと申します。どうぞお見知りおきを。このままあなたとダンスでもしたいところなのですが、あいにくと仕事がありますから、それはまたの機会に・・・・・・それでマモンさん、貴方一体いつまで呆けているのです?」
案内人に突然話しかけられ、彼女の後方でしゃがんで身を震わせていたマモンは、今では片方だけになってしまった鳥頭をはっと上げた。
「な、何をやっていたんです案内人、あなたの迎えが遅かったせいで私は頭部を一つ失ってしまったのですよ!?」
「何ですかそれぐらいで。そんなの別の頭を付けてしまえばいいだけでしょう? それよりさっさと行きますが、何か忘れ物はないですか?」
「忘れ物・・・・・・ですか? ああ、この廃屋に私が作り上げたハイドラという名の使徒がいるのですが、それも連れていってはくれませんか? 多少の役には立つでしょう」
マモンの言葉にふむとその小さな顎を可愛らしく傾げると、案内人はチェーンソーを持って襲い掛かって着たスヴェンの攻撃をマントで防ぎながらぱちりと指を鳴らした。すると、廃屋がガラガラと崩れ、その中から巨大な三つ首の怪物が浮かび上がってくる。
「これでいいですが、正直言ってあまり役に立つとはもえませんね。私としては巨大な体を持て余す怪物よりも、見る事ことができないほど小さいほうが好きなのですが」
「そうですか・・・・・・まあ、資金さえ出していただければお望みの物を作ってごらんに入れましょう。それでは不遜なりし玩具使い、下劣なりし家畜共、これで失礼させていただきますよ」」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
マモンが案内人と共にこの場を去ろうとした時、彼らに声をかけた者がいた。崩れ落ちた廃屋の中を汗だくで逃げ出してきた香である。
「あ、あんた帰るってどういうつもり? わ、私の願いを叶えるんじゃなかったの?」
「願いですか? ああ、そうでしたそうでした。あなたがお兄様と結ばれるようにするのでしたね。正直貴女に出会ったせいで私は顔を一つ失ったのですが・・・・・・まあいいでしょう。ただし」
マモンは香の頭に手を伸ばすと、その手をさっと横に振った。
「ただしあなたの本当の願いは、決して叶いませんがね」
「・・・・・・え?」
それだけ呟くと、彼女は目をぐるりと回転させ、地面にぐたりと沈んだ。
「これで目覚めた時、あなたの見る世界には愛しいお兄様しか見えなくなりますよ。ではそろそろ行きましょうか、案内人・・・・・・ああ、それから」
倒れた香をそのままに、マモンはふと聖亜に向き直った。
「立ち去る前に、一つ忠告をして差し上げましょう。星聖亜とやら。この世界においてあなたは異質な存在です。せいぜい苦しんで死ぬことになるのを祈っておりますよ、それではこれで失礼させていただきます」
それだけ言うと、マモンは案内人に向かって頷いた。それに返礼すると、案内人は聖亜ににっこりと笑って一礼し、マントで自分とマモンの体を覆い隠し、ふっと消え去った。
「逃げた・・・・・・か、とりあえず、エイジャとの戦いは終わったな」
マモンと案内人が消え去って数秒後、ヒスイの傍らにいたキュウはぽつりと呟いた。
「ああ。けど」
その言葉に頷くと、ヒスイは意識の無い準の体をぎゅっと抱きしめている聖亜の姿を見て、悲しげに目を伏せた。
「キュウ」
「ふむ、どうした聖亜」
「準を助けるには、どうしたらいい?」
「・・・・・・」
少女を抱きしめたままこちらに問う少年に、普段の貶すような口調を隠し真剣な表情で眺めると、残酷なほどきっぱりと首を横に振った。
「その娘を助けることはできぬ。確かに専門の施設なら寄生種自体は取り除けるが、その後に残っているのは廃人としての人生だ。これは寄生種が主に脊椎に取りつくからであるが・・・・・そのようになるまで生を望むより、殺してやった方が慈悲深いかもしれぬ」
「そんな事・・・・・・そんな事出来るかよ!!」
左手で準を抱え直すと、聖亜は深淵の御手と変化した右手で地面をダンッと叩きつけた。
その右手をちらりと見て、彼ははっと目を見開いた。
「そうだ、この右手で寄生種だけを焼き尽せば!!」
「確かに深淵の御手ならば寄生種を完全に消滅させることも可能だ。だがそのためには娘の体内にその手を直に突き入れなければならぬ。そなたの技量では確実に失敗し、娘の体ごと焼き尽す。不可能だ」
「くっ」
再び地面を殴りつける少年を見て、一度深々とため息を吐くと、キュウはふと空を見上げた。彼女の紫電の瞳には、暗い結界の外側で徐々に広がりつつある雨雲が見えていた。
「一雨きそうだな。聖亜、何も今すぐその娘を殺せとは言わぬ。とにかくこの場所を離れるとしよう」
「ああ」
黒猫の言葉に悲しく呟き、聖亜は準を抱えて歩き出した。深淵の御手は彼女の冷たい体をほのかに温めている。だが、キュウの言う通り今の自分では寄生種を取り除こうとすればその宿主さえも焼き尽してしまうだろう。そんな自分に今できることはただ一つ、彼女を一刻も早く暖かい布団の中に寝かせてやることだけだ。
そう思って、聖亜が一歩踏み出した時だった。
「どこへ行くつもりだ?」
「・・・・・・なんだよ」
歩き出そうとした自分の前に立ちふさがった人間を見て、聖亜は苛立たしく呟いた。だがその呟きにその人間、スヴェンは何も答えず、ただ一度、くっと笑った。
「お前・・・・・・何笑ってる」
「スヴェン?」
ヒスイが不審そうに尋ねると、スヴェンは再びくくっと笑いだし、やがてそれは哄笑へと変わった。
「くはははははっ!! そうか、貴様が絶対零度と手を結んでいるエイジャだったか!! まさか自分から正体を現してくれるとは思わなかったぞ」
そう言い放つと、スヴェンは再びチェーンソーのスイッチを押した。
「まてスヴェン、これには深い訳が「ヒスイ、庇ってもらわなくてもいい」聖亜?」
そんな彼に抗議しようとしたヒスイに声をかけ、聖亜は彼女に腕の中の準をそっと押しやった。
「聖亜・・・・・・お前」
「ちょっと準の事頼む。俺はこのクソ餓鬼の根性、叩き直してくるから」
「・・・・・・」
無言のままこちらを見つめてくるヒスイを見て微かに笑うと、聖亜は険しい顔つきでスヴェンに向き直った。
「さあ来いよ自己陶酔してるクソ餓鬼野郎、手前の根性叩き直してやる!!」
聖亜に向かってきた最初の一撃は、横殴りに向かってくるチェーンソーだった。それをを木刀で打ち払うと、聖亜はスヴェンの足めがけて切りつけた。だがその動きは読まれていたのか相手は飛び上がって軽くかわすと、逆に灼熱の剣を蹴り上げ、体制の崩れたこちらの首めがけて回転する刃を振り下ろした。
ガキィン!!
と、大きな音を立てて真紅の剣と化した右腕とチェーンソーがぶつかり合う。ぎりぎりとつばぜり合いが続くが、体格も力も相手のほうが上だ。聖亜はだんだん押し込まれていくが、得物同士ではこちらのほうに分があるようだ。熱に充てられたチェーンソーの刃が真っ赤に染まり、その先端がぶすぶすと焼けていく。本来なら損傷する前に離れるのだが、スヴェンはそのままチェーンソーを押し込んでこちらの右手抑え込み、もう一方のチェーンソーを彼の右わき腹めがけて振り回した。
「くっ!!」
右手を動かすことができないことを悟った聖亜が左手で周囲を探ると、ちょうど自分が落とした木刀に触れた。それを持ち上げ、何とか直撃は避けるものの、彼の小柄な体は弾き飛ばされ壁に激突する。そしてその瞬間、今まで灼熱の剣と化していた右手は普段の彼の手に戻っていた。
「・・・・・・ぐ、くそっ」
背中とわき腹がひどく痛む。手で触れると、ぬるりとした感触があった。同時に喉の奥から何かがこみあげてくる。その気持ち悪さに息を吐くと、同時に口の端からどろりとした血が流れた。
「聖亜!? エリーゼ、頼むからスヴェンを止めてくれ!!」
その様子を見ていたヒスイは、彼女と同様彼らの戦いを見物しているエリーゼにむかって叫び声をあげた。だがこの場で恐らく唯一スヴェンを止められるはずのエリーゼは、黙って首を振るだけだ。
「すまないねヒスイ、幾らあんたの頼みでも“エイジャ”と戦っているスヴェンを止める義務はあたしにはないよ。それに」
そして、彼女はヒスイに向かって、邪悪な笑みを見せた。
「それにヒスイ、あんたには抹殺命令が出ている。どんなに懇願されても、抹殺対象者の頼みごとを聞くわけにはいかないさ」
「・・・・・・え?」
「何、抹殺命令だと!?」
エリーゼの言葉に反応したのは、呆然としているヒスイではなく、その隣にいるキュウであった。
「馬鹿な・・・・・・れるのはトリプルAクラスの罪を犯した物だけのはずだ。それ以前に四大教授による重要会議が必要であり、抹殺対象者として確定するには何ヶ月もかかるはず。どういうことだ、エリーゼ」
「そんなのあたしが知るはずないだろ? あたしはただあの狂った科学者からあんたの抹殺を命じられただけ・・・・・・おっと」
言い過ぎたとさして困った様子もなく言い放つエリーゼを見て、キュウは忌々しげに舌打ちした。
「・・・・・・なるほど、ヘルメスの仕業か。なら真の目的はヌアダの持つクラウ・ソラス、ヒスイの助命と引き換えにそれを要求し、断られた腹いせに抹殺命令を出した、そういうことか」
血を吐きながら、それでも向かってくるスヴェンと戦う聖亜を見て、黒猫は憐れむように息を吐いた。
「そなたとスヴェンはヘルメスからの命令には逆らえまい・・・・・・だが最終的な決断を下すのは、この戦闘に決着がついてからにせよ」
「はぁ? 何言ってんだい、今の戦闘を見ていただろ、少しは抵抗できていたけど、あんな餓鬼スヴェンの敵じゃないね。力も技も、そして体格すら違いすぎる」
「そうか? まあ、評価するのは戦闘が完全に終了してからにすることだな
そう呟くと、エリーゼもキュウとヒスイに続き、戦っている2人の少年を眺めた。
「・・・・・・ちっ、面倒な」
彼女たちの視線の先では、しゃがんでいる聖亜に向かってスヴェンが舌打ちしつつ、ぎりぎりとチェーンソーの刃を押し込んでいた。灼熱の刃を受けたチェーンソーの方は切れ味が鈍くなったため投げ捨て、今は一本のチェーンソーを押し込んでいるだけだが、もともと自分の魔器は一本でも楽に爵持ちのエイジャを屠れる。そのためほとんど気にすることなく残ったチェーンソーで目の前の敵を屠ろうとしたのだが、自分の一撃は彼が持つ木刀で防がれていた。
「イル、奴の持っている木刀が何かわかるか?」
『はい、幾つか思い当たるものが・・・・・・おそらく過去に行われた“再生計画”で再生を試みた、“トネリコの樹”を材料にマイスター・ヘファトが作り上げた練習用の木刀かと思われます。申し訳ありませんマスター、先程燃える右腕で受け止められた際、少々刃こぼれしてしまったようです。いましばらく時間がかかるかと』
『はっ!! ダサいわねぇ!! ねえご主人様、あたしが“出て”木刀をさっさと砕きましょうか?』
「いらぬ世話だ。それに、この木刀を打ち砕くことができれば、俺の力はさらに証明されるだろう、練習用とはいえ、ヘファトの作り上げた物を砕いた者としてな」
ウリドラの無邪気な声に短く言葉を返すと、スヴェンはさらに木刀に向かってチェーンソーを押し込んでいった。もはや聖亜に対する興味は彼の中にはなかった。あるのはただ、彼の持っている木刀を己の力で砕いて見せるという考えだけである。
「しかしわからんな、ただ炎を出せるだけで、体格も腕力も技量すらも劣っているこいつが、いったいどうやってニーズヘッグを撃ち滅ぼしたのだ?」
『恐らく蛇神の方が油断していたのでしょう、このような脆弱な存在に自分が敗れるはずがない、と』
「なるほど、油断か・・・・・・だが俺は油断などは決してしない。常に全力をもって悪を撃ち滅ぼす、それが俺の正義なのだからなっ!!」
「うぁっ!!」
不意に、木刀に押し付けられるチェーンソーの重みが増し、聖亜は両膝を地面に付いた。どうやら相手が力を込めてきたらしい。だがそれでも、聖亜は力を振り絞りながら、何とか相手の攻撃を防いでいた。
「ったく、また正義かよ。このクソ餓鬼が。一体全体、手前はどうしてそう正義なんかにこだわるんだ」
「こだわるだと? 勘違いするな。俺が正義を行うのは、それが俺に取っての生存理由だからだ!!」
「生存、理由?」
「そうだ。貴様などには分かるまい。代々ヴァルキリプスの副学長を輩出してきた名家であるザラフシュトラ家に生まれながら、何の能力も持たず、脆弱な肉体で生まれた者の気持ちなど!!」
ああそうか、と自分が戦っている目の前の男を見て、聖亜は唐突に理解した。
この男は子供なのだ。どんなに体が大きくとも、どれほど力が強くとも、やはり十二歳の子供なのだと。
そしてその幼い子供が唯一縋ることができる物こそ、正義だったのだろう。
「なら一つ聞いてやる。それほど正義にこだわるあんたが、どうしてヒスイを狙う? エリーゼって人から聞いた話じゃ、ヒスイはあんたの大事な姉さんとやらを死なせたようだけど、それって事故だったんだろう? 許してやるのが正義じゃないのか?」
「許す・・・・・・許すだと? そんな事ができるものか!! あの屈辱の日々の中、俺を唯一支えてくれたのが姉上だ!! その姉上を、あの女は自分勝手に殺したんだよ!! 百回殺しても許せない、千回絶望を味あわせてもなお許せない!! あいつを殺せるなら、自分の信念など捨ててやる!!」
「・・・・・・ああそうかいっ!!」
「ぐっ!?」
スヴェンの叫びに低い声で返すと、聖亜は木刀を振るってスヴェンを弾き飛ばした。
「馬鹿な・・・・・・どうなっている、インドラ!!」
『そ、それが、木刀が赤く発光して……間違いありません、彼の身体から発生している熱が木刀に伝わっています!!』
「・・・・・・何?」
虚空から聞こえるインドラの声に眉をひそめた時である。スヴェンの右頬が、飛び上がった聖亜の左足で思いっきり蹴り飛ばされた。
「ぐっ!! この・・・・・・邪悪の分際ぐぁっ!!」
「ああそうさ、初めに会った時もいったが、俺は邪悪さ。けどなクソ餓鬼、この世にはお前が信じている正義なんざどこにもないんだよ」
突き出されたチェーンソーの刃をしゃがんで避けると、聖亜は体勢を崩したスヴェンの上に跨り、痛みと屈辱で歪んでいる彼の顔を軽く叩いた。
「本当なら問答無用で殺してるところだが、俺は餓鬼は殺さない。けど口で言って分からない馬鹿は身体で教えてやるしかないだろっ!!」
「へえ、すごいじゃないか。あのスヴェンが苦戦してるよ」
聖亜に押されているスヴェンを見て、エリーゼは感心したかのような笑みを浮かべた。
「木は熱を伝えやすい。恐らく聖亜の感情が高ぶった時に発生した熱が、木刀に流れ込んだのだろう。確かにこのままいけば聖亜はスヴェンを倒せるだろう。このままいけば、だが」
「・・・・・・?」
どこか歯切れが悪いキュウの言葉に、ヒスイがそちらを向いた一瞬、
カランッ
「う」
「あ・・・・・・聖亜!?」
「ふむ、やはりか」
振り向いたヒスイの視線の先で、戦闘を優位に進めていた少年の手から、木刀がぽとりと転がり落ちた。
「う、あ」
突然体を襲った激痛に、スヴェンに跨っていた聖亜はがくがくと震えながら木刀を振り落とし、続いてスヴェンの横にごとりと崩れ落ちた。
「あ・・・・・・うぁ、あぁあああああっ!!」
「ふん。やはり正義は我にあり。多少抵抗はされても、悪である貴様にこうして罰を与えているではないか・・・・・・なぁ!!」
立ち上がったスヴェンが、頭を踏み砕こうと足を思いっきり振り下ろしてくる。絶え間なく襲ってくる激痛の中で木刀を拾い、なんとかそれを受け止めるが、手にほとんど力が入らない。
「キュウ、これはいったいどういう事だ!!」
「難しいことではない。奴は今まで準という娘を汚された怒りと憎悪で激痛を一時的に抑え込んでいたにすぎん。時がたてば激痛がぶり返すのはむしろ当然であろう。それより、今のままでは奴はスヴェンに殺されるぞ」
「そんな」
黒猫の非情な言葉に愕然としながら、ヒスイはスヴェンに嬲られ続ける聖亜を眺めることしかできないでいた。
「・・・・・・く」
もはや意識すら朦朧としている中、聖亜はぎりぎりとこちらに押し込められるチェーンソーを木刀で必死に抑え込んでいた。腹部をスヴェンに踏まれているため逃げることはできない。しかも意識を失おうとすると、ドンっと腹部に強い衝撃が来る。どうやらこのまま嬲り殺しにするようだ。
「ふん、そろそろ観念したらどうだ悪。どれほど貴様が抵抗したところで、天罰が下った貴様のたどる道はもはやここで死ぬしかないのだ。だからせいぜい無様に殺されろ、この俺に!!」
「ぐ・・・・・・あ」
勝ち誇ったような笑みを見せるスヴェンに何か言い返そうとするが、口は微かに震えるだけで声は出ない。木刀を持つ手の力も段々と失われていき、今にも取り落としそうだ。
しかし、どうやら自分よりもその木刀の方が限界に来たようだ。
先ほどチェーンソーの刃をどれほど受けても皹一つ入らなかった木刀が、聖亜の熱をその中に入れたせいだろうか、幾度メカの刃を受け止めた時、その中央にいきなりびしりと亀裂が走った。
「くは、ははは!! どうやらここまでのようだなぁ、散々おちょくってくれた礼だ、この世のありとあらゆる苦痛を受けてから、無残に死ねぇ!!」
けたけたと狂ったように笑いながらスヴェンが押し込んでくる刃が、木刀の亀裂をビキビキと広げる。
そして次の瞬間、回転する刃に耐えきれなくなったのか、木刀は半ばから真っ二つに折れた。
「・・・・・・っ!!」
迫りくる刃に、聖亜は無意識のうちに目を閉じそうになった。だが最後の力を振り絞ってそれだけはなんとか避ける。
決して目を閉じずに、自分の最後を見届ける。それが多くの人々を傷つけ殺してきた彼の、心に決めたケジメであったから。
振り下ろされたチェーンソーは、ガギリと鈍い音を出し、それを抉った。
「・・・・・・ふん」
振り下ろしたチェーンソーが抉り取った“それ”を無造作に拾い上げると、無機質なその手触りに、スヴェンは退屈そうに鼻を鳴らした。
「く・・・・・・ふふっ、大丈夫? 聖亜」
「ナイト・・・・・・お前」
容赦のないスヴェンの攻撃から自分をかばい、代わりにその身に受けたナイトを、少年は呆然と眺めた。
「ナイト、お前・・・・・・腕が」
「ああ、これ? 大丈夫、すぐくっ付くから、人形だものね」
自分をかばって代わりに攻撃を受け、結果左腕を無残に切り飛ばされた彼女は、泣きそうな顔をしている聖亜を安心させようとほほ笑んだ。彼女の後ろには、大剣を構えたポーンとビショップが、自分を守るかのようにスヴェンと対峙している。
「何のつもりだ、雑魚共」
「雑魚とはひどい言い方だな、見てわからんか? 貴様から聖亜を守っているのだ」
そう呟いて大剣を構えたポーンの横で、ビショップが普段柔和な顔を顰めさせてスヴェンを睨みつけた。
「そうですね。申し訳ありませんが、あなたにこの人を殺させるわけにはいきません」
「ば、馬鹿、やめろ・・・・・・お前達じゃ、無理だ」
「そう? やってみないと分からないじゃない。私達だってあなたの眷属になったことで、少しは能力が上がってるのよ? 多分あなたが逃げる時間稼ぎぐらいはできるわ」
微笑みながら、ナイトはふと聖亜に顔を近づけた。何だ、と思う暇もなく、彼の右頬に何か柔らかい物が触れ、同時に何事かがささやかれる。それが彼女の作り物の唇であり、そしてナイトと名乗っている彼女の“本当の名前”であることに気付いた時には、ナイトはひらりと飛び上がってポーンとビショップの前にすとんと降り立ち、スヴェンを睨みつけていた。
「さて、そういうわけよ“玩具使い”主を殺したかったら、その前に私達を倒してみることね」
「・・・・・・ふんっ」
ナイトの挑発めいた言葉に、だがスヴェンは鼻息で返すと、自らの魔器を構えた。それに対し、ナイト達も身構える。聖亜に言われずとも、最初から相手との圧倒的な力量差はわかっていた。でも自分たちは退けない。それ以前に退く気はない。なぜなら自分たちが退けば、後ろにいる主が奴の手で殺されるからだ。だから、たとえ自分達が死んでも、退くことだけはできない。
そう思って、まずナイトが一気に突進しようとした、その時だった。
「くだらん、吹けば飛ぶ塵芥同然の貴様らに、一秒たりとも時間を割くつもりはない。一瞬で死ね、閃光技・・・・・・“千空”!!」
スヴェンの言葉と共に、彼の握っている二振りのチェーンソーにまばゆい光が灯る。それが魔器の全体を包み込んだ時、彼はそれを、目の前に迫ったナイトに向けて思いっきり振った。
「なっ? きゃっ!!」
「くっ・・・・・・がぁ!!」
「あうっ!!」
空を“千”に断つ衝撃波が、ナイト達に激突する。襲い掛かる衝撃波にポーンとビショップが全身をずたずたに引き裂かれながら壁に激突し、がくりと頭を垂れた。
「くっ・・・・・・ポーン、ビショップ、無事?」
ただ一人、傷を負いながらも持ち前の俊足を生かして弾き飛ばされなかったナイトが彼らに声をかけると、微かにだがうめき声が聞こえてくる。どうやら死んではいないらしい。だが、動けないほどのダメージを負ったのは事実だ。自分も致命傷は避けたものの、全身が切り刻まれている。
「ほう、今の一撃を耐えるか。多少ましな塵というわけだ」
「く・・・・・・」
全身に傷を負い、今にもばらばらになりそうなナイトに向かって、彼女を文字通り一蹴したスヴェンがゆっくりと歩み寄る。もはや自分の勝利を疑っていないのだろう、その動きに焦りや不安は全く見られない。
「ま、まだよ、まだやられるものですか」
勝てない
傷を負い、未だに動くことすら出来ない自分の前に立ち、必死に庇ってくれるナイトを見て、聖亜は心の底からそう思った。
自分では、目の前の男には決して勝てない。勝つことなど全く考えられない。
ならもうどうしようもないのか? このまま自分もナイトもポーンもビショップも、自分たちが殺された後はヒスイ達も、そして最後には準も・・・・・・もう殺されるしかないのか?
否、それだけは出来ない、許せない、認めることは欠片もできない。
ならどうすればいい? 簡単なことだ。こいつを倒せる可能性を秘めた奴を呼べばいい。
そしてその存在を、彼は一人知っていた。
だから呼ぶ。最後の力を振り絞って、心の底から
「・・・・・・来い」
「む?」
動けないナイトに止めを刺そうと歩いていたスヴェンは、聖亜が呟いた言葉にその歩みを止めた。
「来い・・・・・・炎也ぁ!!」
「なっ!?」
意識を失う瞬間、少年は自分の中から湧き上がる、暑苦しいほどの炎を感じていた。
「何だ、これは」
目の前の出来事を見て、歩みを止めたスヴェンはそれだけを呟いた。
今まで意識を保っているのが不思議なほどだった少年が突然起き上がると、彼の体から強烈な炎が天高く舞い上がった。
「まだ何か隠し玉があったのか。だが最早俺の・・・・・・正義の勝利は揺るぎはしない。どのような事になろうともな」
一度頭を振って、僅かに生まれた警戒心を振り払うと、スヴェンはまずナイトに止めを刺そうと再び歩き出し、そして呆然と炎を眺めていたナイトのすぐ背後に着くと、チェーンソーをゆっくりと振り上げた。
だが、それがナイトを傷つけることはなかった。
炎の中から飛び出してきた“それ”が、振り下ろしかけたチェーンソーをがしりと掴む。
「何っ!?」
だが全身に炎を纏った“それ”はチェーンソーを振り払うと、一瞬呆けたスヴェンの顔に向かって、炎に包まれた拳をまっすぐに突き出した。
「く!!」
間一髪、顔を左に起きく傾けることで直撃は避けたが、それでも頬に一筋火傷の痕が残る。じんじんと痛む頬に軽く舌打ちすると、それでもスヴェンは別段慌てることなく無防備な“それ”のわき腹を殴りつけた。
「きゃいっ!!」
聞こえてきた悲鳴は、以外にも若い女の声だった。だがスヴェンは別に相手が女だから手を抜くといった感情は持ち合わせていない。わき腹を殴られた相手が飛びのくのに合わせ、こんどは首めがけチェーンソーを振り下ろした。
「はっ、遅ぇよ!!」
「む・・・・・・がっ!?」
だが、次の瞬間痛みに声を上げたのは自分の方だった。なんと相手は振り下ろされたチェーンソーのほぼ真ん中を拳で殴り飛ばすと、そのままの勢いでこちらに体当たりを仕掛け、それを避けたスヴェンの手刀を叩きこんだのである。
首に受けた衝撃と痛み、そして熱さにスヴェンがさすがにぐらついた時である。目の前の炎がパッと飛び散り、中から声の主が現れた。
それは、少女であった。
赤い髪は炎のようにゆらゆらと揺らめき、髪と同じ色をした瞳はぎらぎらと輝いている。端正な口からは発達した犬歯が覗いている。
「ったく、人が気持ちよく寝てるってのに大声で叩き起こしやがって・・・・・・これが終わったらケーキどころじゃ済まさねえからな。クレープにプリン、アップルパイも頼んでやる」
ぶつくさとそう呟くと、炎の化身のような少女はスヴェンに向かって獰猛な獣のように笑いかけた。
「よう、どうやらテメエが俺の相棒をぎったぎたにしてくれた野郎のようだな。でよ、お前の名前なんてゆうんだ? 今まで寝ていたから聞いてなくてさ」
「第一級魔器使“閃光”のスヴェンだ。何故名前など聞く」
「いや、だって聞いとかなきゃいけないだろ? なんたって今から・・・・・・俺が殺すやつなんだからなぁ!!」
「ぐっ!?」
少女の叫び声が辺りに響くか響かないかの一瞬のうちに、彼女はすでにスヴェンの間合いの内側にいた。飛びのこうとするが相手の動きの方が早い。右手に炎を纏いながら、少女はスヴェンのわき腹を容赦なく抉った。
「がぁっ!!」
「ほらほら、まだ倒れるには早いぜ!! そういや俺の名前を言っていなかったな、我炎也!! 七の月に生まれた炎の子、名付けて七月炎也、久々の登場だぜ・・・・・・らぁっ!!」
倒れこむスヴェンの頭を無造作に蹴り飛ばし、炎也はスヴェンの喉元を赤く発光する右手で押さえつけた。その右手を見て、キュウはニャッ!! と一度大きく鳴いた。なぜならそれは、蛇神との戦いでは炎也に使う事の出来なかった、聖亜より遥かに小さく炎の勢いも弱いが、間違いなく“深淵の御手”であったからである。
「小娘!! 貴様何故それが使える!?」
「はっ!! 驚くことないだろ馬鹿猫。相棒は自分の意志で俺を呼んだんだ。ならあいつの能力を俺が使えるのは当たり前だろうが!! さあクソ餓鬼、手前には泣き喚く暇も、許しを請う時間も与えねえ!! このまま惨めに死にやがれ!!」
「ぐっ・・・・・・黙れ!!」
「おっと」
脇腹を抉られ、顔を殴られ、口から盛大に血を吐き出しながら、スヴェンは握りしめているチェーンソーを振り回し、一旦炎也から距離を取った。
「貴様は・・・・・・貴様だけは殺してやる絶技“千く「だから、遅いんだってっ!!」ながっ!?」
先ほどナイト達を一撃で戦闘不能にした衝撃波を少女に放とうと、スヴェンが握るチェーンソーが光を放ち始める。だが、それよりもなお炎也の動きのほうが早かった。チェーンソーから真空の刃が放たれる瞬間、彼女は身を低くしてスヴェンに近付くと、彼ではなく彼が持っているチェーンソーを殴り飛ばした。
「が、がぁああああああっ!!」
その瞬間、今まさに放たれようとしていた真空の刃が、彼女ではなく自分に向かってきた。放たれた真空の刃に弾き飛ばされ切り刻まれ、スヴェンは一度宙に浮き、そして地面に頭から激突した。身体には無数の切り傷を負っており、息をしているものの、全身から血を流している。
「おいおい、ちょっと指でパチンとしただけでもう終わりかよ。ま、中々楽しめたから良しとするか・・・・・・じゃあ、そろそろ終わりにしようぜ」
笑いながら、炎也は右手にぐっと力を込めた。途端に手を炎が包みこむ。そして炎に包まれた右手を、炎也はゆっくりと振り上げた。
「ぐ・・・・・・体、が」
「いいかクソ餓鬼、殺す前に一つだけ言っておいてやる。この世界に正義なんてものはないんだよ。相棒はああ見えて女子供を殺せない甘ちゃんだから、なんとかお前に教えようとしていたようだが、俺は違う。俺は平然と年下のお前を殺すことができる。なぜかわかるか? 男も女も、老人も子供も、どいつもこいつも同じ一つの生き物だろうが。なんで躊躇する必要があるんだよ!! さてと、右手もいい感じに温まってきたことだし、そろそろ行くか? 天国じゃなくて、地獄へとなぁっ!!」
まるで巨大な剣にも見える、肘まで包んだ巨大な炎を今まさに振り下ろそうとした時である。
「待ってくれ!!」
「んあ?」
振り下ろした拳がスヴェンに直撃する寸前、突如聞こえてきた少女の声に、炎也は思わずそちらを向いた。そのせいか右手を包んでいた炎は消え去り、しかも速度が落ちたせいで、スヴェンの体に当たった一撃は、彼を包み込むウリドラの防御を破ることができなかった。
「おいおい、待ってくれとはどういうことだよヒスイ、こいつはお前を殺そうとしたんだぜ」
「それは・・・・・・分かっている」
呆れたように問いただす炎也の言葉に、先ほど彼女を止めたヒスイは悲しげな表情で頷いた。
彼女らが話している中、スヴェンは右手に持ったチェーンソーを、ゆっくりと握りしめた。
「分かってるならどうして止めるんだ。ここでこいつを殺してしまえば、後は狙われることないだろうが。そっちの女はあんまり気のりしてないようだしな」
「ま、確かにね。あたしにとってはスヴェンが死のうとヒスイが生きようとどうでもいいことさ」
少女の苛烈な視線を受けて軽々と首を縦に振ったエリーゼを見て、炎也は信じられないといった風に首を振った。
「手前の相棒が死にそうだってのにそんな態度かよ・・・・・・それで? もう一度聞くがそれが分かっていてどうして止めた? 答えに寄っちゃあんたであろうともぶっ殺すぜ?」
「スヴェンはまだ子供だ」
「は? なんだその答え。言っておくが俺は凶器を持って、それを使う事にためらいを持たない餓鬼に容赦はしない。ぶっ殺すだけだ」
「もう一度言う。炎也、スヴェンは子供なんだ。私が彼の大切なものを奪ってしまったせいで、どうしていいかわからずただ一つの者に縋ってしまった子供なんだ。だから、私には彼に償う義務がある。それに」
「それに?」
「それに私はあいつと約束したんだ。どんなことがあってもスヴェンを死なせないって。だからもしお前がスヴェンを殺すつもりなら、私はお前を止める。例え」
ヒスイは、白髪の少女は、手に持った太刀を彼女に向けた。
「例え、絶技を再び使うことになってもだ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
彼女の言葉に、周囲に沈黙が落ちる。太刀を構えたヒスイの足下から、僅かに冷気が漂ってくるのを感じたのだろう。炎也は暫く彼女を睨みつけていたが、やがてふっとその視線を逸らした。
「・・・・・・ありがとう」
「ふん、言っておくがな、見逃すのは今回だけだ。そんなに大切ならしっかり手綱を握っておけ・・・・・・いいな」
「ああ。わか「誰、が」な!?」
その時である。いきなり聞こえてきたスヴェンの声にはっとヒスイが降り向いた瞬間、炎也の右肩にチェーンソーの刃が食い込んだ。
「がっ!! て、テメエ」
「誰が・・・・・・誰が貴様の情けなど受けるか、姉を殺し、我が誇りまで奪うつもりか、イルっ!! 俺を覆っている守護陣を解き、その分のエネルギーをすべて攻撃力に回せっ!!」
『そんな・・・・・・ご主人様、それだけはいけませんっ!! あなたの身体は今満身創痍です、それでも動けるのは守護陣で守っているからです、それを解くという事は、命にかかわりますっ!!』
「誰が意見を言えといったぁ!! 情けをかけられて生きながらえるより、ここでこいつらを殺して死んだほうがよほどましという物だ、さっさとやれぇっ!!」
『・・・・・・わかり、ました』
スヴェンの怒声に、歯を食いしばる音がしたかと思うと、少年を覆っていた半透明の幕がふっと掻き消えた。同時に先ほど炎也が抉った脇腹から血が勢いよく噴出していく。
「っち、やぱりこうなりやがったか・・・・・・ぐ」
激痛が走る中、炎を吹きだして食い込んだ刃を何とか押し出そうとするが、スヴェンはどうやら全体重をかけて刃を押し込んでいるらしい。右肩であるため、深淵の御手で弾き飛ばすこともできず、やがて炎也の体はぐらりとよろめいた。
「これで最後だ。万物尽く粉砕せよ・・・・・・閃光絶技“千裂”!!」
そして、彼女の体は、一瞬で切り刻まれた。
「ふん、中々しぶといな。万全の状態で放った絶技ではなくとも、まだ生きているか」
「・・・・・・うる、せぇ」
ふらつく体を支え、口元からは血を流しながら、それでもスヴェンは目の前に倒れ伏した少女を見て笑みを浮かべた。閃光絶技千裂、広範囲に散らばった複数の敵を一度に切り刻むもう一つの絶技“千空”とは違い、溜めたエネルギーを一か所に打ち付けるこの技は、万全な状態で放てばたとえ上位の爵持ちといえど一撃で滅する力がある。その一撃に炎也が耐えられたのは、流した地に足を滑らせた結果踏み込みが足りなかったためと、一撃を喰らう寸前炎也が自分に扱える全ての炎を使って何とか刃を押し戻したからであった。
だがその体は無残にも切り刻まれ、裂けた皮の下にある肉が見える。おそらくそう時間が経過しなくとも死ぬだろう。
「・・・・・・」
「どうする女、このまま無残に死んでいくのを眺めて欲しいか? それとも慈悲で即死させてやろうか? まあどちらにせよ俺をここまで追い詰めたエイジャは貴様が初めてだからな、好きな方を選ばせてやる」
「好きな、方か。なら俺は・・・・・・テメェを、ぶっ殺してぇな」
「・・・・・・く、くはははははっ!! その状態でまだ軽口が叩けるか!! いいだろう、せめてもの慈悲だ。一撃で死なせてやる」
笑いながら、スヴェンは炎也の胸にチェーンソーを乗せた。スイッチを入れれば、刃が回転して相手の胸に食い込み、そのまま命を奪うだろう。そして、彼が無慈悲にもスイッチに指をかけた時、
「・・・・・・くそっ、ついてないぜ。せっかく気持ちよく眠っていた所をたたき起こされて、しかもこんなずたぼろにされるなんて、な」
「・・・・・・む?」
チェーンソーを胸に乗せ、炎也は自嘲気味に笑った。
「お前の“痛み”は、俺が持って行ってやる。だから少し眠らせてくれや・・・・・・聖亜」
「くっ!!」
その時、スヴェンは彼が今まで感じたことの無い何かに突き動かされるように、チェーンソーの刃を回転させた。
だがそれは、“彼”の右手に当たって止まった。
「な・・・・・・馬鹿な!!」
避けられるのなら理解できる、弾かれるならまだ分かる。だが回転する刃が、彼の右手によって止められているのだ。
「・・・・・・炎也の奴、結局最後は俺に任せるのかよ」
回転する刃を掌で止めながら、聖亜は苦笑した。そしてそのまま、右手を“剣”の形に変化させ、チェーンソーを弾く。
「くっ!!」
押し戻されたスヴェンが下がると同時に、聖亜は立ち上がり、そしてゆっくりと彼を見た。
「さてクソ餓鬼、最終ラウンドと行こうじゃないか・・・・・・まぁ、俺もお前もどちらもぼろぼろだ。恐らく次の一撃で決着がつくだろうが、だからこそ全力を出させてもらう。“炎の偽剣”レバンテイン」
少年の呟きに、彼の右手は再びその姿を変えた。肩からは何本ものパイプが飛び出し、関節部は歯車に、手首はタービンへと変わり、手首から先は炎を結晶にしたような赤い刀身を持つ剣に変わった。
「くだらん、たかだか手を変化させただけで俺に叶うものか。ウリドラ」
『は、はいご主人様』
「あれを使う。いいな」
『あれ? ちょっと待ってくださいよご主人様!! あれってあれですよね? まだ未完成の技じゃないですか!!』
「それがどうした・・・・・・俺は奴を、奴等をどうしても殺したいんだよ!!」
『ひっ!! わ、分かりました・・・・・・ったく、イル、あんたのせいだからね。これが終わったらいっぱい虐めてやるんだから!!』
地面に転がっているもう一本のチェーンソーにぶつくさと文句を呟くと、ウリドラは魔器に残っている全てのエネルギーを解放させた。それに合わせ、売りどらの本来身体を守護する力すら攻撃力に変えたチェーンソーは、見る見るうちに巨大化していく。
「・・・・・・それがあんたの全力って訳か」
「それを敵に教えるような馬鹿だと思うか? だいたい満身創痍の貴様が俺に勝てると、本気で思っているのか?」
「さあ、それはやってみなくちゃわからないんじゃないか?」
にやりと笑いながらレバンテインを構える聖亜を見て、スヴェンもふっと笑った。
「それもそうだな、ならばこの一撃でその自信ごと粉微塵に打ち砕いてやる!!」
「ああそうかいっ!!」
そして、二人はほぼ同時に相手に向かって駆け出した。
「奥技“血桜千斬”!!」
最初に仕掛けたのはスヴェンの方だった。彼はチェーンソーを中段に持つと、ただまっすぐに向かってくる相手に突き出した。自分に向かってくるそれを、聖亜は跳躍して避けたが、攻撃を避けられたスヴェンの方はなぜか不敵な笑みを浮かべていた。
「馬鹿が、想定通りだ!!」
聖亜が跳躍したのを見てから、スヴェンはチェーンソーの握り方を変えた。そしてそのまま上に向かって振り上げる。相手は腕に炎を纏っているが、それを自分に当てるためには、彼は“落ちて”こなければならない。あとはその落ちてきた相手を切り刻めばいいだけだ。だが、
「甘いっ!!」
「なっ!?」
振り上げたチェーンソーが少年の身体に直撃した時、弾かれたのはチェーンソーの方だった。驚愕し、意識が逸れた瞬間、右肩を襲った激痛に取り落とさなかったものの、さすがに魔器を握る手の力が緩んだ。
「馬鹿、な・・・・・・押し負けただとっ!?」
それでも何とかチェーンソーを振るが、その刃が相手に届くことはなかった。逆に魔器の“腹”を蹴った聖亜の蹴りが、今度は左肩を捕える。
「がっ!?」
「だから、甘いって言ってるだろうがっ!!」
両肩をの骨を砕かれては、さすがに魔器を持っていられない。チェーンソーを落とし、ぐらりと傾いたスヴェンの首を足の間に挟むと、聖亜はそのまま全体重をかけて押し倒した。
「・・・・・・馬鹿な」
一連の、おそらく十秒ほどの戦闘を眺め、キュウはただ呆然と呟いた。聖亜が跳躍し、スヴェンが魔器を振り上げる寸前、彼の右腕は普通の腕に戻り、代わりに彼の両足が炎に包まれたのである。そしてその両足が巨大化したチェーンソーを蹴り飛ばした時、黒猫は彼の右手にあった紅き御手が、足に移ったことを悟った。
「確かに御手と呼ばれているが、それを足で発動させることも理論上は可能だ。だがあくまでも理論上の事ではあるし、跳躍してからわずか数秒足らずでできるものではない。何という成長速度だ」
赤界最強と呼ばれたスルトでさえ、赤き御手を制御するには数十年という歳月を必要とした。それほどまでに強大なのだ、御手という物は。だが、彼は一か月たたずにそれをほぼ使いこなしている。
「人間とエイジャの混血だから・・・・・・というわけではあるまい。過去にも何人かの混血と出会ったが、別に特別な能力があるわけでもなかった。ならばやはり原因は親にあるのか? 本人の素質もあるが」
自分の思考に頭を垂れたキュウと、スヴェンを圧倒する少年に言葉も出ないヒスイの目の前で、聖亜はスヴェンの首を足の間にはさみながら、いまだに激しく動く彼の腹部を、渾身の力を込めて肘で打った。
「ぐはっ」
「よし、ようやくおとなしくなったな・・・・・・まったく、往生際が悪いんだよ」
「貴様・・・・・・なんぞに、負けて・・・・・・ぐっ!?」
「ああ、動かないほうがいい。俺が少しでも足をひねれば、あんたの首の骨はぽっきり折れるからな。てか、戦っているときも思ったけど、お前あんまり自分より核上の相手と戦ったことがないだろう、いつも力任せに戦っているから、ちょっとしたフェイントに引っかかるんだ・・・・・・さて」
腹に来た衝撃と痛みで動けなくなったスヴェンを見て、聖亜は右手をぎゅっと握りしめた。すると、今まで彼の足を覆っていた炎が消え去り、右手を小さな炎が覆った。
「ヒスイとの約束もあるからな、お前は殺さない。けどまあ、一月は目覚めないぐらいの一撃ならいいだろう。ちょっと痛いかもしれないが、我慢しろよ」
「・・・・・・鬼、が」
自分の首を足の間に挟み、赤い炎を纏った右手を振り上げた少年を見てスヴェンがそう呟くと、
「鬼か。はは・・・・・・よく言われるよ」
怒るどころか、まるで肯定するように笑ってから、聖亜は振り上げた右手を、スヴェンの米神へと容赦なく叩きこんだ。
「スヴェン!!」
地面に頭をめり込ませた少年を見て彼の名を叫ぶと、ヒスイはむっとした表情で聖亜を眺めた。
「安心しろ、死んじゃいないさ。まあ、一か月ほどは目を覚まさないと思うけどな」
「そう、か・・・・・・すまない、迷惑をかけたな」
「いや、いいさ。それより早いとこ、準を病院に連れて行かない・・・・・・っ」
「聖亜? どうかしたの「おっと、動くんじゃないよヒスイ、動いたらこの坊やの首がすっぱりと切れるからね」エリーゼ!? どういうつもりだっ!!」
ほっとした顔で聖亜に近付いたヒスイは、彼がいきなり呻いたのを見て周囲を見渡し、いきなり聞こえてきたエリーゼの声にはっと背後を振り返った。
「どうもこうもないよヒスイ、あんたの抹殺命令を受けたのはスヴェンだけじゃないってことさ。それにこれだけの力を持っている奴だ、エイジャじゃないにしても野放しにしておくことなんざできないだろう? だいたい」
「うわっ!?」
「同僚を痛めつけられて退散するほど、あたしゃ不義理じゃないんでねっ!!」
エリーゼがにやりと笑うと、少年の身体が宙に浮きあがる。彼の身体は同年代の少年に比べればかなり小さく、体重もかなり軽いがそれでも女の細腕で持ち上げられるはずがない。それに、全身に巻き付いているいとで持ち上げられているのに、なぜか締め付けられるだけで身体が傷つくことはなかった。
「聖亜っ!?」
「おっと、動くんじゃないよヒスイ、拘束用の糸を使っているから苦しいだけで傷つくことはないが、その気になれば瞬時にそれを殺傷能力の高いものに変えることだってできるんだ・・・・・・さてと、そこで刀を構えているお嬢ちゃん?」
「う・・・・・・」
エリーゼにどこか蔑む口調で話しかけられ、我知らず刀を構えていたヒスイは苦しげに呻いた。
「その魔器を置きな。それともこの坊やの前で殺してほしいかい? ああ、イチかバチかに頼るのはやめな。戦闘訓練で、あんたが一度でもあたしに本気を出させたことあったかい?」
「な・・・・・・ない」
「そうだろう? だったらそこでおとなしく見ていな、そうすれば少なくともこの場であんたを殺すことはしないから。忘れたのかい? あたしは一殺多生のエリーゼだ。殺すのは常に一人と決めている」
ヒスイの様子を見てにやりと笑みを浮かべると、糸を握っている手とは反対側の手を自分の胸元に入れ、彼女はそこから一本の短刀を取り出した。刃の中ほどで歪に曲がっているそれこそが彼女の魔器である。糸を手繰り寄せ、少年の身体を引き寄せながらエリーゼは刃の曲がった魔器を振り上げた。
「・・・・・・ない、だが私は、仲間を見捨てることができるほど器用でもないっ!!」
キンッ
「おやっ」
エリーゼが魔器を少年に振り下ろそうとした時、駆けだして一気に距離を詰めたヒスイの振り上げた太刀が当たり、甲高い金属音を発した。だが一撃を防がれたエリーゼの目には驚きも恐怖もない。ただ面白そうに細められただけだ。
「仲間を助けるために上司に喧嘩を売るか・・・・・・いいねぇ、なかなかいい。けどヒスイ、力の伴わない行動は単なる徒労だよっ!!」
「くっ!?」
一度大きく飛びのいたエリーゼの左腕の袖から、目に見えないほど細い糸がヒスイに向かって彼女を捕えようと伸びる。数多の戦闘を経験したことにより培われた感で何とか初撃を避けると、ヒスイは再び伸びてきた糸を切り払おうと太刀を振るった。だが
「だから、徒労だって言ってるだろ、ヒスイ」
少女の振るった太刀は糸を断ち切ることができなかった。逆に数十、数百の糸に巻き付かれ、その重みにヒスイはがくりと膝をついた。
「あたしの扱う糸は銀蜘蛛の糸を加工したものだ。蜘蛛の糸の獲物をからめとる性質はそのままに、目に見えないほどの細さといってもその強度は鋼に勝り、その鋭さは刃に勝り、そして軽さは羽毛に勝る。それを断ち切ろうとするなら、もうちょっと力を付けなきゃいけなかったね「そうか」・・・・・・あ?」
膝をついた少女の身体に、さらに人を巻き付けせせら笑ったエリーゼは、だが自分の声に重なるように聞こえてきた少年の声にふと彼のほうを向いた。自分が拘束している少年は、もうあきらめたのかうつむいて表情が見えない。だが、彼は本当にあきらめたのだろうか。いいや違う、顔を上げた少年を見た時、エリーゼは我知らず一歩後退していた。
「・・・・・・何笑ってんだい、あんた」
「蜘蛛の糸・・・・・・か、ならどんなに硬くとも、どんなに鋭くとも、炎には弱いよなぁっ!!」
聖亜が笑みを浮かべた途端、彼の身体を赤い炎が包み込んだ。だがその炎は少年の身体を燃やすことなく、ただ彼を拘束しているいとだけを焼き切っていく。そして自分の身体を拘束していた糸をすべて焼き切って自由になった時、彼は炎に包まれたまま、エリーゼとヒスイのいるほうに向けて何気なく手を伸ばした。
「あ・・・・・・ああ、ああああああああああっ!!」
「な、なんだっ!?」
それは、ヒスイの身体に巻き付いている糸を焼き払おうという思い付きから伸ばした手だった。むろん、其処にはエリーゼを傷つけようという考えは全くない。だがこちらに向かって伸ばされた手を見た時、エリーゼは両肩を抱え、ぶるぶると震えながら叫んだ。
「エリーゼ、しっかりしろエリーゼっ!! 聖亜、すまないが炎を収めてもらえるか?」
「あ、ああ。そう、だな」
聖亜の発した炎であぶられ効力がなくなったのだろう、緩んだ糸を引きちぎって自由の身になると少年が火を消したためか、叫び声は出さずがたがたと震えているエリーゼの下へと駆け寄った。
「・・・・・・まあ、最後は予想外の展開になったが、これで終わりか。っと、こうしちゃいられない、早く準を病院に連れて行かないと」
スヴェンは倒れ、エリーゼはヒスイに介抱されている。もはやこちらを殺そうとする者はいないだろう。そう思いながら加世が守っている準の方に歩き出した時、
ドクンッ
不意に、鼓動が聞こえた。
憎い
もはや失った意識の中で、スヴェンはぼんやりと見えるこの世で一番憎悪している女と、自分を打倒した男を眺めていた。なぜ意識がないのに見えるのかなどという疑問は彼の中にはない。彼の中にあるのは、あの二人に対する果てしない憎悪だけだ。
憎い、憎い憎い憎い。俺の大切なものを奪ったくせに、それでものうのうと生きているあの女が憎い。あの女を殺すのを邪魔し、俺を倒したあの男が憎い。悪のくせに、打倒されて当然の者のくせに、あそこでああやって存在している奴らが憎い。あいつらを殺せるなら、この肉体も、この精神も、そして魂すらささげてやる。
いいだろう
その時、自分の中で何かが嗤った気がした。
「・・・・・・なん、だ?」
押しつぶされそうなほど重い空気の中、どこまでも強く鼓動する心臓の音が聞こえる。そしてそれはどうやら空耳ではないようだ。エリーゼを介抱していたヒスイも異常な雰囲気に顔を上げた。
「おいヒ・・・・・・おいおい、冗談だろ」
こちらを不安げな様子で見つめるヒスイを安心させるため、声をかけようとしたまさにその時、何かの気配に少年は振り返り、そして信じられないといった風に首を振った。
「ス・・・・・・ヴェン」
「・・・・・・あ? スヴェンだって?」
頭を地面にめり込ませ、常人なら一ヶ月は目覚めないほどのダメージを受けた少年が立っている。彼の顔を見てその名を呆然とヒスイが呟いた時、ようやく落ち着いたのか、いまだ震える身体をさすりながらエリーゼが顔を上げた。
「何だいスヴェン、もう目が覚めたのかい・・・・・・スヴェン?」
ほっと息を吐いて声をかけたエリーゼは、だが顔を上げたスヴェンの幽鬼のような顔と、その中で唯一生気を放っている赤黒い瞳を見て言葉に詰まった。
「ちょ、スヴェン!! あんた一体どうしたんだい!!」
「ま、待てエリーゼ、何かがおかしい」
立ち上がって駆けだそうとしたエリーゼを、ヒスイが何とか止める。その横で、聖亜はため息を吐きつつ再び拳を握り締めた。その握りしめた拳を、ゆっくりと炎が覆っていく。
「まったく、手加減しすぎたか? せめて今日ぐらいは眠っていてほしかったのに、もう起きてくるなんてな」
「あれは起きてるのではない」
聖亜の愚痴に答えたのは、いつの間にか彼の足下にいたキュウだった。いつものどこか余裕のある表情とは違い、今の彼女は怪我先出、敵意をむき出しにしてスヴェンの方を見ている。
「キュウ?」
「我の考えが間違っていることを望むが・・・・・・間違っていなければ、あれは」
『ウォオオオオオオッ!!』
「なっ!?」
「きゃっ!!」
その時、天を仰いだスヴェンの口から、男とも女とも違う声が轟き、わき腹から黒く細長い物体が二本、まるで手のように飛び出してきた。
「く、やはりあれは!!」
その黒い手は、一度探るようにゆらゆらと揺れた後、彼が持っていた魔器のところまで伸び、それぞれ一本のチェーンソーを掴むと、再び少年の体内へと戻っていった。むろん、握っているチェーンソーも彼の中にずぶずぶと入りこんでいく。
「な、何なんだいこいつは・・・・・・あ、あたしはこんなの知らない、知らないよ!!」
「エリーゼ、貴様が知らぬのも無理はない。これははるか昔に失われたはずの禁術だからの」
「き、禁術だって!? そりゃどういう事だいキュウ!!」
チェーンソーが完全にスヴェンの体に埋まると、少年の背がばくりと割れ、中からゆらうらと揺れる頑強な黒い腕が二本、飛び出てきた。太さはこちらの腰回りほど、長さは身長ほどもあるその腕には、剣や戟といった凶暴な武器を持っている。と、彼の体がその腕にふさわしい大きさまで巨大化していく。そそれと同時に、両頬がひくひくと動き、それぞれが憤怒の表情を浮かべた顔へと変化していった。
『ガァアアアアア!!』
「ひっ!!」
「ヘルメスめ、やはり復活させておったか!! 最悪の禁術が一つ“装魔降身”を!!」
「そ、装魔降身!? 何だいそりゃ!!」
もはや理性を失っているのか、所構わず手に持った凶器で粉砕していく怪物から隠れるように身を縮めたエリーゼは、初めて聞く言葉に黒猫を見た。
「魔器は元々魔を封印する物だという事は知っているだろう、装魔降身とは魔器の代わりに己の肉体の中に魔を宿し、それを介抱する術だ。魔器使の心身が弱ければ降ろした魔に支配される故、禁術中の禁術になっているはずなのだがな」
「禁術? ならどうしてスヴェンが使え・・・・・・まさか」
「ふん、おそらくそのまさかだ。ヘルメスの奴の仕業だろう。肉体を“改造”した時に、なにがしかのスイッチが入った時発動するように仕込んでいたのだろう」
「別にどんな術だっていいさ」
ふと、彼女たちの脇で聖亜の声がした。ヒスイが見上げると、炎で包まれた右手を握り締めた少年が、スヴェンの方に向かっていこうとしているのが見えた。
「聖亜よ、傷つき疲れ切ったその身体で一体どうするつもりだ。その状態では、万に一つも勝ち目はないぞ。ただ死にに行くだけだ、やめておけ」
「上等、どうせ俺は楽な死に方はしないよ。それに俺はあきらめが悪い方でね・・・・・・やめておけという言葉が嫌いなんだ」
そう答えて低く笑うと、まだ残っている痛みを誤魔化しながら、聖亜は怪物に変化してスヴェンの下へと歩いて行った。
「聖亜・・・・・・あの馬鹿」
「致し方あるまい、それが奴の生き方なのだろう。ヒスイ、そなたはあのバカの手助けをしてやれ」
「あ、ああ。だがいいのか? 魔器使同士の戦闘は禁じられているが」
「緊急事態だ、致し方あるまい。それにう戦う必要はない、手助けをするのはあくまでも小僧の“離脱”をだからの」
「・・・・・・そんなにすさまじいのか? あの怪物は」
拾い上げた太刀を握り締め、具合を確かめてから駆け出そうとしていたヒスイは、相棒の言葉に困惑気に首をかしげた。確かに巨大で腕力もありそうだが、聖亜はあの何十倍も巨大なニーズヘッグを倒している。正直何とかなると思うのだが。
「ニーズヘッグは元々かなり負傷していたからな。我が言っているのは力量の事ではない、“相性”の問題だ。エリーゼ、スヴェンの実家はとある宗教と密接に関係していることを知っているか?」
「何だい突然。スヴェンの実家って、確かザラフシュトラ家だったよね? それで宗教というと・・・・・・あ」
黒猫の突然の問いにエリーゼはしばらく視線を彷徨わせていたが、やがてぱしっと自分の額を叩いた。
「そうだ、ザラフシュトラといえば拝火教とまで言われるゾロアスター教と密接な関係がある。そりゃあ坊やの火が効くわけがないか・・・・・・まてよ、ゾロアスター教の中で、正義大好き少年であるスヴェンと相性がいい神っていうと、まさかっ!?」
「そう、そのまさかだ。スヴェンに降りた神はゾロアスター教の主神、アフラ・マズダーで間違いないだろう。最悪なことだがな」
「くっ、このデカ物が!!」
聖亜は八方から襲いかかっていくる凶器を弾きながら、何とか怪物に近づこうとしていた。だが降りたばかりで統制の取れていない相手の動きに、なかなか近づくことができない。それでも横薙ぎに迫る剣を跳躍して避け、振り下ろされる棍や戟の間を掻い潜り何とか巨体に近付くと、太い丸太のような腕を駆け上り、一気に顔の近くまでたどり着いた。
「どんなにデカ物でもな、さすがにここは痛いだろうっ!!」
そう叫びながら、怪物の三つの顔の一つにある目に向かって炎を纏った拳を叩きこむ。殺すわけにはいかないからさすがに県の形に放っていないが、それでも急所といえる場所に拳を叩きこんだのだ、痛いどころでは済まないだろう。だが
「なっ!?」
『・・・・・・ほう』
だが、叩きつけた拳が目に当たった瞬間、過疎の拳を纏っていた炎が消え去り、聖亜の右手は何が固いものに当たったかのようにはじき返された。しかも魔の悪いことに、先ほどの一撃がきっかけとなったのか、怪物の目に理知的な光が灯る。
『貴様・・・・・・随分と悪行を重ねてきたようだな、しかも濃い血の匂いがする。それも百や二百では到底足りん、千を超すほどの濃い血の匂いだ。匂い立つなぁ』
「ふん、また悪か。どうやらクソ餓鬼がおかしくなったのは、あんたのせいらしいな」
『おかしくなっただと? これは異なことを言う。我は正しく導いているだけよ、善悪二元論における善神の主神たる、このアフラ・マズダーにふさわしい依り代に育つようになぁ!!』
「うぁっ!?」
怒号と共に強大な吐息が吐き出され、聖亜の小柄な体が押し戻される。地面に落とされる前に、自分から降りようと飛びのいた彼の身体を、怪物の手の一つが捕らえ、地面に叩きつけた。
「聖亜っ!!」
だが、彼の身体が地面に当たることはなかった。激突する瞬間、ヒスイが身を投げ出して、彼の小柄な体を抱きとめたのである。
『ふん、小癪な』
そんな二人の様子を見下ろしながら、にぃっと獰猛な笑みを浮かべると、怪物は右足を挙げ、彼らを踏み潰そうと振り下ろした。聖亜を抱きしめつつ、何とかその一撃を避けたヒスイに、今度は四方から刀や戟が襲い掛かる。
「く・・・・・・うぁ、きゃあっ!!」
一撃目は何とか避け、二撃目は肩を掠め、三度目に振り下ろされた戟を避けきれずに太刀で受け止めた時、ヒスイの身体は空中に投げ飛ばされ、廃デパートの壁に激突した。
「ヒスイっ!!」
『人の心配をしている暇があるのかぁ?』
ズムッ!!
「かひゅっ!!」
壁に激突し、意識を失ったヒスイを助けようと駆けだした少年の身体に、アフラ・マズダーが横薙ぎに振るった棍が激突する。悲鳴を上げることもできず、ただ空気の漏れる音を吐き出しながら、聖亜の身体は地面に縫い付けられた。
「ぁ、ぐ・・・・・・背中を見せた相手を襲うなんざ、これが正義を名乗る物のやる、事かよ」
『これはおかしなことを言う。我は神話において善神と形作られている。ならば我が行いはすべて正しい!! 故に我に刃向うものはすべて悪だ。その悪を倒すのに、正々堂々とした戦いなどする必要はあるまい・・・・・・まあ、少しは楽しめた礼だ、せめて苦しまずに殺してやろう。我が慈悲にむせび泣きながら死ぬがいい』
もはや意識が朦朧としている聖亜の目に、怪物がその手に持った巨大な刀を振り上げるのが見える。それが、彼には死神の鎌のように見えた。
「・・・・・・まあ、ここら辺が潮時、かな」
動けと自分の中の何かが言う。戦えと自分の中の誰かが言う。だがそれは、今の彼にはあまりにも重かった。
「しょうがないだろ、相手はニーズヘッグ以上の化け物だ。俺にはもう・・・・・・どうすることもできない。所詮、“僕”は仁さんのようには、慣れないんだよ」
視界が霞む。恐怖からか、それとも悔しさからか、聖亜は知らず知らずのうちに涙を流していた。そして、
そして、怪物の持った刀が、死神の鎌となって振り下ろされた。
「まったく、見てられないわね」
ズガンッ!!
「・・・・・・ねぇ、起き、てる? 聖」
「あ・・・・・・ナイ、ト?」
霞む視界の中、誰かが自分の頬を撫ぜる。その優し気な感触に聖亜はぼんやりと前を見て、次の瞬間、はっと目を瞬いた。目の前に柔らかく微笑む人形の姿が見える。
「ふふ、ようやく目を開けた。大丈夫、大丈夫よ聖、あなたは私が守ってあげるから」
「ナイト?」
その時、聖亜は妙なことに気づいた。柔らかく微笑む彼女の身体が、だんだんと霞んでいっている。何が起こったのかを確かめようと、起き上がろうとした時、目の前に見えた惨状に、彼は大きく目を見開いた。
「ナイト、お前・・・・・・下半身が」
「ああ・・・・・・こ、れ? ふふ、ちょっと、間に合わなかった、かしら。まったく、ポーンとビショップからも、最後の力をもらったっていうのに、ね」
笑いながら、ナイトは・・・・・・刀が振り下ろされる寸前、ポーンとビショップからエネルギ-の供給を受け、何とか立ち上がって彼の身体を弾き飛ばし、だが完全に避ける事はできず振り下ろした刀に下半身を粉々に粉砕された彼女は、それでも少年を安心させようと、我知らず涙を流している少年の頬にそっと手で触れた。
「ね、聖・・・・・・ごめんなさい、あっちの世界に連れて行ってあげられなくて。ごめんなさい、あなたを遺して逝ってしまう事になって。ごめんなさい、あなたの心に、大きな傷をつけることになってしまって」
自分の言葉に、少年は涙を流しながらぶんぶんと大きく顔を横に振っている。もはや暗く濁ってきた視界の中、本当は人一倍愛情に飢えている少年の姿を目に焼き付けると、彼女はそっと、彼の唇に自らの唇で触れた。
「どうか、覚えて、いて。私たちの、事を。そうすれ、ば・・・・・・・きっと、私は、私、たちは、あなたと一緒に、いられる、か・・・・・・ら」
そして、彼女の意識は闇へと落ちた。永遠に
「・・・・・・ルナ、リア」
もはやぴくりとも動かなくなった人形を見下ろし、つい先ほど教えられた彼女の本当の名前を、聖亜は呆然と呟いた。
『ふん、無機物ごときが、我の邪魔をしおって。だがもはや貴様を守る者は誰もいない。おとなしく我が刃を受けるがいい』
「・・・・・・ごと、き?」
もひゃ立ち上がる気力もないと判断したのだろう、ゆっくりとした歩みで怪物が向かってくる。その巨大な気配を背中に感じながら、それでも怪物が発した言葉に、聖亜は誰にも聞こえないほど小さな声で、ぽつりとそう呟いた。
「ごとき・・・・・・だと? お前は、ごときといったのか?」
先ほど少年居振り下ろされ、人形の下半身を粉々に粉砕した刀が再び振り上げられる。だが、少年が動く気配はない、もらった。そう確信しながら、アフラ・マズダーがその腕を振り下ろした時、
その刀が、振り下ろされることはなかった。
「お前は、俺の大切な仲間を殺しておきながら、彼女をごときといったのかっ!!」
『・・・・・・あ?』
突然地面に落ちた手を、怪物は呆然と見下ろした。何をされたのかわからないまま、今度は別の腕の感覚がなくなる。
『きさ・・・・・・貴様ァッ!!』
「・・・・・・」
腕を切り飛ばされた、そのことにようやく理解が言った瞬間、押し寄せてくる激痛に怪物は吠えた。その叫びに何も答えることなく、聖亜は怪物の三つある顔の一つの眉間に炎の剣を突き刺すと、そのまま一気に振り下ろした。火と密接な関係にあるというより、むしろ火を信仰の対象にしているゾロアスター教の主神の顔が、その火に焼かれてぶすぶすと焼けただれていく。
『がぁあああああああっ!!』
「黙れ」
顔の一つが焼き潰され、残り二つの顔が痛みに歪む中、冷酷に言葉を発しながら、聖亜は今度は反対側の顔の右目に剣を差し込み、ぐるりと回転させた。
『ぐ・・・・・・ぇっ』
もはや叫ぶ気力も失った怪物の身体が大きく揺れ、どうっと地面に倒れる。その巨体の胸の部分に立ち、聖亜は無言で怪物を見下ろした。
「・・・・・・聖、亜」
「あれは・・・・・・あれは本当に旦那様なのですか!?」
怪物を圧倒する少年を遠くで眺めながら、キュウは哀しげに目を伏せた。そのすぐ横では、いまだ意識の戻らない準を守りながら、加世が身体を震わせている。
「ああ、間違いなく小僧だ・・・・・・理性など吹き飛んで、暴走してはいるがな」
怪物が倒れた時に発生した砂埃が消え、その上に乗っている少年の姿があらわになる。だが、これが本当に先ほどの少年なのだろうか。その長い髪は真紅に染まり、青い瞳は赤黒く染まって猛禽類のように吊り上がっている。そしてなんといっても変わったのはその右手だ。彼がレバンテインと呼んでいる真紅の御手を出した時に出現していたパイプや歯車は姿を見せず、代わりにドクン、ドクンと脈打つまるで肉のような巨大な物が腕の代わりになっている。その先端にあるのは巨大な嘴の様な刃だ。しかもその付け根の部分からは巨大な目が開き、まるで嘲笑するように細められている。
その姿は、まるで神話に出てくる火の鳥に似ていた。
ただ、その姿は神聖とは真逆の、どこまでも邪悪で禍々しいものであったけれど。
「ぼ・・・・・・暴走、ですか?」
「当然だろう、真紅の御手は人の手に余る。なら暴走しないほうがおかしいのだ。そしてそのきっかけとなったのは、間違いなく・・・・・・」
哀しげに息を吐いてから、キュウは端に置かれている二体の人形を眺めた。かつてポーンとビショップという名で少年に仕えていたその人形は、今ではもう何の力も感じることができない。
「で、でもあの力なら、怪物を倒すことができるのではありませんか?」
「怪物を倒し、その後はどうするつもりだ? まさかそれで暴走が収まるという暢気な期待をしているわけではあるまい。こうなれば、もはや最終手段をとるしかないか」
「さ、最終手段、ですか?」
「ああ・・・・・・むしろ、暴走させていたほうがましだというものだが「いえ、それをする必要はございません」にゃっ!?」
首をかしげる加世に頷きながら、いよいよ黒猫が覚悟を決めた時、背後からいきなり聞こえてきた聞こえるはずのない声に、黒猫は大きく目を見開いた。
『カァアアアアアアアアッ!!』
「・・・・・・」
最後に残った口を開くと、アフラ・マズダーは胸の上を歩いてこちらに向かってくる少年の姿をした“何か”に、巨大な炎を吐き出した。だが、それは少年が突き出した巨大な嘴のような刃に触れると、その中に吸い込まれていく。むっだと悟った怪物が、今度は残った武器を必死に振るうが、どのような武器も彼が振るう巨大な刃で弾き飛ばされていく。そして、ついに彼は最後に残った顔にたどり着いた。
『き、貴様・・・・・・分かっているのか、我を殺すという事は、我が依り代としている少年も殺すという事だ「それがどうした」ひっ!?』
命乞いにもとれる言葉を発した怪物を、聖亜はただ冷酷に見下ろした。
「お前の言う通り、俺は悪だ。その悪が、お前の要望を聞き入れると、本気で思っていたのか? もう遅いんだよ、何もかもがな。第一、正義の神ともあろうお方が、こんな小悪党一人に命乞いなんかするんじゃないよ、くだらねぇ」
まだ何か喚こうとしているアフラ・マズダーの口の中に靴を突っ込んで黙らせると、聖亜は右腕を大きく振り上げた。右腕の先端にある刃が燃え上がり、その付け根についている巨大な目が歓喜の表情を浮かべる。
「懺悔する時間も、許しを請う時間も与えない。ただ無様に死「いえ、それは許可できません」がっ!?」
アフラ・マズダーを殺すことに全神経を集中させていたため、横から迫ってくる巨大な何かに気づくことができなかった聖亜は、その何かに弾き飛ばされ、怪物の上から転がり落ちた。
「う・・・・・・いったい、何だ?」
「おいおい、さっきの一撃を受けてまだ立っていられるかよ、しょうがねえ、ちょっと眠っていてもらうぜ」
よろよろと立ち上がり、周囲を見渡した少年の耳に、どこからか場違いなほど陽気な声が響く。それとほぼ同時に、頭上で微かな雷鳴が聞こえた気がした。空耳かと思いつつ、顔を上げた時、
彼は自分に向かって降り注ぐ、光り輝く無数の雷光を見た。
『ふん、どうやらまた一匹虫けらが現れたか・・・・・・潰す前に名前ぐらいは聞いてやろう。名乗れ』
「おやおや、先ほどまで命乞いしていたくせに、随分と強気な態度です事。それとも相手の事が分からないと不安で戦えなくなる臆病者ちゃんなのかね。装魔降身だっけ? こちらの“神降ろしの儀”の“パクリ”かつ“偽物”の分際で、よくもまぁ」
稲妻に撃たれて気絶した少年の身体を担ぎ上げた突然の乱入者を、アフラ・マズダーはゆっくりと立ち上がって睨みつけた。
『ふん、どうやら死にたいようだな。せめて殺す前に名を聞いてやろう・・・・・・むんっ!!』
アフラ・マズダーがその巨体を震わせると、先ほど少年が切り落とした二本の腕が浮き上がり、元々あった彼の身体に元通りに付着した。
「おやおや、芸達者だ事。ところで俺かい? ま、あんたを散々痛めつけた坊主の兄弟子って所さ。名を鈴原雷牙という・・・・・・ま、“偽物”のお前さんにゃあ過ぎた相手だ」
「鈴原・・・・・・鈴原だって!!」
「う・・・・・・鈴原?」
その男、鈴原雷牙の名乗りに、気絶したヒスイを介抱しつつ、事の成り行きを見守っていたエリーゼは驚きの声を上げた。耳元で響く彼女の大声に意識を覚醒させたヒスイは、痛む体を誤魔化しつつ何とか顔を上げた。
「よ、ヒスイちゃん、お久しぶり」
「くっ!! なんて事だい、高天原から誰か来るとは思っていたけど、よりにもよってあんたが出てくるとはね。高天原最大戦力である“雷神の申し子”、十代で“三雄”に選ばれた“規格外”」
「何だよ、俺の事よく知ってるじゃないか。マジパねえ。というわけで、前座ご苦労。悪いがここは日本、つまり俺たち高天原の管轄内だ。部外者さんはちょっと引っ込んでな・・・・・・というわけで、千里、方陣の方よろしく」
「了解、六角五方陣・・・・・・発動します」
「み、水口さんも」
雷牙の声に応え、彼の背後から現れた眼鏡をかけたり知的な女が懐に手をやり、六枚の細長い紙を取り出し空中に放り投げる。空中を漂う六枚の紙はアフラ・マズダーを囲む大きな円を作り、地面に落ちた瞬間、彼らを囲む大きな半透明のドームのような結界となった。
『くだらん、たかが結界ごときで我の動きを封じられると思っているのか・・・・・・むっ?』
「ま、あんただったら時間を掛ければこの方陣を破壊することも可能だろ。けど残念、これはあんたを封じ込めるためだけの結界じゃないんだよ、それと同時に」
雷牙は背負っていた長い包みを右手に持ち、中から古ぼけた木剣を取り出すと、その切っ先を自分の胸に押し当てた。
「俺の力を外部に漏らさないための物さ。この力はちと強大すぎて、ね」
「エリーゼ、三雄というのはもしかして」
「三雄、嘆きの大戦で活躍した三傑に倣って作られた称号であり、一夜にして上級エイジャを千体屠った者か、十体の貴族を滅ぼした物に与えられる称号さ。あいつ、鈴原雷牙は数年前、僅か十代でその称号を得るに至った。京都を襲撃した千を超す上級エイジャと、十体の爵持ちを一夜で屠ったことでね。着いた異名が雷神の申し子、あるいは“規格外”」
「一夜にて、千の悪鬼を屠りしは、虚空を切り裂く我が雷なり。具現せよ、降り神・・・・・・“タケミカヅチ”」
ヒスイ達の視線の先で、彼の胸に当たっている木剣がぎちぎちと音を立てて開き、雷牙の体を包み込みながらその色を青色にに変化させていく。やがて雷牙の体が完全に隠れた時、
結界の中のはずなのに、一筋の稲妻が、彼に降り注いだ。
「・・・・・・“雷神の申し子”顕現」
雷光が晴れた時、そこにいたのは一見すると子供用の番組に出てくるヒーローだった。だがその肩や靴の先端が鋭く尖っており、どちらかというとヒーローというより悪役と言った方が正しい。そしてその先端からは、バチバチと小さく稲妻が走っていた。
「さあ来い、あんたに本物という物を教えてやる」
『っ!! ほざけぇ!!』
雷牙、いや、雷神の申し子の挑発に、アフラは巨大な刀を左右から同時に振り下ろした。前方に転がることで避けた相手に、今度は戦斧を横殴りにする。だが彼はあろうことかその戦斧の上に乗っていた。
『なっ!! 小僧ッ!!』
「この得物はお前の手が持っている。そして手は腕、腕は胴体に繋がっている。単純で簡単な答えだ。喰らえ・・・・・・雷光拳“イナズマブロー”!!」
腕を駆け上がりながら、右手を大きく振り上げる。バチバチと稲妻が包みこむその拳を、彼はアフラの胸に深々と突き刺した。
『オグッ!! ちょ、調子に乗るなぁ!!』
うるさい蠅を振り払うように武器を振り回し、相手を飛び退かせると、アフラは先ほど聖亜に放った炎を吐き出した。だがそれをタケミマンは空に飛び上がることで避けようとするが、吐き出される炎は途切れることなく続き、とうとう彼の体を飲み込んだ。
『ふん、焼け死んだか「おいおい冗談だろ、この程度でくたばっているようじゃ、三雄は名乗れん」な!?』
未だ吐き出される炎の中を突っ切るように、彼の体がこちらに向かって飛び出してきた。
「炎を吐き出している間は口を開いていなければならない。そして炎が効かなければ、口の中は無防備になる・・・・・・取ったぞ、“超電磁・キック”!!」
『グガッ!?』
「そして・・・・・・放電ッ!!」
左側の顔に突き刺さった足が稲妻を纏う。そしてそれは、いきなり弾けた。
『ガァアアアアアッ!!』
アフラの体内で何千、何万ボルトという電撃が弾け、内側から黒焦げにしていく。ぷすぷすと音を立てて煙が上がる真っ黒な巨体を背に、彼はは大地に音もなく降り立った。
「討伐・・・・・・終了」
「・・・・・・・・・・・・う、そ」
自分を一蹴した巨大な怪物が、わずか数分で倒されたのを、ヒスイは呆然と眺めていた。
「どうよヒスイちゃん、それにまだ目覚めていない弟弟子、これが戦いだ。圧倒的な力と力のぶつかり合い。敵を殺すことに一瞬のためらいも見せてはならない。まあ、今回の相手はエイジャではなく魔器使だから、殺しはしないがね」
「・・・・・・一体何なんだ、あなたは」
「さてね・・・・・・ま、いうなれば強力すぎる力を持った未熟者と言ったところか」
「・・・・・・」
愕然としているヒスイの問いに軽く笑って答えると、雷牙は纏っている装具を解除しようと、胸のあたりに手を置いた。
『隙を見せたな、愚か者が!!』
と、その頭めがけて身体も武器もそのほとんどが黒焦げになったアフラ・マズダーが。最後に残った刀を振り下ろす。完全な不意打ちだったが、それは雷牙の頭上すれすれで止まっていた。
『・・・・・・な』
「ごくろうさん、千里」
「いえ」
その刀を抑えていたのは千里だった。彼自分の身長の倍はある巨大な刀を、彼女の細腕が軽々と防いでいる。
『ば、馬鹿な・・・・・・小娘がぁ!!』
「単なる小娘に、“雷神の申し子”のパートナーが務まるとお思いですか? 具現しなさい、我が降り神“タケミナカタ”」
不意に、彼女の両腕が、先ほど少年を殴り飛ばした巨大な鋼の腕へと変わった。
「よし千里、そのまま打ち上げてくれ」
「それは構いませんが、どれぐらい溜められました?」
「まぁ僅か一厘程度だが、さすがにこれ以上溜めると依り代になってる魔器使君も消しちまうからな。それじゃ頼む」
「了解。打ち上げます」
あくまで冷静に答えながら、千里は片方の鉄の腕でアフラの巨体を、まるで紙を持ち上げるかのごとく軽々と持ち上げ、
『な!? な・・・・・・なぁあああああ!?』
もう一方の手で、その巨体を思い切り上に殴りつけた。
『グェエエエエエエ!!』
「さてと、それじゃ行きますか。いいか、よく聞け偽物、正義っていうのは圧倒的な力を持って初めて名乗ることが許されるんだ。なら負けたお前は正義じゃない、たんなる偽善者だ」
アフラ・マズダーの存在を否定した雷牙の胸の装甲がばくりと開く。その中にあったのは、一抱えほどもある巨大な黄金の球体だ。
「一厘溜めた俺の必殺技、しっかり味わいな・・・・・・荷電粒子砲、喰らえぇええ!!」
不意に、空に向かって一筋の稲妻が走った。
それはどこまでもどこまでも伸びていき、月にクレーターを一つ作って、ようやく消えた。
傷ついた者も、そうでない者も皆、我に返るまで、ただ呆然と空を見上げることしか、出来なかった。
「これで戦闘は終わったわけだけど・・・・・・さて、どうするかな」
装魔降身が解除され、ぼろぼろの状態で落ちてきたスヴェンに駆け寄ったエリーゼを見送ると、雷牙は地面に寝かされている準と聖亜、そして彼らのそばにいるヒスイと加世、黒猫を眺めた。
「・・・・・・どうするとはどういう意味だ」
「言葉通りだよ黒猫君・・・・・・いや、ちゃんかな。君たちは管轄外であるこの日本で戦闘を行い、建造物に多大な被害をもたらした。それだけではなく、ここで戦闘を行ったせいで一般人が寄生種に犯されるという大失態までやらかしている。さすがにここで事を収めるには大きすぎる問題だねぇ」
どこか暗い笑みを浮かべながら、雷牙はヒスイ達に向かって歩き出した。荷電粒子砲を放った反動のためか、体のあちこちで放電しながらこちらに向かってくる“規格外”を見て、ヒスイはほぼ無意識に太刀を構えた。そんな彼女の動きに、雷牙がにっと笑った時である。
「待て、よ」
「・・・・・・おやぁ?」
と、その足が急に止まる。雷牙が足元をちらりと見ると、先ほど稲妻を受けて気絶した聖亜が、こちらの右足首を掴んでいるのが見えた。放電している装具を掴んでいるというのに、足首を掴む手の力は全く揺らぐことはない。
「やれやれ弟弟子君、君じゃ俺には勝てんよ。経験と知識、そして何より力の差がありすぎる。君は力と経験はそれなりにあるが、戦うために必要な知識が圧倒的に足りない。その手が黒焦げになる前に、さっさと放したほうがいいと思うがねぇ」
「放せ、るかよ・・・・・・準は俺の唯一なんだ。それにヒスイ達も仲間だ。その仲間がやられようとしているのに、黙って見ていられるか」
「・・・・・・」
こちらを睨んでくる少年を無言で見返して、雷牙はゆっくりと歩き出した。だがずるずると引きずられながらも、聖亜は歯を食いしばって放すのをやめない。やがて数歩ほど歩いたところで、彼はあきらめたようにため息を吐いた。
「千里、弟弟子君の恋人はは治せるかい?」
「寄生種の掻く事態を取り除くことは可能です。ただそれは高天原にある専門の施設でしか行うことはできませんし、もし取り除くことに成功したとしても十中八九廃人となります・・・・・・いったい何を考えているのですか、雷」
「いや、この状態を一気に解決するいい案を思いついたんだけどさ」
そう呟いて小さく笑うと、雷牙は屈んで少年の肩にポンッと手を置いた。
「弟弟子、いや聖亜君。君・・・・・・いい体してるね」
「は?」
雷牙が唐突に言った言葉に、聖亜は暫くぽかんとしていたが、彼が発した言葉に暫く考え込み・・・・・・そして、微かに頷いた。
その“選択”が、自分の未来を決めることになるなど、思いもせずに
続く




