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スルトの子  作者: 活字狂い
2/22

スルトの子 第一幕 夏の日に見た、胡蝶の夢



  眼下に、蒼色の海が広がっている。






 


 自分の瞳と同じ色をしているその景色を、少年はぼんやりと眺めていた。



その肌は透き通るように白く、肩の所で切りそろえた髪もまた、同じように白い。



 一見すると、先天性白皮症、所謂アルビノと間違えられそうだが、夏の日差しの中、少年の白い肌は、髪の毛一筋分も赤くなっていない。



『アテンションプリーズ、本日は、蒸気飛空船“アルバトロス”号にご乗客頂き、誠にありがとうございます。当機はまもなく、目的地である太刀浪空港に到着いたします。安全のため、席をお立ちにならないよう、お願いいたします。繰り返し連絡いたします。本日は……』



 機内に、機長の声が響き渡る。と、少年の胸元が、微かに震えた。



「……静かにしていろ」


  少年が指で押さえると、震えは収まった。それを見て微かに笑うと、彼はまた窓から外を眺めた。





 

  蒼色の海の彼方、太陽の光で、微かに輝く大地が見える。それはやがて、段々と近づいてきた。








 「あれが日本……そして、太刀浪市、か」






 星聖亜ほしせいあの携帯に、バイト先から電話が掛かってきたのは、昼休み、彼が市立根津高等学校の食堂でカレーを食べ始めたときだった。



「はい、聖っす・・・・・・なんだ、祭さんじゃないっすか」

『なんだはねえだろ、なんだは・・・・・・まあいい。聖、お前今日の配達、忘れてないだろうな』

「へ? 配達・・・・・・すか?」



 真向かいでラーメンを食べている胸の大きな女子生徒が、何か言いたげに見つめてくる。それに手を振りながら、ぼんやりと聞き返すと、途端に電話の向こうから悪態をつく女の声が聞こえた。



『この馬鹿っ、テメエ、あれだけ忘れるなって言っておいたのに、やっぱり忘れてやがったなっ!!』

「え? い、いや、そんなわけ無いじゃないですか、いくら俺でも、そこまで馬鹿じゃないですよ」

『・・・・・・本当にそうかよ、まあいい。とにかく、今日の配達、しっかり頼んだぜ。それから、もし忘れてたら・・・・・・分かってんだろうな?』



 最後の言葉とほぼ同時に電話は切れた。携帯電話をしまうと、星亜はげっそりと息を吐いた。



「バイトか? 聖」

「うん、まったく、こっちにも用事があるっていうのに、いきなり頼むなんて、非常識にも程があるっすよ」

 ぶつくさ言う少年を見て、彼の真向かいに座っている少女は、呆れたようにため息を吐いた。


「聖・・・・・・お前、急に頼まれたんじゃなくて、忘れてたんだろ」


「うっ! い、いや、そんなこと無いですよ、ちゃんと覚えてましたですよ? いや、その、たぶん、きっと・・・・・・ほんのちょっぴり」



 慌てて首を振る少年の顔に、彼の真向かいに座っている少女は、褐色の指をびしりと突きつけた。



「お前な、嘘つく時、変な敬語を使う癖、いい加減に直したらどうだ? まったく・・・・・・秋野と福井の凸凹コンビには、私のほうから言っておくから、お前はちゃんとバイトに行って来い。お前を頼りにしている人がいるんだから」


「あう、ご、ゴメンなさいっす、準」


「いいって、まあ、七夕祭のための、いい小遣い稼ぎと思えばいいじゃないか。それより」


 準と呼ばれたは、少年に突きつけた指で、そっと彼の頬に触れた。


「おべんとが付いてるぞ。まったく、お前は私がいないと、本当に駄目だな」



 彼の頬に付いていたご飯粒を取ると、少女はそれを、ぱくりと口の中に入れ、嬉しそうな、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。


 その嬉しそうな表情に、どうしようもなく頬が赤くなる。赤くなった頬をごまかすように、聖亜は慌てて窓の外を見た。






 青い空の中を、一隻の飛空船が飛んでいた。










「どう、聖ちゃん、進み具合は」

「あ、大丈夫っすよ、神楽かぐら婆ちゃん、洗濯物の取り込みぐらい、任せてくださいっす」



 夕方、バイト先である喫茶店の人気メニュー「店長のお勧めグラタン」を配達しに来た聖亜は、配達先の一軒家で、なぜか洗濯物を取り込んでいた。

「まあ、ずいぶん進んだこと。やっぱり男の子がいるといいわねえ。さ、休憩して頂戴。お茶を入れますから」

「あ。お構いなくっす、神楽婆ちゃん」

 口ではそう答えながらも、聖亜は縁側に洗濯籠を置くと、その横に腰掛けた。



 夏の夕方の日差しを浴びながら、洗濯物を取り込むのは、背の低い自分には、予想以上にきつい作業だった。ふうっと息を吐いたとたん、急に疲労が襲ってきた。


「あら、男の子が遠慮なんかしちゃ駄目よ、聖ちゃん。この家に引っ越してきてから、毎日が退屈で、こうやって遊びに来てくれる聖ちゃんとお話しすることが、唯一の楽しみなんだから」


「あの、神楽婆ちゃん、おれ、遊びにじゃなくて、一応仕事できてるっすけど」


「あら、じゃあ私とのお話も、お仕事に追加してもらおうかしら」




 勘弁してくれっす、そう呟いた聖亜だが、彼自身、この品の良い老婦人との会話は、楽しみの一つとなっていた。

 聖亜がこの老婦人と初めて会ったのは、今から半年ほど前だ。旧市街で道に迷っていた彼女に声を掛けたのをきっかけに知り合いとなり、その後どこで知ったのか、彼がバイトをしている喫茶店のことを知り、よくこうして配達を頼んでくる。


 多いときなど、毎日配達を頼まれた。金払いも良く、今ではお得意様となっている彼女が、何故自分に配達させるのか、それが良く分からず、彼は一度だけ、そのことを聞いたことがあった。



『そうね、きっと、聖ちゃんがずっと昔に奪われてしまった、私の坊やに似ているからでしょうね』


 悲しげに答える彼女に、聖亜はそれ以上聞くのを辞め、その代わりに


「さあさあ、お茶にしましょう。お茶菓子は何がいいかしら。お饅頭? お煎餅? ああ、けど若い子は、やっぱりクッキーやジュースがいいかしら」


「えと、じゃあ、オレンジジュースとクッキーで」


 にこにこと上品に笑う彼女に、精一杯甘えてみることにした。









「こちら聖です。神楽さんへの配達、終わりました」


『お、ご苦労だったな、聖。けど、ずいぶん遅くなったな、また婆さんに捕まったんだろう』



 あの後、神楽の好意についつい甘えてしまった聖亜は、予定よりずいぶん遅れて彼女の家を後にした。本来なら、今頃は喫茶店に戻っている頃だ。

 この時間帯、街は白く霞む。電気設備が完備されている新市街とは違い、旧市街では、いまだに蒸気機関が稼動している場所があり、、そこから排出される水蒸気が霧となり、街を覆うためだ。今も地下から送られてくる蒸気で、少年の横のガス灯に、ぼんやりと明かりが灯る。


『はは、まあいいだろう。本当なら、こっちに戻ってきて、もう二、三ほど手伝って欲しいことがあったんだがな。今日はまっすぐ帰っていいぞ』


「はあ、ありがとうございますっす」


『なんだ、余り嬉しくなさそうだな。あまり夜うろつくのは感心せんぞ。ただでさえお前は女子に間違えられやすいんだからな』


「う、ひ、人の気にしていることを、軽く言わないで欲しいっす」

 うつむきながら、聖亜は自分の髪を触った。この黒く長い髪と、女性的な顔付き、そして百六十センチに満たない身長のため、聖亜は一瞥すると、少女にしか見えない。


『まあそういうな、教えその三十一だ。短所は時に長所でもある。特に、女顔ということは、相手を油断させるには申し分ない』

「そりゃそうっすけ『まあ、本当は俺が楽しみたいだけなんだがな』……この変態めっ」


 毒づく聖亜だったが、笑いながら電話を切られた。結局、最後まで相手のペースに飲まれっぱなしだった。


(師匠を超えるのは、まだまだ先っすね)


 苦笑しながら、霧が晴れた路地を抜け、見慣れたいつもの道に出る。夕陽に照らされる中、ちらほらと家に帰る人の姿が見えた。


「あ、落としたっすよ」


 若い母親と、おそらくまだ幼稚園児なのだろう、小さな女の子が脇を通り過ぎたとき、女の子のポケットから、可愛らしいひよこ柄のハンカチが落ちた。拾い上げ、少女に差し出す。


「あ、すいません。ほら、よっちゃん、ありがとうは?」


 母親に促され、女の子が、とてとてと懸命に歩いてくる。優しげに笑い、聖亜はそっとしゃがみ込んだ。


「はい、もう落としちゃ駄目っすよ」

「あい、あいがと、おねえたん」


 たどたどしいお礼の言葉に、自分はお姉ちゃんじゃないんだけどな~、と、聖亜はちょっとだけ苦笑いを浮かべた。




 そして、少女の小さな指が、ハンカチに触れた、その瞬間




 視界が、黒一色に染まった。











 「・・・・・・あ・・・・・・え?」






 聖亜は、ぼんやりと辺りを見渡した。



 どうやら、少しの間、呆然としていたらしい。時間にして、わずか数秒ほどだろう。



「……よ、る?」



 だが、聖亜には、その数秒が、まるで何時間にも感じられた。



 なぜなら、黒いのだ。道も、建物も、人も、空も、その全てが。



 強引に、夜の帳を下ろしたかのように。なにより




(星が、一つも、無い)



 いつもなら、晴れ渡る夜空に浮かぶ満天の星も、その中で一際輝く青白い月も、まるで漆黒のベールに包まれたようにそこには無く、さらに何かに押しつぶされるかのように、息苦しい。


 とにかくここにいてはいけない。そう結論を出すと、聖亜は重く感じる足をゆっくりと前に押し出した。



 不意に、ずくりと、音を立てそうなほど強い恐怖が、自分の身体を包んだ。



 逃げろ、と、誰かが言う。その言葉どおり、必死に逃げようとしているのに、足は、まるで地面に縫い付けられたかのように動かない。





 そのとき、ゆらりと、前方の黒い闇が動いた。





  悲鳴を上げそうに鳴るが、聖亜は、ふと、のどまで込上げた悲鳴を飲み込んだ。闇が動いたと言うことは、この時、この場に、自分以外の誰かがいて、そして動いていることになる。



「よかった、誰かいっ・・・・・・」


 胸に安堵感が広がり、今まで重かった足も、元通り動く。すぐに、気配のするほうに走り出そうとした聖亜は、だが、不意に立ち止まると、近くのガス灯の陰に、そっとしゃがみ込んだ。





  自分の中の何かが言ったのだ、見つかるな、と





 聖亜が身を隠したのと、黒い闇の中から、“それ”が現れたこと、それは、どちらが早かっただろうか。前方から現れたもの、それは、




(か・・・・・・面?)




 それは、青白い光を放つ、二つの仮面であった。




 大きさは、人の顔ほど。どちらも中央に縦線が走っており、周りが緑色に縁取られている。一見すると、同じ仮面に見えるが、そこに描かれた表情は、まったく異なっていた。







 一つは、憤怒の表情を、





 そしてもう一つは、涙を流す悲しげな表情を、それぞれ浮かべていた。





 ここまでなら、変わったところは余り無い。演劇などで、似たような仮面を被る人はいるし、手品師の中にも、自分の表情を隠すため、仮面を被る人がいる。




なにより、二つの仮面の内、悲哀の表情を浮かべている仮面は、去年のハロウィンで、友達の秋野と福井に被せられたそれにそっくりだったから、





 だから、聖亜はその時、恐怖を忘れ、声を掛けようとした。



だが、次の瞬間、少年の忘れていた恐怖は、少年に、倍になって襲い掛かった。




「・・・・・・ひっ」

 なぜなら、仮面を被っているのは、人間ではなく、



「・・・・・・」

「・・・・・・」




 人間がどんなに真似をしようとしても、決して真似できないほど、人間にそっくりな、





 二体の、人形であったから






 その姿はほとんど人間と変わらない。だが関節の部分には螺子が巻かれ、褐色の肌の所々には、わずかに節目が見える。これがなければ、聖亜は彼らに向かって話しかけていただろう。だが、寸での所で、彼は自分を捕らえようとする死神の指から、ほんのわずかに、逃れることが出来た。



 聖亜が恐怖に駆られている間に、人形は彼のほうに向けて歩き出す。躊躇の無いその動きに、まさか見つかったかと聖亜は思ったが、人形は少年の前を通り過ぎると、彼らの前方に立っているサラリーマン風の男に、ゆっくりと近づいていった。



(……え?)




 聖亜は、いきなり現れたその男に、ふと首を傾げた。今まで、この黒い空間には、自分しかいなかったはずだ。それなのに、人形達は、その男に向けて、迷わず歩き出していた。



 だが、そのことに疑問をはさむ余裕は、少年には与えられなかった。



(いったい何を・・・・・・あ)



 少年の見つめる先で、憤怒の仮面を付けた人形が、男の前にゆっくりと進み出る。そして、その右手を、ゆっくりと男に向けると、



人形の手は、は男の胸の中に、ずぶりと潜り込んだ。





「ひ・・・・・・あ、あ・・・・・・」


 途端に、男の表情が変わる。今まで能面のような表情だったそれが、いきなり苦しみだし、人形の手が身体から離れると、男は、がくがくと身体を震わせ、



ばたりと、地面に倒れ伏した。



「く、なんっすか、なんなんすか、これっ」



 がくがくと、再び恐怖が込上げてくる。今すぐにでも此処から逃げ出したい。だが、下手に動けばすぐに彼らに見つかるだろう。ならば、このまま此処でやり過ごしたほうがいいだろうか。


 恐怖と葛藤で動けない彼の目の前で、手を引き抜いた人形が、もう片方の人形に手を向ける。そこには、今まで無かった、こぶし大の白い球が握られていた。



 悲哀の仮面を被った人形は、それを恭しく受け取ると、腰に下げていたバッグの中に入れる。その間に、人形は別の人間に向かっていき、先ほどと同じように、その身体に手を差し入れた。



(に、逃げないと、逃げないと、こ、殺されっ)


 少年の中で、見つかることの恐怖より、ここにいることへの恐怖が勝った。がくがくと震える足を何とか動かし、じりじりと後ずさりする。

 と、その足に、何かが当たった。視線を、何とか下に向けると、



「・・・・・・」



 少年の瞳が、一瞬細まった。


 それは先ほど彼が最後に話した、若い母親と小さい女の子だった。おそらく、もう襲われた後なのだろう。どちらの顔も苦痛に歪んでいる。だが、母親が、娘を抱きかかえるその姿は、親が子を庇っているように見えた。



 おそらく、単なる偶然だろう。だが、一瞬だけ、彼は逃げるのを忘れ、そして、






 そして、その細まった瞳で、人形を見つめた。






「・・・・・・む」



 少年の視線に気付いた人形が、引き抜いた白い球を相方の人形に渡し、ゆっくりと振り向いた。



「まさか、我らの“狩場”で、動ける“家畜”がいるとはな。貴様の仕業か? “ビショップ”」

「・・・・・・ご冗談を。主ならともかく、私には何も出来ぬ哀れな“家畜”を、必要以上に弄ぶ趣味はありません」

「ふん、そうだったな」


 憤怒の人形から発せられる、自分の中の何かを抑え付けているような声に、悲哀の人形は、その表情に合う、悲しげな声で答えた。


「・・・・・・」



 その間も、少年は二体の人形を、ただじっと睨み続けていた。




「それで、この“家畜”はどうしますか? “ポーン”」

「決まっている。回収するだけだ」



 憤怒の人形が、ゆっくりと近づいてくる。その動きをぎりぎりまで見てから、聖亜は、動いた。


「なにっ!?」


 自分の伸ばした手が避けられるとは思わなかったのだろう。ゆっくりと伸ばされた手の下をかいくぐると、聖亜は、前に向かって走り出した。





 悲哀の表情を浮かべた人形の、腰に備え付けられたバッグに向かって。だが、



「無礼ではありませんか?」

「う・・・・・・」


 その動きは、少年の喉元に突きつけられた、硬い杖によって止まった。


「やれやれ、すまんな、“ビショップ”よ」

「かまいません。それより“狩場”でこれほど俊敏に動けるならば、“彼ら”の可能性があります」

「・・・・・・ふむ、それにしては“玩具”を出さぬが・・・・・・まあいい、早く回収してしまうとしよう」

「うぁっ」


 頭が、後ろから強い力で持ち上げられる。じたばたと動き、何度か足で人形の身体を蹴るが、相手は何の痛痒も感じていないらしい。


「無力・・・・・・やはり“奴ら”ではないか、まあいい。すまんな小娘、意識がある中で葬られる、己の悲運を呪うが良い」


 誰が小娘だっ! そう叫びたいが、痛みと恐怖で声が出ない。人形の手が、ゆっくりとこちらに伸ばされる。一度は逃げた死神の指が再び彼を捉えようとした、その時、





 ヒュンッ



 

 すさまじい速度で飛来した“それ”が、少年を抑え付けていた人形の腕を切り裂いた。



「ぬっ」



 腕を切り裂かれた人形は、聖亜を地面に放り投げると、さきほど自分の手を傷つけたそれを睨みつけた。






 それは、黒い世界の中、唯一白く輝く、一本の小太刀だった。





「ぐ・・・・・・あ、はあ、はあ、はあ!!」


 地面に投げ出された聖亜は、仰向けのまま、ぜいぜいと大きく息を吸った。視界が涙で滲む。と、滲んだ視界の中、誰かが自分の横に立つのが見えた。



「・・・・・・」



 それは、少年であった。肩の所で切りそろえた髪は、雪のように白く、その肌も髪同様に白い。そして、人形を睨み付けるその瞳は、






見る者に澄んだ海を思わせる、深い蒼色であった。






「貴様・・・・・・何者か」



 憤怒の仮面を被った人形が、その表情にふさわしい声を出し少年を睨む。その人形に、彼は笑みを浮かべることで答えた。まるで氷のように冷たい笑みを。



「何者かと聞いている!!」



 怒声と共に、少年に向かって人形が大きく腕を振る。その動きは、先ほど聖亜を捕らえた時より数倍ほども速い。


 だが、その速さでも、少年を捉えることは出来なかった。振り下ろした腕は、だが少年に触れることはなく、彼が立っていた地面に、無様に食い込んだだけであった。


「キュウ」



 不意に、頭上で静かな声がした。聖亜が見上ると、ガス灯の上に先程の少年が立っている。



「・・・・・・どうした? まさかこの程度の“エイジャ”相手に、助言が必要なわけでもあるまい」




 その声に、どこからか別の声が応える。それは、男とも、女とも分からない、低い声であった。




「違う、口を挟むなと言おうとしたんだ。単純な攻撃しか出来ない雑種など、ふん、“魔器”を使う価値も無い」


「な、貴様ぁ!」



 激昂した人形が、少年に一瞬で詰め寄り、鋭い手刀を放つ。だが、少年は、あろうことか自分に突き出された手に乗り、そのまま人形のわき腹に、自らの肘を強かに打ちつけた。



「ぐ・・・・・・むっ」



 続けて、右足で人形の首筋を蹴り上げる。まるで踊るようなその動きに、聖亜は、命に危険が迫っているというのに、一瞬、見とれた。




「が、く、調子に乗るなよ、小僧。捕まえたぞ!!」

「っ!?」


 首筋に食い込んだその足を、人形は強引に掴むと、よほど体重が軽いのだろう、たやすく少年の身体を持ち上げ、



「くらえっ!」



 ぶんっと勢いをつけ、その身体を、近くの壁に、思い切り放り投げた。




 がらがらと音を立て、ブロック塀が崩れ落ちる。ふんっと鼻を鳴らし、人形が近づいたときだった。



「ぐ、があああああああっ!!」



 絶叫を上げたのは、人形の方だった。



「……勝利を確信したときこそ、油断するな。そう教わらなかったのか?」



砂埃の中から、少年が何事も無かったかのように歩み出てくる。その右手には、いつのまにか白く輝く一本の太刀が握られていた。



 冷ややかに笑う少年にを、右肩を切り裂かれた人形は、仮面を真っ赤に染めて睨み付けたが、やがて、何かに気付いたかのように仮面を青ざめると、ばっと後ろに下がった。



「・・・・・・白髪、氷のような表情、そしてその刀。貴様知っているぞ、玩具使い“百殺の絶対零度”!!」

「ポーン、もし彼が百殺ならば、相手が悪すぎます。我らが同胞百名を、一瞬にして滅した相手です。此処は一端、退くべきかと」

「・・・・・・それが最善だが、ビショップよ、奴はそう簡単に逃がしてはくれまい」


「よく分かってるじゃないか。なるほど、能無しの雑種かと思ったが、少なくとも相手を警戒するだけの知恵はあるようだ。中級クラスか? けど、大人しくやられたほうがいいぞ。抵抗すると、痛いだけだからな!」

「く、ほざくな、絶対零度!!」

「きゃっ!」


 ビショップという名の人形の持つバッグに強引に手を突っ込むと、ポーンという名の人形は、その中から引き抜いた大剣を振り上げ、向かってくる少年に振り下ろした。

ガキンッと音がして、剣と刀が打ち合う。そのままぎりぎりと鍔競り合いが続くが、やはり力では相手のほうが勝っているのだろう。やがて、少年は徐々に押し込まれていき、とうとう片膝を付いた。


「これで終わりだ!!」


 傍らにあるガス灯を、肩を引き裂かれた方の手で掴むと、ポーンはその手をぐいっと捻った。すると、ポキリ、という軽い音が聞こえそうなほど簡単に、ガス灯は真っ二つに折れた。


  途端にあたり一面、管に詰まっていた蒸気が立ち込める。視界が悪い中、人形は、身動きが取れない少年に、ガス灯をぶちあてた。



 どすっ、と、何かを砕く音が、周囲に響いた。 



「ふん、今度こそ潰れたか?」



 口ではそう言いながらも、人形は暫くガス灯を地面に押し付けた。そして、ガス灯の先端に硬い地面の感触しかないことをを確認すると、今度こそ、ガス灯を持ち上げた。



 段々と霧が晴れていく。だがそれにあわせるかのように、人形の身体が、ぶるぶると震えだした。



「馬鹿な……ばかなバカナ馬鹿なっ!! いないだと!!」



 そこに、少年の潰れた姿は無かった。いや、それだけではない。辺りに飛び散るはずの鮮血も、そこには一滴も付着していなかった。


「馬鹿な……どこへ消えた、どこへ消えたっ!! 絶対零度っ!!」



 その時、完全に霧が晴れた。


「あなた、上ですっ!!」


 相方の悲鳴のような言葉に、ポーンは一瞬空中を見たが、次の瞬間、自分の持っていたガス灯を遠くへ投げ飛ばした。



 だがその動きより、ガス灯の先端に立っている少年が跳躍し、、人形の懐に飛び込むほうが速かった。



「ふっ!!」




 小さく息を吐き、少年の持つ刀が、人形の右わき腹を存分に切り裂いた。



「・・・・・・が・・・・・・ぐっ」



 


 わき腹を存分に切り裂かれた人形は、その仮面を白く染め、よろよろと後退していくと、その場にがくりと片膝をついた。





「あなた、これ以上は無理ですっ!! 一度帰って、あの方に見ていただかなくては」

「敵を前に背を向けるのは武人の恥だが、今は任務が優先か・・・・・・致し方あるまい。くっ」

「もう一度言って欲しいのか? 逃がさない」


 再び冷笑し、少年が人形に向けて走り出す。だが彼の刃が人形に届くより、ビショップがバッグから取り出した小瓶を地に叩きつけるほうが速かった。


 小瓶が砕け、辺りに黒い液体が飛び散る。鼻につんと来る異臭を放ちながら、それはやがて、ごぽごぽと盛り上がる。



「お前、吹奏者すいそうしゃだったのか」

「ええ。私自身に戦闘力はありませんが、こうやって“使徒”を生み出すことは出来ます。さあ、生まれなさい黒き獣よ。そして喰らいなさい。目の前にいる玩具使いを」


 その声にあわせ、盛り上がった液体は、徐々にその形を変えていく。やがて現れたのは、狼に似た頭部を持ち、手に三本の爪と、足に突き出た鍵爪を持つ、三体の獣だった。少年を見る目は、どう見ても友好的ではない。


「私たちを追うのはいいですが、その間に、彼らはあなた以外の“家畜”に襲い掛かるかもしれませんよ。それでは、今日のところは下がらせてもらいます」

「・・・・・・」



 後ろに下がっていく人形の代わりに、少年に黒い獣が襲い掛かる。その牙で、爪で、鍵爪で、少年を引き裂くために。

 だが、彼は心底面倒くさそうにため息を吐くと、刀を軽く水平に払った。




 戦闘は、その一振りで終わった。




 首を払われ、胴を引き裂かれ、足を断たれた獣がずぶずぶと元の黒い液体に戻っていくのを、聖亜は呆然と眺めていた。

 と、息苦しさが無くなった。辺りのガス灯に再び明かりが灯り、遠くには人々の声も聞こえる。どうやら、何かが終わったらしい。それが何かは、彼には分からなかったが。


「ふむ、逃がしたようだな」


 不意に、少年の前に、黒い小さな影が降りた。



「仕方ないだろう、一般人を巻き込むわけには行かない」

「やれやれ、そなた相変わらず甘いな」




 先ほど聴こえた、男とも女とも分からない声で喋る、その声の持ち主、それは夜空に似た毛並みを持ち、紫電の瞳をした、一匹の猫だった。



「さて、これからどうする?」

「決まっているだろう、奴らを追う」



 と、少年は自分の胸に、いきなり太刀を突き刺した。



「あ・・・・・・」



 まさか自殺か!? そう思った聖亜が立ち上がるが、太刀はずぶずぶと少年の身体に、いや、正確には少年の首に掛けられているペンダントの中に入っていく。やがて太刀を完全に押し込むと、少年は、聖亜の脇を通り、地面に突き刺さったままの小太刀を引き抜き、同じようにペンダントの中に突き入れた。



「さて、終わった。じゃあ、行くぞ、キュウ」

「うむ」

「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいっす」



 歩き出そうとする少年と猫に、聖亜は慌てて声を掛けた。まだ頭は混乱してるが、どうやら自分はこの少年に助けられたようだ。ならば、きちんと礼を言わなければならないだろう。




「えっと、助けてもらって、どうもありがとうございました」



 自分に向かって頭を下げる聖亜を、少年は不思議そうに見ていたが、不意に、首を傾げた。




「そういえばキュウ、なんでこいつは、奴らの狩場の中で動けたんだ?」

「ふん、奴らのやりそうなことだ。こやつ一人の自我を奪わず、恐怖で逃げるこやつを相手に、狩りを楽しんでおったのだろう。それで、どうする?」

「・・・・・・決まっているだろう」

「ふん、それもそうだな。おい、小僧」

「うぁえ、な、何っす・・・・・・か?」

 いきなり声を掛けてきた猫の瞳を、聖亜は真正面から見た。不意に、その瞳が金色に輝く。その輝きは、呆然としている自分を包み込んだ。


 辺りが金色の光に満ちる。身体を横たえ、ゆっくりと眠りに落ちる自分を、聖亜は自分の部屋で気が付くまで、ぼんやりと眺めていた。それはまるで、そう、まるで、自分の身体から抜け出し、蝶になった自分が、もう一人の自分を見つめる、




 胡蝶の夢がごとく。














                                 続く


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