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スルトの子  作者: 活字狂い
15/22

スルトの子2 炎と雷と閃光と 第二幕 永遠の別れと新たな出会い







 正義とは何か、ここにいる三人の男にそう聞いたら彼らはこう答えるだろう。







 灰色髪の男は、正義は悪を打ち砕く絶対的な力だと







 金髪の青年は、大切な存在を護るための力だと









 そして、小柄で少女のように見える少年はこう答える。












 正義など、どこにもないと











 この世界には、人を襲う化け物がいる。




 嘗て災厄を襲った都市に出没する化物けものという中途半端な存在ではなく、絶対的な力と知識を持ち、時に人を陥れ、時に力づくで人を襲う彼らの事を知る人々は、古の哲学者が唱えた思想を元に、こう呼ぶことにした。









 すなわち、エイジャと。




 だが彼らは人間の住む世界に自由に来れるわけではない。狭間と呼ばれる道を通って来ることは出来るが、その方法はひどく体力を消耗する。それゆえ彼らはもう一つの方法を使う。人の欲望を糧に、彼らに自分達を喚起させるやり方を。




 高知県太刀浪市を襲ったエイジャも、そうやってこの世界に出現した。



最初は自らを仮装道化師と称するエイジャと、その配下の人形達が人を襲い、次はその上司である蜥蜴の姿をしたエイジャが自ら出陣し、エイジャの貴族―爵持ちたるニーズヘッグを呼び出した。

 一時は浪市に住む全ての人々が犠牲になるかと思われた事件は、だが何とか“なった”。ニーズヘッグは滅び去り、太刀浪市に再び平穏が戻ったのである。



 しかし、それは犠牲無しに勝ち得た平穏ではなかった。



 




「おはよう」

「おう星、おは・・・・・・よう?」

「あ、星君久しぶ・・・・・・り?」




 その日、教室に入った聖亜に、先に来ていた何人かの同級生が挨拶を返し・・・・・・そしてふと首を捻った。




「星? お前何か雰囲気変わってないか?」

「・・・・・・そうかな?」

「そうだよ。何か先週までの星君と違って、なんか・・・・・・ダーク系の美少年って感じ?」

 女子生徒にそう言われ、聖亜は軽く微笑んだ。いつもは伸ばしっぱなしだった髪は、今日はきちんと梳かされ紐で一つに結ってある。隠れ気味だった少女のように見える細面な顔が現れ、怜悧な表情を覗かせていた。確かに彼女の言ったとおり、少し冷たい感じの美少年に見えなくも無い。


「そうそう。どうしたんだよお前、イメチェンか?」

「は? いや、イメチェンじゃなくて、元に戻っただ「聖!!」・・・・・・うぷっ」



 その時、いきなり誰かに抱きしめられた。顔全体をぎゅうぎゅうと柔らかい物が包む。暫らくその感覚を楽しんでいたが、流石に息苦しくなったのと、後ろにいるヒスイの視線が段々きつくなってきたので、しぶしぶと顔を放した。


「おはよう準、六日ぶりだな」

「ああ。久しぶりだな聖。うん、久しぶりの聖のにおいだ」


 頬ずりしてくる自分の唯一、柳準に軽く笑いかけると、聖亜は席に向かって歩き出した。その途中声をかけてきた同級生達が、彼の変化に戸惑ったような顔をしていた。


「な、なあ柳、星の奴なんか変わってないか?」


 と、一人の男子生徒が、聖亜の左腕に抱きついている準に恐る恐る声をかけてきた。


「・・・・・・あ?」


 二人きりのひと時を邪魔され、準は不機嫌そうにその男子生徒を睨んだが、その時、ふと聖亜の顔をまじまじと見つめた。


「そういえば・・・・・・聖、お前なんか昔に戻っていないか?」

「そうか?」

「そ。そうだ。駄目だぞ聖、私以外の女に手を出しちゃっ!!」

「まあ、お前以外に“抱く”気はないよ」


 聖亜が苦笑しながらそう言うと、周囲はきゃあきゃあと騒ぎ出し、準はぼっと顔を赤く染めた。


「どうでもいいが、さっさと席に着かないか?」

「・・・・・・・・・・・・ん? ああ、いたのかヒスイ。おはよう」

「おはよう柳。一応聖亜のすぐ後ろにいたんだがな」


 そう言いながらヒスイが席に着くと、その隣りに聖亜が、そしてその前の席に準が座った。


「けど聖もそうだけど、ヒスイも本当に久しぶりだな。二人は病院にいなかったけど、軽かったのか? 貧血」


「貧血? 痛っ!!」


 準が最後に言った言葉に、聖亜はふと首を傾げ、傍らの少女に脇腹を突っつかれた。いや、殴られたといっていいほどの痛みである。


「ああ。私達は大分症状が軽かったからな、自宅療養ですんだ。柳は重いほうだったのか?」

「まあな。けどおかしいよな、市内で一斉に貧血の症状が出るなんて」

「まあ、そうだな」


 頭を掻きながら、聖亜は誤魔化すように笑った。


 思い出した。


 あの戦いが終わってすぐ、キュウが小梅の力を借りて都市全体に封鎖の術を使用して記憶を書き換えたのだった。都市に住む全ての人間が、貧血を起こして倒れたという、ばかげた記憶に。


「ま、幸い死者はほとんど・・・・・・一人しか出なかったからな」

「・・・・・・ああ」

 

苦虫を潰したような表情で呟く準に同意するように頷くと、聖亜はぼんやりと窓の外を眺め、



「ん?」


 ふと、目を擦った。


「どうしたんだよ、聖」

「いや、あの枝の所に何かが・・・・・・」

「何かって、鴉が一羽止まっているだけだが」


 少年の見ている方向を確認し、ヒスイが小さく呟いた。窓の近くにある大きな木の枝の一つに鴉が止まって、こちらをじっと見つめている。


「聖、あの鴉がどうかしたのか?」

「いや・・・・・・あの鴉じゃなくて、その隣りに何か」

「隣り? いや、何も見えないぞ」

「そうか? おかしいな」


 首を傾げる聖亜につられ、準は鴉の隣に目をやった。だがやはり何も見えない。彼女の言葉に首をかしげつつ、もっとよく見ようと目を細めた時だった。



「うっすっ!!」

「おはよう皆、六日ぶりだね」

 教室の戸が大きく開き、秋野と福井のデコボココンビが中に入ってきた。


「貧血で休んでいたくせに、随分調子がいいじゃないか」

「ちぇっ、何だよ準、六日ぶりに会った友達にその言い方は。大体貧血って言ったって、皆軽い症状だろ。ま、夏休み前に休めてよかったけどな」

「そうそう。けど何で今日登校しなきゃいけないんだろうな、もう夏休みに入るんだし、ずっと休みでも良かったぜ」

「終業式とかやっていないだろ」

「そりゃそうだけど・・・・・・って、お前聖か?」


 こちらを見て唖然とした表情を見せる秋野に、聖亜は苦笑して頷いた。


「ああ・・・・・・まったく、どうして皆同じことしか言えないんだ?」

「いや、そりゃお前が百八十度変わっているからだよ。てか何だよその格好、結構いい感じじゃねえか。どうだ、お前さえ良ければ合コンやってみるかって・・・・・・いや、冗談だからそう睨まんでくれ、柳」

 

 聖亜をじろじろと眺めていた福井は、その途端彼の背後から睨んでくる少女の視線に、慌てて両手を振って弁明した。

「まあ、合コンもいいが、福井、お前はまず髪をちゃんと伸ばすことを考えるんだな」

「いや、そりゃそうなんだけどよ、何だかこの光っている頭も気に入っちまってな。結局他校との合同水泳授業もお流れになったし、もうちよっとこの頭でいるよ。散髪代もかからないしな。それよりよ」

 

 その時、福井はふと聖亜達三人に顔を寄せた。


「さっき秋野と話したんだが、俺ら今年の七夕パーティー出来なかったろ? でさ、俺ん家で明日祭りがあるんだが、皆していかねえか?」

「は? けどなんで明日・・・・・・ああ、七夕祭りの代わりか。俺は別に構わないけど、準、ヒスイ、二人はどうする?」

「お前が行くなら私も行くさ。聖が変な女に引っかからないように見張らなきゃいけないしな。ヒスイはどうする?」

「わ、私か? そりゃ日本の祭りには前から興味があったけど・・・・・・浴衣が」

「ははっ、金が無くて買えないのか。安心しろ、私のお古貸してやるから」

 ポケットから取り出した財布の中身を見てため息を吐いた少女を見て、準はからからと笑いながらそう言った。

「そ、そうか? じゃあ・・・・・・一緒に行く」

「おう、決まりだな。じゃあ明日の夕方神社に集合……もし学校が休みになるなら、昼過ぎに学校で落ち合うということで。って、もう時間じゃねえか。そろそろ席に着こうぜ」


 放しこんでいる間に結構時間が過ぎたのか、頭上からチャイム代わりの鐘の音が響いてきた。それを聞いて周りの生徒が次々に自分の席に座る。秋野や福井と別れ、聖亜も自分の席に座りふと窓から見える旧校舎を見た。巨大な石人形に破壊された旧校舎は今ではビニールシートがかけられている。修復するのは難しく、おそらくこのまま取り壊されるだろう。自分のお気に入りの場所が無くなる事の寂しさからか、彼はそっと目を伏せ、担任である氷見子が入ってくるのを待った。





 その頃、聖亜が見ていた枝では




『いや、驚いたな。まさかこちらに気付くとは』


 からからと笑いながら話すと、枝に止まっていた鴉は何もない自分の横をちらりと見た。



『だがまあ、最低でもこれぐらいの力が無ければ、あの方もわざわざ見張りを命じることも無いか。なあ“加世”』


 無論、その声に答える者は誰もいない。だがその時、枝の先についている葉が一枚、風も無いのに微かに揺れた。


『ふむ、確かに此処では見つかる危険があるか。そうだな、一度上に上がるとしよう』




 そう呟くと、鴉は羽を広げ、空へと舞い上がった。






 次にその鴉が舞い降りたのは、急斜面になっている校舎の屋根だった。人間が決して立ち入ることの出来ない此処は、だが羽のある彼らにとっては、いい休憩場所になっている。


『さて、もういいぞ、加世』


「ああ」



 その時、鴉の横で声がしたかと思うと、空間を剥ぐにするりと一人の少女が姿を現した。下手をすれば一気に下までずり落ちるこの場所で、だがその少女は危なげなく腰を降ろしている。


 その背中に生えている翼が、一度大きく広がった。


「ん、やっぱり長い間折りたたんでいると疲れるな」


『ふむ、だがそう愚痴をこぼしてばかりもいられまい。少し休憩したら、また見張りに戻らねばな』


「うん。けどやっぱりあの方はすごいな。気配を完全に消して、しかも姿形さえ隠しているというのに、間違いなく私を見ていた」


『ああ。だが勘が鋭いのもあろうが、そなたがその術をきちんと使いこなせていないせいでもあると思うぞ』



 傍らの鴉のからかう様な口ぶりに、加世はぷうっと頬を膨らませた。


「しょうがないだろう、この姿になったのも、あの方に“隠れ蓑”の術を教わったのも、昨日が初めてなんだからな。けど、鍛錬を重ねれば、それこそ隣りにいても気付かれる心配は無くなる」



『さてさて、その前に年を越さねばいいが』


「う、うるさいぞ末松、お前だっていびきがうるさいじゃないか!!」



『おおっと、怖い怖い。では俺はそろそろ西の監視に行くから、お前も見張りをがんばってくれ。近づきすぎて、せいぜい気付かれんようにな』


「うるさい、さっさと行け・・・・・・それから、もし父様に会うことがあったら、加世は大丈夫ですと伝えておいてくれ」


『うむ、ではな』


 最後にカアッと一声鳴いて空に舞い上がった鴉を見送ると、加世はう~んっと一度大きく伸びをし、再び翼を広げ、今度はその大きな翼で自分お体をすっぽりと覆い隠した。

 と、その姿が周囲に溶け込むように透明になっていく。その姿が完全に見えなくなると、彼女は再び空に舞い上がった。




 校舎の屋根で自分を見張っている鴉天狗の少女が、再び透明になったとき、



 見張られていることに気付かない聖亜は、同級生とともに体育館にいた。



 体育館にいるのは彼と同級生だけではない。自分達一年生のほかに、二年生と三年生も同じように集まっている。

「えぇと、本日皆さんに集まってもらったのは他でもありません。先日の貧血騒動は皆さんも知っているかと思いますが、その騒動の際、残念なことにこの学校の教頭を務めておられた鍋島先生が事故でお亡くなりになりました。本来ならここで校長先生から説明があるのですが、校長先生は先日体調不良を理由に辞職されたため、三年の学年主任である私が代わって説明します」


 壇上で髪の薄い教師が話している間、聖亜は前を向き、そして僅かにため息を吐いた。


 五日前の戦いで死亡した鍋島は、崩れた工場の傍らで見つかった。なぜこんな所で死んでいるのか、そしてそもそもなぜ工場が崩れたのか疑問に思う者もいないではなかったが、なにぶん復興街での騒動のため警捜査もおざなりであり、結局事故という形で捜査は打ち切られたらしい。

「・・・・・・けど、なんでこんな時に校長先生辞めたんだろうな」

「なんだ、知らないのか? 校長の奴、辞めたんじゃなくて実際には行方不明らしいぜ」

「は? それって本当かよ」

「本当本当、しかも校長と教頭、けっこう仲悪かったろ、実は教頭は事故で死んだんじゃなくて、校長に殺されたって噂もあるぜ」

「げ、けど仲が悪いぐらいで殺すか普通」

「それがさ、ここだけの話・・・・・・校長は実は学校の金を横領していたらしい。しかもその横領した金で、児童ポルノ買ったり中学生や高校生と援交してたらしいぜ」

「うえ、ロリコンかよ」

「そうそう、あいつって結構甘いんだけど、ニヤニヤと笑いながらこっち見てたんだよね。ほんと気持ち悪かったよ」

「まあ、今思えば校長なんかより教頭のほうが百倍は良かったよな。あの人厳しかったけど、それって俺達のことちゃんと考えてくれてたからで」

「そうそう。この前コンタクト落としちゃったとき、探すのを手伝ってくれたしね」

 

 学年主任が話している間、あちこちでそんなざわめきが聞こえてきた。


「お前ら五月蝿いぞ!! 今先生が話しているんだ、ちょっとは静かにしていろ!!」

 だが、二年の学年主任の一喝で、ひそひそとした囁き声に変わる。

「いや、すいませんね鈴木先生。ではここで、亡き鍋島教頭先生を偲び一分間の黙祷をささげたいと思います。では・・・・・・黙祷」

 壇上の教師がそう言って軽く頭を下げるのを見て、体育座りをしている生徒達も皆そろって下を向いた。確かに厳しかった先生だが、それなりに人望はあったようだ。周囲で嗚咽を堪える声や、啜り泣きが聞こえる。

 そんな中、彼の本当の死因を知っている聖亜は、目を閉じながらあの時のことを思い出していた。




 弾丸に込められていた呪詛の反動を受けたのだろう。そう言ったのはキュウだった。彼の顔はどす黒く変色しており、先程滅ぼした蛇神同様、片方の目は完全に埋没している。とても見られるような顔ではないが、だがその顔はどこまでも安らかであり、黒猫の言葉が真実なら、恐らく自分が蛇神を殺すことが出来たのは、彼の攻撃を受けた蛇神が後退し、態勢を整えることができたからだ。


「けど、死ぬと分かっていて、どうして撃ったんだろう」

 彼の傍らには、銃口が完全に融解したライフルが転がっていた。これほどの威力を持つ弾丸だ。撃てばその反動で死ぬことぐらい分かっていただろう。なのに


「恐らく、この者はエイジャによって家族を失ったのだろうな。そういう人間が一番始末が悪い。なにせエイジャを倒す目的が、名誉でも富でもなく、復讐のためなのだから」

「・・・・・・復讐」

「復讐を望む者達は、相手を倒すこともそうであるが、それ以上に家族の元に逝くことを望む。だが覚えておけ聖亜、死は何も生み出さぬ。楽になることも出来ん。死に縋るのは、ただの逃げだ」

「逃げって、そんな酷い言い方しなくても」

「酷かろうがなかろうが、それが事実なのだ。それより、ヒスイが起きたらさっさと移動するぞ。よいな、聖亜」

「・・・・・・ああ」



 

(逃げに過ぎない、か)


 目を瞑りながら、黒猫に言われたことを述懐する。確かに死は逃げることかもしれない。けれど、逃げることを望んでいる人も、世の中に入るだろう。

「・・・・・・い、おい、聖亜」

「・・・・・・ん? 秋野?」


 と、考え込んでいる彼の肩を、すぐ後ろにいる秋野が突いた。


「お前、何時まで黙祷してるんだよ。そりゃお前は教頭先生と仲良かったから、気持ちは分からなくはないけどさ」

「いや、そうだな。ごめん」


 彼に軽く謝ると、聖亜は横目で辺りを見渡した。黙祷をしている生徒はもういない。自他共に厳しく、生徒と必要以上に関わろうとしない教師であったから、皆彼の死をすんなりと受け入れたらしい。




 誰にも気付かれないように小さくため息を吐くと、聖亜は壇上で話す教師の顔を、ぼんやりと眺め続けた。





「おっしお前ら、ちゃんと席に着け」


 体育館から戻った後、聖亜は暫らく準達と話していたが、やがて氷見子が入ってきたため、慌てて席に着いた。

「さてと、そんじゃホームルーム始めるぞ。まず最初に体育館でも話があったが、先日の貧血騒動の際、鍋島教頭が亡くなられた。まあ、厳しい先生だったから嫌いな奴もいるとは思うが、本来教頭ってのはあんな物だ。校長のように甘いのがおかしかったんだよ。で、これからなんだが」

 其処で一端言葉を切ると、彼女は傍らにある紙袋を手に取り、中身を一番前の席にいる生徒に順に渡していった。前から渡されたそれを見て、聖亜は軽く眉を顰めた。

「え? 先生あの・・・・・・これは?」

 同じように眉を顰め、学級委員を務める栗原美香が、恐る恐る氷見子に話しかけた。

「何って、夏休み中にやる宿題だ。まあ夏休みまでもう日が無いし、体調の事を考えて明日から夏休みにすることになった。だがいいかお前らっ!! 休みが多くなったからといって怠けるんじゃないぞ。宿題はいつもより多いし、先日の期末試験試験の点数が悪かった奴は、もれなく夏期講習をプレゼントだ!!」

 途端に辺りでげっと叫ぶ声が聞こえる。頭を抱え机に突っ伏す福井を見て、ヒスイが呆れたように首を振るのが見えた。

「何だ何だお前ら、そのげって言うのは・・・・・・まあいい。それからもう一つ、私は夏休み中は県外にある実家に戻らなくちゃいけないから、どうしても緊急のとき以外は電話を寄越すな。まあ夏期講習は隣のクラスの鈴木先生が見てくれるし、さっき宿題と一緒に渡したプリントに、彼女の連絡先が書いてあるから、何かあったらきちんと電話するように。ああそれから男子、溜まっているから相手してくださいって言うのは、幾らなんでもやったらしめるからな!!」

「いや、あのおばちゃん先生にそんなことする奴いませんって!!」


 秋野の言葉に、周囲の男子がうんうんと頷いた。確かにどんなに溜まっていても、さすがにトドのような体格をした五十歳過ぎの先生に手を出す男はいないだろう。にっと笑ってから、氷見子は咥えていたシュガーチョコを一気に噛み砕いた。

「ま、そりゃ確かにそうだな。それじゃ次は夏期講習の日程を言うぞ」


 その言葉に、再び絶叫があがるのを聞きながら、聖亜は戻ってきた日常をかみしめていた。



「聖、ちょっといいか」

「はあ、別にいいですけど」

 氷見子が声をかけてきたのは、聖亜が教室の窓を拭いているときだった。ホームルームはすでに終了し、今は掃除の時間になっている。

「いや、さっきも言ったと思うけど、夏休み中私いないからさ、今のうちに貰って置こうと思って」

「・・・・・・えっと、何を?」

 首を傾げる聖亜に苦笑すると、彼女は隣の窓を拭き始めた。

「つまり・・・・・・お前の事を姉貴や妹に話す許可」

「・・・・・・・・・・・・この前の話、冗談じゃなかったのか」

「当ったり前だろ、乙女の告白、一体なんだと思ってるんだよ」


 少し間をおいて、呆然と呟いた少年に、氷見子は軽く突っ込みを入れた。


「確かに性格はちょっと変わっちまったようだが、私がお前を好きになったのは性格とかそんなんじゃないからな・・・・・・まあ、駄目なら駄目でいいけど」

「いや、別に駄目って言ってるんじゃないけど」

「そっか・・・・・・ありがとな。と言うわけで」

 唇の端に感じた柔らかい感触に、聖亜ははっと口を押さえた。

「あぁっ!! な、何やってんだ年増!! 人がゴミ出しに行っている隙に!!」

 その時、ちょうどいいタイミングでゴミを片付けに行っていた準とヒスイが教室に入ってきた。

「はっ、残念だったね小娘、今回はどうやら私の勝ちのようだ」

「くっ!! ふ、ふん。けどたかがキスぐらいでいい気になるなよ。私なんてもう聖亜に百単位でキスされてるんだからな!!」

「なっ!! 聖亜、お前こんな小娘相手に不順異性交遊かよ。するんだったら今度から大人の私にしろ! いいな」

「いいわけないだろ、いい機会だ。聖、お前この年増と私と、一体どっちが好きなんだ。はっきりさせろ」

「確かにいい機会だな。聖亜、こんな小娘より私のほうがいろいろと満足させてやれるぞ」

「いや、その・・・・・・頼むから、二人とも落ち着け、な」

 両手をばたばたと振って何とか二人の女傑を宥めようとするも、段々と押し切られ、聖亜は遂に壁際に追いやられてしまった。

「まったく、さっぱり掃除が進まないじゃないか」

 机を運びながらぽつりと呟いたヒスイの言葉に、周囲の生徒は、皆そろって頷いたのだった。



 









 夏の日差しが、頭上からじりじりと容赦なく降り注いでくる。

「ったく・・・・・・何なんだいこの暑さは!!」

「・・・・・・」

 悪態を吐きながら、エリーゼは大きく開いた胸元の中に手をぱたぱたと振った。昨日着ていた服は、今彼らがチェックインしているホテル「ニュー秋野」に置いてきており、今は涼しげな格好をしているのだが、それでも暑いものは暑いらしい。


「夏だから仕方ないだろう。大体お前がそういうなら、先程の彼らは蒸し風呂に入っているようなものだぞ」


 そんな相方に、スヴェンは表情一つ変えずに答えた。


「ま、そりゃそうだけど、あいつらはそれが仕事だからね」

 数分前の出来事を思い出し、エリーゼはからかう様に口を歪ませた。



 太刀浪市の中心にある旧市街と西側にある復興街は、その間を流れる巨大な川、五万十川によって隔てられている。二つの川を行き来するには川に掛けられている五万十大橋ごまんとおおはしを渡るしかないが、先日二つの町を行き来する蒸気バスが破壊されてからは、橋は旧市街側から完全に封鎖されていた。


「・・・・・・ん?」


 昼ごろの事である。じりじりと暑い中、橋の監視という退屈な仕事を押し付けられたその若い巡査は、旧市街のほうから橋に向かってくる一組の男女に気づいた。

 女の方は薄紫の髪をしたグラマラスな美女であり、

 男の方は髪も目も灰色をした、背の高い偉丈夫だ。

「ああ、すいませんが二人とも、この橋は今通れませんよ」

「・・・・・・何故だ?」

「何故だって・・・・・・ああ、外からのお客さんですか? いや、それは秘密・・・・・・でも何でもありませんけどね。そんなに睨まんで下さい。何でも旧市街と復興街を行き来するバスが一台滅茶苦茶に破壊されまして、それに先週の貧血騒ぎでしょ? 新市街のお偉方が皆神経質になっちまって、一昨日から封鎖してるんですよ。ま、何か問題が起きるたびちょくちょく封鎖していたんで、今回は一ヶ月ぐらいで解除されると思いますよ」

 男の灰色の目に見つめられ、元々気が弱い性格なのだろう、その若い警官はしどろもどろに話し始めた。

「おいおい手前、何機密情報べらべらと喋ってんだ」

「痛てっ!! いや、すいません先輩!!」

 その時、近くの休憩所から出てきた幾分年上の警官が、彼の頭を一発ぽかりと殴った。男が胸に視線をやると、巡査部長の階級が見える。

「ま、そういうわけでお二人さん、此処は今通ることが出来ないから、復興街に入ることは出来ませんよ。まあそれ以前に、あの町にまともな神経の奴が入りたいと思うことは無いと思いますがね」

「……」

 沈黙している男に、巡査部長はしっしっと追い払うように手を振った。

「いや、そういうわけにも行かないよ。こっちも仕事があるからね」

 と、今まで成り行きを見守っていた薄紫色の髪の女が始めて口を開いた。

「は? いえ、どんな仕事にしても、今復興街に入ることは出来ません。もし強引に入ろうというなら、申し訳ありませんが公務執行妨害で逮捕させていただきますが」

「ほお、公務執行妨害ねえ」

 わざとらしく驚きの表情を見せた女に、巡査部長は不機嫌そうに顔を歪ませたが、彼女が懐から取り出したカードに目をやり、はっと固まった。

「こ、これは!?」

「せ、先輩? どうしたんっすか」


 そんな彼の様子に、若い巡査は不安げに目をやるが、彼はそれに気づかず、じっと女を見返した。


「確認させていただいてもよろしいでしょうか」

「ああいいよ。幾らでも確認しておくれ」

 先程とは違う彼の様子に、女は面白そうに口の端を吊り上げた。男のほうはむっつりとした表情のまま、近くの壁に身を預けている。

 いったん休憩所に戻った巡査部長は、数分たって戻ってきたが、その表情は先程とは違い終始笑顔だった。

「いや、申し訳ありません。しかし驚きました。わざわざ外国からこんな所に、一体何の御用です?」

「すまないが、こちらも機密でね。で? 通してくれるんだろうね」

「あ、はい。それはもちろんです。お~い、封鎖を一端解除しろ」

 巡査部長が橋のほうに呼びかけると、端を封鎖していた数台のパトカーがゆっくりと移動した。

「ふん、ごくろうさん」

「いえ、それより復興街はかなり治安が悪いので注意してくださいね。まあ、あなた方にはいらぬ世話かもしれませんが」

「・・・・・・まったくだ。ではな、仕事ご苦労」

 そう言うと、灰色の男はゆっくりと橋に向かって歩き出した。

「あ、ちょっと待てよスヴェン。ったく、そんじゃ、邪魔したね」

 ひらひらと手を振りながら、男の後を追う女の後姿を、若い警官はぽかんと口を開けながら見送った。

「あの、先輩? あいつら一体何者なんですか?」

「お前、FBIってもちろん知ってるよな」

「は? そりゃもちろん知っていますよ。国家安全保障局ですよね。けど彼らとそのFBIと、一体どんな関係があるんです?」

「FBIには、絶対的な権限を持つ影の捜査官がいるという噂があるんだが」

「あの、先輩・・・・・・それってまさか、今の二人が」

「ああ。まさか噂ではなく本当に存在していたとはな。特務捜査官か・・・・・・給料高いんだろうな。ま、俺達には関係ねぇ。さあ、そろそろ仕事に戻るぞ。いつまでも怠けていたら、上が五月蝿いからな」

「あ、はいっす!!」

 巡査部長の言葉に、若い巡査が大きく手を振り合図を送る。その合図に応え、パトカーはまたごとごとと動き出した。

 そのときにはもう、二人の姿は点ほどにしか見えなくなっていた。




「やっぱり“表”の階級が高いと楽でいいねえ」

「・・・・・・」

 復興街の中心、雑踏区の中を歩きながら、エリーゼは先程のカードをひらひらと振る。と、そのカードはいきなり宙に掻き消えた。

「しっかしここは本当に治安が悪くなったね。この数分の間にスリに遭遇したのなんて、これで4度目だよ」


 そう言うと、彼女はスヴェンに首を押さえつけられている男に目をやった。男はたった今彼にぶつかって、懐をさぐった男だ。しかし、掏ろうとした相手がまずかった。懐に手を入れた瞬間、彼は首を男の巨大な手で掴まれたのである。


「ひいっ、た、助けてくれえ!!」


 男は道行く人に助けを求めるが、そもそもこの街で他人を助けるものなど存在するはずが無かった。皆彼らを見向きもせずに通り過ぎていく。



「さあて、この男を一体どうしようかしらねえ」

「・・・・・・窃盗は紛れもなく悪だ。悪は報いを受けねばな」

「た、頼む!! 許して、許してくれえっ!!」


 だが、スヴェンは喚く男の身体を軽がると宙に持ち上げ、



 グチャッ



「ぐべっ」



 そのまま、顔面から一気に地面に叩き付けた。

「行くぞ」

「はいはい。しかしスヴェン、あんた相変わらず“悪”には容赦がないね」

「当然だ。この世界は、悪が生きられるほど広くはないからな」


 顔を潰され、ひくひくと痙攣している男をそのままに、二人は雑踏区の奥へと消えて行った。

 彼らの姿が見えなくなると、倒れている男に周囲の人達が近寄り、男の荷物を物色し始めた。


「しかし、なんだってこっちに来たんだい?」

 雑踏区を北に進みながら、エリーゼはぽつりとスヴェンに尋ねた。

「絶対零度を極刑に出来るほどの、確かな証拠がほしい。それには奴が爵持ちと戦った現場を調査するのが一番だからな」

「そりゃそうだけどさ。昨日も言ってるだろ、あたしらには確かに極刑の権限はあるが、それは重大な犯罪を犯した奴や、敵と結びついていた反逆者にのみ適応されるものであって、たかが禁技を使ったぐらいで出来るものじゃないよ」

「・・・・・・・・・・・・イル」

 だが、スヴェンはエリーゼの愚痴には応えず、不意に虚空に呼びかけた。


『はい』


 彼の言葉に、何処からともなく応答がある。それに頷くと、スヴェンはじっと前を見つめた。

「・・・・・・絶対零度と爵持ちの戦闘は、確かにこっちの方角か?」


『はいマスター。微量ながら爵持ちの気配が残っております。戦闘が行われた場所は、ここから北に六キロメートルほど進んだ廃工場です』


「そうか・・・・・・間違いはないだろうな」


『もちろんです。私の探知能力に狂いはございません』


『はっ!! 流石はイ“ヌ”ちゃんよねえ。お鼻をひくひくさせて、地面を嗅ぐのだけは得意かしら』


 と、虚空からさらに別の声が聞こえてきた。最初の冷静な声と比べ、どこか残忍なほど陽気な感じがする。


『黙れウル、私は力押ししか出来ない貴様のような無能とは違う!! 第一貴様には、その探知能力すらないではないか!!』


『ふんっ、その代わり戦闘で活躍しているのはこっちのほうじゃないか。あんたはただあたしのアシストをしてるだ・け!! あはははははっ』


『ウル、どうやらその口、物理的に潰してほしいようだな』


 冷静な声の中に怒気が含まれ、空気がびりびりと震えだした。


『へえ? あたしとり合おうっての? いいじゃない、返り討ちにしてや「黙れ」ひっ!!』


 その時、辺りに怒気を無理やり抑えたような、低い声が響いた。


「イル、ウル。貴様ら、どうやら仕置きが必要なようだな」


『も、申し訳ありませんマスター。私の不手際でございます』


『す、すいませんご主人様。お願いだからあれだけはおやめ下さい。お願いですから!!』


「・・・・・・」

 虚空に響き渡る懇願の声に、スヴェンは暫らく沈黙していたが、やがてふっと気を緩めた。

「ならさっさと現場に案内しろ」


『はっ、はい。畏まりましたマスター。こ、こちらでございます』




 それからおよそ二十分後の事である。


「こりゃまたひどく壊したもんだねえ」


 大きな瓦礫の上に座り、感心したように笑うエリーゼを、その隣りで建物の残骸を検分していたスヴェンは、むっつりと睨み付けた。


「・・・・・・座っていないで手伝え」


 ヒュッ


 だが、その言葉に対する返答は瓦礫だった。投げつけられた瓦礫をかるがるとキャッチすると、スヴェンは軽く握りつぶして粉々にした後、再びしゃがみ込んで残骸を検分し始めた。

「ああ、本当なら今頃ハワイに新しく出来たリゾートで、肌をほんのり焼きながら男共を悩殺できたはずなのに、何でこんな奴と一緒に瓦礫の山なんかにいるんだろう」

「エリーゼ、やる気がないならさっさとアメリカに帰れ」

 どこか不機嫌そうな声を出し、こちらを睨みつけてくるスヴェンに、だがエリーゼははんっと吐き捨てるように笑った。

「そりゃいい考えだけどねスヴェン。あんたあたしがいなくなったらどうやって飛空船に乗るんだい? 十二歳以下の子供は保護者同伴でないと乗れない決まりだろう?」

「・・・・・・」

 にやにやと笑っているエリーゼを、スヴェンは暫らく睨みつけていたが、やがてこれ以上話しても無駄だというように、黙って背を向けて歩き出した。恐らく別の場所を探すのだろう。


「そんなに頑張っても、戦闘が行われたのは何日も前だ。幾らなんでも物的証拠はあの猫が消していると思うがねぇ。ま、気持ちは分からんでもないけどさ」


 スヴェンの後姿を見ながら、ぽつりとそう呟き、エリーゼはよいしょっと瓦礫から飛び降りた。


「しかしなんだね、絶対零度の得物は太刀だ。絶技もその対象は複数ではなく本来は単体。もしこの建物をぶっ壊したのが彼女の絶技なら、それにしては少し壊れ“過ぎている”。恐らく爵持ちが真体に変化したからだと思うが、それを二級の魔器使が倒せるかね」


 日陰を探しながら辺りをきょろきょろと見渡す彼女の目に、微かにそれが映った。


「おや? これはこれは・・・・・・おいスヴェン、ちょいとこっちに来てみな」

「……何だ」

 自分を呼ぶ声に、反対側を探していたスヴェンは近寄ると、エリーゼの指差した場所を見て、ふと眉をひそめた。瓦礫の山の中に何かが埋まっている。注意深く瓦礫を取り除いていくと。やがてそれは姿を現した。


「何だこれは?」

「さてね。けどこれは明らかに人のものじゃない。だとするとエイジャの物になるわけだけど、これほどの大きさだ。まず爵持ちだろうね」


 瓦礫の中にあったことで、黒猫にも発見されずに残っていたのだろう。身の丈ほどもあるその巨大な物体は黒く染まっており、風に吹かれて表面がぼろぼろと崩れていく。


「イル、これは何だ」


『はい・・・・・・・・・・・・検索完了。この物体は巨大な鱗です。データ照合の結果、下級の爵持ちであるニーズヘッグのそれと一致しました』


「ニーズヘッグ? ああ、あの蛇神か。鱗ということは、奴は真体となった・・・・・・ということでいいね」


『はい。ですが疑問点が一つ。ニーズヘッグの鱗は確かに黒い色をしていますが、光沢だったはずです。ですがこれは明らかに炭化しています。まるで巨大な炎に焼きつくされたかのように』


「炎だと? 絶対零度は氷の使い手だ。正反対だろう。イル、鱗がここまで炭化するのに必要な最低温度は幾らだ」


『お待ち下さい・・・・・・・・・・・・そんなっ!!』


「ん? どうしたんだい?」

 驚愕の叫びを上げた虚空の声に、エリーゼは軽く眉を顰めた。


『必要最低温度、およそ十万度。ですがこの鱗はほぼ一瞬に炭化されていますから、どれほど低く見積もっても、最低でも百万度以上の高熱、すなわちコロナと同様の温度にさらされたことになります!!』


「笑えない冗談だね。百万度か。スヴェン、まさかあんたの仕業じゃないだろうね」

「いくら俺でも百万度の高熱を発生させるのは容易ではない。第一それほどの高熱を放てば、少なくとも半径十キロは間違いなく溶解される。しかし周囲にはその形跡は全くなかった。ならば考えられる可能性は唯一つ、極限まで固体化された炎で対象のみを焼き尽くしたのだろう。だがそんなことが出来る人間を、俺は知らん」

「なら考えられる可能性は一つ、ニーズヘッグは少なくとも同等以上の力を持つ、炎を使用するエイジャによって滅ぼされたことになる」

 額に指をやり、軽くため息を吐いたエリーゼは、スヴェンが下を向いて肩を震わせているのに気づいた。

「スヴェン?」

「・・・・・・く、くくくっ。そうか。エイジャと繋がっていたか、絶対零度。ならばエリーゼ、これは間違いなく敵と繋がっていた反逆者ということになる。これほどの罪を犯したのだ。絶対零度の極刑は、まず間違いないだろう」

「ま、それが真実ならね」

「真実か。真実など幾らでも変化する。だが俺にとっての真実は唯一つ、奴が悪だという、ただそれのみだ」

 最後は何かを押し殺すように低く呟くと、スヴェンは廃墟の外に向けて歩き出した。それを見てエリーゼはやれやれと首を振り、彼の後に向けて歩き出し、


「っと、どうしたんだい、立ち止まって」


 だが、僅か数歩歩いただけで、彼女はスヴェンの背に激突しそうになった。

「黙れ。ふむ、どうやら囲まれたようだ」

「囲まれたぁ? 囲まれたって誰にさ」

「・・・・・・どうやら誰に、ではなく“何”に、のようだ」

 

 スヴェンの声に合わせ、周囲から強烈な殺気が膨れ上がり、同時にその持ち主が姿を現した。





 それは、白い毛皮を纏った化け物だった。


 その姿形は猿に似ているだろう。だが体長は二メートルを軽く超え、腕も足も、太さは人間の三倍はある。その口からは巨大な牙が二本空に向かって伸びており、こちらを見る黄色い目からは怒気と殺気以外の感情を感じない。


 だが、そんな大の大人でも見た瞬間卒倒する姿を持った化け物に周囲を完全に囲まれているにもかかわらず、スヴェンとエリーゼ、この二人は眉一つ動かさなかった。

「なんだい、脅かせるんじゃないよ。エイジャでもスフィルでもないじゃないか」

「ふん・・・・・・イル、こいつらは何だ」


『少々お待ち下さい・・・・・・検索終了。太刀浪市復興街に出没する化物けもの、通称狒々(ひひ)です。化物の中では最大の腕力を持ち、人間の背骨を軽くへし折ります。生息地は主に復興街北側にある工場区の地下、つまりここです。好物は人間の肉、中でも心臓の部位。戦闘能力はスフィルの十分の一です。数はおよそ百五十匹』


『スフィルの十分の一? くっだらない!! ねえご主人様、あたしがさっさと片付けちゃいましょうか?』


 だが、虚空から聞こえる陽気で残忍な声に、スヴェンは首を横に振った。


「いや、こんな“獣”程度、わざわざ魔器を使う必要もない。絶対零度に刑を執行する前の良い肩ならしだ。俺がやろう」


「そうかい。じゃ、あたしはゆっくりと見物させてもらうよ。服が汚れるのも嫌なんでね」

「・・・・・・勝手にしろ」



 百体以上の化物に囲まれ、それでも恐怖を欠片も見せない二人に、彼らを囲む狒々は僅かにたじろいだが、本能が勝ったのだろう。グォオッ!!と一声甲高く叫ぶと、一斉に二人に向けて飛び掛った。




 あたりに、鮮血が舞った。



 飛び掛ってきた狒々の顔を右手で掴むと、スヴェンはそれを軽く握りつぶした。辺りに濃い血の臭いが立ち込める。手にこびり付いた脳漿を振り払わず、今度は横から襲ってきた狒々に蹴りを放つ。その強烈な一撃は軽々と狒々の腹部を貫き、そのまま振り回した足で、近くにいる狒々を数体まとめて吹き飛ばした。


 最初の狒々が倒されてから数分、ほんの僅かな時間で、地面に倒れている狒々の死体は少なくとも三十体を越していた。

「ふん、やはりこの程度か」

 左右から同時に襲い掛かる狒々の頭部を、左右の拳でそれぞれ粉砕すると、スヴェンはつまらなそうに頭を振り、低い姿勢から一気に飛び掛ってきた狒々を、その背中から軽く踏みつけた。

 グチャリと音を立て、足が狒々の身体を貫通する。自分の足の先でぶらぶらと揺れるその狒々を、スヴェンは遠くにいる狒々に向かって投げ飛ばした。


「グギャギャッ!!」


 その頃になって、狒々はようやく自分達がとんでもない相手に手を出してしまったことを知った。だが逃げるわけにも行かない。最近は獲物も少なく、彼らは皆空腹なのだ。

 この男に自分達は敵わない。手ぶらで逃げることも出来ない。どうすればよいか。

 巨大な肉体に似つかわしくない小さな脳で考え、彼らは実にシンプルな答えを出した。


 そう。この男に敵わないのであれば、狙う獲物を替えれば良いのだ。


「おや? こっちにきたようだね」

 スヴェンが戦っている間にその脇を潜り抜け、こちらに向かってきた十数匹の狒々を見て、エリーゼは軽く笑みを浮かべた。

「ま、いいさ。ちょうど退屈していたんだ。せめてお遊びぐらいにはなっておくれね・・・・・バジっ!!」


『・・・・・・』


 エリーゼが虚空に向かって叫ぶと、彼女の両手に何かがすとんと落ちる。それを握り締めると、エリーゼは自分に向かってくる狒々にそれを向け、にやりと笑った。

「さあ、空腹なんだろ? たっぷりと喰らいな・・・・・・鉛弾をねっ!!」

 引き金を引くと、彼女の持つ二丁のサブマシンガンから無数の銃弾が狒々達に向かって一気に降り注いだ。それを受け、前方にいる数体が倒れる。


「あははははっ!! さあ、いい声で啼いとくれ!! 坊や達!!」

だが、仲間の死体を乗り越え、一匹の狒々が遂に彼女の肩に触れた。


「おや? あたしと力比べをしようってのかい」


 だが、狒々の手は軽く曲げられていた。いや、手だけではない。その狒々の身体はエリーゼの手の動きに合わせ、ごきごきと鳴りながら回転を続ける。やがて、狒々の身体は絞られた雑巾のような形になった。

「やれやれ、女のあたしだったら勝てるとでも思ったかい? 残念だけど、あたしはこれでも第一級魔器使“一殺多生”さ。なめてもらっちゃ困るね。さあどうする? 今なら逃がしてやるけど」


 血に塗れたエリーゼの姿に、狒々の一匹が戦意を喪失してか、じりじりと後退して行く。そして、後ろを向いて逃げようとしたとき、



「グギャギャギャギャッ!!」


 その狒々は、背後から物凄い力で首を握られ、宙に持ち上げられた。


「スヴェン? いや、違うね。親玉か」


 彼らの背後から現れたのは、他の狒々の倍ほどの大きさはあろうかという巨大な狒々だった。首には人間の頭蓋骨で作ったネックレスをかけており、普通の狒々の口から2本の牙が突き出ているのに対し、この狒々からは四本、つまり片方の口の端から二本の巨大な牙が宙に突き出ている。


 その巨大な狒々は、先程逃げようとしていた狒々を軽々と持ち上げると、



 グチャリ


 と、その狒々の頭を噛み砕いた。



「おやおや、派手なこと」

「単なる演出だ。しかし、奴を殺せば他の獣共は戦意を喪失して逃げ出すか」

「おやスヴェン、そっちはもう終わったのかい?」

「ああ。後は此処に残っている奴らだけだ」

 

 エリーゼの後ろから、真っ赤に染まったスヴェンが歩いてきた。身体にこびり付いた血の臭いが辺りに広がり、エリーゼはちっと舌打ちした。

「ったく、ちゃんと後で風呂に入ってくれよ。それよりどうする? あの親玉を先に叩くかい?」

「そ「グギャギャッ!!」・・・・・・」

 彼女の問いにスヴェンが答えようとしたその時、狒々の親玉が首のない狒々を持ったまま走ってきた。エリーゼのほうには目をくれず、スヴェンに向かって自分の胸をどすどすと叩く。

「おやスヴェン、あんた挑戦されたようだね」

「くだらん。だが、戦うというなら相手になってやる」

 そう呟くと、スヴェンはゆっくりと前に向かって歩き出した。そんな彼ににいっと笑うと、親玉はまず自分が喰らった狒々を彼に投げ飛ばした。

 身体を捻って避けたスヴェンに、今度は右腕が風を切って襲い掛かる。地面すれすれに向かってくるその腕を、彼は真上に跳躍して避ける。だが一瞬無防備になった彼の身体に、今度は左腕が頭上から襲いかかった。


 ガッ


 と鈍い音がして、腕の下から血が噴出す。それを見て親玉はゲギャギャギャと下品に笑ったが、次の瞬間、その笑みは驚愕と激痛に歪んだ。

「やはりこの程度か」

「ギャアアアアッ!!」

 親玉の左腕がゆっくりと持ち上げられる。と、その下から潰れたはずのスヴェンが現れた。彼は傷一つ負っていない。血を流しているのは親玉のほうだ。左腕の一部が抉られ、赤黒い肉の中にある白い骨が顔をのぞかせている。


「では、次は俺の番だな」

「グギャッ!?」

 スヴェンが掴んでいる左腕が、ぎりぎりと捻られ、そして次の瞬間、


 ぶちりと音を立て、腕が身体から離れた。


「グゲゲゲゲッ!!」

 ふらつき、膝を突いた親玉にゆっくりと近づくと、スヴェンはその頭に手をやり、


「ふんっ!!」

 少しだけ気合を入れ、地面に一気に叩き付けた。

「ガ・・・・・・ゲッ」

 一度ひくりと痙攣すると、数年の間工場区の地下を占拠していた大狒々は、もう二度と動かなくなった。


「はっ、中々お見事。さてと、それじゃ他の獣共はどうする?」

「・・・・・・」


 立ち上がったスヴェンがあたりを睨むと、親玉の死骸を呆然と眺めていた狒々は、ギャッギャッと叫びながら四方に逃げようとした。だが、

「我正す、故に我あり。人間の肉を喰らう獣は悪だ。俺の前に現れたからには一匹たりとも逃がさん。イル! ウル! 具現せよ!!」


『はぁいっ!! 待ってました。ご主人様!!』


『マスター、私の身体、存分にお使い下さい』


 不意に、虚空から二本の柄が飛び出してくる。それを握ると、スヴェンは一気に引き抜いた。


「神話級魔器“悪魔笑い”のチェーンソー。その破壊力、自らの身で存分に味わえ!! 閃光絶技“千空せんくう”!!」

 一括し、両手にある巨大なチェーンソーを振ると、懸命に彼から逃げようとしていた狒々の全てが、ばらばらと崩れ落ちた。

「さて、此処での用事はもう終わった。戻るぞエリーゼ」

「はいはい。ったく、さっさとホテルに帰ってシャワーを浴びたいよ」


 紫色の髪にこびりついた血を拭うと、エリーゼは疲れたようにため息を吐いた。


「勝手にしろ・・・・・・さあ、いよいよだ。待っていろ絶対零度、邪悪なる貴様の首を我が魔器によって切り飛ばし、跡形もなく粉砕してくれる!!」

 無表情な顔に凄みのある笑みを浮かべると、スヴェンは近くにある炭化した巨大なニーズヘッグの鱗を、チェーンソーで粉々に粉砕した。



 鱗は灰に変わり、やがて風に乗ってひらひらと飛んでいった。





 







「お待たせ致しました。こちらご注文のコーンスープになります」

「・・・・・・へ?」

 前に出されたコーンスープを見て、男の客は呆然としながら、注文した品を運んできたウエイターを見上げた。どこか中性的な美貌を持つそのウエイターは、右胸に小さなネームプレートを付けている。

「お客様、どうかなさいましたか?」

「え? い、いえ。何でもないです。はいっ」

「そうですか。ではどうぞごゆっくり」

 

一礼して去っていく少年を見送ると、客はのろのろとスプーンを手に取り、ゆっくりと口に運んだ。





「・・・・・・まぁ、いいか。美味しいし」


 コーンスープは、ほんのりと温かかった。






「・・・・・・えっと、聖?」

「はい、何でしょうか祭さん」

 注文された料理を運び終え、厨房に戻ってきた少年を呆然と眺めながら、ウエイトレスをしている祭は声をかけ。彼の後ろで一つに縛った黒い長髪をわしゃわしゃと撫でた。


「一体何するんですか、祭さん」

「いや、あんた本当に聖? 何か随分と印象が変わったような」

「そうですか? 別に変わっていないように思えるんですけど」

 そう答えると、聖亜は汚れた食器をさっと食器台に置いた。

「いや、充分変わってるって。大体お前、何でウエイトレスの格好じゃないのさ」

「何でって・・・・・・別に俺、女じゃないですから」

 そう答える聖亜は、今までの猫耳付きの付いたウエイトレス用の服ではなく、執事の着るような黒い燕尾服を着ていた。これはウエイトレスの格好をすることを徹底的に、それこそマスターの顔を殴り飛ばしてまで拒否した彼に、そのマスターが土下座しながら出してきた服だった。なんでも彼のお古らしい。

「け、けどさ、今までその・・・・・・ウエイトレス姿のあんたを目当てに来ている客もいることだから」

「別にいいと思いますが? 元々聖華なんていないんですから。というかなんでそんなに気にしてるんです?」

「いや、だってお前、その」

「?」

 首を傾げる聖亜の前で、祭はあたふたと手を振り、そっぽを向いた。言えるはずがない。まさか執事姿の聖亜に“魅とれていた”などと。

 真っ赤になっている祭に首を傾げながらも、料理を運び終えた聖亜は、今度は厨房で皿洗いをすることにした。腕をまくりつつ厨房に入り、右頬を赤くはらしながらむっつりとした顔で鍋を見ているマスターの後ろに立ち、溜まった皿に手を伸ばすと、背後で白夜のため息がした。

「何ため息なんて吐いてるんですか、マスター」

「いや・・・・・・だってなぁ、俺はお客様にお尻を撫ぜられて恥じらう猫耳姿の聖華ちゃんを見るのが好きだったのに、今俺の前にいるのは“昔”とあんまり変わらない毒舌家の聖亜だからな、そりゃ気分も乗らなくなるさ」

「何ですかそりゃ。しっかりしてくださいよまったく。第一、“猫”要素だったらちゃんと身につけているでしょう?」

「そりゃそうなんだがな」

 ぶつぶつと文句を言いながら、白夜は聖亜の胸元に付いているネームプレートを見た。彼の自信作であるネームプレートは、店の看板同様黒猫が尻尾をぴんと立てた形をしていた。

「まあいいか。そんじゃ聖、さっさと洗い物済ませてくれ」

「はいはい。そう言えば、ヒスイは大丈夫ですか?」

「ん? ああ。ほれ」


 白夜が親指を向けた方、つまり厨房の方を覗き込むと、其処には北斗と昴、この二人の姉妹に監視されながらジャガイモを剥いている白髪の少女の姿が見えた。エイジャとの戦闘で太刀を使用しているため刃物には慣れているのか、最初はぎこちなかった彼女のナイフを動かす手つきは、今は別人のように早い。

「良かった。あれなら大丈夫そうですね」

「まあな。だが不器用なのは直っていないようだ。先程洗わせた皿なんだが」

「・・・・・・ああ」

 流し台のすぐそばにあるゴミ箱を見て、聖亜は苦笑した。中にはひび割れた皿が数枚入っている。客商売でこれでは使い物にならない。捨てるしかないだろう。

「ま、子供の相手とか野菜の皮むきとか、やれる事は幾らでもあるんだがな。ところで聖、いい加減に教えてもらうぞ。あんな可愛い子、一体何処で知り合ったんだ? それからちゃんと口説いたんだろうな」

 聖亜は一瞬、にやにやと聞いてくる白夜の顔を再び殴ってやりたい衝動に駆られたが、やがてため息を吐くと、汚れた食器を洗い始めた。

「彼女、俺の命の恩人なんですよ。だから口説くとかそんなことはしないです」

「そうか。いや、変なこと聞いて悪かったな」

「いえ、まあ変な関係じゃないから、そんな気にしないでください」

 分かった分かった。そう言って料理に集中した白夜を見て、聖亜も目の前の汚れ物に集中することにした。



 洗い物が粗方なくなった頃だろうか、会計を済ませ出て行った本日最後の客と入れ違いになるように入ってきた二人の男を見て、聖亜は片方の眉をピクリと動かした。


 二人は片方が中年で、もう片方は若い。中年の方の男はこちらに目を遣ると、片手を挙げて歩いてきた。


「よ、久しぶり、マスター」

「はっはっは。本当に久しぶりですな。俺としては、もう二度と会いたくなかったですがね、栗原“警部補”殿」


 白夜に露骨に階級付けで呼ばれ、カウンターに座った中年の刑事は、ごまかすように薄い頭を掻いた。


「まあそう邪険にしなさんな。確かに以前きちんと証拠をそろえないで強制的にガサ入れをしたのは俺だよ? けどなあ、今日は客としてきたんだ。もうちっと愛想良くしてもいいんじゃねえかな。ま、とりあえずコーヒー。おい、お前は何飲む?」

「え? 自分ですか? じゃ、じゃあ自分もコーヒーで」


 だみ声で突然そう尋ねられ、彼の後ろで暇そうに立っていた若い刑事はあたふたと慌てながら答えた。


「はい。コーヒー二つね・・・・・・聖、お前そろそろ終わりだろ。此処はいいから、従業員室で着替えとけ」

「・・・・・・え? は、はい」

 刑事の方を見ないように俯いて皿を拭いていた聖亜は、白夜の言葉にほっとながら皿を置いて奥に行こうとした。だが、


「おっと待った。それはちょいと待ってくれねえか? 今日はお前さんに用があってきたんだよ」


 栗原の放っただみ声に、ほんのわずかに体を強張らせた。


「何ですか?」

「なに、そう大したことじゃねえ。おい、例の物出せや」

「は、はい」

 部下が取り出した、白い粉が入った透明の包みを強引に奪い取ると、栗原はそれをカウンターの上に置いた。

「これは?」

「最近新市街を騒がせている新型ドラッグだ。名をKと言う。効果はコカインのおよそ数倍だ。ひどい物だろう? そのひどい物がな、今新市街の若者を中心に広がりつつある」

「新市街でですか? だったら俺は何も知らないですよ」

「まあ話は最後まで聞けって」


 と、栗原は今度は自分の胸ポケットから別の白い粉が入った袋を取り出した。


「さて、こっちは先日旧市街に不法に侵入してきた復興街の連中をとっ捕まえたときに押収したものなんだが・・・・・・この2つ、実は同じ成分だということが分かった」

「・・・・・・何が言いたいんです?」

「ま、つまりだ。今新市街で広まりつつある新型ドラッグは、復興街から流れて来た物だと俺は睨んでいる。でだ。幾ら復興街の連中が怖いもの知らずとはいえ、流石に俺達が厳重に取り締まっている新市街まで来る度胸はないだろう。なら可能性は一つ。“橋”のこちら側に、奴らの代わりにドラッグを新市街に流している奴がいると思うんだが」

「つまり、それが俺だって言いたいんですか?」

 無表情にこちらを見つめる聖亜に、栗原はまた頭を掻いた。

「ま、確証はないがな。だが聖亜、お前さんが一番怪しいんだよ。だってそうだろう、今じゃこっち側に住んでいるとはいえ、お前さんは元々“あっち側”の人間で、しかも復興街最大の組織である自警団の元最高幹部でもある。疑わない方がおかしいってもんだ」


 そう言うと、栗原はこちらに向かってぐいっと身を乗り出してきた。

「なあ。此処は一つ俺に逮捕されてくれないか? ま、豚箱に十年もいれば出てこられるだろうからさ。

なんなら、刑務官に“お友達”が出来るところを紹介してやってもいいぜ」


「なるほど、結局は出世の為の点数稼ぎですか」

「な、お前・・・・・・警部補に向かってなんだその口の利き方は!!」

 冷めた目つきをした少年の言葉に、栗原の後ろにいた若い刑事が声を荒げて身を乗り出した。それをまあまあと押さえながら、栗原は口の端を吊り上げた。だが、その目は全く笑っていない。

「まあな。こちとらもう四十過ぎだ。とてもじゃないが若い頃のような動きは出来ねえんだよ。それにだ。知ってるとは思うが俺の一人娘が、何の因果かお前さんと一緒のクラスにいる。こいつがまた俺と違って出来がいいときた。親としては、犯罪者と一緒に居させたくないんだよ」

「そうですか。なら娘さんに免じて本当のことを言いますが、自警団は仁さんのころから薬に手を出すことは禁じています。だいたい、街を復興させる目的で作られた組織が、荒廃させる原因を作ってどうするんですか。薬を扱ったものは、どんな理由であれ半殺しにして夜の工場区に放り込みます。俺にはとてもそんな勇気はないですね」


 そう答えると、聖亜はにっこりと笑ってみせた。






 それは、残酷なほど明るい笑みだった。






「・・・・・・・・・・・・そうかい。分かったよ。邪魔したな」

 静かにそう言うと、栗原は出されたコーヒーを一気に飲み干して立ち上がり、そのまま出口に向かって歩き出した。その後ろに、慌てて若い刑事が続く。彼が外に出る扉を開けると、栗原は立ち止まって、ふとこちらを見た。

「けどな、聖亜。もし手前が犯人だったら、俺はその場で手前を半殺しにして豚箱に送り込んでやる。覚悟しておくんだな」

 そして、今度こそ本当に去っていった。


「・・・・・・」


 栗原たちが居なくなった後、聖亜は暫らく物思いにふけりながら皿を拭いていた。彼が考えているのはただ一つ、自分が昔所属していた自警団の事だった。


(やっぱり、一度戻ってみるか)




 そう結論付け、再び皿を拭き始めたときである。



「おい聖、そろそろ店の看板出しといてくれ」

「・・・・・・はい? いや、俺今皿を拭いているんですけど」

「ったく、何が拭いているだ。それはな聖、拭いているんじゃなくて、磨いているんだ」

「・・・・・・ああ」


 苦笑する白夜の視線の先、自分の持っている皿を見て、聖亜はふっと自嘲気味に笑った。

 皿は自分の顔が写るほどぴかぴかに光っている。確かにこれ以上はないだろう。


「分かりました。なら閉めてきます」

「ああ、客もいないし、一雨そうな天気だ。早めに閉めちまおう」


 白夜の言葉に、、聖亜はふと顔を上げて窓の外を見た。店の奥からかすかに見える空は、なるほど、確かにどんよりと曇っている。

「夏のこの時間は、稼ぎ時なんですけどね」


 そう言いながら、聖亜はカウンターの影にある「閉店」の看板を持って外に出た。もともと喫茶店「キャッツ」では酒などの類は出していないため、二十一時には一端閉店する。その後はゆっくりと寛ぎたい客のために一時間ほど音楽を流し、完全に閉めるのは22時過ぎだ。


 もっとも、聖亜は未成年なので、二十一時には問答無用で帰されていた。

 やはり、白夜や市葉、それに祭達にとっては、自分はまだ弟といった感じなのだろう。

 

 それが嫌だといっているのではない。そう、嫌ではないのだが。


「まったく、俺は何時までたっても弟扱いか」

ぶつくさとそう呟き、看板を店の前に置いたその時、


 少年の背筋を、ゾクリと悪寒が走った。


 看板を放り投げ、暗がりの向こうからやってくる、異常なほど強力な気配を持った何者かに身構える。先日のニーズヘッグをはるかに上回るその気配に、聖亜は自分の背中を冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。



「あぁ待った待った。この喫茶店、もう閉めるのか?」


 その時、聖亜が見つめる暗がりから男の陽気そうな声が聞こえてきた。思わずぽかんと口を開けた聖亜の前に二人の虚無僧が現れる。二人とも随分と背が高い。長い袋を背負っている方の虚無僧が、疲れたようにそれを地面に置き、のろのろと頭に被っていた天蓋を下ろした。




 篭の中から出てきたのは、随分と若い青年だった。恐らく二十歳前後だろう。ぼさぼさに伸ばした金髪とサングラスをした、随分と軽そうな青年だ。青年の後ろでもう一人の虚無僧も被っていた篭を降ろす。こちらは肩のところで黒髪を切りそろえ、眼鏡をかけた美しく理知的な女性だ。年齢は、おそらく男と同じぐらいだろう。


「え? ああはい。いつもはもう少し後に閉めるんですけど、お客さんも居ないし、雨が降りそうだからって、マスターが」

「げ、マジかよ。なんなんだその大名商売!! なあ、なんか食わせてくれないか? 今この都市に着いたばかりで、ほんと腹減ってんだ。マジで頼むよ」

「いえ、あの・・・・・・それはマスターに聞いてみないと」

「まったく、はしたないですよ、“らい”。けどごめんなさい、本当に空腹なの。お願いできませんか?」

「あ、はい。じゃあ、聞いてきます」

青年のほうがそれこそ拝む格好をしてきたため、聖亜は仕方なく2人を中に入れてやった。



  むろん、女性の豊かな胸元が、ちらりと見えたからではない。




 がふがふっ、がふ


 はふはふ、はふ

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 人気のない店内に響き渡る箸の音を聞きつつ、聖亜はぼんやりと薄暗い店内の後片付けをしていた。。隣りでは野菜の皮を剥き終えたのか、厨房から出てきたヒスイが椅子を運んでいるが、、こちらもあっけに取られたように彼らの様子を見ている。

「ふぐふぐ・・・・・・ぷっはぁ、食った食ったご馳走さん、ありがとうな少年、やっと生き返ったよ。いや、マジで」


 積み重なった皿の間で、大盛りのドリアの最後のひとかけらを勢いよく口の中に入れてから、青年は幸せそうに伸びをした。

「は、はあ。それはどうも。けどよくこんなに食べれましたね」

「まあ、一昨日からずっと山の中歩きっぱなしだったからな。この都市に入って一番最初に入ろうとしたレストランからは、門前払いをくらうし」

「山の中……ああ、新市街の方から来たんですか。それじゃしょうがないですよ。あっちは外見で人を区別しますからね。その格好じゃ、じろじろと見られたでしょう?」

「ええ。まるで見世物か何かのように・・・・・・あ、ごめんなさい。自己紹介がまだでしたね。私は水口千里みずぐちちさと、そしてこちらは鈴原雷牙すずはららいがといいます」

「おう、よろしくな、少年」

「は、はあ。どうも」

 金髪の青年、鈴原雷牙ににこやかな笑みと共に手を振られ、聖亜は軽く頭を下げた。その横では、ヒスイが重なった皿を呆れた顔で眺めていた。


「しかしすごい食欲だな。特性ステーキにビーフシチューにカレーライス、オムライスにスパゲッティ、ホットケーキにジャンボパフェまで残さず食べ終えている」

「うむ。おかげで明日の仕込みをやり直さねばならなくなった。まったく、少しは遠慮したらどうかね。雷牙君」

「はっはっは。これでも腹八分目なんですよ、白夜さん」

 厨房の奥からモンブランを運んできた白夜が笑いかけると、雷牙はにかっと笑みを返した。

「あれ?」

 その会話を聞いて、聖亜はふと首を傾げた。彼の名前を千里が言ったとき、白夜は厨房に居て聞いていなかったはずだ。となると、

「マスター、知り合いだったんですか?」

「ん? 気になるか、まあ十年近く昔の教え子といったところだ。で、雷牙君、この少女のような顔をして毒舌を吐く少年が、君の弟弟子になる星聖亜だ。昔の君のように未熟者だが、まあ仲良くやってくれ」

「へえ、珍しいですね、白夜さんが弟子を取るなんて。兄弟子としてよろしくな、聖亜君」

「は、はあ・・・・・・どうも」

 正直話についていけなかったが、聖亜は出された手を握り返した。と、そんな彼の視線の隅に、雷牙が持っていた長い包みが映った。

「ん? これが気になるかい? 聖亜君」

「え? はあ、まあ少しだけ」

 少年の視線に気づくと、雷牙は笑いながらするするとその包みを解いた。


 その中から現れたのは、一本の古びた木の棒だった。所々に札が巻かれているのと、かなり古いこと意外は、怪しい部分はない。

「へえ、随分と古いですね・・・・・・って、これはただの棒ではないですね、木剣ですか。珍しいですね」

 特別に触らせてもらいながら、聖亜はしげしげと木剣をみた。彼はあまりこういった骨董品には興味はないが、歴史好きの準なら興味を示すだろう。

「ん?ええと、ここに何か彫られていますよね。文字ですか?」

 木剣の腹に彫られた漢字を読もうと、聖亜は目を凝らした。だが手で触れて微かに線が走っていると分かるその部分は、目を凝らしても全く読むことはできない。

 あきらめて木剣から目を離すと、聖亜はふと雷牙が自分を見ていことに気づいた。目が合うと、彼は一瞬ではあるが真剣な顔で千里のほうを見たような気がした。


「あ・・・・・・あぁうん、どうだろう。俺もさっぱり読めんのよ。マジでなんて書いてあるんだろうね」


聖亜から木剣を受け取ると、雷牙はするするとそれを袋にしまいこんだ。


不思議に思いながらも、白夜に目配せされた聖亜がヒスイとともに食器を奥の厨房に運びに行こうとしたその時、微かに雷鳴のようなものが響き、外から激しい雨音が聞こえてきた。


「さてと、そろそろお暇しようか、千里。雨も降ってきたしな。白夜さん、お勘定」


 何かを誤魔化すように席を立つ雷牙は、だが彼から手渡された伝票を見てぴたりと止まった。


「千里・・・・・・お前、いくら持っている?」

「滞在費用は十分持っておりますが、初めからこれに手を付けるわけには行きません。ご自分の分は、ご自分でお願いします」

「いや、けどなあ。ちょいとばっかし融通してくれないか?」

 


 そう言って、彼が相棒に手を合わせたとき、



「・・・・・・ほおう、金が足りないのかね。雷牙君、皿洗いでもしてみるかね。」

 残忍な笑みを浮かべながら、白夜がぼきぼきと指を鳴らして彼の横に腰掛けた。祭や他のウエイトレスも、出口をふさぐように立ち身構えている。

「え、えぇと・・・・・・ああそうだ、白夜さんあれありませんかあれ。喫茶店で定番の、大盛り料理、時間内に食えたら何万円ってやつ!」


その雷牙の言葉に、喫茶店の中の時間が一瞬止まった。


「ば、馬鹿、なんてこというのよ、あんたは!」

「そうですよ! “あれ”に挑戦したお客さん、介抱するの大変なんですから。」

「あの、やめといたほうがいいですよ」


聖亜を含めた面々がそろって言う。だが、それはもう遅かった。


「ほおう、勇気があるね、雷牙君、あれに挑戦しようとは」

 炎を背中から吹き出し(ているように見える)ながら立ち上がると、荒川はにやりと笑った。


「いえ、それほどでもないですよ。ということは・・・・・・あるんですね。」

 雷牙のほうもにやりと笑う。それを見て破顔すると、荒川はその大きな指をパチンと鳴らした。

「園村君、特注の器を用意したまえ! 聖亜、お前は厨房から例の箱をもってこい! ヒスイはクラッカーとくす玉を用意しろ! 諸君、ぐずぐずするなっ!! この無謀な青年が、もしかしたら初の達成者になるかもしれないんでな!」

 と、いきなり動き出す白夜と、こうなったら楽しまなきゃ損という風に動き出した祭、そしてため息を吐きながら厨房に向かう聖亜を見て、

「えぇと、どゆこと?」

当の本人は、ぽかんと口をあけた。




 それは、デザートと呼ぶには、あまりにも巨大すぎた。三十分後、雷牙の前に出されたのは



『店長特性!愚か者さんの絶叫が鳴り響く!超弩級パフェ 夏場のエベレストにはむやみに上らないほうがいいですよ、雪崩が起きますからスペシャル』


 とチョコレートソースで書かれたパフェだった。長さは二メートル近く、幅は五十センチを超えている。しかもその白い表面にはケーキにアイスクリーム、クッキーやチョコレートなどが無数に並べられていた。


「ふ、ふ、ふ。この天才、荒川白夜でさえも未熟者の馬鹿弟子を実験台にし、開発までに一年もの年月をかけてしまった超弩級パフェだ。時間無制限一本勝負。もしこれを完食できたら、今日の勘定をただにするだけではない! この喫茶店キャッツ、一年分の割引券をやろう! さあ、挑戦してみるが良い!」


 応援用の旗やクラッカーをもったウエイトレスが取り囲む中、荒川はそう叫ぶと、雷牙に太い指を突きつける。それに対し、雷牙はぶるぶると目を閉じて震えていた。


(ギブアップしたほうがいいですよ、最悪の事態にならないうちに)


 一年前から試食品を大量に食べさせられ、そのたびにトイレに駆け込んだ経験から、洋菓子が嫌いになった未熟者の馬鹿弟子である聖亜は、そう心の中で忠告したが、雷牙はその瞬間、かっと目を見開くと胸を張って立ち上がった。


「いいだろう、その挑戦、受けよう。この秘密潜水艦、千里がな!」

「人に奇天烈な名前を付けないでください。雷」


 調子に乗ってそう言った雷牙を、話しに加わることなく持っていた文庫本を開いていた千里は、手に持っていた文庫本でバシッと叩いた。


「だって千里、俺にこんなもの食べられるわけないじゃないか。けど、千里なら楽勝だろう?」

「それは私が大食いということですか? まあ、これほど巨大なデザートは、確かに興味がありますけど」


 そう答えると、千里はスプーンを手に取った。


「ふ、千里嬢、君が挑戦するのかね。確かに子供のころの君は人より少しばかり食べる量が多かったが、そんな君でもさすがにこの量は無理だろう。本来ならば代理は認めんのだが、その勇気と豊かな胸を認め、特別に許可して進ぜよう。まあせいぜいそのきれいな肌がべたべたにならんようにせいぜい気をつけたまえ……さあ、用意は良いな。ではスタート!」

「やっちゃえ、千里!」

 騒ぎ立てる男2人と囃し立てる周りの人間を見て小さくため息を吐いた後、千里はその巨大な物体に向かって、ゆっくりとスプーンを伸ばしていった。





 勝負がついたのは、それからわずか十五分後の事であった。









「いやぁ、途中から白夜さんの顔の変化が面白かったな。しかしすまんね聖亜君、旅館に案内してもらって」

「いいんですよ、これぐらい。それにマスターもこれで少しは懲りたと思うし、たまにはいい薬です。けど、おなか大丈夫ですか? 千里さん」

「大丈夫ですよ星君。よく言うでしょう、甘いものは別腹だって。」

 くすりと笑う千里に、そうですね、と聖亜も苦笑して返した。彼らは今、泊まる場所が見ないという二人のために、近くの旅館に向かって、聖亜の案内で向かっているところだった。


「しかし、食費が浮いたのは良かったな。ここに滞在している間、一年間は毎日あそこで飯が安く食える」


 笑いながら、雷牙は手に持った紙の束をひらひらとさせた。表面にデフォルメ化された黒猫の絵が描かれているそれは、喫茶店「キャッツ」の割引券である。



「一年以上居るって・・・・・・仕事か何かですか?」

「ん・・・・・・まあそんなとこさ」

 

 彼らが話している脇では、ヒスイが先程一葉から渡された紙袋の中身をのぞき込んでいた。






「それは・・・・・・浴衣ですか?」

「ああ」

 袋をのぞき込んでいるヒスイに、千里が静かに話しかける。こちらを見る穏やかな視線を受け、ヒスイは軽く彼女を見返した。

「まったく、雷は後輩が出来たことが本当に嬉しいようですね」

「あなた達は恋人同士なのか?」

 

ヒスイの質問に、千里は微笑してかすかに頷いた。


「ええ。彼は私の恋人です。まあ、そんな言葉では表現できないほど、私達の絆は深いですが」

「・・・・・・」

 微笑を浮かべたまま西を見つめる彼女に、ヒスイが何か言おうと口を開いたとき、

「千里ぉっ!! ここ泊まれるってよ!!」

「分かりました。今行きます。ではヒスイさん、これで失礼しますね」

「あ、ああ。さようなら」

 



 聖亜が戻ってくるまで、ヒスイは金髪の青年に向かって歩いていく彼女を、ただじっと眺め続けた。










『・・・・・・』

「そうか。そんな事が」



 鴉の報告を聞き、暗い部屋の中で黒猫はそっと目を伏せた。



「西・・・・・・復興街の北側にて大規模な戦闘を感知か。百を優に超す数の狒々を短時間で倒すことが出来るのは単なる人間には不可能だ。それを成し遂げた灰色の男・・・・・・遂に来たか、閃光」




 その時、先程彼女に報告した鴉がばさばさと空に飛び上がる。どうやら未熟な少年少女が帰ってきたようだ。


 深々とため息を吐くと、キュウは出迎えのため、玄関に向かって重い足取りで歩き始めた。


 






 心地よい風が潮の香りを運んでくる祭り日和の朝、秋野茂は父が経営するホテルの厨房で、汚れた皿を懸命に洗っていた。


「ったく、何が小遣いが欲しければ働けだ、あの糞親父」


 そんな愚痴をこぼしているが、彼は別に小遣いをもらっていないわけではない。月に五千円ほどの小遣いをしっかりもらっている。だが上流階級にしては少ない小遣いは親友である福井に付き合って買い食いなんかしているとすぐ足りなくなり、その度に彼は修行をかねてこうやってバイトをしているのだ。


 もちろん何度が小遣いの値上げを要求したことはあった。だが貧しい少年時代を経験した彼の父はその度に彼を叱り、そして稀に拳を使って諭した。すなわち、お前はあんな馬鹿野郎共の仲間入りをしたいのか、と。


 その馬鹿野郎共というのは、新市街に住む連中の事だ。彼も中学二年生の前半までは派手な生活を好む母親に連れられ新市街の中学に通っていたのだが、夏休み中に父と母が離婚し、彼は旧市街にある中学へと転校させられた。転校してすぐは同級生を見下していたのだが、とある事件によりその高い鼻はへし折られ、今では気の合う友達が出来るまでになっていた。



 だから彼は別に父親のことが嫌いではない。いや、以前遭遇した新市街に居た時付き合っていた連中の変わり様を見ると、むしろ感謝すらしたくなってくる。


「けどなあ、せめて祭りがある時ぐらい黙って小遣いくれないもんかね、なあ福井」


 ぶつくさとそう呟きながら、秋野は隣りで自分と同じように皿洗いをしている親友に話しかけた。だが、


「ん? 福井、何ごそごそしてんだ?」

 だが、福井は皿洗いを中断し、床に座って何やらごそごそと手を動かしていた。首をかしげながら皿洗いを中断し、濡れた手で彼の肩を叩いた。


「ふごっ!!」

「うわっ!!」


 途端にびくりと肩を震わせ、福井は分厚い胸板をまるでゴリラのように叩き始めた。

「・・・・・・って、お前なあ、客の食べ残したデザート食ってんじゃねえよ!!」

「ふぶっ・・・・・・ぐぐっ、ぷはあっ!! いや、けどな。このイチゴのタルト、マジで旨いんだって!!」

「だからって普通客の食い残し食うか? ちゃんと朝飯食っただろうが。しかも人の三倍食いやがって。親父さんとは大違いだな」


 叫びながら、秋野は大柄の福井とは似ても似つかない線の細い彼の父親を思い出した。彼は自分の父とは幼馴染であり、若い頃は外国に貧乏旅行に行った経歴を持つ。だからこそ、父は自分を親友の息子が居る中学に転校させたのだ。


「ったく、そんなに腹減ってるんだったら、後でちゃんとした物作ってもらうから、そんな物食うなよ」

「お、サンキュー。けどなんでこんなに旨いもの残すかね」

「さあな、新市街の奴らの考えることなんざ知るかよ」


 秋野の言葉に、そうだなと言いながら福井が立ち上がる。そして二人が皿洗いに戻ったとき、


「おぉい雑用係共、皿洗いはもういいから、ルームサービス届けてきてくれ」


 厨房の奥の方から、2人を呼ぶ男の声がした。


「はあ、ルームサービスっすか? 別にいいっすけど、何処に届ければいいんです?」

「おう、八階の五号室だ。下まで降りてくるのが面倒だから直接部屋に運んでくれっていわれてな。其処にあるから、早く持って行ってくれ」

「あ、これっすね。って、先輩、これ滅茶苦茶重いんですけど!!」


 厨房の隅にあるカートを押して、秋野はぶつくさと文句を呟く。上にかぶせられている白い布の隙間から見え隠れするカートの中には限界まで料理が詰め込まれており、二人がかりでなければ動かすことが出来ない。八階まではエレベーターを使っていけるのだが、厨房から一番近いエレベーターまではだいぶ距離があった。


「あ? 何か文句あるってのか? 社長に報告して自給下げてもらうぞ?」


「げ、勘弁してくださいよ。文句なんてないですから!! じゃ、じゃあさっさと行くぞ、秋野」

「お、おう。じゃ、行って来まぁす」


 重いカートを何とか押しつつ、二人はエレベーターまで向かっていった。


 

「ぜっ、はっ、やっと・・・・・・着いた」

「ああ、まさか一番近いエレベーターが清掃中だったなんて、な」

「つ、次のエレベーターまで二十メートルはあるし、でかすぎんだよ、このホテル!!」


 8階の廊下の隅で、秋野達はぜえぜえと息を吐いてしゃがみこんでいた。


「つか、5号室がエレベーターの出口の反対側にあるし!! あの先輩、絶対清掃中だって知ってやがったな!!」

「お前結構元気いいな・・・・・・けどよ、八階って特別な客用のスイートルームだろ? 一体どんな客が泊まってるんだろうな」

「そんなの俺が知るかよ。どうせ議員か大会社の社長をしてるおっさんだろ、ぶくぶくふとったさ。んなことよりとっととルームサービス渡して、さっさと帰るぞ・・・・・・失礼します、ご注文のルームサービス、お持ちいたしました」

 荒い息を何とか整えると、秋野は5号室のドアをコンコンと叩いた。

「お、やっと来た。って、なんだ、随分と若いボーイさんじゃないか」

 そう言ってドアを開けた客を見て、秋野と福井はそろって目を剥いた。

「・・・・・・特別だな」

「ああ、特別だ」


 羽織っているバスタオルから、それこそはみ出すほどの胸を凝視している2人に、彼女は怪訝な顔をしたが、やがて納得がいったようにああとうなずいた。


「ああ、こんな格好でごめんよ。昨日余計な“運動”をして、今までシャワーを使っていたものでね」

「い、いえ、滅相もないです」

「そそ、そうです。な、中々結構なものをお持ちで」

「そうかい? ま、さっさと入っとくれ」


 彼女に促され、秋野と福井ははっと我に返り、カートを部屋の中に押し込んだ。


「ありがとさん。こりゃうまそうだ」


 更に盛り付けられた料理を見て、彼女は軽く微笑んだ。


「い、いえっ!! 当ホテルのシェフが腕によりをかけたものですが、お口にあってくれれば幸いです。そ、それでは、しし失礼致します!! おい、何時まで眺めてんだ、失礼だろ!!」

「お、おう」


 料理の入った皿をテーブルの上に並べ、部屋を出て行こうとしたとき、


「ああ、ちょいと待っとくれ。聞きたい事があるんだよ」

 

「「は、はひっ!!」」


 彼女に呼ばれ、彼らはそろって回れ右をした。


「いや、そんなに緊張する必要もないだろう。簡単なことさ。昨日からあの辺りが騒がしいのが気になってね」


 そういうと、彼女は薄紫色の髪に当てていた手を離し、旧市街の神社の辺りを指差した。

「あ、ああ。今日は祭りがあるんですよ。本当は七日にやるはずだったんですけど、何でかしらないけど皆貧血になっちまって、今日に延期になったんです」

「・・・・・・ああ、そういえばあたしが居た時も、そんな祭りがあったね。すっかり忘れていたよ」

「居た時・・・・・・って、お客様は以前こちらにに住んでいたことがあるんですか?」

 

 福井の何気ない質問に、だが彼女はピクリと片方の眉を動かしただけだった。


「お、おい福井、何失礼なこと聞いてんだよ。申し訳ございません、お客様っ!!」

 福井の頭に手を置いて下げさせながら、自分も同じように頭を下げた秋野を、相手はじっと見つめていたが、やがてふっと笑って首を振った。

「・・・・・・いや、いいんだよ。ああ、確かにこの都市に住んでいたことはあるさ。けど子供のころ、それこそ小学校に入る前までだけどね。だから記憶なんてほとんどないのさ。さ、着替えたいんだ。そろそろ出て行っておくれ」


 最後にお礼だよと少年たちの右頬にキスをし、にっこりと笑いかけると、彼女は2人の少年を外に押し出した。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 外に押し出された秋野と福井は、暫らく呆然とキスをされた右頬を手で押さえていたが、やがて顔を見合わせ、肘で互いをつつきながらカートを押して厨房へと戻っていった。




 二人の少年が、ぼんやりとしながら厨房にたどり着いた時である。


「は・・・・・・ふうっ」

 一度深くため息を吐くと同時に大きくあくびをすると、エリーゼは身に纏っていたバスタオルをばさりと剥ぎ取った。


 バスタオルの中にあった、その白い肌があらわになる。だが、そこにあるのはそれだけではなかった。

 

 腹部を中心に、背中・腰・太ももにかけて、ケロイド状のひどい火傷後があった。だがエリーゼはそのケロイドをむしろ愛おしそうに撫ぜると、いそいそと服を着始めた。


「っと、そう言えばそろそろあいつを起こさなきゃね」



 シャツとズボンを着込むと、エリーゼはつかつかと外に出て、隣の部屋「4号室」のドアをドンドンと叩いた。


「こらスヴェン、あんた何時まで寝てるんだい!! さっさと起きなっ!!」


 しかし中からはさっぱり動く気配がない。もう一度ドンドンと叩くと、ようやくもぞもぞと動く気配がした。だが


「・・・・・・ぐぅ」


 その声を聞いた彼女の頭の中で、ぶちっと何かが切れる音がした。


「いい加減に起きやがれ!! このクソガキがっ!!」




 その時、ドゴンッという音と共に、ホテル「ニュー秋野」が微かに揺れた。


 





 チチチッと小鳥の鳴く声が聞こえる。



「・・・・・・ん」



その優しいさえずりに、少女はぼんやりと意識を浮上させた。


彼女に掛かっているのは一枚のタオルケットだけだ。それ以外は寝巻きも、下着すら彼女は身に纏っていない。


「そうでした。昨日は久しぶりでしたからね」


 タオルケットを押さえて身を起こすと、千里はぼんやりと辺りを見渡した。薄暗い部屋の隅で、こぽこぽと湯が沸いている。


 腰に力が入らないので、膝を突いてそこまで行くと、彼女はお湯を湯飲み茶碗に注ぎ、一口ゆっくりと飲んだ。そのまま洗面所に向かうと、相方の親切か、温かいタオルが置いてある。


 それを手に取り、情事で汚れた肌をゆっくりと拭っていく。所々鬱血した部分があるのは、昨日そこを強く吸われすぎたためだ。

「・・・・・・雷?」

 不意に、彼女は自分の相棒がいないことに気づいた。

「雷? どこですか? 雷」

 途端に身体がガタガタと震える。不安と恐怖で頭が真っ白になる。ああ、自分は捨てられたのだ。やはり自分は彼には相応しくなかったのだ。

「う・・・・・・ひくっ、うあ、うああっ」

 涙が溢れてくる。子供のように泣きじゃくる彼女の横で、部屋の戸がギイッと開いた。

「ああいい湯だった・・・・・・ん? 起きたのか、千里」

「はい。お早うございます、雷。こんな早くに一体どこに行っていたのですか?」

 彼の姿を見た瞬間、千里はいつもの冷静な表情に戻った。だが頬を伝った涙の跡はそのままだ。それに気づかない振りをしながら、雷牙は小さく笑った。

「もう八時過ぎなんだけどな。ちょっと温泉に入ってきたんだよ。いや、朝風呂もいいものだな」

「そうですか。なら私も後でいただきます。ところで今日はどうしますか?」


 彼から受け取ったタオルと下着を備え付けのハンガーにかけると、千里は静かに尋ねた。


「そうだな。まずは現状の確認だ。この都市で何が起こり、そして守護司は一体何処に消えたのか。まあ見つからないとは思うがな。その後は観光しながら辞令を待とう」

「随分とのんびりしていますね」

「ん、まあな。しかし表の身分がないと自由に動くことは出来ないだろう? まあ俺達は教育学部を卒業したから、たぶん教師という形でどこかの学校に配属されるとは思うけどな。それより」


 不意に、雷牙は窓から西の方を見た。朝日の中、遠くに微かに巨大な樹が見える。


「あそこが鎮めの森か・・・・・・千里、もう乗り越えたのか?」

「・・・・・・いえ、まだ少し。駄目ですね私は。あれからもう長い時が経ったというのに」

「ああ。けどな、あれからまだ十五年しか経っていないんだ。あのくそったれな災厄からな」

 肩にぎゅっと抱きついてきた恋人の頭をゆっくりと撫ぜ、キスをする。

「大丈夫だ・・・・・・千里、俺はずっとお前の側にいて、お前を護る。絶対にだ」


 太陽の光に目を細めると、雷牙は再び、今度は厳しい目つきで外の景色を眺めた。



 





 目の前の画用紙に描いた睡蓮の絵を、聖亜は険しい目つきで眺めた。


「聖亜? どうかしたのか?」

「ん? ああ・・・・・・いや、なんでもない」

 美術室の中、窓側で退屈そうに座っているヒスイの声に、少年は軽く頭を振った。

 彼が見ているのは、市のコンクールに応募するために仕上げた絵だったが、今見てみるとどうもいまいちだ。



 夏休みに入って始めの日、聖亜とヒスイ、そして準の三人は学校に来ていた。祭りに行くためにここで秋野達と待ち合わせをしているためである。彼らと合流し、夕方になったらその足で神社で行われる祭りに行く事になっていた。そのため傍らにいるヒスイの格好は何時ものジャケットとジーパンといったラフな格好ではなく、昨日市葉から借りた青をベースにした浴衣を着ている。絵柄になっている朝顔が可愛らしい。


「そういえば、さっき準が愚痴っていたぞ。せっかく似合いそうな浴衣があったのに、てな」


 歴史研究会に所属している準は、学校についてから研究会が部室代わりに使っている教室に片づけに行った。終業式後に部室の片づけをしたのだが、本が多すぎて半日では片付かなかったためである。準の着ている浴衣は紅を主体にし、大きな花火が描かれていた。

「あれは・・・・・・ちょっと子供向きだと思う」

「ははっ、確かに。まああいつが中学の時の浴衣だからな。でもちょうどいいと思うぞ」

「それは私の体格が子供だということか?」

「いや、準は中学のときから背が高かったからな、ちょうど今のヒスイぐらいなんだよ。あとあの時の準はかなり痩せていたからな、今のヒスイぐら」

「・・・・・・」


 慌てて口をつぐんだ少年に、ヒスイは強い視線を向けたが、ふっと窓の外を見た。


 それを見てほっと息を吐いてから、聖亜は再び絵とにらみ合った。確かによく出来きた睡蓮とは思うが、コンクールにはこの程度の絵はいくらでも出品されるだろう。


「やっぱり人物画の方がいいか。けどな」


 けれど人物画を描くのは抵抗がある。やはり過去のトラウマがまだ残っているのだろうか。


 もう一度ため息を吐くと、聖亜は画用紙から目を離し、ふと外を眺めているヒスイの横顔を眺めた。

 じっと外を眺めている彼女の横顔は、エイジャと死闘を繰り広げているときと違い、随分と幼い感じがした。


 無意識のうちに、聖亜は横においてある鉛筆を手に取った。それを縦にし、そっとヒスイと重ね合わせる。


「ん? どうした?」

「・・・・・・え? あ、いや・・・・・・何でもない」


 そうか、そう呟き、再び外に視線をやったヒスイの顔を、聖亜は何故か見ることが出来なかった。


 見ることが嫌なのではない、いや、むしろ見たいと思う。ただ、何となく気恥ずかしいのだ。




「そ、そうだヒスイ、ヒスイはどうしてエイジャと戦っているんだ?」


 気恥ずかしさを紛らわすように、聖亜はふとそんなことを尋ねた。

「なぜそんなことを聞く?」


 その時、不意に室内に張り詰めたような空気が流れた。


「・・・・・・いや、何となく」


『何となくで女の過去を知ろうとするでない、この青二才』


 こちらを冷たく睨みつけてくる少女の代わりに、彼女が持っていたペンダントの中から黒猫の声が聞こえてきた。同時に周囲の空気が穏やかなものに変わり、少年は気づかれないように胸をなでおろした。

「なんだよ、青二才って」


『ふん、女の過去をむやみに探る男など、青二才で充分だ。それよりヒスイ、そなた今日本当に祭りなんぞに行くつもりか?』


「ああ。別にエイジャの気配もしないし・・・・・・駄目なのか?」


『別に駄目といっているわけではないが・・・・・・まあ良い。たまには息抜きも必要であろうしな、好きにせよ』


 いつもの口調とは違い、少し言いよどんでいるキュウに、ヒスイは軽く首を傾げた。その様子を見ていた聖亜がふと窓の方に視線を映すと、庭を秋野と福井が歩いてくるのが見えた。

「ああ、やっと来た・・・・・・って、何かぼうっとしてないか?」

「そういえばそうだな。それに2人とも右頬を押さえている。虫歯にでもなったか?」

「いや、秋野はともかく、福井は大食いなのに今まで虫歯が一本もない。たぶん違うだろう。けど、本当に何やってるんだ、二人とも」

 

こちらが見ている事に気づいたのか、彼らは右頬を押さえたままのろのろと手を振ってきた。


 何時もの陽気な感じではない。だが別に病気というわけでもない。ただぼんやりとしているだけだ。



 どこかおかしい彼らの様子に、聖亜とヒスイは、揃って首を傾げた。




 






「なんだ、キスされてぼうっとしていただけか、まったく」

「いただけてなんだよいただけって、本当にすごかったんだから」

「すごかったって・・・・・・秋野はともかく、福井、お前は恋人が沢山いたんだから“しなれてる”だろ」

「いや、そうなんだけど、あれはなあ」

 夕方、未だに様子がおかしい二人と一緒に、聖亜とヒスイ、部室の片づけが終了し、浴衣に着替えた準の三人は神社前の通りであるお立ち通りを歩いていた。普段は物静かな石畳の道は、だが今は両端に屋台が立ち並び、客を呼び込む的屋の声で騒がしかった。

 その騒がしい道を五人で歩く。浴衣のヒスイと準、甚平を羽織った秋野と福井の両名とは違い、聖亜は学生服だ。別に家に甚平がないわけではない。というか準の背負っているリュックの中には、彼女が自分に着せようとした甚平が入っているが、聖亜は丁重にお断りした。幾ら背が低いといっても、小学生用の甚平は流石にいろいろな意味できつい。


「それで? まず何から食う?」

「福井・・・・・・お前は食うことしか頭にないのか」

「あ? んなことねえだろ、ちゃんとそれ以外も考えてるって。例えば」

 自分たちと同じように石畳の道を神社へと向かう、浴衣姿の女を見て、福井はニヤニヤと鼻の下を伸ばした。

 彼の様子を見て、何を考えているのか分かったヒスイは、呆れたようにため息を吐くと、福井の頭をポカッと叩いた。

「痛てっ!! 何すんだよ、ヒスイ」

「お前がスケベなことしか考えていないからだ。大体、祭りの醍醐味は神輿やお囃子を見ることだろう?」

「あのな、俺って一応この神社の息子だぜ? 神輿は一週間に一度、掃除のために必ず見るし、お囃子をしているのも家族や親戚ばっかりだ。別に興味な・・・・・・痛いっての!!」

 ヒスイが再び、今度は少し力を入れて殴ると、福井は頭を抱えて秋野の後ろに隠れた。彼らの様子を見ながら、聖亜は先程買ったクレープを頬張った。どろりとしたきつい生クリームが、口の中一杯に入ってくる。

「ん? 珍しいな聖、お前がクレープ食べるなんて。洋菓子は嫌いなはずだろ」

「・・・・・・ん、そりゃそうなんだけどさ、義務というか何というか」

 白夜の試作品を食べさせられ続けた経験から洋菓子が大の苦手になったのに、“頭の中”にいる少女のために、眉を顰めながらもごもごとクレープを食べているしている少年に、準は水筒の中に入れておいた麦茶を差し出した。目礼してから受け取ると一気に飲み干す。くどい甘さが麦茶によって流され、聖亜はほっと息を吐いた。

「それで、どういう風に見て回る? 俺はあまり屋台とかに興味がないから、先に神社の方に行くけど」

「あ、私もいく。動く前の神輿を見てみたいしな」

「聖が行くなら、もちろん私も行く。福井に秋野、お前達はどうする?」

 準にそう尋ねられ、秋野と福井の両名は顔を見合わせ何やらこそこそと話していたが、やがて秋野がこちらを向いた。

「いや、俺達は食べ歩きしてるよ。実は昼飯食い損ねてさ」

「んで俺がその案内な。だから二手に分かれる形でどうだ?」

「それはいいけど、あまりナンパはするなよ。今日はお前の家でやってる祭りだ。ナンパなんかしたら、一発でばれるからな」

「う・・・・・・分かってるよ。けどちょっとだけならいいだろ?」

「そうそう、あ、神社に行ったらちゃんと俺達の分の席も取っておいてくれよ。えっと、野外コンサートって二十時からだよな」

 野外コンサートというのは、社殿の前に設置されたステージで行われるアマチュアのコンサートだ。ロックや演歌など歌の種類は問わず、飛び入りも自由ということなので、結構人気があった。

「ああ。あと二時間以上あるから充分席は取れると思うけど、あまり遅くなるなよ。それから、あまり食いすぎないこと。去年みたいな目にあっても知らないからな」

「う・・・・・・わ、分かってるって聖亜。んじゃ頼むな!!」

 去年屋台で食べ過ぎたため、コンサートの途中で倒れ、救急車を呼ばれた経験のある秋野は、手をひらひらとさせながら福井と共に人ごみの中へと消えていった。

「さと、俺達も行くか。けどヒスイ、お前日本の祭りは初めてだろ? のんびり屋台を覗きながら行こうぜ」

「そうだな。少し空腹だし、ちょうどいい。けどみたらし団子売っている店なんてあるだろうか」

「まあ城川屋なら出しているんじゃないか? 私も林檎飴食べたいし、さ、早く行こう、聖」

「はいはい。お姫方のエスコートはちゃんとしますよ」

 準と手をつなぎ、左側にヒスイを伴いながら、聖亜は神社に向けて歩き出した。







「お、射的がある。やってみないか、ヒスイ」


 3人で歩き始めて少し時間が経った頃、屋台の一角に射的屋を見つけ、聖亜はヒスイに声をかけた。


「射的? まさか本物の銃を使っているんじゃないだろうな」

「いや、木製の銃でコルクを打ち出すんだ。そしてコルクが並んでいる景品に当たれば、それがもらえる。まず私がやってみるから、聖、ちょっと荷物持っててくれ」

 先程買ったヤキソバと綿菓子を聖亜に預けると、準は店番をしている中年の親父にお金を払い、木製の銃を手に取った。傍らにある箱の中からコルクを一つ取り出し、景品の一つに身長に狙いを定め、撃つ。

 だが、コルクは景品には当たらず、その隣をまっすぐに飛んでいった。

「とまあ、こんな具合だ。つかやっぱり取れないとむかつくよな……このっ、このっ」

 再びコルクを込め、発射するが、それでもやはり景品には当たらない。三回目でも同じだった。残念そうに肩を落としながら、準はヒスイに銃を渡した。

「それじゃ、次ヒスイの番な」

「ああ・・・・・・これが弾か。木でできているのか」

 コルクをしげしげと眺め、それを木製の銃に込めると、ヒスイは目を細めて狙いを定め、景品に向けて銃を撃ったが、弾は景品に僅かに当たって揺らしただけだった。

「むぅ」

「お、惜しいじゃないか、ヒスイ」


 くすくすと笑う準を見て顔を顰めると、ヒスイは続けざまに三発ほど撃った。一発目は大きく外れ、二発目は景品の上のほうにあたって揺らし、そして三発目が偶然に同じところにあたったことで、何とか景品は倒れた。


「お、やったじゃないか、ヒスイ」

「ああ、刀に比べて銃の方は苦手だったが、何とか当たったな」

 もらった景品であるお菓子の箱をもって軽く笑うヒスイを眺めていた時、聖亜はふと、彼女の前の台にコルク性の球が一つ残っていることに気づいた。

「なあ準、ヒスイ、最後の一発、俺がやってもいいかな」

「ん? ああ、好きにしろ」

「あ、すまない聖、荷物をありがとうな」


 手を伸ばす準に荷物を預けると、聖亜は最後のコルクを銃に込め、目の前の景品を品定めした。それほど大したものは置いていないが、その中で“まし”と思われる物に狙いをつけ、軽く引き鉄を引く。発射されたコルクは、景品に向かってまっすぐに飛んでいき、それをかこんと叩き落した。


「よし、命中っと。どうも」


 おそらくこの店で一番値打ちのある景品なのだろう。苦々しい顔をしている屋台の店主から小さな箱を受け取ると、聖亜は興味津々と行った感じの二人の少女の元へと急いだ。


「聖、それなんだ?」

「ん? ああ、イヤリングだ。といっても安物だけどな。けど耳に穴を開けるタイプのものじゃないから、二人とも此処で付けて見たらどうだ? ちょうど二組あるし」

「あ、ああ。ありがとう、聖」


 渡された箱を開き、中に入っていた二つのイヤリングのうち、蒼い方をヒスイにやると、準は赤いイヤリングを早速耳につけた。ハート型のイヤリングが、形の良い耳で揺れている。彼女の横では、ヒスイがちょっと手間取りながらも、蒼い星型のイヤリングを耳につけていた。


「どうだ聖、似合うか?」

「うん。似合ってる。ヒスイもな」

「そ、そうか?」

「ヒスイもっていうのは少し気に食わないけど、ありがとう。で、これは私からのお返しだ」

 目元を桜色に染めると、準は聖亜の右頬にちょんっと触れるだけのキスをした。


「ほら、ヒスイも」

「うぇ!? わ、私もするのか?」

「当たり前だろう。お前、イヤリングをもらっておいて何の礼もしないつもりか?」


 準の言葉に、ヒスイは暫らく俯いていたが、やがて決心したように顔を上げた。


「いや、別にしなくてもいいから」

「いや、そういうわけにはいかない。準の言うとおり、私はイヤリングをもらったからな。その礼は・・・・・・ちゃんとする」

 何かを誤魔化すようにぼそぼそと呟くと、ヒスイはまるでエイジャと遭遇したときのように真剣な顔をして聖亜に近づき、先程準がキスした方とは反対側、すなわち左頬へとその唇を寄せ、



 微かに、本当にされたのだろうかと思うほど微かに、彼の左頬にキスをした。



「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・い、聖!!」

「・・・・・・あ? あ、ああ。どうした準?」

「どうしたって・・・・・・一体何時までぼけっとしてるつもりだよ。まるで秋野達みたいだったぞ」

「いや、まさかしてくれるとは思わなかったから」


 向こう側を向いているヒスイを見ながらそう呟き、ぼんやりと左頬に手を沿える少年にむっとしたのか、準は両手で彼の頬をがしっと掴むと、

「準? 一体どうし・・・・・・うむぅっ!!」

 聖亜の唇に自分の唇を重ね、彼の口内舌で蹂躙した。

「・・・・・・ぷはぁっ!! ご馳走様、聖」

「ご馳走様じゃないだろ。それよりさっさと次にいくぞ。ヒスイも何時までそっち見てるんだよ、次はお前の好きなみたらし団子を売ってる店だぞ」

「ああ。って、ちょっとおい」


 ぜえぜえと息を吐いてから、聖亜は真っ赤な顔をしてヒスイに呼びかけた。こちらを振り向いた彼女の頬はまだ赤く染まったままだ。彼女と準の手を強引に掴むと、聖亜は和菓子屋に向かってずかずかと歩き出した。






 だが、和菓子屋の前に屋台は出ていなかった。


「おかしいな・・・・・・祭りのときはいつも屋台が出ているのに」

「ああ。確か去年も一昨年も出していたな。で、売れ残ったみたらし団子を皆で必死になって食べたんだ」

「・・・・・・店自体はやっているようだけど、入ってみるか?」

 ヒスイの言葉通り、屋台は出ていないが店自体はやっているようだ。ちらりと準の方を見ると、彼女はヒスイに同意するように頷いた。

「そうだな・・・・・・分かった。入ってみよう。先生にちょっと相談したいこともあるし」


 念のためヒスイをその場に待たせると、聖亜は店に向かって歩いていった。いきなり入らずに店の中を覗くと、客は居らず、カウンターの所に彼の年上の幼馴染であり、美術部の顧問を務める城川屋の跡取り息子が退屈そうに座っているのが見えた。

「・・・・・・ん? ああ聖亜君か。いらっしゃい」

 こちらに気づいたのか、彼は重く沈んだ声でそう言うと、ちょいちょいっと手招きをした。

「あ、はい。どうしたんですか? 屋台も出さずに・・・・・・ああ、ヒスイ、準、入ってこいよ」

「あ、ああ」

「お邪魔します」

「おや? 君達も来たのか。いらっしゃい」

 

ケースの中に並んでいるみたらし団子が気になるヒスイは置いておき、聖亜と準は城川先生に近づいた。いつものほほんとしている彼が、今日は何故か青ざめている。

「どうしたんですか? こんなに青ざめて」

「ああ、いや実はね・・・・・・かおりがまたいなくなってさ」

「香がぁ!? ったく、またかよあの馬鹿女」

 

準の大声に、ケースの中を見ていたヒスイがこちらを向いた。


「柳・・・・・・香って誰だ?」


「ん? ああ、僕の妹さ。で、柳君と聖亜君の中学の時の同級生」


 先生がヒスイに説明している間に、聖亜は香の姿を思い浮かべた。中学の時はおどおどとした、髪を三つ編みにしている小動物のような彼女は、だが女子高に入った途端その性格が一変した。金髪に染めた髪にはパーマをかけ、耳には幾つもピアスを付け、幾日も男と遊び回った。その度に彼女は両親に説教されていたが、数日も経つと、彼らに対するあてつけのようにまた別の男と遊び回った。

「いや、最近は結構大人しかったんだけどね、この前の貧血騒動のあと、急に家を飛び出しちゃってさ、もう五日も帰っていないんだよね。いつもならどんなに長くとも二日目には一応帰ってきていたんだけど」

「うぅん、出て行く前に何か言ってませんでした?」

「いや、特にはね。けどいつもの事は言っていたよ。“皆どうせ私の事なんてどうでもいいんでしょ”だってさ」

「・・・・・・っち、あのクソ女が。相変わらず自分が話題の中心でないと気がすまないようだな」

 

 準が忌々しげに吐き捨てる。それを見て聖亜はげんなりと息を吐いた。高校に入学してすぐ、彼は性格が変わった彼女に自分の男にならないかと誘われたのだ。そしてその事を準に見られ、彼はそれから一週間、不機嫌そうな彼女に奢らされたのだ。

「それで皆探しに出ていてさ、とても屋台を出せる状況じゃないんだよ。嫁さんも心配してさ。寝込まれても悪いからいつもと同じ事をさせているんだけど・・・・・・はい、みたらし団子」

「あ・・・・・・」


 みたらし団子のパックがぎっしり詰まった紙袋を差し出され、ヒスイはちらりと聖亜の方を見た。彼女は確かにみたらし団子が好きだが、この状況で受け取れるほど無神経ではない。


「ごめん、もらっといてくれ・・・・・・じゃあ、みたらし団子もらったし、俺達も手伝いますよ。いいよな、準、ヒスイ」

「・・・・・・まああいつのことは気に食わないけど、いないとやっぱり気になるしな。聖がいいなら、いいぞ」

「ああ。ギブアンドテイクだ。まかせてくれ」

「そうか、ありがとう三人とも。じゃ、お礼としてもう一袋「いや、もういいですから」そうかい? けど今日は祭りを楽しんでおくれ。この辺りはもう探し尽くしたし、あんな妹のために楽しみを奪っては申し訳ないからね」

「そうですか。じゃあ見かけたら首根っこ掴んで連れてきますんで。失礼します」


 一礼すると、聖亜は外に向かって歩き出した。その後ろから同じように一礼をして準とヒスイも続く。彼らを見送ってから、城川は椅子に座りなおすと、悲しげな顔で深々とため息を吐いた。











「ったく、何をやってるんだ、あの馬鹿女」


 店から出ると、聖亜はすぐ傍のベンチに座り、げっそりと息を吐いた。 


「それで? 何処から探す?」

「取り合えず通っていた女子高に行ってみよう。それから彼女と親しかった友達を探して、次に男関係を探る」

「随分と面倒くさいな」

「・・・・・・準はあまり香と仲良くなかったからな」

 傍らに立ち、むっつりとした顔で呟いた準を見て、聖亜は苦笑して息を吐いた。

「けど、やっぱり見て見ぬ振りはできない。別に知らない奴がどうなろうと俺の知ったことじゃないが、知り合いがいなくなっていて、何か事件に巻き込まれているのなら、放っておけないからな。たとえどんなに胸糞悪い奴でも」

「・・・・・・・・・・・・ふうっ、分かったよ。“俺”の負けだ。こうなりゃちゃんと見つかるまで付き合う。そんで見つかったらその場で一発ぶん殴る。いいな」

「ああ。ヒスイも手伝ってくれよ・・・・・・ヒスイ?」

 白髪の少女の返事がない。後ろを振り返ると、そこではヒスイが何やらごそごそとやっていた。

「おい、何みたらし団子食ってんだよ!!」

「むぐっ、あ・・・・・・いやその、すまない。お腹が空いていて、つい」

 みたらし団子を口に入れたまま、もごもごとすまなさそうに俯いた白髪の少女を見て、聖亜と準は顔を見合わせると、ぷっと吹き出しした。

















 3人がいるベンチから遥か後方の石畳で、その男は彼らの様子をじっと見ていた。ぎりぎりと手を握り、爪で皮膚が切り裂かれ、血が流れだしているのもかまわず、男は肩を震わせ、唇の両端を限界まで吊り上げた。






「・・・・・・・・・・・・ようやく、ようやく見つけたぞ。絶対零度!!」













「あの・・・・・・お姉さん、一緒に屋台見て回りませんか?」

 紫色の浴衣を着た観光客にそう声をかけた秋野は、だが一瞥しただけで冷笑し手を振って歩き去る彼女の後姿を見て、がっくりとうな垂れた。




 これでナンパを開始してから十回連続で振られている。軽く息を吐くと、秋野は近くの屋台で大盛の焼きそばを頬張っている福井の隣りにしゃがみ込んだ。


「ふぉいふぉい、ふぉうしたんふぁよ、調子ふぁるいじゃねえふぁ」

「・・・・・・悪い、何言ってるか分かんねえよ」

「んぐぐ・・・・・・っと、悪い悪い。じゃあ改めて、おいおい、どうしたんだよ。調子悪いじゃねえか」

 


 三杯目の焼きそばを食べ終え、満足そうに腹をさすると、福井は秋野にほれっとチョコバナナを差し出した。


「どうも」

「いやいいって。けどよ、お前趣味変わったのか? 確かにお前は年上が好みだったが、今までは高校、いってもせいぜい大学生がお前の範囲内だったろ? 今までそいつらを対象にナンパの練習をしていたくせに、いきなり自立しているお姉さま方を相手に出来るわけないだろうが」

「うるせえな、分かってるよ。けどお前だってぜんぜんナンパしてないじゃないか」


 チョコバナナを食っている親友にそう文句を言われ、福井はそうなんだよなぁと頭を掻いた。


「いや、聖亜にも言われたんだけどさ、家の近くでナンパしたらやばいだろ。そりゃ俺が声をかければ一発でナンパは成功するよ? この髪形もナンパするとき笑い話として使えるしさ。けどもしそれが母ちゃんにばれたら・・・・・・ひいいっ!!」

「いや、悪かった。な、元気出せ」

 ガタガタと震えだした親友の肩をぽんぽんと叩くと、秋野はチョコバナナの串を捨てるため立ち上がり、そしてふと前の人混みを見た。


「あれ?」

「ん? どうしたんだよ」

「いや、見間違いかもしれないけど・・・・・・何か今遠くに小池の姿が見えたんだけ」

「・・・・・・はぁ? 小池って言ったらお前、俺らの学校退学して月命館に入った隣のクラスの奴じゃねえか。秋野、お前顔知ってたのか?」

「いや、別に知りたくもなかったんだけどな、あいつ月命館に行くとき、散々俺に自慢してきたんだよ」

「ふぅん、ま、災難だったな。つかなんで月命館の寮に引っ込んだ奴が旧市街を歩いてるんだよ」

「そんなの俺が知るか。どうせママのおっぱいが恋しくなったんだろうよ。さてと、ナンパの再開だ」


 気合を入れて立ち上がった彼を見て、福井は新たに買ったイチゴ味のかき氷を、思いっきり頬張った。口いっぱいに冷たく甘い味が広がる。


「でもさ秋野、お前の趣味が変わったのって、やっぱりあのお客さんのせいか?」

「ぶっ!! な、何馬鹿なことを言ってるんだよ!! そそそそんな事ああああるわけないだろが!!」

「へいへい。お前ってほんとに分かりやすいよな。それじゃそろそろ移動しようぜ。あっちでイカ焼き売ってるの見たんだよ」

「おいおい、まだ喰うのかよ。去年の俺のようになってもしらねえぞ? まあい・・・・・・いや、ちょっと待て。もう一回だけ声かけてからな」


 目の前をさっと通り過ぎたスーツ姿の女性の左右に振られた尻を見て、秋野はごくりと唾を飲み込んだ。


「はいはい。勝手にやってなさいよっと。おやっさん、カキ氷もう一杯。次はメロンソーダでね!!」


 女の尻を追いかけた親友に激励の手を振ると、福井は出されたカキ氷にスプーンを伸ばした。




「あ、あの・・・・・・すいません」

「・・・・・・」

「あのっ、すいません!!」

「ん? ああ、あたしか。誰だい?」

 


 スーツ姿の女性に追いついた秋野は、振り返った彼女を見てはっと息を呑んだ。さっきまでは暗くてよく分からなかったが、独特の薄紫色の髪を持った豊満な体を持つ彼女は、間違いなく今朝自分にキスをしてくれた客だった。

「あ、あの・・・・・・お客様ですか?」

「ん? ああ、今朝の坊やか。奇遇だね、こんな所で出会うなんて。祭りにでも来たのかい?」

「は、はい!! お客様もですか?」

 

 ふっと笑った彼女に一瞬見惚れた秋野だったが、あわあわとそう尋ねた。


「いや、最初はそのつもりだったんだけど、ちょいと連れとはぐれちまってね」

「は、はぁ・・・・・・あ、俺探すの手伝いますよ。どんな人なんですか?」

「おや? 良いのかい。んじゃ頼もうかね。灰色の髪と目をした大男なんだけど……おや? どうしたんだい?」

 男と聞いてがっくりとうな垂れた秋野を見て、彼女は不思議そうに首をかしげたが、

「あの、もしかしてその人、恋人か旦那さんですか?」

 少年のその言葉に、ぷっと吹き出した。

「恋人か旦那? そんなわけないじゃないか。そうするにはちょいと年が違いすぎるからねえ」

「え? そ、そうだったんですか!! うっし。こっちはもう探したんですよね? なら神社の方角じゃないかな。自分も神社に行くんで、一緒に行きましょう!!」

「おや? そいつはありがたいね・・・・・・そういえばお前さんの名前を聞いていなかったね」

「は、はいっ。秋野茂って言います。あの、お客様は?」


「そういや言ってなかったね。あたしはエリーゼっていうんだ。よろしくな、アキノ」


 はいっと元気良く返事をした少年に顔を近づけると、途端にどぎまぎする彼を見て、エリーゼはにっと笑った。







 ギャリッ、ギャリッと音を立てながら近づいてくるその男を、聖亜は呆然と眺めた。

 

 

 自分の周りからヒスイ以外の生き物が一瞬で掻き消え、周囲が灰色に染まったのは、もう少しで神社に着く頃だった。



 最初、エイジャの奇襲と判断したヒスイがペンダント“尽きざる物”から護鬼を引き抜いたが、近づいてくる男を見た瞬間、彼女は太刀を落とし、悲しげに俯いた。



 身長は自分より遥かに高い。重力に逆らうように夜空に伸びる髪は、ヒスイ同様色素がないが、彼女の髪が澄んだ雪のような色なのに比べ、これは疲れきった老人に似た灰色だ。そして傍らの少女の瞳が空を思わせる蒼なのに比べ、男のそれは



 男のそれは、髪の色同様何の感情も写っていない灰色だった。







 いや、違う。その灰色の瞳には抑えきれない感情が見え隠れしている。憎悪、怒気、





 そしてそれらを凌駕する、途轍もなく強大な、狂喜。







 ギャリギャリと鳴っているのは、男が両手に持っている巨大なチェーンソーだ。一つ百キロ近くありそうなそれを、だがこの男は左右に一つずつ、軽々と持っている。


 男は、呆然とこちらを見つめる聖亜と、そしてその隣りで悲しげに俯いている少女の前まで来ると、右手に持ったチェーンソーを天高く上げ、


「くくっ、くはっ、くひゃははははっ!! 死ね、絶対零度っ!!」



 白髪の少女に向け、勢い良く振り下ろした





   ギャリリリリリリリッ!!




                                      続く


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