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スルトの子  作者: 活字狂い
14/22

スルトの子2 炎と雷と閃光と 第一幕 嵐の前


 頬にいきなり柔らかなそれが当たったのを感じ、星聖亜ほしせいあは思わず自分の頬に手をやり、続いて自分に接吻した小さい生き物が飛んでいった方を見た。家の屋根に腰掛け、それはくすくすと笑いながら自分を眺めている。



 その姿は物語に出てくる妖精に近い。十五センチほどの身長と、背中に二対の羽を持つ少女だ。服は何も身につけていない。その裸体を見て、聖亜は僅かに頬を染めて視線をそらした。


「ふふ、どうしたのかしら、聖亜」

「いや、別に」

 胡坐をかいている足の間に座る、五十センチほどの人形に微笑まれ、聖亜はバツが悪そうにそっぽを向いた。

「まあ、彼女達のことは気にしなくてもいいわよ。そこいらにたくさん飛んでいるんだから」

「けど、やっぱり気にする。だってその・・・・・・裸、なんだし」

「そう? 昨日も言ったと思うけど、彼女達は最下級の氏・・・・・・いえ、エイジャよ。人の生気を吸わず、花の蜜を吸って生きる存在。別に害は無いけれど、鬱陶しいなら追い払ってあげましょうか?」

「・・・・・・ナイト、お前ちょっと意地悪だな」

 そうかしら、そう呟くと彼女は嬉しそうに笑った。自分より弱い存在に危害を加えることを嫌うこの少年が、彼女達に何も出来ないことはわかっていた。


「けど、どうして俺の周りに集まるんだ? 今までいなかったのに」

「いなかったんじゃない。隠れていただけよ。彼女達はスフィルと同じで存在自体が着薄だから、その気になれば完全に気配を遮断することが出来る。それこそ、玩具使いに見つかる事無く・・・・・・ね。それに」


 一端言葉を切ると、ナイトは少年の右腕にそっと触れた。


「それに自分達の住む場所に“深淵の御手”なんて馬鹿げた物を持つ人が現れたのなら偵察に来るのは当然よ。それで危険な存在なら逃げるし、逆に庇護してくれそうなら媚を売る。あなたは・・・・・・そうね、そのどちらでもなく、どうやら懐かれたみたい」

「懐かれたって」

 屋根に座っている妖精の隣りに、別の妖精が舞い降りる。これで二匹目だ。いや、今までどこに隠れていたのだろうか、少年の周りにはすでに十匹以上の妖精がいて、笑いながら自分を見たり、庭に植えてある花にそっと口を寄せて生気を吸ったりしている。


「・・・・・・」


 その穏やかな光景を眺めながら、聖亜は無意識に口元を緩めた。

「話は変わるけど、聖亜、昨日の提案考えてくれたかしら」

 だが、傍らにいる人形が呟いた言葉に、すぐにその笑みは消えた。

「昨日の話・・・・・・この世界を離れること、か」

「ええ。このままこの世界にいれば、ニーズヘッグの言った通りあなたは必ず人間に“殺される”。彼らは不可解なものを排除したがるから・・・・・・聖亜、人間とエイジャの混血児であるあなたは、人間にとってもっとも不可解な存在よ。けれど」


 不意に、ナイトは少年にぎゅっと抱き着いた。


「けれど私達・・・・・・つまりエイジャの住む“四界”であれば排除される心配は無い。王だけが持つ深淵の御手をやどすあなたを排除できる存在など、いるはずが無い。いいえ、逆に皆あなたにひれ伏す事になるでしょう。だから聖亜、私達と一緒に四界に行きましょう。もしあなたが望むなら、赤界に行ってあなたの親戚を探せばいい。深淵の御手を所持しているエイジャは王だけだから、見つけるのは簡単よ」



 親戚を探す、ナイトの魅力ありすぎる言葉に、聖亜はぼんやりと空を見上げた。彼の脳裏に、自分の唯一である一人の少女の姿が浮かび上がる。




「ごめんナイト。もう少しだけ考えさせてくれないか?」

「ええ、いいわよ。それにこの世界に残っても良いのだし、その時は私があなたを必ず護るから」

 

 あっさりそう言うと、ナイトはそっと聖亜の頬に口付けした。


「そうか・・・・・・ありがとう。けど無理はしないでくれよ」

「ふふ、心配してくれるの? ありがとう。けど大丈夫・・・・・・それより見て御覧なさい、そろそろ動くわよ」


 ナイトが眺めている庭に目をやって、聖亜は少し顔を引き締めた。


 

 彼らは、黙って見詰め合っていた。



 一人は両手で木刀を持つ白髪の少女だ。肩の所で切りそろえた白い髪が風でさらさらと揺れる中、相手をしっかりと見据えている。


 一体は赤い鎧兜に身を包んだ人形だ。身長はナイトと同じ五十センチほど。人形劇に出れば子供達に喜ばれそうだが、体中から迸るその気配は武人そのものだ。





 やがて、一際強い風が吹き、家の周囲にある竹薮がざわりと揺れた。青葉が一枚ぷつりと千切れ、ふらふらと舞いながら彼らの間に落ちた、その瞬間






「むっ!!」

「はぁっ!!」


 二人は、同時に地を蹴り、腕を振るった。



キィンッ!!


ガキッ!!


 木刀と拳が打ち合った音が聞こえ、それが止むのとほぼ同時に、彼らは相手がいた場所に同時に着地していた。



「むっ」

「くっ」



 地面に足を着いたとき、人形は僅かにへこんだ脇腹を押さえ少女は右肩を抑えた。聖亜には拳と木刀が一度打ち合ったことしか分からなかったが、どうやら相打ちになったらしい。


「ふむ・・・・・・正面からならほぼ互角か」

「ああ、いい鍛錬になった。ありがとう」


 互いに向き合い一礼すると、少女と人形は少年のいる縁側に向かって歩いてきた。



「ヒスイ、ポーン、お疲れ様」

「ああ。さて、次はお前の番だな、聖亜」

「う」

 白髪の少女、すなわち数日前から居候しているヒスイが差し出した木刀を見て、聖亜は一瞬たじろいだ。これが普通の木刀なら、素振りなど千や二千は軽くこなせる。だがこの木刀は、

「・・・・・・」

 無言のまま差し出された木刀を手に取る。途端にがくんと前につんのめった。木刀の先端が、完全に地面にめり込む。


「く・・・・・・そ!! やっぱり重すぎるぞ、これ!!」

 

 そう、この木刀は普通の木刀とくらべ、明らかに重量が桁違いであった。


 愚痴を零しながら、それでも懸命に木刀を持ち上げる。その姿は先程のヒスイの動きと比べるとまさに月とスッポンだが、少女の顔に浮かぶのは驚きの表情だ。


「私としては、重すぎるといいながらもそれを扱えるほうがおかしいんだがな、その“膝打丸”は、形状は確かに普通の木刀だが、ヘファト教授が片手間に作り上げた練習用の魔器だ。片手間で練習用といっても、スフィル程度なら一撃で潰せるし、エイジャにも多少抵抗は出来る。その代わり巨大な神木を一本丸ごと凝縮してむりやり木刀の形にしたから、並大抵の重さではないはずなんだが・・・・・・さすがは“結界喰らい”と言うべきか」


 ヒスイの放った言葉に、木刀を振り上げていた聖亜はふと眉を顰めた。


 


 数日前、嘲笑する虐殺者の異名を持つニーズヘッグを何とか倒して帰路に着いている途中、まだ動けるほど回復していない少女を背負いながら、聖亜はニーズヘッグに言われたこと、即ち自分が人間と、そして人間と敵対しているエイジャという種族のハーフであることを告げたが、ヒスイは一言、そうかといっただけだった。


「なあ、ヒスイ」

「ん? どうした聖亜」

「お前、なんであの時・・・・・・いや、なんでもない」

「そうか、ならさっさと素振りを始めろ。目標は百回だ」

「う・・・・・・」


 少女の厳しい口調に、聖亜は振り上げた木刀を一気に振り下ろした。がくんと腕に強い衝撃が走る。これでは百回もすれば腕が折れそうだ。慌ててポーンとビショップに縋るような視線を送るが、


「ふむ、これも若のためだ。どれ、俺が動きを見てやろう」

「そうそう。聖亜はまだ“深淵の御手”をうまく使えないんだから、ちゃんと訓練しないとね」

「う・・・・・・わ、分かったよ。二、三」

「それでは木刀に振り回されるだけだ。もっと腰を落とせ」



(腰を落としたって、百回も出来るわけないだろ!!)




 ポーンの指導に心の中でそう愚痴りながらも、聖亜は懸命に木刀を振っていった。





「様になってはいないが、まあ昨日よりはましだな」

 

 少年が木刀を振り回すのを見て、縁側に腰掛けていたヒスイがそう呟いた時、


「そうね。けど一体どうして聖亜に訓練をさせているのかしら」

「・・・・・・」




 彼女の隣に座るナイトが、ふと尋ねた。



「大体絶対零度、あなたエイジャの討伐は終了したのでしょう? さっさと帰ればいいじゃない。ああ、それから万が一にも聖亜に手出ししようとなんて考えないことね。彼の従者である私達が許さないし、それ以前にあなたでは彼に敵いっこないから・・・・・・って、それは無いか。普通は戦う相手をわざわざ鍛えたりしないものね」


 ナイトの問いに答えず、少女は暫らく前を向いていたが、やがて小さく息を吐いた。



「帰るのは無理だ。キュウが今回の事件に関して報告したらしいが、まだ帰還命令が出ていないからな。上層部は恐らくこの事件をきっかけに、高天原の縄張りであるここ日本に足場を作るつもりなんだろう。それに鎮めの森でドートスが放った数十個の魂のせいで、神木がかなり傷ついた。幸い“門”が開かれることは無かったが、キュウが細胞を活性化させても、傷がふさがるまで最低でも三月はかかるし、何より眠っている数万の魂が活発化してしまった。それを狙って、エイジャがこの都市に来やすくなる。高天原の守護司が行方不明の今、ここを離れるわけにはいかない。それに」

「それに?」

「・・・・・・聖亜は半分エイジャの血を引いている。それは彼ではなく彼の両親の問題であって、今のところあいつ自身に人に害を与える気がないと思うから私は放置しても問題無いと思うが、魔器使の中にはエイジャであれば全て滅ぼしてしまえという強硬派がいることも確かだ。彼らが聖亜の事を知れば、間違いなく襲撃してくる」

「そう。けど絶対零度、あなただって玩具・・・・・・魔器使じゃない。何でわざわざ同じ魔器使いに狙われる聖亜に訓練なんて・・・・・・あなた、もしかして彼の事」


 ナイトが自分と懸命に素振りを繰り返す少年を交互に見る。そんな彼女の様子に、ヒスイは呆れたように首を振った。


「お前の言いたいことは分かる。けどそれは絶対にない。いや、別に聖亜の事が嫌いというわけではないんだ。好きか嫌いかで言えば間違いなく好きだろう。けど」

「けど?」

「・・・・・・私には婚約者がいる。彼を裏切ることは出来ない。だから、あいつを異性として見ることは最初から出来ないんだ」

「そう、結構複雑な事情があるのね、あなたにも」


 そう呟いたナイトが、そっと午後の空を見上げたときだった。


「そろそろ夕方になりますよ、訓練は一端やめにして、お茶の時間にしませんか?」

「・・・・・・」

 台所に続く廊下の奥から、赤いローブに身を包んだ人形と、ヒスイと同年と思われる少女が歩いてきた。それぞれ手に盆を持っているが、少女は自分が言う台詞を人形に取られたためか、ちょっとむくれている。彼女らが持ってきた茶を飲み一息つくと、ヒスイはふと木刀を振っている少年の傍らにいる人形を見た。


「そうだ・・・・・・ポーン、聖亜はどれぐらい素振りをした?」

「ふむ、大体三十回前後といったところだ・・・・・・どうする? やめさせるか?」

「いや、七十回は振らせてくれ。それぐらい振り終わったらやめるように言ってほしい。小松、湯は沸いているか・・・・・・小松?」

「・・・・・・え? は、はい。湧いております」


 ヒスイの問いに、彼女の傍らに座り木刀をふるう少年を眺めている少女、小松は最初は気づかなかったものの、ヒスイが軽く膝を叩いてもう一度名を呼ぶとはっと我に返って振り向いた。慌てていたのか、手に持っている湯飲み茶碗から、中身がわずかにこぼれた。


「そうか。ならお茶の前に少し湯を浴びさせてもらおう。小松、一緒に来て背中を流してくれ」

「えっ!? そ、そんな、駄目ですヒスイ様!!」



 顔を赤くして綿綿と手を振る小松を、ヒスイは不思議そうに見つめた。


「え? 何が駄目なんだ? 女の子同士だろう」

「そ、それはそうなんですけど、けどあのその、まだちょっと無性の頃の感覚が」


 あたふたと呟く少女を見て、ヒスイはふっと微笑した。


「何だそんなことか。なら、やはり一緒に湯を浴びねばな。まだ慣れていないから、上手く体を洗えないだろう。言っておくが、拒否権は無いからな」

「あうう、は、はい」


 観念したように下を向く少女と共に、ヒスイは軽く鼻歌を歌いながら、風呂場へと向かっていった。



「・・・・・・ろく、じゅうはち、ろくじゅ・・・・・・きゅ」



 意識を朦朧とさせながらも、聖亜は必死に糞重い木刀を振り続けた。時々木刀がぬるりとすべる。おそらく手の平の皮が破け、血が滲み出ているのだろう。もう傍らにいるはずのポーンの声も聞こえない。あと少し動けば、自分はもう気絶して、そのまま目を覚まさなくなるかもしれない。そう思いながらも、何とか木刀を振り上げ、渾身の力で振り下ろす。

「・・・・・・・・・・・・な・・・・・・な、じゅう」

 その時、ぽんと右足を軽く叩かれる。終わりの合図だ。

「く・・・・・・は」


 木刀を手放し、庭に仰向けに転がる。手足や顔に泥が付くが、聖亜は気にせず大きく息を吸った。


「じか? か」


 意識の彼方からポーンの声が微かに響く。それにのろのろと真っ赤に染まった右手を上げて応えると、聖亜はずりずりと縁側まで這って行った。


「・・・・・・ぶなの? 聖」

 

 おぼろげな視界の中、ナイトが覗き込んでくるのが分かる。それに笑いかけると、彼は壁に寄りかかって歩き出した。とにかく水でもいいから風呂に入ってさっぱりしよう。


 何かを忘れている気がしたが、それが何なのか、少年にはさっぱりわからなかった。




「ちょ・・・・・・さま、そんな・・・・・・と」

「むう・・・・・・や・・・・・・松のむ・・・・・・大きい」

 いつもなら十秒ほどでたどり着く風呂場に、一分ほどかけてたどり着くと、彼は脱衣所の戸に手をかけ、ふと顔を上げた。


「ああそうだ。服・・・・・・服脱がないとな」


 脱衣所に入り、着ている物を脱ぐ。細く引き締まった身体が露になるが、それを見るものは、ここにはいない。


 とにかく裸になって、今度こそ風呂場の戸に手を置くと、



 ガラリッ



 と、一気に開けた。


「けど、どうして私より胸が大きいんだ・・・・・・ん?」

「そ、そんな事私に言われても・・・・・・え?」

「・・・・・・ふうっ」



 呆然とこちらを見る二人の少女の前を通り過ぎ、何故か湧いている風呂の中に入る。疲れきった身体に温かい湯が染み込んでくる心地よさに息を吐き、徐々に意識がはっきりしてきた時、


「・・・・・・ん?」



 聖亜は、こちらを見つめる二人の裸の少女と、ばっちりと目が合った。


「あれ、ヒスイと小松ちゃん・・・・・・どうして風呂に? 駄目だろ、男が入っているのに」

「「っ!! それはこちらの台詞だ!!」」



 ドスッ!!


「ぐっ!?」

 疲れ切っていたため避けきれなかったのか、二人の少女の拳を顔に受け、聖亜は湯船の中に倒れこんだ。







「・・・・・・」

「・・・・・・あの」

 風呂場での騒動から十分ほど経った後、聖亜達は客間にいた。少年の頬は殴られたためか紅く染まっており、向かい側にいる少女はぶっすりと不機嫌そうにしている。二人の間に会話はなく、聞こえてくるのは人形たちが見ている映りの悪いテレビの音と、いつの間にか降ってきた雨の音だけである。

 そのためあまりくつろげないでいるが、それでも二人は出されたお茶を飲み、それぞれ好みの菓子を摘んでいた。三体の人形は聖亜から微量なエネルギーを常に供給されるため食事を取る必要は無く、魔器である小松は顔を真っ赤に染めて小言をぶつぶつと呟いたあと、刀に戻りヒスイの横に置かれている。

「・・・・・・」

「その、すまなかった」

 みたらし団子を手に取り、食べ始めた時もこちらを睨むのをやめない少女に、聖亜は深々と頭を下げた。それで少しは気が済んだのか、少女は小さくため息を吐いた。


「まあ訓練で疲れていたからな、不問にしてやる」

「そっか、ありがとう」

「いや・・・・・・それより一つ確認したいことがあるんだが」

「確認? なんだ?」



 少女の怒りが収まったのを見て、ほっとしてかりんとうを食べ始めた少年を、ヒスイは団子を食べ終えた串を皿の上に置き、そっと見つめた。



「いや、なんだか以前とは雰囲気が違うと思ってな」

「・・・・・・そうか?」

「うん。前と比べて気配が張り詰めている気がする」

「あら、そうね。~っすって言わなくなったし」


 少女の言葉に、テレビを見ていたナイトが同意するように頷いた。彼女達人形はどういうわけかテレビが気に入ったらしい。といっても番組の内容ではなく、箱の中から様々な映像が飛び出すのが面白いようだ。ただ一昔前の、電気が復旧し始めたころに養父が買ったテレビのため、少し映りが悪い。聖亜自身はあまりテレビを見ないため気にしなかったが、流石にそろそろ買い換えるべきだろう。


「そうか? けど別に意識してそういう口調にしていたわけじゃなくて、自然に出ていた言葉だからな・・・・・・まあ前の方が良いなら何とか直してみるけど」

「いや、そうじゃない。どちらかというと今の口調のほうが良い。前の話し方は、聞いていて少し苛々したからな」

「ああ、だから別に直す必要は無いぞ」

 


 そう言って微笑むと、ヒスイは別のみたらし団子を手に取り、ひょいひょいと口の中に入れていった。確かこれで五本目だ。普通よりも多い本数だが、みたらし団子自体は知り合いから強引に押し付けられるため不自由はしていない。



(けど、こんなに食っているのにぜんぜん体格が変らないのは、やっぱりエイジャとの戦いで疲労しているからだろうな)


 そう思いながら、自分もかりんとうを口の中に入れたとき、



『げ、またかりんとうかよ、いい加減飽き飽きしたぜ』




 不意に、頭の中に少女の声が響いた。



「・・・・・・っ!!」


 それとほぼ同時に右腕が疼きだす。咄嗟に左手で押さえるが、その手の中で右腕はドッ、ドッ、ドッ、と強く脈打った。


「聖亜・・・・・・また“奴”か?」

「ああ、けど大丈夫だ。“表”には出ていない」

 咄嗟に傍らの刀に手を伸ばした少女に笑いかけると、聖亜は茶箪笥の上においてある鏡を見た。そこには長い髪も、二つの瞳も黒いままの自分がいる。大丈夫、どこも“赤く”なってはいない。



(急に話しかけてくるな、炎也)



『けどよ、ここ数日菓子がずっとかりんとうと煎餅だけっていうのは飽きたんだよ、たまにはケーキやクッキーが食いたいし、お茶の代わりにジュースが飲みたい』



 頭の中でぶつくさと文句を言う少女に、聖亜は呆れたように首を振った。蛇神との戦いの時突如目覚めた彼女は、今は聖亜に体の主導権を明け渡しているものの、今までいた深層意識には戻らず、“表”付近に居座り、時々こうやって話しかけてくる。


(味がする分、前より良いだろ)


『ああ。今まではお前が食ってるの見るだけで、味も匂いも何もしなかったから、それより良いといえばいいんだけどよ、なあ頼むよ。いい加減どっかでケーキでも買って食ってくれ』


(・・・・・・分かったよ、けど明日は駄目だ。用事がある。明後日以降なら、何とか都合つけるから)


『本当か? ラッキー!! 約束だからな。それじゃ、俺はそれまでもう一眠りさせてもらうぜ』


(ああ、お休み)


 彼女の気配が段々薄れると同時に、右腕の疼きも収まっていく。それが完全に収まると、聖亜はふうっと息を吐き、左手を放した。

「大変だな、内に自分以外の何かがいるというのも」

「もう慣れたよ。ところで、さっきから気になっていたんだけど」

「ん? どうした?」

「いや、何だかキュウの姿が見えないと思って」

 

お茶を飲んでいるヒスイに、聖亜は周囲を見渡しながら尋ねた。


「お前、今頃気づいたのか。いや、キュウは何もないときは昼過ぎまで眠っているから、気づかないのも仕方ないのだけれど・・・・・・あいつは午前中のうちに、小梅と共に出かけたぞ」

「は? 出かけたって・・・・・・どこにだよ」

「詳しくは知らないが、確か古い知り合いに会うとか行っていたな」

 湯飲みをことりとテーブルの上に置き、ヒスイはふと外の景色を眺めた。それにつられるように、聖亜も外に目をやる。夕日に照らされた家の周囲にある竹薮が、風に吹かれさらさらと流れていた。




『次のニュースです。市内で若者を中心に流行しつつある新型ドラッグ“K”について、警察は取り締まりの強化を発表しました』







 話は少し遡る。




 夏の暑い日差しが照りつける中、旧市街の西に広がる田園地帯の間を通る細道を、一匹の黒猫がゆっくりと歩いていた。遠くには居候先の少年が通っている根津高等学校が見える。

 歩く黒猫の毛皮は日の光を浴びてまるで黒真珠のように輝き、前方をしっかりと見つめる紫電の瞳は、威厳に満ち溢れていた。


「・・・・・・変らんの、この風景は。どれほどの歳月が過ぎても」


 不意に黒猫、すなわちヒスイの相棒を務めるホムンクルスであるキュウは、ぽつりと呟いた。


『以前にも、ここを通ったことがおありなのですか?』


 その呟きに、どこからか女の声が響いた。周囲には人影どころか、犬猫一匹見当たらない。だが黒猫は全く慌てることなく、微かに頷いた。

「だいぶ昔にな。そうさな・・・・・・あれからもう五、六十年ほどになるか、早いものだ」

 目を細めると、製造されてからまだ三年しか経過していない彼女は、まるで大昔の思い出を懐かしむかのように目を細め、道の左右に広がる田園地帯を眺めた。


『五、六十年前といいますと、大正時代末期のころですね、たしか蒸気大戦が終結したころだったと記憶していますが、その頃にこちらに来たことがおありで?』

「ああ、大戦の混乱に乗じて厄介な輩がこの国に来たからな。そやつを倒すために、彼らの力を借りた。また借りることになるとは思わなんだがな」

『そうですか・・・・・・しかし、本当に彼らが役に立つのでしょうか。相手はエイジャです。蹴散らされるだけかと思いますが』

 

 彼女の問いに、キュウはしばらく無言で空を仰いでいたが、やがて小さく首を振った。


「確かに彼らではエイジャとは戦えん。だが全く役に立たないというのでもない。神木が傷ついた以上、この地が再びエイジャに狙われるは必至。ならば今我らがすべきことは、都市全体に一刻も早く監視の目を広げ、奴らの動きを掴むことだ。だが都市全体を監視するなど我らだけでは不可能であるし、仮に聖亜と人形達に全面的に協力してもらえたとしても数が足りなすぎる。ヴァルキリプスから増援を呼んでもよいが、それが到着するのはどんなに早くとも一週間はかかる。今はどんな手でも打っておきたいのだ。高天原も何らかの手は打つと思うが、不確定要素に頼るのは危険だからの」


『確かに』


「それに」


 不意に、黒猫は髭を悲しげに揺らした。


「それにヒスイは禁技を使用した。査問会にかけられる筈が、しかし一向に召還命令が来ぬ。まあ、あちらから誰かが派遣されてくるとは思うが、もしそれが“奴”であった場合、“極刑”の可能性が高い。ある程度の罰は受けさせるが、さすがに極刑はやりすぎだ。それに対抗するための手段は、多いほうがよい」


『大変ですね、おひぃさまも』



「小梅、そなた随分と心配性だの。ヒスイが未熟なのが悪いのだ・・・・・・っと、見えてきたな」



 前方を見る黒猫の視線の先に、木々に囲まれた一軒の建物がに見えた。















  それは、古びた荒れ寺だった。




 市街地から外れた田園地帯の真ん中にある事から参拝者はほとんど居らず、昭和初期に老いた住職が居たという記録を最後に管理する者もなく、その由来も建てられた年代も、そして名前すら不明であり、市街地にあったならすぐさま取り壊しの運命にあったこの寺は、だが幸か不幸かこの場所にあることで逆にひっそりと残っており、今では“彼ら”にとって格好の根城と化していた。




 そう、忌み嫌われることを受け入れた代わりに、知恵を持った彼らの根城に




「ふんっ、居るな」

 



 荒れ寺に入ってすぐ、こちらを殺気を込めて見つめる幾つもの視線に、キュウはふんっと鼻を鳴らした。



『囲まれていますね・・・・・・少し減らしましょうか』



 そんな黒猫に、小梅がそっと声をかける。それと同時に、黒猫の首に下げているペンダントが微かに揺れた。


「いや、こやつら“雑魚”相手に、そなたの力を借りる必要はない!!」



 わざとらしく声を張り上げると、彼女を取り囲む気配に混ざっている殺気が、一気にその容量を増した。





『こやつ、猫の分際で我らを侮辱した!!』


『雑魚!? こやつ、今我らを雑魚と言ったか!!』


『猫の分際で我ら“松次郎一家”の根城に侵入した無礼、その身に味わらせてやれ!!』


『まて、若頭からは様子を見るだけにせよといわれたはずだぞ!!』


『何だと!! 三番隊、貴様ら怖気づいたか!!』


『ここでこやつを取り逃がせば、猫共は調子に乗ってここに攻め寄せるぞ!!』


『百年の間守り通した我らの根城に、そのような最期を迎えさせてなるものか!!』


『猫共への見せしめだ!! ここで奴の体を肉に変えてやれ!!』


『ま、まて、だから早まるなというに!!』


『ええいっ!! 三番隊の弱羽共は引っ込んでいろ!! 俺が行く!!』


『おお、さすが我ら二番隊の隊長、犬すら抉る“強襲”が誇る嘴の威力、あの猫に存分に思い知らせてやれ!!』


『おうともさ、行くぞ!!』



 ガアガアガアガアと喚くような鳴き声が周囲を包む中、ガアッと一際甲高い鳴き声が聞こえたかと思うと、黒い塊が一つ、キュウに向かって一直線に飛び込んできた。並みのスピードではない。だが、その嘴が黒猫の背中を抉ろうとした、その瞬間

「甘い」

 キュウはその一撃を体を横にそらす事で難なく避けると、再び上昇しようとしているその黒い影を、右前足でむんずと押さえつけた。

「ガッ!? ガアッ、ガアアッ、ガッ!!」

 彼女の足の下で暴れているのは、一羽の鴉であった。大きさは通常の鴉の二倍はあり、絶体絶命の危機だというのに、こちらを睨むその瞳には力が篭っている。



『馬鹿なっ!! “強襲”の松兵衛が、たかが猫一匹に敗れただと!?』


『馬鹿者がっ!! だから迂闊に手を出すなといったのだ!!』


『うるさいっ!! こうなってしまってはそんなことを言っている場合ではないだろう!! このまま隊長を見殺しにすれば、我ら二番隊の名折れ、救出に向かうぞ。数で押し切る。皆我に続け!!』


『『『応っ!!』』』


 鴉が一羽木の上から飛び上がると、それに続くようにあちこちの木がざわざわと揺れ、中から黒い影が一斉に飛び出してきた。その数は少なくとも数十羽はいる。彼らは急にその鋭い嘴を向け、今にも襲い掛かろうとしている。だが、


『待て』


『『『ッ!!』』』


 だがその動きは、本堂の中から発せられた鋭い声によって遮られた。





「ふん、どうやら少しは話の分かる奴が出てきたか」


 本堂の中から出てきたのは、やはり鴉であった。背格好は普通の鴉と何ら変らないが、あちこちに傷を負い、特に右目はまるで鋭い爪によって抉られたかのように失われている。




 そして何より、その気配は鴉、いや鳥などに収まるものではなかった。




『客人、子分共の軽率な行動、どうぞお許し下せえ。そして出来うるならばお前様が押さえつけているその馬鹿の命、あっしに預けてくださらねえでしょうか』


「・・・・・・」


『無論、ただとは言わねえ。この不肖の命がお望みなら、いくらでも差し上げやしょう』


『だ、駄目だ若頭、これは俺の責任だ!! 若頭が死ぬ必要はね『うるせえっ!!』ひっ』


 黒猫の下で喚く鴉に向かって、片目の鴉はガアッと甲高く鳴いた。


『いいか松兵衛、子分の不手際は兄貴の不手際だ。それに手前が隊を預かっている以上、若頭である俺が責任を取るしかねえだろうが!!』


「ふむ・・・・・・・随分と潔い事だな。そなた、名はなんと言う」


『へえ、“渡り”の松五郎と申しやす。見ての通り、何のとりえもねえ若輩者でござんすが、幸運にも叔父の松次郎親分に目をかけて頂いて、分不相応にも若頭なんぞを務めさせていただいておりやす』


「その名は聞き覚えがある。貴様、鴉のくせに鷹と戦って勝ったなどという“鷹殺し”か。まあいい、我の目的は殺戮ではない。それに貴様なんぞ喰らったところで、腹は膨れぬ」

 皮肉を込めてそう呟くと、キュウは鴉を押さえつけていた前足をそっとどかした。自由になった鴉は一言ガアッと叫ぶと、猫の爪が届かない空へと一目散に飛び上がった。


『礼を申しやす。しかし松兵衛を軽くいなすそのお手並み、さぞ名のある方とお見受けしましたが・・・・・・そんな方がこんな場所に一体何の御用で?』


「ふん、別に大した用事ではない。ここから出て行けと言いにきたわけでもないしの。我はただ、旧友に会いに来ただけだ。松五郎と言ったな、そなたの主、“洟垂れ(はなたれ)”の松次はこの中か?」


『訂正していただきやしょう。この中にいらっしゃるのは、洟垂れなんぞではなく、高知の鴉社会を束ねなさる、齢七十を超える大鴉、“欠けかけくちばし”の松次郎親分で』


「我から見れば七十歳など、おしめも取れぬ洟垂れ小僧にすぎんさ。どうでも良いが、案内するつもりが無いなら、さっさと其処をどかぬか」


『・・・・・・』


 黒猫と片目の鴉は暫し見つめあったが、負い目があるからだろうか、松五郎という名の鴉は、警戒しながらもゆっくりと本堂に向けて歩き出した。


『本来なら馬鹿な事を言うんじゃねえと一蹴する所ですが、今日はこちらに非がありやす。案内いたしやしょう。ただし親分はご老体ですので、くれぐれも失礼の無いようにお願いいたしやす』


 その言葉に微かに頷くと、キュウは鴉の後に続いて、本堂の中へと歩いていった。




 本堂の中は、外側同様荒れ果てていた。



 障子は破れ、柱は半ば腐りかかり、辺りには鼠やら猫やらの腐敗した死骸が転がっている。

 それらが発する臭いに、キュウは髭をピクリと揺らした。


『ここでございやす』


 ふと、先を行く松五郎が立ち止まり、翼で通路の左側にある部屋を指した。以前は住職が使っていた部屋なのだろう。他の部屋同様汚れているが、中に何かが居る気配がする。

「分かった、案内ご苦労だったな。もう下がってよいぞ」


『いえ、そういうわけにはめえりやせん。まだあなた様を完全に信用したわけではありやせんので』


「何かあれば、自分の身を盾にしてでも主を護るか。殊勝だが無用な心掛けだな。まあ良い。とにかく入らせてもらう」


 冷徹にそう言い放つと、キュウは目の前の障子を、前足で一気に開け放った。



 ビュッ!!



 障子を開けて部屋の中に足を踏み入れた黒猫の目に飛び込んだのは、鴉の鋭い爪だった。だが片方の羽に包帯を巻いたその年若い鴉は、キュウの後ろにいる松五郎が一声甲高くなくと、びくりと羽を震わせ、寸での所で床に舞い降りた。


父様ととさま、なぜ止める!!』


『この馬鹿娘が!! この方は侵入者ではなくれっきとした客人だ。それに第一相手の力量も分からねえのか、そんなんだから余計な傷を負うんだ!!』


『けど父様、ここには!!』


『うるせえっ!! ごちゃごちゃぬかしやがると、ここからおっぽり出すぞ!!』


『・・・・・・確かにうるせえな。手前ら、客人のめえで一体何騒いでやがる』


 と、部屋の隅にある木の葉がもそりと動いた。


「ふん、久しいな・・・・・・“洟垂れ”」


『あっしの昔のあだ名を知っていなさるか。それに久しぶりとは・・・・・・客人、お前様はどこのどちら様で?』


「どうやら耄碌したようだな、小僧」


 不意に、ぞわりと部屋が震えた。半ば腐りかけた柱がガクガクと揺れ動き、天井にはビシビシと亀裂が入る。



 それほど巨大な気配が、キュウの体から発せられているのだ。



『ッ!! お前様は、まさか・・・・・・やめろ松五、このお方に無礼は許さねえ!!』


 黒猫に咄嗟に飛び掛ろうとした松五郎は、その一言でびくりと停止した。もう一羽の若い鴉は、圧倒的な気配の前に、体を一寸たりとも動かすことが出来ない。


「ふん、ようやく思い出したか」


 キュウが気配を弱めると、木の葉の中からよたよたと一羽の鴉が這い出てきた。だいぶ年を取っているのか、所々に白い物が混じっており、嘴の先が酷く欠けている。


『お久しぶりでございやす“姐さん”。いや驚きました。まさか生きている間にもう一度お目にかかれるとは』


「ふん、我も少しばかり驚いたぞ。あの時の洟垂れ小僧が、今では親分と呼ばれる立場に居るのだからな・・・・・・小梅」


『はい』


 キュウがペンダントに声をかけると、その中から大きな買い物袋が幾つも飛び出してきた。その中には肉や魚が大量に入っている。小梅に命じてここに来る前、居候先である少年の家の食糧庫から失敬したものだった。


「少ないが土産だ。皆で食べてくれ」


『いや、こいつはありがたいこって。最近はいい生ごみを出す店が少なくて、特に十五年前に西が焼かれてからは、あっちに迂闊に近づくと、こっちが食い物にされちまいますから、犬や猫との縄張り争いが激しいの何の』


「15年前か、松次、そなた災厄があったとき、何が起こったか知っているか?」


『いえ、あっしは当時四国を離れて、九州にあるお袋の実家に行っておりやしたから、詳しいことは何も・・・・・・ただ』


「ただ、何だ?」


『へえ、当時留守を任せていた若い者の話じゃ、西は何もかも、それこそ“一瞬”で燃えちまったようなんで』


 老鴉の言葉に、キュウはほんの少し、目を伏せた。


「何もかも・・・・・・人も動物も植物も、それこそ大地すら一瞬のうちに、か」


 彼女の脳裏に地獄絵図が浮かび上がる。何一つ不自由の無い生活から、燃え盛る炎に包まれ一瞬で全てを、それこそ命すら奪われた者達の苦痛と絶望は、一体どれほどのものがあっただろうか。


『ああ、それからもう一つ思い出しやした』


「ふむ、もう一つだと?」


 老鴉の声に、キュウは伏していた顔を上げ、彼の顔を覗き込んだ。


『ええ。あの災厄が発生た直後、若い者が何羽か偵察に行ったらしいんですが、結局戻ってきたのは一羽だけで。そいつもまもなく死んじまったんですが、死ぬ寸前、妙なことを口走ったんです』


「妙なこと?」


『ええ。何でも燃え盛る炎の中に、数名の人間が入っていったようなんです。うわ言で奴が言っていたのは・・・・・・そう、確か修験者のような格好だったとか』


「修験者・・・・・・とすると、高天原の連中か? いや、別におかしくは無い。ここは彼らの勢力圏だからな。おかしくは無いが」


 考え込んでしまった黒猫を、松次郎は暫しの間見つめていたが、やがておずおずと話し掛けた。



『あの、姐さん』


「・・・・・・ん? 何だ、松次」


『いえ、まさか・・・・・・“戦”が、また起こるんで?』


「なんだ、怖いのか松次、まったく、怖がりなのは変らんな」


 そう少し嘲笑したキュウに、だが老鴉は一度弱々しく、それでもはっきりと鳴いた。


『怖い? 怖いですって? ええ怖いですとも。あの戦のせいで、あっしの一族はほとんどやられちまいやしたからね。先代の親父も、跡目を継ぐはずだった兄貴も、あっしと卵から孵ったばかりの妹を残して、皆死んじまいやがった。怖いはずがねえでしょうよ・・・・・・ですがね姐さん、見てくだせえ、あっしのこの老いた身体』


 ひょこひょこと鴉が歩いてくる。その身体からは羽毛がほとんど抜け落ちており、もう飛ぶことは出来ないだろう。

「・・・・・・」


『いくらあっしが“ヤタ”一族の血を引いているとしても、少々無駄に生きすぎやした。幸い跡継ぎの松五には、他の鴉を引き付ける魅力のようなものがございやす。安心して後を任せられるでしょう。ですがね姐さん、あっしはごめんなんでさ。親兄弟が戦場で華々しく散ったというのに、この“欠け嘴の松次郎”が、一羽だけぬくぬくした布団の中で、寝小便たれながらおっ死ぬなんざ、決して!!』



 辺りに重苦しい沈黙が落ちる。それを破ったのは、黒猫が苦しげに吐いたため息であった。


「・・・・・・そうか」

 ぎらぎらとした目でこちらを見つめる老いた鴉に、キュウはもう何も言わなかった。いや、何も言えなかった。なぜなら、彼にはもう何を言っても無駄であるから。自分に出来るのは、ただ彼の望む死に場所を与えてやることだけだ。


「“欠け嘴”の松次郎、そなたの覚悟は分かった。いいだろう。そなたとそなたの率いる郎党の力、今一度借りるとしよう。だが覚悟せよ、そなたらの前に広がる道は、死が確約された修羅の道だ」



『承知していやす。“あの時”だって人間は、必死に戦った俺達に対して礼の一つも言わなかった。それがもう一度繰り返されるだけって話です。それで姐さん、あっしらはまず何をすれば良いんで?』


「うむ。それなのだが、まずそなたの手下を使って都市の警戒に当たってほしい。そしてどんな些細なことでも良いから、何か変ったことがあればすぐさま我に知らせよ・・・・・・ああ、それから」


『へい、それから、何をいたしやしょう』


 急に生き生きとした表情を見せる鴉に苦笑すると、黒猫はそっと声を落とした。


「実はある少年を見張って欲しいのだ。そのために誰でも良いから一羽借りたい。我もその少年といつも居られるわけではないからの」


『分かりやした。ですが姐さん、見張るよりどこかに監禁した方が楽じゃございやせんか?』


「いや、そういうわけにはいかぬ。別に敵対しているわけではないからな。それにもしもの時、あやつの力は頼りになる」


『そういうことでしたら。見張りには気配を消すことに長けた奴が良いんですが・・・・・・おい松五、三番隊の末松なんてどうだ?』


『へえ、確かに末松の奴は気配を消すことは上手いですが、“いびき”がうるさくていけねえ。そうですな、自分も気配を消すことは出来やすが・・・・・・姐さん、見張る少年とは一体どこのどちらさんで?』


「うむ。星聖亜という、黒い長髪と瞳を持つ、小柄でまるで少女のような・・・・・・どうした?」

 聖亜の名前と特徴を言った途端、部屋の片隅に控えていた鴉がはっと顔を上げた。その様子に松五郎はカアッと呆れたように鳴いた。


『いえ、あなた様がおっしゃる人間の風貌に、ちと心当たりがありやす。人間のくせに自分達鴉を嫌悪しねえ妙な野郎で、あっしも何度か餌を頂戴したことがありやすが』

 

 一度振り返ると、松五郎は開いているほうの目を先程の鴉に向けた。


『こいつ、あっしの娘で加世かよっていうんです。すばしっこいのと気配を消すことだけはあっしの上をいくんですが、気が短いのと喧嘩っ早いのが欠点で、以前人間に襲われたとき、片方の羽に矢傷を受けましてね。その時その星聖亜という小僧に助けられましたんでさ』


『う』


「ふむ、それはちょうど良い。そなた・・・・・・加世といったか」

 紫電の瞳に見つめられ、加世と呼ばれた鴉は恐る恐る歩み寄った。

「なるほど。父親からはヤタの血、そしてもう一つ・・・・・・鴉天狗からすてんぐの血を引いているな。これは母親の方か?」


『へ、へい。こいつの母親、つまりあっしの連れ合い何ですが、確かにほんの僅かではありやすが、鴉天狗の血を引いておりやした』


「引いていた?」


『・・・・・・母様ははさまは、昔鷹に襲われたとき、私を庇って』


「そうか・・・・・・分かった。では加世、聖亜の見張りはそなたに頼むとしよう」


『は、はい。身に余る光栄にございます』


「うむ。だが鴉の姿では万一の事態があった時不便だろう。そうだな。少し待っておれ」


 自分を見つめる紫電の瞳の奥が、不意にちかちかと光った。その光は段々強くなっていくのを見て、加世は知らず知らずのうちに後ずさった。と、


「・・・・・・むっ!!」


『きゃっ』


 紫電の瞳の奥にある光が輝き、部屋が一瞬光に満たされる。咄嗟に羽で目を覆うとしたが、加世はその時、自分の羽が黒ではなく肌色であることに気付いた。そして自分が顔を覆ったのは、いつもの黒羽ではなく、人間の、

「え? え、え? な、何ですかこれは!?」


 自分が羽と思って持ち上げたのは人間の腕だった。それに視界がだいぶ高い。恐る恐る辺りを見渡すと、黒猫も父も、尊敬する大叔父も、皆自分よりかなり背が低かった。


『あ、姐さん、娘に一体何を』


「なに、眠っている鴉天狗の血を目覚めさせ、“天狗”の姿にしてやっただけのことよ。幸いなことに、八咫烏の血も引いているからうまくいった。加世、背中の翼は自由に動かせるか?」

「え? は、はい。大丈夫です」


 彼女の羽はいつの間にか背中から生えていた。意識して動かすと、翼はばさっ、ばさっと大きく羽ばたき、体が少し空に浮き上がる。左腕には包帯がきつく巻かれており、それにそっと触れると、少女はさっと赤面した。


『ほう、なかなか別嬪さんじゃねえか』


 松次郎の言葉通りだった。短い黒髪はさらさらと風に流れ、その肌は健康そうな小麦色。胸は少々小振りだが、充分美しいといえるだろう。


「ふむ、まあ母親に似たのであろうな。では加世、先ほど言った通り聖亜の見張りを頼む。おぬし達は先程言った通り、新市街・旧市街・復興街、その区別なく見張り、何かあればすぐ我に知らせよ。それでは・・・・・・ところで加世、そなた一体いつまで裸で居るつもりだ?」

「え? あの・・・・・・はだかって何ですか?」

「・・・・・・はあ、もう良い。小梅、すまぬがヒスイの着替えを出してくれ。こやつの体格なら、少々胸の部分はきついだろうが何とか合うはずだ」

 困惑している加世に服の着方を教え、ようやく彼女が一人で着られるようになった時、日はもう大分傾いていた。


 疲れた顔で本堂から出た加世に、おそらく友達なのだろう、鴉が数羽舞い降りる。他の鴉の気配は無い。どうやらさっそく都市全体に散らばったようだ。自分が出した、監視という命令を実行するために。


 鴉と戯れる少女の様子を見ていたキュウは、ふと遥か彼方、海の方角を見た。その方向の空は、どんよりと曇っている。恐らくそう遠くない時間に雨が降ってくるだろう。






「嵐が来るな。日は陰り、晴れの日は長くは続かぬ・・・・・・か」
















 暗い雨雲の中を、一隻の飛空船がゆっくりと飛んでいった。



『アテンションプリーズ、本日は悪天候の中、当上級飛空船“シャイニングスター”号にご登場いただき、まことにありがとうございます。当機は後三時間ほどで太刀浪空港に到着いたします。到着の一時間ほど前にもう一度ご連絡いたしますので、それまで皆様、どうぞごゆっくりおくつろぎくださいませ。繰り返しご連絡いたします』



「ああもう、二時間ごとに同じ放送を入れるんじゃないよ、まったく!!」




 シャイニングスター号の特等席で、その女は苛立たしげに頭を掻いた。





 美しい女だ。


 年は二十歳前後。だが東洋人風の顔付きは彼女を実年齢よりも若く見せている。ポニーテールにしている薄紫色の髪は十中八九染めたものだが、けばけばしいほどではなく逆に妖しげな美しさをかもし出しており、少々くせっ毛なのか、先端がピンと跳ねているのもチャーミングだ。


 だが黙っていればそれだけで男が寄って来そうな(実際に何人もの男が声をかけてきたが、彼らは彼女に一撃でぶん殴られ、先程まで床に伸びていた)彼女の表情は今は心底不機嫌そうに歪んでいた。

「ったく、それもこれも“スヴェン”。あんたのせいだよ。本当なら昨日の特級飛空船に乗れたはずなのに、あんたが寝坊なんてするからこんな雨の中を移動する羽目になったんだ」

「いつも朝七時に起床するのに、いきなり朝五時に起きれるわけがないだろう。その事についてはきちんと謝罪したはずだ。大体それをいうなら“エリーゼ”、貴様とて化粧に時間をかけすぎだ。あれがなければ一昨日辞令を受けてすぐに出立できたはずなんだがな」

「ちっ、本ばかり読んでいるくせに、よく観察していること!!」

「・・・・・・」


 ぶつくさと呟かれる悪態を聞き流し、彼女の隣りに座っている大柄な男は、今まで読んでいた本に再び目を落とした。


 年は女とそう変らないだろう。身長は百八十センチを軽く超え、精悍な顔付きとがっしりとした筋肉を持つ偉丈夫だ。だが重力に逆らって空に伸びる髪は、疲れきった老人のようにぼさぼさな灰色の髪で、本を読み進める髪同様灰色の瞳からは、何の感情も見えない。

「そういえばあんた、さっきから何読んでるんだい? というかこんなぐらついた飛空船で、本なんてよく読めるね」

「俺には振動すら感じないんだがな。まあいい。これは銀河鉄道の夜だ」

「銀河鉄道の夜って・・・・・・はぁ、あんたって本当に童話が好きだね」

「別におかしくはないだろう。大体俺は「失礼いたします」・・・・・・む?」



 その時、通路の先にある扉がシュッと開き、キャビンアテンダントがワゴンを押して入ってきた。


「ワゴンサービスか。こりゃいいねえ。丁度腹が減っていたんだ。お~いお姉さん、こっちこっち!!」

「やめろ、恥ずかしい」

 

立ち上がってぶんぶんと手を振る相方を、スヴェンは軽く嗜めた。だが彼自身空腹なのだろう。無理に止めようとはせず、キャビンアテンダントが来るのをじっと待っていた。

「お待たせいたしましたお客様。お肉とお魚のコースがございますが、どちらになさいますか?」

「そうさねえ。がっつりいきたい気分だから、肉の方にしようか。スヴェン、あんたはどうする?」

「そうだな・・・・・・これをもらおう」

「あの、お客様、こちらは」


 エリーゼにビーフステーキを手渡していたキャビンアテンダントは、スヴェンが指差した料理を確認すると、顔を引き攣らせた。


 ハンバーグやポテト、デザートにゼリーが付いているその料理はどこからどう見ても、


「も、申し訳ございませんお客様。こちらの“お子様ランチ”は、十二歳以下のお子様が対象となっておりまして、その」

「・・・・・・俺はちょうど十二歳なのだが、何か問題があるのか」


 スヴェンが不機嫌そうに呟くと、キャビンアテンダントだけではなく、特等室の空気そのものがびしりと固まった。


 分厚い肉に思いっきり齧り付きながら、必至に笑いを堪えているエリーゼを軽く睨むと、スヴェンはその灰色の瞳でキャビンアテンダントを見据えた。その鋭い視線は、どう考えても十二歳の少年には真似できないだろう。だが、


「あはは、そう困らせるなってスヴェン。けどキャビンアテンダントさん、こいつはこんな“なり”でもれっきとした十二歳なんだよ」


「は、はあ。でしたら、どうぞ」


 手渡されたお子様ランチを静かに受け取ると、スヴェンはスプーンを使って器用に食べ始めた。


 キャビンアテンダントは時折こちらをちらちらと振り返っていたが、やがて他の乗客に食事を勧めだした。恐らく彼らの事を忘れてしまいたいのだろう。


「あははははっ!! 毎度のことだけど笑わせてくれるねえ。これだからあんたと“仕事”をするのは面白いんだよ。で? これで何度目だいスヴェン、“大人”に間違えられたの」

「モノレールや船、そして飛空船に乗った回数とほぼ同程度だと記憶している。食事をしながら笑うな、肉片が飛ぶ」


 そのまま二人は暫らく食事をしていたが、やがて思い出したかのようにエリーゼが顔を上げた。


「それで? あんた本当に“極刑”に処すつもりかい?」

「・・・・・・ああ。あの女はそれだけの罪を犯した」

「それだけのって、たかが禁技をぶっ放したぐらいじゃどんなに重くとも本部送還のうえ謹慎処分だよ。大体あれは力量不足と判断した本人が申告するもんだ。それをせず絶技をぶっ放して暴走させた例なんて、それこそ腐るほどある」

「・・・・・・エリーゼ、貴様はその暴走で自分の命より大切な存在を奪われたことがあるか?」

「いいや、無いね。そもそもあたしには、もう命より大切な存在なんてこの世には何一つ残っていないのさ。けどいいかいスヴェン、任務に私情を挟むのは禁物だよ」

「分かっている。だがエリーゼ、我々に与えられた権限の中には“極刑”も含まれていることを忘れたわけではあるまい」

「そりゃ忘れてはいないけどさ・・・・・・ったく、しかし本当に誰なんだい。あんたを“最高査問官”に推薦した奴は」

「分かりきったことを聞くな。あの狂った錬金術師だ」

「そうだったね・・・・・・そう言えばスヴェン、あんた最高査問官になるとき、一体何を“差し出した”んだい?」

「人にそれを聞く前に、まずお前が言ったらどうだ? お前だって最高査問官だろう」

「ありゃ? 言ってなかったっけ。まあいいけどさ。いいかいスヴェン、あたしが差し出したもの、それは」


 不意に、エリーゼは振り続ける雨の中、微かに見えてきた都市を眺め、低い声で呟いた。





「それは・・・・・・・・・・・・あたしの全てさ」














 同時刻、


 高知県にある深い山の中を、二人の虚無僧歩いていた。あいにくの雨模様ということもあり、頭にかぶっている天蓋と呼ばれる深編笠をはひどく濡れている。一人は背が高いのに比べ、もう一人は相方と比べると幾分背が低かった。


 と、山中を抜けたのだろうか、二人は突然小高い丘の上に出た。遠くに微かに町の明かりが見える。その明かりを確認した瞬間、背の高い虚無僧はがくりと膝を付いた。


「や、やっと着いた」

「まだです。この町を越えて、さらにその後方にある町を越えて到着です」


 その虚無僧の呟きに、相方の虚無僧が冷静に応えると、膝をついた虚無僧は被っている籠の上から両手で思いっきり天蓋を押さえた。

「ぬお~っ!! 俺達一体どれぐらい歩いてきたと思ってんだよ。これって何? 一種の拷問か!? マジで!!」

「そろそろ夜も近いですから静かにしてください。ですが本当に長い時間歩きましたね。輸送飛空船が燃料切れになってからですから、およそ二日といった所でしょうか」

「くっ、それもこれも全部あのおっさんのせいだ!! 人がせっかく仕事を終わらせて、これから千里といちゃいちゃ出来ると思ったのに!! 何が行方不明になった野郎の後任として着任しろだ? 何が魔器使の行動を監視しろだ? そんな物、出世欲の高い奴らに任せておけばいいんだよ!! 大体あいつら、いつも威勢のいいことばっかり言ってるくせに、いざとなったら人の足引っ張るだけ引っ張りやがって!!」

「非難の対象が変わっていますよ。ですが、確かに魔器使程度に私達を出すのは、少しおかしい気がしますね」

「はっ!! どうせ何か厄介なことがあるんだろうさ。あの婆さんのやりそうなことだ」

「日本広しといえど、枢密院議長を務めるお方を婆さん呼ばわりできる人間はあなたぐらいでしょうね、“雷”」

「いいじゃねえかよ、本当に婆さんなんだから。ったく、若い者に後を任せてさっさと引退しろっての・・・・・・ま、後継者が皆あの調子じゃそれも無理か。な、“千里”」

「その言い方は不敬罪に値しますよ。それにいつも言ってるでしょう。屋外でそういうことはや・め・て・く・だ・さ・いっ!!」


ドガッ!!


「ふげっ!!」



 しゃがみながら自分の尻を撫ぜてくる相方の背中を思いっきり殴ると、背の小さい虚無僧はすたすたと歩き出した。

 背の高い虚無僧は暫らく痛みでのた打ち回っていたが、慌てて“彼女”に追いつこうと、わたわたと走りだした。












  この日、かつて災厄が襲った都市に向け、嵐と共に二組の男女が足を踏み入れようとしていた。







  そしてそれは、少年と少女を巻き込む、新たな事件の始まりだった。





                                   続く






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