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スルトの子  作者: 活字狂い
11/22

スルトの子 幕間 「湖畔にて」









 アメリカ合衆国五大湖、スペリオル湖周辺




 “別の世界”であれば強い寒気のため重工業地帯として発展するはずだったここは、温暖な気候を保つこの世界では、豊かな農園地帯へとその姿を変えていた。


 その農園地帯に囲まれた砂利道を、古い蒸気トラックが走っていた。ガタガタとうるさい音を立てるのは、蒸気エンジンの状態があまり良くないからだろう。




 やがて、トラックは農園地帯を離れ、近くの森の中へと入っていった。

















 


   男は、黙って釣り糸を垂らしていた。








 短く刈った黒髪と、整えた黒髭を持つ美丈夫だ。年は四十代前半ほど。だが、彼の一番の特徴は、その右腕が銀色に光る義手であることだろう。






 ふと、彼の膝の上で眠っていた赤子がむず痒いた。






 その頭を撫ぜ、振り返った男の視線の先に、トラックがガタゴトとやってくるのが見えた。




「先生、ヌアダ先生!!」

「・・・・・・マーク、か」

「はい。お久しぶりっす!!」

 

 トラックから出てきたのは、男より頭一つ分低い陽気な感じの青年だった。頭一つ低いといても、男の身長は二メートル以上あるので、彼も百八十センチほどはある。


「ここには、あまり車で来て欲しくないんだがな」

「う、すいません、配達の途中だったもので。あ、これ奥さんからです」

 ハムとチーズのサンドイッチを手渡され、男は顔を顰めた。彼はチーズが苦手なのだ。

「・・・・・・マーク」

「駄目っすよ、ちゃんとチーズ食わなきゃ、俺がネヴァンさんに叱られます。それから」







 

 青年は、懐から一枚の封筒を取り出して、ヌアダに手渡した。




「これ親父からです。必ず渡すようにって」

「そうか。いつもすまないな」

「いえ、じゃあ配達があるんで、これで」



 青年の運転する車が、またギシギシと音を立てて遠ざかる。それが見えなくなってから、ヌアダは再び腰を下ろした。


「・・・・・・」




 手紙の中身は見なくとも分かる。

 


 封筒に押された自らの尾を食む竜の蝋印、これは







 「・・・・・・査問会の招集、か」



 不意に、ヌアダは何かに堪えるように目を閉じた。




「・・・・・・ヒスイよ」








 彼の重々しい呟きに、鳥の声が止まり、森のざわめきが止まり、河のせせらぎが止まり、



 そして、











 そして風が、止まった。



「ヒスイよ・・・・・・そなたを救うため、英雄として戦う道を選ばせた父を許すな。心優しいお前に、絶望と悲しみを味あわせる愚かな父を、決して許すな」



 まだ若い身でありながら、戦場に送り出すしかなかった少女に向かって苦しげに呟く懺悔の言葉は、彼の膝で眠っている赤子以外、誰にも聞こえることはなかった。






 西暦二千十五年年七月八日。第二級魔器使、ヒスイ・T・D、本名ヒスイ・トゥアハ・デ・ダナン、禁技“絶対零度アブソリュート・ゼロ”の使用につき、査問会の査問対象に決する。


































          けふのうちに

          とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

          みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

         (あめゆじゆとてちてちてけんじや)












 女は逃げていた。












「何なの? 何なのよ、あれ」









 必死に逃げながら、彼女は後ろをちらりと振り向いた。

 彼女の視線の向こうに、八本の足を壁に器用に掛けながら向かってくる大蜘蛛の姿が見えた。











          うすあかくいつさう陰惨なくもから

          みぞれはびちよびちよふつてくる

         (あめゆじゆとてちてけんじや)













 分からない。自分は確か図書館から帰宅している途中だった。なのに、なぜあんな化け物に襲われているんだろう。











          青いじゅんさいのもやうのついた

          これらふたつのかけた陶碗に

          おまへがたべるあめゆきをとらうとして

          わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに

          このくらいみぞれのなかに飛びだした

         (あめゆじゆとてちてけんじや)










 何度目かの角を曲がったとき、不意にぐらりと体が傾いた。恐怖に顔を引きつらせ足元を見ると、化け物が吐き出した所々変色した白い糸が、彼女の右足にきつく絡まっていた。









          蒼鉛いろの暗い雲から

          みぞれはびちよびちよ沈んでくる








「うっ、くぁ」

 必死にもがく彼女の上に、蜘蛛が降り立つ。右手に持ったバッグを振って必死に抵抗するが、それは八本ある足の中の一本で、軽く弾き飛ばされた。

「ひっ・・・・・・う」

 もう抵抗することは出来ない。両手両足はそれぞれ四本の足で押さえつけられ、残りの四本の腕は、まるで食事の前に手を合わせているかのように蜘蛛の口元で擦りあっている。





          ああとし子

          死ぬといふいまごろになつて

          わたくしをいつしやうあかるくするために

          こんなさつぱりした雲のひとわんを

          おまへはわたくしにたのんだのだ





「・・・・・・っ」

 そして、ぐぱりと口が開いた。

 もう声を出すことも出来ない。怪物の牙が、恐怖で怯える彼女の首に突き刺さろうとした時、




 ヒュッ



 

「グガッ?」



 蜘蛛の顎は、どこからか飛んできた鋼糸で、きつく縛り付けられた。










          ありがとうわたくしのけなげないもうとよ

          わたくしもまつすぐにすすんでいくから

         (あめゆじゆとてちてけんじや)









ギャリリリリリリッ!!






「え?」




 そして次の瞬間、蜘蛛の頭は上から降ってきた“それ”に、一撃で粉砕された。






          はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

          おまへはわたくしにたのんだのだ

          銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの

          そらからおちた雪のさいごのひとわんを








「・・・・・・」


 巨大な蜘蛛の頭部を一撃で粉砕した武器は、目の前の男が振るった巨大な二つのチェーンソーだった。こびり付いた肉片を振り払うと、男はむっつりと彼女を見た。


 男の身長は百九十センチ以上。疲れきった老人のような白髪は重力に逆らうように天に伸び、自分を見つめる灰色の瞳は、鈍い光を放っている。


「あ、あの、どうもありがとう」

「・・・・・・」

「・・・・・・?」







 立ち上がって礼を述べても、男は不気味に彼女を見つめてくるだけだ。






 もう一度礼をし、立ち去ろうとした、その瞬間、









 ギャリッ




「・・・・・・・・・・・・え?」





ギャリリリリリリリッ!!






          ・・・・・・ふたきれのみかげせきざいに

          さびしくたまつたみぞれである

          わたくしはそのうへにあぶなくたち

          雪と白のまつしろな二相系にそうけいをたもち

          すきとほるつめたい雫にみちた

          このつややかな松のえだから

          わたくしのやさしいいもうとの

          さいごのたべものをもらつていかう






「あああああああああっ!!」



 右腕を切り飛ばされ、彼女は地面に倒れ伏した。辺りにはおいただしい“緑色”の血が飛び散り、彼女は必死に男から逃げようと背中から生えている二対の羽を懸命に動かして空に飛びあがった。



「・・・・・・」

「どうして、どうして私“まで”殺そうとするのっ!! あなたたち玩具使いが討つのは、人間に害をなした氏民だけのはずでしょう!? なのに、なんで私までころそ「・・・・・・うるさい」ひっ、あああああっ!!」


 頭から飛び出ている触角の一つを切り飛ばされ、巨大な蜂の姿をしたエイジャは、平衡感覚を失って、ぱたりと地に落ちた。



「な、なぜ」






          わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ

          みなれたちやわんのこの藍のもやうにも

          もうけふおまへはわかれてしまふ

         (Ora Orade Shitori egumo)





「我正す、故に我あり」

「ひっ」


 男感情など全く持っていない男の灰色の瞳に、自分の姿が写ったとき、彼女は叫ぶのをやめ、短い悲鳴を上げて後ずさった。


「この荒んだ世界に必要なのは絶対的な、そして僅かな綻びも無い正義だ。そしてお前達エイジャは悪だ。悪は潰す事で正さなければならない。人に危害を加えていないから討たれないだと? くだらん。もう一度言ってやる。貴様らエイジャは、ここに“存在”するだけで悪だ!!」



「っ、うる、さい!!」



 ほんの僅か掠めただけで、巨象をも殺す猛毒を持つ針が男に向けて伸ばされる。だが、男は一度ふんっと鼻を鳴らすと、それを右手で持ったチェーンソーで軽く打ち払った。


「くっ」



「本来なら“千分割”にするところだが、貴様が俺の質問に答えるならば、今回だけは許してやろう。“緑界”出身の貴様なら知っているはずだ。“レッド・ドラゴン”の残党はどこにいる」



「れ、レッド・ドラゴンですって? 知らない、あんな“奴ら”、私が知っているはずが無い!! 喋ったからもういいでしょう、放してよっ!!」

「・・・・・・」


 彼女の答えを聞いて、ほんのわずかに瞳を曇らせた男から、蜂のエイジャは必死に逃げようとした。だが、



「・・・・・・どこへいくつもりだ?」

「がっ!!」



 足の片方が、チェーンソーによって地面に押さえつけられた。



「どうして、ちゃんと私は言った。知らないって!! なのになぜ!!」

「解放するとは誰も言っていない。千分割をやめてやると言ったんだ。まあ、九百九十九分割で勘弁してやろう」

「そんな、そんな・・・・・・あ、あなっ!」




 ギャリメリドガグシャガギギギギギギッ!!






          ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ

          あああのとざされた病室の

          くらいびやうぶやかやのなかに

          やさしくあをじろく燃えてゐる

          わたくしのけなげないもうとよ

          この雪はどこをえらぼうにも

          あんまりどこもまつしろなのだ





「お楽しみの所すまないね」



 “解体”作業をしていた男は、すぐ傍らから聞こえてきた女の声に、一瞬じろりと声がしたほうを見た。


 だが、すぐにまた目の前の肉塊の解体作業に戻っていく。


「ふん、相変わらずいけ好かない態度だこと」

「・・・・・・何のようだ」

 男のぶしつけな態度に口を尖らせると、彼女は先程蜘蛛の頭を押さえた鋼糸を、左腕にゆっくり巻き付けた。


「おやおや、つれないね。まあいい。本部から連絡だ。魔器使の一人が日本で違反を犯したってさ」

「・・・・・・そんな奴、下級査問官にでも任せておけばいいだろう。わざわざ“俺達”が出向く必要は無い」

「へえ、いいのかい? 違反を犯した魔器使って“絶対零度”なんだけどねえ」

「何だと?」



 彼女が放った言葉の一つに、男はひくひくと動く肉塊から顔を上げた。







          あんなおそろしいみだれたそらから

          このうつくしい雪がきたのだ

         



(うまれでくるたて

          こんどはこたにわりやのごとばかりで

          くるしまないようにうまれてくる)






「・・・・・・・・・・・・く、くくっ、そうか。あいつが、あいつが遂に罪を犯したか。なあ、“一殺多生”」

「ふん、なんだい“閃光”」






          おまへがたべるこのふたわんのゆきに

          わたくしはいまこころからいのる




「やはりこの世界に理想郷など無いな、特にイーハトーヴォなど、どこにも無い!!」

「・・・・・・ふん、また宮沢賢治かい」

「ああ。そして理想郷がどこにもないのなら、やはり絶対的な正義で、悪を断つしかないよなぁっ!!」




 力を込めた一撃を肉塊にぶつけた男は、狂気の笑みを顔に乗せながら、漆黒の夜空を仰ぎ見て、低い、どこまでも低い声で笑い続けた。







          どうかこれが兜卒とそつの天の食に変つて

          やがてはおまへとみんなとに

          聖いかてをもたらすことを










          わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ


            (宮沢賢治『永訣の朝』)


                                   続く

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