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スルトの子  作者: 活字狂い
10/22

スルトの子 第七幕 スルトの子






スルトルは南からやってくる






枝に燃え立つ火を持って






剣は輝き







死者の神々の太陽は輝く







石の頂は砕かれ









そして女巨人達は歩き出す







兵士達はヘルから続く路を歩く








そして









そして 天は割れてしまう









(古エッダ 『巫女の予言』より)
























 夢を、見た。





 いつもの夢だ。燃える教会と、その中で燃える蝋燭を両手に持ち、笑っている子供。そうだ、あいつだ。あいつが、俺から全てを奪っていった。




「おい手前、何他人のせいにしてるんだよ」

「・・・・・・え?」






 気づいた時、聖亜はどこまでも続く黒い空間で、その少女と向き合っていた。

 






 おかしい。自分は確か、白髪の少女と、そして




「あ」

 三体の人形のことを思い出したとき、聖亜はなぜかぽろぽろと涙を流した。

「お、おい、大丈夫か?」



 目の前にいる、緋色の髪と同色の瞳を持った少女が、わたわたと慌てながら覗き込んできた。

「あ、ああ。大丈夫。ところで・・・・・・あんた、一体誰だ?」

「へ? って、そうだったな。まだ分かんないか」


 がしがしと緋色の髪を掻く少女を暫らく見て、聖亜は何かに気づいたかのように、はっと顔を強張らせた。普通に考えればそんなことはありえない。そんなことはありえないのだが、


「え・・・・・・なんで?」








 彼女は、自分そっくりだった。







「やっと気づきやがったか。そうさ、俺はお前、そしてあそこで笑っているのも、お前だ」





 首を左に曲げられる。黒い空間の中、ぼんやりと燃える教会が見えた。




 無論、その中で笑っている子供の姿も






「ち、違う、そんなはずは無い!! だって、だって俺、あの時ちゃんと見たもの!!」

「ああ見ていたさ。鏡に映った、自分自身の姿をなあ!!」



 にやりと笑う少女に、聖亜は嘘だと叫ぼうとして、違うと叫ぼうとして、はたと口を閉ざした。あの時、教会になかっただろうか、子供の全身を映せるほど、大きな鏡が。





「ははは、やっと思い出したようだなっ!! そう、あの時お前は神父が姉貴を強姦しようとしているのを止めようとし、逆に殴られた。だから、燭台に刺さっていた蝋燭で燃やしたんだよ。神父と姉貴を、教会もろともさっ!!」



 どんっと手で押される。その途端、聖亜は奈落の底に向かって物凄い速さで落下し始めた。いや、そもそも何もないこの空間で、自分は今まで一体どうやって立っていられた?





「だいたいお前、自分がやったことがそれだけだって思ってんのか? 違うだろうが、お前は今まで、何百人も殺して、何百人も犯してきただろうが。なのにいまさらになって善人面してんじゃねえよ。今まであの野郎に封じられてきたが、ここにきてやっと枷がぶっ壊れやがった。今度は聖亜、お前が暗い闇の底で眺めてな。この俺様、世界を焼き尽くすところをさっ!!」

 


 黒い空間に、少女の笑い声が響き渡る。その笑い声を聞きながら闇の底へと落下していく聖亜は嘘だ、嘘だと、それだけを呟いていた。












「まったく、たかが家畜の攻撃で、貴族たるこのわたくしが傷つくと本気で思っていたのかしら」





 意識を失っている少女の首に手をかけ持ち上げると、ニーズヘッグは血の気のない白すぎる頬に舌を這わせた。先程ヒスイの最後の一撃を受けて粉砕されたはずの腹部は、だが傷も、痣すらも付いていない。




「ふふ、本当においしそう。安心なさって。あなたの絶望を一気に味わうなんてことはしないから。少しずつ、ゆっくりと食べて差し上げませんと・・・・・・では、いただきまがっ!!」





 口を開け、目の前の肉にまさに喰らいつこうとしたその瞬間、ニーズヘッグは横から思い切り殴り飛ばされた。








 そのせいで、捕らえていたせっかくの獲物を放してしまった。それでも空中で一回転し、床にすたりと優雅に降り立つ。その時にはもう、彼女は自分を殴りつけた相手の正体を悟っていた。





「随分と無礼な方ね。目覚めさせない方が良かったかしら」

「はっ、手前で目覚めるきっかけを作っておいて、よく言うぜ、婆さん」

「口の利き方には気をつけなさい、“小娘”」





 彼女を殴った相手、それは床に惨めに転がっていた少年だった。だがその長髪は黒ではなく灼熱に輝き、瞳はまるでルビーのように赤く光っている。そして何より性別が違っていた。



「へっ、何百年も生きているんだから、やっぱり婆じゃねえか」

「お黙りなさい。それであなたは一体誰なのかしら。見たところ、“赤界”の出身らしいけど」

「は? いや・・・・・・実はさ、俺目覚めたばっかりで、どこの誰かも分からないんだよな」

「あら、名前も無いのかしら、無様ね」



 首を捻る灼熱の髪を持つ少女を、その異名の通りニーズヘッグは嘲笑を浮かべて見下すように眺めた。





「いや、聖亜ってくだらなすぎる名前があるんだけどさ、あまりにくだらなすぎて、俺この名前嫌いなんだよね・・・・・・うっし、決めた」





 顔を上げにやりと笑うと、少女はどん、と足を踏み出し、ぎゅっと両手を握った。すると、その手からボッと炎が噴出す。



「我、炎也ほのおなり。七月に生まれた炎の子、名付けて七月炎也ななつきえんや! それが俺の名前だ!!」



 豪快に叫ぶと、炎を纏った拳で、炎也はニーズヘッグに向かって殴りかかった。









「まったく煩わしいわね。この絶対防衛陣である“黒水”は炎だけは通すわ。まあ、それもわたくし自身に炎がほとんど効かないからなのだけれど」


 向かってくる拳を避け、或いは弾き飛ばしながら、ニーズヘッグは不機嫌そうに眉を顰めた。





「はっ、何だよ、防戦一方じゃねえか。らあっ!!」



 炎也が突き出した拳が彼女の肩にあたる。その衝撃と僅かな痛みに僅かに眉を顰めると、ニーズヘッグはばっと後方に飛んだ。


「いい加減になさいな小娘・・・・・・出でよ、毒霧の剣」


 手のひらを下に向けると、その中心から細長くどす黒い色をした物が伸びた。ニーズヘッグは炎也を見て一度くすりと笑い、無礼な少女に向かって、それを勢い良く水平に振った。


「うおっ!!」


 間一髪、炎也は上に跳び上がることでそれを避けた。横に飛ばなかったのは運が良かった。なぜなら、剣といっているくせに、まるで鞭のような動きを見せるそれは、今まで彼女がいた場所を横一直線に通り過ぎ、後ろの壁に激突したからだ。


「うへぇ、何だよあれ、どろどろに溶けてやがる」


 炎也が呆れて言ったとおり、毒霧の剣が接触した壁は、強烈な毒を吹き付けられたかのようにどろどろに溶けていた。


「どう? これがわたくしの剣。触れたもの全てを毒によって“切断”し、鞭のようにしなやかな動きが出来る業物。さあ、あなたは一体どこまで逃げられるかしらね」


 ひゅんひゅんという風を切る音と共に、毒の鞭が赤髪の少女に襲い掛かる。炎也は最初の内は懸命に避けていたが、やがて段々と目が死んできた。


「ああもう、面倒臭え、面倒面倒面倒臭え!! やってられるかこんなもん・・・・・・うあああああああああっ!!」


 一度大きく吠えて気合を入れながら、左足を引き、右足を前に出す。完全な無防備だ。


「おほほほほ、どうやらもうあきらめたようねえ。さあ、そろそろその生意気な顔を、どろどろに溶かして差し上げる「うるせえよ」なっ」


 ニーズヘッグが気づいた時、炎也はもう目の前まで迫っていた。慌てて剣を振るう。だが触れたものを瞬時に溶かすその刀身は、少女に触れた途端、じゅっと小さく音を立てて消え去った。


「まさか・・・・・・全身に炎を纏ったというの!?」

「そういうことだ! らあっ!!」


 狼狽した相手に全身をぶつけて押し倒すと、炎也はその端正な顔を肘で思い切りぶっ叩いた。


「がっ、くそっ、この、わたくしの顔を、よくも!!」

「ははっ、中々いい顔になったじゃねえか。うおっ」



 たまらず、ニーズヘッグは顔に打ち付けられた肘を掴み、放り投げた。


「小娘が・・・・・・調子に乗ってぇ!!」


 度重なる屈辱に、ニーズヘッグはとうとう先程までの優雅な表情をかなぐり捨てた。それに呼応するように彼女の髪がざわざわと揺れ、ばらける。



「ふふふ、もう手加減はしないわ。貴族たるこのわたくしを本気にさせた事、後悔させてやる!!」


 ばらけた髪の一本一本が太くなり、そしてまるで蛇のようにするすると炎也に向かって伸びていった。


「うえっ、気色悪い!!」


 嫌悪感をあらわにしながら必死に打ち払うものの、髪は後から後から伸びてきて、遂にその一本が彼女の足に絡まった。


「うわっ、くそっ!!」



 次の瞬間、髪は漆黒の胴体を持つ蛇へと変わった。狼狽している間に他の髪も彼女の体に巻きつき、次々に蛇となってぎゅうぎゅうと締め付け、徐々に主の方へと引き摺って行く。


「ぐ・・・・・・」


「ほほほほっ、いらっしゃい。どんなに炎を纏っても、ただ闇雲に殴りつけることしか出来ない屑なんて、こうやって捕まえられたらそこでもうお終い。さあ炎也とやら、わたくしの口付けをお受けなさい」


「婆さんに口付けされる趣味はね・・・・・・がっ」


 首筋にぶつりと牙が突き立てられる。その瞬間、少女の体に激痛が走った。


「あ・・・・・・が、ぐ」

「どうかしらわたくしの死の接吻は。毒霧の剣は、私の体内で生成している毒を固定した物。ならば武器としての形を取らず、毒をこうやって直接流し込むことも出来る。ふふ、巨大魚バハムートすら悶え苦しむ猛毒よ。でも安心して。最初は溶けずにこの世のものとは思えない激痛が走るだけだから。さあ、わたくしに逆らったこと、後悔しながらじわじわと無様に死んでいきなさい」

「~~~~っ!!」

 床に放り捨てられ、炎也は声に鳴らない悲鳴を上げ、ごろごろと転げまわった。体の中がじゅうじゅうと溶けていく気がする。激痛が走り、目の前で侮蔑を込めて見つめてくる女に、今にも縋りついて許しを請いたくなってくる。だが、

「ぎ・・・・・・く、くそったれが。確かに、きついけど、よ」



 だが、それは彼女の意地が許さなかった。




「う・・・・・・が、ああああああああっ!!」

「あら?」

 不意に、部屋の中の温度が上がった。眉を潜めたニーズヘッグは、ふと赤髪の少女の周囲が揺らめいているのに気づいた。彼女が体内から高熱を発しているのだ。

「ふふ、最後の悪あがき? いいでしょう。受けてたちましょう」

 攻撃を予想して、ニーズヘッグは軽く身構えた。だが、

「くっ、誰が攻撃するって言ったよ。うがぁあああああっ!!」

「・・・・・・?」


 獣に似た咆哮と共に彼女が発した高熱は炎にはならず、そのまま彼女の中に吸い込まれていく。熱を全て吸い込むと、炎也はがくりと膝を突いた。だが、ニーズヘッグを見る目の輝きは強い。

「ど、どうよ、ご自慢の毒は、消したぜ」

「呆れた、体内に熱を送り込むことで血を沸騰させて毒を消すなんて、物凄い力技だこと。けどどうやらここまでのようね。今の姿でも簡単に殺せるけど、ここまでコケにされてそれでは全く面白くないわ。まあいいでしょう。神話に語られる、世界樹の根を食み死者の血を啜るとされる我が真の姿、その瞳に焼き付けて、絶望の中死になさい」


 そう言うとニーズヘッグは、身に着けている黒衣で、自らの体をすっぽりと覆った。




 その瞬間、空気すら、そこにいる事に絶望した。















「まあまあ、やっと出たわ」


 空中に広がったそれを見て、神楽は紅茶を楽しみながら嬉しそうに微笑んだ。


「さあ、これでお終い。私の大事な孝ちゃんを奪った都市が、無様で惨めに喰われて滅んでいく」













「なんだ、ありゃ」



 黒衣に身を包み、天井を突き破って外に飛び出したニーズエッグを追って、意識を失っているヒスイを担いで外に出た炎也は、空中に浮かぶ、太刀浪市の端から端まで広がった巨大な黒い湖を、ぽかんと口を開けて眺めた。


「馬鹿な・・・・・・奴め、自らの居城すら持ってきたか」


 だが、少女の疑問に答えたのはニーズヘッグではなく、物陰からよろよろと這い出てきた、紫電の瞳を持つ黒猫だった。


「はあ? 何だよ馬鹿猫。自分の居城って」

「誰が馬鹿猫だ誰が。居城とは城主の住む所だ。そんな事も分からんのか小僧、いや、今は小娘であったか」

「ふふふ、これぞわたくしの身を包む黒水の正体にして居城、フヴェルゲルミル。その深度は星ほどに深い。だからどのような武器も、どの様な技もわたくしには届かない。まして単なる家畜の攻撃など、ただ水面を揺らがせるだけ」


 少女と猫が空を見上げていると、不意にニーズヘッグの声が辺りに響き、黒い湖の中から巨大な黒い蛇がゆっくりと這い出てきた。いや、それは蛇と呼ぶべきなのか、頭部には二本の角があり、その皮膚は光沢のある鱗で覆われている。それは黒い竜とも言えた。いや、龍に似ているが、やはり蛇なのだろう。 元々あったはずの翼は無残に焼け爛れ、四肢は微かに根元の部分が残っているだけでそこから先は無く、頭部の角でさえ、一本は半ばから無残に折れていた。


「・・・・・・」

「ふふふ、この姿がそんなに醜いかしら? 貴方達が思っている通り、わたくしは元は蛇ではなく龍。緑界から黒界の伯爵家に嫁いできた者・・・・・・それが彼の大戦で、忌々しいあの女に翼を焼かれ、四肢を砕かれ、角を折られた。そのせいで爵位を落とされ領地を縮小され、夫とは死に別れ・・・・・・くくくっ、もう食欲を満たすしか楽しみがないのよ。さあ、お喋りはもうお終い。生まれなさいわたくしの子供達。そして家畜共を存分に狩りなさい!!」


 不意に湖が脈打つと、その中からぞろぞろと無数の蛇が湧き出てきた。ビルほどの太さを持つ蛇がいるかと思えば、逆に腕ほどの太さしかない蛇もいるが、その色は皆揃って黒い。

 蛇達は、最初は中央にいるニーズヘッグにまるで親に甘えるように身を摺り寄せていたが、やがて都市全体に移動し始めた。


「う・・・・・・くそっ、重えっ」


 だが、それを追う余裕は炎也にはなかった。彼女には湧き出た蛇の中で、最大級の蛇が襲い掛かってきたからである。その大きさはほとんどニーズヘッグと大差なく、大人の背丈ほどもある巨大な牙からは毒が滴り落ちている。



「ほほほ、どう? その子はその気になればリザリスすら一飲みに出来る、わたくしが一番初めに産んだ子よ。さあ、早くその生意気な小娘を飲み込んでお挙げなさい!!」



 悪戦苦闘している少女を見て、ニーズヘッグはその巨大な口を愉快そうに歪めた。










 「小娘、そなた炎を纏わり付かせるだけで、飛ばすことは出来ないのか?」



 巨大な蛇を抑えている炎也の傍らに駆け寄った黒猫は、その紫電の瞳で高笑いを続ける黒い蛇・・・・・・否、龍を睨みつけながら、傍らにいる少女に尋ねた。


「はあっ? 飛ばすなんて器用なこと出来るはずがないだろ!! この忙しいときに、ちょっと黙ってろ馬鹿猫!!」

「何だと? 赤界の出身ならば、例え最下級のエイジャでも小さな火を飛ばすぐらいは出来るぞ。出来ないのは人間ぐ・・・・・・そうか、お主は」

「は?」


 一端言葉を切ると、黒猫は漆黒の空に浮かぶ黒い湖と、そこから無数に湧き出る蛇を見上げた。このままでは太刀浪市に住む住人の全てが食われてしまうだろう。そしてその中には自らの相棒である白髪の少女も無論含まれている。ならば、


「・・・・・・ええい、くそっ、我が行くしかないか!!」

 黒い毛皮をどことなく赤く染め、黒猫は炎也の胸に飛び乗った。

「うわっ、邪魔だ馬鹿猫」

「黙れ小娘。いいか、この小さき蛇を暫らく抑えておくがいい」

「は? これで小さいって・・・・・・うおっと!!」


 意識をそらした途端、蛇の牙から滴り落ちた毒が下顎を持つ手に微かに触れる。





「中々粘るわね。しかし、どういうことかしら。どの子もまだ家畜を喰らった様子がない。いえ、これは・・・・・・数が急速に減って来ている?」

 ニーズヘッグが疑問に思ったとおり、家畜を狩るために飛び出していった蛇達は今だ戻らず、それどころか急速にその気配は消えている。彼女は暫し考え込んだが、やがて頭を振った。どうせ、湖の中には無数に卵があるのだ。数千、いや数万匹が殺されたところで痛くもかゆくもない。そう結論付け、目の前で必死に蛇を支えている赤髪の小娘を嘲笑することに意識を集中させた。








 時間は少し遡る。



 湖から湧き出た最初の一匹、大木ほどの太さを持つ蛇が獲物に選んだのは、道端に転がっている茶髪の少女だった。喜び勇んで家畜に向かい、その首筋に噛み付く、その寸前。


「やれやれ、すまんが店の従業員に手を出すのはやめてもらおうか」



 その頭部は、一瞬にして吹き飛ばされた。



 

 蛇の頭が吹き飛んだのを横目でちらりと見ると、白夜は軽く右手を振った。その途端、彼の半径数キロにいる蛇が、ことごとく粉砕される。



「祭ちゃん、大丈夫でしょうか」

「ま、大丈夫だろうさ。けど念のため守ってやってくれ」

「分かりました。では北斗、昴」

「「は~い、一葉姉様」」



 艶のある黒髪を持つ、自分の主人に声をかけられ、双子はその姿を二丁の銃へと変化させた。



 銃―S&W M500




 世界最強のマグナム銃として知られるそれを、"片手で”くるくると回転させると、一葉は襲い掛かってくる蛇に向けて乱射した。


「けど、どうしましょう。このままではきりがありません」

「分かっている。俺が出て、本体をぶっ殺せばすぐに終わるんだが」


 襲い掛かってきた車ほどの大きさを持つ蛇の頭部をデコピンで吹き飛ばすと、白夜は大きくため息を吐いた。


「だが、俺が表舞台に出ることは、黒塚家と縁を切ったときから禁じられている。聖に賭けるしかないだろうな」

「・・・・・・あなた」

「そうならないように、せめてエイジャとの戦いに巻き込まれないように、結界喰らい、その“エイジャ”の側である聖の力と破壊衝動に封印を掛けたのに、二年と保てなかった。やはり、あの時殺しておくべきだったか」


 そう呟いて、だが白夜は自分の言葉を否定するかのように、苦しげに首を振った。


「だが、頭で分かっていても実際に出来るはずがない。聖は俺の親友であり、そして赤ん坊のころから面倒を見てきたあいつの忘れ形見だ。日本有数の名家に生まれながら、それでも満たされることなく旅立った、ただ一人の親友の」






『この海の向こう側に、どんな世界が広がっているか、俺、それを直に見てみたいんだ』







 親友と最後にあった時、彼が発した言葉を思い出し、白夜はまたため息を吐いた。


「だから、俺に出来ることは、聖の心が少しでも傷つかないようにする事、ただそれだけだ!!」


 低い、そして強い唸り声と共に、白夜は襲ってきた百を超す蛇に両手を突き出した。








 その瞬間、“白い毛”に覆われた手から、巨大な衝撃波が周囲に放たれる。それは建物を、自然を、そして人や動物をすり抜け、人に襲いかかろうとしていた黒い蛇だけを飲み込み、粉砕させた。
















 落ちていく








「嘘だ・・・・・・嘘だ、嘘だ」



 暗い闇の中を、泣きながらどこまでも、どこまでも落ちていく。




 暗い闇、すなわち深層意識の中を



 優しかった神父、明るかった姉。だが神父は実際には好色で、姉を女としてしか見ていなかった。


 だから、止めようとした・・・・・・駄目だった。



 だから、火を放った・・・・・・騒がれた。



 だから、殺した。



「違う、違う……違う」



 だが、どんなに嘘だと叫んでも、どんなに違うと泣き喚いても、過去はまるで映写機のようにその場面を何度も映し出す。教会から逃げ出した後、半ば正気を失い地下を彷徨っていた時のこと、一人目の師に拾われ、殺し方と女の犯し方を学んだ一年のこと、そして彼女がいなくなり、罪もない数百の人々を殺し、犯してきた記憶。どんなに目を瞑っても、どんなに耳をふさいでも脳裏に浮かび上がってくるどろどろとした記憶にいやいやと首を振りながら、少年はどこまでも落ちていった。





 だが不意に、がくんという衝撃とともに、落下が止まった。





「やあ、お迎えに参りましたお姫様・・・・・・おら?」

 過去の映像を何度も見せられている内に、精神が子供に戻ってしまったかのように、聖亜は自分を支える青年の、頭から生えている黒い耳を、涙でにじむ瞳で、じっと眺めた。

「男の子? でも波動は確かに・・・・・・えっと、申し訳ございません、お名前は?」

「名前? 聖亜。星、聖亜」


「うん、名前はしっかりと合っている。けど、あれえ? じゃあ何で男の子なのでしょうか」

「・・・・・・あなた、は?」


「え? ああ、これは失礼を」


 青年は、ぼんやりとこちらを見上げる聖亜を優しく抱えなおすと、優雅に一礼した。



「僕は“案内人”を務めるものです。名前はちょっと発音しにくいので、気軽に黒ウサギとでも呼んでください。それより」


 顔を上げると、白手袋を嵌めた手で、彼は聖亜の頬をゆっくりと撫ぜた。


「こんなに泣いて。けど、もう大丈夫ですよ、お姫様。もう怖いことは何もありませんから」

「あ、ありがとう。けどお姫様って・・・・・・俺、男の子、だよ?」

「そうなんですよねぇ。けどおかしいなあ、彼の一族は女しか生まれないから、わざわざ“男”の姿で来たのに」

「・・・・・・?」

「ああ、またまた失礼。僕の悪い癖だ。行き詰るとすぐに考え込んでしまう」

「・・・・・・ふふっ」

 どうやら悪い人ではないようだ。くすくすと笑いながら、聖亜は頭を掻く青年の、ぴょこんと突き出ている黒い耳に、そっと手を伸ばした。

「可愛らしい。ああもう、男の子でも良いか。僕が“女”になればいいだけなんだから。では・・・・・・ふふ、あなたに祝福を。聖亜」

「んっ」


 ふと、目の前の青年の姿がぼやけ、一人の女に変わった。ぼんやりと首をかしげる聖亜に、彼女の唇が優しく重なった、その瞬間、


「くっ!!」


 突如襲ってきた氷の鞭に聖亜を抱えていた腕を吹き飛ばされ、いつの間にか彼から彼女に変わっていた黒ウサギは、ばっと横に離れた。再び落下を始めようとしていた少年の身体を、今度は別の手が抱き留めた。


「まったくひどいなぁ・・・・・・お久しぶりです。“叔母様”」

「そなた、ここで何をしておる“次元破壊者”!!」






 それは、美しい女だった。





 長い銀髪を持ち、晴れ渡った夜空の色をしたドレスを纏っている。何より印象的な紫電の瞳は、両方とも目の前にいる黒ウサギに対する憎悪と怒りの炎で、赤く燃え上がっていた。


「もう一度聞く。数多の次元を破壊した貴様が、ここで一体何をしておるか!!」


 彼女の罵声に、だが次元破壊者と呼ばれた黒ウサギは、笑って首を振った。


「破壊者とはひどい言い方ですね。僕は案内人ですよ。その名の通り、ただ導くだけです。ま、今まで僕が導いた次元の幾つかは、確かに滅んでしまいましたが、それは僕ではなく、そこに住む人々の責任でしょう?」


 笑った顔を崩さずに、黒ウサギは聖亜を見た。


「白きウサギはアリスを導き、黒きウサギは災禍を導く。このままニーズヘッグさんが勝ってしまえば、劇はそこで終わってしまいます。それではせっかく始まった物語が面白くなくなってしまう。ですから導き、目覚めさせたんですよ・・・・・・深淵という名の災禍を」


 黒ウサギが楽しげに喋っている間にも、聖亜を抱えている女は氷の鞭で彼女をずたずたに引き裂いていく。だが、どうやら何の痛痒も感じていないらしい。


「ちっ、精神体か。攻撃が効いていないとはな」

「ふふふ、そうでもないですよ。おかげでこの体はズタズタです。けどこんな事をしていていいんですか? そろそろ、“目覚め”ますよ」

「何?」





 その時、ドクンっと、少年の右腕が脈打った。





「あ、ぐ、かっ」



 

 熱い



 聖亜が一番初めに感じたのは、それだった。


 右腕が熱い。いや、腕だけではなく、体中が熱い。まるで体内に高温の蒸気を入れられたように熱い。まるで熱で真っ赤に染まった鉄棒をむりやり押し付けられたかのように熱い。


「聖亜!!」


 氷の鞭を消し、女が両手で必死に少年の体を支えている間に、黒ウサギの体は、段々とぼやけていった。


「この世に勇者なんて存在しません。英雄なんて要りません。あるのは・・・・・・必要なのは災禍を狩るための災禍のみ。そしてその災禍を狩るために別の災禍が生まれ、生まれた災禍を狩るために、さらに災禍が生まれる。こうやって物語は永遠に続いていくんです。それでは、名残惜しいですがこれで失礼を。御機嫌よう、王子様なお姫様。いずれ、お迎えにあがります」



 最後に優雅に一礼すると、黒くて長い耳を生やした女は、するりとまるで溶けるように消えていった。



「うあっ、うぐぅううううううっ!!」



 黒ウサギがいなくなっても、聖亜の体内にある熱は消えてはくれなかった。いや、むしろますますひどくなっていく。吐き出したい。吐き出して楽になりたい。そう思っても、一体どうすればこの熱を吐き出せるのか、聖亜にはまったく見当が付かなかった。

「くっ、ええい、埒が明かぬ!!」

 

 少年を救ったのは、暴れる彼を必死に支えていた女だった。頬を微かに染めると、少年の唇に、自分の唇を重ねた。


「っ!!」


 接触した口を通じて、少年の体内で渦を巻いていた高熱が、彼女の体内に移動してくる。体内に充満してくる熱を無理やり押さえつけながら、彼女は必死に熱を吸い上げ続けた。




 やがて、少年の体内で渦を巻いていた高熱は、そのほとんどが女の体内へと移動した。

「ぐっ」

 唇を離すと、女は膝を突き、苦しげに呻く。


「・・・・・・あ、れ?」


 体を蝕んでいた強烈な熱が収まり、ふらふらする頭を、聖亜は傍らで荒い息をしている女にそっと預けた。

「く・・・・・・どう、やら、収まったようだの。まったく、聖亜、お主一体こんな所で何をしておる」

「何をって・・・・・・何?」

首を傾げてこちらを見上げる、まるで“幼子おさなご”のような少年の頭を優しく撫ぜると、女はそっと手を翻した。真っ黒な空間に、ぼんやりと外の景色が見える。黒い湖と、そこから姿を見せている、巨大な黒蛇の姿が。


「あれは」

「あれこそがニーズヘッグの真体。愚かな黒蛇だ。だが例え愚かといえど、人間のいかなる武器も奴には通じぬ。だが聖亜、お主の“手”ならば、奴を殺せるだろう」


 静かに語りかけてくる女に、だが聖亜は幼い子供がいやいやをするように、首を振った。


「無理だよ、あんな奴に適いっこない。それに、それに俺が出て行けば、また誰か人が死ぬ」

「ふむ、初めてそなたの口から無理という言葉が出たな。しかし人が死ぬ、か。すまぬがそなたの過去はこの空間を通るときに僅かだが見せてもらった。何百人も殺したか・・・・・・なるほど、それは確かに許されざる大罪であろう」


 声を出さずに泣いている少年の頭を、女は優しく撫ぜていたが、ふと彼方を見た。


「昔々、ある所に娘がいた。寡黙で厳しいが優しい父親と、穏やかな笑みを浮かべる母親、そして陽気な兄に囲まれて、学校には仲間も、そして親友もいた。だが」

「・・・・・・」

「だが娘は、一瞬にして親友を、そして仲間を失った。五十のエイジャと共に・・・・・・その娘が、ヒスイだ」

「・・・・・・え?」


 ヒスイ、その名を持つ白髪の少女のことを思い出し、聖亜ははっと頭を上げた。だが、銀髪の女はそれを優しく制すると、まるで子守唄を歌うように、話を続ける。


「百人を殺せば殺人鬼、百体のエイジャを殺せば英雄。なら一度に五十の人間と五十のエイジャを殺したものは、一体何になるのであろうな」

「分からない、分からないよ、俺には」


 聖亜は、ふるふると首を振った。だがそこには、先程までの幼稚な雰囲気はもうない。彼は無意識の内に、赤く熱した右手を握り締めていた。


「そう。そなたに分からず、我にも分からず、そしてヒスイ自身にもまた分からぬ。だが彼女の父親であるヌアダは、せめて彼女の身を守るために、彼女を偽の英雄に仕立て上げた・・・・・・百殺の絶対零度という名の英雄に、な」

「・・・・・・」

「聖亜、そなたにヒスイのようになれとは言わぬ。いや、言えぬ。だがな、甘えるのはお終いにして、いい加減に目を覚ませ」

「う・・・・・・」

 不意に、睡魔が襲ってきた。必死に首を振るが、瞼は段々と下がり、視界はぼやけていく。

「待って・・・・・・まだ貴方の名前、聞いて、ない」

「元青界の王にして、“真理の探求者”コ×××トス。この名、覚えておくがいい。聖夜に生まれし炎の子よ」


 苦笑しながら自分を見つめてくる、優しい紫電の瞳を最後に、聖亜の意識はぼんやりと薄れていく。ふと、その頭に誰かの手が置かれた。それは目の前の女の物ではない。大きくて武骨で、だがどこまでも暖かな手だ。




 大丈夫だ、聖。お前は俺が必ず守ってやる。





(・・・・・・ん、さん)




 意識が完全に消える寸前、かつて第二の師と仰いだ男の名を脳裏に浮かび上がらせると、少年の意識は、今度こそ溶け、消えていった。











 聖亜が完全に寝入ったのを確認すると、真理の探究者はふぅっと強くため息を吐いた。







「行ったか。それにしても、やはり疲れるの。星すら焼き滅ぼす、甚大ではない炎を吸い込むのは」


 右手を高く掲げると、少年から吸い取った高熱が、巨大な炎となって黒い空間にほとばしる。


 それは、まるで意志があるかのように逃れようとしていたが、彼女がぐっと手を握り締めると、まるで吸い寄せられるように、元の場所に収まった。


「さて、どうしてくれよう。面倒で厄介な事この上ない炎を」


 しばしの間沈黙していた彼女は、ふと頭を上げた。そういえば、先程から少年の周りで、何か白い物が三つ、ふわふわと飛んでいるのが見える。


「ふむ、自らの肉体を失っても、まだ少年と共にいる事を望むか・・・・・・ならば」


 燃え上がる炎に、彼女はそっと左手を向け、それを上下左右に動かした。炎はまるで斬られたように分裂し、やがて三つに纏まった。


「ふむ・・・・・・ちょうど三つの魂か。では行くが良い。自らが望んだ場所へと」



 彼女の声に導かれるように、三つの白い物体は、それぞれ炎の中に吸い込まれ、やがて消えていった。





 それを見届けると、嘗ての青王は、がくりと崩れ落ちた。















 目の前に、大きな黒い洞窟がある。


 

 寝起きのぼんやりとした頭で何だろうと聖亜が考えていると、その洞窟は急に閉じようとした。




『馬鹿っ!! 避けろ!!』



「へ? うわっ」


 頭の中で突如響いた声に、聖亜は半ば無意識に右手を突き出した。すると、その“赤い”右手は、すぐ目の前まで迫っていた巨大な蛇の頭部を、一瞬で溶解させた。


「あれ?」

「馬鹿者、何を呆けている、新手が来るぞ!!」

「あ、キュウ・・・・・・新手って?」


 なぜか胸の上にいる黒猫に首を傾げた聖亜だったが、彼ははっと前方を見た。先程より小さい、だが巨木ほどの太さを持つ蛇が、群れを成して襲い掛かってくる。


「くっ!!」

 咄嗟に身構える聖亜だが、その必要はなかった。蛇達は少年の五メートルほどまで迫ると、“赤い”右手の発する高熱で瞬時に蒸発していく。


「キュウ、何なんだ、これ」

「今は説明している暇はない。蛇神が来るぞ!!」


 少年の胸から飛び降りた黒猫が、がくりと膝を付く。だがその心配をしている余裕はなかった。







 黒猫の言うとおり、空中に浮かぶ巨大な黒い湖から身体を突き出している都市ほどもある巨大な蛇神が、その巨体をずるずると少年のほうに動かしたからだ。その表情に浮かんでいるのは驚愕と、そして恐れ。


「・・・・・・“深淵の御手”ですって、まさか」


 赤く、そして鋼鉄のごとく硬いその右手を見て、ニーズヘッグは一瞬微かに震えた。


「そんなはずはない。大戦以降、“王”がこの世界に出現したという話は聞かない。それに」



 遥か昔に受けた傷の痛みを思い出すかのように、彼女は驚愕と苦痛を堪えるような表情で叫んだ。



「それにそれは、最強の“真紅の御手”ではないか!!」




「真紅の、御手?」


 首を傾げる聖亜の目の前で、不意に、右腕がその姿を変えた。



 腕は、始め一本の巨大な戦斧に変化したが、すぐに別の形に変わった。









 それを一言で表すならば、歪であろう。




 肩からは四本の排気口が飛び出し、鉄の腕からは何本ものパイプが突き出ている。腕と腕をつなぐ間接部では、歯車がぎちぎちと軋む音を立て、手のあった部分には灼熱に輝く剣が飛び出し、そして腕と剣を結ぶ手首は、“縦”に回転する蒸気式のタービンに変わっていた。


「ひぐっ、う、うあ、うぁあああああああっ!!」

「聖亜っ!! 馬鹿者、しっかりと気を持たぬか!!」


 突然手首を襲ってきた激痛に、聖亜は地面を転げまわった。当たり前だ。いくら形が変化しても、これは自分の右腕であることに変わりはない。つまり、回転しているタービンは、己の手首なのだ。縦に回転するタービンの中で、ぶちぶちと神経が千切れていく音がする。動脈が静脈がごりごりと磨り潰され、その中を流れる血液が燃え上がる。だが、それはすべて幻痛でありそして幻聴だ。神経が千切れる事無く繋がっているから激痛は絶え間なく続き、血管が無事だから排気口の先から赤い蒸気が噴出し、タービンは熱を剣に送り続ける。


「あらあら、どうやらうまく使いこなせない見たいねえ」


 少年の無様な姿を見て嘲笑し、ニーズヘッグは口を限界まで広げた。その中に黒い霧が渦を巻いて出現する。いや、黒い霧ではない。あれは彼女の体内で生成される毒、その塊だった。


「ふふふっ、喰らいなさい。全てを溶かす、わたくしの吐息をっ!!」


 口を歪ませ、彼女は毒の息を吐き出した。触れたもの全てを溶かす毒の息は、聖亜に当たる前に熱で蒸発していく。だが大量に、そして絶え間なく吐き出される毒に、さすがの高熱も徐々に弱まっていった。





「・・・・・・・・・・・・うっ」

 鍋島は、強烈な熱風で目を覚ました。周りを見ると、崩れた物置小屋の側に居ることが分かった。胸の上には大きな瓦礫が乗っている。それを認識した途端、彼の身体をすさまじい激痛が走った。


「ぐ・・・・・・こ、こは?」


 血を吐きながら瓦礫をどかし、立ち上がった彼の視界に広がるのは赤い景色だ。正確には人形から治療を受けた頭部の傷が再び開き、そこから流れる血で目が染まり赤く見えるだけだが、彼にはその光景があの時と同じものに見えた。





 そう、十五年前、全てが焼き尽くされた、あの時と。





「帰ってきたのか、俺は。あの時の・・・・・・あの場所に」

 手で辺りを探ると、傍らに長年使用してきた猟銃があった。それを持ち上げ損傷を確かめる。だいぶ痛んでいるが、どうやら後一発ぐらい撃てそうだ。



 痛む体を無理やり起こし、赤い景色の中、彼はそれを見上げた。赤く染まる、巨大な蛇の姿を。



「く、くは、ははは。俺は馬鹿だ、こんな光景を、美しいと思ってしまったとはな」


 だが今は違う。今はもう、この光景を憎み、蔑むことができる。だから、




 鍋島は、服の裏側に厳重に縫い付けていたそれを、強引に引き千切った。




「これを、使えば」



 それは一発かぎりの黒い弾丸だった。自分に対する憎悪を抑えきれず、“降り神”の儀式に失敗した自分に与えられた、彼が持つ武器の中で唯一、爵持ちにすら傷を与えることの出来る物。だが呪い(まじない)ではなく呪い(のろい)を込めたこれを使えば、呪いの一部が逆流し、自分も負傷すると説明を受けた。そしてそれは、すでに重傷を負っている自分が喰らえば、まず間違いなく致命傷となるだろう。


「だが、それでも」


 それでも、その黒い弾丸を猟銃に込め、血で滲む視界の中で必死に撃つ部分を探す。硬い鱗に覆われた肌は効果が薄い。口の中を狙っても、蛇神が吐き出している毒を搔い潜れるかどうか分からない。なら、狙うのはただ一つ、奴の目だ。あそこなら間違いなく重傷を負わせられる。そして自分は間違いなく死ぬだろう。




 それでも、




「親父・・・・・・おふ、くろ」




 ぶるぶると震える手で猟銃を持ち上げ、



「清美、芳江」





 必死に目に狙いをつけると、



「明雄」






 生まれてくる息子につける筈だった名前を呟き、





「お父さんに力を、貸してくれ」






 彼は引き鉄を、静かに引いた。






















 地面の上で転げまわっている少年にもう少しで吐き出す毒が届く、その瞬間、



「ぎっ!? ぎゃぁあああああああっ!!」



 左目にいきなり生じた激痛に、ニーズヘッグは口の端からごぼごぼと毒を垂れ流しながら、天高く吼えた。



「がぁああああああああっ!!」



 並みの痛みではない。左目は完全に潰れてしまった。しかも、痛みは徐々に顔全体へと広がっていく。




「ぐぅうううううっ! さ、探せ蛇共、そしてここに連れて来い!! 私に傷を負わせた、不遜な輩ををををっ!!」



 ずるずると湖の中に逃げ込む親の命令に、黒い湖から新たな蛇の群れが飛び出す。だが、





「あら、残念。動きがちょっと遅いわね」


 だが次の瞬間、蛇達は一陣の風により、ばらばらに切り裂かれた。



「なっ!! 何者だ、貴様ぁっ!!」

「ふん、名乗る名前など無い!!」



 ビルほどもある巨大な蛇が、胴を真っ二つにされ地面に叩きつけられる。それでも何匹かは顔を黒く変色させて倒れ伏した鍋島を見つけ、殺到した。



「駄目ですよ、安らかに逝こうとしている方の邪魔をするのは、元“巫女”として許しません」



 しかし、彼らは赤く光る杖から放たれる光の帯に遮られ、ぼろぼろと崩れていった。





「なるほど、あの時私達を呼び出すことが出来たのは、“あなた”がエイジャだったから、か」


「・・・・・・・・・・・・う、あ?」


 激痛の中ゆさゆさと体を揺さぶられ、聖亜はぼんやりと目を開けた。目の前に誰かいる。いや、誰かではない。意識がはっきりすると、目の前に五十センチほどの小さい人形の姿が見えた。


「あら、私の事忘れちゃった? 坊や」

「・・・・・・ナイ、ト?」

 

 馬の人形にまたがり、右手に真紅の槍を、そして左手に盾を持つ、まるで人形劇の人形のようなその姿は始めてみるが、その声は間違いなく消滅したはずの、彼女のものだった。


「その姿、は?」

「これ? 親切な元女王様にもらったの。それより、まだ痛む?」

 


心配そうに覗き込む彼女に、聖亜は弱々しく首を振った。確かに激痛は続いており、熱も引いてはいないが、それでも耐えられないほどではなくなってきた。


「そう、なら周りの蛇達はどうにか足止めするから、あなたはあの高飛車な貴族様をお願い。さて、ポーン! ビショップ! 行くわよ!!」


「はい」

「承知っ!」


 空を駆けるナイトの左から、赤い鎧兜に身を包み、巨大な大剣を持った人形が、右から赤いローブを纏い、赤く光る杖を持った人形が続く。彼らを見送ると、聖亜はよろよろと立ち上がった。


「けど、どうやって倒したら」

「ふむ、分からぬか、聖亜よ」


 足元に黒猫が擦り寄る。首の辺りを撫ぜてやると、“彼女”は気持ちよさそうに鳴いた。


「ふにゃ、まったく、しょうがないのう。おい、馬鹿娘」


『・・・・・・何だよ馬鹿猫』


 ふと、頭の中にふてくされた少女の声が響いた。


「お前・・・・・・誰だ?」

『お前じゃねえ!! ちゃんと炎也って名前がある!! ったく、どいつもこいつも』

「貴様の名前なぞ馬鹿娘で十分だ。それより出番をくれてやる。貴様、聖亜の変わりにこの熱と痛みを、暫らく受けておれ」

『は? 何だよその役まわ・・・・・・いでっ、あぢっ! いでちちちちちちっ!!』

 不意に、全身を焼き焦がす熱が引いた。同時に手首の痛みも消えている。そして頭の中で少女がやかましく悲鳴を上げ始めた。痛みと熱は、どうやら彼女に移ったらしい。


「さて聖亜、黒き龍は湖に潜り、傷を癒している最中だ。あの湖は星ほどに深い。人間のいかなる武器も奴には届かん。さあどう戦う」


 聖亜は、空中に浮かぶ黒い湖を、ちらりと横目で見た。


「干上がらせて、引きずり落とす」

「ふむ、引きずり落とすか。よかろう・・・・・・真紅の御手は剣にあらず、それはお前の右腕だ、聖亜」

「なら、その姿形を変えろ、真紅の御手」

 

 級の言葉に頷くと、聖亜は自らの右腕に冷徹な声でそう命じた。一度ぶるりと震え、剣はその形を変える。少年の望む姿へと。



「無限に伸び、そして奴を捕らえろ!!」



 主の声に応え、先端に赤い鉤爪を持つ、赤い鎖に姿を変えた彼の右手は、黒い湖に向かって一直線に伸びていった。





 左目をつぶされたニーズヘッグが異変を感じたのは、黒い湖に傷ついた体を浸している時だった。




 明らかに水の量が減っている。そんなはずはない。そもそも減っていると感じることすらおかしいのだ。


星ほどの深さをもつこの湖は、自分と自分の眷属、そして黒界にある領地、その全てを飲み込んでも、遥か遠くまで広がっているのだから。



 不審に思っている間にも湖の水はなくなっていく。水面から寝そべっている自分の黒い鱗が飛び出した時、彼女は苛立たしげに身を起こし、その原因を探ろうと周囲を見渡した途端、




 それは黒い鱗を砕き、中の柔らかい肉にぶつりと食い込んだ。







「ぐがっ!!」



 そのまま、ずりずりと外に向かって引きずり出される。痛みに身をくねらせ、尻尾で水面を叩いて何とか逃れようとするが、首に食い込んだ鉤爪は、まったく離れない。



 やがて、彼女は居心地のいい湖の中から、外へと引きずり出された。



「なっ!!」


 その時彼女の目の前で、今まで自分が潜っていた黒い湖は、跡形もなく蒸発した。


「なによ、なによなんなのよ、これはぁあああっ!!」

 



『へ、へへっ。蛇の一本釣りってか?』

「・・・・・・騒ぐな馬鹿娘、まだこれからだ」


『へいへい、ったく、それが痛みと熱を肩代わりしてやった、もう一人の“自分”に対する言葉かねぇ』


「悪いが、頼んだ覚えはない・・・・・・再び姿を変えろ、鉤爪。剣へと」


 頭の中で喚く少女を無視し、聖亜は鎖の付け根を優しく撫ぜた。それに応えるように、鎖は瞬時に先程の剣へと戻る。食い込んだ炎の鉤爪が外れた黒い龍は、一度逃れるように黒い空の彼方へ逃れようとしたかと思うと、だがさすが重力に逆らうことはできないのか、地上へと落ちてきた。




 聖亜は、こちらに向かって落ちてくる龍の巨体を一瞥すると、ゆっくりと右手の剣を向けた。



「・・・・・・」

「きさ、貴様っ!! 汚らわしい家畜の血を持つ呪われた混血児の分際で、神たるこのわたくしを殺せると、本気で思っているのっ!!」

「・・・・・・ああ、確かに人間、お前の言う家畜の力では殺すのは無理だろうさ。けれど」





 冷たく笑い、聖亜が剣に変わった右手を、高く上げると、



「けれどどうやら俺のこの手は、人間の“それ”ではないらしい」

 


 細く尖った枝のような刀身に、天をも焦がせと炎が宿る。




「さあ、真紅の御手よ、お前に名前をつけてやる!! かつて世界を焼き尽くしたといわれる魔剣、その偽物の名を!!」

「ぎ、がああああっ!!」

「黙れ」





 闇の底のように黒く暗い瞳を鈍く光らせ、冷徹に、そしてどこまでも冷酷に、





「やめろ、いえ、お願いだからやめてぇええええっ!!」

「喚くな、蛇」




 一年前、自らの唯一に教えてもらったすべてを焼き尽くす炎の剣、その名を叫んで振り下ろす。





「全てを屠り、そして焼き尽くせ! 炎の偽剣、レバンテイン!!」









 振り下ろされたレバンテインから迸る、世界を滅ぼすに足る炎は、その名前の通り、地上に落ちてくる黒き龍を焼き尽くした。





 一つの灰も、残す事無く





















 その様子を、意識を失っているにも関わらず、少女は薄目を開けて眺めていた。










 知っている。







 “私”は知らなくとも、“あたし”はあれを知っている。







 あれは冒涜の極みだ。この世界のすべてを喰らいつくしても、満たされることのない飢えに苦しんでいる業のもっともたるものだ。






 だからこそ、あれは滅ぼさなければならない。たとえ振るっているのがあの女ではなくとも、“私”が心通わせている少年だとしても、それ以外の誰が振るっているとしても、この身を犠牲にしても、必ず












 必ず、滅ぼさなければならない。














































  森岡は逃げていた。







 彼は高天原に所属し、エイジャと戦う守護司だった。だが金遣いが荒く、特に賭け事にのめり込んだ彼は、自分の借金を肩代わりしてもらうため、知り合いだった狸山に手渡したのだ。






 厳重に封印せねばならなかったエイジャを呼び出す禁断の魔道書、“喚起の書”を。



「早く、早く逃げねえと・・・・・・ひっ」


 目の前でまた一匹、空中から落ちてきた蛇が燃えて消える。黒い湖が消えうせ、親であるニーズヘッグが滅んだことで、その体を維持できなくなったのだ。


「これは夢だ。そうだ。エイジャが・・・・・・その中でも神と呼ばれるお貴族様が、たかだか人間に殺されるはずがねえっ!!」





 目の前の黒い鳥居を潜り、その先にある黒い鳥居を潜り、さらにその先にある黒い鳥居に手をかけた時、森岡は、ふと足を止めた。



「・・・・・・なんだ? こりゃあ」




 彼の前に立ち並ぶのは、何千、何万と続く、黒い鳥居だった。






 慌てて後ろを振り返る。だが、そこに彼が走っていた道はない。前と同じように、無数の黒い鳥居が立ち並ぶだけだ。






 とおりゃんせ  とおりゃんせ



「ひっ」



 ここは どこの ほそみちじゃ






 その時、彼方から微かな歌声が聞こえてきた。



 てんじんさまの ほそみちじゃ



 その歌は、だんだんこちらに近づいてくる。



「こ、木霊っ!!」


 森岡は、必死に左手を前に突き出した。手のひらの中央から何本もの木の根が飛び出す。これが、彼の持つ“降り神”だった。

 だが大した神ではない。木の数と同数いるといわれる木霊、その中でも最下級の神だ。むろんエイジャと渡り合う力もない。以前白髪の少女に言ったとおりただ道を探るだけだ。だが、この場合はその能力が役に立つ。役に立つ、はずだった。



 森岡の手から生まれた木の根はぞろぞろと目の前の空間に伸びていったが、目の前の闇に触れたとき、それはふっと掻き消えた。




「う、嘘だ!! 俺の、俺の木霊がぁあああっ!!」



 半狂乱になった森岡は、震える足をばたばたと動かし、黒い鳥居の間をどこまでも走る。だがどれほど走っても、鳥居が途切れることはなかった。



 いきはよいよい かえりはこわい



 遥か遠くから聞こえていたはずの歌は、今はもう耳元で囁くように聞こえる。




 そして







 こわいながらも とおりゃんせ







 森岡は、目の前に広がった闇に、自ら飲まれた。










「とおりゃんせっと」

「・・・・・・お食事は終わりましたか、神楽様」

「ええ、あんまりおいしくなかったけれどね」


 手渡されたナプキンで口を拭うと、神楽はにっこりと笑った。




「それで?」

「はい。やはり絶対零度を編入させたのは、監視下に置き、有事の際は即座に捕らえられるようにするため、だそうです」

「あらあら、それは災難だったわねえ」

「ええ・・・・・・それで、結局この都市はどうするおつもりですか?」

「そうねえ、黒い龍さんも死んじゃったし、私が直に手を下すのも面白いけど、どうしようかしら・・・・・・ねえ、白夜ちゃん」

「っ!!」



 彼女が眼を向けた闇に、氷見子はばっと身構えた。




 彼女の見つめる闇の中には、いつの間にか金色に光る、一対の瞳が浮かび上がっていた。



「久シブりデスな、神グら様」

「ええ。けど、ふふ、力を使いすぎたみたいね、中々“戻れない”でしょう」

「マあ、モうスグ戻れマすガね。トこロデ、この都市ヲ本当に滅ボすツモりでスか?」

「さて、どうしようかしらね」

「イイのですか? この都市にハ、聖ガいマすよ」

「あら、確かに聖ちゃんはかわいいけれど、それと私の恨み、どちらが強いかといったら、ねえ」

「・・・・・・ふう、やっと戻れた。ま、こうなったら種明かしをしましょうか。聖の母親ですが、×××です」

「・・・・・・」




 闇の中から出てきた男の言葉に、神楽は穏やかな笑みのまま、右の眉をピクリと動かした。




「・・・・・・あら、それはどういう意味かしら」

「さあ? ま、それはご自分で考えられることですな。それよりも、十五年前の災厄、その復興を僅か一年で止めたのはやはり貴女でしたか・・・・・・枢密院議長、黒塚神楽殿」

「あら、当り前じゃない。だって私の大切な、本当に大切な子を奪われたのよ? 母として当然でしょう?」

「そうですか・・・・・・では俺はこれで。玄や青琉によろしく。こっちはこっちで、一葉と仲良くさせてもらいますんで。ああ氷見子さん、姉さんと妹たちに、何か言伝はないかな?」

「・・・・・・っ、そんなものない。姉妹を誑かし、攫った憎むべき貴様に話す言葉もな!!」



  神楽の傍らに控える氷見子の憎悪の視線を受け、それでもからからと笑いながら去っていく白夜を見送ると、神楽はふうっと息を吐いた。




「申し訳ありません神楽様、取り乱しました」

「いいえ、いいのよ・・・・・・さて、もう帰りましょうか、ひいちゃん」

「は、はい。それで、今後どういたしますか?」

「そうね、ふふ。学校も少し壊れちゃったし、聖ちゃんは“こっち”で預かろうかしら」

「聖を手元に置くのは賛成・・・・・・って、そうではなくてですね、この都市のことです」

「この都市? 白夜ちゃんと一葉ちゃんにでも任せておけばいいじゃない」

「あの男と、そして愚かな姉妹は、もはや黒塚家とは何の関係もありません」

 


 首を振る氷見子を見て、神楽は暫らく考え込んでいたが、やがてぽんっと手を打った。



「分かったわ。それでは雷ちゃんを派遣しましょう」

「雷ちゃんですか・・・・・・神楽様、まさか“雷神の申し子”ではないでしょうね」

「あら、駄目かしら」

 




 可愛らしく笑う、“三十代前半”の姿をした神楽に、彼女の側女、“八雷姉妹”の五女である伏雷、八雷氷見子は、呆れたようにため息を吐いた。



「別に駄目とは申しておりません。しかし森岡が死亡したのは事実。とりあえず、エイジャと戦って亡くなった名誉の戦死ということにしておきます。よろしいでしょうか」

「ええ、好きにしてちょうだい。ああ、それと一つ聞きたいのだけれど、いいかしら」

「はい、何なりと」









 首をかしげる主に、氷見子が頷いた時である。









「さっきからひぃちゃんが話している森岡って・・・・・・誰の事だったかしら?」










 一切の含みを持たず、そして一切の邪悪さを持たず、唖然とする従者の前で、神楽はただ、無邪気に首をかしげていた。














                                   続く








 

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