バレンタインの謎を終え!(我が家に悪魔がやって来た!&変身願望)
「……雨なのに暑いですねー」
高梨沙良がそう俺の方に向かって声をかける。ここは俺、町村樹の1人暮らしをしているアパートだ。現在ここには俺たち2人が住んでいる。彼女がここに住んでいるのは簡単に説明するなら試験のためである。彼女は暴食の悪魔見習いであり、目下悪魔になるために日々頑張っているというわけだ。決していつもこんなにぐうたらしているわけではない……はずだ。
「何せ6月だからなー」
時期は6月、じめじめと雨が続く日だったり、何かとアクティブに行動するには気分的に進まない日でもある。だが、そんなことを言っていた矢先の出来事だった。
「……あれ?」
急に部屋の中が冷え始める。俺は部屋に置いてある温度計を確認すると、気温は3度にまで下がっていた。
「おい何かおかしいぞ? 3度って何だよ3度って」
「そうですね。これは何かただ事ではないことが起きている気がします」
俺も沙良も立ち上がる。
「まさか新手の敵が攻めてきたのか?」
「それはないと思いますけど……。仮に敵だったとしても、何より敵の目的がよく分かりません」
「それもそうだよな……」
俺は考え込んでしまう。
「とにかく何がどうなってるのか他の悪魔見習いたちにも聞いてみましょう」
「それがいいか。よし、行ってみようぜ」
俺と沙良は2人で知り合いの悪魔見習いたちの家に向かうことにすると、準備を始めた。家を出る。この時、部屋のカレンダーが2月になっていたことにはまだ2人とも気付いていなかった。
「ってか寒くないか?」
家を出る前に着替えては見たものの、手持ちの服では厚く着込むことはできなかったので、外の温度とはやや釣り合わない格好で俺は外に出ていた。
「そうですね……。なぜか雪も降ってましたし……」
沙良は外に積もっていた5センチくらいの雪を思い出しながら俺に尋ねる。
「あら、樹君じゃない」
そんな話をしていると、後ろから声をかけられる。
「桜か。ちょうど今お前のところに行こうと思ってたんだよ」
声の主は樋口桜だった。彼女もまた俺と同じく悪魔見習いを契約者に持つ友人である。俺と秘密を共有している数少ない人物の一人だ。
「私のところに?」
桜は少し考え、ああ、と納得したような表情を浮かべる。
「私もちょうど樹君のところに行こうと思ってたのよ」
そういうと、彼女はラッピングされた何かを俺に手渡してきた。
「沙良さんにもあげるわね」
桜は同様に沙良にも同じようにラッピングされた何かを手渡した。
「……何だこれ?」
俺が訝しんだような表情で桜のことを見る。
「あら、樹君チョコもらいに来たんじゃないの?」
「チョコ? 何でまた?」
彼女のおかしな質問に俺も質問で返すが、その瞬間彼女は不思議そうな顔をする。
「だって今日バレンタインデーじゃない」
「……はい?」
何を言っているのかと思ったが、彼女の話を聞いてみるとどうやら今日はバレンタインデーらしいのだ。
「そんな馬鹿な……」
だが、彼女と一緒に近所のデパートに行ってみると、確かに街中は何やらチョコレート一色のお祝いムードで彩られていて、今日がバレンタインデーだということを否定できない状況だった。
「……どうなってるんですか?」
「俺に聞くなよ……」
俺と沙良は顔を見合わせて首を傾げることしかできない。
「それより、2人は何で6月だと思ったのよ」
「いや、何でも何も……」
俺はつい最近沙良たちが誘拐された事件があったばかりだと説明する。俺と沙良はつい1週間前にある出来事に巻き込まれて魔界に行っていたばかりだったのだ。そしてその場にはやはり桜もいたし、他に3人の知り合いがいた。
「……そういえばそうね。私たちが帰ってきてからまだ1週間経ったか経たないかくらいよね」
桜もこの状況のおかしさに気付き始めたらしい。
「まだ信じたとは言えないけど、仮に今がもし6月だとして、じゃあどうして2人だけが記憶を改変されなかったの?」
「そういえばそうだな……」
今のところ桜は今日がバレンタインデーだという風に記憶を刷り込まれてしまっている。だが、俺と沙良にはそれがない。だからこそこの状況が異常に感じられるのだ。まるで俺たちだけが別の世界に迷い込んでしまったような。
「とりあえず麻梨乃さんたちのところにも行ってみましょうか? 樹君もこのままじゃ帰れないでしょう?」
「ああ。俺もそのつもりだった。でもその前にケンを連れてきてくれないか?」
「ケンを?」
桜は不思議そうな顔をする。
「今回に関してはあいつの力が間違いなく必要になると思うんだ」
「まあ、ケンだけ置いてくのもかわいそうだし、分かった。今から呼んでくるからちょっと待っててくれる?」
「悪いな。よろしく頼む。とりあえず俺たちは冬物の服を買ってくるから、また1時間後くらいにこの場所で」
「分かったわ」
桜は頷くと、一度家に帰るためにその場を離れた。
「お待たせ」
「久しぶりだなタツッキー」
1時間後、買ってきた黒いダウンジャケットを羽織った俺は桜たちと合流した。
「しかし、俺の力が必要ってのはどういうことなんだ?」
ケンはそう俺に聞く。そこで俺はケンにこんな頼みごとをした。
「とりあえず、今からまず俺と沙良に洗脳解除の能力をかけてほしいんだ」
「洗脳解除? 何でまた?」
ケンは何を言ってるんだと言った様子で俺を見る。
「桜と俺に季節の不一致が起きてる。桜はバレンタインデーだと思ってるわけだが、俺は今が6月だと思ってるんだ」
「ははあ、なるほどな。つまり、周りを見てもおかしいのは自分たちだけだから、まずはタツッキーたちを確認してほしいって訳か」
「そういうことだ」
状況を理解したケンは、そういうことなら、と俺と沙良を手招きする。
「俺の目を見てくれよ」
「おう」
ケンの能力は以前に一度見ているので、俺はケンの目をじっと見る。ケンの目が一瞬赤く光ると、すぐに元に戻った。沙良もケンの能力については分かっていたのか、同じように彼の目を見る。沙良にも同様の手順を繰り返し、2人合わせて2秒ほどでそれは終わった。
「タツッキーたちは特に洗脳にはかかってないな」
「じゃあ、やっぱり私?」
桜はそう聞くが、意外にもケンは頷かなかった。
「普通に考えるとそうなるんだが……。とりあえずやってみるから俺の目を見てくれないか?」
「分かったわ」
桜も同じようにケンの目を見る。ケンの目が赤く光るが、ケンはかぶりを振った。
「だめだな。特に桜が洗脳されてるわけでもなさそうだ」
「じゃあどうなってるんだ……?」
当てが外れた俺は、腕を組んで悩んでしまう。
「たぶん、俺の能力だけじゃどうしようもないんだろうな」
「どういうことだ?」
ケンの説明によると、ケン個人の能力だけでは弱すぎて効き目がない可能性があるのだという。つまりそれほどまでに強い能力の何かがこの世界に影響を及ぼしている可能性があるらしいのだ。
「洗脳以外にもう1つ可能性がないことはないんだが……。こっちに関しては俺よりもアリーとかのが詳しいだろうし、まずはアリーたちと合流しようぜ」
「それが一番いいか」
俺たち4人はとりあえずアリーに会うためにデパートを出ることにした。
「ところで、タツッキーと桜、2人の感覚がずれてるのはたぶん何かがこの世界に起きてるんだと思うぜ」
ケンは歩きながら俺たちにそんなことを言ってきた。
「何かって何だよ」
「それは俺も分からねーけどな。少なくとも悪魔の仕業じゃないってことは確かだ。それが俺の言ってた洗脳じゃないもう1つの可能性だよ」
「そうですね。悪魔にこんなことできる方はいませんし」
沙良も頷く。
「それに、俺も桜に言われて外に連れ出されるまでは6月だと思ってたからな」
「じゃあ、やっぱり私がおかしいってこと?」
桜の言葉にケンは首を横に振った。
「そうじゃなくて、たぶん俺とサラっちは異界の生物だから影響を受けなかったんだよ。タツッキーが影響を受けなかったのはサラっちの傍にいたからだと思うぜ」
「そんなもんなのか」
理由はよく分からないが、何となく筋は通っていたこともあり、俺はそれ以上は聞くことはなかった。
「……あら?」
樹たちが歩いていたその頃、その様子を上空で眺めている人物が2人いた。
「あの人たち、私たちの世界改変が効いてないみたい」
「……いや、あの中の何人かは人じゃねー。俺たちの能力があいつらを対象として発動してなかったことが原因だろ」
「このままだとややこしいことになりそうだし、事情を説明しに行った方がいいんじゃないかな」
「それもそうだな。あいつらがどう出るかも分からないし、慎重に追いかけよう」
「了解」
「もしもし吉永さん? ちょっと今から外に出られない?」
「あー、ごめん。私今チョコレート作ってて……。もうすぐ出来上がるんだけど、まだちょっとだけ時間がかかりそうなの。アリーは出かけてるみたいだから、そっちから連絡してみて」
その会話で吉永麻梨乃もバレンタイン改変に巻き込まれていることを悟った俺は、後でよく行くたこ焼き屋さんに集合することを約束して電話を切った。
「吉永さんもダメっぽいな」
「あー。アリーはどうだろうな」
「私がどうかした?」
「うおっびっくりした!」
ケンは飛び上がって真後ろにいたアリーから距離を取った。
「街を見てきたけど、何か分からないけど大変なことになってるのは確かみたい。6月が2月になるなんて尋常なことじゃないし」
「その様子だとアリーは無事だったんだな」
アリーは頷く。
「麻梨乃たちは外に出かけてたから影響を直に受けちゃってチョコレート作りに励んでるけどね。私は無事だったから適当に外に出かけて暇潰してた」
「とすると一体何がどうなってこうなってるんだ……?」
俺がそんな風に腕を組んで考え始めたその時だった。
「……すみません。ちょっとよろしいでしょうか」
『!?』
俺たちが背後を見ると、そこに立っていたのは幼い男の子と同じく幼い調子の悪そうな女の子だった。女の子の方は黒いコートを羽織り、白いワンピースを身にまとっている小学校低学年くらいの年齢と身長で、まさに年齢に不釣り合いと言った格好だった。一方の男の子の方も黒のトレンチコートに白いスラックスで、お世辞にも子供が普段着に着用する洋服とは言えなかった。そんな違和感しかない子供たちが気配もなく突然背後に現れるというその異様な光景に、俺たちは警戒心を強めた。
「……あなたたちは?」
桜が身構えたまま尋ねる。
「すみません。別に怪しいものではないんです。ただ、あなたたちが知りたがっているであろうことは、私たちが知っています」
女の子の方がそう説明する。やたらと体調は悪そうだが、それでも俺たちに説明義務があると判断してここに来たのだという。
「……お前らが?」
「はい」
女の子は俺の言葉に頷く。目を見ても嘘を言っているわけではなさそうだ。
「詳しく話を聞かせてもらおうか?」
「話の早い方で助かります。承知しました。今から全てを説明いたします」
女の子は頷くと、説明を始めた。
「まず、私たちはこういう者です」
彼女たちはそれぞれ俺たち全員に名刺を手渡してくる。その名刺にはこんなことが書かれていた。
(あなたの変身願望を現実に 淡口美月)
(あなたの変身願望を現実に 生井海人)
「あわぐちみつき、うまいかいと?」
桜がその名刺に書いてある名前をそのまま読み上げる。
「それより何だこの変身願望って?」
ケンはそれよりも前半の文言が気になっているらしい。
「私たちは簡単に説明すると、人間の変身願望を叶えるお手伝いをして差し上げているんです」
「変身願望?」
俺が聞き返すと、それまで黙っていた男の子が説明をしてくれた。
「簡単に言うなら、誰もが1度は何かになりたい、自分がこうだったら良かったのに、って思うことがあるだろ? それが変身願望だよ。男の子なら戦隊ヒーローになりたいとか、女の子ならお姫様になってみたいとかな。それを叶えてやるのが俺たちの仕事って訳だ」
「ところがその変身願望を叶えるお手伝いをしている最中に、ちょっとややこしい事態が起きてしまいまして」
女の子が後の説明を請け負った。
「……普段なら信じられないような話なんだが、俺の周りにもそういう何だかよく分からない能力を使う奴が大勢いるからな。そこは信じるとして、そのややこしい事態っていうのはどういうことなんだ?」
「さすがに悪魔と契約した方は理解が早いですね」
「……分かるのか?」
女の子の何かを悟ったような言葉に、俺は息をのみながら聞く。
「ええ。私も人外と言う点ではある意味で同種ですからね」
女の子はそう言うと、話を元に戻した。
「で、そのややこしいことと言うのがですね……」
彼女の説明によると、どうやら彼女たちがいつものように願いを叶えようとした時に、ある手違いによって世界全体に影響を及ぼしてしまったのだという。
「好きな子にチョコレートをあげたいと聞いたので、それは応援してあげなくてはと思い舞台を整えようとしたんですが、うっかり効果範囲を間違えてしまいまして……」
本来ならチョコレートをあげる人ともらう人の2人だけをバレンタインの空気にするつもりで、その2人がチョコレートの授受をしていても傍から見て違和感なく見せるだけにするつもりだったらしいのだが、何かの手違いで彼女の能力が暴走し、季節までも狂わせてしまったのだという。
「だから風邪の時くらい休んどけって言ったのに……」
「面目次第もございません」
彼女は風邪をひいているらしいが、どうも体調の悪さは風邪だけではないように思えた。
「なあ、淡口さんだっけ? あんたのそれ、本当に風邪なのか?」
すると、今度はまた男の子の方が答えてくれた。
「うーん、まあ風邪もあるんだけど、美月は自分の能力にある弱点を抱えててな。今回はそのある弱点に合致する能力の使い方をしちまって、ある種の副作用でこうなっちまってる感じだ」
「なるほど。あんたらも大変なんだな」
こういう伏せ方をするということは、おそらくあまり知られたくないことなのだろう。俺はそう思い、それだけ言葉を発した。
「その一言で片付けていただけるのは本当に幸いです。今のところあなたたちだけが私の能力の影響を受けていないようなので、良ければあなたたちも季節外れのバレンタインデーを楽しんでください。いろいろとお手数をかけてしまって申し訳ないのですが……」
「そういうことなら、俺たちが変に考えるのはよすことにするよ。今日はバレンタインで明日は6月。これでいいんだよな?」
「悪いないろいろと」
男の子は頭を下げる。
「いや、気にすることはないさ。誰にだって間違いの1つや2つくらいはあるだろうしな。それより、次にもうこんなことが起こらないように、きちんと調子を整えとけよ」
「そうですね。あまり他の人に迷惑をかけるのは良くないですからね」
それまで黙っていた沙良もそう同調する。
「すみません。以後気をつけま……きゅう」
女の子はお辞儀をしかけ、そのまま倒れてしまう。
「美月!?」
男の子は駆け寄って額に手をやる。
「あっちゃあひどい熱だな。こりゃ説明には俺一人で来れば良かったか」
「とりあえずあんたもさっさとその女の子の看病をしてやれよ。その様子だと相当酷そうだし」
「悪いけどそうさせてもらった方が良さそうだな。そういう訳だから、季節外れのバレンタイン、楽しんでくれよな」
そう言った男の子は右手の人差し指を天高く空に振り上げる。
「そらよっ!」
すると、男の子と女の子の姿は一瞬で消えてしまった。
「夢……なんてことはないですよね?」
「それはない。サラもだけど、みんなの手にその名刺がある限りは」
黙って説明を聞いていたアリーはそう沙良に言った。夢のような不思議な出来事、それを現実だと証明しているのは全員の手に握られた名刺だけだった。
「あら? アリーに町村君たちも。デパートにいるって言ってなかったっけ?」
少しの間様々なことを考えながらその場に立っていた俺たちだったが、遠くから聞こえてきたその見知った声に止めていた動きを再開する。
「麻梨乃」
アリーはそう契約者の名を呼んだ。吉永麻梨乃がやって来たのだ。手にビニールに入ったチョコレートを持っているところを見ると、どうやら作っていたチョコレートが完成したらしい。
「みんなにチョコレート作ってきたの。一緒に食べましょ?」
「やったぜ!」
おいしいものが食べられるとあって、その場で叫ぶケン。
「もう、ケンったら」
桜は呆れたような声を上げるが、その顔は笑っていた。
「それじゃ、俺の家にみんなで行くとするか」
「そうですね。バレンタインはこれからです」
俺の言葉に笑顔を見せた沙良は、全員を自宅の方向へと誘導する。
(何だかよく分からないけど、たまにはこういうのも悪くないのかもな)
俺はそんなことを思いながら、自宅に向かって歩き始めた。