06
戦時国際法の特例として作られた法律。超兵力推挙・支援協定。俗称『勇者制度』。
内容は至って簡単だ。高い戦闘能力を持った者を各国一名から数名選出し、一点に集める。それを重要な戦線に投入して、戦況打破を試みる――という名目で作られた国際法であり、部隊だ。
この世界における一個人の戦闘力差は、冗談のように大きい。少数精鋭を作るというのは、あながち無意味な試みという訳でもない。まあ、有効かと問われれば疑問だが、それはどうでもよかった。
もとより期待されいていたのは戦意高揚だ。ある程度の勝ちだけ積み上げて、士気さえ高められればいい。そのため、軍人や指揮官としては問題あるものの、個体能力は高い騎士や――酷いと犯罪者まで加入されもした。後は、国際的に有名な指揮能力の高い騎士を、トップに据えればいい。各国協議の元、白刃の魔法槍・ユーヴェルチェルが代表勇者として着任し、当時存在した71カ国224名からなる部隊として発足。魔王軍と対峙することになる。
目的は僅か三週間後、期待とは全く逆の効果として現れる事となった。魔王と想定外の遭遇をしてしまったのだ。
僅か数分の抗戦で、勇者の八割以上が死亡。勇者たちは千々になり、今でも半数以上が行方不明とされている。
士気を挫かれた連合軍は、いっきに大陸半ばまで制圧される事となり。以降、勇者という名前は忘れられていき、その後に台頭した《大賢者》が、魔王討伐を果たしたのだが。それはまあどうでもいい。
歴史の闇に消えた勇者。が、それはあくまで一般の認識であり。関係者となると、話はもう少しややこしい。
まず最初に問題になったのが、生き残った亡国の勇者だ。その中には(ユーヴェルチェルほどではないにしても)名声を持った者が、当然いた。気づけば祖国がないのだから、わだかまりがないわけがないし、仮にも勇者として選別されるだけの実力者だ。かなりの問題になった。逃げた犯罪者は、そのまま強盗団を結成する者までいたし。
極めつけが、アーリー・テスラだ。
「アーリーは、目立つタイプではなかったな。勇者時代は知らないが。私と同じ戦線に入った当初は、小柄な体と速度移動を生かした前線での攪乱が役割だった。気づけば視界の端に入り、次の瞬間には消えてる。そんな奴だ。その頃は、まだ元勇者だとは知らなかった」
人柄は思い出せないのに、こんなことはぱっと出てくる。それだけ人を遠ざけていたのであり、同時に戦力面では際立っていた。
「いつから懐かれ始めたかは分からない。まあ、私にとってはあれ以外のアーリーが分からない程度には初期だ。そこそこ話もした。彼女が元勇者である事や、本国が本命に送り込んだ勇者の盾として利用されていた事、そもそも本国でろくな扱いを受けていなかった事、祖国をとても憎んでいる事――聞いたことも聞いてない事も、全てを話してくれた」
そんなものは、いわば兵士の弱音だ。誰だって漏らすし、明日もしれぬ命であれば、話の種でしかない。
だが。魔王討伐が現実味を帯びて行くにつれて、彼女の言葉が重みを増していった。いや、彼女だけではなく、皆がそうか。ソルイユがそれを分かっていなかった訳がない。魔王を殺すための魔法を作ったのは彼だし、魔王を実際に殺す役者も彼だったのだから。
「彼女の恨みは本物だった。そして報復を実行したとき、完遂できてしまうだけの力も得ていた」
「失礼ですが、元勇者とはいえそれほどの実力が? とてもそうは見えませんが」
「戦争時、あいつの戦いを実際に見たことは?」
「ありません」
「そうか……。なら、教えておこう。アーリーは私の知る限り、最高の暗殺者としての才能を持っていた。同時に、可能な限りの暗殺技術を修め、それを最大限に生かす魔剣も持っていた」
他人事のような言葉が気に障ったのか。オーギュストの気配が硬くなった。
言いたいことは分からないでもない。魔剣と魔術は魔力適正に低い者を、限定的に魔法使いの高みまで持ち上げる技術だ。そして、それらを作れるのはソルイユただ一人。魔法使いである彼女が持っているとすれば、それはソルイユが与えたに他ならない。
だが、それは仕方のない事だ。名目が何だろうと、誰にでも力をつけてもらわなければ勝てなかった。
「幸運はあった。彼女が私の信奉者だった事だ。私の懐に抱えている限り、彼女は絶対に、私の不利益になる事はしない」
アーリーに限った話ではない。やり場のないものを抱えた戦士は、いくらでもいた。
故郷を破壊し尽くされ、逃げた先で命じられるままに戦った。いざ戦が終わったところで、彼らを支援する者はいない。どの国も自国を維持するので手一杯であり、どれほど戦果を上げようと、彼らは邪魔者でしかなかった。
そんな人間の支援も、やらないという選択肢はない。
「問題を起こさぬよう言明し、祖国に帰すというのは」
「ミクストール主国の出身だと」
「……駄目ですな」
魔王誕生前はいくらでもあった――しかし現存では唯一の、亜人のみで国家の中央を支配する国。同時に、極まった血統主義でもある。学院生徒三大勢力の一つ、血統派の中央は、主にここから送られてくる生徒だ。おそらく学院内で最もミクストール主国に悩まされているのは、オーギュストだろう。
国政は天翼族が取り仕切っており、有翼種こそが至高と言ってはばからない。ちなみに最下層に位置するのは獣人系であり――つまりアーリーだ。
「やるなと言い含めただけで、積もり積もった憎しみは消えない。自分が力を付け、逆に相手は勢力を落としてる、絶好の好機とならばなおさらだ」
「先方はこの事を承知で?」
「知らないわけがないだろう。あいつらはアーリーを舐めてる。と同時に、恐れてもいる。軍も含め本命は軒並み壊滅、自分たちを憎んでる捨て駒だけが功績を挙げたのだから、当然だ」
そこまで言って、言葉を止めた。言う必要のない事まででかかったのを、手を組み替えて誤魔化す。
ソルイユがアーリーの事情をある程度知っているのと同様に、彼女もソルイユの事情を少しだけ知っていた。異世界に流された当初の苦労――つまり、どこでどんな目にあったかだ。自分の復讐を終えたら、次の標的は高確率でアルタンス王国だろう。
と、そこで彼は気がついた。そろそろ授業が終わる時間だ。そのうちアーリーが戻ってくる。
話をせかそうとしたが、その前にオーギュストが口を開いた。
「ちなみに、彼女の魔剣はどのようなもので?」
「お前が王国を切り、完全に私につくというのならば教えてやろう」
つまり、そこまでサービスしてやる理由はないという事だ。それが分からないオーギュストではなく、肩をすくめた。
「魔剣を取り上げた上で放逐、というのは?」
「大抵の所持者にその話はいっている」
形式上、魔剣と魔術は連合がソルイユから受け取り、それぞれに渡した事になっている。つまり、持っている権利として、返却の要請自体はあったのだ。
まあ、連合がよこせと言っても、ほぼ全員が無視したのだが。
祖国が残っている者には、返却要請はいっていない。忠誠を誓う国がなければ、そもそも返却する義理自体が存在しない。数少ない返却された魔剣の奪い合いは、未だ決着がつかずに争っており。強制接収などしようものなら、種族国家ごとにばらけた難民に、団結の口実を与える。
「貴方様が直接言って取り上げれば……いえ、愚かな事を言いました。忘れてください」
「――賢明だよ。言い切っていたら、君は私の敵だった」
ソルイユは本気の怒気を見せて、そう忠告した。オーギュストが冷や汗をかきながら、深く頭を下げる。
(俺にアーリーを殺せだと? 冗談でも笑えないんだよ、くそったれが)
そう、悪態をつきたかったが、堪えた。
ここでオーギュストの頭が上がっていたら、我慢しきれなかったかもしれない。もしかしたら罵声の一つでも浴びせて、殴っていたかも。
今言いかけた言葉が、ソルイユをどれだけ馬鹿にしている発言か。彼は分かっていたのだろうか?
そもそも魔剣、魔術とは何か。特定の魔力適正を補正し、魔法のエミュレートを行う技術だ。戦闘技術は高いものの、戦力としては乏しい者に、決定力を与えられる。
もっとはっきり言う事もできる。
難民を少しでも多く戦力として消費してしまう技術である、と。
どう誤魔化したところで、現実は変わらない。ソルイユには、彼らに負い目があった。そうやって多くの者を、半ば無理矢理、死地に追いやったという。
それが分からないほど無邪気な者は少ない。そして、終戦後の扱いは、よりあからさまになった。連合の返却要求に応じないのは、当然だった。ここで返すと、数少ない交渉手段もなくなるのだから。
だが。そうと知った上でなお、ソルイユを慕ってくれる者たちがいた。
理由はいろいろあっただろう。本質的には彼らの側だったとか。だからと言って、今までやってきた事を正当化はできない。重要な事でもない。ただ、まだ信じられているならば、応えなければならない。
ソルイユは可能な限り難民と――自分のせいで戦場にたった者、そして死んだ遺族へ、可能な限りの支援をした。それこそ、どこからどれだけ文句を言われようと、全てを無視してだ。そうでもしなければ、良心の呵責で押しつぶされそうだった。
自分を信じた者が、どこかで飢えて転がっている――戦場じみた、それでいてもっと酷い光景など、見たくなかった。
(平和のためなら、向いてない苦労なんていくらでもしてやるし、できるふりだってどれだけでもやってやるさ。でもな……)
ソルイユという名を使って、魔剣を取り上げる。その先に彼らはどうなる? きっともう、どうにもならない。そして、ろくな未来もない。ソルイユを信じていたい者は、裏切りを感じて憎むだろう。各国は流れを煽り、難民の弱体化を図る。最後に――ソルイユに狂人の汚名を被せ、処罰なり追放なり、好きにすればいい。その先にも、やはり何もない。力とよりどころをなくした難民の処理は、どうとでもなる。
そんな提案を軽く言えるのは、オーギュストは所詮、抵抗される側の人間でしかないからだ。
(騙されいいように使われ、それでも俺を信じてる連中を騙し討ち同然で殺させる……。首謀者は俺で、そいつさえ処断すれば24国だけは平和になるか。覚えておけ、そんなクソみたいなもんの礎にする気なら……今度は俺が魔王だ)
戦争は終わった。だが、今あるのは薄氷の平和だ。元に戻るまでには、まだ時間がかかる。そして、限られた時間内で、少しでも他より多くの実が欲しい。
当然の心理だ。そんな態度が本当に通じる相手かどうかだけは、考えた方がいい。
下がったままの、オーギュストの頭頂部を見て、ソルイユはふっと息を吐いた。興奮しすぎたようだ。それを認める。
「もういい。頭を上げろ」
「は……」
顔を見せたオーギュストは、いつもの表情――つまりどう見てもソルイユより偉い人――に戻っていた。
ついでにもう二度と、この手の話で迂闊に口は滑らせるまい。
「どうでもいい話で時間を取りすぎたな」
時計を確認すれば、もういつアーリーが帰ってきてもおかしくない時間だった。
「戻そう。アーリーを出張なりさせるのにちょうどいい何かだ」
「それについてなのですが」
「なんだ、案があるなら早く言えよ」
「案と申しますか、貴方様が堪えれば全て済む話でしょう」
瞬間――ぴたりと時間が止まった。時そのものが凍り付いたように、時計が時を刻む音すら薄れて感じる――途中でオーギュストは飽きたのか、書類に手を伸ばし始めたが。
「ほ、ほら、言っただろ? 常に肯定しか……」
「貴方様に苦言くらい呈する者はいくらでもいます。たかだか一人、そんな者が増えて何の不都合がありますか」
「居心地とか……」
「それこそ貴方様だけの問題です」
「っ! そうだ、暗殺! 俺にそんなこと言ってる姿を見られると、暗殺される可能性が出てくるぞ!?」
「自分が近くにいれば大丈夫だと、先ほど仰ったばかりだと記憶していますが。あと口調は直しなさい」
「う・お・お・お・お…………」
ついに何も言えなくなって、うめき出すソルイユ。
オーギュストは紙の束に目を通し終えると、数枚だけ抜き出し、ソルイユのデスクに置いた。残ったものは大きめのクリップで挟み、持ち帰るために抱えた。
「ソルイユ様の言葉に同意します。無駄話が過ぎました。早く仕事に戻ってください」
「くそ、優しさすらねえよ」
「口調」
「はい」
これ以上は言っても無駄か。後で自分で考えるしかない。諦めて、万年筆を取ろうとし。ふと気がつき、ペンを転がした。
「オーギュスト。アーリーは、いくらなんでも遅くないか?」
「そういえばそうですな」
ゆっくりとした、しかしみじんのぶれもない動作で、時計を確認するオーギュスト。
彼が言うのであれば勘違いではないだろうし、早いという事もない。ソルイユは立ち上がり、オーギュストの脇を抜けていった。目的は、エレベーターだ。
「放っておいてもよろしいのでは?」
「いや、経験上、あいつが遅れたのを見過ごすとろくな事がない」
「左様ですか。行ってらっしゃいませ」
明らかにどうでも良さそうなオーギュストに見送られ。エレベーターへと乗り込んだ。




