04
大ソルイユ学院は世界最先端の魔法技術学校である。
そんな言葉が蔓延しているのはどうだかな、とソルイユは考えていたが。実態を考えると、否定もできない。
各国から送り込まれてきた生徒たちに合わせて設備を整えたら、自然と世界最高の設備になった。後は、今度はそれ目的で入学している生徒が出てきた。となると、やはり標語の通りではある。
まあ、そんな見出しのパンフレットを配っているわけでもないので(大ソルイユ学院は、公には新入生を募集していない)、誰も困らいのだし。
実は大ソルイユ学院の施設よりも、遙かに設備の整った研究施設が存在する。《大賢者の塔》本体、8階から50階までだ。
《大賢者の塔》の研究室も、大ソルイユ学院の構造に負けず劣らず複雑だ。だが、そこの研究者にはある一つの特徴がある。それは、全員が大ソルイユ学院の卒業生で構成されている、という点だ。
逆に言えば、大ソルイユ学院を卒業しなければ、《大賢者の塔》の研究者にはなれない。それ目的の入学者は、実はかなりいるのだった。
(だからと言って、俺にアピールされても困るんだよなあ)
思うのだが。
在学生にとっても、こんなチャンスは見逃せなくはあるだろう。
魔法研究第七群にある、とある大講堂。そこでは、卒業論文の発表会が行われていた。少し覗くだけのつもりが、いつの間にか最後列で眺める事になってしまった。
「……で、あるからして。特空間術式固定理論により、空中に存在する元素の大規模な……」
(ちらちらこっちを見ないでくれよ……)
内心疲弊しつつも、発表だけはちゃんと聞いておく。
《大賢者の塔》内の研究室には、ソルイユも出資している(せざるをえない)。出資者には、研究室への推薦枠をいくつか与えられていた。
つまり、各研究室からの「招待」に心当たりがない者は、推薦が最後の希望なのだ。この分では、ソルイユが推薦枠を「そろそろ使え」と言われているのも知れ渡っているだろう。
とはいえ。
(優秀な奴って言うのは、すでに唾つけられてるもんなんだよな)
塔本体の研究者は、けして無能ではない。というか、飛び抜けて有能だ。どれほどかというと、国立研究所の主任クラスが複数いるくらい。これも理由があり、祖国でポストの空いていなかった者がこちらに流れてきた。《大賢者の塔》という新興の研究所は、夢の職場だったわけだ。設備には期待でき、資金もまあ、しばらくはそれほど締め付けられないだろうという見込みもある。しかも必要なのはただ一つ、能力だけ。ちょっと行動力があれば誰でも目指そうとする――その結果が現在である。
そんな奴らが、無能の部下を選ぶわけがないし、ましてや有能な者を見逃すはずもない。
(これで俺に見る目でもあれば違ったんだろうが……)
残念ながら、ソルイユにあったのは魔法の才能だけだった。
「やあ、ソルイユ様。どうだい、若者が切磋琢磨する姿は」
そう言って、最後列でただ一人座っている(全員が邪魔すまいとわざわざ開けていた)ソルイユの隣に腰掛けた男がいた。
男は、いかにも金髪の美形であり、いかにも貴公子然としている。表情は常に微笑を絶やさず、目元も柔らかい。動作の一つ一つが非常に芝居がかかっており、そこがまた、彼の貴族っぽさを作っていた。
イール・エルス。彼を初見でただの平民だと気づける者は、少ない。かくいうソルイユも、最初はいけ好かない貴族だと思っていたものだ。今では得がたい友人の一人であり、数少ない本音で話せる相手でもある。
「いいとは思うよ。ただな……」
「推薦には至らない、か」
「ああ、悪いな」
済まなそうに言う。イールは頭を振った。
「仕方がないさ。君にも立場がある、彼のソルイユが下手な相手を推薦するわけにもいかない、というのも重々承知しているさ」
「そう言ってもらえると助かる」
あくまで小声で、しかし視線は前に向けたまま話す。
「推薦者については仕方ないとして。ほかに気になるところはあるかい?」
「そうだな……。発表会が活発なのはいいが、どれもどこかで聞いた話ばかりなのがな。もう少し独自性と言うか、もっと冒険した研究結果があってもいいと思うよ」
元々の目的を考えれば、今のこうした学院の形は、ただの余録である。だが、一度できてしまった以上は、どこにも負けないほどの場所になってほしい。そんな願いが出てきてしまう。
(欲だな)
小さく笑った。
表面上、上手くまとまっている事を喜ぶべきなのが現状だ。予想外の広がり方をして、そちらにまで期待してしまっている。欲望はなんとも制御しがたく、纏めがたい。
「ソルイユ、君は間違っているよ」
「何がだ?」
イールが大げさに肩を落として言った。
「普通の研究発表と言えば、どこもこんなものだ。いや、今の発表だって、かなり独自性の強いものだよ」
「そう……なのか?」
「ああ、そうだ。残念だが、私は君にはっきり言わなければならないよ」
悲しそうに体をかかえ、ふるふると震えながら――非常に馬鹿っぽい様子な訳だが。イールもこれさえなければ、といつもソルイユは思っていた。
「君は自分を基準にしすぎている。ソルイユという天才など、この世にはほかにいないのだよ。あの魔王を倒し、千を超える魔法を創造し、この世に安定をもたらした大賢者よ。分からないわけではないだろう? 現代式魔法・ソルイユ式の始祖なのだから」
「重い名前だ、俺なんかには」
「だが、無視もできない。忘れてはならない。君は希有な存在なんだ」
分かっている――つもりではある。たぶん理解し切れてはいない。未だにこうして、小さなキャップはつきまとう。
自分が偉大な人間だとは、未だに思えない。ただがむしゃらだっただけで、自分にできることをしてきただけだ。その結果、捨てられないものとよく分からない責任が、今の立場に立たせている。やることが変わっただけで、やはり必死だ。
「柄にもないことをやるのっていうのは……あれだ、苦労が絶えないな」
「今更知ったのかい? できることをやれる人の方が少ないのさ」
「それもそうだ」
だが、と続ける。
「いい加減、後継者と言える程度の人間は、出てきてほしいもんだ」
「君の技術は、全部公開しているんだったっけ?」
「全部ではないな。いくつか、本気でやばそうなもんは伏せてある。失敗したときのリスクが大きい、魔術とか。だが転移門や生体魔法、現象精霊の根幹部分については公開しているんだがなあ……。一向に応用どころか再現してくれる人間も出てこない」
「切り札じゃあないか」
(別に切り札でもないんだけど)
という言葉は伏せておく。
この世界に流れ着いて四年もたっているが、未だに把握し切れていない事は多い。その最たるものこそ、魔法についての常識だった。
自分に才能があるのは、ソルイユも認めていた。なにしろ、まず魔力が桁違いだったから。理論上はこの世にあるすべての魔法が使えた。とはいえ、これはあくまで理論上の話でしかない。彼にも当然、得手不得手が存在し、中には発動すらできないものもある。
ソルイユが飛び抜けていたのは、魔法の創造能力だった。
本来魔法を使えないものに、擬似的な魔法使用を可能とした魔剣と魔術――これは例外だとしても。生体復元技術だった回復魔法を、生体改変技術に昇華した生体魔法。設置型大規模転移魔法である転移門は、整備こそ任せられるものの設置はソルイユしかできない。魔法具……これは既存の技術であり、比較的新しいジャンルだ。《黄昏の時》により研究が遅れていたが、やはりソルイユが改修をしていた。
これらの魔法を、しかし彼は自分が優れていた故の成果だとは持っていなかった。いや、確かに優れていたからこそ可能とした要素も多分にあるのだろうが。
それより重要なのは、見ている方向の違いだ。
異世界という環境のせいか、魔法もしくは科学によって成り立っていた社会の違いか、あるいはもっと単純に、育ちのせいか。どれが理由か――あるいはどれもなのか――は分からないが、明確なズレがあった。
彼らが上を向いているとき、自分は下を向いている。もしくは、右と左か。前と後ろでもいい。もしかしたら、一つのものを別の場所から見てるだけかもしれない。実際、ソルイユ式と言われる魔法の大半は、既存魔法の応用だった。ごちゃごちゃしているのと、理論を自分にわかりやすいよう改変しているのとで、全く理解されないが……
「今のとこ塔本体の研究者たちには、そっちの期待もしてる」
今のとこ、とついてしまうあたり。今後期待の対象を変える可能性が高い事は、自覚していた。
「技術をまるごと秘すという事は考えなかったのかい?」
「一度生まれた技術だ」
「確かに。神は人に特別を与えるが、特別が一人だけのものとは限らない」
現状より強力であったり、もしくは便利な魔法なのだ。どのみち研究は続けられる。研究が続けられれば、いずれは明かすものが現れる。早いか遅いかの違いでしかないし、今明かされてはいけない理由もない。
それに、
「ここで秘密にしてたら、どれだけの死者が出たか……。その上、さらに数年後、また戦争だったな」
人は秘密を嫌う。特別なことではない。誰だって、隣に銃を持っている人間がいると知れば、自分も銃ないしはそれに対抗する手段がほしいと考える。対魔王軍としてソルイユが生み出した数々の魔法は、それだけ危険であり、同時に魅力的だった。
いずれぞれが無数の人を殺すと分かっていても、無視はできない。
すべてをなかったことにして、万事丸く収まる――そんな手段がったら、教えてほしいものだ。
「ままならないもんだよ、本当にな」
イールは小さく――本当に小さく、頭を振った。
「大丈夫だ……とは言えないし、慰めにもならないだろうけど。君の努力と献身は、皆が知っているよ」
ソルイユは小さく笑って、肩をすくめておどけながら答えた。
「そうでなけりゃ困るさ。大賢者様は清廉潔白、魔法使いや貴族の社会奉仕は義務。自制は美徳――そんな風に、俺を習ってくれなきゃな」
今度こそ大げさに、そして叙情的に身振りを加えて、イール。それが彼の悪いところであり、いいところだった。馬鹿みたいな仕草を見れば、笑い飛ばせる気がしてくる。自分をだしにして、人を安心させてくれる。
つまらない話をしているうちに、発表会は最後の一人にさしかかっていた。レポートの内容は……魔法具の効率化と有効活用について。悪くない案だが、塔の研究でより良い方法が発案済みだ。有能な事には変わりなく、前の席では小さく話している人が数人いる。推薦されるまでもなく、この後すぐスカウトが行くだろう。取り逃がした。残念だとは思うが、仕方のないことだ。
「できればの話なんだが」
言いかけて、口を閉じた。言うべきか迷ったためだ。
独り言のトーンではあったが、イールにはしっかり聞こえていたようだ。意識が向いているのを感じる。
言って問題のある相手ではない。そう思い直し、続ける。
「推薦枠のいくつかは、孤児に対して使いたかった。経緯が経緯だ。研究者たちも、孤児の採用には及び腰になる雰囲気ができている。門戸が開かれるのは、悪い話じゃない。もう少し時間があるか、それなりに才がある者でも出てきてくれてたらよかったんだが……」
孤児たちが集まって派閥を作っている事、その根本には、未来への不安がある。
先行きが分からない。自分たちよりも後から入学した、しかし明らかに恵まれた者たち。もしかしたら、今の自分たちの居場所をすべて奪われるかもしれない。そんな想像だ。そして、それは現実になりうる想像だ。群れれば――派閥になれば、対抗できるかもしれない。これは全くの妄想だ。
ここが落ち着けば、水面下の争いも、もう少しは緩まる見込みができる。あるいは、派閥が四つに増えるだけかもしれないが。勢力が割れれば、その分一つ一つの力も失われる。それはそれで、今よりマシだとは信じたい。
「仕方ない事だよ。全くのゼロから魔法を学べば、当然相応の時間はかかる。ましてや無学から始める者と、幼少の頃から環境を整えられていた者とでは、勝負にならない」
言葉に対して、ソルイユは笑みを作ることができなかった。
「仕方ないで済ませられれば、きっと俺はこんなに悩んじゃいない」
「……安く量ってしまった。済まなかったよ」
「いや、俺が八つ当たりしただけだ。こっちこそ悪かった」
正面では、壇上を降りた生徒が、早速声をかけられていた。彼はいくらか話をし、会心の笑みを浮かべている。いい事だ。それがすべての生徒に対して平等に与えられる機会となれば、もっといい。
「朗報、と言えるかは分からないけど」
言いながら、イールは彼らしい笑みを浮かべて、手振りをしてみせた。
「下院に、相当な問題児がいるらしいね」
「お前が言うんだ、ただのじゃじゃ馬じゃないんだろ?」
「なんでも天然の高魔力保持者で、数回の授業で魔法を使って見せたとかいう話さ」
「へえ……」
当たり前だが、魔法を使うのは簡単ではない。技術として高度だ、というのではなく。もっと単純に、今まで意識しなかった新しいことをするからだ。まずは「ある」という事の自覚から始めなければならない。
「そいつなら、上手くいくかもしれない、か」
「問題がない訳じゃないけどね。たとえば、担当の教師がそっちに否定的だとか」
「クラスを変えればいい」
その程度の権限は、ソルイユにある。教師から不満が上がるかもしれないが、黙殺できる程度だ。
「担任がそういう人間なのもあってか、かなり攻撃的らしいね。それに、資質も戦闘方面よりで、期待されているのはそっちだとか」
「そりゃ厄介だな……」
現在、需要という意味では、研究者よりも軍事方面の方が遙かに高い。魔王を倒したと言っても、その残滓は山ほど残っているのだ。とりわけ魔王の力により攻撃的に変質した生き物は、その大半が生存している。魔王に制圧された土地はおろか、各国に散らばったそれすら満足に討伐できていない。
学院で「戦える魔法使い、ないしは戦力として期待できる何か」を生み出す必要はある。これを無視はできない。が、唯々諾々と従ってしまえば。大ソルイユ学院は、死んでも誰も痛まない兵の生産場となりかねない危険を孕んでいた。実際、真の目的はそうしようとする動きはあったのだ。
「いや、悪い方にばかり考えるのはやめよう。そいつが強くなって厚遇されれば、いい前例を生み出せるか」
「最悪を回避するのが君の役割なんだろう? 仕方ない事さ」
「悪いな。それで、その……」
「ネスティアだね」
「ネスティアとやらはどのクラスだ?」
「直接見に行く気かい? やめておきなよ」
「いや、さすがにそんなつもりはないが」
もし見に行けば、一瞬にして話が広まる。しかも、どう広まるかまでは予測できない。誰に任せるかまでは考えていないが。
「私が見ておこうと思うよ。報告書は……そうだなあ、校長伝いに渡せば大丈夫かな。それでいいだろう」
「任せていいか?」
「もちろんだとも! 私は君の友だ。少しは頼ってくれないとね」
「悪いな」
発表会が終わってまで、長々と話してはいられない。勘ぐられて迷惑するのはイールだ。
二人で席を立ち、出口で分かれた。ソルイユはそのまま、次に見なければならない場所へと向かう。
(ちょっと一人で抱えすぎてたかもな……)
心配事は減らない。むしろ増え続けてると言っていい。だが、案外悪い気分ではない。
悩めると言うことは、まだ嘆く必要はない。選べる余地があると言うことなのだから。そして、頼れる仲間もいる。現状に対してはあまりに無力かもしれないが――それでも、一人ではない。
ならば、案外なんとかなるし、なんとかできるだろう。
その感触だけは、確かに感じていた。