03
「ですから、それが間違えているんですよ!」
ヒステリックに叫ぶ声が、ドア越しにも聞こえる。本当に耳に響く声で、思わず今すぐ回れ右したくなった。
というソルイユの意思が伝わってしまったのだろう。アジャヴェの攻撃的な気配が強まった。できていた人だかりが、驚きと共に割れる。
今でこそのんびり教師などをやっているが、アジャヴェは歴戦の戦士だ。それも、リザードマンの中で最強の一人に数えられる。そんな人間が本気の戦意を表したのだから、耐性のない者はたまらない。
「我が行く」
「いや、私の仕事だ。君は戻ってくれ」
「良いのか?」
アジャヴェが問うてくる。
聞かれたところで、ソルイユには、肩をすくめてこう言うしかないのだが。
「私の仕事なんだよ。言いも悪いもない。やるべき事をやるだけだ」
「……承知した」
鷹揚に頷きながら去って行くアジャヴェの背中を見送り。ドアへと向き返った。直接それが見えたのは、アジャヴェによって割られた人混みが、まだ戻っていないためだ。
数歩近づき、ドアを開ける。室内は狭かった。たぶん準備室の空き部屋か何かだったのだろう。机がいくつか置いてあるだけだ。
中では、思っていたよりも数段甲高い声が響いていた。狭いせいで余計に響く。
叫んでいるのは、髪の長さから言って女生徒だろう。対峙している教師も女で、こちらはうんざりしつつも、いい加減怒鳴り返しそうな表情をしている。
ドアが開いた事に気づいたのだろう。二人同時にこちらを向いて――しかし作った表情は別だった。女生徒は援軍が来たというもので、女教師はしまったという表情だ。先に動いたのは女教師で、すぐに頭を下げてくる。
「もうしわありません、ソルイユ様……」
「いい。君たちの苦労は分かっているつもりだ。君がどれだけ努力しているかも。後は任せていい」
「ですが、そういう訳にも」
「いいから行きたまえ。君の仕事はこんなことではない」
「は……重ねて、申し訳ありません」
すまなそうに二度頭を下げると、女教師は去って行った。彼女がドアを閉めるのを確認すると、ソルイユは女生徒に向く。
さりげなく、ローブに目を向けた。上院の生徒だ。これだけで、話の内容はおおよそ予想できた。
「さて、話を聞こう」
「ソルイユ様なら分かってくれると思いました! 聞いてください、今の学院は歪です! 無能者たちは即刻退学にすべきです!」
(やっぱりか……)
予想通りにうんざりした。確認するまでもなく、無能者とは非魔法使いの事だ。
「現実的なやり方ではない。そうは思わないか?」
「そもそも無能者が魔法使いの資産を食いつぶしている現状がおかしいんです! 戦後、食糧供給能力の大部分を魔法使いが補いました。今なおそれが続いています。魔法使いの苦労を理解せず、与えられる事を当然と思っている者たちに鉄槌を下すのは悪ではありません!」
「社会不安の解決に忍耐と奉仕はつきものだ。あとは、どこが泣くかの話でしかない」
「だからと言って、我々の苦労を理解しないのはおかしいでしょう!? 社会をぎりぎりの時点で保たせているのは魔法使いです! ならば無能者にも、ふさわしい態度と待遇がある!」
今すぐ大きなため息をつきたかった。厄介なのは、それを堪える意義が見いだせなかった事だ。
「社会そのものを魔法使いが構築しているわけではない」
「そんなものは詭弁です! 平時であろうと戦時であろうと、そして戦争であろうと! 最も手を尽くしてきたのは魔法使いだ!」
女生徒の口調が戻ってくる。つまりは、ヒステリーだ。
世の中は魔法社会である。魔法使い優遇の世界ではあるが、魔法使い主義社会ではない。単純に、そんなものは流行らない。だが、流行らないだけで、こういう魔法使い至上主義者はいるのだ。
「大ソルイユ学院は、最初から魔法行使能力の如何に関わらず、門を開いている」
「ではなぜ魔法適正範囲の拡大化研究をされているんですか! それこそ魔法使いこそが、という証左でしょう!」
(このアホは、魔法に関係ない研究室がどれだけあるか分かってないのか?)
分かっているかもしれいないし、本当に知らないのかもしれない。が、どちらにしろ関係ないのだろう。都合の悪い部分は見ないものだ。
「では逆に聞こう。私が魔法使いのためだけに魔王と対峙し、そして倒したと本気で考えていたのかね?」
言われて。かっと、その女生徒は顔を赤く引きつらせた。
絶叫でもするのか。身構えたが、そうはならなかった。代わりに押し飛ばされ、ドアを殴りつけるようにして開き、出て行く。その後女生徒がどうしたかは見えなかったが、まあ、外から聞こえる悲鳴を聞く限り、同じような事をしたのだろう。
誰もいなくなった部屋。指先を軽く引き、魔法でドアを閉める。一人の空間ができて、やっとため息を許された。机の一つに手をついて、盛大にため息をはく。
(なんでこう……主義者に限って面倒を起こすんだ。黙ってりゃ何を思ってようが、誰も何も言わないってのに……)
面倒なのは。
女生徒の言葉も、それなりに根拠があるという点だ。だからこそ、ああして絶叫できる程度には支持を集めている。
学院は現在、表面上は平和だ。それは、ソルイユという絶対的な力とカリスマ(らしき何か)を持った存在がいるからだろう。ソルイユは清廉潔白で偉大な人物だ。だから、彼の意に反する事は無様でみっともない事だ――と、なる。
潜在的には、三つの勢力がある。
貴族高弟の一部を主とした、魔法使い至上主義派。
亜人上位種中心の、種族と血筋で分ける血統派。
その他――非魔法使いと亜人下位種中心の平等を唄う混沌派。
ソルイユに言わせるならば、んなもん卒業してからいくらでもやれ。ここでやるな、だ。
(学生だから、そんなことにかまける余裕があるんだろうけどな)
おかげで、問題を起こした生徒を退学にもできない。してしまえば、別の派閥が元気になる。それは確実に、今より面倒だ。
(ポジティブに取ろう。主義を主張できるのは余裕のできた証拠だ)
無理矢理割り切る。
いつまでも、こんなところで時間を浪費してるほど暇はない。おかげで自分が今どこにいるかだけは、ある程度分かったのだし。
動こうとするが、その前にドアをノックされた。
ここに用事か、という考えはすぐに捨てた。使われてない準備室だ。それに、今の騒ぎと、ソルイユが来たことに気がつかなかった訳もない。
「どうぞ」
言うと、ドアが開けられた。そこにいたのは、オーギュストだった。彼は入ってきて、ドアを閉める。
「外はどうなってる?」
「人だかりは散漫です。解散するようにも言いました。すぐにいなくなるでしょう」
短く答えて、彼は苦笑しながら続けた。
「やはり慣れませんか」
「四年前の俺を知っているくせに、面白いことを言う。俺を小僧と断じたオーギュスト公」
「虐めるのはやめていただきたいですな。それと――言葉遣いと内容には気をつけてください。ソルイユ様の言葉には、それだけの力がある」
「分かっているよ、私が悪かった。許せ、オーギュスト校長」
これもまた、懐かしい話だ。
ソルイユはオーギュストの顔を見た。あの頃――四年前とほとんど変わらない。まあ、成長期であったソルイユならともかく、老成していた彼に変化が乏しいのは当然だが。だが、違いも当然ある。たとえば、昔の突き刺すようなとげとげしさは、今はなくなっているとか。
(それは関係の変化か)
頭を掻く。
本当に、最近は昔を懐かしむことが多い。木彫りのネームプレートなぞを見つけたからだろうか。
「……我々を恨んでいますか?」
唐突に――本当に予想外に、そんなことを問われる。
「何の話だ?」
「我がアルタンス王国は、貴方様を見つけた当初、使える道具として扱いました。最終的にその決定をしたのは……貴方様も知っているでしょう、私です。私の執政解任は、事実無根でもありません」
「ああ、そのことか」
知っている。知らないわけもない。なにせ、身にしみているのだから。奴隷同然に扱われていた頃の思い出は、今でも笑えるものではない。
「恨んでない、と言えば嘘になるけどな。私も子供だったし、今更言っても仕方ない、と思えるようにはなったよ。分かっているだろう? さっき魔法使い至上主義を叫んでいた奴、私はあれより分別がなかった」
「ソルイユ様……」
苦言を呈しそうになったオーギュストを、手で制する。
「もう言わん。……では聞こう。今更意趣返しをしたとして、誰が喜ぶ? 君は私という人間をよく知っているし、今懺悔しても、アルタンス王国には何もできない――そう見越しての発言だ。私が思い切り罵詈雑言でも吐くことを期待したか?」
「いえ……」
詰まる。言い返せるはずもない。
少し意地悪をしすぎたか、と思わなくもないが。
「ならば、こう言うしかない。負い目を感じるならば学院に尽くせ。後は……そうだな。たまにお前を虐めるのくらいは見逃せ」
「……ありがとうございます、大賢者様」
言いながら、オーギュストは恭しく頭を下げた。
昔とは立場が真逆だ。おかしな気分ではある。
ソルイユは扉の方に意識を向ける。人の気配はしなかった。それでも、一応は念を入れておくことにする。
「閉ざせ」
言うと、室内は閉鎖された。単純に鍵がかかったのではなく、空間的に隔離されている。さほど防諜能力の高い魔法でもないが、ちょっとした密談には使える。
「ちょうどいいからこのまま話そう。学院が本格的に開いて、まだ半年と少しだ。その割には、学生運動が活発すぎやしないか」
「仕方がない、と捨ててしまえば楽ですが……単純に娯楽がないのでしょう。どこもかしこも余裕ができて、暇をもてあましています」
「どこかの陰謀、という訳でもないんだな?」
一番ありえそうな事と言えばそれだ。
すべての国の有力貴族が一同に集まる学院は、力の駆け引きをするにはもってこいの場所だ。
自分がいる限り、そう派手な事もできまい、とソルイユは思っている。だが、オーギュストを校長の座から引きずり下ろして、自国(もしくは強い関係を持つ国)の人間を添えるくらいはするだろうとも思っている。
「ありません。未だどの国も、陰謀にかまけていられるほど余裕はありません。それに、大賢者の不興を買うほどの事でも。行動が無軌道かつ単発なのも、それを裏付けています。繰り返すようですが、元々相容れぬ上に、暇なのでしょう」
「そうか。まだマシだと言うべきか、どうしようもないと言うべきか……」
「サーカスでも呼べば、一時しのぎにはなりますが」
「本当に一時しのぎだな……」
が、一時……それこそ一月や二月程度でも時間を稼げれば、次の手を打てる。
「スポーツだな、球技がいい。大会でも作って定期的に開催すれば、見る側もやる側も熱狂できる」
「それはそれで、どこの伝統球技を行うかでもめそうですが……」
「大丈夫だ、腹案がある」
こういう時、異世界出身というのはありがたい。どこの国にもなく、かつ魔法使用を前提としない球技がいくらでもある。道具を用意するが簡単だという意味でも、サッカーあたりがいいだろうか。授業でしかやったことはないが、大まかなルールくらいは把握してる。細かいところは……こちらの事情で改めて作られればいい。最悪、それほど流行らず消えたってかまわないのだし。
「サーカスに新スポーツの公布、道具の用意……金がかかりますな」
「それも問題ない」
「……またですか?」
どこかから金を引き出す手がある、というのではなく、ソルイユのポケットマネーから出すだけなのだが。各種魔法の権利やら各国からの恩賞やらで、金だけは無駄にあった。
「どのみち使わなければならない金だ。ちょうどいい」
「限度があります。ただでさえ貴方様に依存していると言うのに」
「なら、早く依存しなくていい世の中を作ってくれ」
言うと、オーギュストは諦めたようにため息をついた。
「……学院内だけでやれば不満が上がりますな。自治区内にも公布しませんと」
「その話し合いを、お前に任せるわけにはいかない、か」
「越権になります。がんばってください」
「だよなぁ」
各地の代表を呼んで、そちらでもサーカスが開かれるように話し合わなければ。スポーツの参加は……さすがにそこまで余裕はないだろう。だが、将来的には参加の希望があるだろう。
すべてのグラウンドをソルイユが作るわけにはいかない。道具もだ。うまく広まれば大きな市場になる。仕事が増えれば、豊かな者が増える。
まあ、流行ってない段階では誰もやりたがらないし、流行ったら流行ったで、仕事の奪い合いが生まれる。それを収めるのは、やはりソルイユの役割だ。どうあがいても仕事は――それも多大に――増える。
(いや、よそう)
頭を振って、下向きの考えを捨てた。
金があるだけマシだ。金策こそが一番難しいのだから。
「人材、どこかにいないものか……。各地の意見をまとめられる奴が」
「有能な者は必ずどこかが抱えています。どこかからわき出てくるのを期待するしかありませんな。それこそ、ソルイユ様のように」
「私がもう一人増えたところで、どれほども役には立たないよ。ないものをねだるよりは苦労するしかないか」
その言葉を、魔法解除の呪文代わりにする。外から少しばかりの喧噪が聞こえてきた。
部屋の外に出る。空気はどこか生ぬるく、仕事はまだ、何も終わっていない。