02
《大賢者の塔》の1階から7階までは、8階以降のフロアより数十倍の広さがある。それっぽい見た目という事で円柱の形をした塔だったが(本当はは四角い、ビルのような形にしたかったが、猛反対された。まるで監獄のようだと、との事だ。おかげで現在、非常に使いにくい)、下層は孤形に広がっている。
はっきり言って《大賢者の塔》は8階以降も十分に広い。なにせワンフロアごと研究室として使っているのだ。ではなぜ下層をそんなに広く改築したかと言うと、理由は簡単、学校を開設するためだった。
終戦当初、世界は非常に荒れていた。餓死者が溢れかえり、無数の孤児と食うに困った民が、盗賊へと身をやつした。軍で彼らを押さえ込もうにも、そもそも魔王軍(軍と呼べるほど洗練した組織ではなかったが)による打撃で、組織を維持できないレベルで壊滅していたのだ。
ソルイユが終戦後、全身に包帯を巻きながら行ったのは、食料生産だった。
穀物類を強制成長させる魔法を開発し、それを公開した。疲弊した魔法使いは集められ、全力でそれを行使する。当然、開発者であるソルイユもだったが。そもそも単位あたりの生産量が低く、思うような成果は得られなかった。
魔力が戻ってきた頃には、同時に塔の建設も始めた。この頃はまだ《大賢者の塔》などという大それた名前はなく、階層も10階程度であった。
いい加減ながらも建設が済むと、中で研究を始める。品種改良だ。
魔法で遺伝子にまで手を入れられるか否か――これは是だ。だが、ソルイユはできなかった。遺伝子工学に対する知識がなかっためだ。仕方なく、古来より行われてきた方法――品種の掛け合わせによるトライアンドエラーを塔内部で、短期間に山ほど行う。その結果、米(のような何か)や小麦(のように使われる何か)や芋(に見えなくもない何か)や、その他数十種の穀物と野菜に手を入れた。うまくいかなかったものも多かったが、病に強く、生産量も多い成功作も大量にできあがった。
それらは現在、大陸中で栽培され、飢える者の数を大幅に減らしている。
とまれ、社会的不安の話だ。
食糧増産による一時しのぎは、一応は成功したと言っていい。なんとか主要箇所には行き渡ったのだから。だが、犯罪に手を染めなければならない者たちは、相変わらず飢えていた。そのうちの一つ、孤児を何とかする方法として選ばれたのが、学校の開設だ。
盗みを働いていた孤児たちのうち、程度の低かった者を(重犯罪にまで手を染めていた者たちは、さすがにどうにもできない。食えないから仕方ない、と言っても、超えてはならない一線は存在する)半強制的に学校へ詰め込んだ。職員は有志を募った。ちなみに現在、融資職員の大半は元の生活に戻っている。
孤児たちに食事を与えて、教育と、なにより道義をたたき込む。
一度下がったモラルを回復するのは難しい。ましてや子供の時に味を占めてしまえば、将来に大きな不安を残すことになる。
つまり、当初は学校という名目で少年院のような役割を果たしていたのだが。
すぐに問題が発生した。不満が持ち上がったのだ。
子供を強制収容させるような施設は、きっぱりと非人道的だ――という、当初想定していた発言があった訳ではなかった。大賢者が開設した学校ならば、うちの子も入れさせろ。なぜ犯罪者ばかりを優遇するんだ。という声が上がったのだ。
これには、ソルイユだけでなく、協力者であったアルタンス王国の役人も驚いた。まさか額面通りの受け取り方をして、ハメてくるとは思わなかったのだ。
大賢者は魔王討伐の英雄であり、多大な力を持っている。それについては、ソルイユも否定しない。各国がアルタンス王国に働きかけ、ソルイユを引きはがす……とまで行かずとも、占有させないよう働きかけてくるとは思っていた。だからこそアルタンス王国もソルイユもわざと隙を見せ、口実に使いつつ資金と人材の提供をさせようとしていたのだが。まさか、想定とは正反対の方向で潜り込みにくるとは思わなかった。
かくして――
経営が軌道に乗れば、手放すはずだった名もなき学校は。大賢者ソルイユが責任者を務める、数万人の学生と研究者を抱える世界最大の総合学校《大ソルイユ学院》として再出発せざるをえなくなったのだった。
(つまり、自業自得なんだよな)
すべての国が等しく疲弊し、余力をなくしていた。そんな状況で、わざわざ手間のかかる方法で攻めてはきまい。そんな甘い目算が、現状の「明確な立場はないがとにかくいろいろやらされる」立場につかされていた。
(でも、結果としては向こうの勝ちな訳だ)
現在、学院は生徒・教員共に、現存する24カ国すべての人間がいる。つまり、研究成果も(多少の綱引きはあれど)各国に巡るわけであり。当然それらは各国の復興と発展に役立っている。
どこか一国が倒れれば連鎖的に無数の国が倒れ、暗黒時代に逆戻りしかねないのが現状であり。この成果は、ありがたいと言わざるを得ない。
(本当に政治家って怖いわ。一生そっちじゃ太刀打ちできないだろうな)
考えながら、首をひねる。
と、ソルイユの隣にたっていた者が、びくりと震えた。
「ソルイユ様、何か問題があったのでしょうか……?」
おどおどと、男が話しかけてくる。彼もまた、ソルイユよりは一回り年長なのだが。非常に腰が低かった。
「いや、なんでもない。少し考え事をしていた」
手を振って答える。相手は見なかった。顔を合わせると、思わず頭を下げそうになる。
気を取り直して、提出された資料に目を通した。
「魔法習得率は87%か……」
「はい。この数字はかなり高いものかと」
「元から使えた者を抜くと?」
「それは……」
言いよどむ男に、先を急がせるような真似はしない。そちらはけしてほめられた数字でない事は、最初から分かっていた。
「正直に申しますと、ただでさえ基礎学力がなく、しかも学ぶ意欲のない者が混ざっています。難しい試みだと言わざるをえません」
(教える意欲のないやつが何を言ってんだ)
そう言ってやりたいところだったが、口は噤む。彼ら曰く、学ぶ意欲がない者――孤児に対する態度は確かに問題だが、全くの嘘というわけでもない。貴族の高弟として送り込まれた者とでは、平均的な熱意が桁違いだ。教師の立場を考えれば、安易に叱ることもできない。
取り入ったところでたいした得もなく、しかもやる気のない生徒。大手スポンサーの縁者で、しかもやる気に溢れている生徒。誰だって後者に対して時間を割く。
だが、それで終わらせる訳にもいかなかった。
「分かっている。だが、これが成功すれば、今までは魔法使いとして不適合とみていた者たちを数に入れられる――魔法使いの不足を解消できる。何も今すぐ成果を出せと言っている訳ではない。数十年と見ていく仕事だ。忍耐力がいる。だが、君ならできると信じている」
「は……はっ!」
感極まった様子で、男は去って行った。
(まあ、成果は出なくてもいい訳だが)
そんなことを、ひっそり独りごちる。
ソルイユの目的は、この時点ですでに達成されていた。もちろん、達成したら達成したでいいことなのだが。
入学した者全員が、同じ教育を受けられる。これが重要だった。
この世界は魔法社会だ。魔法使いが貴族として世界を支配している、などという事はない。どの国も国民の半数以上が程度の差こそあれ、魔法使いなのだから。だが、慣例として魔法使いが優遇される社会でもある。
ただの民間人であれば、魔法を使えなくとも問題ない。だが、すねに傷のある孤児な上、魔法も使えないとなれば雇いたがる者は限られた。だが、魔法使いと同じ教育を受けられれば、学のある存在として希望が見えてくる。
大ソルイユ学院は、魔法使いのための学校だと思われている。そうではない、と言い切れないところが悩ましいところだった。
魔法適正範囲の拡張、というお題目で、なんとか非魔法使いも普通に通える学校にしたい。それがソルイユの願いだった。自分のせいで魔法使い主義に傾いた世の中になる、などというのはごめんである。
紙を撫でて、亜空間にしまい込む。同時に別の、何枚かの紙を取り出しながら、部屋を出た。
(魔法具、新型付与魔法研究か……。一度顔を見せておいた方がいいだろうな。経済学、これは完全に門外漢なんだが……。だからと言って、無視するわけにもいかないか)
頭を揉んで悩む。結局、無視していいものは一つとしてない。無視できないという事は、知ったふりをしていなければならない。
(知ってたか? 俺なんかよりお前らの方が、よっぽど優秀なんだ)
呟く。それは誰にも届かないが。
いつかソルイユの言葉など無視して、世界に羽ばたいていくことだろう。それは、なんというか、そう。とても悪くない。
残りの紙にも目を通しながら、廊下を歩いて。ふと気がつく。
(そういえばここってどこだったっけ?)
とぼけたことを考えて、周囲を見回し始めた。
きっぱりと間抜けな行動なのだが、この学校では、案外同じ事をする者が多かった。
(学生の最大受け入れ人数が15万人……現時点でも8万人を超えそうだし。それを本校舎一つで受け入れてるんだからな……。しかも、代わり映えのしない景色が多い)
むしろ、学生は一度必ず迷う。だから、必ずどこかに案内板がある。
そもそも、前はテレポートで直接移動がほとんどなのだ。分からなくても仕方ない。今――というか最近――なるべく歩きで移動しようとしているのは「魔法才能の有無に依らない学校」を指標しているのに、その張本人が魔法をひけらかすのはよくないと考えたためだ。
気にしないならばそれでいい。だが、そんなくだらないことが、火種や口実になる事もある。
あるかどうかも分からない危険への対処というのは、精神的にキツいものがある。だが、最悪を考えると、しないわけにもいかなかった。少なくとも、魔法という技術がもっと個人の才能に頼る比重が低くなり、かつもっと明確に、マジョリティになるまでは。
近くにあるはずの案内板を探そうと、歩き出す。ふと、近くの教室で声が聞こえた。
中では年齢、種族様々なクラスの生徒が、教壇にたつ先生の話を聞いている。
(ここは下院クラスの授業か)
学生の区分には、大分して上院と下院の二つがある。上院が大学で、下院が小中高だと思えばわかりやすい。上院では普通の授業のほかに、「研究」や「開発」と言った事も行えるようになる。下院では完全に勉学のみだ。
各国の意見と人員を取り入れ始めると、基礎学力に致命的なほどの差が出てきてしまった。どちらにしろ、彼のソルイユが主催する学校で、まさか杓子定規な授業しかしないとは。と言われる訳にもいかなくはあったのだし。上院と下院ができるのは、自然な流れだったと言える。
下院では約3ヶ月に一度、昇級試験があり(同時に卒業試験も行っており、こちらは昇級試験よりは難易度が低い。とはいえ、まだ卒業者はいないのだが)、それにパスすると上院へ編入される。やる気がある生徒ほど、早く上院へと向かえた。ちなみに、成績不良である場合の退学規定は、未だない。様子を見ながら、時間をかけて見ていくルールだった。とはいえ、それほど長々と時間はかけないだろうが。
現在、上院への入学は非常に難易度が高いが、反して下院は無学でも入学できる。はっきり言って、入学試験などあってないようなものだ。初期の目的が目的なため、ここを狭くしてしまえば意味がない。とはいえ、いつまでもただのお荷物を養ってやる訳にもいかなかった。今は食料を学院が(というかソルイユが単独で主要野菜と穀物の生産をしている)用意しているのだが、これも遠からず普通に供給されるようになる。同じ頃に、下院の入学試験も導入されるだろう。
普通の国営組織(いや、国際経営か)になれば、学費を払わなければ技能も見せないものに、居場所はない。
問題は、その頃までに情勢がどれほど回復しているかだ。もし回復しきっていなければ、退学者は最悪逮捕される。忘れてはいけないのは、下院の多くは元孤児であり、軽犯罪者だと言うことだ。
(せっかくこんなところを作ったんだ。退学になんてならないでくれよ)
さすがに、退学者まで庇う気はない。そこまで面倒見きれないというのもあるし、そんなことをすれば明確に越権行為だ。
(と、いつまでも眺めてるのもな)
どこから顔を見せるのか、というのも悩みの種ではあったが。とりたてて今必要なのは、案内板だ。
「賢なる杖君よ、惑われたか?」
不意に――
後ろから声をかけられて、ぎくりとした。顔に手を当てて、表情を確かめる。緩んでいるのを確認し、締め直した。つまりは、大賢者ソルイユのそれに。
振り返って、言葉を返す。
「アジャヴェか」
「然り」
そこにいたのは、一言で言えばトカゲ人間だった。
非常に大きい。人間のそれとは比較にならないレベルであり、目算だが2メートル半はあるだろう。これで陸鱗族の中では、比較的小さい方だと言うのだから恐れ入る。おおまかなシルエットは人間なのだが、逆に細部はは虫類のそれだ。全身を鱗に覆われ、手足には鋭い爪がある。顔立ちはトカゲと人間を8:2で混ぜたようである。その大きな体を、ソルイユと同型デザインのマントで包んでいた。
アジャヴェ。《黄昏の時》終期近くの仲間であり、学院開設の際に苦労していた時、手を貸してくれた恩人でもある。見た目の厳めしさに反して、気のいい奴だ。
とはいえ、ソルイユの素を知っているわけでもなく。気が抜ける相手ではない、というのは面倒ではあった。
「ああ、迷ってしまった。済まないが、道を教えてくれ」
「我らが賢なる杖君の要望とあらば否はない。何処ぞへ行かれる?」
「そうだな……魔法研究第七群へ」
「賜った」
重々しく呟き、アジャヴェは歩き出した。その背中を追う。
ちなみに、リザードマンはみんなこんなしゃべり方だ――と思ったら、年寄りのリザードマンは普通にしゃべっていた。どうやらこの口調は若者の中で流行っているだけらしい。そんなことを長々とリザードマンの長老に愚痴られ、幾度も出た言葉。「最近の若い者は……」興味深い台詞ではあった。つまるところ、差などたいしたことではないのだろう。人であってもリザードマンであっても。
長老の奥さんに話を聞くと、長老も昔は同じようなかぶれ方をしたのだとか。老女は自分は違うと言いたかった様だが、たぶん彼女も似たようなものだろう。こんなところまで、人のそれと変わりはしない。
(こうしてると昔を思い出すな……)
小さく、アジャヴェにも聞き取れないほど小さく笑う。
彼と共通の思い出と言えば、学園か戦争なのだが。懐かしいとなると後者だ。
いい思い出などあろうはずもないが。時間がたてば、笑えはせずとも懐かしむくらいはできるようになる。
「そうだ」
ふとつぶやき、アジャヴェはこちらを向いてくる。
「賢なる杖君よ。先ほど同士が愚なる貴徒に煩わされていた。主を懊悩さするべきではなし、とも思ったが、伝えぬも不誠実故に」
「…………」
ソルイユは大きく頭を抱えた――という事はしなかった。ぎりぎりの部分で、なんとか自制心を働かせる。表情まで保った自信はなかったが。
「すまない。進路をそちらに変えてくれ」
「承知。……賢なる杖君よ、そう暗然とする勿れ。我らはいつでも主の側に立つ」
「そう言ってもらえると助かる。本当にな」
一言感謝を告げて、問題児が暴れている方向へと続いて歩いた。