[2―1]羅針盤いらずの螺旋行路
俺たちは立て続けに四階へ向かわず、エレベーターで一階に降りた。
メイド成分を補充──というのは冗談で、英気を養うためだ。あと情報を仕入れたい、という思惑もあった。
「お待ち申しておりました、ケン様。お茶の用意ができております」
百点満点のドッペルちゃんスマイルで、期せずして美幼女成分が充填された。この笑顔を拝むため〈塔〉の頂点目指すといっても過言では……あるな。
危うく己の目的を履き違えるとこだった。
ううむ。このあどけなさは、もはや『罪』と言って差し障りない。
俺たちはフロアの壁際にあつらえられた、四人がけテーブルにめいめい着席する。
「召し上がってください」
ドッペルちゃんが温かい紅茶を差し出してくれた。
「うまっ。すげえおいしいよ、ドッペルちゃん」
「お口に合ったようで何よりです」
うん。五臓六腑に染みわたるとでも評すればいいのか、至高の味わいだ。合作の大橋をかけたことにより感じ始めた倦怠感が、吹き飛んでしまった気さえする。
思念体に食欲はない(空腹感自体ない)ものの、食物を摂取することで滋養強壮ならぬMP回復に、一定の効能があるかもしれない。無論ここで補給するのは、マテリアライズなどを使用するための原動力である。
『物質化能力の残量確保は仮眠のみ』と思いこんでたので、棚ぼたに近い新発見だ。おいおい試行錯誤するとしよう。
ひとしきり和気あいあいと談笑したあと、俺は切り出した。
「ドッペルちゃん、いくつか教えてもらいたいんだ」
第一に尋ねたのは、他の思念体と鉢合わせしない理由だ。
俺たちは三階まで到達する間、一人のプレイヤーとも接触してない。もしかすると手の届かない上層階まで駒を進めているのでは、と気が気でなかった。
「こちらのフロアは例外ですけれど、ほかの階層でご主人様同士が顔を合わせることは、まずないと愚考します。二階から上は、パラレル空間も同義ですから」
どうやら〈塔〉のフロアは、チームが足を踏み入れるたび、構造を変化させるらしい。
すなわち俺たちが体験した二階と、他の思念体が経験した二階は別物なのだ。アバター同士でのフロア攻略法の伝授は、意味をなさないことになる。
次に尋ねたのは、首位のパーティーがどこまで進んでいるか。
「現在のトップスコアは一二階でございます」
俺たちは三階──思いのほか離されている。巻き返さないと。
そこで俺は、重大な聞き漏らしに思い至った。
「うっかり聞きそびれたんだけど、〈塔〉の頂上って何階なんだろう」
ドッペルちゃんのおさげ髪がしおれたように見える。
「わたくしにも分からないのです、ケン様。お力になれず、誠に申し訳ございません」
我が耳を疑った。
だって水先案内人が全貌を把握してないなんて与太話、あるのか。
終着点が秘匿されたマラソン、みたいなものだ。自分がどこまで走ったのか不明瞭など、勝負の駆け引きもへったくれもない。
幼女メイドは申し開きせず、唇を真一文字に結んでうつむき続けた。
≒ ≒ ≒ ≒ ≒
「なー、ツバサ。ドッペルちゃんの言葉、どうみるよ」
俺は坂道を登りつつ、傍らに尋ねた。
現在地は〈塔〉の四階。内部の造りがこれまでと豹変していた。
『洞窟』という言い回しが、しっくりくる。
岩盤を横穴式に丸くくり抜いた構造で緩やかに傾斜していた。しかもソフトクリーム状にとぐろを巻き、上に向かう一本道で枝分かれしていない。チーズの穴みたいにくぼみが点在するエリアはあったものの、たかだか人間ひとり入れる程度の行き止まりだった。
少なくとも迷子の心配はなさそうだな。階層の体積を度外視してるっぽいのが気がかりだけど、夢に整合性を求めるのはご法度だろうか。
そして湿気と不快指数の高い空気。天井にコウモリがいても驚かない。
というか蛇が大群でうごめいてきたら、どうしよう。ううっ。俺、失禁は言うに及ばず、泡を吹いて失神するかも。そんな醜態、ソフィアに見せたくない。
もっけの幸いは壁にヒカリゴケでも生えているのか、電飾なしでも足元が見えること。ここへ至るまで罠が起動する気配もなく、平和そのものだ。
退屈なので雑談に興じる余裕もある。
ちなみに二階と三階で見かけた張り紙はなかった。ノーヒントってこと。
ツバサはスポーツ選手然と息一つ乱さず、登坂している。
「ふむ。ケンが気をもむのは、『最上階不確か説』の真偽のほどか?」
「根っからの正直者な彼女に限って、虚言なんて吐かないよ」
「性善説か。おまえらしいな。ただ宗旨替えしろとまでは言わんが、心したほうがいい。無条件で他者に全幅の信頼を寄せるな。人は偽る生き物だ」
ツバサが前方に視線を固定しながら諭した。
「その持論がまかり通るなら、おまえもホラ吹きになるぞ」
「ああ。ぼくだって、隠しごとの一つや二つあるさ」
意味深な即答だ。おふざけなのか、判別がむつかしい。
「ソフィアくんにもあるだろう」
「わ、私は秘密なんて……」
予期せぬ無茶ぶりだったからか、追随してくるソフィアはしどろもどろになった。
「よせよ、ツバサ。異性相手に度が過ぎると、セクハラになる」
たまらず俺は制止した。ちゃちな内輪もめで、ぎくしゃくしたくないし。
ただ、俺の心配りは無用の長物だった。彼女のお耳に入らなかった模様なので。
「内緒にしたかったわけじゃないけど、今まで話すタイミングを逃していたことだったら、あるかも。私、女子校に通う傍ら、読者モデルのバイトやってて」
「なんですと!?」
俺は度肝を抜かれた。
「ソフィアって、読モなの?」
「え、ええ。一応。『ソフィー』という芸名で何度かファッション誌に写ったことがある程度だけど」
「それでも大したもんだよ。なるほどな、道理で」
お人形さんみたいに目鼻立ちが整ってるわけだ。決してけばけばしくないけど、人目を引くもんな。チャラ男からひっきりなしに求愛されてそう。
の割に、彼氏の影が見え隠れしないってことは、貞操観念がしっかりしてる証か。深窓の令嬢っぽいし、ツバサと一緒で育ちがいいんだろうな。
「やめて。まじまじ見ないで」
ソフィアは足を止め、両手で顔面を覆った。
図らずも俺は彼女をガン見してしまったらしい。
「色メガネとか偏見、好奇のまなざしにさらされるの、耐えられなくて」
彼女は以前『絡みつく目線が不得手』と明かしてくれた。にもかかわらず、ぶしつけに凝視しちゃうんだから、俺もつくづく思慮が足らない。
猛省せよ、阿部倉ケン。ソフィアに愛想尽かされて脱退されたら、我がチームにとって痛恨の極み──などと御託並べたけど、単に俺のエゴだ。
彼女と離れたくない。だから言葉と態度でもって気持ちを示そう。
「デリカシー足りなかった。ごめんよ、この通りだ」
深々と頭を下げてから、ソフィアと向き直る。
「で、つかぬことをうかがいたいんだけど、『好奇』じゃなくて『好意』のまなざしでも生理的に嫌悪感あるかな」
ソフィアが指の間から、うさんくさそうに俺を見返す。
「好かれることを毛嫌いするほど、へそ曲がりじゃないつもりだけど」
「合点承知。じゃあ今後、俺は君に最大級の好意を持って接するよ。『好き好き大好き超愛してる』ぐらいの勢いでね」
「~~~~っ!」
ソフィアはしゃがんでしまい、再び自分の殻に閉じこもった。
絵に描いたような逆効果だ。
「ど、どうして。俺はソフィアが望むこと、しただけなのに」
「おまえは悲しくなるほど両極端だな。世の中には白黒つけられないことだって、ごまんとある。中庸な道を探求するといい」
ツバサが『バカは死ななきゃ治らない』という感じで言った。
≒ ≒ ≒ ≒ ≒
『見ざる聞かざる言わざる』状態と化したソフィアをなだめるのは、難儀した。
俺の呼びかけには徹底黙秘。それどころか、態度を硬化させていく節すらある。
ツバサが渉外担当役をチェンジすると、ソフィアは耳をそばだてた。
「ケンは乙女心のなんたるかを、微塵も理解していない」
この説得が決め手となり、彼女は立ちあがった。ついでにほっぺたを膨らませて、俺へご立腹の意を示してみせたものの、逆に愛らしい仕草で参ったことは秘しておく。
というか俺が咎人扱いされることこそ、承服しがたいんだけれど。あまつさえツバサの知ったかぶり。俺が寡聞にして女心を存じないのは認めるにせよ、やつだって造詣が深いなんて滅多なこと言えないだろうに。
この『ただしイケメンに限る』的な情状酌量のされ方が、しゃくに障る。
ま、ないものねだりほど見苦しいものはないか。ルックスのビハインドは承知の上。
いかに俺が清廉潔白な男か、行動で示してやるよ。一寸の非モテ男にも五分の魂はあるのだ。具現化能力よろしく妄想が現実になる様、刮目するがよいぞ。
さすればソフィアにしちゃったあまたの不始末も、水に流すことが──
「何か音が聞こえないか」
ツバサが耳たぶに手のひらを当てた。
「え、どんな音だよ」
モノローグに呼応して、なんらかのトラップが作動しちゃったんだろうか。俺も前方に耳を傾ける。
「地鳴りというか……次第に大きくなってくる」
ツバサは目を閉じ、両耳に手を添えていた。
「あっ」
俺にも『ゴゴゴゴッ』という不協和音が感知できた。