[1―6]一寸先は地獄の一丁目
「では皆様、〈塔〉への挑戦にあたりまして、何かご質問ございますか。ご所望とあらばわたくしの持ちうる知恵を、余すところなくお披露目いたします」
幼女メイドがにこやかに語りかけてきた。
「たとえばの話、不明点が浮かぶたび、小出しのチュートリアルってのもありかな」
「ご主人様は随時のレクチャーを、ご希望ですか」
「なんちゅーか固定観念ないほうが、俄然のめりこめる気がするんだよ。俺、攻略サイトとか事前に見ないたちなんだよね」
メイドさんが合点と手を打つ。
「マニュアル至上主義に対する反骨精神ですね。おみそれしました」
そんな大層なものじゃないよ。彼女、案外アホの娘なのかも。
「無論マスターがお望みでしたら、いついかなるときでもご説明するのはお安いご用です。さしあたり、お知りになりたいことはございますか」
「えっと。君の名前、かな」
「もっと有用な疑念はないのか」
ツバサが異を唱えた。
「でも呼称未定っつーの、何かと不便じゃん。それでなくとも彼女、百面相なんだし」
ソフィア視点だと『彼女』ですらないもんな。
「わたくし、名前はまだありません」
『吾輩は猫である』の冒頭みたいに彼女は言う。
「というか新鮮です。わたくしに名を尋ねるお方は、今までいらっしゃらなかったので」
彼らは彼女をモブキャラ扱いしたに違いない。旅の情報のみくれる『村人A』に、取り立てて名称などいらないから。
でも彼女は路傍の石なんかじゃない。思考し、寄り添って語り合える。プログラミングされただけの存在じゃ、マネできない芸当だ。
「そんじゃ俺たちで決めるか。うさぎちゃん(改)──って、俺にしか通じないし。万人受けしそうなのは……おっ、ソフィアの素案をアレンジしようかな」
「私、何も見解を表明してないけど」
「開口一番言ったじゃん。ドッペルゲンガーって。そいつからあやかり、『ドッペル』にしよう。俺は『ちゃん』づけするけど、敬称は思い思いで。あっ。ネーミングにかまけて、こっちが名乗り忘れてたね。俺は阿部倉ケン。愛想なし美男子が榊ツバサ、美麗パツキンJKが宝翔ソフィアさんだから」
「ドッペルちゃん……。安易で壊滅的にかわいくないね」
ソフィアには含むところがあるらしい。
「耳に残るフレーズですね、阿部倉さま」
幼女メイドのドッペルちゃんは、双眸を輝かせた。俺と似た感性のようだ。
「本人が了承するなら、外野がつべこべ言う筋合いなんてないけど。軽率な私のせいで、ごめんなさい」
ソフィアがドッペルちゃんに謝った。
「いえいえ。わたくしにはもったいない愛称ですから」
「嫌味ったらしくない分、不憫。私があなたに成り代わり、不埒な名づけ親を懲らしめてあげるから」
ソフィアが俺ににらみをきかせた。虫の居所が悪いらしい。
『美麗パツキンJK』が社交辞令ぽかったかな。
ツバサが彼女の尻馬に乗る。
「ならばケンが二階のステージで露払いを務める、という灸の据え方でいかがかな」
「妥当な落とし所、かもしれないね。ツバサくんの罰則でいこう」
ソフィアは得心いった風情だ。
ただしこのお仕置き、前提条件からすでに破綻している。
俺は先陣切ることを特段苦役と思わないもの。むしろ望むところだ。
ツバサが険悪になりそうな俺とソフィアを見かね、助け船を出してくれたんかな。頭が切れるだけあって、ナイス機転だ。
「そしたらドッペルちゃん、ちょっくら攻略してくるよ」
俺は軽口たたいて出立を告げた。
「かしこまりました。ご武運をお祈り申し上げます、阿部倉さま」
最敬礼する幼女メイドを尻目に、俺たちは階段に足をかけた。
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二階に着くと、デジャヴに襲われた。
一階と酷似した景観なのだ。
相違点は柱が一本もないことと、愛くるしいメイドがいないこと。人影どころか生物の気配すらしない、まごうことなき無人エリア。
残る差異は、階段を登り切った先に古ぼけた一枚の張り紙があることくらいだ。
「なになに。『灯台もと暗し』か。含蓄あることわざでも、披露したかったのかな」
俺は掲示物から注意をそらし、再びフロアを一望する。
出口のレイアウトも、下の階と変わらない。真正面の壁には段状の足場、階段がある。進行を阻害するトラップはおろか、遮蔽物の一つもない。
「ちょろい面で幸運だな。拍子抜けでもあるけどさ。罰ゲームに従い、俺が先導するよ」
俺は失望感を抱えながら前へ進んだ。
行軍は順風満帆。中間地点までノンストップだ。
ま、深刻に悲観するほどでもないか。まだ出だしだもんな。
上には血沸き肉踊るステージが控えて──
突如足元の石が消えうせた。代わりに、直径三メートルほどの空洞がある。
こんな大穴、なかったはずなのに!
「ケンくん、落とし穴!!」
ソフィアのアラートは遅きに失した。俺はとっくに落っこちていたから。
刹那の浮遊感に包まれ、自由落下を始めた。つられて視線が下方向へ。
暗がりの中、床が見える。
底なしの奈落ではないようだ。ただし懇切丁寧に、土や芝生が敷かれていない。
あるのはおびただしい数の剣山──隙間なく突き立ったもろ刃のソードが、アリ地獄にはまった愚か者を待ち構えている。
俺は死に物狂いで手を伸ばし、穴のへりにつかまろうとした。
でもかするだけで空を切る。
万事休す。俺はひしめく白刃で串刺しになり、生涯の幕を下ろすのか。
『せめて走馬灯を観賞したい』と思った矢先、
「ぐえっ」
俺は腰付近を引っ張られた。体が『く』の字で宙づりになる。目と鼻の先に、ぎらつく切っ先の束が迫っていた。
首を後ろに回すと、ツバサがふちで踏ん張りをきかせ、ワイヤーを引いている。
「こんな序の口で、脱落するな」
命綱が、俺のズボンのベルトをホールドする金具らしきフックと連結している。
工事現場で用いる安全帯だ。とっさにツバサが具象化したのだろうか。
「か、間一髪だったよ。ついでに引き寄せてくれないか」
「すまん。体重を支えるので手いっぱいだ。自力で登ってこれないか」
「りょ、了解。なんとかしてみる」
俺は縦穴の壁面に手を触れ、想像する。
壁の一部がでっぱった。間に合わせの足場ができる。
穴の頂上に沿って突起物を何個も作り、崖登りする運びとなった。足場を思いのままに作れるので、ロッククライミングと似て非なるものだが。
てっぺんまでよじ登り、「ファイトーー、いっぱ~~つ」の栄養ドリンク剤CMっぽくツバサに腕を引き上げてもらう。
「ふぃ~~」
九死に一生を得て人心地つき、俺はへたりこんだ。
まさかしょっぱなから死にかけるとは。ツバサがいなきゃ、即アウトだったろう。
合点いったぞ。『灯台もと暗し』は、この罠への伏線なのか。
微妙な注意喚起だな。直截的すぎも考えものだけど。
俺が腹の底で毒づいていると、素肌をぺたぺた触られた。
「何なさっているのでせう、ソフィアさん」
「穴だらけになってないかのメディカルチェック」
「そんなのたやすく見分けつくっしょ」
「だって血が出ないのよ。ケガの程度は本人以外、ブラックボックスじゃない」
ソフィアはぴしゃりと言い放った。
お説ごもっともだけど、俺の主張したいこととはずれている。やっぱ以心伝心っちゅーのは無理な相談か。
「俺はね、『過剰に熱烈スキンシップされると、のぼせ上がりそうだ』って言いたいの。美少女の積極的アプローチは悪くないよ。ってゆーか、グッジョブです。でもやりすぎは禁物だと思うんだ。純情ボーイは総じて『脈ありだな』と拡大解釈しちゃうから」
ソフィアの手が止まり、明くる瞬間には俺を突き飛ばした。
「ふぎゃ」
会心の一撃炸裂。石畳に後頭部を打ち、俺は身もだえた。
「ね、熱烈とか積極的とか、言いがかりはやめて。わ、私が男の子──それもケンくんを誘惑するはずないでしょ。介抱とごっちゃにしないでよ。命にかかわるときは性別の垣根を超えて、人助けしなくちゃいけないんだから」
「っつっても、現に俺はピンピンしてるわけだし」
「それは結果論!」ソフィアが俺の口答えを一喝した。「一歩間違えば死ぬところだったんだよ。残される側のこと、これっぽっちも考えてないでしょ」
「耳が痛いや。確かに俺、この世界での死についてシミュレーション不足だし。実際どうなるんだろう? 夢から覚めるのかな。脳死で植物人間とかはマジ勘弁。どの道ツバサとソフィアを〈塔〉に取り残しちゃうことになるわけで──」
「そういうことでもないの!! あ~、もうっ。じれったくてもどかしい」
ソフィア嬢はお冠なご様子だ。
俺が言葉を重ねるほど、泥沼にはまる気もする。
「ソフィアくん、ケンの鈍さは筋金入り。機微の察知を期待しても徒労だ」
ツバサが擁護(?)した。
「うん……鈍感な残念少年と立証された、かも」
残念認定するとは失敬な。俺が断固抗議しかけると、
「ケンくん、誓って。『命を粗末にしない』と」
ソフィアが白魚のような小指を差し出してきた。
俺も模倣して小指を立てると、立ち所に彼女が絡めてくる。指先が触れ合うだけなのに、動悸が激しくなった。
「て、天地神明にかけて誓うよ。俺も、むざむざくたばりたくないし」
「約束だよ。破ったら、針千本飲~ます。指切った」
ソフィアは喜色満面で指をほどいた。
「児戯に等しい」と一笑に付せれば、どんなに良いか。でも戯れと侮るなかれ。夢の中の異能、マテリアライズをもってすれば実現は絵空ごとじゃない。
小動物のごとき温和な性格のくせに、肝が冷えるよ。
「ケン、肝に銘じろ」
ツバサが『肝』つながりでたしなめた。
「なんだよ。おまえも指切りげんまんしたいのか」
「ぼくを落胆させるな。おまえがふがいないと、同輩のぼくが相対的に小物化する」
「締めが保身かよ!?」
俺のむなしい叫びが、フロア中に木霊した。