[1―3]森羅万象への恣意的干渉
優勢にもかかわらず連打がことごとく空回りする事態に業を煮やしたのか、ゴリラ男は一時後退した。呼吸を整えがてら辺りを見回し、想い人の不在を知覚する。
「横取りしてんじゃねえ!」
ゴリラーマンが標的を俺に定め、突進した。
「対戦相手はぼくのはずだが」
間髪入れず、ツバサが立ちふさがった。
「てめえ、目障りなんだよ」
ゴリラ男がアイアンを力任せに袈裟斬りした。
ツバサがマインゴーシュの二股部分で受け、ねじりながらテコの原理でアイアンの先端を折る。運悪く、分離した片割れが俺のほうへと飛散した。
飛来するゴルフクラブの回避なんて、造作もない。でも俺の後ろには、いたいけな金髪ボーイが控えてる。彼に命中しては元も子もない。
念には念を入れて跳ね返すか。
俺はひざまずき、路面に両手をついた。
隆起しろ!!
俺の命に呼応し、アスファルトの地面が波打つ。次の瞬間にはアメ細工のごとく、そり立った。人ひとりをすっぽり覆う、即席のシェルターが完成する。
これも具現化能力と並ぶ、想像力が織りなす奇跡の派生系だ。
俺らは『事象改変』と命名した。夢の世界を構成する建物や設備といったオブジェクトにアクセスして、形状を組み替えることができる。
伸ばしたり引っこめたり、曲げたりというオーソドックスな形態変化に限られるものの、使い方によりけりで強力な武器となること請け合いだ。
防護壁はこしらえた。ただしオブジェクトには復元力があり、じきにあるべき形へ再生してしまう。うかうかしてるとノーガードになるのだ。
異人くんを、迅速にシェルターの内側へいざなわないと。
俺は形態安定に集中するため、前方を向いたまま後ろへ手を伸ばした。直視しなかったので狙いがあやふやになり、肩や腕でなく胴体──正確を期すなら彼の胸元へと、指先がたどり着いたらしい。
すまん。くすぐったくても辛抱してくれ。安全圏へ招くことが急務だから。
胸中で詫びつつ、衣類の一部をつかんで俺の後方へ引き寄せる。
それと同時にアイアンが防護壁に当たり、あさっての方向へはじき飛ばされた。
「あんっ」
遅れて、金髪美少年が女性っぽい嬌声をあげた。
変声期はまだなのだろうか。そこまで幼く見えないけど。
脅威が去ったので、俺は振り向いて状況を視認する。
彼が涙目になり、金魚よろしく口をぱくぱく開閉していた。俺に何か物申したいらしいけど、言葉にならないみたいだ。
ああ、『よくもつねりやがって』と言いたいのかな。俺は左手のありかに着目した。
パーカーにある膨らみを、わしづかみしている。
──ほえっ、『膨らみ』とな?
試しに握ってみた。マシュマロみたいな甘美な弾力。いつまでも触ってたい。癖になりそうだ。こんなのが付属した男は、力士級のふくよかな肥満体型じゃないと……。
「きゃああぁぁ~~~~」
金髪外国人は、のどが潰れるほど絶叫した。
≒ ≒ ≒ ≒ ≒
一難去ってまた一難。
「ホントすんませんした」
俺はアスファルトの上で正座し、頭を下げた。せめてもの誠意の証だ。
彼──もとい〝彼女〟は仏頂面で腕を組み、仁王立ちしてる。
かの人は『美少年』でなく『美少女』だったのだ。わけあって、男物の衣服で扮装していたらしい。
余談だが彼女、お着替えを済ませていて、ブラウスの上に若草色のスクールセーターをまとい、絶妙な丈のプリーツスカート、ハイソックスとローファー。いでたちは女子高生として標準的だけど、風で揺れる白金の長髪も相まって異国情緒漂っていた。
「わ、悪気があったわけじゃなくて……『君が男』という先入観のなせる業ってか、無傷で助けるため、なりふり構わなかった弊害による、盲目的な先走りというか……」
俺の弁明は支離滅裂だった。
自覚はあるけど、取り繕わなくちゃいけないのがつらいところだ。
「すったもんだあったけど、五体満足だったんだし一件落着ってことにしてくれないかな。うん。君はゲイ野郎の魔の手から逃れ、俺は極上の触り心地を存分に堪能させてもらって大団円──はっ」
俺が無意識に手をにぎにぎしたからか、彼女が胸元で腕をクロスさせ、蔑視してきた。
「や、やめてっ。痴漢を見るような軽蔑のまなざしは。シャレにならないから!」
語気を強めた哀願も、彼女にはいまいち効果が薄い模様だ。俺への警戒心をマックスに引き上げている。あるいは日本語が不自由なのかも。
ツバサが口元を手で覆い、仲裁に入る。
「ぷっくくく。二人とも、自己紹介くらいしたらどうだ。にらめっこを続けたところで、らちが明かない」
折衷案を提示してくれるのは渡りに船だ。されども笑いを噛み殺す態度は業腹だった。なんて友達がいのないやつだろう。
ちなみにゴリラーマン(ホモ)はここにいない。ツバサいわく、彼女渾身のシャウトにおののき、脱兎のごとく撤退したらしい。
俺としては、恋人候補が『女』と判明したため、興がそがれて撤収したのだと思ってる。いずれの説が的を射ているにせよ、全面対決に発展しなかったのは僥倖だ。あとは彼女と和解すれば万々歳なんだけど。
「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ。アイ・アム・ケン阿部倉。ハイスクール・スチューデント。アイ・キャンノットスピーク・イングリッシュ」
分かる範囲の英文(挨拶編)を駆使した。すでに俺の引き出しは空っぽだ。
「私こんななりしてますけど、ハーフの日本人です。エセ外国人じゃありません」
金髪美少女が、ふくれっ面になった。
いっそほれぼれするほど、地雷を踏んで自爆したらしい。際限なくやられてるのか彼女、異人扱いがお気に召さないみたいだ。
とうとうツバサは、はばかることなく噴飯した。俺の棒読みスピーキングか、彼女とのちぐはぐっぷりがツボったのだろう。むかっ腹だが、こいつをやり玉に上げたところで、平行線の議論が急転直下を迎えたりしない。
ひとまず折り合いつけるための着地点を模索しないと。
「阿部倉、ケンです。俺にできることであれば、なんなりとお申しつけください」
「宝翔……ソフィア」
「へ?」
「だから、私の名前」
プラチナブロンドの宝翔ソフィア嬢が、やっつけ仕事みたいに名乗った。
「あ、ああ。よろしく、宝翔さん」
「さっきの短剣とか紙飛行機、どうやったんですか」
宝翔さん、やっとこさ俺と会話する気になったらしい。渋々といった感が、なきにしもあらずだけど。
「口頭で説明するより、実演したほうが手っ取り早いかな」
俺は手の中にバラの花束を物質化した。それを彼女へ捧げる。
宝翔さんは目を丸くして受け取った。鼻を寄せ、においを嗅ぐ。
「ちゃんと香りもする。正真正銘のバラ」
いたく感激したらしい。
ちんけな詐欺による懐柔みたいで気が引ける。
俺は指を鳴らして花束を消去した。
「俺やツバサの専売特許ってわけじゃないっす。慣れれば宝翔さんも手軽に作れますよ」
宝翔さんは心残りがあるように、花を捕まえていた手のひらを目視した。
「種明かししちゃうと、強く念じるんです。五感に訴えかけるくらい細部までリアリティある本物をイメージする。そしたら虚構が現実になる、って感じかな」
俺の解説を聞くなり、宝翔さんは瞑目した。
「事細かに、イメージ」とぶつぶつ連呼している。
すると彼女の鼻先に、むき出しのバラが一本現れた。
「お見事。飲みこみ早いね」
合いの手を入れると、宝翔さんはまぶたを上げた。
「私にも、できたっ」
宝物を発掘した子供みたいに嬉々として、両手で握ろうとする。
「ちょ、危ないって!!」
俺は立ちあがり、機先を制してバラを奪い去った。
宝翔さんが不可解そうにぽかーんとする。
「痛っ」
たなごころに鋭い痛みが走る。
宝翔さんはラッピングされてないバラを創造した。色合い質感といった、ディテールを克明に再現している。茎にある無数のトゲまでも、だ。
そんな植物を素手で握れば、負傷すると相場が決まっている。
「ご、ごめんなさい」
宝翔さんもことの顛末を察したのだろう。具象化のイメージを放棄した。
俺の掌中からバラがなくなる。けれども痛みまで消えちゃくれない。
自責の念に駆られたのか、宝翔さんは無防備に体を寄せてくる。
「私のせいで傷を……ちょっと見せて」
「た、大したことないっす。かすり傷なんで」
「ケガ人の自己申告は、往々にして当てにならない」
楚々とした面差しに似合わず、強引に俺の拳を開かせた。
「血が──出てない? 傷はあるのに、不思議」
宝翔さんがじっくり俺の手を検分した。むずむずする。
「あ、R指定的配慮か、この世界じゃ痛覚はあっても、出血しないみたいで」
俺は緩慢に首を動かす。
間近に、澄んだ群青の瞳があった。吸いこまれそうなみずみずしい唇も。風にそよいだ金髪が、俺の首筋に触れる。
献身的に触診する宝翔さん。まるでこのシチュエーション、白衣の天使との──
「お医者さんごっこかよ」
しまった。脳が麻痺しかけていたせいか、心の声を吐露しちゃったぞ。
宝翔さんには寝耳に水だったらしい。俺と視線を交錯させるや、バックステップする。
「す、すみませんっ。つい出来心で。私ったら、なんてはしたないことを」
たぶん美少女が言うからセーフなのだ。むしろほほ笑ましい。
俺が『出来心』と口を滑らせれば、PTAとかが大挙する失言になった気もする。
「いえ、こちらこそ。なんのお構いもできませんで」
「舞い上がって血迷うな、ケン。とんちんかんな応酬してないで、〈塔〉へ行くぞ」
背後から、ツバサのシャープなツッコミがきた。