[1―2]危機一髪の見目麗しき金髪
俺とツバサは合作の気球を消失させ、スカイダイビングへと移行した。地表へ垂直落下すればご臨終なので、創造したパラシュートでの降下である。
途中傘の部分が高層ビルのバルコニーをかすめて一悶着(きりもみ状態の墜落となり、急ごしらえでマットレスを物質化させねばならなかった)はあったものの、あらかた順調な着地だったといえよう(無計画さをツバサにくどくど叱責されたが、臭いものにフタをする所存だ)。
何はともあれ地図を頭に思い浮かべ、騒動の現場へ急行。集合住宅の並びにある道路を塀沿いに進み、十字路を左折したところで例の駐車場が見えてくる。
はたして、誘拐二歩手前の修羅場だった。
大男が、貧弱な手首をわしづかみにしている。
「『手を取り合おう』と言ってるだけだ。おたくにとっても悪い話じゃない」
お猿っぽいやつだ。野性味あふれるムキムキな体つき。加えてサバゲーでもやっているのか、黒無地のTシャツに迷彩柄のパンツというコーディネートが、いやが応でもゴリラを彷彿とさせる。
他方、抵抗する人物の身なりはダボッとしていた。ツーサイズは上の半袖パーカーに、カーゴパンツ。身長は低く、露出した腕も華奢だ。キャスケットをかぶっていて……不覚にも一瞬、目を奪われた。
帽子で隠しきれないもみあげやうなじの毛が、プラチナブロンドだったから。眉毛までおそろいの金色。肌は透き通るように白い。しゅっとして高い鼻と、対になった碧眼。
「ほぇー。外国人かよ」
おまけにとびきり美少年。ツバサと甲乙つけがたい──
ん、男?
二人組は男女ペアでなく『♂』の二乗だ。つまるところ『BL』の痴情のもつれか。
いや、美少年くんは露骨に嫌がってる。彼にとっては由々しき事態に違いない。
だったら四の五の言わず、救出しないと。
「手を離せ!」
俺は疾駆しつつ、腹から声を絞った。
「なんだ、てめえら」
ゴリラーマン(ホモ)は異邦人への狼藉をやめ、接敵する俺とツバサを警戒した。
「…………」
異人くんはおぞけを振るって、声が出せないのかもしれない。
「名乗るほどの者じゃない。だがこの不条理、見逃すわけにはいかないな」
俺は立ち止まり、啖呵を切った。
「しゃしゃり出てくるんじゃねーよ、ガキども。正義の味方気取りか」
ゴリラーマンは彼を背後に回し、立ちはだかる。
しかし手首の拘束は解かない。脳筋っぽく見せかけて抜け目ないな。
「俺だってヒーローのマネごとする気なんて更々ない。だが合意の上ならまだしも、強姦未遂を見過ごせるほど卑劣じゃないんでね」
「強姦、だと?」ゴリラ男がせせら笑う。「とことんピントずれてんな。ギャグにしても寒すぎだぜ。こちとら、〝使命〟を全うしてるだけだっての」
「泣きわめく他者を屈服させるのが、あんたの使命とやらなのか。恐れ入るぜ」
俺の皮肉でゴリラーマンが渋面になる。
「ヘドが出るほどの正義感だな。てめぇがそう思いたいなら、それでいい。ったく、よりにもよってシステムの不調とはツイてないぜ。プロトタイプだから致し方ないにしたって、やりにくいったらありゃしねぇ」
こいつ、誇大妄想狂だろうか。言動が自家撞着気味だ。
ゴリラ男がツバサをへいげいする。
「それに比べ、そっちはうまくたらしこんだものだな。パートナーくん、すっかり従順なわんこじゃんか。尻に敷く秘訣、ご教示願いたいものだぜ。色仕掛けにしちゃ奇異な風体だけどな。あぁー。その偽善野郎が特殊な性癖か、もしくはコスプレで興奮する口とか」
いよいよ難癖が目も当てられなくなってきた。麻薬でもキメてトリップしてるのかも。
だいいちアブノーマル野郎は、おまえだろうが。俺まで一緒くたにしないで欲しい。
……えぇと、たらしこむ?
こいつってば、ツバサを学ランに身を包む『男装の麗人』と邪推したのか。あまつさえ度しがたいことに、俺の恋人と勘違いしているのだろう。
されど軽挙妄動と言わざるを得ない。やつはツバサの逆鱗に触れてしまった。
「ぺちゃくちゃと、よくさえずるな。口は災いのもと、と身を持って教えてやる」
ツバサが一歩進み出た。顔つきは至極ポーカーフェイス。されど切れ長な瞳の奥に憤怒の炎が見て取れる。
こいつは外見の女っぽさをやゆされたり『男の娘』呼ばわりを、忌み嫌っているのだ。更に目の前の変質者から同じ穴のムジナ扱いされたとあっちゃ、怒髪天もつくだろう。
「近寄るな。それ以上一歩でも動けば、敵対行為とみなす」
遅ればせながらゴリラーマンも、ツバサの剣幕を察したのだろう。紅顔の美少年を背にしつつ、じりじり後じさる。
「あとの祭りだ。とうにサイは投げられている」
ツバサは警告に従わず、歩き続けた。
「『近づくな』と言ったぞ」
ゴリラ男は塀に立てかけてある、ゴルフクラブのアイアンをつかんだ。護身用のつもりか、どこぞから持参したらしい。
一方ツバサは手ぶらだ。武装って点では、敵がリードしている。
ゴリラ男が己の勝利を確信し、にんまりした。
「得物でのデュエル希望か。応じるのにやぶさかでない」
ツバサはまばたきよりも心持ち長く目をつむり、まぶたを上げた。
「なっ……てめぇ、マジシャンか」
ゴリラーマンが仰天している。
無理からぬことだ。だって数秒前まで素手だったツバサの掌中に、脈絡なく短剣が出現したのだから。
ツバサが十手の形状の剣を構える。
「これはマインゴーシュ。『ソードブレイカー』の一種で、攻防一体が売りだ。武器破壊を主眼としている。盾の代替品としても用いられ、殺傷力は低い」
「凶器の解説なんざいらねぇ。知りたいのは、『どこから出したか』だ」
ツバサは臨戦態勢を解き、自身のこめかみに人差し指を添えた。
「貴様、おちょくってんじゃねえぞ」
ゴリラ男のおでこには、くっきり青筋が浮いた。ツバサの仕草を『挑発』と解釈したのかもしれない。
でも茶化したわけではないのだ。むしろ核心をついている。
俺のもとに現れた槍に大空を舞う気球、ツバサの短剣は想像力──イマジネーションで形作られた物体だ。種も仕掛けもない手品じゃない。
夢の中にいる俺たち思念体には、想いや願いをマテリアライズする能力が備わっている。小さな物から大きな物までサイズを問わず、生活雑貨でもマニアックでコアな代物でも、なんでもござれ。
ただし万物を具現化できるほど万能じゃない。創造不可の例外だってある。
生物と、術者の理解の範疇をはるかに超えた高度な物だ(より正確には、見てくれのみ成形できても十全に機能しないハリボテとなる)。
以上が、俺とツバサで導き出した研究成果。創意工夫次第でいくらだって応用がきく、「天の配剤」と言えるほどに神秘的なスキルだ。
「筋肉ダルマのあんたには、ちと難解だったか」
ツバサが相手の誤認にかこつけて、神経を逆なでした。
ざけんなっ、とゴリラーマンが逆上して襲いかかる。
振り下ろされたアイアンの一撃を、ツバサがマインゴーシュで受け止めた。火花が飛び散るほどの硬質な摩擦音が、閑静な住宅街に響き渡る。
「足元がお留守だ」
ツバサがゴリラ男のふくらはぎめがけ、ローキックを放った。直撃するや否や、直ちに離脱。ヒットアンドアウェイ戦法だ。
一撃必殺の威力はないものの、やられて歓迎すべきことでもない。ゴリラーマンが血眼になって猪突猛進する。
かわすツバサに追うゴリラ、同じアホなら踊らにゃ損々──戦況は丁々発止の膠着状態だった。
ゴリラ男はマッチョな見かけ倒しかと思いきや、機敏に攻撃を繰り出す。なにがしかの格闘技をたしなんでいるのかもしれない。
しかし圧巻なのは、ツバサの身のこなし。さして広い路地でもないのに軽業師のごとく、敵の連撃を根こそぎ短剣でいなしている。身内のひいき目抜きで驚嘆に値する敏捷性だ。武芸の心得ありとは知ってたけど、こうまで俊敏とは思わなかった。
おや。
バトル中、ツバサが俺に視線をよこした。続いて、身じろぎもままならない美少年くんを視野にとらえる。
──陽動している隙に彼を助けろ。
大方、そんな目配せに違いない。まったく、千両役者だな。
ブチ切れモードと見せかけ、その実冷静沈着なんだから。やつの頭脳明晰ぶりと底知れなさには舌を巻くよ。敵に回したくはないな。
さて、俺も一丁腰を上げますか。友にばっか、いいカッコさせられないし。
いでよ、空飛ぶ紙切れ!
俺は鮮明にイメージして、紙飛行機を一機顕現させた。そいつを金髪外国人に向かって、投げ放つ。
ゆらゆら滑空していき、紙飛行機が彼の肩を小突いた。当たるや、シャボン玉のように跡形もなく霧散する。残滓はない。
死角からの呼びかけだったからか、金髪美少女は肩を震わせた。
彼と目線が合ったので、俺は手招きする。
異人くんはいったん戦局へ視線をやったあと、脇目もふらず駆け寄ってきた。さしずめ飼い主に呼ばれた小型犬だ。帽子ごとなでなでしてあげたくなる。
けれどスキンシップはためらわれた。
よっぽど心細かったのだろう。美少年は一目散に俺の背後へ回りこんだ。ただ不用意にそばへ寄りすぎず、一定の間隔を保つ。初対面ゆえ、俺に心を許せないのかも。