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[1―1]百獣の王と、芽生える生存本能

 頬にざらざらした感触が当たる。そして荒い鼻息も聞こえた。加えてにおい立つ獣臭。

 愛玩動物のモーニングコールだろうか。俺んち、ペット飼ってないはずだけど。


「もう少し寝かせ……」


 俺はまぶたが上げがてら、あくびした。上半身を起こし、大口開けたまま硬直する。

 至近距離に、威風堂々たるたてがみを備えたオスライオンが一匹いるではないか。

 獲物を威嚇するためだろう。俺と目線を交えるや、獅子が咆哮した。


「ほんぎゃあぁぁーー」


 俺は赤ん坊もかくやという悲鳴をあげ、尻もちついたまま後ずさった。

 ──なんだこれ、なんだこれ。

 混乱の極致にありながらも、なんとか状況を理解すべく周囲を視認する。

 恐慌状態に陥ったら俺の負け。獣の胃袋に収まるだけだ。

 ここは日本のありふれた雑木林らしい。

 野宿した覚え、ないけどな。あとあべこべ感を拭えない。

 広大なサバンナや樹木が生い茂るジャングルでもないのにライオンが生息なんて、あり得るのか? もしかすると動物園から脱走──

 違うな。俺は〝夢の中〟にいるんだった。とすればアンバランスさにも筋が通る。

 自ら志願したアルバイトを思い出し、幾分心が平穏になった。


「にしても、のっけから捕食動物と遭遇とか、悪夢すぎだろ。どうせ夢なら、もうちょいロマンスのあるシチュエーションでもいいのに」


 俺の不平など我関せずで、百獣の王がのっそのっそと間合いを詰めてくる。


「お座り、ステイ。俺を食っても、うまかないぞ。腹壊すだけだって」


 ネコ科最強クラスの獰猛な動物に、俺の命乞いは届かない。なおも直進してきた。

 たまらず俺もたたらを踏む。後方へステップすると、何かと衝突した。

 二匹目の猛獣と挟み撃ちなら、なすすべがない。


「ぼくの足を踏むな、ケン」


 聞き覚えのある声音だ。

 振り向くと、女の子と見まがいそうな相貌の少年が佇立している。


「ツバサ──おまえも一緒のスタート地点か」


 親友の(さかき)ツバサだった。さらさらショートヘアで中性的な顔立ち、背もすらりと高い。俺とおんなじ高校の詰襟学生服を着用している。

 学業成績優秀なうえ運動神経抜群、極めつけが良家のサラブレッド(大企業・榊電子の跡取り)と三拍子そろった傑物。異性にモテるため生まれてきたようなやつだ。

 俺はツバサの革靴から、己のスニーカーをどける。


「すまんかった。積もる話もあるけど、とにかく下がってくれないか、ツバサ。俺、野生のハンターにロックオンされたみたいで」


 ツバサが俺の肩越しで、ライオンと目を合わせる。


「剣呑なモブキャストだな。窮地は把握した。しかし求めに応じられない」


 こいつは生粋のイケメンだが、無愛想と口数少ないのが玉にキズだ。できる限りセリフを割愛して、省エネしようとする傾向がある。

 なんでだよ、と理由を問おうとして、俺もツバサの言わんとすることを察した。

 俺たちの後ろに続く陸地が途切れている。下方向から間断ない水流の音が響いていた。すなわちここは、切り立った崖なのだ。


『前門のライオン、後門の断崖絶壁』


 まさしく俺たちは絶体絶命の〝崖っぷち〟にいる。


「おまえんちの家訓、文武両道だよな。会得した武道で、ちょちょいと猛獣退治なんて」

「無理だ」ツバサが即答した。「丸腰では太刀打ちできない」


 さもありなん。俺らはなんの変哲もない十六歳の男子高校生だ。二人がかりだろうと、徒手空拳で野獣と渡り合うなんて命知らずにもほどがある。

 最後通牒のごとく、ライオンが雄たけびをあげた。体勢を低くして、飛びかかる準備を整える。カギ爪が腐葉土に刺さり、致死性の跳躍が刻一刻と迫っていた。

 序盤から無残に狩られるのか、阿部倉(あべくら)ケン。まだ何も達成してないのに。

 というか、純粋に死にたくなどない。むさぼり食われる肉塊なんてまっぴらだ。

 俺は生きたい。生き長らえて、胸躍る冒険に旅立つんだ!!

 そのためには素手じゃ話にならない。何かないのか、武器になりそうな物は。

 辺りを見渡すも、石つぶての一つすら発見できず、獣の爪や牙に対抗する道具が何一つない。あるのは残酷で色濃い『絶望』のみ。

 座して死を待つしかないのか──嫌だ。

 夢の世界の神様、どうか生存する力を与えたまえ。俺は強く、強く念じる。

 こんなとき少年漫画なら、ピンチさえひっくり返す伝説の武具を授かるのかもしれない。たとえば柄が俺の背丈より長く、鋭利な穂先のついたグングニル……。


「ケン、どうやって調達した?」


 ツバサが唖然としている。

 何を、と言いかけて、俺は掌中に重みを感じた。見ると一本の槍があるではないか。

 無骨だけど殺傷力を秘めた長柄の武器が。


「な、なんだこりゃ。俺はただ、生き残りたい一心で──」


 いや、この際いきさつなんて知るものか。

 俺は死線を免れる得物を手にした。それが何より重要なのだから。

 獅子が二の足を踏む。不確定要素の乱入で及び腰になったのかもしれない。

 千載一遇の好機。つけ入る隙はここしかない!

 神槍を腰だめに構える。


「おおぉぉーー」


 俺はありったけの力を爆発させ、一直線に刺突した。



≒ ≒ ≒ ≒ ≒



 体感時間で一日後の午前──


「絶景かな絶景かな。鳥って、毎度こんなふうに風を感じてるのか」

「身を乗り出すな、ケン。落下するぞ」


 幼稚園からの腐れ縁の美少年ツバサが、俺をたしなめた。

 俺らは現在、青空の中を熱気球で飛行している。高度は数百メートル。落ちれば一巻の終わりだ。


「そんな凡ミスしねーって。ところで、あれから検証実験に丸一日かけちゃったな」


 虎の子の槍で躍りかかったものの、ライオンを仕留められなかった。スーパーマン気分だったのだが錯覚でしかなく、肉体性能は現実世界を忠実に踏襲しているらしい。

 万策尽きて決死の覚悟で崖から飛び降り、川を泳いで命からがら難を逃れたのだ。岸辺に流れ着いてから腰を据え、武器が現出した理由を調査して、今に至る。

 上空に浮遊するこの気球も研究のたまものだ。


「労力と時間を割くだけの収穫はあった」


 ツバサのねぎらいに俺はうなずき返す。


「確かに〝この能力〟は大きなアドバンテージになる。出遅れた分を取り戻せるほどのな。待ってろよ。『うさぎと亀』の童話じゃないけど、最終的に俺たちが一番乗りしてやる」


 かなたに悠然とそびえ立つ、俺たちの目的地を正視した。雲すら突き抜けて、気球からでもてっぺんが拝めない建築物──巨塔を。

 ツバサが淡々と事実を告げる。


「急がば回れだ。あれだけの巨大建造物を一日や二日で踏破するなど、人間技ではない」


 俺もこいつも【スリーピングビューティー】という官民一体の一大プロジェクトに志願したテスト要員だ。

 睡眠時に見るランダムな夢を本人の意向で制御、並びに並列化(他人との夢の共有)を実現する次世代型試作機『ヒュプノスポッド』。その革新的なマシンの試験運用に際し、一般から広く参加者が募られた。要はバイト募集だ。

 仕事内容は装置内で眠り、所感をレポートにまとめること。報酬は一人につき10万円(交通費別途支給)だ。中でも目玉の触れこみが、


『夢の世界にあるアトラクション──〈塔〉を最初に制覇すると、ボーナス1000万円を進呈します』


 案の定ぬれ手であわをもくろむ横着者が、こぞって殺到した。ネットで万単位の応募があり、ふるいにかけられて抽選されるのは百名余り。

 そんな高倍率の狭き門をくぐり抜けた悪運の強い人々は今現在、躍起になって〈塔〉の最上階へまっしぐらだろう。

 俺もご多分に漏れず強運の持ち主になるけど、金に目がくらんだわけじゃないよ。俺の志望動機は「ワクワクしたいから」だ。

 だってこんな体験、おいそれとできないもの。

 くだんの〈塔〉は登頂者を退ける罠が盛りだくさんって、もっぱらのうわさだ。そんな超常的局面は、平凡な高校生活を送ってると、まずもってお目にかかれない。

 たぶんツバサも似たり寄ったりの心情だと思う。好奇心につき動かされたに違いない。少年心をくすぐる非日常イベントなのだ。

 起き抜けにライオンとの鉢合わせで出ばなをくじかれた感はあるものの、結果オーライかもしれない。おかげで『超能力』を発現できたのだから。


「じゃあいざゆかん、約束の地へ」


 天をも貫く〈塔〉を、俺は指さした。気分は『ボーイズ・ビー・アンビシャス』の名言を残したクラーク博士だ。

 瞬く間にクリアしてやるから、首を洗って待っ──


「や、やあぁぁーーーー」


 俺の大志をご破産にするほどの耳をつんざく悲鳴が、下界に響いた。

 眼下へ目を凝らす。ほどなくして、


「いた。十一時の方角、コインパーキングのそば!!」


 人が豆粒になるほどの高さじゃないのが功を奏した。

 往来でもみ合う凸凹な二人組。大きいほうが小さいほうを、腕ずくで従わせようとしている。どう見たってフレンドリーではない。

 桃源郷でもならず者が出没するのか。嘆かわしい。


「どうする、ケン。かかずらうと一層タイムロスだが」


 ツバサの主張はもっともだ。俺たちは能力開発に多大な時間を費やした。これ以上〈塔〉レースの参戦が遅れれば、後手に回るどころの騒ぎじゃない。能率という観点では、断然見て見ぬふりすべきだろう。


 ──効率うんぬんなど、くそくらえだ。


 義を見てせざるは勇なきなり。見殺しなんて人道にもとる。困ってる人を見捨てて一位になったって、寝覚めが悪いじゃんか。


「ゴロツキを成敗しに行こうぜ」


 俺の脱線など慣れっこゆえか、ツバサは肩をすくめた。

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