三日目(後編)
生徒会室の窓からふたりの様子を視ていた如月が、
「話は終わったようだね」
事の終わりを見届け席についた。
いつでも飛び出せるようにしていた武内も、
「ああ」
うなずき、後ろに控えるフェレスを視る。
「戦闘プログラム解除。汎用プログラムに移行します」
フェレスをつつんでいた金と黒の燐光のような光が空気に溶けるように消えてゆく。
武内は遠野に対する文句をいいながら席に戻り、席に着いてからも文句をいいつづけた。
そんな武内を視てフェレスは笑みをつくる。
「ヴェルミナ君、すまないが皆に紅茶を」
「かしこまりました」
吐息をこぼし如月はテーブルに肱をついて指を組む。
……蒼君、君にしては少々やり過ぎたのではないかね?
いまのままでは彼の中にある可能性が限られたものになってしまうとはいえ、あまり褒められたものではないだろう。まあ、わからなくもないのだが……。しかし、今回のことは遠野自身、痛みをともなう選択だったのではないか。
……ふふ、蒼君、君はほんとうにやさしく、繊細な人だ。
この青い空を、硝子の翼でつつんだように。だが、冷たく厳しい、凍てつく冬を越えた者でなければ、遠野のやさしさはわからないだろう。『ぼくを理解するには勇気がいる』といったのは、たしかニーチェだったか。
――私ならそこに『世界』という言葉も入れるがね。
『世界』を理解するには勇気がいる、と。果たして彼は遠野のやさしさを、世界の在りようを理解する勇気があるだろうか。そして、彼は生徒会に入るか否か。彼の器が試される、か……。
おもしろくなってきたね? と如月はシニカルに笑った。
如月様と、彼の前にフェレスがティーカップをおく。
「ありがとう、ヴェルミナ君」
彼女は笑顔で会釈し、全員に配り終えると武内の隣にすわった。
「あのバカ、そんなにあの甘ちゃんが気なってんのか? 放っときゃいいじゃねえか。それよりオレは、妹の雫ちゃんがいつもどんなパン痛!」
文句をいう武内の脇腹にフェレスが肱を入れた。
ティーカップを左手に持つ受け皿に戻し、朱神は吐息をつく。
「出逢い、そしてしってしまったからですわ。彼の純粋さと無知を。蒼君は彼に、絶望だけで終わってほしくはないのでしょう。今時珍しいですわ。あんな汚れ一つない、純白の花のような方。放っておいたらそのうち、アスファルトに咲く花のように、踏みにじられて死んでしまうか、心無い誰かに摘まれて、枯れてゆくでしょう。自分の意志でなにも選べないまま。それも一つの選択といえばそぅかもしれませんけれど……」
自分でいっていて腹が立ったのか、後半の口調が不愉快そうな物言いになった。それを誤魔化すように、彼女はティーカップを口に運ぶ。
「そうでしょうね。遠野様は天宮様にそうなってほしくはないのでしょう。今回のこともちゃんとお考えになって、あのような振る舞いを演じられたのでしょうし……。人はじっさいにその状況にならなければわからないことが多いですから」
膝の上に手をかさねフェレスがいった。
「まあな。蒼の奴が本気ならあのガキは瞬殺されてる。わざわざ仕掛ける前に殺気なんか放ちやがって――」
殺気に反応してしまった自分たちを思い出し、武内は不機嫌そうな貌になった。
「あれじゃあ、躱してください、防いでくださいっていってるのと同じだからな。オレなら問答無用で殴り倒す。蒼の奴、なんだかんだいっても甘いよなぁ」
「蒼君は英雄君とは違いますから、そのように野蛮なことはしませんわ」
朱神がいうと、
「野蛮で悪かったな。生憎オレはお前らと違って、上品に育っちゃいないんでね。いってもわからねえ奴には、殴ってわからせる。そうやって生きてきた」
腕を頭の後ろで組み、武内は目を閉じて黙り込んだ。
「英雄様。大人気ないですよ?」
フェレスが苦笑すると武内は目を閉じたまま、
「……悪かったな、凛。いい過ぎた」
ぶっきらぼうにいった。
「別に、気にしてなどいませんわ。ところで望君、本気で彼を生徒会に入れるおつもりですの?」
「ふふ、その様子だと凛君も反対かね?」
「も? ……そうですか。そうでしょうね。蒼君も反対なのですね。ええ、正直わたくしも反対ですわ。初めは望君が生徒会に誘うぐらいですし、普段口に出してこそいいませんが、生徒会や保安部に新しい人員を増やすことをあまり快くおもっていない、蒼君もなにもいわなかったので、反対しませんでしたけれど。
「いまの様子を視たら反対せざるを得ません。彼に生徒会の仕事は向いていなでしょう。能力は問題ないようですが、あれでは戦力になりません。蒼君があれだけのことをいっても、彼は戦う事を拒否、いえ、否定しつづけるかもしれません。いまのまま生徒会に入られたのではわたくしたちや彼の命が危険です」
「副会長もそういっていたよ」
「でしたらなぜ、彼を生徒会に入れようとおもったのです?」
「それにはいろいろと理由があるのだがね。副会長も納得済みだよ?」
「どうせ望君お得意の戯言で、蒼君をいいくるめただけですわ」
「ふふ、そうかもしれないね? しかし、副会長にはやられたよ。まさかあんな所でふたりが会うとは。いや、これも用意されていた道かもしれないが……」
「?」
「いや、なんでもないよ、凛君。だが、今回のことは、彼にとっていい機会になったのではないかね? 自分がいかに曖昧な世界に生きてきたかしることでき、それによっていままでとは比べものにならないほど、あらゆる物事を深く考えることができるようになるだろう。彼がほんとうに聡明ならね」
紅茶を一口飲み、
……無意識に無自覚に無頓着に無責任に、なにも知ることなく、なにも理解することなく、ただ存在し生きることなど言語道断。それこそ君は――罪悪だとおもわないかね?
如月は胸の裡で零に問いかけた。
「果たして、今回のことがあってなお、彼は生徒会に入ろうと思うだろうか? いまでも私としては入ってほしいのだが。彼が生徒会に入ってくれれば私は楽ができそうなんだがね」
「いまでも十分楽していますわ」
冷ややかな視線とともに皮肉をいって、朱神は腕時計を視る。
「望君、そろそろ会議の時間ですわよ」
いままで黙って、紅茶の水面を見つめていた大地が顔を上げた。
「……」
が、それだけだった。
「待てよ。蒼の奴がまだ来てねえぞ」
彼女の様子に気づいた武内がどうでもよさそうな声でいった。
「副会長ならもう来る頃合だよ」
そう如月がいうと、
「みなさんおそろいですね。もしかして、お待たせしましたか?」
ドアを開け、遠野があらわれた。
「大丈夫だよ、副会長。ちょうどいまから始めるところだ」
そうですか、といって遠野はまたいつも通りのほほ笑みを浮かべ、大地の隣にすわった。
その横で大地が心配そうな面持ちで遠野の様子をうかがっていると、
「どうしました、桜さん?」
視線に気づいた彼がふわりと尋ねた。
「あの……え、と……な、なんでもないのです……」
花がうつむくように、大地は紅茶に眸を落とした。
零に対する厳しい行為は間違ってはいなかったと彼女は、ほほ笑む遠野に伝えたかった。零は今回のことで苦しむかもしれないが、それ以上に彼の方が苦しみと痛みを覚えているのではないかとおもった。
彼に励ましや肯定の言葉を伝えたかった。彼が感じている苦しみや痛みを少しでもやわらげたい。だが、いったところで彼はなんでもないようにほほ笑むだけだろう。自分に心配をかけないように。または、励ましや肯定の言葉など彼は必要としていないかもしれない。そうおもうと大地はなにもいえなかった。
ふたりの様子を視ていた如月はやれやれと嘆息をこぼし、苦笑した。
しばらくのあいだ座り込んでいた零は、腕時計で時刻を確認した。
……雫、待ってるだろうなあ……。
ずいぶん時間が経っているだろうとおもっていたがそうでもなかった。
うまく力の入らない身体を動かし、立ち上がる。
手に持つハンカチを視て、
……洗って返さないと……。
上着のポケットにしまった。
……遠野先輩が本気でぼくを殺すつもりだったら、ぼくはまちがいなく死んでいただろうな。
たとえ雫を呼んでいたとしても、遠野には勝てなかっただろう。……実力差がありすぎた。はるかな高みに、雲上の頂に立っているような人だった。その場のすべてを支配する圧倒的な存在感。肌で感じた、あの恐怖。思い出すだけでも冷や汗が滲んでくる。
……夢に見るかも……。
善悪を無視する、一方的な暴力の前では、正論などまったく役には立たない現実、世界が、たしかにある。被害者のほとんどの者がそういう状況におかれているのだろう。被害を受けるのは主に抵抗手段を持たない婦女子や老人だ。
だが、これは人(個人)に限ったことだけではない。なにかが劣る、というただそれだけの理由で、この世界では喰い物にされてしまうのだ。小さな者は大きな者に喰われ、大きな者はさらに大きな者に喰われる。そこには正しいとおもわれることがまかり通らない現実が厳然としてある。
弱肉強食、皮肉にもならない。命とは、決して平等ではないのだ。
しかし、世の中そうかんたんなものではない。世界中の人々がこのパワーゲーム(力、権力、財力の強い者が勝者となる椅子取りゲーム)を演じれば、行きつく先はなんであろうか。想像するのは難しく無いだろう。
それでは善悪とはなんなのか。
……遠野先輩がいったとおり、そんなものは存在していないのかもしれない……。
しかし、善悪は存在してしまっている。
では、善と悪の差とはなにか。
また、どこでそれを判断すればいいのだろうか。
自分自身で決めればいいといった遠野の言葉がよみがえる。
……ぼく自身で選ぶ。できるのか? ぼく自身で選ぶことが……。
ある事件をきっかけに零は自分の能力を、守るためだけに使ってきた。
幼いとき、暴漢に襲われそうになった雫を、彼は制御しきれていない能力で必死に守ったことがある。 その結果、犯人の男は重傷を負った。犯人の自業自得なのだが、以来、彼はそのことを気に病み、能力を使って誰かを傷つけたことはなかった。
……ぼくは誰かを傷つけることが怖い。
いままで彼は傷つけたり、殺したりすることをよしとしてこなかった。
だがそれは無知ゆえの綺麗事だと、遠野にいわれた。
世界は戦場と同じだ。自分が血に濡れることがなくても、誰かが常にそれを成している。また、成してきた。その上に、生きる者たちは立っているのだ。
「……」
いつかは自分も戦わざるを得ない時がくるかもしれない。誰かを傷つけなければ、殺さなければ、自分を、大切なものを守れないときがくるかもしれない。そのとき自分は選べるだろうか。今回のようになにも選べないまま死んでしまうかもしれない。自分一人なら、それもいいだろう。だが、雫や両親、友人の命が失われるとしたら。
……ぼくは闘えるだろうか……。
遠野はなぜ、躊躇うことなく選べるのだろう?
……ぼくにはなにが足りないのかな……。
うつむいた面をあげると、桜の花が世界の無情を謳うように、ひらひらと夕暮れに舞っていた。
余談になるが、ふたりを襲った男は怪我の治療が済むと、性犯罪者として捕まった。求刑九年のところ未遂だったため、判決は実刑一年半に処せられた。だが、男は出所したのち、再び同じことを繰り返した。保護観察中の身にもかかわらず、出所してわずか一週間たらずで近所に住む幼い少女に近づこうとし(性犯罪の前科がある者は、一定年齢に達していない少年少女に近づいてはいけない法律がある)、警官に取り押さえられた。が、取り押さえられた男は持っていたナイフで激しく抵抗し、警官に射殺されている。
立志館学院の校長室は、一階生徒会室の隣にある。
簡素な部屋だ。あるのは校長用の机。テーブルとソファ。観葉植物とテーブルの上に飾られた花。あと、目に付くのは書類(未処理)の山ぐらいだろう。
いま、その部屋の中で、不審な人物が膝をついて壁に耳をあてている。
そのよこでは、ひとりの女性が淡々と書類に目を通していた。
不審人物――朝霧が不満そうに、うむ、とうなずいた。
「なにも聞こえないな、ゆりか君」
「日下部です。聞こえなくて当然でしょう。そんな安普請な作りではありません。設計と建設を、最近捕まった設計士や建設会社に頼んだのなら話は別ですが」
書類に目をとおしながら日下部は答えた。
この国は土建国家と皮肉られるほど政治屋と総合工事業者の癒着が強く、不正が酷い。
最近も、また発覚した手抜き工事の話題でメディアが騒いでいる。
「それに、その壁の向こうは控え室です。いまの時間、彼らは会議中のはずですから、なにも聞こえなくて当然です」
わかってないなあ、と彼は首を横に振る。
「いいかな? 日下部教頭。彼らは若いんだよ? 若さゆえに暴走することもあるだろう。控え室にはベッドもある。会議をさぼって先走った行為をしているかもしれないじゃないか。若気の至りというやつだ。くうぅ、羨ましい! 若いってグェ!?」
彼女は彼の背中を踏みつけた。
「校長」
「は、はひ。なんでしょうか?」
「仕事をして下さい」
踏まれたまま彼はうなずく。起き上がろうと面を上げ、
「おや、今日はずいぶんとかわいいパ――」
今度は顔面を踏まれた。
「なにか見えましたか?」
「ひえ、はひもみへまへんれふは……」
顔面を踏まれながら彼は、なんにも見えませんでした、といった。
彼女は黒いタイツを穿いた、美事な脚線美の足を元に戻す。
新たな趣味に目覚めたらどうするんだね? とぼやく朝霧を無視して校長の机の前に立ち、書類の山を一瞥。
「校長」
ツンドラ地帯に吹く風のように冷たい声。
「はい!」
注意された生徒のように、朝霧は急いで立ち上がる。
彼の態度は上司に対する部下のようだ。これではどちらが校長か判らない。
「この書類の山はなんです?」
「たしか、明日までに目を通して処理すればいいものではないかなあと……」
おそるおそる答える。
「如月君から今日、重要な会議があると連絡がありましたね?」
「はい、ありましたが……」
「では、これから私たちがしなければならないことはなんでしょうか?」
「……ええと、緊急の際に対応できるよう近隣の学校、警察・特警、自警団に連絡して、それから西側が介入してこないように政治的根回しを英知先輩に頼むことでしょうか? 賄賂は出たばっかりのエロゲーでいいかな、と……」
「最後の賄賂は聞かなかったことにします」
「え、そこはツッコムとこだよ?」
「やかましい」
「す、すみません」
彼女は眼鏡を軽くなおす。
「私たちはこれからその仕事をしなければなりません。大変、忙しいです」
声の温度がさらに下がり、液体窒素のように冷たくなった。
「はあ、そうなりますねえ」
もう一度、彼女は書類の山を見た。
「この書類はいつまでにしなければならないのでしょう?」
「……明日までに」
「私たちがいまからしなければならないことはなんでしょう? そしてこの書類はいつするのでしょうか?」
「……」
「この書類は昨日の朝、私が用意したものです。校長がきちんと仕事をなさっていればすでに終わっていたはずですが」
一息。
「なにをしていたのですか?」
「……」
彼はあれこれ言い訳を考えるがなにもおもいつかない。
その様子黙って視ていた彼女は嘆息をこぼした。
「もういいです」
「え、ホント?」
「だいたいの予想はつきますから、いわなくてけっこうです。むしろいうな」
「うわぁー、一刀両断」
彼女が書類の処理にもどると、彼はほっとして仕事にとりかかった。
「で、どうでしたか。今年の新入生は?」
なにげなく彼女が尋ねた。
「いやぁー、想像以上によかったよ。最近の子はほんとに発育がいいね!」
つい口を滑らせてしまった。
「あ!?」
彼女は無言で携帯電話をとりだす。
「もしもし、笹川さん? すみませんがここに変質者がいるので捕まえにきてくれませんか?」
「マジで電話してるよ、この人!」
さすがに洒落にならないとおもったのか、彼は彼女から携帯電話をとりあげた。
「ゆりか君、禍治君はシャレにならんだろう! 私、撃ち殺されちゃうよ!?」
日下部です、と彼女は訂正し、
「いいではないですか。きっと、懐かしい人たちに逢えますよ――」
いった瞬間、すぐに失言だったことに気づく。
ほんの一瞬、彼は、壮絶な翳をみせた。
「行くぞー、信」
「ふふ。ありがとう、信くん。きみにはいつも励まされてるね」
「修行が足りんな、朝霧」
「ダメだぞ、信くん。先輩のスカートをのぞいちゃ」
「コラー、信! またぼくのパンツとったなー!」
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」
「……」
二度と、ふれることのできない過去。
「ふふ……遠慮するよ。彼らが本当に私を呼んでいるのなら、やぶさかではないんだがね」
困ったように朝霧はわらった。
「……申し訳ありません。失言でした……」
自己嫌悪に襲われる。
頭を深く下げた彼女の髪を、彼はやさしくなでた。何事もなかったかのように机に戻り、書類の山を見てため息をつく。
「残業かあ……。年寄りには辛い作業だな。しかもひとり寂しく、カップ麺すすりながら……。独り身の老人が職場で孤独死、みたいな?」
はあ~、とため息をこぼし、肩を落としてみせる。
哀愁を漂わせるその姿は、独身男(三十八歳)の成せる業だろうか。
「……」
ずるい、と彼女はおもった。が、
「私もお手伝いしますから、そんなに情けない貌をしないでください」
観念したようにいった。
「おお、手伝ってくれるのか、ゆりか君! 君は昔からやさしくていい子だなあ。先生は嬉しくて、感涙の涙で溺死しそうだよ」
「日下部です。校長、そうやっていつまでも私を子供扱いしないでください。それに溺死するなら屋外プールがお奨めですが。春先のプールにはゴミや得体の知れない生物が生息していますから、溺死する前に死ねますよ?」
「……遠慮しておきます。しかし屋外プールがそんなスゴイ魔海になっているとは……。なんだかワクワクするな!!」
「変なところで感心してないでさっさと仕事を始めてください。ていうか、ヤレ」
絶対零度の声でいわれ、彼は急いで仕事にとりかかった。
時刻は午後五時過ぎ。
一年A組の教室に残っているのは雫、藤枝、奥森の三人だけだ。
夕暮れにそまった教室に、三人の影が色濃く映し出されている。
零がひとりで教室を出たあと、藤枝が部活などを冷やかしに行こうといいだしたが、
「私は兄さんを待っています」
雫は動かなかった。
「じゃあ、あたしも待ってよー」
零の席にすわり、藤枝はいつも聴いている音楽などの話を始め、奥森も、
「今日は録画してきたから」
なんとなくふたりに付き合っていた。
「兄さん、遅いな……」
零の通学鞄を見つめ、雫が呟いた。
足をブラブラさせながら、そうねえ、と藤枝がうなずく。
「どこ行ってるのかにゃー、零くん。ほんと、遅いね。それに今日は、一日中悩んでて、あたしの愛情表現に対するリアクションも冷たかったし。あたしの愛はとどいてないの!?」
「未来永劫とどきません!」
まあまあ、と奥森が雫をなだめる。
「愛がとどいているかどうかはおいといて、今日の零君、たしかにずっと悩んでたね」
「ねえ、雫ちゃん。零くんが悩んでるは、やっぱり生徒会に誘われたことかにゃあ?」
「多分、そうだとおもいますけど……」
頬にかかる髪を梳くように耳にかけ、
……私にはあまりいってくれませんが……。
わずかに面をふせる。
夕暮れに染まった彼女の横顔は、どこかさみしげに視えた。
「零君らしいね。でも、自分で生徒会の仕事が向いてないってわかっているんだから、すぐ断ればいいのに。まあ、それができる性格でもないようだけど。それともなにか他に気にかかることでもあるのかな?」
でも、と奥森はつづける。
「もったいないなあ、僕なら絶対入っちゃうのに。まあ、特別な才能も異能もない、平凡な一般生徒の僕なんか、逆立ちしても入れないだろうけど。正直、才能とか異能がある人って羨ましいなあっておもっちゃうよ」
能力者の数は少ない。近年増加してきてはいるが、全体的に見ればまだまだ小数だ。ゆえに、能力を持たない者は能力者を羨んだり、なかには嫉み憎んだりする者もいる。人は自分に無いものを他人が有していると、それを欲することがある。そういう感情は、誰でも一度は経験しているのではないだろうか。
「そうかしら? そんなにいいものだと、あたしはおもわないけどな。能力者の数って少ないでしょ? 少数のものって大多数と少し違うってだけで特別扱いされるか、異端扱いされる。時には迫害を受けるじゃない。小学生が転校生という異物を受け入れられずに虐めたりするのと同じで」
藤枝の声には少々棘があった。
幼年期に能力者という理由で(または、他人よりも秀でた才能があるために)虐められ、心に傷を負い、集団生活に馴染めず犯罪者になる者がいる。周りの者が理解できないために、または理解しようとする努力をしないために。この差別はいまだ根強くあり、社会問題にもなっていた。
「能力があろうとなかろうと、あたしはあたしだもん。そんなことで、他人にどうこうおもわれるのは嫌。そうおもわない、雫ちゃん?」
「そうですね。能力があってもいいことばかりじゃありません。自分を守るのには有用ですけど、その結果、それで怖がられたり、敬遠されたりもしますから」
「そうなんだ……。そういえば僕の通っていた学校であったかも、そういうこと……。ごめん、無神経だったね」
雫ちゃんもそういうことがあったの? と奥森は訊ねない。それぐらいの分別は持っている。
「あ、いえ。気にしないでください」
顔の前で手を振りながら、雫は少し慌てたようにいった。
……私には、兄さんがいたから。
教室の雰囲気が少し重くなったので藤枝が、
「ところで、雫ちゃんはどうおもってるのかにゃ? 零くんが生徒会に誘われてること」
おどけた調子で尋ねた。
「私が、ですか?」
首をかしげ、考える。
自分は兄が生徒会に誘われたことを、どうおもっているのだろう? 護国司の生徒会に誘われた兄は、すなおにすごいとおもう。けれど、やはり兄には生徒会の仕事は向いていないだろう。兄自身、そうおもっているはずだ。だが、仮に、兄が生徒会に入るとしたら?(兄はこの話を断ろうとおもっているようだから、この仮定は無意味だろうが)もし兄が、生徒会に入ってしまったら……兄は自分から、遠く離れていってしまうのではないか……。
漠然とそうおもい彼女は不安になった。離れたくない、と強くおもった。
「……私は兄さんに入ってほしくないです」
「そうなんだ。どうして?」
奥森が尋ねた。
「私から見ても、兄さんは生徒会の仕事に向いていないとおもいますから。それに、兄さんは、優しすぎます」
「ほんとにそれだけかにゃ~?」
藤枝が猫のように笑う。
「どういう意味ですか?」
「にゃはは。べつに深い意味はないよ~? ま、決めるのはけっきょく零くんだしね」
そうだね、と奥森が肯く。
それにしても遅いわねえ、と藤枝は壁掛け時計を見た。
「僕、購買部でジュースでも買ってくるよ。ふたりはなにがいい?」
気を利かせた奥森が尋ねるとふたりは「普通のジュースならなんでもいい」と声をそろえていった。
了解、と笑いながら奥森が席を立ったその時、教壇側にあるドアが開いた。
零だ。
彼の姿を見たとたん閉じていた花が開くように、雫の貌がぱっと明るくなった。
藤枝は席から飛び上がるようにして立ち、彼に抱きつく。
が、抱きつかれた零は藤枝を支えきれず、ふたりいっしょに倒れてしまった。
「うにゃにゃ?! ごめん、大丈夫?」
起き上がろうとした零は、
「だ、大丈夫。いきなりだったから、ちょっとビックリしただけ――!?」
藤枝の胸に自分の顔がふれていることに気づいた。
「ごめんっ、雪さん!」
「イヤ~ン。零くんったら、ダ・イ・タ・ン」
ふざけたちょうしで、胸を隠すようにして立ち上がる。
「にゃはは。ごめんね、零くん。あたしの胸小さくて」
「いえ、そんな! 小さい胸には、小さい胸の良さがありますから! ぼくはちっぱいも大好きです!!」
「ほんと? そういってもらえると、うれしいにゃー」
赤面したまま零が自分の席にむかうと、両手を広げた雫に迎えられた。
「……なにしてるの?」
「さあ、兄さん。遠慮せずに私の胸に飛び込んできてください。私の胸はCカップ! しかも美乳です!!」
「命綱なしのバンジージャンプをぼくにしろってことかな……?」
ふたりのやりとりを視て、奥森が笑いながら尋ねる。
「遅かったね、零君。どこ行ってたの?」
「ちょっと、ね。校舎の周りを歩いてたんだけど……。もしかして待っててくれたの?」
「まあ、なんとなくね」
それより零君、と奥森はつづける。
「いま、三人で話していたんだけれど……君はなにを、そんなに悩んでいるんだい?」
「……」
「生徒会のことで悩んいでるのはわかっているよ? でも、この話はべつに断ってもいいだよね? なのに君は悩んでいる。どうしてだい?」
「それは……」
いいよどみ、
「……ぼくに足りないものってなにかな……?」
自問するように問う。
「足りないもの?」
どういう意味だい、と奥森は首を傾げた。
「うん。いま、ぼくは生徒会に誘われているよね。でも、ぼくは生徒会に入って、やっていけるほどの強さはないとおもってるんだ」
「そうなの? 僕は零君の能力がどれぐらいのものかしらないから、なんともいえないけど、生徒会長に誘われるぐらいだから、かなりのものなんじゃないかな?」
「だよねー。少なくとも、一般レベルより能力が高くなきゃ誘われないとおもうなぁ。会長さんは零くんの能力をしってるのかにゃ?」
藤枝が尋ねると、零は複雑な貌をした。
「いや、会長さんは直接しらないんだ。入学式の朝ちょっとしたことがあって、そのとき副会長の遠野先輩もその場にいたから……。それで会長さんは、遠野先輩に聞いてしったんだとおもう」
へぇー、と藤枝が感心の声をもらした。
「じゃあ、なおさらじゃない。遠野先輩が零くんの能力を見てるんでしょ? それを聞いて会長さんが誘ってるんだから、零くんはかなりのレベルよ」
「……うん、僕もそうおもうな。能力的には問題ないんじゃないかな」
腕を組み、考えるように奥森がいった。藤枝が雫に尋ねる。
「そこら辺どうなのかにゃ? 妹の雫ちゃんから見て」
「兄さんの能力は、他の能力者と比べても十分強いレベルだとおもいますけど……」
「でも、ぼくと遠野先輩たちの強さは決定的になにかが違う、とおもう……」
遠野の強さを思い出し、零の貌が硬くなった。
だが、ここで遠野と相対したことを話すわけにもいかない。話せば雫が心配するだろう。それに心配するだけならいいが、
――雫は怒って、遠野先輩になにかするかもしれないし……。
万が一のことがあった場合、洒落にならない。遠野なら笑ってゆるしてくれそうだが……。
「まあ、立志館の生徒会役員だからね、異常なぐらい強いとはおもうけど……強さの違い。その差にあるもの。それが零君のいう足りないものかい?」
「……うん」
「足りないもの、か……。僕にはちょっとわからないなぁ」
奥森は肩をすくめた。
雫が不安そうに零の横顔を見つめていると藤枝が、
「ねえねえ、雫ちゃん。さっきからあっつーい視線をあたしの零くんにそそいでいるけどダメよう。零くんは、あたしのだから!」
零を抱きしめた。
「ちょ、やめてよ、雪さん!」
藤枝を離そうとするが、その力は弱かった。彼も十五歳の健康的な男子だ。相手がかわいいとおもえる異性なら、抱きつかれてうれしくないわけがない。
「兄さんは私のです!」
藤枝に対抗して雫も零に抱きついた。
「ぼくが真面目な話をしてるのにー!」
「雫ちゃんはどうおもう? 零君がいう強さの違い。その差ってやつを」
苦笑しながら、奥森が尋ねた。
「強さの違い、ですか……」
零に抱きついたまま雫は考える。
兄と遠野の違い。兄に足りないもの……。兄は普段から自分には敵わないというけど、自分はそうおもわない。兄の能力の方が強いとおもう。ただ、兄はその力を押さえ込んでいるだけだ。……誰かを、傷つけたくないから。相手を傷つけない能力の使い方なら、文句なしに兄の力は凄い。自分でも破れないとおもう……。
だが、遠野はそれをあっさり無力化してみせた。同じ種でそれほどまでに力の差が生まれるのだろうか? 理解できないほどに? 限界だってあるはずだ……。
足の速さで考えるのなら、百メートルを九秒台で走る人とそうではない人がいる。それは理解できる差だ。しかし、その理解を超えた向こうに生きる者たちはたしかに存在する。
……あのとき、兄さんは少し怖いっていってたけど、私はなにか違和感を覚えた。
それが、と雫がおもい到ろうとしたとき、
「雫ちゃん?」
考え込む彼女に奥森が声をかけてしまった。
「あ、ごめんなさい」
「いや、別にあやまらなくてもいいよ。それより、なにか思い当たることでもあるのかい?」
「え? ええ、なにか思いついた気がしたんですけど……」
「忘れちゃった?」
「……はい」
「ごめん、僕が話しかけたせいだね」
「いえ、そんなことないです」
「うにゃー!」
零からはなれ、藤枝が身体を伸ばした。
「まあ、なんにせよ、頭で考えてるだけじゃダメよね! こういうことはじっさいに、近くで感じなきゃ!」
生徒手帳を取り出し、生徒会条項が掲載されているページを三人に広げて見せる。
「昨日、家に帰ってから、愛する零くんのためにちょろっと調べたんだけど。生徒会にはお試し期間みたいなものがあるのよねー。零くん、試しにやってみたらどう? 人生何事も経験よ!」
生徒会の仕事は危険なため、そのような期間がもうけられていた。じっさいに仕事を経験し、生徒会の仕事をつづけられるかどうかを本人が判断するためだ。
零はそれも悪くはないと考えた。
自分の肌で、直接感じることが大切なのだろう。知識だけでは、そこで生きている者の考えや気持ちはわからない。それに、これから先なにがあるかわからないのだ。これはいい機会なのかもしれない。だが、自分が生徒会に入るといえば遠野はきっと反対するだろう。
……でも、ぼくはしりたい。このままじゃ、ぼくはまた……。
同じことを繰り返してしまうだろう、と彼はおもった。
「そうだね。それもいいかもしれない。ありがとう、雪さん」
「うにゃにゃ、どういたしまして♪」
見るものの心を、あかるく照らす笑顔。
それとは対照的に雫の貌は曇天の空のように沈んでいる。
「兄さん、生徒会に入らないつもりじゃなかったんですか……?」
「うん、そのつもりだったんだけど……」
一度、膝に眸を落とし、
「しりたいんだ、あの人とぼくの差を。あの人の近くにいれば、ぼくになにが足りないのかわかるかもしれない」
まっすぐ雫を視る。
「雫はやっぱり反対?」
「いえ……、兄さんがそういうのでしたら、私は……。でも、あの人って誰です? 遠野先輩のことですか?」
尋ねられ、零は肯いた。
「兄さんはどうして、そんなに遠野先輩にこだわるんです?」
「アハハ! なんでだろうね!?」
この問いを零は適当にごまかした。さきほどあったことは、やはりいえない。
反対しなかったとはいえ、心配と不安が雫の貌にあらわれていた。
安心させるように零は彼女の頭をなでる。
「ごめんね、雫。心配かけて」
「兄さん……」
少し照れながら雫が頭をなでられていると、
「いいにゃー、あたしもなでなでしてー」
藤枝が零に肩をよせた。
「ダメです!」
「うにゃ~」
雫に却下され、おとなしく引き下がる。
懐かしい光景を視るような眸でふたりを見つめ、藤枝は笑みをこぼし、
「さて、そうと決まれば、明日にでも生徒会に殴り込みよ!」
こぶしを握りしめて元気にいった。奥森が笑いながら拍手をする。
「雪さん、べつにケンカを売りに行くわけじゃないから」
「なにいってんの、零くん! いい? こういうのはね、強気でいかなきゃダメなの! 先手必殺よ!」
「必殺?!」
「にゃはは。それじゃあ、英気を養うためにそろそろ帰りましょうか?」
藤枝の言葉をきっかけにそれぞれが鞄を持ち、教室を出て行く。
「……自分で見つけなきゃ、意味がない」
「? なにかいった、雪さん?」
「うにゃ? なにもいってないわよん♪」
笑って零の背中を元気よく叩き、彼の腕をとって歩き出す。
雫の抗議の声が夕暮れの廊下に響き渡った。
立志館、一階生徒会室。
テーブルの上には遠野が用意したイチゴのケーキとダージリンティーが載っている。はたから見ると彼らがティータイムを楽しんでいるようにしか見えないが、これでも彼らは会議中だ。
わかわかしいダージリン(ファーストフラッシュ)の色と香りを如月は楽しむ。
……契約している茶園は今年も良質の茶葉を育ててくれたようだね。そして、その茶葉の魅力を余すことなく引き出して淹れる副会長の技量は、完璧。
一口飲み、味わう。
「……まさに至福の味わい。副会長が淹れてくれた紅茶はじつに素晴らしい」
遠野に賛辞をおくる。
「ほんとですわ。紅茶もそうですけれど、このケーキ。クリームのほんのりとした甘さと、スポンジのしっとり感が絶妙です。しかも、苺の香りがちゃんと活きています。家のパティシエでもこの味は難しいですわ」
朱神がケーキの味に舌を巻く。
「どうすれば遠野様のように作れるのでしょうか? ワタクシも遠野様に御教授いただいているのですが、この味はだせません。お料理は奥が深いです」
手を頬にあて、フェレスが称賛の吐息をもらした。
「ありがとございます。お代わりもありますから、遠慮せずにたくさん食べてくださいね」
遠野はほほ笑み、皆の感想に何度も肯く大地を視る。
「桜さんも遠慮しないで、お代わりしてくださいね?」
「は、はい。ありがとうです」
「蒼、お代わり」
すぐに食べ終えた武内が遠慮なく、お代わりの催促をした。
遠野は苦笑しながらケーキをカットする。
「英雄君、君は相変わらず馬や鹿のようによく食べるね?」
如月の言葉で紅茶を飲む大地の手が止まった。
……馬や鹿? ……馬鹿ですか!?
如月が武内をからかったことに気づき、彼女はおもわず食べていた手を止めた。
「まだまだ成長期だからな、これっぽっちじゃぜんぜん足りねぇんだ――って、誰が馬鹿だ!」
「おや? 気がついたのかね? ふむ、少しは君も人類に近づいたようだ。これは、ダーウィンの進化論よりも早い、飛躍的なスピードでの進化だね。この事実を是非、学会で発表せねば!」
「蒼君の作ったものは英雄君にはもったいないですわ。賞味期限切れのケーキとミルクで十分なんじゃありません?」
「……ヴェルミナ。さっきからヒドイことをいわれてる気がするんだが、オレの気のせいか?」
「あらあら、英雄様ったら。なにをいまさらおっしゃているのです?」
すました貌でフェレスがいうと朱神が咳払いをした。
「みなさん、そろそろ会議のつづきを始めようとおもいますが、よろしいですか?」
ケーキを食べる武内以外が肯く。
「いまのところ、東側は特に問題となるようなことはなかったようだね。彼らはみな、壮健でやっているようだ。まずは重畳といったところか」
如月がいう『彼ら』とは次の五名のことだ。
北海道、光明学院『天蓋』白鳥・雪乃丞。
長野県、清真学園『深慮遠謀』真田・智勇。
宮城県、萩月学園『伊達男』浅篠・粋道。
東京都、開明学院『眠れる森』小鳥遊・いずみ。
愛知県、安土学院『鉄槌』一之瀬・番。
五校とも現護国司であり、彼らは生徒会長である。
「さて、次は西側の動きだが、なにか変化はあったかね?」
如月が朱神に尋ねた。
「同盟校の京都、鳳凰学院、出雲の八雲学園の使者からの報告では、未だ東西の交流回復を望む学校は少なく、小規模な戦闘も頻繁に発生しているようですわ」
やれやれ、と如月は苦笑。
「西も東も状況はあまり変わらず、か。遺恨で争い、私利私欲のために争う。これはいつの世も変わらないね。鳳凰学院と八雲学園の使者には、後で私から礼をいおう。まだ帰ってないね?」
「今頃保安部の方と、見回りと称して学区内で遊んでいますわ」
嘆息し、朱神はあきれた声でいった。
「それはまずい! 私も行かねば!」
「望君!」
「ハッハッハ。大丈夫、凛君を仲間はずれにはしないよ?」
「そういう問題じゃありませんわ!」
東西が断裂しているいま、互いの交流はほとんどない。あるとしてもそれは正規のルートでは行われず、秘密裏に行われている。東西を行き来することは、まさに命懸けの行動だ。その危険な行為を冒してまで、情報を運ぶ使者(主に保安部の者だが、ときには生徒会の者が来ることもある。今回来たのは保安部の者だ)に対し、人づての礼など失礼極まると如月はおもっている。ゆえに彼は、使者に対して直接礼を述べるようにしていた。もちろんその行為に見合った代価、報酬も生徒会の予算から支払われている。
「凛君、京嬢は相変わらずかね?」
「ええ、相変わらず周りの方々に迷惑を振りまいているようです。親戚とはいえ、わたくしとしては、もう少しあの性格をなおしてほしいでわね……」
「なに、彼女のドジッ娘ぶりは愛すべきものだよ」
京都府、鳳凰学院『大いなる災厄』賀茂・京。
護国司である学院の生徒会長であり、朱神の親戚でもある。
「そういえば副会長、最近、琴音嬢とはどうなのかね?」
「? どうといわれましても。沙庭さんとはたまに連絡をとりあうぐらいですけれど?」
「!? あ、蒼くんは、沙庭さんと連絡をとりあってるですか……?」
紅茶をテーブルに戻し大地が尋ねた。
「ええ。月に二、三回ほどですがね」
「そ、そうなのですか……」
しょんぼりと肩を落とす。
……沙庭さんみたいな女性が、蒼くんのタイプなのですか……?
島根県、出雲学園『古の旋律』沙庭・琴音。
昨年の秋、立志館に助けを求めた盲目の少女。彼女は盲目ながらも護国司の生徒会長を務めている。
「凛さん、他に情報はありませんか?」
急に元気のなくなった大地にケーキのお代わりをすすめ、遠野が尋ねた。
「いえ、特には。ただ……出所不明の噂がひとつありましたわ」
「出所不明? 凛君にしては珍しいね。それはどういった内容のものかね?」
如月が尋ねると朱神は躊躇うように口をひらいた。
「……『彼ら』が、動くと」
その言葉で、武内が食べること止めた。
重い沈黙が下りる。
如月は指を組みなおし、
「彼らが動く……。また、戦争でも始めるつもりかね?」
冗談のようにいった。
「望君、これは根も葉もない、あくまでただの噂ですわ」
遠野が腕を組み、手で口を隠すようにしながら尋ねる。
「凛さん、それは『四神四家』でも噂の発信源はわからないのですか?」
「ええ、いまのところは。なにぶん噂自体、しっている者がほとんどいない状況ですし、いまの段階で四神四家が動いても、一般生徒や各学校の生徒会に不安が生まれる、現段階で深く追求する必要性はなし、と四神四家では判断したそうです。一応、四神四家内でもこの噂を知っている者には、第一級の緘口令が出されていますわ」
「だが、火の無いところに煙はたたない。そうはおもわないかね、凛君?」
シニカルに如月は笑った。
「……わかりました。とりあえず、朱神家だけでこの件は調べてみます。詳細が判りしだい、改めて報告しますわ」
「くれぐれも無理はしないように。その際、如月財団のバックアップが必要であれば、私の持つ権限を代行者として使用してもかまわない」
朱神は肯いてから、
「桜さん」
大地を呼んだ。彼女は席から立とうとしたが、如月はそれを制した。
すわりなおした大地はピアニストように空中に手をかざす。手元にキーボードの映像があらわれると、小さな手が滑らかに動いた。テーブル上に合計六つのディスプレイが表れ、画像や詳細情報が次々に表示されてゆく。
「昨日、鐘ヶ台高校から不審なエネルギーを感知したでのす。でも、ほんの一瞬で消えてしまったですが……」
若干十歳の少女は困惑した声でいうと、
「ぐぬおおお?!」
突然、武内が背中から床に倒れ悶絶した。
退屈そうにあくびをした彼に、フェレスがえぐりこむような手刀を入れたらしい。
「それはどういった類のエネルギーかわかるかね?」
悶絶する武内を気にすることなく如月は尋ねた。
「あ、はいです。推測ですが、神族か魔族の方だとおもわれるのです。なにぶん0コンマ以下の時間ですから、正確な情報は得られませんでした。不審なエネルギーを感知した以降も監視をつづけていますが、いまのところなんの反応もないのです」
「それはまた……」
厄介だな、と如月はおもった。
……鐘ヶ台に異族の協力者はいなかったはずだが……。
新入生の中に召喚師や巫女、異界の力を使う者がいるのだろうか?
大地がつづける。
「文武科学省に立志館護国司の名でアクセスして調べたところ、今年の新入生の中に異族との協力関係にある者、召喚師または異界の力を行使できる該当者はいなかったのです」
「では、経歴を偽って入学した者がいる可能性は?」
「0、000009%の確率で鐘ヶ台のシステムにハッキング、データを改竄した可能性があったのです。バグである可能性が高いのですが、念のため詳しく調べてみました。調べた結果、このバグのタイプが、先日、立志館のマザーシステムにあったバグのタイプと酷似していることがわかったのです……」
「ほう、それは面白い事実だね?」
「ぜんぜん面白くありません」
朱神が冷静に突っ込みを入れた。
「断定できませんが、両校はハッキングされたと考えた方がいいかもしれないのです……」
自分が構築した防護機構を突破されたことに大地は責任を感じる。
「気にすることはないよ、桜君。それに、君のことだから対応策として新しい防護機構はすでに構築してあるのだろ?」
如月がいうと、大地は面をあげ肯いた。
「ふふ、ならば問題はないよ。さて、これで天宮君兄妹が襲われたのは偶然ではなく、必然である可能性がさらに高くなったわけだね。しかも、その犯人、または共犯者が鐘ヶ台にいるかもしれないというのがわかったわけだが……」
遠野を視てから、ことばをつづける。
「それに鐘ヶ台といえば、昨年の夏の一件もある。我々に対し逆恨みする者もいるだろう。今回のことを考えると、そこにつけ込む輩が現れたのかもしれないね?」
「あんな奴らがなにしてこようと関係ねえ。立志館に手を出してきたら――叩き潰す」
悶絶していた武内が鼻で笑った。
「勇ましいね、英雄君。だが、我々もおいそれと力を行使したくはない。むやみに力をみせれば、他の生徒会や生徒たちが萎縮してしまうだろう。護国司は支配者ではないのだよ。それに、学校や生徒会の運営はそこに通う生徒の自主性に任せるべきだ。これ以上、立志館や近隣の学校などに被害が出ないようであれば、無視してもかまわないのだが……確証のない現状、天宮君兄妹が襲われたことだけで手を出すのは難しいね……」
被害が出てからでは遅いのだが、と如月は考える。
さて、どうするか? 情報がほしいが、今回の件、相手に大地レベルの者がいるのなら電脳世界を使った情報蒐集も難しいだろう。べつの疑惑で叩いてもいいのだが、それには少々時間がかかる。しかし、手は打っておくべきだろう……。
打てる手立てを瞬時に考え彼は指示を出す。
「凛君、鐘ヶ台について情報がほしい。できればそれで、護国司が動けるような情報が」
「わかりました」
「桜君は引きつづき監視を。なにかあったらすぐ、我々にしらせてくれ。それと、鐘ヶ台の生徒には警戒するよう全生徒にメールを。保安部の者たちには、なにかあっても極力戦闘は避けるようにと伝えておいてくれるかね」
「わかったのです……」
自分が役に立っていないのではないか?
また争いになるのだろうか?
大地の貌が暗く沈む。
「桜さん、紅茶のお代わりはいかがですか?」
遠野がほほ笑みかけると、大地は彼を視てうなずいた。
みなにも同様のことを聞き、遠野は席を立つ。フェレスも彼を手伝うため席をたった。
世界から争いはなくならない。
たとえ、争いたくなくとも。
では、どうすればいいのだろうか?




