一日目
これは学園ファンタジーの体をとった
〝おとぎ話〟です。
はじめて書いた小説なので読み苦しいところが多々あるとおもいます。
ですが、最後まで読んでもらえたら、うれしいです。
※6話構成です
※少し手直ししているので、更新は不定期になるとおもいます。
わたしは憎み、かつ愛す。
どうしてそんなことができるのか、
君はたぶん聞くつもりだろう。
わたしにもわからない。
ただ、そういう気持ちになるのを感じ、
苦しむのだ。
カトゥッルス
♪ 一日目
冬の面影を残した風が、ためらうように桜の花を散らしてゆく。
長くつづく桜の並木道。
周囲には閑静な住宅街がひろがり、ところどころに瀟洒な喫茶店などが見える。
時刻は午前七時三十二分。
道行く人はさほど多くない。
レンガで舗装された道をしばらく行くと多くの緑にかこまれた学校が見えてくる。
私立立志館高等学院。
全国的に有名な高等学校だ。
その立志館の目新しいブレザーの制服を着た少年と少女が、おだやかな朝日のなか、ゆっくりと歩いている。少年の身長は160センチほどで、すこし長めの髪形をしており、やさしそうだが、どことなく頼りない印象をうける。少女の身長は少年より5センチほど低く、髪は肩下まであるストレートヘアー。左右の髪を一房ずつ、根元のところをゴムで縛り、黒のリボンで結ってある。伸びた背筋からは芯の強さが感じられた。
「……うれしそうですね、雫さん?」
少年、天宮・零は隣を歩く少女、妹の雫に疲れたような、皮肉るような声でいった。
妹といっても彼女は生まれてすぐ、天宮家に引き取られた養子で、ふたりに血のつながりはない。彼女の父は彼女が生まれる前に、母は彼女をその手に抱くことなく亡くなっている。
「うれしいにきまっています。こうして兄さんといっしょに学校に通えるのですから」
「でもさあ、わざわざ飛び級しなくてもよかったんじゃない?」
「そんなことありません。私は小学校六年生のとき一年間も兄さんといっしょの学校に通えなかったのです。そのときの私はさびしくてさびしくて、しかたがありませんでした……」
ですが! と彼女は彼の顔をのぞき込み、
「飛び級したおかげで、こうして兄さんといっしょに通えるのです。しかも同級生として! なんてすばらしいことでしょう!! 中学のときは二年間でしたが、高校では三年間――ずっといっしょですね?」
ウフフ、と小悪魔的な笑みをうかべた。
「そ、そうだね……」
乾いた笑みで応え、空を見上げる。
空には眠たげな太陽が雲を枕にのんびりと輝いていた。
「……」
空が滲んで見えたのは、きっと太陽が眩しかったからだろう……。
……さよなら。ぼくの自由時間……。
胸のうちで、彼は涙を流した。
「それにしても、さすがですね、兄さん」
「?」
「市内でも制服が可愛くて有名な立志館に入学するなんて」
「そんな理由で入学してません」
「あ、そうですよね。ごめんなさい、兄さん」
「誤解がとけてよかったよ……」
「兄さんは制服と呼ばれる物なら、なんでも好きなんですよね?」
「とけてない?!」
人生に疲れたサラリーマンのように零はため息をこぼし、雫に抗議しようとした。
そのとき。
朝の静謐な空気を壊す、けたたましいサイレンの音が遠くから聞こえてきた。だがそれは、いつものことだといった感じで周囲の少ない通行人は気にもせず、各々目的の場所に向かって歩いて行く。
誰もが無関心で歩いて行くなか、零はひとり立ち止まった。雫も足を止め、気遣わしげに零のようすをうかがう。彼の貌が哀しげに曇っていた。
「そんな顔をしないで、兄さん。兄さんが悪いわけじゃないんだから」
なぐさめ、元気づけるようなやさしい声で雫はいった。
「……」
眉尻をさげ零は苦笑。
……また雫に気を遣わせちゃったな……。
いつまでも立ち止まっていそうな彼の背を、そっと押し出すように彼女は歩きだそうとした。
すると、前方から足下のおぼつかない酒に酔った、大学生風の二人組の男たちがやってきた。雫を視ると、彼らは卑しい笑みをうかべた。
「ねえねえ、その制服、立志館のだろう? どう? これから俺らと遊びにいかない?」
ブランド物のシャツとジーパンをだらしなく着くずした、背の高い男が雫に話しかけた。
この辺りでは立志館の女子生徒は容姿のレベルが高く、かわいい女子生徒がそろっていると有名だった。男は立志館の彼女がいると自慢になるのでこうしてナンパするのだが、おおむね失敗に終わる。
「な、いいだろう? 俺らと一緒に遊びに行こうぜ?」
「……」
話しかけてくる男を無視して雫は隣に立つ零の顔を見る。にっこりと笑うと、
「し、雫?!」
雫は零と腕を組んでみせた。まるで恋人のように。
「なんだ無視かよ。そっちのニイチャンはカレシかあ?」
背の高い男が零を脅そうと手を伸ばす。が、
あなたが教えてくれた
やさしさ ぬくもり
胸に抱きしめ 歩いてゆく
ひとりでも 歩いてゆくよ
信じる明日へ
零の口から歌詞が紡がれ、
「障壁?!」
男の手は零が展開した光の障壁に阻まれた。
「おい、能力者だ!」
後ろでへらへら笑う連れに、男は酔いがさめた声でいった。
『能力者』とは『世界の解』とよばれる脳の領域を使用して、世界を構成する素粒子の一つ『遺詞』(存在確率が不確定な物質と定義されているもの)に干渉し、思い描いたイメージを具現化する能力を、先天的にもった者のことだ。
この力を多用すると、能力者は精神疲労や倦怠感に苛まれ、能力のオーバードライブ(暴走)は精神異常や肉体の破壊などを引き起こす危険がある。
また、能力者はおもいを紡ぐことによって、より強くイメージを具現化することができる。
零が障壁を張るさいに紡いだ歌詞がそれだ。言葉は古今東西の詩、歌詞などだが、一番多いのは自分で作るオリジナルだろう。この行為は言葉ではなく、動作でもかまわない。ようは能力者の精神力が高くなるものであればなんでもよく、また、必ずしも必要な行為ではない。
背の高い男に呼ばれ、似たような格好をした中背の男はだらしなく笑いながら、
「用があるのはそっちのオネエチャンだけだからよ。ボウヤにはちょっとどいててもらうぜ?」
ジーパンのポケットに手をいれた。
「集中力を乱せば障壁は消えるだろ? これを見ろ!」
「?!」
ポケットから取り出された物を視て、零は呆然となった。
「どうだ? これで障壁は維持できないだろ!」
「……おい。それは、なんのつもりだ?」
背の高い男が意味を図りかね、あきれた声で訊いた。
「見ればわかるだろ? 健全な男ならもう辛抱たまらんはずだ! これで障壁は消える!」
自信満々にいう男の手にある物は、どこかの学校の制服を着た女性が恥ずかしげにスカートを両手で持ち上げている立体映像だ。黒いタイツの下に白い下着がうっすらと透けて見えている。
「オマエの趣味に文句をいうつもりはないが、現役の高校生に制服の素晴らしさはわからんと思うぞ?」
「なに、この素晴らしさがわからんだと?! クソっ現役高校生め、なんて羨ましい!」
「そうです。兄さんは私のあんな姿やこんな姿を毎日見ているんです。いまさらその程度で集中力を乱したりなどしません。ね、兄さん?」
「誤解を招く発言はやめましょう……」
多少動揺している零だが雫がいったように障壁はちゃんと維持している。
「テメエ! そんなカワイイ子のあんな姿やこんな姿を毎日見てんのか?!」
「見たくて見てるんじゃありません! 見せられているんです!!」
「ふふ。口ではそんなことをいっていても、ホントはうれしいんですよね、兄さん?」
「うれしくなーい!」
零の叫びを無視して男は悔しげに立体映像をしまい、ふたりから距離をとった。
いきおいよく男は右手をかざす。
手の甲には幾何学的な紋様が刻まれていた。『法具』の一種だ。
それを視て、零は障壁から防護領域に能力を切り替えた。
『法具』(または増幅器とも呼ばれる)とは能力の不安定な能力者が暴走したりしないよう、能力を安定させるため『世界の欠片』とよばれる『法具』を基に開発された道具(安全装置)のことだ。そして、いまではこの技術を応用した『法具』によって能力の補助や強化もできるようになっている。『法具』の形態は様々で使用している能力者の数は多い。
開発のもととなった『世界の欠片』は年代不明、製作者不明の強力な法具のこという。どれも現在の技術力では作り出せない一品物だ。
男の周囲に風が集まり、荒々しく渦を巻く。
物言わぬ桜が無情にも散り、風が刃となって零と雫に襲い掛かった。
だが、男の操る風がふたりにとどくことはなかった。
光の防護領域のなか、零は微動たりせず、黙ったまま相手の男を見ている。彼の貌はさきほどみせたように哀しげに視えた。
――俺の攻撃がとどかない?!
だらしなく笑っていた男の顔から笑みが消え、焦りの色がうかぶ。
「おい、なに遊んでんだよ?!」
「っせー、黙ってろ!」
――なんだこいつ? これじゃ話が――。
風が荒々しく光にぶつかっては霧散してゆく。
男は執拗に攻撃をつづけるが、さきほどまであった余裕は完全に失われていた。
防護領域に守られている雫はあきれた貌で攻撃をつづける男を見ている。たが、この状況に飽きたのか腕時計で時刻を確認し、
「兄さん」
なにかの許可をもらうように零の眸を視た。
「……ダメだよ」
「でも、このままじゃ入学式に行けないですよ?」
「遅刻ぐらいべつにかまわないよ。それよりも、お願いだから雫はなにもしないでね」
「……」
形のいい唇からそっと吐息をこぼし、雫はいわれたとおりなにもしないことにした。
やっぱり兄さんはこうなのよね、と零の横顔を見つめ彼女は苦笑する。
「あの、もう止めてくれませか」
攻撃をつづける男に零はいった。
「うるせえ! なめてんじゃねえぞ!」
攻撃が激しさをますなか雫は、
……この人、頭悪すぎです。
嫌悪感をあらわにし眉をしかめ、嘆息した。
このいざこざを通行人は見て見ぬ振りをして助けようとはしない。あからさまにわき道に逸れて行く者もいる。よけいな揉め事には首をつっこまない。それが、この時代の常識だった。抗う『力』がなければ、自分も他人も助けることはできないのだから、当然の判断だろう。誰も彼もが、自分の身が一番かわいいのだ。
そんな通行人を雫が眺めていると背の高い男が口を開いた。
「もういいから行こうぜ。じゃないとそろそろ保安部か生徒会の奴らが――」
「そこでなにをしているのですか?」
突然、零たちのすぐ後ろに、戦闘用の黒いロングコートを着た、ひとりの少年があらわれた。
制服で立志館の生徒だとわかる。
身長は十センチほど零より高く、華奢に視えた。女性的な顔にはやわらかい微笑をうかべ、腰下まである青味がかった黒髪が印象的だ。しかし、その女性的で華奢な外見とは不釣合いな法具――日本刀を、彼は左手に携えていた。日本刀は鞘に収められているにもかかわらず、視る者に神々しさを感じさせた。
零と雫は同時に振り返った。
――!? ぼくの防護領域が破られた……?
――嘘!? 兄さんの防護領域を……?
ふたりの身体に緊張が駆ける。
「誰だテメエは!」
攻撃をしていた男が誰何の声を上げた。が、少年はそれには応えなかった。
無視された男は執拗に攻撃をつづける。だが、零の防護領域は壊せない。
すっかり逆上した男は気づかなかった。自分が壊せない防護領域を、突然あらわれた少年が苦もなく防護領域を構成する『遺詞』に干渉し、零と雫のそばに立っていることに。
少年はほほ笑みながら、
「見たところ立志館の新入生ですね。入学式にはまだ少し早いとおもいますけれど。どうかなさいましたか?」
何気ないが、相手をおもいやるやさしい声でふたりに尋ねた。
防護領域に集中している零は雫に応えるように目で促すが、彼女はそれに気づかず少年の顔に見蕩れていた。
……きれい……。
「あの……どうかなさいましたか?」
苦笑し、少年は首を傾げた。雫は我に返り、すみません、といって事情を説明した。
話を聴き終えた少年はうなずき、男を視る。
「いまならまだ間に合いますよ? 女性を誘って断られたのなら、おとなしくあきらめてください。それに、このままではせっかくの桜が散ってしまいます。わたしは風情や美を理解できない人は――嫌いです」
笑みの質を変え少年はいった。どこか、あきらめたような、かなしんでいるような微笑。
「は? なにいってのオマエ?」
馬鹿にした態度で男が嗤うと、それまで黙りこんでいた連れの男が、
「おい……ヤバイ、逃げるぞ……」
声を搾り出すようにいった。
「どうした? こんな男女にビビってんじゃねえよ」
「しらねえのか!? 立志館の制服に日本刀! 女みてーな顔をした、髪の長い男! それにオマエが攻撃しても壊せない防護領域をアイツは素通りしやがった! こいつは――」
「な、そんな話聞いてねえぞ! このガキを少し脅せばいいだけじゃなかったのかよ?!」
攻撃することも忘れ、男は怯えるようにいった。
「……?」
男たちの様子に少年がいぶかしむように眉をひそめる。
「逃げるぞ!」
「ちょ、ちょっと待てよ。いくらなんでも偶然だろう? この男女があいつのわけがねぇ。他人の空似だ。それに防護領域はそいつが通したんじゃねえのか?」
「バカ! そんな特徴の奴が何人もいるわけねえだろ!」
「でもよ、アイツだとしてもしょせんガキだろ? 噂は噂だって」
自分の能力、才能に自信がある者、自分より強者に会ったことのない者は目の前の現実を都合よく曲解してしまうことがある。人や物事を見た目通りに判断することはよくあることで、この男もそうゆうタイプだった。世の中のほとんどは見た目通りのことのほうが多いのだが、何事においても例外は存在することを忘れてはならない。
「……」
少年は苦笑し、
……男女……まあ、そういわれるのは慣れていますけど……。
吐息をこぼす。
「退く気はないようですね……警告は、しました……」
微笑を崩すことなく少年はいった。彼の貌にほんの一瞬、『運命の三女神』がまばたきするほどの間、翳りが生じる。が、それに気づく者は誰もいない。
「あなたがなさっている行為は十分に人を殺傷するものと判断します。よって、わたしの持つ権限と、わたしの〝意志〟で、あなた方を排除します」
微笑んだまま、少年は日本刀の柄に右手をそえた。
瞬間。
「逃げて!」
防護領域の維持に集中していた零が叫んだ。
場に一瞬の虚ができた。
「なにしてるんですか! 早く逃げて!」
自分たちを襲ってきた敵に零はいった――逃げろ、と。
だが、男は理由がわからず攻撃をつづけた。
「……」
日本刀の柄に手をそえた姿勢で止まったまま少年は、
……こんな御時世に、まだこんな甘い人がいるのですね……。
驚きと、かなしみを混ぜたような貌をした。嘆息をそっとこぼし、自分の身体を視る。淡い光につつまれているのがわかった。
少年が動かないのを視線だけで確認し、零は泣きだしそうな声をあげる。
「雫! 最小限の能力であの人を――」
「ええ、わかっていますからそんな泣きそうな貌をしないでください」
苦笑しながら雫はいった。
……ホント、兄さんは優しすぎです……。
組んでいた腕を名残惜しそうに零から離す。鞄をレンガの道におき、彼女は左右の掌を胸のまえで祈るように組んだ。
すべてをつつむ
やさしき闇よ
その手で導け
あふれる想いを
世界との繋がりをより強くするための想い(ことば)を、雫は紡いだ。
零の防護領域と男たちの間に、
闇が生まれた。
大きさは子供の頭一つ分ぐらいだろうか。
防護領域の外を轟と吹く風が雫の生み出した闇に飲み込まれていく。
「オレの風が?!」
風で闇を壊そうとするが、闇は苦もなく風を飲みこむ。
「クソ!」
男が闇を睨みつけていると風を飲みこんでいた闇が、道のなかへ沈んでいった。
半分ほど沈んだところで闇はいったん止まり、また元の位置へと戻る。闇が沈んだ場所を見れば、沈んだ分だけ地面はキレイになくなっていた。はじめからそこにはなにも存在していなかったように。
「どうします? 貴方の連れの方は逃げてしまいましたよ。これ以上つづけるつもりならこれをプレゼントしますけど? 私は兄さんのように優しくはありませんから」
呆然とする男に雫が容赦なくいった。
連れの男がいなくなっていることに気づき、彼は一瞬、怒りで顔が赤くなる。ひとりになった彼は憎らしげに零たちを睨むと遺詞への干渉を止め、さきに逃げた男の後を追うように走りさった。
静謐な空気が辺りにもどり花びらがしずかに舞いはじめる。
「あなたは――いままでそうして生きてきたのですね……誰も傷つけないように……」
日本刀から手を離し、少年は零をまっすぐ見つめる。
「……」
零は沈黙したまま、驚いたよう貌で少年を視ている。男が逃げ去った後でもその貌にはいまだ緊張の色があり、身体がわずかに震えていた。
……兄さん?
警戒する零を視て、雫は不思議そうに首をかしげた。
はじめから返答を期待していないのか少年は、
「そんなに警戒しないでください。怪しい者ではありません。見ればわかるとおもいますが、わたしは立志館の者です」
ほほ笑みを苦笑に変えていった。
……わたしに対して警戒しているのでしょうが……。
眉尻を下げ、彼はやさしく言葉をつづける。
「わたしは用事があるのでさきに行きますが、もうあのような輩は襲ってはこないとおもいますので、安心してくださいね。あのようなことは立志館の区域内ではめずらしいことなんですけれど……」
おもうところがあるのか、考えるように少年はいった。
「それでは、わたしはこれで。またすぐにお会いするとおもいますので自己紹介はその時にでも」
ふたりにほほ笑みかけ、
「では、また」
物腰やわらかく一礼し、少年はふたりに背をむけ歩き出す。
だが、不意に少年は立ち止まり肩越しに振りかえった。
強い風が吹き、花びらが零たちの視界を埋め尽くす。ふたりはおもわず目を閉じた。
「その生き方ではどうしようもない時、あなたは――」
声は風にさらわれ、
「?」
少年がなんといったのかふたりには聞き取れなかった。
風が止みふたりが目を開けると少年の姿はすでに消えていた。
「スゴイ風でしたね、兄さん。あれ? あの人もういませんよ? ……それにしても、奇麗な人でしたね。あ! でも、安心してください。私は兄さん一筋ですから!」
なにが安心なのかわからないことをいって、雫はふたたび零と腕を組んだ。
「……」
「どうかしましたか、兄さん? ……ハッ!? まさか兄さん一目惚れ!? ダメです兄さん。いくらあの人が奇麗でも、あの人は男性ですよ! お願い兄さん、目を覚まして! いまから私が目覚めの儀式を――」
「ちょ?! なんで顔を近づけるの?!」
「目覚めの儀式といえば昔から接吻と決まっていますから!」
「……ぼくはいま、目覚まし時計のありがたさをしみじみと感じているよ……って、そうじゃなくて。あの人、ぼくの能力を破ったんだ……」
額から汗の粒が流れ、頬を伝い落ちていく。
「そういえば、すごいですよね……。いままで兄さんの防護領域は一度も破られたことなかったのに。しかもなんの気配も感じられなかったです」
「……少し、違うんだよ、雫」
「?」
「あの人が襲ってきた人を攻撃しようとした時、ぼくはあの人に封縛を展開して動きを封じたんだ。そうしないと襲ってきた人が殺されるとおもって……」
無意識に唾を飲みこむ。緊張のためか咽喉が渇いていた。
「あの人はその封縛を解除する前に動いていた。防護領域はナンパしてきた人ぐらいの能力ならこれぐらいで大丈夫だろうとおもって展開したんだけど、それを簡単に壊すことなく干渉してしまう人だから、ぼくは封縛の力で潰されてしまうギリギリの強さで動きを封じたんだ。なのに、それすらも破られたんだよ」
「……」
驚く雫に、零は苦笑してみせる。
「実力が計り知れないっていうか、底が見えない感じ。そういう人って、ちょっと怖いよね……」
……何年ぶりだろう、こんな気持ち……。
「でも、誰も傷つかなくてよかった」
ほっと息をこぼし、笑みをみせる。
「まだちょっと早いけど、行こうか」
「あ、待ってください兄さん」
すこし遅れて雫も歩き出す。
……でもあの人、怖いって感じとは少し違う気がしましたけど……。
彼女は歩きながら日本刀をもった少年のことをおもう。が、いまはそれどころではなかった。さきほどの立体映像を思い出しているのだろうか、零の貌がどことなくゆるんでいた。彼女にとっては一大事である。
「顔がゆるんでますね、兄さん」
「え?! そ、そうかな?」
「パンツなら私がいつでも見せてあげますよ。はい」
「はい、じゃない! 雫は露出狂ですか?!」
スカートの裾を持ち上げようとする手を彼はあわてて押さえた。
「日々高くなる兄さんの要求に、私は全力で応えていきます!」
「そんな要求してませんから!」
「ちゃんと黒タイツもはいてますよ?」
「ぼくは黒タイツフェチじゃありません!」
「……彼にはまだ、黒タイツの素晴らしさがわからなかった。だが、彼にもいつか、わかる日がくる。黒タイツのすばらしさが……!」
「勝手に変なナレーションを入れないで!」
立志館高等学院。
広大な敷地を多種多様の木々が囲み、そのなかにいくつかの建造物が建っている。本校舎から少し離れたところにある式典大ホールはいま、様々な期待と緊張が作り出す独特の空気につつまれていた。
入学式だ。
時刻は午前十時十四分。
舞台左袖に設置されたマイク前には、ひとりの女子生徒が姿勢良く立っている。眼鏡をかけ、髪をポニーテールに結った彼女が、式の進行役を務めているようだった。舞台の左右に設置されている巨大ディスプレイには彼女の姿が映しだされていた。
「次は校長先生からの祝辞です」
会場内に少女の澄んだ声が響く。
舞台左袖から黒いスーツ姿の男性が現れた。ゆっくりと舞台中央にある演壇へ歩いて行く。
マイク前に立ち、
「みなさん初めまして、私が校長の朝霧・信です」
会場内をゆっくり見回す。
「私はいま、とてもうれしいです。なぜなら今年の入学者もかわいい女の子がいっぱいだから!」
「以上! 校長先生からの祝辞でした!!」
男子生徒の、おおー! という歓声が沸きあがるなか、進行役の少女が怒りまじりにいった。
「え、凜君もう終わり?! せめてあとい――」
「次は生徒会、会長からの挨拶です!」
凛と呼ばれた少女は朝霧を無視して式を進行させていく。
「うう……かわいい生徒に無視されてしまった……」
呟きながら、朝霧は出てきた時とは反対側へと歩いて行く。挨拶を終えた教師たちの列にくわわると、遊んでいた玩具を途中で取り上げられた子供のように肩を落とした。見る者によってはしょんぼりと立つ彼の姿に憐憫の情を感じたかもしれない。
「これはいぢめだとおもうんだが? どうだろ?」
となりに立つ女性教諭に朝霧が尋ねた。
「いつものことです」
隙なく黒のスーツを着込んだ教頭の日下部・ゆりかは無表情で答えた。
「ゆりか君――」
「日下部です」
冷たい声で日下部はいった。
「……日下部教頭、少しは校長の私をフォローしようかなぁ、とかおもわないのかな?」
「おもいません」
「バナナで釘が打てるぐらい冷たいな!」
進行役の少女に呼ばれた生徒会長(正式には生徒会執行部会長)の少年が演壇のマイク前に立った。
少年がマイク前たつと、
「待ってました、大将!!」
「望ー、今日もキマッてんぞー!!」
「望くーん、かっこいいー!!」
「如月先輩、素敵ですー!!」
会場内から歓声があがった。
少年はすべてを見透かしたような笑みを浮かべ会場内を見回した。キレイにセットされた髪がいかにも会長らしい。彼は壇上におかれたマイクの角度を、黒い手袋をはめた両手でなおすと、壇上に両手をつき、軽く身を乗り出した。
「諸君。私が生徒会の会長を務めさせてもらっている如月・望だ。挨拶の前にひとつ、諸君らに謝罪しなければならない。すまなかった。さきほど人類に進化し損なったサルが、なにやらほざいていたが忘れてほしい。なにぶん脳が著しく未発達なものでね。我々も扱いに困っているのだよ。いや、まったく見苦しいものを見せてしまった」
「サル扱い!?」
場内に笑いが起きた。
「ヒドイ! 酷すぎる……これでも私は校長先生なのに……! うう……ママン、みんながぼくを苛むよ……ママン……」
涙に暮れる朝霧を無視して如月は話をつづける。
「あらためて、入学おめでとう新入生諸君。私は長々と無駄話をするつもりはない。まあ、少々余計な時間を使ってしまったが、気にしてはならない。そんな些細なことを気にしていては私のように大物にはなれんよ? さて本題だ。立志館にはこれといった校則はない。自立。自尊。そして、自由。この三つが我が学院のモットーだ。この三つは在学中、そして卒業してからも良く考え、自らに刻んでいて欲しい――以上だ」
挨拶を終えるとざわついていたホール内が静かになった。
「噂では聞いていましたけど、なんだか楽しそうな学校ですね、兄さん」
会場一階、最前列にすわる雫が隣の零に楽しげにいった。
「そ、そうだね……」
多分の不安を感じながら曖昧にうなずく。
「――以上。生徒会、会長の挨拶でした。次は生徒会役員の紹介です」
演壇に如月を残したまま、進行役の少女はいった。
「如月会長を筆頭に、副会長、遠野・蒼」
名前を呼ばれた少年が舞台左袖からあらわれる。
……蒼くん。
……蒼君。
……蒼さま。
……蒼……。
……今日も美しい。
さきほどの声援とは変わり会場内から愁波がにじみだした。彼のファンは耐え忍ぶのがスタイルで、辛いときは平兼盛の、
忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
物や思ふと 人の問ふまで
和歌を諳誦し、自らを慰めている。
会場の雰囲気をよそに、遠野の姿を見て零と雫は声を上げそうになった。が、寸前のところで堪えた。
「兄さん、あの人」
「うん。また会うだろうとはいっていたけど。今朝の人は立志館の副会長さんだったんだね」
舞台上を歩く遠野を零は目で追う。
……遠野・蒼さん、か……。
ふたりの視線が、ふと重なる。
初めて出逢った時と同じように遠野はほほ笑み、ふたりに軽く会釈をした。
「兄さん」
「気づいているみたいだね」
進行役の少女は次の名前を呼ぶ。
「書記。大地・桜」
次に呼ばれたのは、小学生ぐらいに見える小さな少女だった。
「桜ちゃん、かわいい!!」
「妹になって、桜ちゃーん!!」
「俺の妹になってくれー!!」
「好きだー!!」
「ロリコン死すべし!!」
「うるせえ! おれはロリコン紳士だ!!」
彼女は小学生ぐらいというよりも、本来ならば小学校に通っている年齢だ。だが、彼女は九歳のときに飛び級制度を使い、立志館に入学していた。ツーテールにした髪を、ふわふわ揺らし歩く姿は年齢よりも幼くみえる。緊張しているのか、彼女の歩き方はぎこちない。いまにも転び――
「?!」
そうだとおもった瞬間。大地はなにも無い所でつまずいた。会場のみなが「あ」と息を呑む。
しかし、近くにいた遠野がなれた手つきで彼女の小さな身体をささえた。
「大丈夫ですか、桜さん?」
「だ、大丈夫なのです。いつもごめ――ありがとう、です……」
「どういたしまして」
ゆっくり手をはなし、如月の横に立つ。頬を紅くした大地も遠慮がちにその横に並んだ。
「広報。武内・英雄……」
進行役の少女がなにかを我慢するように、苦虫を噛みつぶしたような声でいった。
壇上にあらわれたのは、どこか野性味を感じさせる短髪の少年。
「武内くーん。このまえ着替えをのぞかれたんだけどー?」
「英雄ー、金返せよなー!」
「英雄くーん! デートの約束忘れないでねー!!」
「いい映像が手に入ったってホントですか?!」
「な!? オレはなにもしらねえぞ! おまえらなにいってやがる!」
慌てる武内を無視して進行役の少女はつづける。
「広報。ヴェルミナ・フェレス」
壇上にメイドがあらわれた。しかも王道のヴィクトリアンタイプのメイドが、だ。
「うおおお! メイド最高!!」
「メイド長、今日も素敵です!!」
「ヴェルミナー、結婚してくれー!!」
「わたしのところへ、お嫁に来てー!!」
長い髪をゆるく一つにまとめ、黒い侍女服に身をつつんだ少女がつつましく歩いてゆく。照明に照らされた白いヘッドドレスとエプロンドレスが眩しく視えた(立志館は私服も可)。その姿どおり控えめな雰囲気をもつ少女だ。
「英雄様。後ほどいろいろとお尋ねしたいことがございます。よろしいですね?」
「よ、よろしくねえ……」
うめくように武内は呟き、フェレスは満面の笑みを浮かべた。
「書記。朱神・凛」
進行役をしていた少女が面をふせ、生徒会の列に加わった。
――恥ずかしすぎますわ!
「凜さん、がんばれー!!」
「お姉様ー、がんばってー!!」
「そのポニーテールで俺をぶってくれー!!」
「凜先輩、そのおみ足でぼくをふんでくださーい!!」
ホール内から笑い声と不安のざわめき声があがるが、如月は気にしない。
「諸君、不安がることはない。私たち生徒会は――、一名を除いて優秀だよ? さて、我々生徒会役員は基本的に自薦、他薦の候補者の中から選挙で決められる。だが、欠員がある場合、または欠員が出てしまった場合、選挙なしで役員になってもらうこともある。これは私たち現役の生徒会役員によって議論し、その実力が認められた場合だ。無論拒否権はあるから、安心したまえ」
シニカルに笑い如月は朱神にうなずきを一つ。
「以上。生徒会役員の紹介でした。次は新入生代表の挨拶です」
マイク前に戻った朱神がいうと、重たい吐息をこぼし零が席を立った。
「兄さんがんばって!」
「はは……」
雫の励ましに乾いた笑みで零は応える。段取りどおり、彼は舞台下中央に設置されているマイク前へ進んだ。衆目を集めることが苦手な彼は、はじめ新入生代表の挨拶を断ったのだが、けっきょく断りきれず引き受けることになった。
巨大ディスプレイにスポットライトに照らされた零の姿が映し出される。
と、場内がにわかに騒がしくなった。
「あれが今年のトップか……」
「すげえよなぁ」
「きゃー、かわいい子よ!」
「ぼ、ぼくの彼女になってください!」
「……おまえ、アレ男だぞ?」
「可愛ければ男でもオッケー!」
「……」
立志館に入ることは難しく、そこへトップ入学ともなるとさらに困難なことであった。立志館の生徒は在学中から各方面の企業や機関から注目を集めている。優秀な人材として。立志館に入ることはある意味将来を保障されたようなものだ。
以前その優秀さから誘拐事件が起こったこともあった。しかし、それは当時の生徒会が犯人グループとその背後にあった組織を壊滅させ、誘拐された生徒は無事保護されている。以後、生徒たちの情報は幾重にも厳重に管理され、トップクラスの入学者には陰ながら生徒会や保安部の護衛がつくようになった。零の前に遠野が現れたのは偶然ではなく生徒会業務の一環だ。
故に、成績トップで入学すれば否応もなく注目されてしまう。いい意味でも悪い意味でも。ちなみに雫は、飛び級制度を使いながらも三番目の成績で入学していた。
マイクの前に立った零は、こうゆうの苦手なのに……、とおもいながら、
「――私たち新入生一同、卒業するその日まで、勉学、スポーツともに邁進することを、ここに誓います。新入生代表、天宮・零」
新入生代表の挨拶を終えた。盛大な拍手が鳴り響く。
零を視て満足そうに如月はうなずき、となりに立つ遠野の様子をうかがう。彼は照れながら席に戻る零を静かに見つめていた。眸にかなしげな色をゆらして。
「カッコよかったですよ、兄さん♪」
席に戻った零に、弾んだ声で雫がいった。
「アハハ。できれば代わってほしかったよ……」
疲労困憊の体でイスにすわり、はあー、と深く長い息を零はこぼした。
演壇前に立つ如月は零が席に着くのを興味深げに見とどけ、
「諸君。これで入学式は終わりだ。この後は立志館名物の花見、園遊会がある。立志館の桜は見ものだよ? それに、料理研究部と茶道部の協力で、お茶請けと旨いお茶も用意させてもらった。受験の疲れを美しい桜を愛でながら、旨い和菓子とお茶で癒してほしい。参加は自由だ。このまま帰って勉学などに励むのもいいが……風情を、美を、愛でる余裕がない者が立志館にいるとはおもわれない。我校はイベントが多いことでも有名だ。日々の精進の息抜きに、今年もいろいろと考えているので、覚悟しておきたまえ」
演壇から一歩下がり礼。それに倣う役員一同。
「以上をもちまして、立志館高等学院入学式を終わらせていただきます。場内アナウンスに従い順次退席してください。なお、園遊会は午後三時までですので御注意ください」
朱神が入学式の終了を告げた。
たいした混乱もなく場内から生徒や父兄が次々に退席していく。
場内から生徒や父兄が退出すると同時に、朱神、フェレス、大地の三人は配膳の手伝いをするため、舞台から降りグランドへ向かった。だが、役員の一人、武内はそれを横目に舞台上で朝霧と話しをしていた。
「ダメだなぁ、英雄君。のぞくならもっとうまくやらないと」
「なにいってんだクソジジイ。オレがそんなヘマするわけねえだろ。アンタのほうこそもっとうまくやれよ。おかげでオレが疑われたじゃねえか!」
「お二人でなにをこそこそと話しているのです?」
「ゆりか君?! べ、べつに、なにもやましいことなど、は、はは、話ていないよ?」
「日下部です。誰もやましいこととはいっていませんが?」
「……」
「ゆりかさん。さっき誰かがいったのぞきの件はオレじゃねえから! たぶんどっかのエロジジイだとおもうぜ。んじゃ、オレはやることがあるから!」
舞台上から走りさってゆく武内を朝霧は恨めしそうな目で見送り、
「わ、私はなにも知らないよ? いや、ホント、マジで!」
言い訳をした。
「……まだ、なにもいっていませんが。それに、校長が女子更衣室をのぞこうがナニをしようが仕事に支障がなければ問題ありません」
「うわー、超ビジネスライク。そんなんだから、日下部教頭は彼氏もできないんだよ?」
「三十八歳独身男にいわれたくありません」
「ぬあ?! 人が一番気にしていることを!」
日下部が歩き去ると、舞台上でうなだれる三十八歳(独身)に、スポットライトが当てられた。
「これであらかた片づきましたね」
場内の片づけを手伝っていた遠野は作業を終え、配膳の手伝い行こうと足を出口にむけた。
そこへ、
「副会長。さきほどの新入生代表を務めた子だが、生徒会に誘うつもりかね?」
シニカルに笑いながら如月がやってきた。
「……いえ。誘うつもりはありません。彼に戦闘は向いていませんよ」
やんわりと否定する。
「しかし、今朝の一件ぐらいなら問題ないが、今後なにが起こるかわからない。それならいっそうのこと生徒会に入れてしまったほうが彼の――彼らの、後々のためには良いのではないのかな? 失ってからでは遅いのだよ?」
「それは、そうかもしれませんが……」
「ふむ。まあいい。……しかし、これはいい機会だとおもうのだがね。この件に関して我が麗わしの副会長殿はあまり気がのらないようだ。だが、私は個人的に彼に興味が沸いてきたよ。一度話をしてみたいものだ。純粋ゆえに傷つき傷つけ。無知ゆえに世界を見ず知らず。遅かれ早かれ、このままでは彼――死ぬとおもうがね?」
式典大ホールの出入り口付近は生徒や父兄たちの賑やかな声で溢れていた。彼らの大半は園遊会が催されるグランドへ向かっている。そんな彼らを見ながら、零は軽く伸びをした。
「うーん。新入生代表の挨拶が終わって、やっと肩の荷が下りたよ。入試より緊張したなー」
「ふふ。お疲れさまでした、兄さん。で、この後どうします? お花見を参加していきますか? それともこのまま帰ってムフフな展開?」
「帰ってなにをするつもりかはあえて訊かないけど、せっかくだからお花見に参加しようよ」
「そうですね。桜の下でするのもいいですよね?」
「なにを!?」
雫は零の腕をとり桜が咲き誇るグランドへとむかった。
広大なグランドが美事な桜色に染まっている。
ここでは酔っ払い、他人に迷惑をかける者や、ゴミを捨てていく者もいない。花見に参加している生徒、父兄、教諭たちは入試と入学式の緊張感から解放され、各々桜の園遊会を楽しんでいた。
忙しく動き回っているのは配膳係をしている女子生徒たちだ。そのなかには生徒会の朱神や、フェレス、大地の三人もいる。テキパキと朱神は指示をだし、フェレスは漆塗りの盆に茶や和菓子をのせ笑顔で配り、大地はけな気に茶と和菓子の用意をしている。
「はぁ……。ほんとうにここの桜はきれいですねぇ。心をさらわれてしまいそう」
桜を見つめる雫の髪が春先の風に吹かれ、ゆるやかに揺れる。彼女はゆれる髪を手で耳にかけ、隣にすわる零にほほ笑んだ。
「来る時の桜並木もきれいだったけど、ここの桜はほんとにすごいね……」
配られたお茶を飲みながら零も感嘆の声もらす。
ふたりはグランドに用意された、朱色の毛氈を敷いた長椅子の一つにすわっていた。長椅子の上には、桜の花びらがのった餅、みたらし団子、餡子がほどよくのった草団子の三種類が盛られた小皿、それとあたたかな玉露の入った器がおかれている。料理研究部と茶道部の生徒たちがこの日のために用意したものだ。そのため、二つの部のどちらかに所属している生徒は前日から不眠不休で準備をしていた。それでも文句がでないのは、こういった行事に皆なれているからであり、生徒たち自身が自らの意思で参加し楽しんでいるからだろう。
うららかな春の光景がそこにはあった。
「おい。ホントにやるのか?」
「当たり前だ! あそこまでバカにされたんだぞ?!」
立志館の校門前に、零と雫を襲った男とその仲間らしき者が十人ほど集まっていた。ふたりを襲った男がリーダー格のようだが、先に逃げ出した男の姿は見えない。
「でもよう、立志館の生徒会はヤバイって噂だぜ?」
「なにビビってんだ。しょせん相手はガキじゃねえか。これだけ能力を使える奴を揃えたんだ、どうってことねえよ」
その子ども相手に大人が大勢集まり私刑をしようとする滑稽さに彼らは気づけない。彼らは自らの愚かさがわからないのだ。なぜなら、彼らのような者たちは自分の行為に一片の疑問も感じることなく、愚かな行為を正当化するからだ。この手の輩はいつの世にも必ず存在してしまう。風邪のウイルスがなくならないように、彼らのよなう者を、この世界から無くすことは不可能らしい。
「へへ。ガキに大人のやり方を教えてやる」
「あんたら立志館でなにしてんだ?」
「誰だ!?」
突然かけられたのんきな声に、男たちは辺りを見回す。
校門の壁の上を見れば、頬杖をつき胡坐を崩したような姿勢ですわる短髪の少年。
生徒会の武内だ。
「その噂の生徒会の者だよ」
冷めた口調で武内は答え、
「よっ」
めんどうくさそうに壁の上から音もなく飛び降りた。
武内は細く視えるので、一目見ただけではわかりにくいが身長は大きい。そして動きは野生動物のように力強く、しなやかだ。彼は遠野から今朝の一件を聞かされた時、このような連中がくるかも知れないからと見回りを頼まれていた。日下部から逃げたあと彼は学院の周りに不審な者がいないか、保安部と協力し警戒していたのだ。この場に保安部の姿は見えないが、彼らは手分けして他の場所を警戒しているのだろう。
「蒼がいってたのはおまえか? もう一度訊くぞ。立志館でなにしてんだ?」
「あぁ? ちょっとここの生徒に世話になったんでな、その礼にきたんだよ」
「……」
どうして遠野はこの男を見逃したのだろう、と武内は疑問におもった。
零たちがいたからだろうか?
「ま、いいや。それより、蒼がおまえに訊きたいことがあるらしい。だから、ちょっと付き合ってもらうぞ。他の奴らは――さっさと帰れ。目障りだ」
「舐めてんじゃねえぞ。おとなしくいうことを聞くとでもおもってんのか?」
「べつにおもっちゃいねえよ。決まりだから、一応いっただけだ。なんでも話し合いで解決できるんなら、とっくにこの世から争いごとはなくなってるはずだからな」
吐き捨てるように武内はいった。彼の貌が厳しいものへと変わる。
ざわめく、桜の梢。
一歩、武内は足を前へ踏み出す。
「相手の実力もわからねえ一山幾らの奴らが、オレに勝てるなんて奇跡、夢でもありえねえぞ?」
男たちが武内の存在感に威圧され一歩退いた。
「ビビるな! どうせガキのハッタリだ!」
男が叫び、仲間たちがいっせいに武内に襲いかかった。が、その直後、なにが起こったのかもわからないまま、リーダー格の男を除いた全員が跡形もなく武内の拳に砕かれた。
「遅せぇよ」
「ひ?!」
わけがわからず男は情けない悲鳴を漏らす。武内は男を捕まるため肩を掴もうと、
「!?」
手を伸ばしたが、咄嗟に男から飛び離れた。
直後、赫い焔が男を包み込む。
焔は瞬時に男を燃やしつくすと虚空へ溶けるように消えてしまった。
「……」
警戒しながら武内は周囲の気配を探る。しばらく経っても攻撃を仕掛けてくるようすはなかった。何者かはわからないが、もうこの場にはいないようだ。戦闘態勢を解き彼は頭をポリポリと掻く。
「いま、すげーいい乳した女の子が炎の中に見えたような……気にせいか?」
息を吐き、男が燃えた場所を視るが灰一つ残っていない。
「蒼に捕まえるよういわれてたんだが……ドジったな。でもまあ、気にしても仕方ねえか。さて、仕事も
片付いたし、新入生のカワイイ女の子をチェックしに行くか! 運がよければウレシハズカシのパンチラが見れるかもな!!」
「英雄様」
「ヴ、ヴェルミナ!?」
いつの間にやって来たのかフェレスが武内のそばに立っていた。
「姿が見えないので、どこへいかれたのかと探していました。ところでいま、なにかおっしゃいましたか?」
「ま――」
彼がなにかいう前に、心地よい打撃音が辺りに響いた。
校門で武内が生徒会業務をしている頃。
配膳の手伝いをしていた大地の目の前に小さなウィンドウが一つ、警告音とともに開いた。
立志館に設置されている極小の1711個あるカメラの一つから映像が映し出される。
「?!」
校門の映像が映し出されると、
――蒼くんにしらせるです!
急いでウィンドウを閉じ、周囲を気にしながら彼に近づいていく。だが、寸前のところでつまずき、転びそうになった。転ぶ、と彼女がおもった瞬間、その小さな身体をふわりと支える手がのばされた。
「大丈夫ですか、桜さん?」
「あ、ありがとうです」
遠野の顔を見上げ、彼女は恥ずかしそうに、そしてどこか、うれしそうにいった。
ゆっくり彼から離れると彼女は、
「そ、そうです! 蒼くん、校門のところで――」
「桜さん、心配いりません。英雄くんが対処してくれます」
異変をしらせようとしたが、みなまでいわさず遠野はほほ笑んでみせた。
「今朝の一件がありましたからね、念のため英雄くんに頼んで警戒してもらっていたんです。ですが、まさかほんとうにここまで来るなんて、おもいませんでしたけれど……」
苦笑し、彼は考える。
……立志館もまだ甘く見られているのでしょか? それとも……。
彼の言葉を聞いて安心したように大地は小さな吐息をこぼす。が、
「でも、立志館の生徒を襲うなんて最近はなかったのに……。少し、不安なのです……」
漠然とした不安は拭えず、大地はうつむいた。
遠野は不安にうつむく彼女を見つめた。花の香りがした。やさしくて、あたたかい、そんな香りだった。
「……大丈夫。大丈夫ですよ、桜さん」
「……」
肩に木漏れ日のぬくもりを彼女は感じた。彼の手がつつみこむように、彼女の肩にそっとふれている。 彼女は頬を染め、肩から伝わる彼のぬくもりを感じながら肯く。だが、そのぬくもりにはどこか、晩秋の夕暮れのようなせつなさも感じさせた。
彼女を安心させるように彼は笑顔をみせ、ほそい肩から手をはなす。
「今年もきれいに咲いてくれましたね」
しずかに風とたわむれる桜の花に眸を移し、彼は呟くようにいった。
「はい。みんなが楽しみにしていてくれるから、その気持ちが伝わって、一所懸命咲いてくれるです。それに、みんながほめてくれて、よろこんでくれてうれしいっていってる、そんな気がわたしはするです」
「おもいが伝わるのですね」
「蒼くんのおもいも、きっと、あの桜や花たちに伝わっているのですよ」
「……」
梢の隙間から見える空の青さを遠野は眩しげに見上げた。
……花たちにはおもいが伝わるのに、人には……。
やり切れないおもいが胸に広がる。
「……」
ぬくもりをくれた彼の手を見つめながら、大地はその手に自分の手を重ねたいとおもった。
だが、手を伸ばせなかった。
だから、せめて彼のそばにいたいとつよく――強く、おもった。
……ほんの少しでも蒼くんのそばに……。
寄りそうように彼の隣に立ち、彼方の空を見つめる彼の横顔を見上げる。
「……」
彼が視ているものを自分も視たい。
そうおもい、彼女は遠い、青い空の彼方を見つめた。
春先の無邪気な風が吹き抜けてゆく。
女子生徒たちのスカートがふわりと波打った。
きゃ、という声をあげ、女子生徒たちは下着が見えないようにそれを手で押さえる。
「おおお! 見えそうで見えないのもスバ――」
いつの間にか戻ってきていた武内が興奮した声をだす。が、不意に途切れた。ヒビ割れた漆塗りの盆が彼の足下に落ちている。少し離れた場所にいるフェレスが、持っていた盆を投げたようだ。
小休止を日下部に懇願し桜を見ていた朝霧は、
「見たかね、ゆりか君? やはりチラリズムは大事だとおもうんだが、どうだろう?」
「日下部です。同意を求められても困るのですが……」
蔑むように朝霧を視る。
「校長がチラリズムをお好きなのはわかりました。それではさっそく、校長室の机の、上から三番目の引き出しに入れてある雑誌は捨ててしまいしょう。あれは校長のご趣味にはそぐわないもののようですから」
「なぜそのことを君が!? っていうか。ま、待ってください、日下部教頭! あれはこの前買ったばかりでまだ見てないんです!」
大名に年貢米を減らしてもらおうと直訴する百姓のように、目に涙を浮かべながら朝霧は訴える。パンツスタイルのスーツを着込んだ日下部は彼を無視して校長室へむかった。
「相変わらずあのふたりは進歩がないね。ところで、凛君。これはなんのマネかね?」
設置された長椅子にすわる如月が、視界を塞ぐようにして目の前に立つ朱神に尋ねた。
「な、なんでもありませんわ」
配膳の手伝いを終えた彼女は不機嫌そうに答えてから、長椅子にすわりなおす。
長椅子の上には玉露の入った器と茶請けが二人分あり、それを挟んでふたりは座っている。
桜の花びらが一枚、彼の器に舞いおり波紋をつくった。
「雅だね……」
「ええ……そうですわね。でも、どうしてこんなにもすぐに桜は散ってしまうのでしょう……それがすこし、さびしいですわ……」
「……」
散ればこそ いとど桜はめでたけれ うき世になにか 久しかるべき(よみ人しらず)
和歌を諳んじ如月はつづける。
「桜は――〝花〟は散るからこそ、美しく、愛おしく感じるのだよ。我々、命ある者はね」
「たしかに、そうですけれど……それでも、わたくしは」
……さびしいと、かなしいとおもってしまいます。
宙を舞う花びらをすくうように、彼女はわずかに腕を伸ばす。
花びらが一枚、その手をすり抜けていった。
指先が、かすかに震えた。
「……それにしても、近頃はわたくしたちの区域内に限らず犯罪件数が増えてきているようですけれど、望君はどうおもっていますの?」
「ふー。凛君が淹れてくれたお茶は旨いね」
器を愛でてから玉露を飲み、しみじみといった。
「当然ですわ。望君。貴方のお顔についているふたつの耳は飾りですの?」
「失礼なことをいうね、君も。ちゃんと聴いていたとも。この耳は天の声すらも聴く耳だよ?」
「戯言ですわ。それにしても『神』ではなく、『天』ですの?」
ふむ、とうなずき如月はシニカルに笑う。
「そうだね。『神』といってもいいだろう。しかし、一般的にいわれる『神』の概念と、私が考える『神』の概念は異なるだろうが」
「?」
「気にしないでくれたまえ。さて、最初の問いだが。たしかに全国で学生同士の争いや犯罪が増えてきているようだね」
如月は桜の花びらがのった餅を手にとった。
……餅の食感と白餡の甘さ、うっすらと残る桜の香り、すばらしいバランスだ。
しっかりと味わい、胸のうちで称賛する。
「凛君。なぜ犯罪が起きるかわかるかね?」
餅を食べ終えると彼は朱神に尋ねた。
「なんですの、突然? まあ、いつものことですけれど。……さまざまな環境的要因が犯罪をうんでいるのではないでしょうか」
「そのとおり。環境を作る社会システムが円滑に健全に営なまれていない場合、犯罪は増える」
「では、最近の犯罪増加は社会の運営が滞っているためだと?」
「君もわかっているだろうが理想的な社会システムなど、もともと幻想にすぎない。どんなに理想的なシステムであろうと、当初の理想・理念はたやすく失われ、システムはまともに運営されなくなる。当然だね? すべての者が理想的なシステムの中で生きていける精神と理想をもっているわけではないのだから。システムを運営する我々生きる者たちの精神は、二千五百年以上進歩していないといわれている。いや、むしろ悪くなっているのではないかな? そんな我々が犯罪や争いごとをなくすことなどできないのではないかね? 歴史を紐解いてみればわかることだが、過ちの繰り返しだ。それでも我々はなんとかやってきたわけだが……」
玉露を飲み、みたらし団子を食べる。
……この独特のタレが郷愁を誘い、飽きさせないポイントだね。
美しい夕暮れに沈む、田園風景をおもいうかべた。
「貴方は真面目に話ができないんですの?」
頭痛を抑えるように左手でこめかみを押さえる。眼鏡越しの目は半目状態だ。
「私はいつでも真面目だよ? 国会議事堂で居眠りをする自称政治家よりも」
「微妙ですわね……」
あきれる彼女を気にすることなく彼はつづける。
「犯罪と定義されているものは我々が精神的進歩、いや、進化しなければ増えつづけるだろう。他に可能性を挙げるならば、世界が自浄作用をなくしているのか、変革を望んでいるのかもしれないね。花が閉じようとしているのか、蕾が花開こうとしているのか……」
「またそのような戯言を」
「ふふ。そうかもしれないね?」
最後の草団子を愛おしむように食べる。
――漉し餡もいいが、やはり粒餡! ああ、正にこれぞ王道!
快哉を叫び、如月は草団子の余韻に浸りながら玉露をすする。
「さて、凛君。長い前フリはこの辺でいいだろう。こんな夜9時55分から始まるニュースショウのような話題を、君はしたかったわけではあるまい?」
見透かしたように、かたほうの口の端だけで笑みをつくる。
朱神は躊躇いをみせ、
「……」
目を逸らし、
「……『夢』を、見ましたわ……」
抑揚を抑えた声でいった。声には無力な自分を責めるような揺らぎがあった。
「どのような『夢』かね?」
「……星が落ち、降りしきる雨のなか……少女の、泣き声を聞きましたわ……」
形のいい唇をわずかにかむ。
「それはまた……美しい夢だね。まるで物語のワンシーンのようだ」
中空をみつめ、どこか悄然とした彼女に眸をもどす。
「凛君」
「なんでしょう?」
「お代わりを頼めるかね?」
真剣な貌で、空になった器をさしだす。
彼女は盛大なため息をこぼして席を立った。歩いてゆく後姿は不機嫌そうだ。このぶんではお代わりを持ってきてくれるかどうかわからない。ポニーテールの後ろ姿が見えなくなると、
「美しいね。美しい。そして……」
ひとり呟き、彼は散りゆく花を遠望するように眺め、おもう。
……かなしい夢だ……。
「兄さん、このお茶もお茶請けもホント美味しいですね」
雫は零との花見を楽しんでいた。が、対照的に彼は今朝の事を思い出しているのか、その貌は曇っていた。
「食べないんですか? とっても美味しいですよ。食べないのなら私が」
手付かずの彼の皿に手を伸ばす。
「あんまり甘いものばかり食べると太るよ?」
零は快心の一撃を放った。
「じ、冗談ですよ? さっきから兄さんがこんなに可愛い女の子をほうっておいて、ぼんやり考えごとをしているから、ちょっといってみただけです。それに、私べつに太ってませんから! ……なんなら確認してみます?」
「すみません、ぼくの失言でした……」
気持ちを切り替え彼女に笑みをみせる。
「……ごめん。気を遣わせて」
「いいえ。私は兄さんが望むなら、放置プレイだろうがなんだろうが耐えてみせます!」
「そんなことは望んでないから!」
苦笑をこぼし、ありがとう、といって彼は桜の花びらがのった餅を手にとった。
「! ほんとだ、すごく美味しい……。これ、ほんとに料理研究部の人たちが作ったの? プロの人が作ったみたいな味だね」
和菓子の味に感嘆し、
「一本あげようか?」
真剣な眼差しで残りの団子を見つめる雫に尋ねた。彼女はしばらく逡巡し、首を横に振る。
「私は食べましたから、兄さんが食べてください」
「ほんとにいらないの?」
「…………いりません」
油の切れた自動人形のように彼女は団子から顔をそむける。
「じゃあ、ぼく食べちゃうね?」
あえて彼女の好きな粒餡がのった草団子を零が食べようとすると、
「アー!!」
彼女は自分でも驚くほどの大きな声をあげてしまった。周囲の人たちが何事かとふたりを見る。口を手で押さえ彼女は赤面。何事も起こらないようなので周囲の人たちは歓談に戻った。
「……」
怒ったような上目遣いで零の貌をうかがう。彼はいまにも笑い出しそうだった。
「欲しいなら欲しいっていえばいいのに」
「兄さんが太るなんていうからです」
「いつも雫にはからかわれているから、つい。ごめん。ぼくがいじわるだったね。これ食べて機嫌なおしてよ」
さしだされた草団子を横目で見て、彼女は渋々といった体で草団子をうけとった。
それを視て彼もみたらし団子を食べる。
「兄さん」
「?」
「私、兄さんのことをからかってなんかいませんよ? 私はいつも本気です!」
「わあー、桜が奇麗だなあー」
「スルーされましたよ?! 全国のみなさーん!」
顔を見合わせ、笑い合うふたり。
雫の笑顔を視ながら、これから始まる学校生活が平和であればいいな、と零はおもった。
立志館から五十分ほど歩くと繁華街にでる。その繁華街のまっただなかに、
市立鐘ヶ台商業高等学校、と呼ばれる学校があった。
以前はそうでもなかったが、いまではここに通う生徒たちの評判はあまりいいものではない。
昨年の夏、この学校の生徒会がとある事件に深く関与していたことが発覚したからだ。最近もまた、その評判をさらに悪くするような噂がまことしやかに流れている。
その校舎、三階にある生徒会室にふたりの少年とひとりの少女が場違いなほど豪華なテーブルを挟んでソファにすわっている。豪華なのはテーブルだけではない。三人がすわるソファも一流メーカーの物で、広い室内にある調度品を見ればどれも高価なものばかりだ。しかし、デザインや色彩の統一感は皆無で非情にバランスが悪く、悪趣味に見えた。
ソファにすわる少年のひとりは、この部屋の主であることを態度で示すように尊大にすわっていた。彼の横ではなにがおかしいのか、少女が意味もなくニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、対面にすわる小柄な少年を品定めでもするかのように視ている。室内にはこの三人の他にも数人の男女がいて、ソファに座るふたりの少年のようすを面白そうに眺めていた。
「入学そうそう話があるそうだが、俺になんの話があるんだ? 新入生の神楽・正義君」
腰深くすわった生徒会長の寿・嘉一が正面にすわる小柄な少年、神楽にいった。 他人を馬鹿にしたような響きが消費税よりも高く、彼の声には含まれていた。ウエッジウッドのコーヒーカップを持つ手には金色の腕時計が光っている。
「寿会長は立志館のことをどうお思いですか?」
コーヒーには手をつけず、神楽は微笑み尋ねた。目の前におかれたコーヒーの香りよりも、眉をしかめたくなるほどの臭いが彼の鼻腔を刺激している。寿の隣にすわる少女の香水の臭いだ。上等の豆を使ったコーヒーの香りが台無しになっていた。
立志館の名が出されたとたん、寿は不味い酒でも飲まされたような貌をし、
「どうとは?」
用心深く聞き返した。
「快くはおもっていないのではないですか? 立志館に押さえつけられている現状を」
「……」
警戒を強め、寿は考える。
……何が目的だ、こいつは……?
文武科学省から派遣された者だろうか。だとしたら、ここで下手なことはいえない。
寿が適当なことをいってごまかそうと考えていると、
「そんな、警戒しないでください。ボクはべつに文武科学省の回し者ではありませんから。身元を調べてもらえればわかるとおもいますが、ただの新入生ですよ」
彼の考えを読んだかのように、神楽がいった。
「……じゃあ、なにが狙いだ? おまえはあの立志館と戦争でもしたいのか?」
「ええ、実はそうなんですよ」
無邪気に神楽がいうと室内に哄笑がひびいた。
「おもしろい冗談だな、神楽。そんなことをしてどうするつもりだ?」
「立志館を潰せれば、いろいろとメリットがあるじゃないですか」
「まあ、そうだな。たしかにメリットはある。だが、立志館にたて突こうとはおもわない。こっちらから手を出さなければ、あいつらもかんたんに手を出してこれないからな」
立志館と鐘ヶ台とでは戦力差が大きすぎる。それは昨年のとある一件から寿にもわかっていた。それともこの新入生は立志館との戦力差を埋められるほどの能力者なのだろうか?
「俺は勝ち目のない戦争はしない主義だ」
「勝算があるとすれば、どうでしょう?」
「ハハハ! それはどんな勝算だ? あの化け物ぞろいの立志館相手に。神楽、おまえはそんなに強いのか?」
「立志館の実力は多少知っています。……そうですね、論より証拠。その力の一部をお見せしますよ」
室内を見回す。
「寿会長。誰か一人、ボクを殺す気で攻撃させてくれませんか?」
「? べつにかまわないが、死んでもしらねえぞ?」
生徒会役員の一人に寿が顎で意思を伝える。
前に進み出てきた少年は、
「ほんとに殺す気でやっていいんだな?」
サディスティックに笑った。他者を傷つけることに愉悦を感じる者の笑い方だ。
すわったまま肯く神楽を見て少年は遺詞に干渉する。全身に紫電が駆った。
「今夜は焼肉!」
ひときわ大きな音が室内の空気を震わせ、電撃が神楽を襲う。
ソファから動くことなく少年を見ていた神楽は、
「 」
呟き、激しく燃え上がる炎のような瞳で冷笑した。
電撃は神楽を焼死させることなく消失。
と、同時に電撃を放った少年はサディスティックな笑みを貼り付けたまま、炎に包まれた。
赤よりも赫い焔。
瞬焔。
すべてを燃やし浄化するような焔に少年はつつまれ、灰も残さず燃え尽きた。
「うわ! ビックリしました。まさか本気でするなんて思っていませんでしたよ。いまのは正当防衛ですよ? それに、ボクは焼肉よりもレアステーキのほうが好きなんですけど――」
あどけない貌で神楽は微笑む。
「ふふ、焼きすぎちゃいましたね?」
「!?」
仲間を殺されたことに気づき、呆然としていた他の生徒会役員が殺気立ち身構える。
だが、寿がそれを手で制した。
「……おまえ、いま、なにをした?」
「ボクはべつになにもしていませんよ。寿会長、いまのはほんの一部です。この力を貴方が手に入れられるとしたらどうします?」
寿は神楽を睨みながら考える。
……これほどの力が手に入るのか? これなら立志館にも……。
神楽は寿に睨まれても気にすることなく、言葉をつづけた。
「どうです? この力で立志館の生徒会を潰し、この県をボクたちで支配しませんか?」
この国には現在『学生法』というものがある。
九十年代後半、少年法は未成年の犯罪を抑制しきれなくなった。
また、大人たちも道徳、倫理、世論などから厳しい処罰を下すことができなかった。
結果、未成年者による犯罪は増加した。(無論、犯罪増加の要因は他にもある)
そのような社会状況の中(いまから五十九年前)、一部の学生たちが「未成年犯罪の被害者は、同じ未成年者が一番多い。故に我々未成年の者にも犯罪に対抗し、身を守る権限があるべきだ。無論、成人の犯罪者に対しても同様である」と主張。この主張に賛同した学生たちと一部の大人たちが全国で『学生法』成立を呼びかける運動を起こした。
始めこの主張に難色をしめしていた大人たちも成人者の犯罪増加、警察、特警の人員不足、そして何よりも未成年に極刑(死刑)や長期の服役の執行、現場での殺傷行為は躊躇われるというのを理由にこの主張を認めた。
翌年、少年法をもとに『学生法』が成立する。
これによって高校以上の生徒会には警察同様(殺傷行為を含む)の権限が与えられ公的組織
となった。
ただし、中学生以下の生徒会にはこの権限はないとされた。理由は、善悪の判断基準が曖昧であり、精神の発達が不安定で未成熟であるため、というのがその理由だった。
そして現在、二十三年前に起きた『学生動乱』以降、国は東西に断裂し各都道府県は半独立自治状態にある。以前まで学生法の執行は各都道府県の『護国司』が集まって運営する『生徒会学生連盟』が総括・監督していた。が、『学生動乱』勃発と同時に組織は瓦解。
以降、各都道府県の代表校である『護国司』がそれぞれに学生法を総括・監督し、生徒会をまとめている。
『護国司』は各都道府県で年三回行なわれている『生徒会代表会議』ないで決められる。おもな仕事は県内の生徒会の監督。学校同士が問題を起こしたときの仲裁。他県の学校と争いがあった場合の守護などが仕事だ。
各学校の生徒会代表者が出席する『生徒会代表会議』の運営は各学校が資金を出し合い運営している。無論、様々な企業もスポンサーとして資金などを提供していた。
『護国司』は『生徒会代表会議』の運営資金の管理・運用も兼ねているところが多く(管理・運用を兼ねるかは会議内で決める)、集まった資金を横領しようとすればそれもおもいのままだ。
故に、『護国司』には信用性、信頼性、そして――強さが求められた。
しかし、『護国司』といっても絶対ではない。『護国司』である学校に不備不満があれば、他の学校が取って代わることもできる。その場合『生徒会代表会議』で不備不満の内容を討議し、現在の『護国司』が『護国司』として相応しくないと認められれば、違う学校の生徒会が新たに『護国司』として選ばれる。だが、組織の常として意見の対立等の理由から争いに発展することもあった。どちらにしても、これらは大人たちが演じる権力争いと変わりはない。
寿たちの県の『護国司』は立志館だ。
立志館を潰すということは自分たちが『護国司』になるということ。
そうなれば、この県を支配することも可能だろう。
……県の支配……。
県の生徒会を支配することができれば、まさにやりたい放題だ。
甘い誘惑に魅せられたのか寿は、
「どうすればいい?」
テーブルに身をのり出した。
「会長?!」
副会長の木野原・撤が非難めいた声を上げるが寿のひと睨みで押し黙った。
「たいしたことはありません。詳細は後ほどお伝えします」
難しいことなどこの世にはなに一つ無いといった貌で神楽はいった。
「で?」
「で、とは?」
「おまえのホントの目的はなんだ? なにか目的があるから、こんな申し出をしてきたんだろ? たしかに立志館を潰せれば俺たち生徒会にメリットはある。だが、おまえにはなんの得がある?」
探るように寿はいった。彼は初対面の神楽を完全に信用しているわけではない。なんらかの利益があるからこそ、打算があるからこそ、このような話を持ちかけてきたのだとおもっている。
「……目的ですか」
う~ん、とわざとらしく首を傾げる。
「ボクを生徒会に入れてくれませんか。ちょうど席も一つ空きましたし」
「生徒会に?」
「そうです。護国司の生徒会に入れればボクにもメリットがありますから」
洗練された所作でコーヒーを口に運ぶ。少女のつける香水のせいでとても不味く感じられた。が、彼は少しもそれを貌にはださなかった。
寿は神楽の言葉に一応納得した。
「わかった。立志館を潰すことができたら、おまえを生徒会に入れてやる」
寿がそういうと、
「ありがとうございます」
神楽は天使のようにわらった。




