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氷原はその中心部へ行くほど隆起していて、リギルがそこへ進むにつれて周りの景色が遠くまで見渡せるようになった。といっても、何もない大地がどこまでも広がっているだけなので眺めたところであまり面白くもない。しかし、頂上付近に差し掛かったときリギルは、氷原の左手の一部分だけがいびつに削り取られたような形になっていることに気付いた。そこから何本も道が伸びていて、何か動いている。おそらく、あそこから天氷を掘削して運び出しているのだ。リギルはその方向へ急いだ。
近付くと、大きな車輪がたくさんついた巨大な引き車のような乗り物が走っているのだと分かった。リギルは馬機でその前に進み出て旋回した。車がリギルに気が付いて止まった。中に二人の男がいて、そのうちの若いほうが車から降りてきた。
「どうしたんです?」
「旅を……いや、氷原というものを見ようとここまでやって来たのだが」
「氷原を? なんでまた」
「なんでだと聞かれると困るが、まあ初めてなのでどんなものかと思ってね。それに天氷を少し持ち帰りたかったのだが、硬すぎてどうにもならないな」
天氷が非常に硬くて専用の道具がないと切り取ることなどできないことは、たいていだれでも知っているのに……リギルは男がそんなことを思っているのがすぐに分かった。
「実は、私はまだ天に来たばかりなので知らないことだらけなので。郊外の町にいたんだが、この世界のことを知りたいと思って目的もなく町を旅して回っているのです」
リギルが一応の説明をすると男はああ、と頷いた。
「ソハカです、よろしく。それじゃあ急ぐ旅でなければ、よかったらいっしょに来ませんか? 工場に行けば天氷を加工することもできる」
「ああ、それはありがたい。私はリギルと言います」
「では、車のほうへどうぞ」
ソハカは先に車に乗り込むと、リギルに隣に座るように合図すると、もう一人の年配の男にリギルを紹介した。
「リギルさんだ。旅の途中で、工場を見せたいからいっしょに乗せてくれ」
「はい」
年配の男は枯れた声で返事だけすると、リギルのほうを見もせずに、目の前に付いている釦をいくつか操作し始めた。リギルは慌てて乗り込むと、足元に自分の馬機を置いてソハカに
「ありがとう」
と言った。ソハカは浅黒い肌に大きな丸い瞳が印象的な若者だったが、年配の方は一見して寡黙で難しそうな雰囲気だった。
車が静かに唸るような音をたてて、少しすると進みだした。リギルは珍しくて、目の前の景色と車の内部をきょろきょろ見ていたが、ソハカと目が合って、ふたりとも苦笑した。
「珍しいですか? この車は掘削用です。これで天氷を運んで工場で基礎材にします。でも、基礎材にすれば長持ちするけど、天氷をそのまま持ってっても、すぐに変質してしまうと思います」
「そうなんですか?」
「はい。天氷は、氷原に自生している間はずっと状態を保ちますが、切り離すとだんだん変質します。放っておくと最後には液状になり、それでも放置すれば消滅しますよ」
「……そうなんですかー」
リギルは感心するように言った。しかし、別に何に使う訳でもないし、ただイラに見せたかっただけなので、それが済めば消滅しても問題ないとも思った。
「どれくらいの間、もつんですか?」
「そうですねー……厳密には切り取ればすぐに変質が始まりますが、見た目にはしばらくそのままですよ。感覚的には、まる一日くらいはそのままですかね」
「一日くらいですか? それじゃあ、土産にはならないかな」
「ああ、どなたかに頼まれたんですか? それなら何かの形に加工すればいいですよ。置物とか、飾り物でも。小さなクルの像でもいい」
リギルは言っている意味がよく分からなかった。
「あ、そうか。いや、天氷は、人が何か具体的な機能を与えればそこで変質が止まるんですよ。……分かりにくいですね。要はですね、人が願ったものになるんです。だから、天氷を天氷のままにしておくことはできないのですが、切り取ってすぐに、たとえば天氷特有の透明な質感を残したければ、変質する前にそれに特定の用途を与えてしまえばいいですよ」
リギルはそれでも意味がよく分からなかった。
「まず見てもらうのが一番ですね。もうすぐ工場に着きます。そこで何か作って差し上げましょう。気に入ったら、お土産にどうぞ」
ソハカは屈託ない笑顔で言った。いつの間にか氷原を離れて地面は赤土色に戻っていた。年配の男は終始何も言わなかった。