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目を開けるとすぐにリギルは立ち上がって馬機に乗った。それは滑らかに高速に至った。まっすぐな街道を、まっすぐに飛んでいく。リギルの心は澄んでいた。今までに出会った人たちのことをあらためて思い返していた。イラ、ナトカ、ナトカの妻ディヤン、それにヤヨニ……思い出そうとして、ふとあの世話人の男の名をまた失念したことに気が付いて、リギルは一人微笑んだ。いずれにしろ自分は、だれに対しても常に警戒と、拒絶と、嫌悪……そればかり浮かべていただろう。しかし、だれ一人リギルを責めたりしなかったと思った。むしろ自分は彼らに救われているのではないかと思った。
「あ」
前方に何か見えるのが分かった。真っ白な空に紛れてはいるが、少しだけ影のように何かが横たわっているように見える。まだほとんど輪郭はつかめなかったが、おそらくあれが氷原だとリギルは思った。
もう少し進むと街道が大きく分岐していた。リギルはナトカの地図を頭に思い描いた。おそらく、この二股を右へ行けば物欲の町、左なら技巧殿の町に通ずる。しかし……リギルは分岐した街道の間、ど真ん中の道なき道をそのまままっすぐ進むことに決めた。つまり眼前に薄っすらと見えている氷原を直接目指すのだ。
リギルは馬機の速力をいっぱいに上げて突き進んだ。街道といってもそれは目印程度の意味しかない。それでも、あえてどちらも選ばずに道から外れて突き進んでいることにリギルは子供じみた爽快感を禁じ得なかった。リギルは少し浮かれて意味もなく右に、左にと制御棒を傾けて蛇行した。実際これは楽しい。楽しい。
「マセル……」
不意にまだ幼い頃のマセルの顔が心に浮かんだ。その記憶は、リギルとマセルが二人で会所の裏の茂みに分け入って遊んでいた場面だ。先に茂みをかき分けていたリギルが、マセルがちゃんと後ろにいるか心配になって振り返ると、マセルはリギルのすぐ後ろにぴったり着いて来ていて、リギルが安心して笑顔を向けるとマセルもにっこりと笑顔を返してくれた。あのときのマセルの笑顔だ。それがいきなり鮮明に思い浮かんだ。
思い出すこともほとんどなかったが、小さい頃、リギルはほとんど毎日マセルと二人で、朝、会所で祈りを捧げてから日が暮れるまで、ずっといっしょにいた。やがて、決闘ごっこに加わるようになってからは他の子供とも遊ぶようになったが、最後はいつも二人で帰った。しかしあの日。あの日が最後になった。
自然に涙があふれた。リギルは蛇行をやめて、速度を緩めた。
「楽しい、これは楽しいぞ、マセル……」
馬機の上で、リギルはあろうことか一人嗚咽していた。リギルは子供のように嗚咽を止めることができないままに、それでもなお走り続けた。