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マセルたちの会衆は家族や親類縁者を含めても百数十人程度である。実際にはまったく別の地域に同じクル教の会衆が存在しているかもしれないがマセルたちに知る術はなかった。
マセルとリギルはともに青年となり家族を持つようになった。もちろん互いに憎しみ合ったり、嫌っていたりするわけではない。会衆の中では他の者と同じようにあいさつや会話もするのだが、二度と幼いころのように打ち解けることはなかった。
ところが、マセルの妻は子を産んですぐに死んだ。そしてマセルが26歳の時、その最愛の息子であり、かつ残された唯一の血縁者であったシリまでが死んでしまった。マセルが死後の魂の継続について強く信じるようになったのはその後のことである。
クル教には分厚い経典はおろか禁忌や戒律すら皆無で、信仰上の決定的な規準は「十言」だけであった。それはクル自身が語ったと口伝される十の短い言葉に過ぎず、その第一は『クルを知る者はみな天にある』である。このことからマセル自身は天国や地獄というような場所があるはずだといつも主張したが、それが先に逝った妻や息子シリを慕うあまりの願望であるのは周知であった。
「我々には知り得ぬクルの御心をそう決めつけては盲信となるぞ」
とマセルに忠告するものもいた。マセルはどちらかといえばいつも淡々として感情を表に出さない男に育っていたが、シリたちとの再会を願うマセルはこの時ばかりはあからさまにその忠告を拒んだ。
「俺は天を信じる。クルを知る者はみな天にある。第一、天国があると思おうが、ないと信じようが他人が咎めることではない」
確かに、クル教は排他的一神教でありながらその信仰の内容について凡そ素朴でおおらかであり、会衆ではこのような議論は日常的なものであった。それは唯一の拠所である十言そのものがあまりに漠然としていることの必然であった。
また会衆の中には、マセルの哀れな身の上を子供時分の一件と関係があるのではないか、とささやく者もいた。マセルはクルの報いを受けているのだと。もちろん直接にそれをマセルに質すようなものは誰もいないが、そんな話を聞くたびにリギルが反論した。
「クルがそんなことをするというのか!クルは呪いの神ではない!」
こういう時リギルはあまりにも激昂するので周囲の者はいつも驚いた。リギルは、マセルが時折ひとりでクル像の前に跪いて、昔自分が蹴った辺りをそっと撫でたりするところを度々見ていた。リギルはそのたびに内心では自分のことのようにマセルの苦しみを思っていた。たが、実際にはマセルにその思いを伝えることはおろか、ほとんど声をかけることすらできないままだった。
リギルは、友として何もしてやれない自分をいつも呪っていた。本当ならマセルの一番近くにいるべき友はリギルだったはずだ。