リギルの道標 1
二人は繁華街を外れて街道へ抜ける道の手前にある広場まで歩いていった。馬機は大きな豆のような形で、全体は真っ赤で両端に色の違う部分が2か所だけあって、その一方から綱のような部分を引っ張り出すと少しだけ地面から浮いた。ヤヨニは綱の先に着いた制御棒を右手に持ち、豆のくぼみのようなところに右足から乗ったが、その足が機体に触れることはなく、ヤヨニは馬機の上に立ったまま浮いていた。ヤヨニは、そのままの姿勢でリギルのほうに顔を向けて、リギルが呆気に取られている様子を確かめると満足げに笑った。
ヤヨニはそのまま広場を一周してリギルのところに戻った。そして制御棒を手放すと勝手に綱が豆の中に収納されて、ヤヨニと馬機は地面にすっと落ちた。
「どう?」
「すごい。これが……すごい仕掛けだ」
「じゃ、乗ってみる?」
リギルはとても不安だった。地面に落ちたままのそれを見つめて、躊躇しているとヤヨニが
「簡単よ」
と笑いながらもう一度制御棒を引っ張り出して、リギルの手を取って握らせた。馬機が少し浮いた。
「足をかけてみて」
とリギルを促した。リギルが恐るおそる馬機に右足をかけると下から風が当たっているような軽い浮力を感じた。しかし、リギルの左足はまだ地面に着いたままだった。
「ちゃんと上に乗らなきゃダメよ」
ヤヨニが指南した。リギルは今度は右足で馬機を踏みつけるように力を入れて、その上に乗るようにした。そっと下を見るとリギルの身体は宙に浮いていた。不安定感はなく、全身が浮力に包まれているような感じがある。
「そう。大丈夫よ。後はその制御棒を行きたい方へ動かせばいいのよ。前に突き出すと速力が上がるから気を付けて」
リギルが少しだけ制御棒を自分の前に突き出すようにすると、馬機は滑り出すように前進した。右に向けると右に転回した。思ったより簡単だった。
「リギル! 止まるときは制御棒を自分の体に当てるのよ」
少し離れたヤヨニが大きな声で教えた。
「ああ! 分かった!」
リギルはしばらく右に、左にと転回を試してから、ヤヨニの近くに戻ってきて、制御棒を自分の体に当てた。馬機が滑らかに静止した。
「そのまま制御棒を離して」
リギルが制御棒を離すと、それは馬機の中に収納され、リギルと馬機はすっと地面に落ちた。
「面白いな」
「そう?」
ヤヨニが笑顔で答えた。しかし、リギルはヤヨニの様子が変だと感じた。いつの間にか口数がとても少なくなっている。心を見るとひどく落ち込んでいる。もう時間がない……と感じているようだ。
リギルは、ヤヨニが自分との別れをひどく寂しがっているのだと今さらのように気が付いた。
「どうした?」
「ううん?」
しかし、ヤヨニは気丈に振舞っている。リギルにはそれが愛おしく思えた。
「リギル、もう行く?」
「ああ、そうだな」
ヤヨニは黙ってしまった。リギルも、何と言えばいいか思い付かないまま、ヤヨニの顔を見つめた。また会える、と言おうとした。しかし、よく考えるとそれを安直に約束するわけにはいかないと思った。忘れない、という言葉さえ嘘になるかもしれない。考えてみれば、ただ町の案内をしてもらったという以外の、何の特別な意味も理由もない関係に過ぎない。むしろヤヨニ自身だって、今一時の情を感じているだけで、時間が経てば自然に忘れてゆくだろう。そのほうが自然なのだ……リギルは変に迷ってしまい、結局
「ありがとう」
と一言だけ言った。そのリギルの迷いを察していたヤヨニは涙が出そうになったが、気丈に笑顔を作った。
「うん」
リギルは今ヤヨニから習った通りに馬機に乗った。それから思い付いたようにヤヨニのほうを見て
「きっと、しばらくは……この馬機に乗るたびに君のことを思い出すと思う」
と笑った。その言葉にヤヨニはもう泣くのを堪えられなかった。涙を溢れさせたままヤヨニは笑顔を作った。
「……ありがとう」
リギルは黙って頷いた。そのまま滑るように馬機が走り出し、リギルはヤヨニのもとを去った。