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天国のマセル  作者: 中至
ヤヨニの憧れ
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リギルが目覚めると、ヤヨニが寄り添うように背中を丸めて眠っていた。あどけない、子供のような寝顔だ。リギルはそっと起き出すと軽く伸びをして、床の脇に置いてある背もたれのある椅子に腰かけた。


さっきヤヨニが美味そうに飲んでいたソルディが残っているのを見て、興味に任せて少し口に含んだ。僅かに気泡の刺激があったが、すぐにぬるっとした甘さが口を覆うような感じで美味いとは思えなかった。


リギルはしばらくヤヨニの寝顔をぼうっと見ていた。こんな、まだ幼いとさえ言える少女がそれほど性的な衝動に駆られるものだろうか? ヤヨニとしばらく過ごしていて、ヤヨニが求めているのは必ずしも性愛ではなく、もっと素朴な人との関わりとか親しみとか触れ合いとか、そういう類のもののような気がした。


そう言えば、イラにしても同じだ。そんな気がする。もちろん、イラの年齢なら異性に対する興味くらいは持つのが自然だが。


「何か違う気がする……」


この町にはリギルの知らない非常に進んだ技術と文化がある。ここにいると、古い規範や価値観などに縛られることが無意味に思えるのかもしれない。まして現世での常識など……しかしそれは前進なのだろうか。このヤヨニや、イラや……いや、クセルたちだってそうかもしれない。それぞれに信仰は保ちつつもそういう結論に達したということなのだろうか。


いずれにしろ少なくとも天ではもう調整というのは事実あるものとして広く容認されているようだ。調整がクルの意思であると人々が信じている限り、自分一人がいくら異を唱えようとだれも聞くまい。むしろ俺のほうが異端者ということになる。


「……これからどうしようか」


リギルは透明で細長い姿態の容器に入ったソルディを見つめるともなく見た。ヤヨニが飛びつくようにそれを何度も喉に受け入れていたことを思い出す。


「美味いと言えば美味いのかもな……」


取り留めなく独り言を言った。するとヤヨニがくすくすと笑いだした。いつの間にか目を覚まして、ずっとこっちを見ていたようだ。


「リギル、さっきから何ひとりで言ってるの?」


我に返ってリギルはヤヨニを見ながら苦笑した。話をそらすようにソルディを手に取った。


「なあヤヨニ、これってそんなに美味いのか?」

「ああ……それ、もう泡が抜けてるから、今飲んだらきっとまずいわよ」


結局、ヤヨニが目を覚ますまで、リギルは一人取り留めなく考え事をして過ごしてしまった。ヤヨニはまた例の繋心具を使って世話人に報告を入れた。それから


「ねえ、もう一度町に出て、何かおいしいものでも食べましょうか」


とリギルを誘った。リギルは少し気持ちが塞ぎ込んでいる気がしたので、ヤヨニのわがままに付き合うのも悪くないと考えた。


「そうだな。そうしようか」


ヤヨニが勧める場所があるというので、二人はそこへ向かった。事前にヤヨニが連絡してくれたので二人はすぐに席に通された。ヤヨニは料理の内容について何か事細かに指図して、私のお勧めを全部用意させるから、と自慢げに笑った。


運ばれた料理は非常に手の込んだ、見栄えの良いものばかりだった。リギルにはよく分からないものばかりだったが、何となく、以前イラが拵えてくれたものと似ているような気もした。リギルはさっき起きたときにイラの様子を確かめておけばよかったと少し後悔した。


「君はいつもそんなに元気なのか? それに何というか、すごく楽しそうだね」

「そう? そうね。今日はいつもよりすごく楽しいかもしれないわ。リギルがあんまり何も知らないんで、可笑しくって」


ヤヨニは無邪気に笑った。リギルは微笑んだ。そう言えば、ヤヨニに釣られてか自分も心なしか浮き足立っているなと感じた。しかし、それはリギルにとって心地よい感覚であった。


「なあ、ヤヨニはまだ、俺とその、したいと思うのか?」

「え? ……そうねえ、まあ、機会があればね。でも、今は別に」

「そうだよな」

「何? リギルもしかして、やりたくなった? ならいいわよ」

「や、そういうことじゃなくて……」


リギルはしどろもどろになった。ヤヨニはくすくす笑った。


「ふふふ。分かってるわよ。リギルは私のこと子供みたいに思ってるんでしょ? もういいわよ、それは」


リギルは、ヤヨニが自分なりに納得しているように思えて、なぜか安心した。


「でも、なぜこの町が『色欲』と名付けられているのか、まだ私には理解できないわ」


ヤヨニは急に話題を変えた。


「もちろん、リギルに言わせれば確かに私はふしだらな……女なのかもしれないけどね。でも、それっていうのは、別にこの町の人だけじゃないわ。というより、この町の人のほうがふつうよ。他からこの町にやってくる人たちって、よっぽどすごいわよ」


なるほど、性愛や倒錯的な快楽を求めてここにやってくる者たちも多くいるのだろう。むしろ住人たちよりも、ここは旅人にとって『色欲の町』なのか。


「私だってね……見境なくだれにでも欲情するわけじゃないのよ。分かってる? でも色欲の町に入ってくる人たちは、たいていそれが目的ですからね。いろんな人がいるから、軽はずみに誘いに乗れないわ。だから、私は世話人の人が紹介してくれないと相手にしないのよ。でも、あなたみたいに、異性との交渉をそんなに拒む人って絶対珍しいわよ。 だれか一人をずっと愛し続けるとか、その人以外とは絶対に何もしないとか、そういう考えって遅れてるのよ。それは昔の考え。他の町に行ったって同じよ」

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