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「妻は、あなたのことを知っていたようだが」
「ええ」
街道から脇道に入り、石段を降りると狭い路地が続いていた。婦人がどんどん先を行くので、大した話もできないままリギルはついて行った。婦人は一度リギルを振り返ると、路地に面して並んでいる一軒の家に入った。後をついて行ったリギルが婦人に促されるまま薄暗い部屋に入った。
「イラと申します」
中には女が座っていて、いきなりリギルに言った。リギルは驚いて思わずたじろいだが、咄嗟に
「いったい何だ! 説明もなく連れてきて、いきなり失礼ではないか」
と声を荒げた。婦人に詰め寄ろうとして振り返ったのだが、婦人はいつの間にかいなくなっていた。
「突然でご不安でしょう。どうかお許しください」
イラは丁重な物言いで頭を下げて言った。イラは複雑な模様のある敷物の上に膝を崩して座って、頭を下げたままじっとしていた。リギルは、相手がまだ歳若い娘のようなので怒りの矛先を失った。
「いや……もう頭を上げてください。イラと言ったか? 俺のほうこそ少し気が立っていたようだ。だが実際まだここに来たばかりで、本当に何も分からないのだ。いったいここはどういうところなんだ。なぜ俺を呼んだ」
「突然で驚くのは当然です。でもあなたの場合は少し急いだ方がいいかと思ったので。いろいろ聞きたいこともおありでしょう?」
「だから、なぜそんなことをあなたが知っているのだ。そして、なぜ俺にかまう。妻に頼まれたのか?」
「いいえ。これはわたしの役目だからです。まずこちらにお座りになってください……ちょっと、飲み物を取ってくるわ」
リギルはとにかく一度落ち着いた方がいいと考えて、イラの言う通り敷物の上に腰を下ろして胡坐をかいた。しばらくすると、イラが飲み物を乗せた茶盆を両手で持って現れた。短めの裾から素足がのぞいていた。
「これは私の大好きな茶酒よ。飲んでみて」
イラはリギルの右に膝を崩して座り、茶酒を注いでリギルに手渡した。暗さに慣れてイラの姿がはっきり見えた。最初の印象よりかなり若いように思えた。リギルはいきなり初対面の若い娘と二人きりでいるので少し警戒した。
「イラ。いったい……分かるように説明してほしい」
だがイラはすぐに答えず、もう一度茶酒を勧めたのでリギルはそれを一口飲んだ。
「ふふ」
その後イラは、まるであらかじめ分かっていたかのようにリギルに説明した。天においてはもはや何の罪も掟もあり得ず、人々は意のままにどんな願望も欲求も叶えることができること。天に来ると人はみなイラのような者に引き合わされ、たいていその者が天で最初に関係を持つ者となることなど。
しかし、リギルには到底信じがたい話であった。イラ自身がすでに無数の男とあらゆる経験を持っていると聞いてもまったく想像できなかった。むしろイラは風貌も物腰もまるで処女のように穢れなく、美しく思えた。リギルはいつの間にかイラに心を許していた。
「長居してしまった。あなたとは後日あらためて話したいのだが、よいだろうか?」
「もちろん。また逢いましょう」
リギルはそれを聞いてなぜか少し浮き立っている自分に気が付いて、恥ずかしくなった。
「ありがとう……その、いろいろ案じてくれて」
「いいのよ。少し待って。奥さまのところまで送って行きましょう」
「いや、それではあまりに……」
「気にしないで。まだ道に詳しくないでしょう。途中で、場所が分かるところまで行ったら、私は引き返すわ」
リギルは、なぜかイラと妻が会うことを警戒したのだが、イラはそんなリギルの心を察して言った。