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クセルが天国へ来てから、おそらく一月以上経っていた。おそらくというのは、ここには正確な日付を表す暦や、時間を示すものがないからであった。クセルたちは食べたくなれば食べ、眠くなれば寝、時間の感覚はあくまで生活の周期と体感に拠っていた。
見る限り天というところは現世とほとんど変わらないように思えた。違うのは空に太陽がなく、ずっと明るく真白であることくらいである。
しかし、現世と勝手が違うのは互いに心が読めるということである。クセルも最初は、自分の意識に浮かび上がってくるものがはたして相手の心なのか、それとも相手の言動や表情から受ける印象にすぎないのか混乱したが、ほどなくして自然に区別できるようになっていった。
相手の心が理解できるようになると、当初の警戒感も次第に薄れてきた。会衆の者たちの信仰心が希薄になっているように感じたのも今は無理からぬことだと納得した。
たとえば会所へ出向いて祈ったり、集会を開いたりというようなクルへの信仰に関する習慣は、少なくともクセルたちが住む一帯ではまったく行われていない。
「天にあって、これ以上クルに何を祈る?」
などとおどけてみせる者たちもいた。もちろんクセルは、やはりふと一人になったときには生前と同じようにクルへの祈りの時間を取るようには心がけた。しかし、考えてみれば、すでに死んだという事実は明らかなのに天国にいてまた命を得ている時点で「信仰」という意味に大きな変化があって当然だ。少なくとも天はもはや信じるべきものではなく事実ここにあるのである。
いずれにしろ、クセルは周囲との協調を最優先に考えて行動した。今自分たちはクル教信仰の果実として天での命を得、不自由ない暮らしを楽しむことが許された身なのだ。無用に抗って異論を唱え、いさかいを引き起こす理由などない。
「祈りたければ祈ればいい。我々はそもそも祈りに見返りなど求めてはいないのだから」
クセルはいつの間にか生前そうであったように、皆を諭すような語り口を取り戻していた。