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「おい……どこへ行くつもりだ?」
リギルは尋ねた。リギルはおかしな感じがした。いきなり訪ねて来たこともそうだったが、それよりも今会った妻はリギルが知っているのとは口調も振る舞いもまったく違うのだ。そして、それは長い年月自分と会わないうちに変わったものというよりも、妻が何のつもりか無理に作ってそうしているのではないかというふうにリギルには思えた。
妻は何も言わずどんどん先に歩いて、もうすぐ集落のはずれというところまで来た。この辺りまで来るとほとんどすれ違う人もいなくなった。
妻がいきなり立ち止まったので、リギルもその場に止まった。しかし妻はしばらくの間振り向きもせずただ立っていた。リギルも特にかける言葉もなく少し後ろに立ち止ってその背中を見つめるともなく見ていた。すると、妻の肩が一度大きく息を整えるように上下したように見えた。
「あなた」
妻は勢いよく振り返ってリギルを呼んだ。その時妻は打って変わって乞うような目でリギルを見つめていたのでリギルは少し狼狽えた。妻が脈絡なく今更そのような表情を自分に向ける意味が思い当らなかったからであった。
「憶えている? あなたがここに復活したときのことを。なぜかこんなふうになってしまったけど……私はそれでも、ずっとあなたが来るのを待っていたのよ? 本当よ」
リギルは何も答えなかった。リギルはあえて妻の心を読むまでもなくその言葉を白々しいと思った。というより、そもそもこの女がたとえ今どのような表情で何を訴えようと、もはや情はおろか懐かしさすら湧かないのだと、リギルは自分を確かめるような気持ちで過去に妻であったその女の顔を眺め返した。
「あなたは……やはり怒っているの? そうよね。あなたは、昔からこういう、筋の通らないことが嫌いだったものね。でも……分かって頂戴。私だって考えたのよ。ずいぶん……悩んだの。でもクルの意思に従うべきだと、そう思ったのよ。あなたもそうでしょう?」
妻はそう訴えながら少しずつリギルに近付いて、そっとリギルの腕に触れようとした。しかしリギルはするりとそれを躱すと、蔑むように、それでいて半ば憐れむように妻を見た。妻はそれに構わず今度はリギルの胸に自分の顔を押し当てるようにしながら背中に手を回してリギルに抱擁しようとした。
リギルは一瞬そのままそれを受け入れた。だが自分から腕を回すことはなく、ただされるがままにしただけであった。その時、妻が自分でも気付かないほど僅かな溜息をついたように感じた。それは愛情や安堵といった快さを伴う溜息ではないように思えた。もっと演技染みた、まったく別の意図がふと漏れてしまったかのようなものに思えた。リギルは奇妙に思った。リギルは妻の身体を押し戻すように自分から引き離した。
「何を考えている」
「……何も」
妻は目を逸らすと思いだすように言った。
「ただ私は、これ以上あなたとのことを……このままうやむやにしておくのは、良くないと思うの。はっきりさせたいのよ。そしてもう忘れさせてほしいの、お互いのために」
「お互いの、ためにか……」
「そうよ。あなたがあのイラとどうなろうと責める気はないわ」
「だから、代わりに前が何をしようと干渉するなと言いたいのか?」
「……そんな言い方」
「は、心配ない。というより、そもそも復活してから俺はまったく干渉していないではないか」
「それはそう。そうよね、そうだけど……」
リギルは妻をまっすぐに見た。その目は硬く、冷たかった。
「今の私にとって、イラだけが生身の女だ。あなたがこの先どうなろうと何を望もうと、今の俺には関係ないことだ。これでいいか」