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「何を怖れるのだ?」
イリアエルは倒れたマセルに寄り添うように寝転んだまま聞いた。仲間たちもその場に座り込んだまま見守った。マセルは何も答えなかった。内心の機微を衆目に晒すことを躊躇したわけではない。ただ、全身に打撃を受けてまだ口が利けなかった。
だがイリアエルは構わず続けた。
「まだ整理が付かないのか? ヌルはもうずいぶん前から感じていたらしいが。ヌルも不思議なやつだ。俺もいつの間にか巻き込まれて……それも悪い気はしないが」
マセルはヌルを想った。そのマセルの意識の奥底では、もっと無数の人々、別れざるを得なかった人々の記憶が渦巻いているように見えた。
「……やはり現世でのことか。俺も黙って見ていようと思っていたのだ本当は。だが、気が変わった。殊勝な気遣いなど無用だろう。マセル、いや、むしろお前ならきっとこうやって、躊躇なく人の心に踏み入るのだろう?」
イリアエルはマセルの心を読みながら一人話し続けた。仲間たちも同じようにマセルの心を読みながら黙って聞いていた。
「誰でもここへ来たやつはいろいろあるさ。だがたいてい時間が解決する。今となってはな、現世での記憶も薄れていくばかりだ。本当にすごいことだな。まったく不思議なものだ、永遠というのは」
それを聞いたマセルの心がゆっくりと沈んで行くように感じられた。永遠という言葉に嫌悪のような懐疑のような感覚が結び付いている。そしてそれは……さらにその根底で怖れとも結び付いているようにも見えた。表層ではないのではっきりしないが……単純に推測するならマセルはその永遠というものに怖れを抱いているのだと見えなくもなかった。
「だれも永遠に生きるということがどういうことかなんて分からないさ。だが俺は別に怖くはない。むしろ良いことじゃないか。だれも怖がってなどいないぞ? おかしなやつだ。何を怖れる必要がある?」
イリアエルは思ったままを言った。周りの仲間たちも含め全員がマセルの心に注目していた。マセルは今まともに思考すること自体ままならなかったので、そこにはただ言葉や像が半ば脈絡なく漂っているようにしか感じられない。だがそれは、マセルの奥底にある感情や感覚のようなものをむしろ素直に映し出しているとも思えた。自ら抑え付けようとしてきたものを。少しの間沈黙があった。
「マセル……お前、もしかして寂しいのか?」
寂しい、と聞いてもマセルの心はほとんど動じなかった。仲間たちも、そもそもマセルはそんな感傷的な男ではないと思った。ただ、感情とは別にマセルの心に映る人々の像のいくつかが特に際立ってはっきりとしていくのが感じられた。おそらく現世で特に親しく過ごした者たちであろう。その中に一人の子がいた。だれよりも一際強くマセルの心を占めているその男の子は、リギルという。
マセルの心の移り変わる様を仲間たちもじっと感じていたが、多くの者は詳しい経緯を知らなかったのでマセルが想っているその男の子はおそらくマセルの息子であろうとごく単純に推測した。しかし、イリアエルだけはそれが現世でマセルが唯一無二の友と慕ったリギルという男であることが瞬間的に分かった。
イリアエルはちくと胸が痛んだような気分を感じた。同情のような憐憫のような感覚と同時に、嫉妬のような誘惑のような相反する感覚が互いに糾われるように伸びて消えた。だがそれはあまりに一瞬だったのでイリアエル自身も自覚できなかった。
「リギル……それはこのマセルの幼少からの友の名だ」
イリアエルはマセルのほうを見たまま仲間たちに伝えた。
「マセル、お前そのリギルに会いたいのか?」
マセルは何も答えなかった。イリアエルは自分で言いながらマセルを責めるような気持ちになった。直後、嫉妬だと感じた。今度はそれが自覚できたのでイリアエルはすぐに恥じ入ってそれを抑えようと黙った。
そこからだれも何も言わなくなった。全員が少年のように静かにその場に佇むように黙り、意識して何かを考えることもせず、それぞれに心を読むのも止めた。辺りを再び奇妙な完全な静けさが覆った。




