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マセルは自分自身が何かに怖れを抱いているというような自覚はまったくなかった。しかし、ヌルの行動と重ねて考えれば、自然な推測としてあり得るのは自身の奥底に潜むクルに対する怖れ。それしか思い浮かばなかった。
「それをヌルが見ていたというのか? ヌルに直接聞いてみるべきか。
だが、おそらく具体的に説明できるほど明確ではないだろう。言葉や像とは違って、他人の感情は読み取れてもそれがどんな理由で湧き起こっているのかを知るには前後のいきさつや状況を知らないと推測できない。他人がそこまで具体的に読めたとすれば逆に自分自身でも気付くはずだ。
いや……むしろそれだからヌルは今まで何度も聞いたのか? 俺がクルを打ち壊し、死に至った経緯を。ヌルは前からそれを俺自身の怖れと結び付けて考えていたのか。それにしても、今までヌルの心からそんな意思を感じたことはなかったが」
マセルはあらためて振り返るとヌルの心をそれほど深く、丁寧に感じようと意識したことがないと思った。今まで、マセルはヌルの意識の表層を極めて単純なものと感じていた。言わば子供だからと侮っていたようなところがあった。しかし、子供だからこそ本人も意識しない様々な思いや、欲求や感覚が奥底に隠れていてなかなか見えにくいのではないか?
「ヌルのやつ……」
マセルは急に何か嬉しいような気持ちになった。少し前に感じたヌルに対する感傷的な喪失感がいつの間にか霧消して、代わりに清らかとも言えるような咎め得ない親近感に包まれた気がした。
マセルは自ら立ってヌルを探しに行った。大人たちに混じって談笑しているヌルの姿を見つけた。マセルが近付いて行くと、ヌルが気付いてマセルのほうを見た。マセルは滅多に見せたことのない温かな笑顔で応じた。ヌルがマセルのほうへ駆けて腰のあたりに思い切りしがみつくと、マセルは両手でヌルを抱えたまま立ち上がってきつく抱きしめた。