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「横で寝ていたヌルがひどく咳込んでいて、俺は目を覚ますとすぐ臭気と破裂音に気付いた。慌てて居間のほうへ出た。炎が見えて……だが、まだ俺は落ち着いていた。家全体が燃え落ちることはないと思った。俺はヌルを起こすために寝室に戻った。
ヌルを抱きかかえて、しかし出口が何かで閉ざされていて完全に炎に包まれていた。油だ。油が室内に漏れるように流れているのを見て、俺はこれが自然火ではなく、だれかが自分とヌルを焼打ちにしようとしているのだと分かった。
咄嗟に窓のほうへ駆け寄ろうとした。しかし窓は何か積み上げられた物で封鎖されていて、そこから濛々と黒煙が室内に入り込んでくる。俺はもう脱出不可能な状況にされていると悟った。
一瞬だけ、俺は反射的にクルに祈った。自分はいい。ヌルだけでも助けてくれと。しかし、もちろんだれも答えなかった。
俺は、ヌルを抱きかかえたまま寝室に戻り、静かにヌルを降ろして立たせた。俺はじっとヌルの顔を見て無理に笑顔を作った。ヌルは何も答えなかった。寝床の近くにある衣装棚の下から剣を取り出した。皮の袋から剣を抜き、一度顔の前に持ち上げてその刃を確かめた。もう長く使うこともなかったが刃こぼれや錆はほとんどなかった。
ヌルを殺す。
火に包まれて死ぬよりも剣で一突きに絶命したほうが楽だ。楽だし、きれいだ。
俺は一度剣を脇に置くと呆然と立ったまま俺を見ているヌルの目の前に戻り、しゃがんでその肩を両手で掴んで大声で言った。
ヌル。俺もすぐに逝く。ヌル先に行って天国で待ってろ。分かったな?
しんしんと近付く炎の熱さに瞳孔が焼かれるのも構わず、ヌルは目を見開いて俺の顔をじっと見ていた。涙はなかった。
……うん、とヌルがしっかりと頷いたのを確かめて、俺はヌルの肩を自分の胸にぐっと引き、一度きつく抱きしめた。俺は左手でヌルの背中を強く引き寄せたまま右の手で剣を逆手に持ち、ヌルの背後にかざした。
火が目の前まで迫っていた。
俺は音を立てぬように静かに、しかし深く息を吸い込んだ。俺の胸板が吸気で大きく膨らんで、その中でヌルの体の力がすうと抜けたのを感じた。俺はヌルを背中から貫いて絶命させた」