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ほぼ一昼夜運び続けてマセルたちはようやく支配者の儀式殿に着いた。先頭のクセルが儀式殿の大門の前に立ち止まり、上部に打たれた銘を読もうとしたが逆光でよく見えなかった。マセルはクセルの傍らに進み出ると促しながら先に大門をくぐった。
「さあ行こう」
会衆の男たちは門前に引車を置いたままマセルに続いた。大門をくぐると、すでに各地で迫害を受けた人々が運び込んだ獣像たちが中門へ続く渡り廊下の左右からマセルたちを睨んでいた。獣の顔や腕足などはそれぞれの異教徒たちの勝手な解釈で作られているのでまちまちであった。ただその形相は一様に邪悪で不気味であった。
奥から儀式を取り仕切る官吏が大仰な数の兵を従えて現れた。
「定刻だ。君たちで全員か」
「そうだ」
クセルは答えた。
「君たちが作った像はどこか」
官吏が事務的な口調で尋ねた。クセルが何も言わず大門の前の引車を指差した。
「よろしい。ではすぐに儀式を執り行う。お前たちの神の墓は……」
官吏が歩いて敷地内の適当に空いた一画を足で踏んで示した。
「ここにする」
兵士たちがその場所までクル像を運びこんで立たせた。クセルたちが作った獣像も運ばれて、それは予め準備された台座の上に、クル像を上から睨み付けるかのように配置された。
官吏はマセルたちが作った獣像を見て「ふん」と侮蔑的な声を漏らすと兵士たちに顎で指図した。すると兵士たちはマセルたち一人ひとりを両脇から押さえつけて歩かせ、それぞれを跪かせた。マセルたちはちょうどクル像を背に、獣像に向かってひれ伏すような格好で並ばされた。
兵士たちはマセルたちに、それぞれにかなり重さのある鉄製の鎚を渡して持たせておいて、マセルたちがじっと動かないのを確認して獣像の前に整列した。会衆の者たちは獣像に忠誠を誓わされた後、この鉄鎚で自らクル像を叩き壊すのである。いよいよ引き返せないところに来た。
「各々、そのまま目を閉じ聞けい!」
兵士が号令をかけるとマセルたちは鉄鎚の柄を肩で支え、跪いた姿勢のまま目を閉じた。
「では式典を始める」
官吏が進み出て、いかにも権威的な口調でしゃべり始めた。
「君たちは我が王の民であり、王の民は須く信教が禁じられている。よって君たちがもし何かを信仰しておるならバツカノ領内に留まることはまかりならん……これから私が言う邪神を信教するものは名乗り出でよ」
官吏が一度マセルたちの様子を見回した。マセルたちは目を閉じたまま聞いた。
「よろしい……ではこの中にヤマを信じる者がいるか」
「この中にブテを信じる者がいるか」
「この中にアラメラを信じる者がいるか」
「この中にワシンを信じる者がいるか」
「この中にスメラを信じる者がいるか」
「この中にビドゥを信じる者がいるか」
「この中にケノオを信じる者がいるか」
「この中にナムラマを信じる者がいるか」
「この中にヤーを信じる者がいるか」
「この中にキザスを信じる者がいるか」
「この中にブラムを信じる者がいるか」
もちろん官吏はこの会衆の信じる神の名がクルであることを承知していた。会衆の者たちは目を閉じて官吏の言葉をやり過ごした。そのうちにクセルたちは官吏の声の背後から獣像が自分たちを睨みつけているような不思議な錯覚に陥った。悲観や憎悪よりもどす黒い恐怖のような感情が湧き起こってクセルたちは朦朧としてきた。
しかしマセルだけは違っていた。マセルは密かに薄らと目を開いて、官吏が自分の神の名を呼ぶのを静かに待っていた。官吏の不毛な問いがまるで永遠に続くかと思われたそのとき、ついに官吏が決定的な名を言った。
「この中にクルを信じる者がいるか」
「ここにいる!」
マセルがいきなりクル像に飛び掛かって鉄鎚を叩き落とした。クル像は破片を飛び散らしながらぶっ倒れた。他の者はみな呆気に取られていた。その猶予にマセルはさらに何度もクル像を打って、クル像はただの石塊のようにばらばらに壊れた。
クセルやリギルたち、それに官吏とその兵士たちもマセルがなぜ獣像ではなくクル像を打ち壊すのか理解できなかった。官吏がやっと叫んだ。
「何をしている。ヤツを止めい!」
兵士たちが我に返ってマセルを取り押さえようとした。しかしマセルはそれに呼応するように鉄鎚を投げ捨て、あっという間に官吏の懐に飛び込むと脇から取り出した短剣で官吏の腹の真ん中を躊躇なく突き刺した。
血が飛び散った。兵士たちは一瞬たじろいだ。官吏はその場にうずくまるように倒れたが、次の瞬間マセルも兵士たちの槍に仕留められていた。
マセルは息絶えた。